ハジが目前に現れた光景を見て目を丸くしている。そんな気配を感じたルイズは自分が褒められた様にうれしくなった。
何度かアルビオンに行ったことのあるルイズには、既に感動する様な光景ではないのだが、初めて見る旅行者は
例外なく目の前の光景に見とれてしまう。それほど、目の前に立ちふさがる山のように巨大な樹には、圧倒的な力があった。
四方八方に広がる巨大な枝に、大きな木の実がついてるかの如く見えていた物も、近づくにつれてそれが飛行船のような
形の船であることが分かる。

「なるほど、それで”桟橋”ですか……」
「どお、びっくりした?」
「ええ、驚きました」
「ふふん、じゃあ、早く行くわよ、ワルドが待ってるわ」

隣を歩くハジは、その光景から目を離さない。ルイズは初めてハジに対して優越感を思え、小鹿が跳ねるように長い階段を
駆け上がった。
途中で荷運びの船員達に迷惑そうな視線を送られるのも気にしない、その生命力にあふれた姿を、微かな苦笑とともに
見送っていたハジもゆっくりと登り始めた。
ふと、顔に手をやったハジは、いつから、こんなに表情が出るようになったのか独りごちた。
帰る目処は未だ立っていない、が、愛する人が目覚めるまでに幾許かの時間がある。
そして、もう死ぬ為に生きる必要もなく、温かな家族もいる。

脳裏に浮かぶ顔が屈託なく笑う。
まるで、沖縄で再会した時のように。
あの時も今のように空が抜けるように青かった。

「……そうですね、小夜。生きてていいんですね」
「ハジッ! 遅いわよー」

階段の頂上から見下ろす桃色の髪の少女が、両手をメガホン代りにして、声を振りたてた。優しく降り注ぐ午後の太陽の
光を背にした少女を、眩しげに見上げた後、いつしか止まっていた足を動かす。

――未来に向けて。


―― BLOOD+ゼロ 12章――


「アルビオン行きの船が出ない? それってどーゆーことよ」

ワルドが手当たり次第声をかけたが、すべて同じ返事だった。”アルビオン行きの船は当面出港しない”
船長や船主達は異口同音に答えた。あるものは済まなそうに、あるものは鬱陶しそうに。
徒労感を感じた二人と一人は帰り際に、これが最後とばかり、”桟橋”の根元に一番近い―即ち余り上級ではない―船の
船長を捕まえた。

「どーもこーもねーな。向こうさんの許可がおりねーんだよっ。せっかくかき集めてきた硫黄だってのによぅ。
まあ、今日一隻向こうから入ったから、ぼちぼち許可が下りるだろうよ。明日になったら多分大丈夫だと思うんでな、
もう一度来てくんな」

ビール腹の初老の船長は、口を囲むように生えている、白いものが混じった髭を弄りながら、胡散臭そうにがなりたてた。
割れ鐘のような声に混じって唾を飛ばされたルイズは、こめかみに青筋を浮かばせながら詰めよろうとしたが、ワルドに
制止された。
う゛~と不満そうにむくれるルイズを余所に、ワルドは邪魔したな。とあっさりと引き下がる。

「先手を打たれたか」
「どういうこと?」

桟橋への階段をルイズと並んで降りながら、ワルドが険しい顔のまま呟いた。はっとワルドを見上げたルイズの表情も
自然と険しくなる。
二人の後ろを少し間を空けて歩いているハジは相変わらず無表情なままだった。

「トリステインからの船舶の入港を阻止しようとしているところを見ると、貴族派……反乱軍と呼ぶべきかな。彼らも
薄々と気が付いているんだろう。トリステインが証拠を取り戻しにくるということに」
「まさか」
「まだ、ばれてはいないと思うが、相当ピリピリしているみたいだね。この中を行くのは相当大変だよ?」

ふっとワルドが厳しかった視線を緩め、軽く揶揄する様な響きを声に乗せルイズを見つめた。隠密裏に依頼された内容が
ばれたのか?と不安になっていたルイズだが、少し考えて、ばれる要素がないことに思い至った。
ワルドと絡み合っていた視線をほぐし、荷運びを続ける船員を横目にルイズは毅然と前を向いた。

