各々の使い魔を連れて正門前の広場に、三々五々集まって来た生徒達が、教師達の指示で道の両脇を
固めるように並んでいく。

足もとにうずくまり、時折口から炎を吐く巨大なサラマンダーを従えた”微熱”のキュルケ。
成竜に比べれば小さいとはいえ、使い魔達の中でも大型の部類に入る風竜を従えた”雪風”のタバサ。
そして、異例中の異例。ハジと言う名の金属製のチェロケースを持った楽士を従えた”ゼロ”のルイズ。
誰も成し得たことのない、”土くれ”のフーケを捕まえた三人だけは、本塔の玄関前で出迎えるオスマンの
脇に配置された。

しばらくすると、グリフォンに乗った先遣の衛士が到着し、王女の到着を宣言する。
生徒達の緊張がさざ波のように広がったころ、魔法学院の正門をくぐって、王女の一行が到着した。
金の冠を御者台の隣に飾り、純白のユニコーンに引かれた四頭立ての馬車を中心に、馬の倍ほどもある
グリフォンに跨った王室直属の近衛隊が四方を固めるその一行は圧倒的な存在感に満ちていた。
漆黒のマントを誇らしく翻した若い魔法衛士隊の面々は、みな自信と誇りに満ちた顔つきをしており、
その中でも一際精悍な雰囲気の羽帽子をかぶった青年貴族が手をあげると、一斉にグリフォンから下馬する。
隊長と思しき羽帽子の青年貴族は、下馬した後そのまま馬車の扉の脇に控える。

召使たちが駆け寄って、馬車の扉まで緋毛氈のじゅうたんを敷き詰め、呼び出しの衛士が王女の名前を謳い上げる。
その声に合わせるように、整列した生徒たちは一斉に杖を掲げ、召使たちが馬車の扉を開けた。
一連の動きが、まるで熟練した役者が演じる劇のように滞ることなく推移する。
灰色のローブに身を包み、痩せぎすのマザリーニと言う名を持つ枢機卿が降りた後、そのマザリーニに
手を取られるように王女が現れた。

ルイズ達とほとんど変わらない年齢に見える薄いブルーの瞳をもった王女は純白のドレスに身を包み、儚げな
百合のような雰囲気を醸し出していた。
水晶のついた杖を持ち、しずしずと馬車から下りた美しい王女は、出迎えの生徒達に頬笑みを投げかけて
ゆっくりと手を振る。

「へぇ、あれがトリステインの王女? まあ、なかなか美人だけど、あたしの勝ちね」
歓声の中、男子生徒達の眼が吸いつけられたように王女に向かい、尋常でなくなっているのを見たキュルケは、
詰まらなさそうに少し大きめの声で呟いた。
トリステイン王家に忠誠を誓っているルイズが、聞こえているはずにも関わらずなんの反応も示さないことを
いぶかしんだキュルケは、横眼で桃色の少女を見た。

そのルイズは、強張った表情で羽帽子をとったグリフォン隊隊長と思しき青年貴族をじっと見つめていた。


―― BLOOD+ゼロ 9章――


その日一日ルイズは、上の空だった。
直後の王女の労いの挨拶も、キュルケのちょっかいも、まともに反応しなかった。
夜、自室に戻ってきて、ハジが紅茶を目の前においても心ここにあらずとばかりに、ぼーっとしていた。
先ほどまで、ルイズの部屋でぎゃんぎゃんと騒いでいたキュルケと付添のタバサも諦めたのか今は自室に戻った。

「何か心配でも?」
「……え? あ、い、いいいえ」

珍しくハジの方からルイズに声を掛けた。
しばらくして、その事実に驚いたルイズが慌てて、なんでもないという風に両手を振った。
この寡黙な使い魔は本当に必要な時以外は口を開かない。ルイズが何か話を聞く時にも、最小限の言葉しか使わない。
そんなハジが、ハジのほうからルイズに声をかけるのは本当に珍しい。
ルイズはぬるくなった紅茶のカップを手に取り、飲むでもなくハジの顔を見つめ、なにかを思う様に
溜息をついたかと思うと、ゆっくりと視線を外した。
軽く嘆息したハジは床の一点を見つめているルイズの手から、ぬるくなったティーカップをそっと取り上げた。
その体勢のまま、何かに引かれたようにふっと扉の方を向いた。

