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夜に船に乗る。

それ自体は特に問題はない。
ハジは風にその髪をなびかせながら、甲板の端から景色を見ていた。
”動物園”から離れた後、幾多の船に乗った。満天の星の下、海風に煽られながら蹲る様に寝ている小夜の風除けとなり、
毛布を直したこともある。
しかし、今乗っている船は、普通の船ではない。大きな帆を掲げて翼を持った船は大海の代わりに大空を、満天の星の
代わりに赤と青の月の下を滑る様に飛んでいる。
ふと、小夜がここにいたら、どんな反応をするだろうか? 埒もないことが脳裏をめぐる。
昔のサヤであれば、まず間違いなく、眼の奥に寂しさを滲ませながら静かに見つめていただろう。
今の小夜であれば……どうだろう? 驚いてくれるだろうか。それとも……。

あの後、カイがいてくれたから、彼女を支える人たちがいてくれたから、多分大丈夫だったのだろう。
短いながらも幸せに眠ったはず。そう信じたい。

……会いたい。小夜に会いたい。

ほとんど人気のない船の上で、寂寥感に苛まされてしまう自分がいた。
長い戦いを終え、責任を果たしたのに、なぜ今さら会えなくなってしまうのか?
己が身の不遇を感じてしまう。
確かに、召喚者の少女に罪はない、罪はないと分かっていても、なぜ私なのか? 問い詰めたくなる衝動に駆られるのも
事実だった。

しばらく身じろぎもせずに景色を見ていたハジは、心に溜まった澱を出す様に深くため息をついた。
肩に担いだチェロケースからチェロを取り出して、無心に弓を繰り出しはじめた。
静かで深い音色が物悲しい旋律を歌いあげ、それを耳にした船員達はふと故郷を思い出す。

ハジは目を瞑り、何もかも忘れたかのように弓を繰る。”動物園”でサヤから教わった始まりの旋律を。


―― BLOOD+ゼロ 13章――


あてがわれた船室のベッドの上で、両足を抱えて蹲るルイズはふと顔をあげた。

「あ……」

音楽が聞こえる。
独特の響きを持った静かで深い音色と物悲しい旋律。ハジが夜に中庭で時々弾いている曲だった。
その曲を聞くと、いつも胸が締め付けられるような気持ちになる。
ワルドに体を休めた方がいい。と言われ、わざわざ確保してもらった船室だったが、眠ることなどできなかった。
友人達を囮に使って、自分達だけで逃げ出し、半ば接収した形で強引に出港した船。
せっかくできた友人達の安否が気にかかり、焦燥と申し訳なさと後悔で心がいっぱいになってしまう。
そんな状況で気兼ねせずに寝れるような、ずぶとい神経はルイズにはなかった。
音を頼りに部屋を出てみると、甲板の方でチェロを奏でるハジの姿が見える。
ルイズはまるで炎に誘われる虫の如く、ふらふらとハジの方へ歩いて行った。

「心配ですか?」

近寄ったルイズが、なんと声をかけていいか分からずに立ちつくしていると、森の囁きのような静かな声がした。
気がつくと、弓を止めたハジが周りの闇よりさらに黒い瞳で見上げていた。
しばらく視線が交錯していたが、耐えきれなくなったルイズは視線を外して船縁に手をかける。

「……正直言うと、ちょっとね」
「彼等は大丈夫ですよ」

沈黙が続き、ハジが再び弦に弓を当てた時に、ただ茫然と雲海を見ていたルイズから憔悴しきった、か細い声が漏れ出た。
動きを止めたハジは、目を伏せていつもと変わらぬ口調で答える。
魔法と言う常識外の力のせいで、メイジという存在の戦力の基準が分からないハジは、ただの気休めを口に乗せることしか
出来なかった。