アンリエッタ王女との約束が、心に蘇る。
王女は出がけに、約束の証しとして、お守りとして、王家に伝わるという”風のルビー”をルイズに渡していた。
何もできない。と、無力感に囚われつつも、心の内で泣きながら足掻き続けている、お友達を助けたい。
その王女の心に答えたい。
ルイズは知らず知らずの間に手を握りしめていた。

――この旅を終えることができた時、答えが出る。

熱いものが満ちている心に、不意にそんな言葉が浮かんでくる。
どういう結果になるか分からない、ひょっとしたら命を落とすかもしれない。でも、それでも、旅をやめることはできない。
なにがあろうとも最後までやり遂げてみせる。
ゼロと言われ、誰からも当てにされることのなかったルイズは、今までにない高揚感と使命感に燃えていた。

「……分かってるわ。でも、それでも行かなくちゃ」
「さすがは僕のルイズ。そうでないとね」
「ジャ、ジャン、ち、ちょっと」
「なんだい、僕たちは婚約者なんだよ?」
「でも……」
「婚約者が困難に立ち向かっている時に助けることが出来るなんて、アンリエッタ殿下に感謝しなければ。
ルイズの同行者として、僕を選んでくれたことに」

微かに震える、しかし、強い意志を込めて毅然と顔をあげたルイズを、ワルドは眩しそうに見つめ、おもむろに抱き締めた。
階段の上の不安定な場所だったが、鍛え上げられたワルドにとってルイズの体重は重荷にもならず、抱きしめたまま、
くるりと一回転しても、その体は微動だにしなかった。
突然、宙に抱えあげられたルイズは、咄嗟にワルドにしがみ付くことしかできなかった。
幼いころから憧れ、今もそのはずの相手に抱きしめられ、普通は嬉しいばかりのはずなのに、眼の端に映るハジに自分が
どう映っているのか、それだけが気がかりだった。ワルドもハジがいる時に限って見せびらかす様な態度をとる。
それも木になった。

心地よい空と流れる爽やかな風、なのにルイズの心の中は雨の匂いを運ぶ、妙に流れの早い曇り空だった。

「で、私たちは明日まで待ちぼうけなわけ?」
「今日、一日だけよ」

『女神の杵』亭の一階の食堂兼酒場で、昼間からワイン片手に漫然と待っていたキュルケ達は、微妙に赤い顔でルイズ達を
出迎えた。最も、ギーシュは早々につぶれて、タバサはひとり本を片手にサラダを食べているのだが。
その豊満な肢体を惜しげもなく露出し、ワインでとろんと潤んだ瞳と表情で、周りの男性を視線を独占していたキュルケは
隣に座っていた小太りの男を蹴飛ばして席を開けさせた。
キュルケがハジに勧めた席に、当然のようにどっかりと座ったルイズは、キュルケのグラスを奪い取って一息に飲み干した。

「あんたねぇ。昼間っからお酒かっ喰らうのはやめなさいよ」
「そういう、あんたは何やってるのよ?」
「キュルケだけが飲むなんて癪だから飲んでるのよ! 悪い?」

あっけにとられていたキュルケだが、ルイズの苦言になってない苦言に、きゃらきゃら笑って、ルイズのグラスに
ワインをどばどばと注いだ。
足を組んで斜にすわり、片肘をついたキュルケは、ワイングラスを片手で弄びながら、詰まらなさそうに呟いた。

「ま、でもこの辺鄙な港町だったら、することもないわね。」

キュルケの言葉にうなずいたルイズは、手に持ったグラスになみなみと注がれた、紅の液体をしばらく見つめていたが、
心に溜まったもやもやを忘れるように杯を傾けた。


§ § § § § § § § § § § § § § § § §


昼間の宴会は、自覚していない疲労が溜まっていたのか、ルイズが合流してすぐに散会となった。
つぶれたギーシュをハジが、同じくワイン二杯でつぶれたルイズをワルドがそれぞれの部屋に運び、若干ふらつきながらも
しっかりとした足取りのキュルケは自らの足で部屋に戻った。
全員が再びそろったのは、日も完全に暮れた夜だった。

