最近、物騒だ。

TVをつけると冬の寒さに加え、人々の心を重くする暗いニュースが連日飛び交う。

昨今の通り魔事件、穂群原学園のガス中毒事件。

全国ネットの放送では、突然降ってわいた政治家の不倫疑惑や裏金事件などの新しいニュースソースで大賑わいであり、冬木市関連の報道は下火になっている。しかし、地元住人にとっては現在進行形で心を重くする要因であった。

それに……最近、どこかおかしい。
これといっておかしい所はないが、それでも何かおかしい。

……何故か今までにないくらい、いらいらして短気になる。
……何かの気配がして、妙に薄ら寒くなり暖房器具を無意味に強にしてしまう。
……赤ちゃんが唐突に泣きやんだり泣き出したりする。明らかに今までと違う調子で。
……子供が怖い夢を見たと泣きながら、収まったはずのおねしょをする。
……いつもはおとなしいペットが暴れる。
……カラスが何十羽も雀のように集まって身を寄せている姿を見かける。


――何故か夜が、闇が怖い。

冬木市の住人は口には出さないが、そう感じていた。

人々は夕闇が迫ると足早に自分たちの領地へ戻り、暖房を強め家族と寄り添う。
暗い闇で息を殺して寄り添って夜を過ごしていた、無力だった頃の太古のDNAがよみがえったかの様に。

夜の街は人の気配が薄くなっている。

――そして、地震

深夜放送を意味もなく見ていた人の少数は気がついた。
が、機器か何かの故障だろうと深く考えることを放棄した。

地震速報が一切出なかったことを。

そして、誰も気がつかなかった。
冬木市以外の地域は一切揺れていなかったことを。


闇は静かに立ち込める霧の様に冬木市を侵食していく。


Chapter 23 錯雑 Side-セイバー


人気の無い深山町の道路を、電柱を、そして、屋根を風切り音だけを残して白銀の閃光が夜の闇を切り裂いていく。
その閃光は柳洞寺を目指し、突き進んでいた。
彗星が地に舞い降りたかのように、鎧を纏った少女が最短距離を疾駆する。

美しい少女の顔に迷いの雰囲気を乗せ、セイバーはただ、駆け抜けていた。

(私は間違っているのだろうか?)

表情を若干曇らせているのは、これから戦いに赴くため。ではなく自分の想いに細かいヒビが入ったためだった。
”前回”は必要以上にマスターとかかわることもなく、冷徹なマスターの元で勝利の為だけに、想いのためだけに邁進していた。私の存在はその為にある。私の目的は勝つ為にある。他の”敵”も同様だ。
そう思っていた。

幸運なことなのか、不幸なことなのかわからないが、前回の記憶を持つ自分にとって、今回はいささか勝手が違った。
お世辞にも成熟しているわけではない、というより純粋な少年のマスター。必要以上にかかわりを要求し、あまつさえ家族の如く我が身を扱うマスター。
そして、私より圧倒的に非力な身でありながら、私ををかばって死にかけるマスター。
およそマスターらしくないその姿が危なっかしくもあり、少々眩しくもあった。

自分がいた時代と異なり、戦乱のない平和な町。
戦乱を引き起こし、平和をかき乱しているのは、自分たち。
自分の願いを叶える為に、平和な地に争いをまき散らしている。

交差点を駆け抜け、風を切り裂きながら、心は深い思考の迷路に陥っていた。


(もし、やり直すことができたら、”私”はどうなるのだろうか)

(少なくとも”私”は”私”ではなくなり、あの時代で王ではなくただの騎士として終わることだろう。)
シロウや凛と会うこともなく、今得ている記憶、経験をすべて捨てて。
円卓の騎士達の記憶も捨てることになるのだろう。

そして、我が子の記憶。

(すべてなくなるのだろうか。)

『何の権利があって他人の過去を奪う?』
異質な黒い天使のようで魔人のような捉えどころのない、しかし、圧倒的な死の気配を漂わせたサーヴァントの言葉がよみがえる。

『彼女の望みは、愛する家族と平和に日々を過ごすこと。』
恐るべき和服に身を包んだ、暗殺者と言いながら剣士であるサーヴァントの言葉がよみがえる。

(私の記憶や感情などはどうでもいい。)
かぶりを振って雑念を棄てようとする。が、一度生まれたヒビは小さくなることはなかった。

(私の願いは、ひょっとして1を救うために10を犠牲にしているのではないのか?
……わからない。なぜこんなに私は迷っている?)