「誰か来ました」

幾分真剣なハジの声にハッとしたルイズは、扉を見つめる。
キュルケやタバサなど、何回かここにきている人間の場合はハジはあまり反応を見せない。ということは、
初めてここを訪れる。と言うこと。
ほどなくして、ささやかなノックの音がした。初めに長く二回、それから短く三回。
それを聞いたルイズは顔色を変えた。

「ハジ、ありがとう。でも知っている人だから開けて」

いつの間にか扉の横の壁に張り付いてドアノブを持っていたハジは、その言葉を聞いてゆっくりとドアを開けた。
人が入れる隙間があいたと同時に、真っ黒なフードをかぶった少女が滑る様に入ってきた。
夜の客は口の前に指を立てて、声を出さないように指示してから、杖を振ってルーンを唱えた。
ほどなくして、結果に納得したのか、少女はフードをはずし、いたずらっぽく微笑んだ。
そこに現れた少女は、アンリエッタと言う名の王女の顔を持っていた。

「何処に目があるのか分かりませんからね」

可憐で涼やかな声に、ルイズは急いでマントを羽織って跪く。

「お恐れながら、姫殿下。かような場所に、かような時間にお越し頂くのは感心致しません」
「ルイズ! ルイズ・フランソワーズ! そんな堅苦しいのはやめてちょうだい!
あなたとわたくしはおともだちじゃないの! 久しぶりにあったおともだちなのよ?」
「もったいないお言葉でございます。姫殿下」

王女は跪き頭を下げたルイズを、立ち上がらせて抱きしめた。
感極まった王女の声に絆されたかのように、ルイズも鼻声になりながらそっと抱き返した。
ひとしきり、見目麗しい二人の少女の再会と追憶の言葉の応酬が続いた。
泣き笑いのような表情で語りあう二人の傍のテーブルに、ハジが紅茶をそっと置いた。

「あら、いやだわ、もしかして、お邪魔だったかしら」
「いえ」
「でも、ここって女子寮なのでしょう? 逢瀬のお邪魔では?」
「ああああああアンリエッタささま!?」
「知りませんでした、あの、幼馴染のルイズがこんな素敵な殿方と……」
「あ、い、いえ、ちがいます! 誤解です! ほんとです!」
「うふふ、郷里のお父様には内緒にしてあげますから、ご紹介くださいな、ルイズ」

アンリエッタがハジを見上げてから、いたずらっぽくルイズを見つめた。
からかうようなアンリエッタの言葉に動揺したルイズは真っ赤になって眼を白黒させた。
アンリエッタはその様子を楽しげに見ていた。
ようやく、からかわれてる事に気づいたルイズは、わざとらしい咳ばらいをした後、アンリエッタに向き直った。

「いえ、恋人とかではなくて、ハジは私の使い魔なんです」
「使い魔? 使い魔ってあの使い魔?」
「ええ、そうです」
「どう見ても人にしか見えませんが……?」

ルイズの言葉に訝しそうにハジを見つめ、再びルイズを見たアンリエッタは、顔の前で手をパタパタと振って
笑った。
しかし、ルイズの真剣な表情に、気押される様にもう一度ハジを見た。

「人です」
「使い魔?」
「はい」
「人が?」
「はい」
「あははっ、ルイズったら冗談好きなのは昔から変わってないのね」
「……」
「……ほんと? それで、玄関の所にあなたがいたのですか。おともだちは立派な風竜やサラマンダーを
連れていたのに、ルイズだけ何も連れていないように感じていたので、変だなとは思っておりましたが……」

