”土くれ”のフーケという盗賊がいる。
貴族を中心に、高価なものばかりを華麗に、あるいは強引に盗んでいく。そして犯行現場に、
ふざけた犯行声明を残す。
一つ分かっていることは、強力な錬金を使うこと。壁を、床を土に変え、ある時は密かに忍び込み、
ある時は身の丈何十メイルものゴーレムを使って倉ごと破壊する。

神出鬼没な怪盗であり強力なメイジであるフーケは、意外に庶民に人気があった。
メイジ同士の内輪もめという皮肉な視点の観客もいるが、おおむね自分達の支配者層達がターゲットであり
平民には手が出せない階級に一泡吹かせる行いに、ひそかに喝采をあげる者も少なくなかった。
王室衛士隊も血眼になって捕縛しようとしているが、それを嘲笑うように煙のようにすり抜けて行く。
男か女かはっきりせず、錬金の実力から考えてトライアングル以上の力を持ち、被害規模、影響範囲、
それに伴う社会的な影響度を考えてもまさに世紀の大怪盗というのにふさわしかった。


トリステイン魔法学院はメイジが大量に常駐するという特徴的な状況から、ある種の強固な金庫としての
役割を持っていた。
貴重なマジックアイテムや書物などの管理、保存に使用されている。
確かにうじゃうじゃメイジがいる所に好んで盗みに入ろうとする自殺志願者はいない。
いや、居なかった。

ただ、例外がここにいる。

土くれのフーケは今、魔法学院本塔の宝物庫を包む外壁に手を置いて何かを調べるように目を閉じていた。

微かにフーケは舌打ちをした。
長い青い髪だけは黒いローブで隠せなかったのか、夜風に揺られている。
「こまったねぇ。八方塞がりじゃないの!」

さすがにハルケギニアの古王国であるトリステイン。そして、屈指の歴史を誇るトリステイン魔法学院の
宝物庫であった。さすがのフーケの錬金もはじき返し、物理的な防御力も相当なものがある。
事前に入手した情報を大きく上回る防御力に手も足もでなかった。
フーケは状態を検知していた手を壁から離し、忌々しげに吐き捨てた。

ふとフーケは近づいてくる人の気配を感じ、舌打ちをしながら植え込みの影に隠れた。


―― BLOOD+ゼロ 6章――


タバサの足が止まったのは、本塔前の裏庭だった。けっこうな広さを誇ってはいるが、出来るだけ
入らないと言う暗黙のルールが存在する。
タバサが決闘の場所にここを選んだのも、学院内で人気がない所を選んだのだろう。
夜とはいえ、寮の中には生徒がおり、学院内であれば何処で出くわすかもわからない。
青い髪の少女はクラスメートの印象とは異なり意外と細やかな配慮ができる人間だった。

タバサはあたりをきょろきょろと見渡し、落ちている大きな広葉樹の葉っぱを拾った。

「撃ち落とした方が勝ち」

腕組みをして憮然としたルイズと落ち着いたのか悠然としたキュルケの二人を前に、振り返ったタバサが
葉っぱを見せてから手を離した。

「魔法勝負?」

キュルケの言葉にこくんと頷く。

「へぇ、でもそれってゼロのルイズには不利なんじゃないの?」
「望むところよっ!」

小馬鹿にしたようなキュルケの言葉にカチンときたルイズだったが、正直言うと分が悪い。にっくき相手は
認めたくはないが学院内でも屈指の実力を誇る火のメイジ。方や魔法がほとんど成功したことのない”ゼロ”
だが、ツェルプストーの人間にヴァリエールの人間がこれ以上バカにされるわけにはいかない。
自信も何もなかったが、そのプライドが引き下がることを許さなかった。

「本当に大丈夫?」
「ふんっ、望むところよ!」

二人で話し合って決めたルールが、魔法の種類は自由、タバサが落とす葉っぱに地面に落ちる前に魔法を
当てた者が勝ち。そして、ルイズが先行ということに決まった。

「もう、やめませんか?」
「いやよ」
「だめね」

お互いバチバチと火花を飛ばす二人の前には、いつの間にかそこにいたハジの制止も、効果をなさず、
燃えるための燃料にしかならなかった。
溜息をつきつつハジは諦めたように一歩下がった。