――いまだに感覚がつかめない。

幾度か魔法をその眼で見たが、信じられないほどの力を持っている場合がある。
ある意味、翼手並、いや、翼手を超えるの戦力を持っていると言っていい。その反面、力の実行に時間がかかるため、
一般人とさほど変わらないところもある。一対一の限定条件ではあるが、銃を手にしたカイであればメイジを制圧することも、
さほど難しくないだろう。
ロケット砲を持った一般人。そんな感覚が正しいのかもしれない。ロケットを発射する前に近寄って薙ぎ倒せば、
それほど脅威ではないが、いざそのロケットが発射された場合、どうなるか分からない。
そして、残してきたルイズの友人達はそれなりに強力と感じるのだが、戦闘のプロ達と比較するとどうなるのか?
襲撃者に彼等と同等の力を持った人間がいないことを祈るしかない。

「ありがと」

気休めかもしれないが、ハジが大丈夫と言ってくれたことで、ルイズは少し気が楽になった。
アンリエッタ王女に依頼された任務の重要性と、ぬくぬくと手厚い庇護のしたで育った自分にとっては、ナイフで
突き刺されているような厳しい現実を突き付けられ、思わず何かにすがってしまいそうになる。
そして、縋る相手は、フーケのゴーレムに襲われた時も、宿で襲撃された時もいつも冷静な態度を崩さない、己が使い魔
になってしまう。そんなことではいけないと思ってはいても……。
契約してから、ずっと静かに見守る様に接してくれるハジ。
でも、それはある意味ルイズとの関係に一線を引いているような気がしてならなかった。
いつでも居なくなってしまえるように。いつでも切り離せるように。
もともと、ハジは謎の多い”使い魔”。自分の過去を語ることは殆どないが、偶に見せる悲しげな眼差しをルイズは知っている。
とても悲しい眼差しを。
だからルイズはハジの過去の話を聞いたら、この関係が壊れてしまいそうで、ふっと居なくなってしまうような気がして、
怖くてとても聞けなかった。
でも、この日は心寂しかった。
近くに婚約者という立場の青年がいることも、つい先日プロポーズされたことも、その寂しさを紛らわすことは
できなかった。
ハジを召喚する前にワルドと再会していれば、また違った感覚だったかもしれないが、ルイズの心の拠り所としては、
未だに自分の使い魔の方が優先されていた。
また無意識で同類を探していたのかもしれない。共感することのできる同類を。
だから聞いてしまった。聞かなければよかったと後で後悔することを。

「ねえ、……ハジも、こんな経験したことあるの?」
「ええ」
「……そうなの」
「はい」
「……ハジのことを聞かせて。……だめ?」

船縁に手をついたまま、恐る恐る切り出したルイズは、今にも重圧に押しつぶされそうな、頼りない表情をしていた。
月明かりが甲板の二人を冷たく照らす中、その表情を横目に見たハジは、静かに溜息をついて手にしていたチェロを
ケースにしまう。

船の船体が軋む音、風石の効果で守られてはいるが、風が吹きつける音、そして、船員達の喚くような会話が遠くに聞こえる。
その中で沈黙に耐えきれなくなり、床にペタンと座ったルイズは、ふっと自分の体に大きな布を被せられたのに気がついた。
慌てて見上げると、無表情ながら心配そうな目のハジがいた。
ハジが自分の上着を掛けてくれていた。その行為にルイズは何故だか心の奥が温かくなったような気がした。

「……あまり、楽しい話ではありませんが」

少し離れた所にある錨用の太いロープの束に腰をおろした白いシャツ姿のハジが、チェロを肩にもたれ掛けさせながら、
記憶をたどる様に目を細める。
首の後ろで纏めたハジの長い髪が風になびき、やがて重い口を開いた。

「私は幼い頃、流れ者の子供として生活していました。決まった家もなく当てもなく。その日をどうやって過ごそうか、
いえ、その日をどうやって生き抜こうか、とだけ考えていました。
それこそ、道端で寝て地面に転がっている残飯を拾って食べていました」
「そんな……」