少女時代のルイズはアンリエッタと共にいろいろふざけ合った事も、悪戯をしたこともある。
人を使い魔にするなど聞いた事もないが、ここまで真剣な表情で断言する幼馴染は決して嘘や冗談は言っていない。
トリステインでは珍しい黒髪、黒眼だが貴族の若君といって差し支えない雰囲気。
隙のない身のこなしをしているが、目の前のハジと言う青年は普通の人間ではなさそうな気もする。
アンリエッタは、微かな違和感を感じながら、まじまじとハジを見つめていた。
その姿を見ていたルイズは、気持ちを切り替えるように深呼吸をして表情を改めた。

「ところでアンリエッタ様。わざわざ夜半にお忍びでいらっしゃるということは、なにか人に話せない
悩みごとがおありなのではないですか?」
「……いえ、なんでもないわ。久しぶりにおともだちに会うのに理由が必要でしょうか?」

ルイズの言葉にアンリエッタが一瞬固まった。
が、ゆっくりとルイズの方を向いたときは、来た時と何も変わらない表情だった。
自分のことだけに必死だった一か月前のルイズでは気がつかなかった。しかし、今は違う。
人と関わりを持つようになり、毎日のように繰り返すキュルケとの口論で磨かれた、相手の弱点を探る観察力。
キュルケを口撃するために磨いた能力が、アンリエッタの仮面のような笑顔の後ろにあるものを感じ取っていた。

「嘘です。であれば、時折見せる辛そうな表情はなんですか? そのため息はなんですか?」
「……これは話せません」

ルイズの言葉によって、笑顔の仮面にひびが入ったアンリエッタは、それを隠す様に幼馴染の視線から顔を
そむけた。
しばらくその姿を見つめていたルイズは覚悟を決めた。今の王女に必要なのは、幼馴染として遠慮なく言葉が
交わせる相手だと。ひょっとしたら不興を買うかもしれない。
でも、そんなことで躊躇するのでは”おともだち”と呼んでくれる王女の期待を裏切る行為。
それはもう”おともだち”ではなく只の臣下にすぎない。

「姫様、おともだちってなんだか知っていますか?」
「ルイズ……」
「なんでも話して、一緒に悩んで、お互い助け合うのがおともだちなんです。
わたしは、おともだちが悩んで、苦しんでいるのに放っていくことなんてできません。
アンリエッタ様、わたしは貴女のおともだちではないのですか? わたしはおともだちと思っています。
おともだちでないならば、王女として命令してください。これ以上聞くな。と」
「……ルイズ、あなたはずいぶんと弁が立つようになったのですね」
「口喧嘩に達者な、良い学友に恵まれましたので。
……それと、アンリエッタ様、わたしはあの”土くれ”のフーケを捕まえた人間です。
そこらへんの貴族なんかには負けません。」

ルイズの言葉に眼を見開いた王女は、徐々に潤んでいく瞳を閉じることができなかった。
周りに本音の出すこともできず、大人の中に放り込まれてた王女としての自分。重責にさいなまされた日々の
中で結果的に犯してしまうことになった致命的な失敗。
シュヴァリエの叙勲申請の中に、ルイズの名を見出したのは、運命の配慮だろうか。

状況から考えて英雄的な行為になるはずだが、そもそもの発端は己の失敗。
成功しても0に戻るだけのものでしかない。
そんな名誉も称賛も与えることができない自殺同然の行為に己の幼馴染を、唯一の幼馴染を巻き込もうとする自分。
あまりにも自分が醜く思え、耐えがたい程の嫌悪がその身を苛む。
辛うじて残っていた、幼馴染を巻き込みたくないという仮面も、想像以上に人の機微に敏感になっている
ルイズに見破られてしまった。
ここまで来る間、闇に占領されていた心がルイズという太陽の前に晒され、その温かい光に焼きつくされていく。

「わたしをおともだちと呼んでくれるのは、もう、あなただけね。ルイズ・フランソワーズ。
あなたは私にとって眩いばかりの存在だわ。
……これからの言葉は決して誰にも話してはいけません」