口笛で使い魔を呼び寄せたタバサは、飛んできた立派な体躯の風竜の背に乗って上空へ舞い上がる。
ルイズはその光景をみて、一瞬だけど夢が脳裏をよぎった。
幼いころから夢想していた夢、強力な使い魔と共に一人前のメイジとなること。
姉たちに見劣りのしない程の強力なメイジとなること。
使い魔が竜のような強力な幻獣であれば母にも対抗できるのではないか? 見直してくれるのではないか?
そんな夢があった。

先日の召喚で竜の方は見た、でも誰が呼び出したか気がつかなかった。そこまで周りに気が回らなかった。
でも目の前の現実はタバサという名の目の前の青い髪の少女が、その主ということを示している。
メイジの実力は使い魔を見ればわかる。
であれば、タバサという少女の実力はサラマンダーを召喚したキュルケと同等か、それ以上の実力を
持っているということになるだろう。
翻って自分は、見目は良いとはいえ平民。その差は明らかだと無意識が主張する。
頭を振って妄想を振り払う、ハジは私の唯一の使い魔だ。と。

ただ、キュルケと正反対のような見た目、性格の彼女が怨敵の友達と言う事実はルイズには理解できなかった。

「すごいわね」
「すごいでしょ」

見上げていた竜の圧倒的な姿に思わず呟いた声に、キュルケが我が事のように顔を綻ばせる。
子供のように綻ばせる顔をみて、仇敵の違った一面を垣間見た気がした。次の瞬間、すっかり台無しになった。

「今日も、あんた達を追いかけて、シルフィードに街まで連れて行ってもらったのよ」
「あっきれた、そんなことしてたの?」
「愛がすべてよ、愛が」

呆れたように見つめるルイズの目を、キュルケは愛の一言で片づけた。

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

上空に舞い上がったタバサがライトの呪文を唱えた。夜空に魔法による光が煌く。
開始の合図に、ルイズは知らずに握っていた手が汗でじっとりとしているのに気がついた。
夜空の中から風に流され、ひらひらと舞い降りてくる葉っぱを識別して、それに魔法を当てる。
かなりの精神集中を要する高度な技だった。

どの系統の呪文を使おう? ルイズの選択肢は火か風だった。
いずれもまともに成功したことがない。
ただ、決闘のルールは地面に着くまで。であれば軌跡が見えにくい風よりも、火の玉がとんて行くという
見えやすい系統の方が正しい選択だろう。
当然、キュルケも火の魔法を使うはず。そうなると相手の土俵で戦うことになる。

ルイズはこの上もなく緊張した。ともすれば震える体を必死で抑えつける。
この勝負だけは負けられない。
錬金の授業でのことが思い出される。その身を挺してルイズを守った使い魔・ハジ。
自分の使い魔にツェルプストーの贈り物を使わせる。そんな横取り行為を認めるわけにはいかない。
ハジをあっさりと取られるわけにはいかない。
何が何でも。

ルイズは目を皿のようにして夜空を見つめる。少しの異変も見落とさないように。
その一瞬はそう長くない彼女の人生で、最も集中した瞬間かもしれない。

夜空にはらりと舞う葉っぱが眼の端を横切った。

見つけた!

ルイズは迸る歓喜と共に、ファイヤーボールのルーンを唱え杖を振う。
杖の先から、景気良く火の球が杖の先から飛んで葉っぱを燃やす。

そんなルイズの幻想は、無残にも現実が否定した。
杖からは何も飛ばず。葉っぱも燃えず、代わりに本塔の外壁が爆発した。穴があくほどではなかったが、
それでも夜目にも見える罅が入っている。

呆然とするルイズの隣にいたキュルケ笑い出す。

「やっぱりゼロの二つ名は健在ね! ゼロのルイズ! 葉っぱじゃなくて壁を爆発させてどうするの?
多分そうだろうなと思ってたけど、やっぱり爆発させるのね、あっはっはっ」

ルイズは悔しそうに震えた。
足ががくがくして、不意に視界が歪んだ、目に涙が滲む。
どうしようどうしようどうしようどうしよう
このままだと、取られちゃう

そんな逡巡をよそに再び葉っぱが落ちてきた。
キュルケは茫然としたルイズを横目に、炎はこう使うのよ。とルーンを唱えて杖を振った。
ファイアーボールよりも高度な呪文、ファイヤーウォールがキュルケの選択した呪文だった。
葉っぱが落ちる箇所一帯に炎が舞いあがった。当てるよりも、落ちてくるところを範囲魔法で捕まえる。
という選択をした。
ルールを聞いた時から思いついていた名案。キュルケはそう思っていた。
範囲魔法だろうと、落ちる前に魔法が当てることには違いない。
不安定な空中で不規則に舞う葉っぱを狙うののは愚策、ほぼ落下点が決まった状態、地面に着く直前が
最も狙い目だと。
キュルケは勝ったとほくそ笑んだ。ハジとの甘い生活のイメージが脳裏を駆け巡る。