ハジから紡がれる言葉は、公爵家の令嬢として過ごしているルイズにとっては想像もできないような物語だった。
話に聞く最下層の民とさほど変わらない生活、そんな生活を目の前の優雅な使い魔がしていたなんて。
ルイズは一瞬聞き間違えたのかとさえ思った。

「そんな折に、たまたま主に、正確には主の養育者に買われ、友人兼従者として仕えることになったのです。
一切れのパンと引き換えに」

口を押さえたルイズの愕然とした表情に気がついたハジは、もう過去のことです。心配ありません。とルイズを安心させる
ように軽く微笑を浮かべる。

「それからしばらくは、ある意味平和でした。
食事の心配もありませんでしたし、主の友人として、従者としてふさわしい教育も受けれました。
ただ、その平和は長く続きませんでした。
自分達の不注意によって災厄を引き起こしてしまい、幾人もの人間が惨たらしく殺され、住んでいた屋敷は炎に崩れ落ちました」
「……」
「そして、生き残った主と私は自分達の過ちを正すことを誓い、長い旅に出たのです。それこそ、気が遠くなる程の」

家族も何もなく、奴隷のように買われ、そしてようやく得た一時の安らぎすら無くしてしまう。
自分がそんな境遇に陥ったらどうなるか? ルイズには何と言っていいか分からなかった。
ラ・ヴァリエールに戻れば、公爵家令嬢という名目と立場が自分を手厚く保護してくれる。
魔法が使えない落ちこぼれというレッテルが貼られるが、ただ、それだけ。反目する相手も多いが家族もいる。
自分さえ我慢すればルイズには逃げ帰れる場所がある。そして、ハジにはない。
ふっと目の前のハジが消えていなくなるのではないか? そんな恐怖感に駆られたルイズは、存在を確認するかのように
ハジの上着をギュッと握った。

「そ、その過ちは、正せたの……?」
「……ええ、それこそ何千人もの犠牲を払って、ようやく。
ですが、その重みに耐えきれなかった主は全てが終わった時に死を望んでいました。
災厄を引き起こし、幾多の犠牲を作り出した自分を殺せ。と。
……私に殺して欲しい……と」

目の前の透き通るような表情に、むき出しの心を鑢で削り取るような痛みを感じたルイズは、ハジにかける言葉を無くした。
自分の使い魔がどれほどの経験を積んでいるのか、どれほどの悲しみを、痛みを背負っているのか。
なぜ、ハジがいつも悲しい気配を漂わせているのか、ようやく分かった気がした。
抱きしめたかった。
そんな表情をしなくてもいい。帰る所がなかったら、ラ・ヴァリエールに居場所くらい作ってあげる。
ルイズの心はそう、叫んでいた。しかし、言葉には出せなかった。
狭量な、小さな世界の問題で悩んでいる自分にはそんな資格は無い。そんなことはとても言えないと、心のどこかが感じていた。

静かな時が流れる。

「しかし、主の兄に諭されて、思い留まりました」

微かに明るさを感じる口調のハジに、ルイズは微かに滲んだ涙を、誤魔化す様に顔を反らした。

「そ、そ、そう、よかったわね。……で、その主って人は今どうしてるの?」
「今は眠りについています。長い眠りに」
「え?」
「眠っているだけです。そのうち目覚めるでしょう」
「あ、なんだ、魔法かなんかで眠ってるの?」
「そんな所です。なので私は主が目覚める前に帰らなければなりません」
「……そう、じゃあ、早く帰らないとね」
「ええ」

一瞬、誤解して慌てたルイズだが、微かな苦笑を浮かべたハジの顔を見て、そして、帰ると明言したことで、唐突に悟った。
今、話してくれていることは、わたしの為なんだ。と。
わたしが悩んでいるから、わたしが頼りないから、自分の経験を語ってくれている。似たような境遇はどこにでも転がっている。
悩む必要はない、早く立ち直れ。と言外に言っている。
まじまじと見つめるルイズの視線をハジは漆黒の瞳で受け止めていた。

