和卓をはさんでアサシンと私が向き合って座っている。
目の前に、時代劇から抜け出てきたような、長い髪を無造作に後ろで束ねた若い侍のサーヴァントが壁を背に正座しているのが信じられなかった。
敵地にいる筈なのに、緊張の欠片も表情も出さずに、涼やかな目がこちらを見ていた。
気負いもなにも感じない、その振る舞いは確固たる自信の裏付けによるものなのだろう。
私を守るように私の横に立っているセイバーは、武装はしたままで硬い表情を崩していない。
何かあればすぐに対応できるように、見えない剣も抜いている状態だった。
そんな中、アサシンのサーヴァントは大太刀を自分の前に横に置き、敵意はみじんも感じられなかった。


Chapter 21 Side-A 流会・凛


「で、なんの用かしら?」
自然と声が固くなる。この場のリーダーは何故か私。士郎に任せるのは不安だし、セイバーもサーヴァントと言う存在を自覚しているのか、私の方針に口を出してくることはない。

「とりあえず、今この場では死合うつもりは毛頭ござらん。セイバー殿。剣を納めてはもらえぬか?」
「アサシンのサーヴァントを信用するつもりはありません。」
「いや、セイバー、信頼していいと思う。佐々木小次郎と言う人物は不意打ちをするような人物ではなかったはずだ。」
セイバーを見上げてアサシンがゆったりした口調でしゃべりだす。
表情も声も硬く答えるセイバーの声に異論を返したのは士郎だった。

「士郎!? あんた何でアサシンの真名を知ってるのよ?」
「おや、少年に名乗った記憶はなかったと思うが……そうか、セイバー殿から聞かれたか。」
「あっ、そう言えばアサシンの真名を伝えてなかったですね。」

セイバーが呆けた顔をしながら、ふざけた台詞を吐く。あ、しまったと言う表情をしながら、錆びついたドアのようにギギギっとこっちを向く。あら、そう、自分の失言が分かったのね。

「セ・イ・バーーー? なんでそんな大事なことを忘れるのかしら?」

「え、い、いや、あ、あの、その、そ、そうです。いろいろとドタバタして忙しかったのです。そうです。」

語尾を上げながら言った台詞に対して、セイバーが慌てて両手を振りつつ徐々に後退していく。

「はっはっはっは、いや、愉快。」
その様子を見ていたアサシンに笑われて毒気が抜けた。
……命拾いしたわね、セイバー。

「しかし、士郎殿と申されたか、お主、よく私の真名が分かったものだ。」
「それ”物干竿”だろ、備前長船長光。そんな刀を振り回す侍と言えば佐々木小次郎しかいないはずだ。」
「私の刀を知っておったのか。いかにも。私は佐々木小次郎と申す武芸者なり。」

不思議そうに士郎に尋ねるアサシンが、士郎の言葉を聞いて我が意を得たりと言う感じで膝を叩いて顔をほころばせている。やっぱり、自分のことを知っている人がいるって嬉しいものなのかな?

「……つかぬことをお伺いしてよろしいか? 士郎殿。お主は名のある刀匠に連なる出自の者とお見受けするが?」
「いや、俺は……ただの魔術師だ。」
「正確には魔術師見習へっぽこ1号ね。」
「とおさかぁ~」
「何よ、本当のことじゃないの。」

士郎が逡巡しながらも、自分から魔術師って宣言するところを見てなんとなく釈然としなかった。
そうこうしている間にそ~っとセイバーが隣に座ってくる。
ちらっと横目で見たが、目線が合うと慌ててアサシンの方を向いた。
そんなに恐がらなくてもいいじゃないの。

「そうか、失礼した。刀を鍛え刀を包み刀と共に生きる。刀匠が持つ特有の気。そのような物が見えたのでな。魔術師殿であったか。」
「刀は侍の魂ということは分かってるけど、ちょっと見せてもらってもいいか?」
「ふむ、本来は触らせることもないが、お主であればよかろう。」
「ありがとう」

士郎がアサシンから刀を受け取って、士郎が固まった。なんだろう。そんなに重いのかな?