アーチャーとアサシンの言葉がリフレインする。

(しかし、しかし、しかし。)

(……でも)

(大勢の人間を助けるために、少数の犠牲を求めるのは仕方がないことだ。)

いかに敵を殺すか。言いかえれば如何に効果的に味方を犠牲にするか。
100の敵を倒すために100の味方が犠牲になるところを、50にし10にする。言いかえれば一人の味方を犠牲として死なすことで100人の敵を殺すこと。そうすることで死ぬはずだった99人が助かる。
それが戦争の本質であって、生ぬるい感情は不要だ。

(……この時代の価値観は私のいた時代と大きく異なる。それに……今の感情は仮初のものではないのか。)

(私の願いは選定のやり直し、より良い王にブリテンを治めてもらう。そして滅びから……)

(その考え方がそもそも間違っているのだろうか……)

奥歯をぎりっとかみしめる。

(なんであれ、今は忘れよう。これから闘いに赴くのだ。)

『過ぎたものは戻らん。』
今回の聖杯戦争の関係者の中で、一番大人だと思うサーヴァントの言葉が灰色の心の中に響く。

(アーチャー、あなたはすべてをそうやって切り捨てているのですか……それは、悲しいことだ……)


-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-


「うっ……」
思わず声が漏れた。
山道の下から見上げる柳洞寺は異様な雰囲気を持っていた。3日前に来た時も、かなり汚されていると感じたが。
月光が時折、雲に邪魔されゆっくりと明滅する闇に、山門の背後から仄かに紫がかった黒い燐光が立ち上るように見える。山道の下に居ながら、サーヴァントであるこの身が、じわじわとどす黒いものに犯されている様な気すらする。

石段を登りながら、その山頂を凝視していた。

「異質過ぎる。こんな雰囲気は今までに……っ!」
愕然とした。そう、異質過ぎる。以前来た時に、汚されていると感じた時でも、”違う”と感じたことはない。だが、今柳洞寺から漂う、息が苦しくなるような雰囲気、幾多の死体が織りなした戦場でも感じたことがないほどの死と魔の気配、それは正に僧侶が言う魔界や地獄の雰囲気を漂わせていた。
自分がとても矮小に感じてしまい、寒気と嘔吐感がわき上がる。

……世界が”違う”。

唐突に、そう思った。

でも、私は同時に感じていた。……知っている。この雰囲気を知っている。と。

一度だけ、この雰囲気を感じたことがある。

そう、それは……


「……ぬ。」

不意に山門の下からうめき声がした。上ばかり見ていたが知らない間に山門までたどり着いていたようだった。
私はその声を聞いて我に返った。仮に今、不意打ちをされていたら、確実に殺されていただろう。
柳洞寺の雰囲気にのまれていたらしい。これでは戦士として完全に失格だ、見習ですらしないミスを私はしていた。
とはいえ、あまりにも存在感が脆弱であったために気がつかなかったのも事実である。

こんなに注意力散漫ではいけない。と、両ほほを両手でばちんと叩いて集中する。

「……アサシン。」

声のした方を見降ろすと、そこにはアサシンが柱にもたれかかるように、四肢を投げ出して座っていた。ただ、全身が末端から石化されつつあり、胸に大穴があいていた。どう贔屓目に見ても、あと数分で去り逝くだろう。