若さゆえの特権なのか、一眠りしたルイズ達は疲れもすっかりとれたすっきりした表情で、視線止めのラティスを配置した
奥まった一角に席を取り、目の前の食事にナイフを入れていた。
魔法学院の豪勢な食事に比べると、格段に落ちるが、それでも貴族相手の宿ということもあって、それなりの材料と
腕が振るわれており、ルイズ達からも不満は出なかった。

こんがり焼けたローストチキンのブロックにフォークを刺していたルイズに、隣に座ったキュルケが顔を寄せた。
内緒話の気配を察知したルイズは、突き刺したチキンを頬張りながら、幾分体をキュルケに寄せ、耳をそばだてた。

「ふぁに?」
「ルイズ、もうしたの? どっちと?」
「○×△□ー!」

真剣な表情のキュルケにちょっと気押されつつも、真剣に耳を傾けたルイズだが、その言葉で思わず口に含んでいた
チキンを勢いよく噴き出した。
ちょうど正面に座っていたギーシュがその被害をまともに受けた。

「うわ、汚いぞっ! ルイズ」
「ご、ごめんギーシュ」
「何噴き出してんのよ、ルイズ」
「きゅきゅきゅきゅるけっ!あああんんた、いいいうにこここことかいてっ」
「いけないなぁ、元気なルイズが好きだけど、レディは食事のときは、お淑やかにしないと」

ギーシュが慌てて顔に掛ったチキンの残骸をふき取って涙目で抗議し、キュルケは素知らぬ顔で突っ込む。
顔を真っ赤にしたルイズに、とどめを刺したのは斜め前に座っていたワルドだった。
軽く笑いながら見つめるワルドの視線を感じ、ルイズはプイっとそっぽを向いた。

「で、あなたはどっちにするの?」
「……どっちって何よ?」

ほとんど食事も終わり、思い思いにワインや紅茶を飲んでいるころ、再びキュルケがひそひそと話しかけた。
警戒していたルイズは、いやいやそうな表情ながらも、口の中のものを飲み込んで話につき合った。
キュルケに考えまいとしていたことを、つきつけられて否応なしに真顔になってしまう。
”どっちにする?” 即座にジャンと答えられないことが、ルイズの心境を映し出している。
聡いキュルケは、そんなルイズの心の機微を分かっているのだが、意地悪にも聞いてしまう。

「分かってる癖に、あの、子爵サマかハジか」
「なんであんたがそんなこと聞くのよ」
「え~、だって、ルイズが子爵サマを選んだら、ハジは身が空いちゃうでしょう? そんなの詰まらないわ
やっぱり、恋はライバルを蹴落とさないと駄目よ」
「あんたねぇ」

ルイズは頭を振って呆れた様な表情を浮かべたが、熱意のないキュルケの言葉に一瞬目を見開いた。

「でも、あの子爵サマは遠慮しとくわね。あーゆータイプは好みじゃないの」
「え、珍しいわね、キュルケが男に興味がないって」
「私をどういう目で見ているのか、一度きっちりと聞いておかないといけないわね」

ルイズの心底意外そうな口調に、こめかみに青筋を立てたキュルケが、わなわなと震える。
いつものように、お互いの喉に噛み付いた二人が杖に手をかけて立ち上がろうとした時、そっとハジがルイズの肩を
押さえた。
全員がきょとんとハジの、表情の乏しい白磁のような顔を見つめた。

「どうしたの、ハジ」
「囲まれています」

ハジの静かなその一言で、全員に緊張が走った。
ワルドは素早く窓際により、ルイズ達は身を伏せる
怪訝そうな表情ながらも、歴戦の魔法衛士であるワルドは、そっと窓から外を見て表情を強張らせた。

「バカな」

思わず、呻き声がその口から洩れる。
窓の外にはざっと見て二個中隊規模の兵士が展開しつつあった。こちらに気取られないように、まだ、かなりの距離を
空けてあるが、道路の要所はすでに抑えられていた。

「途中で襲ってきた奴等と同じかな?」
「まさか」
「そのまさか、かもしれないな。あの動きは傭兵とかではないな、兵士特有のものだな」
「え? ジャン? だって、兵士って、トリステインの?」
「いや、あれはアルビオ……伏せろっ!」