「あれ?」
「キュルケッ! まだ決まって無いわね! そうよね!」
「ふんっ! 次は……」

果たして、舞い降りた葉っぱは、キュルケの炎の壁が巻き起こす上昇気流に舞いあげられて
炎にまかれることもなく、風にあおられて飛んで行った。
キョトンとしたキュルケに、生気を取り戻したルイズは喜色満面で飛び跳ねる。
一瞬遅れて、顔をこわばらせたキュルケが口を尖らせる。
負け惜しみを言いかけた途中にその顔が強張った。


フーケはルイズの呪文失敗で本塔の外壁に綻びが生じたことを見届けた。
呪文と効果が異なることに、熟練のメイジである彼女は興味をそそられたが、不可能かと諦めていた自らの
目的の突破口が開いた事に対しては些細な問題だった。
少女らに見つかることを覚悟しながらも、今が千載一遇のチャンスとばかりに長い長い呪文を唱える。
キュルケのファイヤーストームが辺りを明るくすると同時にフーケは大地に向けて杖を振った。

会心の出来。

ついぞ経験した事のない高揚感とともに、呪文が形作る。音を立てて地面が盛り上がる。
爽快な頬笑みを浮かべたフーケは盛り上がる土に身を任せる。


「な、なによ、あれ?」

キュルケの茫然とした声に、ルイズが振り返った、上空で舞っていたタバサも、大地が盛り上がっていくのを見た。
一気に盛り上がった土が徐々に姿を変えて行く。頭部のない土の巨大な象が出来上がる。
見る間に足が形作られ、その足が大きく上がる。まるで、蟻を踏みつぶす様に。

「「きゃぁぁぁぁ」」

咄嗟の状況にパニックになったルイズとキュルケが同時に悲鳴をあげて逃げ出す。
寝る直前の格好であることも影響したが、冷静さを失っている二人は一瞬もつれた足を無理でも動かし、
魔法を使えることも忘れ、ただ駆けだすことしかできなかった。
実践も修羅場も経験した事のない身では仕方がないことでもあった。
二人は必死で走る。

……が、遅い。

土ゴーレムの方が早かった。
二人の頭上に雪崩のように巨大な土のゴーレムの足が落ちた。

二人は、反射的に目を固く閉じていた。
しかしおそれていた衝撃がなく、ぐいっと引っ張られるような感覚の後に聞こえた、静かな声に恐る恐る
目を開けた。
月明かりに照らされた痩せた顔が無表情なまま二人を見下ろしていた。

「大丈夫ですか?」
「「ハジッ!」」

ルイズとキュルケの超音波のような大ボリュームのステレオサウンドに、ハジは顔をしかめた。
ルイズ達が、我に返って辺りを見渡すと、ゴーレムから五十メイルは離れた所にいることに気がついた。
慌ててゴーレムの方を見あげると、上空を舞う風竜やルイズ達の方は一顧だにせずに、本塔の壁にパンチを
打ち込もうと腕を振りかぶっていた。
見る間に腕が振りぬかれ、明らかに金属が打ち鳴らすような音とともに塔の外壁に穴があいた。

ゴーレムの肩に乗っていた黒いローブの姿がゴーレムの腕を伝って本塔に吸い込まれていく。
三人の近くに風竜が舞い降りる。威容を誇る竜に跨ったまま、タバサが杖で指しながら呟いた。

「宝物庫」

その単語でルイズとキュルケは顔を見合わせた。

「「一時休戦ね」」

何の目的があるのか分からないが、自分達の学院を破壊して、宝物を盗もうとしているのは明らかだった。
トリステイン魔法学院の生徒として、こんな暴挙は許されない。
ルイズはふっと視線を外しつかつかと、ゴーレムに向かって歩いて行く。

