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戦場の騒乱は去り、そして静寂が訪れる。
後に残ったものは浄化された大地と言うべきか、焼け落ちた人間と言うべきか。
何処からともなく鳥の鳴き声や虫の鳴き声が響く。

焼け焦げた木が燃えかけの炭のように燻る広場の中央に、突如一陣の旋風が舞い踊った。
周りを巻き込み、砂煙をあげる竜巻が収まった後に、風は一人の長身の男の姿に変わっていた。
漆黒のマントを羽織り、地味で飾りのない暗灰色の服を着ているその姿は、周りを闇に染めていくような強烈な
雰囲気を撒き散らしていた。
ただ、黒い姿の中で顔だけは、周囲の闇から浮かび上がるような白い仮面で覆われていた。
まるで闇の中で仮面だけが浮いているように。

「ふん、存外だらしのない。とはいえ、全滅は筋書き通りか。……しかし、火炎の嵐の中にサラマンダーを
落としてくるとはな」
仮面の男が、忌々しげな声とともに、黒焦げと化した死体を爪先で蹴飛ばす。辛うじて形を維持していた革鎧が、
腑抜けた音とともに崩れ落ちていく。

「証拠を残しておくのも不味いな」

崩れていく鎧を見つめていたその男は、そう呟くや否やルーンを唱えた。
手に持っていた大ぶりの杖を振るうと同時に竜巻のような風が突如巻き起こり、周囲の残骸を吸い上げては
森の方へ吐き飛ばしていく。
それを満足げに見上げていた仮面が、電撃に触れたように森の方に向き直って杖を構えた。

「誰だっ!」

鋭い声と共に杖の先から、槍と化した空気の塊が射出される。鋭い穂先は割れるような炸裂音と共に杖の
射線上にある大木に大きな穴を穿っていった。
警戒を崩さない仮面の男の視線の先に、足音もなく、長身の影が森の闇からにじみ出るように現れた。
仮面の男と似たような背格好で黒い服装も近いものがあるが、こちらは闇に祝福されるような、闇そのものの
ような静寂とした雰囲気を身にまとっていsる。

「お前は……」

仮面の男は、後に続く言葉を無理やり呑み込んだように息を止め、杖を構えなおした。
なぜ、あいつがここにいる? 目的地に向かったのではないのか? まるで自分が来るのを予測していたように
待ち構えているこの男はいったい……?
目に当たる切れ込みから射殺さんばかりに、仮面の男は巨大な金属製のケースを担いだ長身の男を睨みつける。

雲が切れ、月光がその隙間から大地を祝福する。
チェロケースを担いだハジは、右手を一振りし、手品のようにスローイングダガーを取り出した。

「あなたに聞きたいことがあります」

淡々としつつも、どこか底知れない声に、仮面の男は背筋を冷たいものが走り抜けていくことを自覚する。
全身という全身の鳥肌が音を立てて逆立っていく。相対しただけでここまで緊張させる敵は滅多に居ない。

「ふ、貴様に話すことなどない」

口の中で、こっそりとルーンを唱えつつ、仮面の男は間合いを測る。
目の前のハジとは10メイルほど離れている。月光を跳ね返しているダガーが気になるが、この距離であれば
自分の風魔法の方が早い。

「エア……ッ!?」

最後の一節を唱えようとした瞬間、その認識が甘かったことを思い知らされる。

光?

そう、咄嗟に横に倒したその顔を掠める様に、銀色の光が通りぬけた。
水面を竹ひごではじくような鋭い破裂音がしたあと、ひび割れが広がりに仮面の一部がポロリと落ちた。
何だと? いつ投擲した? 浮かんだ疑問を無視して、戦場を潜り抜けてきた経験が無意識のうちに魔法を起動する。
咄嗟にマントで顔を隠しつつ杖をつきだした。

「ハンマーッ!」

巨大な空気の固まりがハジの横ではじけ、まるでダンプカーがぶち当たったようにハジを吹き飛ばす。
小石のように吹き飛んだハジは何本もの樹をなぎ倒し、大木に激突して止まった。
ミシミシという音と共にハジを受け止めた大木が折れていく。
仮面の男は、止めていた息をゆっくりと吐き、張り詰めていた神経を解放した。全力のエア・ハンマーを
使ったことなど、そうそう記憶にないが、あれだけの激突であれば普通は死んでいる。
よくても全身の骨という骨が折れて、動くこともできまい。
まさに神経戦だった。初手をかわされた方の負け。全神経を相手の一挙手一投足に反応できるように
張り詰めていた。それでいても突如投げられたダガーをかわすことができたのは、偶然としか言いようがない。
手の動き、体の動き、すべて見ていたのにもかかわらず、投げる瞬間が分からなかった。
全身の緊張がほぐれていくに従い、相手の異様さ加減が気になってくる。

――この男は危険だ。

今のうちに確実に処分しておかなければ、後で確実に障害になる。
激突地点に近寄る気にもならなかった仮面の男は、再び呪文を唱える。ハジに向かって、杖を振りかざそうとして、
倒れていたハジがいないことに気がついた。

いつの間に?