状況を聞いて震えるギーシュとルイズに答えていたワルドが、振り返って叫んだ。同時に乾いた音が鳴り響き、キラキラと
ランプの光を反射しながら窓ガラスが砕け散る。
ガラスが割れる音ともに、空気を切り裂く弾丸が飛び込んで来る。
ビシビシと音を立てながら壁に、天井にめり込んでいく銃弾の雨は、若いメイジ達に身動きを許さなかった。
不幸にも流れ弾に当たった客が盛大な悲鳴をあげてのたうちまわる。一瞬でのどかな食堂は地獄と化した。

「きゃぁ」
「奴等、銃まで持ち出してるわね」
「強行突破だ! 突撃だ!」
「突破してどうするのよ、船は出ないのよ」

瞬く間にボロボロになった食堂にルイズの悲鳴が響き、キュルケが伏せたまま唇を噛んだ。
銃兵たちの位置が微妙に下に位置するため、床に伏せた彼らに銃弾が直接当たることはないが、天井を穿った銃弾は
パラパラと漆喰の雨を降らせ、あっという間に埃で辺りを真っ白になる。
メイジに対しては、魔法の使えない者は圧倒的な物量で制圧するしか勝つすべはない。その鉄則を襲撃者達は忠実に
守っていた。
とはいえ、銃弾は消耗品であり、無尽蔵に使用できるはずもない、弾幕として使用しつつ次の攻撃があるはず。
ギーシュの無謀な扇動を嗜めながらキュルケは考えていた。であれば次の攻撃は?

「いや、ギーシュ君の言う通りだな、船がでなければ、出させればいいだけだ、銃を使っているということは相手は
平民で編成された兵士だ。 空に出てしまえば彼等は無力になる」
「空……じゃあ、みんなでフライで飛んで行けば」

キュルケの思考を止めたのはワルドの苦虫を噛み潰したような声だった。歯ぎしりの間から洩れるような声は、若い
魔法衛士隊隊長の怒りを如実に表していた。
ワルドの言葉をヒントにキュルケが弾かれたように顔を上げ、勢い込んだ表情になる。

「いや、それは駄目だ」
「なぜ?」
「考えてもみたまえ、あれだけの数の兵士だ。フライで逃げ出すことはできるが船が出港する前に追いつかれて船が
破壊されるのが落ちだ。別動隊がここで敵を引きつけて時間を稼ぐ必要がある」
「……」

キュルケの名案に全員の表情が明るくなったが、ワルドのにべもない言葉に、誰も反論できなかった。また、戦闘状況下で
魔法衛士隊の隊長に反論できる人間もいなかった。
そんな会話をしている間にも、乾いた音が四方八方から順番に鳴り響き、窓から銃弾が飛び込んでくる。
負傷した周りの客のすすり泣く声が響くなか、全員の顔を一通り見渡したワルドは、意を決したように頷いた。

「よし、二手に分かれよう。僕とルイズは、一刻も早くアルビオンに行かなければならない。
君達はあいつらを抑えてくれないか? その間に僕達は船を調達して、アルビオンへ向かう。
船が出たら、あいつらの注意も逸れるだろう、だったら、逃げることは難しくない。
後は青い髪の君、彼女の風竜だったらアルビオンまで来れるだろう」
「……なんか釈然としないけど、妥当な線ね」

ワルドの言葉は銃弾が飛び交う状況下では理路整然と聞こえた。キュルケは、微妙な表情を浮かべながらも、他の効果的な
対策が咄嗟に浮かばずに、不承不承頷くしかなかった。
友人達を置いていくことに抵抗を見せていたルイズだが、ワルドの”優先することと私情を取り違えてはいけない”
という言葉に押し黙るしかなかった。

「は、ハジは今度は私と一緒にきてよね。……船が囲まれてるかも知れないんだし、つ、使い魔だし。わかったっ?」
「はい」

ハジを連れて行くことを主張するのが精一杯だった。
顔を青ざめたギーシュ、相変わらず無表情のタバサ、不満気味なキュルケ、そして、不安な表情のルイズ。それぞれを
見渡したあと、ワルドが腰を上げた。