「ハジ」
「はい」
「ごめんなさい。私が召喚したばっかりに」
「いえ、不可抗力と聞いています。あなたのせいではありません」
「ありがと、絶対帰る方法を見つけるからね」

視線を外して、えいっと立ち上がったルイズは、ごしごしと乱暴に顔を拭うと、気合いを入れる様に両手で顔を叩いた。
ぱしんと乾いた音が響いた後、ルイズの瞳にはキュルケと口喧嘩している時のような光が戻り、芯のある口調に戻っていた。
よーしやるぞー! とハジの上着を弾き飛ばしながら、片手を天に突き上げるルイズを見て、ハジは微苦笑を浮かべていた。

「ハジはその人と会って幸せ?」
「ええ。小夜は私の全てです」
「……女の人なんだ……」

ふっと振り返って何気なく聞いたルイズの顔が、微妙に歪んで硬直した。
ルイズはなんとなく、主と言う言葉で自分の父のような貴族を連想していた。だが、ハジが口にした名前は明らかに女性名。
その事実に何故かショックを受けていた。
なぜ、ハジの口から女性の名を聞いて、自分がこんなにイライラするのか?

「ルイズ、こんな所に居たのか? ゆっくり眠らないと駄目だよ」
「ジャン」
「ほら、夜風は体に触るぞ」
「ありがとう、そうする」

自分の感情を整理することができず、まだら模様の心を抱えて立ちつくしていたルイズの背に、凛とした声が掛けられた。
振り返ると、帽子とマントを外し、警戒するように鋭い視線を辺りに巡らせるワルドがいた。
ルイズはその言葉に軽く頷くと、その場から逃げる様に立ち去った。
一瞬あっけにとられ、その姿を見送ったワルドが、床に落ちている上着を拾って袖を通しているハジに向き直った。

「ハジ、と言ったかね?」
「……ええ」
「ルイズは由緒正しいヴァリエール家の子女だ、君が使い魔と言うことは認めるが、不用意に立ち入ることはやめてもらいたい。
僕の婚約者でもあるしね。わかったかい?」
「……」
「じゃあ、よろしく頼むよ」

腕を組んで、苛立ったように踵を鳴らすワルドがハジを睨みつける。語尾や口調こそある程度の礼節を保っているが、
敵愾心をあらわにしていた。
さすがに王国屈指の魔法衛士隊の隊長に実力で昇りつめただけはあった。気の弱いゴロツキであれば、それだけで
逃げ出すような気配がワルドから放出される。
隊員達を震え上がらせる視線でハジをじろじろと見ていたが、ふんと踵を返して立ち去る。

残されたハジはゆっくりと思考を巡らせる。
港町への途中で、ワルドの雰囲気や自分を見る目に剣呑なものを感じた。同時にルイズを見る目に、何がしかの作為を感じていた。
しかし、予想通り現れた”ワルドに似た敵”を倒しても、港町で出会ったワルドは何の変化もなかった。
注意深く観察したが、ダメージを受けている訳でもなく、態度も変わらなかった。魔法の仕組みはいまだに分からないが、
分身を倒せば普通は本体もダメージを受けるのではないだろうか?
ただ、港町で再会したとき、ルイズとワルドの間の空気は確かに変わっていた。
先ほどもそうだが、自分に向けられている敵意が、個人的感情に基づくものであるならば、なんとなく理解もできる。
幼馴染の婚約者の傍に異性がいれば、それも、極めて近い場所にいれば自然とそうなるだろう。
ワルドに感じた懸念は取り越し苦労ではないか?