愕然としたその一瞬の隙を突かれた。
背後に何かの気配を感じたと認識すると同時に、首根っこに冷たい手の感触が、そして背中に尖った物を
突き付けられた感覚が、全身を駆け巡る。

「あなたに、聞きたいことがあります」

もう逃げられない。そう判断した仮面の男は、攻撃前と一切変わらないハジの声に唇をゆがめた。
信じられなかった、あれだけのエアハンマーをその身に受け、木々をなぎ倒した男が、なぜ、今後ろにいる?
ただ、事実は事実だった。ある意味、吹っ切れた仮面の男はハジから死角となる様に、杖を自分の腹に突き付けた。

「貴様に話すことなどないと言っただろう」

ハジの問いかけに嘲笑を向けると同時に、起動するだけだった魔法を解き放つ。杖から飛び出した、空気の槍が、自分もろともハジを貫く。
己の魔法がハジまで確実に貫いたことを横目で確認した仮面の男は、にやりと笑って唐突に旋風のように四散する。
支えがなくなった仮面や杖が乾いた音を立てて地に落ちる。
腹を貫かれて蹲り、手をあてていたハジが、しばらくしてゆっくりと立ち上がった。
もうその表情からは何も読み取れなかった。痛みも、何も。
相変わらず無表情なままで、シルフィード達が飛んで行った方向を見ていたハジが、微かに風を切る音とともに
煙のように消えた。

今度こそ静寂が訪れ、息をひそめていた鳥の鳴き声や、虫の鳴き声がその場を支配していく。


―― BLOOD+ゼロ 11章――


漆黒の空をポツンと炎が飛んでいる。
よく見れば、風竜の足につかまったサラマンダーの尻尾の炎だった。
自然界であれば到底あり得ない不可思議な光景も、彼等がメイジの使い魔であれば話が変わってくる。
よくよく見れば、その風竜の背には三つの影が見える。
タバサ、キュルケ、ギーシュという名前を持つメイジ達だった。
本来であればもっと高速で飛べるシルフィードだが、さすがに通常よりも大幅な重量増の状態では、普段の
ような高速飛行は望めず、極力、体力を使わないようにゆっくりと飛んでいた。
しばらくの間は誰も口を開かなかった。シルフィードの羽ばたきと、風の音だけが世界を占めていた。
ふと、キュルケがタバサの肩にぱふっと顎を乗せた。

「……ねぇ、タバサ、あれでよかったのかな?」
「全員は無理」
「まあ、そうだけど、でもねぇ」
「きゅいきゅい」

学院を出た直後と異なりギーシュが増え、かなり手狭になったので、今はタバサをキュルケが後ろから
抱きかかえるように座っていた。ギーシュはさらにその後ろで胡坐をかいて座っている。
背中と肩に親友の温もりを感じながらも、タバサはそっと首を振った。
例えばルイズのように小柄で軽い人間であれば、シルフィードにぶーぶー言われても、あと一人はなんとか
なりそうだが、ハジのような大人の男は到底無理だった。結果的に四人同時にシルフィードで運ぶことはできず、
誰かが残らなければならなかった。

『気になることがありますので、後から追いかけます』

想像していたのかどうかは分からないが、ハジはそう言って一人現場に残った。
確かにこの襲撃自体不自然なことが多いのはわかるが、こんな夜に、それも人の死体が山のように転がっている所には、
少女たちは出来れば長居したくなかった。
タバサもキュルケも死体を見て悲鳴を上げるほどやわな神経ではないが、自分達が作り上げた何十もの黒焦げの
死体を直視し続けるのは、さすがに遠慮したかった。
ヴェルダンデは自分でついてこさせる。というギーシュの言葉で、結局三人と一匹がシルフィードで飛び立った。