キュルケは目を見張った。方向が逆じゃないの?と。

「ちょちょっとルイズ。あんた何してるのよ?」
「危険」
「見て分からない? 止めるのよ」

慌てたようなキュルケの声と、言葉少ないながらも微かにその身を案じているタバサの声に、
ルイズは背中越しに振り返った。
顔は強張っていたが決意に満ちていた。

「止めるってあなた、どうするのよ、あんなでかいの」
「でかくたってメイジを捕まえればいいじゃない。出てきたところを御用よ」
「あんたがそんなこと出来るわけないじゃないの。まともに魔法も使えないのに」
「出来るかも知れないじゃない」
「無理よ」

ゴーレムを操っていた黒いローブの影はまだ出てこない。宝物庫の中を漁っているのだろう。
ルイズは固い声で決心を変えようとしなかった。

「誰が無理って決めたのよ」
「自分が何言ってるか分かってるの? ドットですらない貴方が、あんなゴーレムを作れるメイジ相手に、
歯向えるなんて思ってるの? ゼロのルイズ」
「そうよ、私はゼロよ、魔法もまともに使えないわ。だからと言って、目の前で起きてることに、力が
ないから、どうしようもないからって、諦めるのなんてまっぴら御免よ。
魔法がまともに使えなかったら何? ドットですらないメイジは矜持も誇りも捨ててスクウェアの前からは
逃げ出せって言うの?
そりゃ、みんなは仕方がなかったね。って許してくれるかもしれない。でも私自信が許さないわ
私はヴァリエールの人間なのよ、その名前を持った人間が、おめおめと逃げ帰るわけには行かない。
どんな敵であろうとも後ろを見せない。そんなことで逃げ帰ったら、本当に何もない
只のゼロになってしまうわ」
「ルイズ、あなた……」

ルイズは杖を握りしめて、目をつぶって、かすれた声を絞り出すように叫んだ。
もう、逃げたくなかった。魔法学院に来たのも、バカにされても、逃げたくはなかった。
子供の頃から延々続いた運命に決着がつけたかった。本当に魔法が使えないのか、ただのゼロなのか。
理想があった。
父も母も姉たちも家族達はみんな尊敬できるメイジだった。そんなメイジの中に入りたかった。
だけど一人だけゼロだった。一人だけ魔法が使えなかった。
一年生の間は何もできなかった。諦めかけた。
二年に進級できずに留年したら、学院を続けられるかどうか分からなかった。

そして、ハジを見つめる。自分の使い魔は静かに見守る様に立っていた。どこかやさしい眼をしている。
その静かさに、見た目と違って何十年も生きてきた人のような錯覚にとらわれる。

2年に進級するには、サモン・サーヴァントによる使い魔の召喚が必須事項だった。
成功するかどうか分からなかった。正直不安だった、失敗したら、呼べなかったらどうしようと思っていた。

でも成功した! 2年に昇格する際のサモン・サーヴァントは成功した。
それは天にも昇る気持だった、わたしの魔法が成功した!!
目の前で水霊の湖のように静かに見守る使い魔。平民かもしれないけど、それでもこれが一つの魔法の証し。
そう、ハジがいるということは、私は魔法が使えるということ。
だったら逃げない。後ろを向かない。俯かない。
逃げないで証明する。自分の誇りに掛けて証明する。

私はゼロなんかじゃない。

私はルイズ、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールであると心に刻む。


「ふん、そこまで啖呵を切られたら、ツェルプストーとしては負けるわけにはいかないわね」
「キュルケ……」
「ま、さっきの決着もまだ付いてないしね」

ルイズの長口上を聞いたキュルケが、豊かな髪を掻きあげながら、にやっと笑う。
その瞳にはいたずらっぽい光が輝いていた。
スタスタとルイズの横にまで歩いてきて、杖をゴーレムの方に向ける。

「で、どうするの? ってかもう出てきたわよ」
「ええいっ! やぶれかぶれのファイヤーボールッ!!」
「っちょ、ルイズ!!」

はっと気がついたルイズが見上げると、筒状のものを構えた黒フードがゴーレムの肩に戻ろうとしていた。
咄嗟に杖を振い、ついさっき唱えていたファイヤーボールの呪文を繰り返した。
こんな状況ながら、思わず噴き出したキュルケもルイズに続く。
狙いの定まらないルイズの失敗魔法がゴーレムの頭を少し吹き飛ばす。ゴーレムはすぐ回復する。
キュルケの巨大なファイヤーボールがゴーレムに向かう、ゴーレムは手を広げて阻止する。