アンリエッタは、その言葉を聞いて出て行こうとするハジを呼びとどめた。

「ハジさんとおっしゃるのね」
「はい」
「貴方はルイズの使い魔ですね?」
「そのようです」
「ではここで聞いていてください。使い魔と主人は一心同体です。出ていく必要はありません。
そして、ルイズを守ってあげてください」

担いでいたチェロケースをゆっくりと置いたハジを見届けて、涙を拭いたアンリエッタがゆっくりと言葉を紡いだ。

「わたくしは、このたびゲルマニアの皇帝に嫁ぐことになったのです」
「ゲルマニアですって! あんな野蛮な成り上がりどもの国に! アンリエッタ姫様が!?」
「……そうよ。でも、しかたがないの。まだ秘密ですが彼の国と同盟を結ぶ為に必要ですから」

なにもかも諦めたような口調のアンリエッタは、ランプの炎をじっと見つめていた。
息をのんだようなルイズの声に、しばらく口を閉ざしていたアンリエッタは前置きをしてから言葉を選びつつ、
トリステインが置かれている状況を説明しはじめた。

アルビオンで貴族を中心とした反乱が起き、王家が滅ぼされかけていること。
反乱軍がアルビオンを掌握した場合、次の目標はトリステインであること。
今のトリステインでは単独で反乱軍の軍事力に対抗できず、ゲルマニアと同盟を結ばざるを得ないこと。
そして、その同盟の動きは反乱軍に既に察知されており、その同盟を解消できるほど、言いかえれば
トリステインとゲルマニアの結婚を解消出来るほどの醜聞となる材料があること。
そして……

「ルイズ、わたしはあなたに謝らなければなりません。わたしはあなたを騙そうとしていました」
「アンリエッタ様……」
「ルイズ、それでも私はどうしようもないのです。わたしのくだらない思いの為に、トリステインに
危機をもたらすなんて、そんなこと思いもしなかったのです」

止めようとして必死にこらえていた感情が、こらえきれなくなったのか、アンリエッタは懺悔の言葉と共に
顔を覆って泣きだした。
過去を悔いるような、己が身を切り裂くような泣き声にいたたまれなくなったルイズは、アンリエッタの前に
ひざまづいて、手をそっと握った。
一瞬ビクッを身を震わせたアンリエッタは、おずおずとルイズの手を握り返す。
アンリエッタが落ち着くのを待ってから、ルイズが静かに問いただす。
ルイズの真剣な目をまっすぐ見れないアンリエッタは視線を握った手に落としたまま生気のない声で呟いた。

「そのトリステインに危機をもたらすものって何なのでしょうか?」
「……手紙です。私がしたためた手紙がすべての元凶なのです。この手紙が反乱軍の手に入り、ゲルマニア皇帝に渡ったならば同盟は破棄され、トリステインは一国でアルビオンと向かわなければならなくなります」
「姫さま、その手紙とやらは今どこに」
「……アルビオンです。アルビオン王家のウェールズ皇太子のもとにあるのです」
「なんてこと! じゃあ、もう既に反乱軍の手に?」
「いえ、まだ反乱軍にはわたっておりませんが、……時間の問題なのですっ」

ルイズの悲鳴じみた声に、アンリエッタは顔をがばっと振り上げた。しかし徐々に視線が落ちていった。
力なく紡がれた声は、目的もなく、希望もないまま、闇夜を彷徨っている旅人のように頼りなかった。
いままでに、こんな消沈しているアンリエッタをルイズは見たことがなかった。
幼い頃の活発な雰囲気はすっかり息をひそめ、王女という肩書を持っただけの、ただの震える少女に見えた。