「おお、その声はセイバー殿か。醜態を晒して済まぬな、もう目が見えないのでな、ぼんやりとしか判らぬ。」
視線は山道の方に向いたまま、軽やかに声をかけて来る。声だけ聞けば、ついさっきまで居間に座っていた時と何も変わらない。ただ、もう体を動かすことすらできないのだろう。
山門を守る。その責務を未だ果たそうとしている精神に、見知った騎士たちと同じ崇高な魂を見た。
しかし、私は今の姿とのギャップに言葉も出ず、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
彼は剣技において私を凌ぎ、その卓越した技術でもって唯の刀で私の”剣”を防ぎ切った。その彼が、このような状態に……。

「ライダー……、あなたですね。」
口の中でつぶやく。
あまりにもかすかな声はアサシンにも届かなかったのか、その言葉には反応がなかった。

「もう一度、お主とは刃を交えたかったが、それもかなわぬようだな。」
はははっと笑うアサシンを見て、どうしても抑えきれなかった。”他を知る”ということを。
もう残り少ないアサシンの時間を、そんなことに使わせるのを少し申し訳なく思いながら。

「ひとつ聞いていいですか?」
「何かな、麗しき花よ」
「あなたは何故、この聖杯戦争に参加したのですか?」
「何を聞くかと思えば。そうだな、風に吹かれて。と言っておこうか。まあ、特に理由なぞないな。」
「……」

アサシンのその回答に一瞬絶句した。理由もなく、望みもなくただ呼ばれたから参加したというのだろうか。

「では、聖杯で叶えたい望みも……」
「ないな。」
「では何故!!」
「それほどまでに理由が必要か? お主は堅いな。
人生は雲みたいな物よ。気の赴くまま流れていき、消えていく。おぬしも肩肘を張らずに有るがままを受け入れるがよいよ。なかなかに楽しいぞ。
……とはいえ、戯言で時間をつぶしてもいかんな。こんな事を言えた義理ではないがキャスター殿をよろしくお願いする。彼女は、なかなかにいじらしい乙女でな、微笑ましくも守ってやりたかったが、及ばなんだ。」
「……わかりました。それでは御武運を。」

剣を抜き敬意をささげた私に、アサシンが微笑んだような気がした。


Chapter 23 錯雑 Side-アサシン


眩しく輝く気配が奥に去っていくのと同時にどす黒い気配が舞い上がってくる。
「ほう、蕾であった花が、咲き始めたか。……いや愉快。惜しむらくは、仮初とはいえ私の命が尽きることか。咲き誇る華と舞うことができないのだけが残念だな。」

もう、月の光を感じることも風を感じることもできなくなった。唯一キシキシとした気配が身近に感じるのみ。

「さて、持って行くがよいよ。」
その言葉をきっかけに、気配がはじける。
アサシンの腹が裂ける。たまった血を吐き出すほどの気力も体力もなかった。ごぼごぼと呼吸に絡むのみ。
もたれかかった柱から横倒しに崩れ落ちる。

裂かれた腹から蜘蛛の如き奇形の腕が突き出る。骨が砕け、裂けていく。自分の身が別のモノに変わっていく。
(好きに持っていくがよい。所詮は我が腹より這い出るものであれば、ろくな性根ではなかろうよ)
言葉にも出せず。ただその運命を受け入れる。
そうして、ソレは召喚された。アサシンを血肉とし、その臓腑を糧にこの世に現れたモノは、紛れもない“暗殺者”のサーヴァントだった。
「キキキ、キキキキキ」
ずるりと這い出してきた、腹が減ったとばかりにソレは苗床となったアサシンの肉体を見つめる。
おもむろに石化していない腹部に抜き手を放ち抉り取る。口に運ぶ。
微かにケラケラと笑いながら肉を裂き喰らっていく。徐々に笑い声が大きくなりゲラゲラと骨を引きちぎり噛み砕いていく。
そうして“暗殺者”は自らの誕生を祝福した。
しかし、足らぬのか、未練がましい目を石と化した残骸に向ける。

山門の内側で膨大な気の激突にようやく気がついたのか一瞬だけ境内に目を向けた後、ケケケケケと哄笑をまき散らしながら暗闇に姿を隠し気配が消えていく。
後に残ったのは消えゆくアサシンの残骸だけだった。


