目の前のハジと名乗った青年は、無表情ながらも微かな困惑を浮かべていた。

平民でもなさそうだけど、貴族でもなさそう。今までにあったことがないタイプの人。
見た目はちょっとだけ、ほんっとーにちょっとだけだけど良い。
切れ長の目に黒い瞳、長めの黒髪。背も高いし、着ている物も、変わってるけどモノトーンで似合ってる。
落ち着いた雰囲気で、ギーシュみたいに、ちゃらちゃらもしてないし……

「ふぅ」

思わずため息が出てくる。

見上げる空は何処までも青く澄んでいて、時折走り抜ける風も心地いい。
なのにわたしの心はどこか曇り空。
それもこれも、全部、目の前の使い魔(?)が悪い。
そーだ、そうに違いない。

そう思ってハジの方を見ると、視線を感じたのか、わたしの方を向く。
黒い双眸に、何故かどぎまぎしたわたしは、思わずあっかんベーをしてしまった。
キョトンとした顔を見て、なにか反撃ができたような気がして、少し気分が晴れた。

「はぁ」

キュルケのサラマンダーみたいな誰が見ても一目瞭然の使い魔が欲しかったなぁ……
ほんとにどうしよう?


―― BLOOD+ゼロ 2章――


「ここはトリステイン王国のトリステイン魔法学院なのですが、わかりますか?」

真剣な表情のコルベールの言葉に、ハジは黙ってかぶりを振った。

「……いえ、聞き覚えはありません。」
「ならば、ガリア、ゲルマニア、アルビオンはどうですか? さすがにどれかに聞き覚えはあるかと思いますが。」
「単語的に似た言葉は知っていますが、国の名前であれば、聞いたことがありません。」

最初の答えに、少々難しい顔をした表情のコルベールは矢継ぎ早に問いただした。
が、結果は同じだった。
思わず手を顎にあてて考え込んでしまう。
青年の方も、無表情ながら困惑した雰囲気が漂っている。

――正直言って、コルベールは目の前の青年の取り扱いに困っていた。

誰でも知っている事柄を目の前の青年は知らない。
それが意味することは……自分の知っている範囲の文化圏の人間ではないということ……

だがミス・ヴァリエールのサモン・サーヴァントで召喚されたのは確かなので、通念上は彼女の使い魔ということになる。
人間を召喚するなんてことは、今までに聞いた事もないが、事実は事実。言葉が通じているのもたぶんその影響だろう。
ただの人間のように見えるが、静かに佇むその姿と裏腹に背筋が寒くなるような、逃げ出したくなるような雰囲気がある。
見た目通りの青年ではない、なにか強力な力を持っている。と感じる自分がいた。
優雅な所作からは平民とは思えないのだが……

「……私を元の場所に戻していただけませんか?」

深い静かな声が、思考に耽っていたコルベールを引き戻した。
あわてて意識を青年の方に戻すと、声に相応しい漆黒の瞳と目があった。

「元の場所とは?」
「沖縄です」
「オキナワ?」
「はい。日本の沖縄です」
「ニホンのオキナワ?」

聞いた事がない地名だった。
これで確実だろう。
彼は我々が未だ全容を解明できていない東の世界の奥地の人間なのだ。そうに違いない。
向こうの情勢も何も分からない今となっては、ひょっとして貴重な研究素材なのでは?

「そうです! ミスタ・コルベール! もう一回召喚させてください!」

我に返ったようにルイズも勢いよく手を挙げてコルベールに訴えかけた。

コルベールは、必死の表情のルイズをみて、思案を重ねる。

神聖な儀式である、春の使い魔召喚。
気に入らないからと言って召喚し直すことはできない。許されない。
そして、再びサモン・サーヴァントを使うには呼び出した使い魔が死ななければならない。

普通ではない使い魔を呼び出したミス・ヴァリエール。
由緒正しい家柄の貴族であり、魔法が使いえない生徒。
ただ、その努力はコルベールも見ていた。そして出来れば使い魔の契約に成功してほしかった。

そこまで考えて、ふと名案が思い付いた。
思わずぽんと手を打った。

「それは無理だ、ミス・ヴァリエール」
「どうしてですかっ!」
「いいから、少し落ち着きなさい」

柳眉を逆立てるような表情をしながら喚いていたルイズも、強い声に不承不承となりながらも、一応口を閉ざした。
その様子を横目に見ながら、静かに様子を見守っていたハジに改めて向き合う。
普通の人間であれば、自分の置かれた状況に喚き散らしてもおかしくないはずだが、落ち着いた雰囲気は、かなり修羅場を踏んでいるのか、それとも怖がることが一切ないという実力の表れなのか?
交錯した視線からは、コルベールはなにも読み取れなかった。