「アサシン。苦言を申しておきますが、宝具を気安く敵マスターに預けるのは感心しません。いきなり攻撃を加えられたらどうするのですか。」
「おや、お主のマスターはそのような姑息な手段を使うのか?」
「いえ、シロウに限ってそんなことはありません。」
「ならば良いではないか。私の刀はただの刀であって、神秘などとは程遠い物よ。特に貴重でもない故な。」
「な、あなたは宝具でもない、ただの刀で私の風王結界とやりあったのですか?」
「お主の剣のことか? まあ、そうなるな。」

隣に座っているセイバーの方から息をのむ音が微かに聞こえてきた。険しい表情をしているところを見ると、士郎から聞いたアサシンと戦いで何か感じるものがあったのだろう。
ま、なにはともあれ、脱線はよくないわね。そろそろ本題に戻さないと。

「で、世間話はいいわ、アサシン。なんでここへ来たのかしら? 貴方にとっては敵地のはずだけど?」

アサシンは士郎から刀を受け取りながら微妙な表情でこちらを向く。士郎はそのままキッチンの方に向かったのが目の隅に入った。
ほぅっと一息ついてから口を開いた。

「そこなセイバー殿と黒衣の魔人殿と面識があるゆえ。が、一の理由。」
「黒衣の魔人って、ひょっとしてアーチャーのこと?」
「魔人…ですか? 確かに彼は魔人だ。」
「セイバーまで何言ってるのよ。」
「おお、彼の者はアーチャー殿か。」
「って、いつアーチャーと会ったのよ。っていうか戦ったわけなの? いったい何してるのよ。」
「柳洞寺に参られたのは昨夜だな。」
「へ?」
「昨日の夜だ。」
「昨日の夜って、士郎が公園で死にかけた後?」
「たしか、あの後、散歩に行ったと記憶してますが。」
「あっきれた。石化しかけた後じゃないの。」

アサシンは歯の奥に挟まった骨が取れた時のようにすっきりした表情をしていたが、たぶん、私は呆けた表情をしていたと思う。確かに散歩に行くといって出て行ったアーチャーを止めなかったのは私。でも、いきなり柳洞寺に行って勝手に戦うなんて想像だにしなかった。
まあ、桜の捜索を依頼してるから仕方がないとはいえ……。

「何もないけど、お茶とお茶受けだ。」
「いや、かたじけない。」
「士郎、なにのんきにお茶なんか出してんのよ?」
「いや、お客さんだし。」
「お客さんじゃないでしょ。あんた、こうみえてもアサシンのサーヴァントよ? 私達の敵なのよ? そこんとこ分かってる? 理解してる? 把握してる?」

私の思考を邪魔した士郎は、アサシンにお茶とお茶受けの羊羹を出していた。
セイバーも士郎の出した羊羹を口にくわえていて、思わずがぁっと怒鳴った私が馬鹿みたい。

「で、この家はいつもこのように賑やかなのか?」
「まあ、遠坂とセイバーが暴れてるとそうだな。」
「士郎~~」「シロウ~~」
「あ、いや、ま、まて、悪い意味じゃないぞ、悪い意味じゃないから、ちょっと待て。そこ、魔力を込めるな、、剣を出すな。」
「いやはや、賑やかで良いことだ。私は門番故静かにたたずむだけなのでな。」

癪に障ったので盆を抱えて逃げようとした士郎に弱いガンドを打ち込んで黙らせる。
黙らせたと思ったけど、すぐにむくっと起き上がった。2~3時間は頭痛がして動けないくらいの呪を込めたんだけど……。
ええい、あんたはゾンビかっ。

「そうだ、柳洞寺にいたんだったら柳洞一成って分かるか?」
「宗一郎殿の弟御のような少年だな。」
「そうだ、今どうなっているんだ?」
「正直わからぬ。」
「え?」
「いや、わからぬのだ。今柳洞寺にいるのは、宗一郎殿とキャスター殿、それから私だけだ。」
「何? それ、どーいうこと? キャスターが糧にしたっていうこと?」
「いや、それも考えられぬよ。彼女はあそこを純粋に守ろうとしていたのでな。」
「へ? 守るって?」

いつの間にか和卓ににじり寄った士郎が固まった。ついでに私とセイバーも固まった。
え?何? キャスターが守る? 何を?