Chapter 23 錯雑


セイバーは警戒しながら山門をくぐった。境内には誰もおらず、気配を感じた奥の離れの方に目を向ける。
「しかし、酷い。」
腐敗した果物の様な濃密な妖気に捲かれ、炎に捲かれ煙で燻されているような息苦しさを感じていた。

奥の方から何かの悲鳴が聞こえる。
一瞬の躊躇の後、境内を横切り本堂の屋根を飛び越え奥の離れの方に走る。

飛び込んだ先には、紫の長い髪をなびかせたライダーを従えた不気味な存在がいた。
巨大な蜘蛛……セイバーは見た瞬間そう思った。
ソレが器用に人間の同体を持ち服を着て、人間の顔をもっているのに気がついた時、その姿は神を冒涜してるとしか考えられなかった。

――なんとおぞましい。

そう感じ、同時にそのような姿の存在が許せなかった。

ライダーは少し離れたところで微動だにせず立ち、極力関わりになりたくないような雰囲気を身にまとっている。

蜘蛛のすぐ前の地面に目を向けると、打ち捨てられた操り人形のように、あらぬ方向に向いた四肢を投げ出した血だらけ傷だらけの男性が横たわっていた。
ぱっと見ても致命傷を受けており、セイバーの目には命の火はもう消えている様に見えた。そしてその男性に取りすがるように若い女性がへばりついていた。

そう、言葉通りへばりついていた。

胸より上はかろうじて形を保っているが、それより下の体は淡い燐光を放つゼリー状の物体で構成されており、実体を残しているその腕で掻き抱くように、男性の首に手を回し抱きついていた。

「なっ!」

異常な光景に思わずセイバーが声を漏らす。

その声に反応したように、器用に四肢を動かし蜘蛛の顔がこちらを向く。その動きが更に蜘蛛のイメージを強化する。
顔を向ける際に一本だけ不自由そうな肢に気がついたが、蜘蛛の顔の方に神経が集中した。
セイバーの方に向けた顔は、彼女が令呪で学校に呼ばれた時に一瞬見た顔だった。士郎の言う”シンジ”。そう認識していた。

「なんだよ、お前。また邪魔しに来たの? でも、もう遅いよ。」
慎二が顔に嘲笑を刻みながら嘲るような口調で吐き捨てる。

男性に取りすがっていた女性がセイバーの方に顔を向ける。青みがかかった髪を持ち女神の様な美しい顔を、奇妙に歪めていた。それは悲嘆の表情を無理やり無表情に抑え込ませようとして、失敗している様にしか見えなかった。そしてことさら冷たく言い放つが、語尾の震えは感情を如実に物語っていた。

「あら、セイバー、来たの? でももういいわ、さっさと逃げなさい。」

「……キャスター、ですか。」

「あはは、だめね、私。魔女が平凡な人生を願ってもダメなのね。結局こうなるのね。私と係わるすべての人の希望を裏切ってしまう。私がいると、その人は破滅してしまう。あははははっ」

セイバーがおそるおそる声をかけたことをきっかけに、少し擦れているが鈴のような声で、狂ったようにキャスターが哄笑する。しかし、その顔には光るものがあり、口調には隠せない程の深い悲嘆と諦念があった。
何と反応していいのかわからないセイバーは硬直したように立ちすくむ。
それを見たライダーはそっと顔をそむける。が、慎二は面白そうに目前のキャスターを見降ろしていた。

「……ぅっ、メ……ディア……。」
「宗一郎様っ!」
「…私は……破滅したと…は…思っていない。お前と…過ごした…時は、人生で唯一”人間”…として生きた日々だった。……すまないな。そして、あ……り………………。」
死んだように動かなかった男が呻くように擦れる声を上げると、キャスターは両肘だけで上半身をささえ、宗一郎の顔を両手で大事そうに包む。ほとんど光の無くなった目が、かろうじてキャスターを見上げて微笑んでいた。
そう長くはない生活の中でついに見ることのできなかった顔を、キャスターは今、瀕死の状況で見ることができた。
そして短いながらも自分の望みがかなっていたことを感じ、突如溢れてきた涙を拭くこともなく、溢れるままに宗一郎の顔を見つめる。
ぽたぽたと宗一郎の顔に落ち、その顔にこびりついた血が自分の涙で滲んでいくのを見たその顔は、聖母もかくやという微笑みを浮かべていた。
「……あはっ……こんな私でも泣けるのですね……
……宗一郎様……幸せな生活をありがとうございます。望みがかないました。
……私はあなたを愛しています……だから……だから……」
そして、命の火が消えかけている宗一郎に深いキスをする。