「彼が大丈夫といったんだから、いいんじゃないのか?」

キュルケの後ろからギーシュが風に負けまいと声を張り上げた。
ギーシュの矢傷はタバサの治癒で、ある程度は治療している。しばらく痛みが残るだろうが、傷痕は奇麗に
なくなるはず。ただ、今も彼は矢を受けた所を無意識のうちにさすっていた。

シルフィードに時折指示を出しているタバサは、じっと前を見つめていた。手持無沙汰のキュルケは、目の前で
風に揺れるタバサの青い髪を手櫛で漉いている。

「だって、ラ・ロシェールはまだかなり先でしょ? そりゃあ、シルフィードだったらすぐだけど、ハジは
間に合うのかしら」
「迎えに行く」
「タバサ、どうしたの? あなたがそんなに積極的なのは珍しいわね。ま、いっか、あのルイズに貸しでも
作っておきましょ」

タバサの言葉に、一瞬目を丸くしたキュルケは、ニヤッと笑った。タバサはそんな友人の笑みを横目で見ながら、
シルフィードの体をぽんぽんと叩いた。

「きゅいきゅい」

遠くに町の光が見える。ラ・ロシェールまではもう少しだった。
シルフィードは了解したように、羽ばたきを強め、高度を落としていく。

§ § § § § § § § § § § § § § § § §

一足先にラ・ロシェールについていたルイズ達は、小さな港町の、唯一と言っていい貴族相手の宿、『女神の杵』亭に
部屋をとっていた。
天蓋付きのベッドがある立派なつくりの部屋で、ルイズは窓際に椅子を置いて、じっと外を見ていた。
かなり夜は更けてきており、もう、道路で動くものは酔っぱらいか、野良猫ぐらいなものだった。
ワルドは、グラスにワインをついでルイズに手渡した。
心ここにあらずといった表情のルイズは機械的に受け取って、そのまま膝の上に手が落ちていった、ワインは
口を付けることもなかった。

「どうしたんだい、ルイズ。お友達と君の使い魔だったら大丈夫だよ」
「……」
「そんなに心配かい?」
「ええ」

厳しい顔で、蟻の一匹すら見落とさないとばかりに窓の外を見つめる、鬼気迫る雰囲気のルイズだった。
それを見ていたワルドは、軽くため息をついた。
慰めるようにルイズの肩に手を置いた。小さい肩がビクンと震えたが、それでも何かにすがりつきたそうな
視線は窓から離れなかった。
諦めたように肩をすくめたワルドは、ルイズと同じ視線までしゃがみこんで、両肩をそっとつかんだ。

「だったら、もう一度行ってみよう。だが、今日は遅いから明日の朝早くでいいかな」
「ほんと?」
「ああ、未来の奥さんにしょげかえられると、僕としても困るな」
「え、あ、お、奥さんなんて、いきなり……」

その言葉にはじかれたようにルイズが振り返った。ふわっと桃色の髪が広がって、憔悴した中に希望を
見出した旅人の表情を縁取る。
その顔を見てワルドは一瞬、眩しいものを見るような表情をしたかと思うと、すぐにいたずらっぽい笑顔になった。
ワルドの言葉を理解すると同時にルイズは顔を真っ赤にして俯いた。

「まあ、確かに、ずっとほったらかしだったから、婚約者だなんて、言えた義理じゃないこともわかってる」
「……」
「でもルイズ、僕には君が必要なんだ。離れていても、ルイズのことがずっと心に残っていた。
僕は君に相応しい人間になろうとして、我武者羅に頑張って来た」
「ジャン……」

ワルドは俯いたルイズの頤にそっと手をあて、優しく、ゆっくりと上を向かせた。眼を逸らすルイズの顔を
じっと見つめた。
ワルドの真剣な声。なにか、思いつめたような雰囲気をもつ声と、ひたむきな眼を直視することができない
ルイズは、もじもじと手を握っては開いていた。
真っ赤に上気してきまり悪そうなルイズを、慈しむような視線で見ていたワルドが感極まったように、そっと抱き寄せる。
自分の胸でビクッと硬直するルイズを両腕で抱きしめ、その豊かな髪にキスをする。ゆっくりと髪を優しく
撫でながら、ワルドは静かに口を開く。
ここ最近の環境の変化でルイズも人の機微に敏感になった。だから、ワルドの過去の傷を思い出すような、
苦いもの、苦しいものを思い出すような、痛切な響きに心を震わせられる。