「それが私がここに来たもう一つの理由だ。」
「もう一度言ってもらってもいいかしら? どうもよく理解できなかったわ。」

「改めて、御挨拶申し上げる。私の真名は佐々木小次郎。此度、私は使者の命を受けて伺った。」
アサシンがさっと胡坐をかき、両手を膝の前につく。自然と此方に対して頭を軽く下げる姿勢になった。
そして真剣な声音で言う。

「で、話は何?」
「まげてお頼み申す。此度の戦にて、我らと同盟を組んでもらえぬだろうか?」

真剣な視線をまっすぐに受け止める。私を子供扱いしない、対等な相手として扱って来るアサシン。根っから純粋な人間性が見えてとれて、ちょっと居心地が悪い。なのでどうしても口調がつっけんどんになってしまう。

「は? 戦って聖杯戦争のこと?」
「然り。」
「貴方、聖杯戦争を勘違いしていないかしら? この戦争は殺し合いなのよ? 基本的に同盟関係なんてありえないわ。」
「しかし、現にお主はセイバー殿と同盟を結んでおるではないか?」
「う、そ、それは・・・。」
「その例外に我らも加えてはいただけないだろうか?」
「我らっていうと、あなたとキャスターが同盟するというのかしら?」
「………いや、キャスター殿は加わらん。いや、加われぬ。」
「詳しく聞かせてもらえるかしら?」
「承知した。」

アサシンは姿勢を元に戻し、お茶を一口含んでから話し出した。
セイバーを横目で見ると戦場に出るような真剣な表情をしていた。
だけど、この娘の表情って、ころころ変わるなぁ……。

「そもそも我らはサーヴァントとして呼ばれてはいるが、聖杯戦争自体参加するつもりもない。」
「はっ?」「なっ?」
「制約によってまるっきり聖杯戦争に参加しないことは叶わぬが、積極的に関与しないと言ったのだ。セイバー殿、アーチャーのマスター殿。」
「聖杯に呼ばれたサーヴァントが何言ってるの? 貴方のマスターも同じ意見なのかしら?」
「我らのマスター……と言っていいかどうか分からぬが、いずれも聖杯を欲しておらん故、戦争にも参加するつもりはない。」
「じゃあ、聖杯戦争が終わることないじゃない。」
「その意味でいうと我らは異端の者であるな。はっはっは。」
「で、同盟って何?」
「いや、簡単なことだ、我ら以外の聖杯を欲するサーヴァント、マスターを柳洞寺にて撃退、滅殺していただきたい。」

アサシンの言葉は居間に爆弾を放り込んだ。サーヴァントがサーヴァントたる役目を放棄するなんて。そんなことがあってもいいの?
それも2人とも。
アーチャーを入れると3人。イレギュラーな8人目をいれると半数のサーヴァントが聖杯戦争のサーヴァントとして機能していない。
なんてこと……。

誰も言葉を発しない空気を破ったのは固いセイバーの声だった。

「それは賛成できません。私は聖杯を望んでいます。」
「セイバー殿は聖杯を求めるか。」
「私はその為に召喚に応じました。聖杯によって私の願いをかなえるために。」
「とすると、最後の一人になるまで戦い抜くと?」
「当然です。」

セイバーは断言した。聖杯を求めると。でも、私には分かった。この言葉には微かな迷いがあると。
その言葉を聞いたアサシンはじっとセイバーを見ていた。セイバーもその視線を真っ向から受け止めていた。
視線による鍔迫り合いに負けて視線を外したのは彼の方だった。
彼は一つ大きなため息を吐いた。

「……仕方あるまい。時に士郎殿、この家に電話なるものは?」
「ああ、あるけど? なんに使うんだ?」
「電話と言うものは離れた相手との会話に使うと存じているが?」
「いや、それはそうだけど」
「柳洞寺にかけていただけるか?」
「そりゃ、いいけど?」

へ? 電話?