「よし、じゃあ、それでいこう」
「ミス・キュルケ、確か君は火の系統だったね? 目晦ましに派手な炎をあげれるかね」
「ええ、子爵様、ツェルプストーの名前が伊達では無いことを証明いたしましょう」
「よし、その炎で敵の注意が向いた隙に僕等は裏口から突破する。タイミングは君に任せるから、自由にやってくれ。
さぁ、いくよルイズ」
「あ、ちょちょっと、みんな、絶対に、絶対に無事でね」

中腰でルイズの手を引いたワルドは巧みに障害物を使い外の銃兵の死角をついて裏口に向かった。それを見送ったハジは、
腰をかがめてタバサの耳元で何かを囁いたあと、あっという間に裏口に消えていった。

「相変わらず、ハジって分からないわ、いったい何者なのかしら?」
「ぼ、僕らであれだけの兵士を相手にするのか?」
「で、タバサ、ハジに何言われたの?」
「後で」
「分かったわ」

あっけにとられた表情のキュルケだったが、ハジを見送ったタバサが微かに眉を寄せていることに疑問を抱いた。
ギーシュの言葉を無視して、タバサににじり寄ったが、タバサは軽くかぶりを振る。
この小さな友人の判断は、大体において正しいことを知っているキュルケは、それ以上問い詰めずに質問を封印した。
話す時が来たら話してくれるだろう。

杖を握って窓の外をみたキュルケは、床に蹲ってバラを模した杖でワルキューレの絵を描いて、拗ねているギーシュを
足先でつついた。

「いいんだ、僕はワルキューレで……」
「ちょっと、ギーシュ」
「な、なんだよ?」
「あれ見て、ほらタバサも」

キュルケが指差す先。ガラスが割れ、枠だけになった窓の外に巨大な人型が映っていた。兵士たちもその人型の道を
あけるように再配置しようとしていた。

「げっ、な、な、なんだよ、あれは」
「あれって……」
「フーケ」

ギーシュは震える声で驚いていたが、キュルケとタバサは二度目となるので、驚きもなかった。
月光に映し出されたのは、学院を襲ったのと同じほどの大きさのゴーレムと、その肩に乗った人影だった。
その特徴的な構図をみてタバサが呟いた。

「脱獄したのかしら……まずいわね」
「牽制する」
「いいえ、あれは私がやるわ」
「危ない」
「大丈夫、その代りシルフィード貸してくれる?」
「分かった」

タバサが杖を手に立ち上がろうとした。それをキュルケが肩を掴んで止めた。
タバサはキュルケの言葉に目を見開いて、首を振った。しかし、キュルケはウインクをして、タバサの心配を遮った。
相手の大体の作戦は分かった。銃兵で宿ごと封じ込めてゴーレムで押しつぶす。確かに効果的な方法かもしれない。
しかし、キュルケにはその作戦は穴だらけに思えていた。

定期的に飛んでくる銃弾を頭を引っ込めてやり過ごしながら、タバサはキュルケを見つめる。親友の意思が固いことを
悟ったタバサはあきらめて杖を横持ちにした。
頷いたタバサの頬にそっとキスをしたキュルケは、ギーシュに声をかけた。

「貴方のゴーレムって壊されない限り動けるのよね」
「当然だろ?」
「青銅よね?」
「くどいな、僕の二つ名を忘れたのかい?」
「多少炎に捲かれても大丈夫よね? フレイム貸してあげるからタバサと一緒に下の銃兵たちは任せるわね。
タバサは防御をお願い。じゃあ、そう言うことで派手に行くわよ」

キュルケは、そう言うなり入口に走り出し、ボロボロになった扉を蹴飛ばすと同時に杖を振った。
宿の前の馬車だまりに大きな炎が立ち上り、突入しようとしていた兵士たちが火にまかれて悲鳴を上げる。
兵士たちがその炎で狼狽した間隙をぬって、外に飛び出したキュルケを空から舞い降りた風竜が掬いあげて飛び立った。
散発的に銃声が響くが、舞いあがる風竜に狙って当てるほどの精度はなかった。