ゴーレムの肩に乗っていたフーケは下の方から飛んでくるファイヤーボールや、得体の知れない爆発魔法が
目触りになってきた。

魔がさした。

これがその時のフーケを端的に示した言葉、そして唯一かつ致命的な失敗。
トリステイン魔法学院の生徒の多くは貴族の子弟。自分の的達が、的達の大事なヒナ達がいる。
それが失われた時にどうなるか。ふっとそんな嗜虐的などす黒い何かが湧いた。
普段はそんなことを考える人間ではないのだが、正直入手不可能と思っていた物を手に入れることでき、
気が大きくなっていた。

獲物は入手できたのだから、そのまま逃走すればよかったのに、相手をしてやろうという気になった。
もうすぐ教師達がやってくる、その時に華麗に逃げれば良いのだ。
ゴーレムの向きを変え、足を振り回す。踏み潰す。


ゴーレムが明確な殺意を持って攻撃し始めた。
巨大な足が振り回され、狙ったように、手が叩きつけられる。
二人はゴーレムの攻撃範囲から慌てて距離を取らなければならなかった。
上空からはタバサが竜巻の魔法で攻撃するが、あまり効果はなかった。

「ち、やっぱり大地の上の土使いは厄介ね、無理よ、ほんとに」
「あのメイジさえ何とか出来れば」
「無理でしょ、さっきからメイジにめがけて魔法を打ってるけど、ゴーレムに防がれてる」
「……」

キュルケは回避しながらも火系統の呪文を散発していた。
しかし、ゴーレムを破壊することはできなかった。削り、えぐった直後に大地から土を補給して元通りになる。
攻撃力こそ、ゴーレム任せであるが、土メイジの厄介さ、鬱陶しさは他系統に比べランクが一つづつ
上になったかのような気がする。
隣の反応が無くなったのでふと横目で見ると、ルイズは顔を真っ赤にして、ワナワナトふるえ、頬には
光るものが一筋の光る線となっていた。
ちっと舌打ちをして、ルイズに背を向ける。
キュルケは自分と無謀にも張り合うルイズが見たいのであって、ぐじぐじと消沈するルイズは見たくなかった。
そんな深層心理を反映したのか、いらだちを込めた励ましがキュルケの口から紡ぎだされる。

「ちょっとルイズ、しゃきっとしなさい」
「く、くやしぃ、なんで、私は何もできないの! なんで、こんな大事な時に何もできないの!」

ルイズはあまりの無力さに自分が悲しくなった。
なんて無力。キュルケやタバサは巨大な炎や、竜巻を飛ばして攻撃している。なのに自分は何もできていない。
強がっても、粋がっても、やっぱりゼロなのね。そう思うと涙がボロボロとこぼれて行った。
ゴーレムがゆっくりと学院の外に向かおうとしている。
ペタンと大地に力なく崩れ落ちた。
結局何もできないの? 無力感がルイズの全身を襲う。

そんなルイズの肩にひんやりとした、しかし温かい手が置かれた。
見上げると、ハジがそこにいた。
思わず抱きつきたくなった、声をあげて泣きたくなった、でも、そんな泣き顔を見られたくない。
そんな弱みを見せたくない。ルイズの意地があった。
なけなしの意地で、ごしごしと涙を拭いている所に静かな声が聞こえた。
はっと顔をあげたルイズが見たのは、とてつもなく寂しい、透きとおる様な顔だった。

「私は長い間、絶望の中、戦ってきました。希望も、未来も捨てて、たった一人の主の為だけに
戦ってきました。私の命は主の為にのみあり、私のすべては主と共にあります。その誓いは今でも
変わりはありませんし、今後も変わりません。
ただ、この世界にいる間、今しばらくの間は貴方の力になりましょう」
「ハジ……ありがとう」

ルイズは目を伏せた。嬉しかった、寂しかった、悲しかった。
淡々と語る、その言葉と想いの重みが不意に剣のように突きささる。

今のハジを使役してもいいのか、こんな思いを持つ人間を、ただ学生生活を送っていただけの自分が、使っていいのか?
重圧に押しつぶされそうになった。
ハジの目はしっかりとルイズを見ていた。ルイズの逡巡を把握しているかのように微かに微笑む。

「言ってください。戦えと」

ルイズは平民を、自分の使い魔を自らの矜持の為に死地に追いやる言葉がどうしても言えなかった。
それを察したハジは、いつか自分が通った道を指し示した。

「……ハジ、戦って。あのメイジをやっつけて。お願い」
「分かりました」

目に悔し涙を湛えながらルイズは訴える。
ルイズにとっては藁をもつかむ気持だった、あの魔法攻撃を平然と受け流している相手に、とても勝てるとは
思えなかった。でも、それでも信じてみたかった。ハジの力を。