「死にそうな時、もう駄目かと思ったとき、そんな時に出てくるのは君の笑顔なんだよ、ルイズ」
「……」
「だから、僕は君にずっと傍にいてほしい」
「ジャン……、それって……」

ワルドの腕に力がこもる。息ができないほど強く抱きしめられたルイズは、その腕に彼の強い想いを感じていた
さっきの冗談とはまったく異なる真剣な声に、ルイズは眼を見開いた。確かに形だけとはいえ許婚の関係なのは事実。
だけど、相手は精鋭中の精鋭、グリフォン隊の隊長で将来を嘱望されるべき人。そんな人が、魔法すらまともに
使えない半人前以下の自分を好きなはずがない。わたしにあるのは、ヴァリエール家の三女という立場だけ。
ワルドは、昔の約束を、それも口約束を守ろうとしているだけ、そう無理にでも思い込もうとした。
で、なければ余りにも差がありすぎて自分がみじめすぎる気がした。

「ルイズ、僕は君を愛してる、結婚しよう」
「わ、わたし……まだ……」
「この任務が終わったら、僕と結婚しよう。アンリエッタ殿下の勅命を受けれるまでになったんだ。
郷里のお父様も反対はしないよ。ラ・ヴァリエールに迎えに行く」

ルイズを抱きしめていたワルドが、そっと身を離し、ルイズを見つめた。その熱い視線を受け、ルイズの顔が
今まで以上に火照っていく。
ワルドは目をつぶり、そっと顔を近づける。
自分が自分でないような、夢か幻を見ているかのような、ふわふわとしていたルイズだったが、ふと心の奥底で
引っかかるものがあった。
『大丈夫です。行ってください』
静かな声と、背中に矢が何本も突き刺さったハジがルイズに背を向けていくイメージが呼び起こされた。

――わたしは今、何をしているの?

ルイズは、咄嗟にワルドの胸を押し返した。

「だめっ」
「どうしたんだい?」
「……今はこんなことをしてる場合じゃない」
「ルイズ……」

ワルドの目を見れずに、俯いて自分の足元を凝視しながらルイズは声を絞り出した。
求婚は嬉しい。それこそ昔から憧れていた人。そして好きな人。幾度となく夢に見た光景。だけど、だけど、
そんな自分に都合のいい夢のような光景だからこそ、安易に流されることはできなかった。
確かに、今、ワルドの想いを受け止めることが出来たなら、それなりの幸せがあるだろう。
だけど、その幸せはワルドの妻としての幸せ。今までの想いや誇り、ゼロと蔑まされながらも歯をくいしばって
前に進んできたルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールとしての幸せは望めない。

「……ごめんなさい、わたしはまだ自信がないの。魔法もまともに使えず、ゼロでしかない。」
「……」
「わたしね、子供のころから、大人になって皆に認められるような立派な魔法使いになって、お父様やお母様、
お姉さま達に褒められたいって思ってたの。でもまだ、今のわたしは駄目。
今のままじゃ駄目なのっ!!」

俯いて、両手を握りしめていたルイズは、なにかを抑え込むように声を絞り出していた。
微かに震えながら話していたが、きっと顔を上げ、ワルドを正面から見返した。
涙を含んだ、しかし、断固とした信念を掲げたその瞳は、ランプと暖炉の炎によって、静かに燃える
宝石のようにきらきらと輝いていた。
その瞳を、眩しいものを見る様に目を細めていたワルドは、在りし日の自分を重ねていた。何事にも挫けず、
自分の誇りを掛けて前に進む、そんな高貴な魂。いつ間違ったのか、いつ忘れたのか。
ルイズの挑む様な視線に、己の中の淀んだ澱を引きずり出されそうになったワルドは、そっと視線を外した。

「ひょっとして、誰か好きな人でも出来たのかい? 例えば、君の使い魔君のような」
「え、あ、は、は、ハジは違うわ、違うの」
「そうなのかい?」

ふっと、明るく口調を変えたワルドの言葉に、ルイズは慌てた。不意打ちのような質問に、咄嗟に気の利いた
回答を出すことも出せずに、視線を泳がせすことしかできなかった。

「……ジャン、ごめんね、すぐに答えを出せなくて。」
「いいよ、十年待ったんだ、あと少しくらいどうってことないさ。でも、僕がよぼよぼのお爺ちゃんになる
前によろしくたのむよ。あぁ、そうなったら、ルイズはおばあちゃんだな」
「やだ」