「ちょっと待って士郎、それって黒電話でしょ? 、スピーカーなんて……ないわよね。じゃあ、仕方がないわね。ちょっと貸して。」

士郎が持ってきたのは黒電話だったので、会話が皆に聞こえるように音を増幅させてっと……

「これでいいわ。」
「何したんだ?」
「振動を増幅させただけ。」

士郎は不思議そうに電話をかける。あんた、魔術師でしょ? そこで不思議そうな顔をしないでよ。
特訓のメニューに最低限の魔術を追加しないといけないわね。

『はい、柳洞寺社務所。……衛宮士郎か?』
「え、あ、あの、はい、その声は……」
『葛木だ。衛宮から電話と言うことはアサシンとの会話は不調に終わった訳だな。』
「な、なんで、先生がアサシンって……」
『む、その声は遠坂か? その話は後だ、アサシンに代わってもらえるか?』

電話に出た相手に意表をつかれて、素っ頓狂な声が出た。でも声で判るなんて、流石に先生ね。
……なんか、忘れてるような。
あ、やば、葛木先生って倫理担当じゃないの、同居とか同棲とか男女が一つ屋根の下とか不純異性交遊とか。
まずい、まずいわ、言い訳考えておかなくちゃ……って、なんでアサシンって?

そうか葛木先生がマスターか。
えええええええええぇぇぇぇぇ~~~

士郎がアサシンに受話器を渡して、使い方を教えている。
「ほう、このように遠話ができるとは電話とは便利なものだな。」
『で、協定は不調か?』
「いや、キャスター殿に出ていただこうかと思ってな。」
『ふむ、少し待て。』

……アサシンとの会話を聞いて覚悟を決めた。先生は倒すべきマスターの一人。私に魔力を感じさせないで生活していたところを見ても、キャスターやアサシンを平然と扱っているところを見ても、凄腕の魔術師と判断するしかない。厄介だわ。

『アサシンですか?』
声が遠くて聞き取れなかったけど電話の向こうで葛木先生の会話の声が聞こえた後、若い女性の声が聞こえた。
声は奇麗な響きをしてるけど、ちょっとくぐもって聞こえる。さっきの葛木先生の声からしても受話器のせいでは無さそう。となると声自体がくぐもってるのね。
この声の持ち主がキャスターか。大急ぎで過去の有名な声とかに特徴のある魔女を検索してみる。駄目、これだけだとわかんない。

「ふむ、やはりセイバー殿で引っかかったな。」
『そう、じゃあ、セイバーと代わっていただけるかしら?』
「あー、こっちは全員に聞こえてるからいいぞ、そのままで。」
『あら、やだ、そうなの? 便利なのね。で、あなたがセイバーのマスター君ね。』
「おう」
『うふふ』

キャスター達は私達の反応を予想していた様だった。
となるとかなり私達を調査しているということになる。アサシンを此処によこしたことも含め、サーヴァント達の戦力もばれていると思った方がいいかもしれない……。
いけない、こちらも相手の状況を探っておかなきゃ……。相手の本音を探るには、怒らすことがてっとり早いわね。どうせ最初から敵だしね。

「で、魔術師のサーヴァントたる存在が魔術も使わずに機械に頼るなんてどういうことかしら? ひょっとして魔術を忘れちゃったとか?」
『その声は、もう一人のマスターさんね?』
「アーチャー殿のマスターだ。」
アサシンが横から口をはさむ。

『あら、そう。アーチャー? ……まあいいわ。』
「で、このふざけた提案は何かしら? サーヴァントとしての存在理由を否定する最低の提案ではないの?」
『そう思うの? アーチャーのマスター。貴方は、そんなに聖杯が欲しいのかしら? 本当にそんな訳の判らない物を必要としているのかしら?』
「当然でしょ?」
『であれば私の人の見る眼も腐り落ちたってことかしらね。』
「頭も腐ってしまったのではなくて?」
『おーほほほほ、あら、いやだわ。どこからか、聖杯がないとやってけませーんっていう三流魔術師の泣き言が聞こえたわ。』
「なんですって!? 私が三流ですって? 」
『あら? 私は一般論を言ったつもりだけど、それに反応するあなた三流なの? それは大変ごめんあそばせ。そうねぇ一流ならば、自らの力のみで目的を達成するものよねぇ。便利な他人の力にしか頼れないようでは三流、いえ、親離れできていない雛鳥と一緒だわ。ねぇ雛鳥さん。』
「ふんっ、私はそんな力なんかには頼らないわっ! 私自身の力で道を切り開くわよ。」
『あら、そうなの? だったら、聖杯は必要ないわね。一流の魔術師さん。』
「あ゛」