「ミスタ・ハジ。貴方はここがどこか分からない」
「ええ」
「そして、我々も貴方がどこから来たのか分からない」
「……それは」
「貴方は、ここにいるミス・ヴァリエールの魔法によってここに呼び出されました」
「魔法……ですか?」
「ええ、そして、今すぐ貴方を送り返すこともできません」

意を決したようにコルベールが喋り出す。
青年は相変わらず無表情なまま、その言葉を聞いていた。

送り返せない。この言葉を聞いた時初めてハジが動揺したように見えた。
はっとした表情の中で、コルベールを見る目が徐々に、鋭くなってくる。

「なぜですか?」

今までと異なり、怒りを押し殺したような固い声だった。
その一言でコルベールは一気に体温が下がったような気がした。
違う違うという様に両手を体の前で振りながら、あわてて早口で言いつのる。

「召喚の儀式では一方的に呼ぶだけで送還はできないからです。しかし、必ず送り返せるように努力しましょう。心配しないでください。ただ、そこで、お願いなのですが、オキナワですか? そこの場所と帰り方を調べるまでの間だけで結構ですが、このヴァリエール嬢の護衛をやっていただけませんか? 私の勘が正しければ、あなたは傭兵として、幾度となく修羅場を潜ってきたのではないですか? 特に今、危険が迫っているというわけではありませんし、トリステインは平和です。ですので護衛といっても、ミス・ヴァリエールの近くにいてください。ということだけなのです。
あ、そうそう、衣食住はこのヴァリエール嬢が提供します」

コルベールは、ハジが口を挟む間もなく一気にまくし立てた。

ルイズは目を丸くして、早口で喋るコルベールを見ていた。
これほど必死に喋る姿を見たことが無かった。が、何かが心に引っかかる……

(そう、傭兵なのね、ふーん)
(そう、私の護衛なのね、ふーん)
(そう、衣食住って、私が世話するのね、ふーん・・・・・・!?)

小首をかしげて、コルベールの言葉を反芻していたが、一瞬で頭が沸騰した。

「え、せ、せ、先生!! な、な、な、な、せ、せ、せ、せわ、世話って!!」

杖に寄り掛かって、軽く息を整えているコルベールは、真っ赤になって呂律が回ってないルイズを見てフッと笑った。

「当然でしょう? 使い魔の世話は主人の役目ではないですか?」
「う゛~」

その一言で、反論を封じられたルイズは、わなわなと立ち尽くす。

「残念ですが、私は……」
「深刻に考えなくても結構です。帰り方が分かるまでの短い期間ですし、傭兵みたいなものと考えていただければ」
「ですが……」
「正直言いますと、これは貴方を保護するための方便です。我々に非があるのは事実ですが、貴方はトリステインの右も左も分からないのでは?
そんな状況で無責任に放り出す事はできません。ただ、ここにいる理由が必要なのです」
「……」
「我々があなたを保護します。そのかわりと言ってはなんですが、ヴァリエール嬢の使い魔の役をお願いできますか?」

「……元いた場所に返してくれるのですか?」

予想通り、青年は拒否したが、ルイズの茶々のおかげで冷静さを取り戻していたコルベールは、言葉巧みにハジを誘導していった。
コルベール自身も後ろめたいものを感じながらも、嘘は言っていない。すべての真実を言わなかっただけだ。と自分を無理やり納得させる。
冷静に考えると、辻褄も合わない話であったのだが、ハジの最後の言葉にコルベールは内心で勝った! と思った。後味は苦かったが。

「ええ、非才ながら全力をもって」
「……わかりました、目処がつくまでの間であれば」

ハジは軽くため息をついて、諦めるように答えた。

「ありがとうございます。では、ミス・ヴァリエール、契約の儀式を」
「はい!、あ、え、あの、本当に?」
「当然です。彼は貴方が呼び出したのです。自信を持ちなさい」
「あ、はい」

いきなり自分に話題が振られてビクッとなって、反射的に答えてしまった。
いぶかしむようにミスタ・コルベールとハジを見る。方や喜色満面で、方や……変わらぬ無表情。
励まされたのは泣きたくなるくらい嬉しかったし、魔法が成功して使い魔を呼び出せた事も、本当に嬉しかった。
今までの努力が報われたようで、一瞬でわたしの心も快晴になった。……なった、なったけど、ちょっと待って?
契約の儀式って、あれよね? あれ。
こんとらくと・さ~う゛ぁんとってなにするのかしら?
あ、え、えーと、そう。じゅもんをとなえて、くちにきすして……

口にキスッ!?