「さて、僕らも行くとするか」

半ば自棄になったギーシュがひきつった笑いを浮かべながら立ち上がった。
マントを引かれ、つんのめったギーシュが振り向くと、タバサが床の一点を指差していた。
怪訝な表情を浮かべたが、一転して笑顔になった。
ギーシュが見つめる前で床がバキバキに破壊され、巨大なモグラが顔をのぞかせる。

「おお、ヴェルダンデ! 来てくれたのかい?
ん? なるほど、そうだね」

自分の使い魔に駆けよったギーシュは、ひっしと抱きしめた後、ふごふご何かを伝えようとするヴェルダンデをじっと見た。
タバサが風の魔法を使って、入口付近に雹混じりの竜巻を起こし銃弾を反らしているのを横目にみたギーシュは、
髪を掻き挙げてバラの杖を掲げた。

「よし、今がチャンスだね。これなるは青銅のギーシュ。いざ、ゆかん。
鋼は木に、木は土に、錬金!」

ギーシュの自信に満ちた声に、タバサは思わず振り返った。
そこに居たのは軟弱なギーシュではなく、一度だけとはいえ、戦場を生き抜いた青年のギーシュだった。
兵士に闇打ちされ、矢に射られ負傷しながらも、生き残った。何もできなかったとはいえ、戦場の空気を吸い、死と生の
挟間を潜り抜けた経験は、短期間で彼を青年に変えていた。
タバサの竜巻の中心に走り込んだギーシュは、眼についた兵士たちの銃めがけて錬金を唱えた。
ギーシュの錬金で兵士の持つ銃が木に錬金され、そして土に還っていく。
効果を及ぼすのはギーシュの視界に入った少数とはいえ、タバサの竜巻で銃弾があらぬ方向へ逸れて効果がなくなり、
自分達の武器が無効化されていく。その事実を理解した兵士たちの顔が青ざめる。
兵士たちは改めて、自分達が相手にしている貴族の恐ろしさを実感し始めていた。
一系統だけだったら、一人だけだったら対処のしようもあるが、異なる系統のメイジが、二人背を合わせて、防御と
攻撃の役割分担をこなしている今、目の前の竜巻を打ち破るほどの重火器ももたない兵士たちはなすすべがなかった。

「そして、行け、ワルキューレ」

自分達の攻撃は竜巻にさえぎられて無効化するので、遠巻きに包囲するだけの兵士達に、竜巻の中から剣を持った5体の
金属製のゴーレムが現れた。
兵士たちは意味もない叫び声をあげて銃を撃つが、ゴーレムには効かなかった。

「るるる~♪」

いきなり兵士達の包囲陣の背後から、重低音の叫び声が上がったかと思うと、もこっと盛り上がった石畳の下から
ジャイアントモールが顔を出し、その直後に空けられた穴を通って巨大なサラマンダーが顔を出した。
兵士たちが異変を感じて銃を向ける前に、フレイムは炎を吐き散らした。
弾薬用の火薬が熱と炎に誘発され、暴発を始める。
煙に巻かれ、暴発した火薬に巻き込まれた兵士たちが悲鳴を上げる。猛り狂ったように燃え上がる炎を身にまとった
フレイムは、兵士を見るや否や手当たり次第に炎で攻撃を加えた。
兵士達の悲鳴にこめられた恐怖が一気に広がっていく。
小隊長たちは慌てて自分達のゴーレムを振り返ったが、そのゴーレムは、回りを飛ぶ竜に牽制され身動きが取れない
状況だった。
一人が、恐怖に耐えかねて叫びながら逃げ出すと、雪崩るように陣形が崩れていった。
その背にフレイムが炎のブレスで追い打ちをかけ、ワルキューレが、無作為に突っ込んでいく、氷が混じった竜巻が襲う

散々に追い立てられた兵士達は、もう既に戦えるだけの様相を呈していなかった。

「……勝ったのか? 勝ったんだね!? 勝ったー」

目の前の兵士達がちりじりに逃げていくのを見たギーシュが、へなへなと崩れ落ちながらも、戦いに勝った喜びを
かみしめていたころ、その後ろに立つタバサは、巨大なゴーレムの方をじっと見つめていた。
フレイム達が戻ってくるのを見たタバサはフライを唱えて舞いあがる。