あ、しまった。ついうっかり売り言葉に買い言葉で反応しちゃった。やっちゃった。

『うふふ、ごめんなさいね。』

勝ち誇ったキャスターの口調に腹が立つ。

「うううぅぅぅ」

私が怒りに震えていると、後ろで士郎とセイバーがこそこそと囁き合っている。
「すげ、遠坂が言いくるめられてる。顔が真っ赤になってきてるぞ。」
「凛を丸め込むとはなんと恐ろしい。さすがにサーヴァントの一角ですね。」
「どうしたんだろう、遠坂がぷるぷる震えてる。寒いのかな?」
「いえ、シロウ。あれはですね、策士、策におぼれる典型ですね。挑発して相手から冷静さを奪おうとして、逆に奪われたのでしょう。凛は感情が素直ですから。」
「なるほど。」

「そこの外野!! うっさ~~い!!」

ガンドを連射して黙らした。

「シロウッ! シロウッ! しっかりしてください。」


『ずいぶんにぎやかね?』
「うるさいわね。確かに、私は聖杯なんかは必要としていないわ。だけど、負けるのは嫌よ。最後まで私は勝ち進むわ。」
『そう? だったら、そこにいるセイバーとも殺し合うのね。あなたは。』

キャスターが鋭くとがった言葉のナイフを突き刺してきた。
一瞬びくっとなる。後ろで騒いでいたセイバー達も動きが止まった。
空気が鉛の様に重く固まって行く。

「……ずいぶんと此方の事情に詳しいわね。」
『あら、魔術師たるもの、情報収集は必須ではなくて?』
「くっ」

だめ、キャスターに主導権を握られてる。
キャスターは矛先をセイバーに向けて言った。

『どう、セイバー。あなたは聖杯が欲しいと言ったわね。あなたは聖杯のためにアーチャーのマスターを殺すのかしら?』
「そ、それは…」
「ば、馬鹿なことを言うな! セイバーが遠坂を殺すなんて、ありえないし、まちがってもそんなことはさせない。」
『あら、元気で可愛いわね。じゃあ、あなた方は聖杯をあきらめるのかしら?』
「………」
『矛盾よねぇ、聖杯で叶えようとする望みがいかに崇高でも、それを手に入れる為には私利私欲の為の殺し合いが必要になるの。
友人を殺し、信頼する人を裏切り、最後に残った一人だけが手に入れられる聖杯。裏切った後は虚しい世界が待っているだけだわ。本当に。
聖杯を手に入れたとして、他人の願いを打ち砕いて自分だけの願いを叶えるわけね。じゃあ、そんな私利私欲の果にかなえる望みって、本当に素晴らしいものなのかしら? まあ、聖杯でかなえる望みが愚劣なものであるならば別だけど?
どう思っているのかしら?
セイバー、あなたは剣の騎士。アサシンの印象からだと、高潔な騎士のようね。だとすると望みは自分以外の誰かに尽くすこと、死んでしまった友人、知人の復活とか滅んでしまった町か国の立て直し、ぐらいかしら?
改めて聞くわセイバー。その為にそこにいるアーチャーのマスターを殺せますか?』
「私は……」
一息に言ったキャスターの荒い呼吸音が電話を通して聞こえてくる。でもキャスターの質問は論理のすり替えであって、まともに答えてはいけない。
無視しないといけないと分かっているのに、呪いのように胸に突き刺さる。でも、このままセイバーに喋らせてはいけない気がした。

「セイバー、その問に答える必要はないわ。何が言いたいの? キャスター。私達の間に不和の種を落としたつもりかしら? 残念だけど、聖杯を得るためには、わざわざマスターを殺す必要なんてないわ。」

心の呪いを断ち切るように固く冷たく言い放った瞬間、電話の先から異様な音が聞こえた。
水気の多いゴミ袋を落としたときのような、そんな感じの音。

ぐちゅん、べちゃ。

向こうの受話器が固い物にぶつかったような大きな音と、遠くに葛木先生の声がした。
『キャスター。無理をするな。』
『疲れました。宗一郎様、少し……』
『うむ、後は任せておけ。』
『……』
『遠坂と衛宮。すまないが、一旦電話を切る。』

「どうしたんだろう?」
「わからないわ。」

心配そうな声が聞こえたあと電話が切れた。葛木先生の言葉に感情の色が見えるなんて、初めてかもしれない。キャスターも何かトラブルを抱えていそうね。
セイバーが苦虫をつぶしたような表情を此方に向ける。
士郎が心配そうな表情を此方に向ける。

直後、大地が鳴動した。
震度は3程度、すぐ収まったし避難するほどの地震ではないけど、直下型のような、がんとくる振動だった。
「地震なんて、珍しいわね。ここんとこなかったのに。」
「そうだな、高校に入ってから地震って記憶にないぞ?」
「はて、先日地震があったではないか。覚えておらぬのか?」
「そうだったかしら? 記憶にないわ、アサシン。」

そこまで会話して、おやっと思った。セイバーは?