ルイズの沈んだ、蚊の鳴くような声の謝罪を聞いたワルドが、そう言って肩をすくめてウインクをした。
そのちゃめっけたっぷりな表情と声に、思わず噴き出した。
ワルドが重苦しく、内に籠り始めた自分を救う為に、わざとおちゃらけた口調で話を変えてくれたことに
気がついたルイズは、その深い愛情に、ただただ謝ることしかできなかった。
いま、その胸に飛び込めて行けたら、どれほど幸せだろうか。
しかし、同時にルイズとしての誇りがそれを許さなかった。そして脳裏に映るハジの姿。
幼い少女のころと異なって、どれも捨てることのできない大事な想いが複雑に絡まっていく。

「やっと笑ったね、ルイズは笑ってる方がいい。じゃあ少し下へ行って食事でもしようか、腹が減っては
なんとやらだしね」
「……ジャン、ありがとう」

本来であれば食事は部屋に運ばせるのだが、気分転換の意味も込めて、ワルドは一階の食堂にルイズを
エスコートした。こんなに気を使ってくれるワルドにルイズは俯いたまま、小さな声で感謝するしかできなかった。
複雑な想いがルイズの脳裏を駆けまわる。
だから、ルイズは気がつかなかった、背中をポンと押して、ルイズを押しやったワルドの瞳に直視できないような
壮絶な光が走ったのを。ワルドもまた、自分の誇りを捨てることができなかったということに。

「で、今日は此処に泊まるのか?」
「ここしかないでしょ、って、ルイズ! ルイズじゃない、やっぱり無事だったのね」

階段を降りて一階の食堂兼酒場に入ったとき、ざわめきの間から聞きなれた声が耳に入った。
貴族のわがままにいつでも対応できるように、文字通り一日中開いている食堂兼酒場は、こんな時間でも
結構な客が入っていた。
まさか? と思いつつもきょろきょろと見回すと、相手の方が先にルイズに気がついた。

「ギーシュ! キュルケ! タバサ!」
「ルイズ!」

食堂の隅の6人掛けのテーブルを占拠した、赤と青と金の髪の少女達は、一斉に立ち上がった。
そこへ、安堵の笑みを浮かべた桃色の髪の少女が駆けよっていった。

「ハジは? ハジは無事?」

キュルケとタバサが何故ここにいるのか分からなかったが、ルイズはそこに肝心の黒い使い魔がいないことに
幽かな不安を感じた。きょろきょろと辺りを見回したが、ハジの気配はない。
しかし、ギーシュがいること考えると、その辺りに居るのだろう。

「ギーシュも大丈夫?」
「ああ、ぼくがあれごときの襲撃で、やられるとか思ったのかい?」
「やられてた」
「う、う、ううるさいっ」

暗がりの席だったので気がつかなかったがギーシュは埃だらけで、顔じゅうすり傷だらけだった。
矢が刺さっていたはずの腕も、いまは特に何ともなさそうに見える。
タバサの一言で顔を真っ赤にしたギーシュが指をプルプルと突き付けているのを横目に、キュルケが奥歯に物が
挟まったような表情でルイズにワインを注いだグラスを差し出した。

「あ、ありがと」
「後から来るわ」
「そう、よかった」

その頃になってようやく、料理の注文を終えたワルドが、テーブルに近寄ってきた。
鋭い視線がギーシュを一瞥したが、即座に温和な表情になって、親しげに肩を叩いた。

「無事だったか、ギーシュ君、さすが、グラモン元帥の御子息なだけはある」
「おかげさまで」
「はっはっは、ともかく無事な何よりだ」

ギーシュは、どちらかというと、捨てられて置いて行かれた。という印象がぬぐえない為、理屈では
分かっていても最低限の礼儀で憮然と答えていた。
そんな葛藤を知ってか知らずか、ワルドは明るく笑った。

「どなたかしら?」
「ラ・ヴァリエール嬢の許婚のジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド子爵と申します。
お見知り置きを、お嬢さん」
「キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーと申しますわ、凛々しい子爵様、
そして、こちらは親友のタバサですわ。あら、いかがしました?」

見慣れない、若い貴族にキュルケが視線を送る。
完璧に近い儀礼でキュルケの手のをとり、甲に接吻をしたワルドを、キュルケは一瞬だけ胡散臭そうに見つめた。
ワルドが顔を上げた時にはいつも以上に艶然とした表情で、頬笑みを浮かべる。
親友のそんな表情を横から見上げていたタバサは小首を傾げる。