「……アンリエッタ様、わたしがその手紙を取り戻してまいります」
「……ルイズ」
「大丈夫です。わたしにまかせてください。必ず取り戻してまいります」

ルイズの言葉にゆっくりと顔をあげたアンリエッタの表情は奇妙に歪んでいた。
泣いているような、怒っているような、複雑な感情がその表情の中に入り乱れていた。
そんなアンリエッタを元気づけるかのように、ルイズは明るく胸を張った。
その姿をみたアンリエッタの顔が感極まったようにくしゃくしゃに歪み、顔を覆った両手から嗚咽が漏れる。

「わたしは、ずるい女です。貴方の命を預かって、行け。と命令することもできません。
お願いだから行って。と頼む事もできません。ただ、悲しんで、貴方の方から行きますと言ってくれるのを
ただ待つばかり。
自分の過ちなのに、自分で責任をとることが怖い。臆病な女なのです。
その臆病な私が、あなたをその戦乱のアルビオンに送り込もうとしているのです、唯一の幼馴染である
あなたを、ただ一人のおともだちであるあなたを。
失敗を自らが償うのではなく、唯一のおともだちに償ってもらおうとする、このあさましい姿を決して
始祖ブリミルも許されないでしょう。」

アンリエッタの口から出た心の叫びを聞いて、ルイズはかすかに滲む涙を指でぬぐった。
それはルイズにとってはアンリエッタが殻を破って出てきてくれたと思えることであり、本当の意味での
”おともだち”となった瞬間だったから。

「アンリエッタ様、ありがとうございます」
「え?」

無様な感情を吐露したことで、罵声を浴びせられるのではないか? 怒られるのではないか? と心の底で
身構えていたアンリエッタは、ルイズの言葉に意表を突かれた。
はっと顔をあげたアンリエッタを透きとおった笑顔が迎えた。

「姫様の心の内を、正直に語ってくださいました。わたしはそれだけで十分です。
わたしは今回のご訪問で、昔のようなおともだちとしての立場がもう取れないのでは?と思っておりました。
特権を誇示したいわけではありませんけど、もうおともだちでなくなるという恐怖が、不安がありました。
ですが、違いました。」
「ルイズ……」

ルイズは再びアンリエッタの両手をとって、そっと握った。
手のぬくもりと一緒に何か温かいものが二人の中に広がって、心を包んでいく。そんな気がした。

「私は名誉や、感謝が欲しくてアンリエッタ様のおともだちをしているのではありません。
アンリエッタ様のおともだちだからこそ、困っているアンリエッタ様を助けたいのです。
わたしにおともだちを助けるその力があるのであれば、わたしが役に立つというのであれば、喜んで
この身を捧げましょう」
「……ルイズ、だめね、一応わたしの方がお姉さんなのに、いまじゃ、あなたの方がお姉さんね」
「姫様……」
「ありがとう、ルイズ」

泣き笑いになったアンリエッタは、握った手を胸にかき抱いて、額をそっとルイズの額にくっつけた。
憑きものが落ちた様なすっきりとした囁き声がルイズの耳に入った。
至近距離でお互いの顔を見つめた二人は同時に笑いだした。
それは友情を確かめあった二人にとって、特別な笑い声だった。

「では姫様、猶予もあまりありませんので、明日朝早くにここを出発します」
「ルイズ……」

ゆっくりと立ち上がり、一呼吸置いてから、決意を新たにルイズが宣言した。
眩しいものを見るような表情で見上げていたアンリエッタが、ふと壁際に立つハジに気がついた。
この寡黙な青年は、何をしているのだろうか? と。
アンリエッタの視線に誘われてルイズもハジを見た。ハジは扉を見ていた。

「ハジ?」
「誰かいます、害意は感じません」

ハジの言葉で緊張が走る、厳しい顔をして杖を持ち頷いたルイズとアンリエッタをみてハジがドアを開ける。

いきなり支えがなくなったためか、金髪の少年が転がる様に入ってきた。
つんのめって手をついた少年は、きまり悪そうに顔をあげ、次の瞬間アンリエッタの前に恭しく片膝をついていた。