「セイバー?」

セイバーの方を見ると、涙眼になって硬直していた。
「凛、今のはなんですか。大地があんなに揺れるとは、世界の終りかと思いました。」
「何、大げさなこと言ってるのよ、地震なんて珍しくないわ。」
「そうなのですか。私は初めて経験しました。」
「そっか、セイバーは地震の経験がないんだ。」
「ええ。あれが地震ですか…恐ろしい。」

士郎がセイバーに寄って肩を叩いて、大丈夫だから。とか甘い言葉を吐いているのを見ていると、アサシンが意を決したように此方に向き直って口を開いた。

「アーチャーのマスター殿。話を戻すことになるが、一つ聞いてほしい。」
「なにかしら?」

アサシンの雰囲気に巻き込まれるように私も姿勢をただす。

「キャスター殿の望みは平凡なものだ、逆に平凡すぎて彼女には手に入らなかったものでもあるがな。」
「あなたはキャスターの望みを知っているの?」
「然り。彼女の望みは、愛する家族と平和に日々を過ごすこと。それゆえ、愛する宗一郎殿や、家族と思っている一成殿に危害を加えることなどありえんし。聖杯を求めることもない。」

「えっ……そんな……」
「……そんな望みだったら、聖杯はいらないな。確かに。」
その言葉にセイバーと士郎が絶句する。

「たしかに、それだとするとキャスターは殺されるわけにも行かないわね。でも、キャスターが残っていると聖杯戦争は終結しない。そうなるとキャスターを倒して葛木先生と柳洞君の記憶を消すしかないわね。」
「おい、ちょっとまて遠坂、記憶を消すなんて。」
「仕方がないでしょう? だったら衛宮君は聖杯がいらないの? セイバーに聖杯をあきらめて帰ってもらうの?セイバーは聖杯をあきらめれるの?」

キャスターはほんとによく、私達を研究しているわ。敵ながら見事と言うしかないわね。どこかに監視のための使い魔でも飛ばして逐一チェックしていたとしか考えられない。その使い魔の存在すら私には判らなかった。

「凛、それは……」

セイバーが困った顔をする。その顔を見ながら、唐突に気がついた。

「どっちかしか選べないんだから仕方がないじゃない。……参ったわね、キャスターはこれを狙っていたのね。やられたわ。あなたも余計なことを喋ってくれたわね、アサシン。」
「余計だったか?」
「ええ、とっても。いえ、キャスターはこれを見越していたのかしら?」

最弱のキャスターの評判は間違っている。確かに戦闘に関しては最弱かもしれないけど、総合力では引けを取らない。
今まで、なぜ戦闘のエキスパートがそろっているサーヴァントの中にキャスターがいるのか不思議だった。
戦闘では最弱かもしれないけど、戦闘の駒さえあれば、戦争の中では決して弱くない……。

「なんだよ、遠坂。キャスターが何を狙ってるんだよ?」
「一つ聞くわ、衛宮君、あなたは今キャスターを倒せる?」
「えっ、そ、それは……」
「じゃあ質問を変えるわ。私がキャスターを倒そうとしている事に協力できる?」
「ぐっ……」
「セイバーは?」
「……私は、倒せます。協力できます。」

そう、士郎とセイバーは基本的に弱者にやさしい。悪辣なサーヴァントではなく、ごく普通の望みを追い求めているキャスターの姿を知ってしまったら、しかもその相手が知り合いだったら……士郎はもう戦えない。
最悪、キャスターを守る士郎と、敵対することになるかもしれない。