「捕まえたのに、脱獄したのね」
「あの時のお嬢ちゃんかい、懲りずにまた来たんだね」

シルフィードに乗ったキュルケがフーケのゴーレムの周りを遊弋していた。
フードで顔を隠す必要もなくなったフーケは、緑の長い髪を靡かせながら昂然と胸を張った。

「懲りていないのはどっちかしら?」
「言うわね、でも私が負けたのはあの妙な化け物だけよ? あんたじゃないわ」
「そうかしら? 逃げるので精一杯だったのではなくて?」
「あら、なら試してみる?」
「受けて立つわ、ツェルプストーがなぜ、ラ・ヴァリエールと対抗できているか、理由を教えてあげるわ」

フーケの自信に満ちた声にキュルケも負けじと返す。
巨大なゴーレムの肩と風竜の背で、言葉の応酬が、お互いの矜持の激突が続く。

前回の遭遇では、キュルケも無策だったが、あの後徹底的に土メイジの対策を考えていた。正直攻撃力のない土系統を
侮っていたという認識が、キュルケを後押しした。
虚無を除けば、火の系統こそ、最強である。その自負が土メイジに負けたことを許さなかった。
まさかこんなに早く汚名返上の場があるとは思ってもみなかった。

「ふん、うるさいわ、ゴーレム!」
「バカの一つ覚えのゴーレム?」
「なんですってぇ?」

にやりと笑ったキュルケの顔をしっかりと見てしまったフーケは、かっとなってゴーレムをけしかけた。
ゴーレムのパンチをシルフィードは器用に除けながらも、一定距離から離れることはなかった。
キュルケはメイジを乗せるという意味をよく理解しているシルフィードに感心しながらも、フーケを見据えていた。

「ゴーレムってそもそも、なんで人型なのかしらね?」
「どーゆー意味よ?」
「こーゆー意味よ、炎よ」
「只の炎じゃない、そんなもの効かないわ」

キュルケの言葉と同時にゴーレムの左足が青い炎に包まれた。
巨大なゴーレムから考えると、膝から下の炎ではフーケに被害はなく、お話にもならなかった。
呆れるような声でフーケはバカにしたが、キュルケは繰り返し同じ個所に同じ炎をかけた。

「そう思うの? 本当なら、あなたを的にすることもできるけど、貴方のその思いあがりを潰してさしあげるわ」
「鬱陶しいわね、そろそろ終わりにしてやるわ」

遊弋をやめ、目の前でホバリングする風竜めがけて、ゴーレムが大地を揺るがせて、足を踏み込んだ。
ちょうどその時に、それは起こった。
ゴーレムの肩に乗っているフーケには地面が縦になっていく様に見えた。想像していなかった感覚に、意識がついて行かなかった。

「あ、あ、あ、なんで?」

違う、自分のゴーレムが横倒しに倒れて行っていると気がついた時には遅かった。目前に迫った大地と、のしかかるようなゴーレムの頭に挟まれかけたフーケは咄嗟にフライで飛びだした。
地響きを立てて横倒しになったゴーレムはフーケの制御を離れ、小さな岩となって飛び散った。フーケもその岩の乱舞に
巻き込まれ、意識が一瞬遠くなりフライの魔法制御が切れる。
大地に叩きつけられ、額から血を流しながら上げた顔に、青い少女が持った杖が付きつけられた。
その背後にキュルケを乗せた風竜が風を巻き起こしながら舞い降りた。

「土でも岩でもを高温で焼いて行くと脆くなるわ。それも人型だったら、あんなに重い上半身は支え切れないわ。
片足潰せばバランス崩してそれでおしまい。」
「なッ」
「おーっほっほっほ、バカね、対策ぐらい立てておくわよ。同じ戦法で二度やられることはないわ。そんなことしてたら、
――あっという間にラ・ヴァリエールに滅ぼされてしまうわよ。残念ね、土くれのフーケさん」

シルフィードから降りたキュルケは、額の汗を光らせながら、昂然と胸を張った。

「さて、ひと段落したわね」
「あれ」

大きな溜息をついたキュルケの言葉に、タバサは空の一点を指差した。そこには星空の下、飛んで行く一隻の船があった。