誰もいなくなった甲板で、ハジは軽くため息をついた。


§ § § § § § § § § § § § § § § § §


「あれがアルビオンよ」
「空を飛ぶ島ですか……」
「そう、浮遊大陸アルビオン。大きいでしょ」

ほぼ真横からの朝日が、舳先に立つルイズ達の影を長き引きのばす。驚いたような表情を浮かべたハジの横顔をみていた
ルイズだが、春の終わりとはいえ冷たい風に煽られ軽く身震いをした。
気がついたハジが動く前に、間に立っているワルドが自分のマントをルイズの肩にかけた。
ルイズの視線が一瞬だけハジを見た後、幾分強張った微笑みをワルドに向けた。

「ルイズ、アルビオンへの侵入なんだが」
「侵入? 港へ行くんじゃないの?」
「いや、港は反乱軍に押さえられてるだろうから、船をアルビオンの縁に近づけて、グリフォンで降りることにする。
強行突破になるかも知れない。気をつけてくれ」

ぎこちない主従関係に気が付いているのかいないのか、ワルドは真剣な表情でルイズの両肩をつかんだ。
戸惑ったルイズだったが、旅の途中でワルドから聞かされたアルビオンの情勢を考えれば、閉鎖されているはずの航路に従って
のこのこと港に行ったらどうなるか、ようやく想像がついた。
正直、アンリエッタ王女がワルドをつけてくれて助かった。つけてくれなかったら、ここまですんなりと踏破できないはず。
世界情勢も知識と伝聞でしか知らない自分だけでは、そこまで気が回らないし、ハジも護ってはくれるだろうけど、
地理に不案内なので、案内役はできない。

「わかったわ、でもハジはどうするの? いくらグリフォンが精強でもハジがいたら厳しいんじゃないの?」
「そうだな、その大荷物を持ってる以上厳しいな。彼には一旦船に残ってもらって、友人たちと合流してもらうのはどうだろう?」
「駄目! ハジは一緒に行くの!」
「ふむ」

ルイズの目から見てもワルドのグリフォンはさすがに立派。
でも、風竜ほど飛行が得意ではないし、ハジのチェロケースを担いで三人を乗せることはさすがに厳しい。
一度ケースを持ち上げようとしたが、ルイズの力ではビクともしなかった。試しにギーシュもやってみたが同じ結果だった。
無理だから残して行けというワルドの言葉に、服をボロボロにしてラ・ロシェールで再会したハジのイメージが重なり、
咄嗟に反対した。
とはいえ、打開策が見つからないルイズとワルドは、腕を組んで沈黙した。

「救命ボートで降りりゃいいんじゃねーかなぁ? 救命用の小舟に小型の風石乗っけた、まあ、それこそ一時凌ぎだが、
アルビオンに降りるくらいはできるぞ?」
「それよ、それだったら、私はハジと小舟に乗るわ」

救いの手は意外な所から差しのべられた。たまたま近くで作業をしていた船員が、悩んでる二人の会話を聞いていたのか、
ロープを担ぎながら口を挟んだ。
船員の、ぱぁっと顔をほころばせたルイズが、意気込んだ。
その言葉に苦い顔をしたワルドが、船員に聞かれないように顔をよせて、小さな声で叱咤した。

「ルイズ、君の任務はなんだ? 一刻も早く皇太子と会わないといけないんだろう?」
「でも」
「小舟で地理と情勢に不案内な彼と二人でどうするんだ。確かに使い魔と離れたくないのは分かる。だが王女殿下から賜った
任務をないがしろにしてはいけないよ。ルイズ。
それに使い魔と主人には一種の感応力がある。ラ・ロシェールにあんな短時間で彼がやってこれたのもその力だ、
彼一人だと、直ぐにルイズの元までたどり着くよ。
それに、僕は彼の力を評価している。魔法さえ使えれば魔法衛士隊にスカウトしたいところだよ」
「ほんと?」
「僕が嘘を言ったことがあるかい?」
「……分かったわ」