「ギーシュ!?」
「姫殿下! その困難な任務の一員に、このギーシュ・ド・グラモンを加えていただきたく」
「何言ってんのよ、ギーシュ。っていうかあんた聞いていたの?」
「話は聞いた! ぼくも仲間に入れてくれっ!」
「仲間って、あんたねぇ」

耳がキーンとなるような上ずった声で叫んだルイズに、同じく裏返りかけた声でギーシュが喚いた。
その迫力に一瞬圧倒されたルイズだが、胡散臭そうに顔を歪ませた。
ギーシュの日頃の行動を考えると、想像できることは限られてくる。

「あんた、ひょっとしてアンリエッタ様に何かしようとしてるんじゃないでしょうね?」
「失礼なことを言うんじゃない。ぼくは、ただただ、姫殿下のお役に立ちたいだけだ」
「だからって危険なことをしたらモンモランシーが心配するでしょう?」
「……」
「どうしたのよ? 何で黙ってるのよ」
「……」

ルイズの言葉にギーシュはそっぽを向く、ルイズが回り込むと、またそっぽを向いて、顔を反らす。
いい加減にしなさいよとばかりに、こめかみに青筋が浮き掛けた時、ルイズはふとひらめいた。

「あ、さては振られたのね?」
「う、うるさい! きみの使い魔のせいだぞ!」
「知らないわよ、そんなこと」

にやりと意地の悪い笑みを浮かべたルイズが、ぐさっとギーシュの傷を抉った。
つい最近できた真新しい傷に思いきり塩を塗りこまれたギーシュは、なかば自棄になってルイズに喰ってかかった。
そんなやり取りを、微笑ましそうに、だけど奥歯に物が引っかかったような表情で見ていたアンリエッタが、
ぽんと手を打った。破顔して、ギーシュに向き直る。

「グラモンとおっしゃいましたか? ひょっとして、あのグラモン元帥の?」
「息子でございます。姫殿下」
「まぁ、あなたも、わたくしの力になってくれるというの?」
「ぜひとも、任務の一行に加えてください」

ギーシュは片膝をついたまま、キザったらしく胸に手を当て、深く頭を下げた。
アンリエッタは感銘を受けたように、両手を胸の前で組んだ。

「ありがとう。お父さまも立派で勇敢な貴族ですが、あなたもその血を受け継いでいるようね。ですが、
今回はわたくしの不徳が致すこと。その心意気は大変感謝いたしますが、やはり危険です」
「いえいえ、姫殿下。この青銅のギーシュ、妃殿下の為ならばこの命捧げて見せます」
「……わかりました、ギーシュさん、私からはこれ以上何も言えません。」

思わず、そのまま許可を出しそうになったアンリエッタだが、ふと我にかえってあわてて頭を振った。
この任務は、危険と隣り合わせであって、国の重鎮の息子を巻き込んだとなれば、問題になることは確実である。
たとえ志願してきたとはいっても、そんなことに巻き込むわけにはいかない。
だが、結果的にはギーシュに押し切られてしまった。

「姫殿下がぼくの名前を呼んでくださった! 姫殿下が! トリステインの可憐な花、薔薇の微笑みの君がこのぼくに微笑んでくださった!」
「はいはい、それはもういいから」

ルイズは任務のことがすっかり頭から消えて、アンリエッタに名前を呼ばれたことだけで、
舞いあがっているギーシュを見て、頭を抱えた。こんな能天気な人間を連れて戦場に行っていいのだろうか。と。

ハジはそんな少女達のおままごとのような、無邪気な語らいをじっと見ていた。
この少女たちは”戦場”の恐ろしさを知っているのだろうか。人を殺すことの恐ろしさを知っているのだろうか?
凄惨な血の恐怖を、理不尽な死の惨たらしさを。
いくつもの戦場を歩き、いくつもの死を見てきた青年は、壁にそっと佇む。
ふと窓に目を向ける。窓から見える月は、流れる雲に隠されていた。
暗欝たる予感をそれが事実だ。と告げるように。

風が流れていく。