「そうよね、悩むわよね。でも戦闘中の迷いはちょっとしたものであっても致命傷になるわ。まいったわ……最悪、今の協力関係も解消せざるを得ないかもしれないわね。」
「遠坂、なんてことを言い出すんだ。」
「仕方がないでしょう? サーヴァントを倒さずに聖杯を求めることなんて出来っこないわ。セイバーの望みをかなえるためには、ここにいるアサシンやキャスター、それから私のアーチャーも倒さなければならないのよ?」
「でも……」
「”でも”じゃないわ、衛宮君。キャスターを守るためにセイバーに聖杯をあきらめてくれ。なんて言えないでしょ?」
「凛……」
「魔術も使わず、言葉だけで此処までひっかきまわすなんて、甘く見ていたわキャスター」

親指の爪を噛む。どうしよう。最後まで先延ばしにしてきた難問をこんなところで出しちゃった。失敗かぁ……。
3人とも視線を合わせず、和卓を見ていた。
誰かが声を出した時点で、今の関係が崩れそうな気がして、誰も声を出せなかった。


「アーチャーのマスター殿。」
「何っ?」
少し思いつめたアサシンに対して、知らず知らず固い声が出た。
「キャスター殿は口が悪いし、性根も黒いが、此度の同盟については策略など一切ない。」
「それが証明できるのかしら? できなければ私達も納得できないわ。」
「確かにそうであろう。心して聞いてほしい、これはキャスター殿には口止めされておったのだが、この御に及んでは隠すべきものでもなかろう。」
「もったいぶって何よ。」
「詳細な場所までは聞いていないが聖杯システムの起動式の根幹は柳洞寺にあるらしい。」
「なんですって?」

士郎とセイバーも同時に顔をあげる。二人の呆けた顔はちょっと見ものだったが、たぶん私も似たようなものだっただろう。

「その起動式をキャスター殿とお主で研究すれば、聖杯の降臨も可能ではないのか?」
アサシンからの助け船は正直ありがたかった。このままいけば緊張に耐えきれなかった。
しかし、キャスターがそこまで聖杯について詳しいとは……。

「確かに、そんなことが可能だったら、キャスターと同盟を組みつつセイバーの望みをかなえることができるわ。」
「遠坂!」
「でも、聖杯戦争の枠組みを変えるようなことが可能とは考えられないわ。」
「おや、アーチャーのマスター殿、お主は一流の魔術師ではなかったのか?」
「ぐっ」

アサシンに言いくるめられるとは。と思っていたら

「ぬ。いかん。」
そういって唐突にアサシンが消えた。


「え? 今のは空間転移?」
「凛、今のは令呪で呼ばれたのだと思います。どうしますか? 追いますか?」
「遠坂! 早く行かないと。」
「待って。確認させて。
令呪で呼ぶってことは緊急事態。柳洞寺が別のサーヴァントに襲撃されたと判断するのが妥当ね。で、私たちはキャスターを助けるの? それとも放っておく? 放っておけばサーヴァントが減って確実に聖杯に近づくわ。」
「遠坂、何迷っている。キャスターを助けるのに決まってるだろ。」
「衛宮君、自分でなに言ってるか分かってる?」
「分かってるつもりだ。少なくとも、葛木先生が殺されるかどうかの瀬戸際だ。」
「……嫌な所から突いてくるわね。」
「師匠がいい奴だからな。」

士郎が笑った、その純粋な笑顔が私にはまぶしかった。
幾分緊張の和らいだセイバーの方を見る。

「セイバーもそれでいい?」
「ええ、今はマスターの判断を尊重します。」
「今は、ね。問題が先送りになってるけど?」
「その通りですね。ですが、今は和平交渉の途中です。決裂するにせよ受諾するにせよ、使者が中座しただけです。交渉事は最後まで、はっきりさせておきたい。」
「分かったわ。準備するから、士郎は足の確保をお願い。セイバーは先行して柳洞寺に行ってもらえるかしら?でも、戦闘する時にはほどほどにね、無理に勝つ必要もないわ、手ごわい敵だったら速やかに撤退すること。いい?」
「おう」「分かりました。」
士郎とセイバーはいきいきと勢いよく外に飛び出して行った。
体育会系バカ二人は、鬱屈した空気を弾き飛ばしてなにか体を動かしたかったのだろう。

同盟関係の崩壊が辛うじて先送りになった。でも、本当の意味で問題は解決していない。
自分の部屋に向かって走りながらそう感じていた。
アーチャー、早く帰ってきてよ。私だけでは判断しきれないわ。
信頼できる人ができると弱くなるのかな。これは甘えかな。今までは自分ですべて判断してきたのに、アーチャーと出会い、セイバーや士郎と共に生活するようになった今は決断するのが怖い……。
私は聖杯戦争を経験して弱くなっているの……?