ワルドの意外な言葉に、ルイズは自分が認められた様な気がした。今までハジのことを評価してくれる人は殆どいなかった。
魔法衛士隊隊長という肩書の人間が、スカウトしたいとまで言うのだから、そうなのだろう。
再びハジと別れるのは、気が進まなかったが、ワルドの言うことは正しいと感じる。
そして、王女の任務。と言う言葉を聞き、ルイズは決断した。
ハジに、その方針を簡単に説明したが、異論もなかったのでワルドを案を取ることにした。

「まあ、確かにありますがね、わかってると思いますが救命用なんですよ。ま、只では貸せませんなぁ」
「何?」
「いや、いいんですぜ、俺っちは商人なんでさぁ、無償で提供することはできませんなぁ」
「くっ」

船長室と言う名目の小さな個室で、航路図を見ていた船長が、ワルドの言葉にゆっくりと顔をあげた。
にやにやと品のない強欲な笑い顔を見たルイズは、心の中でその顔を踏みにじっていた。
露骨に利益を求めようとするその態度に、開けた扉を力いっぱい閉めてしまおうかとも思った。
顔を真っ赤にしたルイズが爆発しそうになるのを、手で制止しながら、ワルドはそんな態度に苛立った表情すら見せなかった。

「分かった。いくらだ」
「二千エキューですな」
「それって、家が買えるわよっ? ふざけんじゃないわよ」
「いやなら、いいんですぜ?」
「なんですってぇ」
「ルイズ、落ち付いてくれ。わかった、その値で買おう」
「凛々しい名も知らぬ貴族様方。残念ながら証文を頂けませんと安心できませんなぁ」

接収に近いとは言え、船員達がいなければ船は動かせない。そして、その船員を束ねる船長を納得させることが重要だった。
まあ、魔法で黒焦げにして強引に言うことを聞かせることも出来なくはないが、トリステイン貴族としてそれはできなかった。
交渉を横で聞いていたルイズは法外な吹っ掛けに、切れた。
喚き立て始めるルイズを振り返って押さえたワルドが、あっさりと了承した。

「へぃ、まいどありぃ、じゃあ、用意させまっさぁ」
「ジャンッ!」
「いいんだ、ルイズ」

証書にサインをしたあと、勝ち誇ったような船長の声を聞きながら部屋を出た。納得できないルイズが食ってかかるが、
ワルドは笑うだけだった。
暖簾に腕押し状態でぷうっと頬を膨らませ、甲板で待機している己が使い魔に愚痴を言う気満々のルイズを、ワルドは
微笑ましそうに見下ろしていた。


§ § § § § § § § § § § § § § § § §


「そろそろだな。ぬぁ、しまった、ルイズ。僕の部屋に乗馬用の手袋を置いてきてしまったらしい。
すまないがとってきてくれないか?」
「ふふ、分かったわ」
「使い魔君は小舟に乗ってくれ、準備に時間がかかるらしい。手筈は分かってるかい?」
「ええ」
「下に降りたら、まっすぐにニューカッスルまで来てくれ」
「わかりました」

もう少しで大陸の端に差しかかる頃、甲板で様子を見ていたワルドが、あわてて体中を探り始めた。
なにしてるんだろう? と訝しげに見ていたルイズに、動きの止まったワルドが、申し訳なさそうな顔を向けた。
始めてみるワルドの表情と間の抜けた言葉にルイズは思わず噴き出した。
精悍なところしか見たことなかったルイズは、ある意味、間の抜けたワルドの言動に、このひとは意外とおっちょこちょい
なのかも? と人間味を感じる。随分遠い所に居る人だと思っていたが、なんだかぐっと近い存在になった感覚があった。
踵を返して船室の方に向かったルイズの後ろでは、ワルドがハジに船側に用意してある救命艇を指し示していた。

「一時方向、上方の雲中より、船が接近してきます! 」
「旗から見て、……貴族派の軍艦です! あ、また一隻増えました」
「ちぃっ、やっぱ、まっ正面からいきゃあ、こうなるわな」
「ハジッ! ジャンッ!」