―― メイジの実力は使い魔を見ればわかる。

そんな言葉が脳裏を駆け巡る。

ルイズの言葉を聞いたハジがすっと立ち上がりルイズに背を向けた、肩にいつものように巨大な
チェロケースを担ぎ、その手にはキュルケが贈った剣があった。

もう既に巨大なゴーレムは逃走に入っていた。
キュルケも魔法を連発しすぎたのか肩で息をしている。
一瞬キュルケに目をやった隙に、ハジの姿が消えていた。

「え?」

ルイズは目をごしごしと擦った、回りを見回してもハジはどこにもいなかった。ただ、ハジが立っていた所に
キュルケが贈った剣だけがキラキラと輝きながら突っ立っていた。


「調子に乗って長居し過ぎたよ、やばいねぇ、さっさと逃げないと」

一般的にメイジは自分の作業の邪魔をされるのを嫌う。
なので、夜眠る時や自室で書物を読む時はサイレンスの呪文を使って外界の音を遮断する。
これは実力が高くなればなるほどその傾向が強く、実力のある教師達は軒並み同じ行動をとっていた。
長年平和だったこともある。まさかこのトリステイン魔法学院に不届きな行為をするものがいるとも
想像しなかった。
本塔が宿舎塔から遠かったということもある。

結果的に言うと教師達、実力者は外の音に気がつかなかった。盲点である。

しかし、さすがに異変を感じた人間達が、慌ただしく行動を始めた。

それを盗賊の嗅覚で敏感に察知したフーケは、戦闘をあっさりと放棄して逃走に入った。

「しかし、あの子たちは将来とてつもないメイジになるわね」

先ほどまでの攻撃ははっきり言って強烈だった。防御一辺倒に傾注したから無事だっただけ。無駄に攻撃を
掛けていたら、風竜乗りの魔法か、炎に捲かれていたところだ。
ただ、大地の上での土の防御力は他者を寄せ付けない。その意味で自分が土系統であることを感謝した。

「しかし、これが破壊の杖かい? へんてこねぇ」

金属製の長い筒状の杖を両手で抱え、しげしげと見ていた。ずっしりとした冷たい手ごたえがある。
ゴーレムが魔法学院の城壁を超えた時、不意に喉元を絞めるように掴まれた。

手?

フーケは喉に押し当てられたものに無意識に手をやった。その手触りに思わず悲鳴が漏れる。
それは人間の手ではなかった。一番近いものを言えば……、強いて言えば竜の手。
鋭い爪を持った手がフーケの喉にあてられていた。

「ッ!!」
「申し訳ありませんが、動かないでください」
「あ、あんた誰だい」

若い男の静かな声が頭のすぐ後ろで響く。
フーケはぞっとした。いつの間に? そんな気配はなかったのに。
それとその声の気配が持っている吸い込まれそうな虚無感。フーケは全身に地獄の寒気を感じ、鳥肌が立つ。
亜人と会ったこともある。エルフも見たことがある。しかし、いくら亜人であってもここまでの恐怖感は
感じなかった。
異様な手と、理性的な人の声、そのギャップがさらにフーケを幻惑する。
未だかつてこれほどの恐怖を感じたことはなかった。
それは相手が理解できるから。王室衛士隊だろうとも、亜人だろうともある程度の知識はある。
知識があれば怖くない。でも、これは知らない。こんなのは知らない。
不意に背後に現れて首を攫む竜のような手、更に人間の言葉を喋る。
蛇に睨まれた蛙のように、捕食者に捕まった獲物のように、全身ががくがくと震えて行く。
歯がカチカチと鳴る。

人じゃない、これは、化け物、化け物が後ろにいる……
怖い怖い怖い怖い怖い

無意識のうちに、それだけが頼りかのように杖を握りしめる。
集中が切れたゴーレムの体が徐々に崩れて行く。

「杖を渡して下さい」

後ろから伸びてきた手が、握りしめた手の中から杖を取り上げる。
なすがままになっていたフーケの張り詰めていた緊張の糸が、音を立てて切れた。

ほとんど雪崩のように崩れ始めたゴーレムから、黒いローブに包まれたフーケを抱えてハジは飛び終りた。