男の人の口にキスなんて、はじめてなのよっ!初めて!
私のファーストキスよ!?

初めてがこんな……

黙ってハジを見る。静かな面持ちで、立っている青年。
静かというか精気が無いような気がする。

でも、ま、いっか、どこぞの貧乏っちぃ平民じゃなくて。一見したら貴族風だし。
とりあえずは、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけだけど、この学院にいる男連中よりもマシだし……
じゃ、じゃ、じゃぁ

「で、でわ、い、い、いくわよ。」
「……」
「ちょっと高いわ、私の背に合わせて屈んでくれる?」

ハジの前に行って呪文を唱えようとしたら、彼は意外と背が高かった。頭二つ分くらいは確実に高い。
でも、私の言葉でハジは黙って片膝をついて視線を合わせてくれた。

こんなに至近距離で家族以外の男の人の顔を見るのは……
いや、その、そんなに見られても……
っていうか見ないで!

えーい

「めめめめ、め、目、眼をつぶりなさい
―我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・プラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」

顔が火照るのを忘れるように。
そして軽くついばむ様なキスをした。


――失敗。

――空振り。


わたしのキスは何の抵抗もなく、空中に消えていった。
目を閉じていたので、思わずつんのめって、大地とキスしてしまった。

目を開けて、見まわすと、ついさっきまで息が触れるほどの近くにいた、ハジが10メイルも離れた所にいた。


「ななななな、なによ! 貴族に! それもあたしに! いや、わたしの! わたしのファーストキスなのに! こんな光栄なことなのに逃げるなんて、何よ! 何で逃げるのよ!!」
「ああ、そうか、彼の文化では安易にキスはできないのですね……。さすがに、今までの使い魔の様にはいきませんね」
「え?」

顔の付いた土埃を払いながら真っ赤になって半泣きになったルイズを、何故か青ざめた表情のコルベールがとりなす様に口沿いをする。
会話はルイズとしているが、視線は10メイル離れたハジから一瞬も離さない。

「ミスタ・ハジ。キスは契約の儀式の一部なのではずせないのですが、額か頬ではダメですか?」
「え? コントラクト・サーヴァントって口でなくてもいいんですか? ミスタ・コルベール」
「ええ、基本は口ですがね」

ルイズの素朴な疑問に答えながら、コルベールがハジに問いかけた。

「どうしてもしなければなりませんか?」
「申し訳ありませんが、儀式なので。」
「……わかりました、では頬であれば」

出来れば、遠慮したそうなハジの声だった。
だが、コルベールの言葉に、大きな溜息をついた。

「ありがとうございます、ではミス・ヴァリエール。気を取り直してもう一度」

今度は、空振りもしなかった。

「終わりました」
「……ッ!」

ハジの頬にそっとキスをしたルイズが、真っ赤になって拗ねたように報告するのと同時に、立ち上がったハジが胸に手をあてて一瞬だけ顔をゆがめた。
次の瞬間にはいつもの無表情に戻っていた。

「痛かったですか? それは契約の証しのルーンが刻まれているだけですので、気にしないでください。一瞬で治まったのであれば、簡単なものだと思います。ルーンはまた今度見せてください。」

何故か、目に見えてほっとした表情のコルベールは、安心したようにルイズの肩を軽くたたいた。

「さて、ずいぶん時間が経ってしまいましたけど、ミス・ヴァリエール」
「はい」
「サモン・サーヴァントは一回で、その上、コントラクト・サーヴァントもきちんと成功したね。本当におめでとう」
「あ、は、はい。ありがとうございます」
「ミスタ・ハジも、しばらくの間よろしくお願いしますよ」
「……ええ」
「あ、それと、ミス・ヴァリエール、彼を送還する為の呪文を調べておきなさい」
「え?」
「じゃあ、早く戻りましょう。」

そう言ってコルベールは学院の方に向かって、とぼとぼと歩いて行った。
いつもであればフライで飛んでいくのだが、その背中が死ぬほど疲れた。と雄弁に語っていた。

「あ、えっと。ハジで、いいのよね?」
「かまいません」
「これから、よろしくね」
「ええ」
「じゃ、私たちも戻りましょう」

コルベールを見送った後は、その草原に二人だけが残った。
ルイズは傍らに佇む長身の青年を見上げたが、逆光に隠されて表情は見えなかった。
ハジは静かに答えると、傍らに置いてある大きな箱を担いだ。
軽々と持ち上げているが、その箱はどう見ても金属製で、中に何が入っているのか聞こうと心にきめたルイズだった。

教室に戻ったら、かなり時間がたっていたからなのか、休講になっていて誰もいなかった。