ワルドの部屋に入った瞬間、簡易ベッドの上に置いてあった手袋を見つけたルイズは、ここまで目につく所に自分で置いていて
持ってくるのを忘れるワルドに隠れおっちょこちょいの称号を与えていた。
手袋を持って部屋を出た時、船に走る電撃のような緊張を感じ、あわてて甲板に駆け戻った。
手の空いた人間が全員進行方向、即ちアルビオン上空に浮かぶ黒い点に目をとられていた。
船員達の間に混じった船長が望遠鏡でのぞいていたかと思うと、見る間に表情が強張る。詮索はしない、聞いた事は忘れる。
そんな名目で請け負ったアルビオン行きだが、さすがに軍艦が出てくると恐怖心が先に立つ。

「ぬ、いかん。予想以上に早い! さすがにアルビオンの軍艦か。僕のグリフォンならいざ知らず、漂うだけの小舟では
すぐに追いつかれて撃ち落とされるだけだ、一刻も早く降りてくれ」
「僕達もすぐ降りる、ルイズ、グリフォンに!」
「わかったわ。 ハジ、すぐに追いついてきてよ?」
「はい」
「撃ってきやしたぁ」

ルイズが息を切らして甲板に辿り着いたとき、黒い点は見る間に大きくなっていた。
ワルドは緊迫した口調で矢継ぎ早に指示を飛ばし、ハジも頷いて船縁を飛び越えて、用意された救命艇に乗り込んだ。

「じゃあ、いくぞ。船長、後は頼んだ。頑張って逃げろよ」

ワルドの掛け声で、救命艇の綱が外され、ルイズとワルドを乗せたグリフォンが飛び立った。
アルビオンの縁に向けて、落ちていくと言っていい程の速度で救命艇が見る間に小さくなっていく。
そのうえに乗っていたハジの黒い姿も、点となり、そして雲にまぎれて見えなくなった。
グリフォンの背の上から、ルイズはずっとハジが消えていった雲を見つめていた。
昨日の夜の微妙な会話の後、ほとんどハジと会話をしておらず、そして、なんとなくよそよそしい態度を崩せなかった。
もう、わたしのことが嫌いになっちゃったのかな?
取り留めもないことを考えて、嫌な思いで一人悲しくなっていると、片手で手綱を持ち、杖を引きぬいたワルドが短く
呪文を唱える。

「じゃあ、せいぜい時間を稼いでくれたまえ」
「なっ!」

ルイズの訝しむ表情を余所に、冷たい視線を商船に向け冷淡に呟く。その直後、眼の端に映る船のマストが音をたてて弾け飛んだ。
遠目に見える船の上の船員達の動きが、一瞬硬直したかと思うと目まぐるしく動き始めた。
まるで錯乱したネズミのように。その様子を見ていると船の上の怒号がここまで聞こえてくるようだった。

「ジャン! 何するのよっ!」
「何って、時間稼ぎしてもらったんだよ」
「それって的になれってことじゃない!! 酷いわ!!」
「……ルイズ、君は気がついていないかもしれないけど、僕達は戦争をしてるんだよ? そんな甘いことを言ってたら
殺されるよ?」
「でも、だからといって、何も知らない船を囮にすることないじゃない」

羽ばたくグリフォンから振り落とされないようにワルドを掴みながら、ルイズは肩越しに叫んだ。
必死に引っ張って真っ赤な顔で抗議するルイズを面白そうな目でワルドは見つめた。
ワルドの老成した目の奥で、ルイズの姿が昔の自分と重なる。何も知らない無垢な時代の自分と。
多分ルイズの感覚が正常で、自分の感覚が既におかしいのだろう。しかし、過去を振り返ってもなんの意味もないことを
ワルドは知っていた。もう、すでに自分は変質している。

「ルイズ、戦争って言うのはね、いかに敵の損害を増やして味方の損害を減らすか。これに尽きるんだ。
端的に言うとね、いかに効率よく味方を殺すか。なんだよ」
「ジ、ジャンッ!!」
「僕を非難するかい? でもそれが戦争の本質なんだよ。そして、僕は軍人だ、できる限り最善の方法とる」
「……」