「いえ、ツェルプストーの方が、ラ・ヴァリエールの名を冠する者と同席していることに驚いたまでですよ」
「おほほ、家同士の因縁と、ミス・ルイズとのお付き合いは別物ですわ、ワルド子爵様」
「なるほど」

納得した様なワルドに席を勧め、おもむろにルイズに顔を向けると、ルイズはキュルケの視線を避けるように
そっぽを向いた。

「ルイズ、あなた、婚約者がいたの?」
「わ、わ、わ、わるい?」

ネズミを前にした猫のような表情をしたキュルケが、顔を真っ赤にさせたルイズを人差し指でつついた。
相変わらず顔を真っ赤にしたまま、突き付けられた指をはたいたルイズは、ワルドが引いた椅子に座った。

「まあ、あんたの結婚はどうでもいいけど、じゃあ、ハジは私に頂戴」
「あ、あ、あ、あ、あんたねぇ、ハジは私の使い魔なのっ、あげないわよっ。
で、そのハジはどこよ? キュルケっていうか、あんた、なんでここにいるのよ」
「あ~、もう、けち。ハジが後から行くって言ったのよ」
「って、どういうこと?」

タバサが運ばれてきた料理の中から器用に野菜だけをひぱり出して食べている。その横でギーシュとワルドが
ぼそぼそと会話をしている。そんな光景を横目に見ながらルイズの横に斜に座ったキュルケが片肘をついて、
ワインを口に含む。
わなわなと震えるルイズの怒りが爆発する前に、キュルケが観念して、頭をがしがしと掻き上げた。、

「シルフィードにハジは乗せれなかったのよ」
「ひょっとして」
「おいてきちゃった」
「キュルケッ!」

ちろっと舌を出すキュルケにルイズは両手を握りしめて喰ってかかった。
口角に泡を飛ばしながら詰めよるルイズの顔を片手で抑えつつ、キュルケは一言一言区切る様に言った。

「だ・か・ら、一旦ギーシュを置いて、後から迎えに行く段取りなのよ」
「だったら私が行くわ……って、ハジッ」

キュルケと綱引きをしていたルイズの動きが、いきなり動きが止まった。窓をじっと見つめる。
全員が、その動きに気を取られた。
窓の外に目を凝らしていたルイズが、ぱあっと花が咲くように顔を綻ばせて、あっけにとられる四人を
放り出して走り出した。
宿の玄関から飛び出したルイズを待っていたのは、服がボロボロになったハジだった。
ばたんと、威勢のいい音を立てて開いたドアを、道の真ん中であっけにとられたように見つめたハジの胸に、
ルイズは身を投げ出す様に飛び込んだ。

「ハジ、ハジ、ハジ、ハジッ!」
「……はい」
「な、な、な、なに心配かけてんのよ。使い魔だったら、主人の近くにいないとダメなんだから」
「申し訳ありません」

ハジが無事だった。その事が何よりもルイズは嬉しかった。自分をかばって矢を受け、護ってくれた使い魔。
躊躇せずに、矢の嵐の中で我が身を犠牲にして護ってくれる存在。
ゼロと蔑む事もなく、公爵家の令嬢だともてはやすこともなく、ただの”ルイズ”を静かに見守ってくれる、自分の使い魔。
そんなハジにそっと肩を抱かれたルイズは、いままでの凝り固まっていた不安が徐々に解けていくのを感じていた。
それでも、自分に素直にはなれずに、少々尖った言い方になってしまう。
ただ、胸にこすりつけている顔には涙で滲んだ微笑みが浮かんでいた。

「ル~イ~ズ~、本当は嬉しいくせに」
「キュルケッ! わわ私はね、つつつ使い魔のっ」
「あ~はいはい、とりあえず、入ったら?」

ドアのあく音に振り返ると、ドアを開けたまま、もたれるように立っているキュルケと目があった。
逆光じみているので、その表情まではうかがい知ることができなかったが、その口調からルイズには容易に
想像がついた。
悪態を付きながらも、ルイズは自然にハジの手を引いていく。
あとから考えて、手を繋いで歩いていたことに、恥ずかしさのあまりのたうち回るのだが、今はそんな些細な
ことは気にならなかった。

ルイズに連れられたハジは、宿の玄関の奥に立っているワルドと目があった。
ワルドの射殺さんばかりの険しい目とハジの静かな湖のような眼が絡み合う。
何も気がつかない少女達の上で、双方の視線が空中で複雑に交錯する。

――もうすぐ、夜が明ける。軌跡が交差する夜が明けていく。