Chapter 21 Side-B 流会・桜


ふと気が付くと中央公園にいた。
周りは誰もいない。というより、生命の気配すらない。

「今日もやっぱり……。」
今日も夢の中で私はたくさんの人を殺した。
断片的にしか、記憶がないが影が伸び、人に巻きつき、あるいは覆い尽くし、後にはなにも残らなかった。
同時に胸の奥の熱い痛みがどんどん大きくなっていく。体も熱病にかかったように熱い。

”私”は夢と思っているけど、今の様にふと我に帰るとき、夢と感じているモノが現実であることを知る。
夢遊病なのか二重人格なのか判らないけど、”私の体”がやったことには違いない。

月明かりの下、手首までのAラインのドレスの様に黒い何かに覆われているなか、地肌が露出している自分の両手を見る。
その手が真っ赤に血塗られているようにみえた。
「いやっ!」
熱い物が頬を伝って両手に落ちる。

夜空を見上げると銀色の月は冴え冴えと輝いている。
その銀光にさらされながら、そのままこの身を焼き尽くしてくれればいいのに。と思う。
同時に、なにがあっても生きたい。先輩と一緒に生きていきたい。という浅ましい願いも乱舞する。

神様という存在が居るのであれば、助けてほしかった。

私は親に売られ、穢され、道具にされた。それでも、怪物ではない、まだ人間だと思いたかった。

振り払うように頭を振る。

知らない間に沢山の人を殺しただろう、先輩も殺しかけた。それでも、怪物ではない、まだ人間だと思いたかった。

頬を止め処もなく涙が流れる。

姉さんは私と違って光り輝いている。今は先輩の所で暮らしているとも聞いた。
私は、売られた身。助けを呼んでも誰も助けてくれない。
いつか姉さんが助けてくれる。そう思っていた。でもここまで穢れた私はたとえ姉さんであっても助けてはくれないだろう。

ライダーは私を助けてくれると言った。何があっても死ぬな。とも言ってくれた。こんな穢れた私でも、手を差し伸べてくれる人はいた。
嬉しかった。死ぬほどうれしかった。

ぽつり、ぽつりと涙が地面を濡らしていく。

その時、地震があった。
体ががくんとなるほどの直下型の地震だった。
思わず地面にへたり込む。
すぐに収まったが、大地が私の願いを叱った様に感じた。

――お前はなぜ生きている。と。

でも、私は生きていたいんです。助けて欲しいんです。声に出して人に頼れないけど、心は張り裂けそうにそう叫んでいた。
学校生活でも、先輩の所でも、いつも心の奥底でそう叫んでいた。
両手で地面を握りしめ、うるむ眼で再び月を見上げる。

――おまえはなぜ生きている。月がそう言っているようにみえた。

怖かった。
自分でない自分が怖かった。
闇が怖かった。
突き放されることが怖かった。
暖かい生活がなくなるのが怖かった。
そして先輩と離れるのが怖かった。

朦朧とする意識の中で私は叫んでいた。

「誰か、助けてください……」

意識と異なり、つぶやくような声だが、初めて助けを求める声が出た。誰もいない、誰も聞いていない月夜の公園で。


ビシッ
何か音がした。形容のし難い音。強いて言えばぴんと張り詰めた紙にナイフを突き刺したような音。

その音が、いやがおうにでも耳に入ってきた。同時に背筋が寒くなるような魔力の奔流を感じた。
心のどこかで警戒音が響いた。はっと顔をあげる。

そして見た。月光の下、私の前にそれは唐突に現れた。何もない空間から抜き手の様に指をそろえた白い手が。恐ろしく整った繊細な指が。
ただの手なのに、その美しさは美術館で見た古代の彫刻よりも美しいと感じた。

その手が無造作に縦に空間を薙ぐ。
耳をつんざくような空間の悲鳴が聞こえ、思わず耳を塞いで目をつぶる。
おそるおそる、手をはずし、目を開けると信じられないモノがそこにいた。