腰をずらしながら振り返ったワルドが真剣な表情でルイズを見つめる。その視線に気押されたルイズが、な、なによ、と
口の中で小さくつぶやいた。目の前の少女のふくれた顔を見て、ゆっくりと目を伏せたワルドは、疲れ切ったような老人の
ような声で揶揄するように語る。その言葉がルイズの耳に入った時、ルイズは目を向いた。
ワルドの考え方はルイズには想像できない感覚だった。そして、目の前のワルドが突然、何か別のものに化けた様な錯覚に
陥ってしまう。
それほど今のルイズにワルドの考え方は異質に感じられた。

「そもそも、今回のルイズと僕に与えられた任務ってなんだい?」
「えっ、それはトリステインとゲルマニアの同盟の……」
「そう、同盟の障害を取り除くためだね。だけど、こう考えたらどうなる?
ゲルマニアと同盟できずにアルビオンと正面衝突した場合、味方の損害がどれほどになるか分からない。だったら僕と
ルイズを効果的に殺すことで、ゲルマニアと同盟できれば、アルビオンとて手が出せない。成功すれば損害なし、
失敗しても味方の損害はたった二人だ」
「そ、そんな……」

ワルドは矛盾に満ちた言葉を自虐的に繰り出して、ルイズの反応を楽しんでいた。
まるで自虐しているかのように、断罪してくれることを望んでいるように。
誰かに止めてもらいたいようなワルドの言葉は、残念ながら年若く経験の少ないルイズは届かなかった。
ルイズは知らない。トリステインの魔法衛士隊の隊長と言う立場につくにはどれほどの戦功が必要だったのか。
家柄も芳しくなく庇護もない下級貴族のワルドが、栄えある役職に就くことがどれほど難しいことなのか。
自分の魔法を磨き、生き残るための術を磨き、そして戦果をあげるために、どれほど無茶をしてきたか。
その過程でワルドは変質してきたのかもしれない。

飢えた狼と優雅なペルシャ猫では所詮生き方は異なる。
ワルドは改めて感じていた。そして、それでも飢えた狼はペルシャ猫が必要だった。母屋を乗っ取るために。

「ルイズ、僕のルイズ、戦争とはそんなものだよ。だけど、僕達はむざむざ殺されに行くわけじゃない。そうだね」
「そ、そうよっ、ちゃんと任務を果たして、帰るわ」
「その意気だ、そうすれば誰も死ななくていい。僕もそうしたい」
「ええ、そうよ」
「じゃあ、早く行こう、僕達が早く行けば、この船も助かる。ただの臨検で終わるさ」

ワルドが気分を変える様に、明るく言った言葉尻に、このまま会話していれば、決定的な亀裂がはいるんじゃやないか?と
危惧していたルイズも乗った。確かに、ルイズには納得できないことが大半だった。ただ、唯一ワルドと一致するのは
王女の任務を成功させること。旅の目的が一致すればいいんじゃない? と無理やり納得させる。
会話している間は羽ばたきを抑えゆっくりと飛んでいたグリフォンが、これから一気に加速するぞと、大きく羽を広げる。

「えっ!?」
「後ろは振り返るな!!
振り返っちゃ駄目なんだよ。ルイズ
僕達は振りかえれないんだよ」

その直後、ルイズの背中に轟音が響き、赤く燃え上がった炎の気配がした。嫌な予感がして振り返ろうとしたルイズだが、
激しく羽ばたくグリフォンの動きでワルドにしがみ付くことしかできなかった。とても振りかえれない。
背中に少女の温もりを感じたワルドは、ルイズにではなく自分に言い聞かせる様に呟いた。その呟きには感情と言うものが
一切込められてなかった。そして、アルビオンの大地を見つめるその眼にも。