セイバーは声もなく、ただただその光景を見つめていた。

「感動的なシーンにメロドラマも真っ青だね。」
慎二がくだらないものを見たというように、ゆっくりと振り上げた足で、キャスターごと思いきり踏みつぶす。
ごりっと言う耳を塞ぎたくなるような音が宗一郎の命を骨と共に粉砕したことを示していた。キャスターもぴくりとも動かなくなった。

「まあ、魔術もまともに使えなくなってるキャスターなんか僕の敵じゃないね。あはははっ。」
「きさまーっ!!」

セイバーは神聖なものを汚されたかのように憤怒の表情で叫ぶ。目の前で哄笑を放つ魔術師を心底憎悪した。
確かにサーヴァントやそのマスターは”敵”である、が、目の前の蜘蛛の所業を目の当たりにしたセイバーは許すことができなかった。
利き足をまるで爆発したかのように踏み込み、地面をクレーターの様に抉り、魔力の奔流を迸らせながら、慎二に切りかかる。

紫の髪がゆらっと動いて慎二の前に移動し、突進するセイバーの前に立ち塞がった、
大地を割るようなセイバーの力任せの一撃を、ライダーは両手に持った釘剣を交差させて受ける。
ギイィンと耳を劈くような金属の激突音が一帯に響き渡る。圧倒的な力にライダーの足がたわみ歯を食いしばる。彼女の怪力をもってしても、セイバーの渾身の一撃は受けるのが精一杯だった。

「ぐっ。」
「ライダーッ!!!どけーっ!!」
セイバーは渾身の一撃を邪魔されたことで、やり場のない憎悪をライダーに叩きつける。

「なんだ、お前、こいつを助けに来たの? 敵のサーヴァントを? やっぱり衛宮に似てお人好しの大バカだね。じゃあ、ライダー。追加の仕事だけど、よろしく。」
ライダーの背後から嘲笑を含んだ慎二の声がする。その物言いにセイバーの柳眉が更に跳ね上がる。

「シンジ、先にも言ったとおり、私はマスターでもないあなたの言うことを聞くつもりはありません。」
「あ、そう? じゃあ、桜がどうなってもいいのかい? 僕が死んだら、桜はどうなるんだろうねぇ? ま、僕は別にかまわないけど?」
「……」
セイバーの剣にじりじりと押されているライダーに少し焦りにも似た感情がはじける。
そしてタイミングを見計らい、足で砂利をセイバーに蹴りつけ、同時に力を逃がして体を地面に転がして、その場を離れる。

セイバーは鍔迫り合いの力が抜けたことで、そのまま剣が地面を穿ち、土煙りを巻き上げながら大穴をあける。瞬時に体制を立て直し、ギリッと剣を構えなおして慎二を見る。
慎二はその時には既にジグザグに移動して少し離れた所に逃げていた。移動速度はかなりのものがあるようだった。
ライダーと慎二を両方視界に入るように体を向けると図らずもキャスター達を守って仁王立ちするような状態となった。

「セイバー、申し訳ありませんが、ここで倒されてください。」

ライダーが立ち上がりながら釘剣を構える。その姿を見たセイバーは憤りを感じずにはいられなかった。シロウという存在が己のマスターだったかもしれない。凛というマスターを身近に知っているからかも知れない。
その姿からすると、ライダーのマスターであるシンジは許容できる範囲を超えていると感じていた。
剣を両手で正眼に構えつつ、相手を詰った。
対するライダーは顔を隠す眼帯で感情を読ませずに冷たく答える。

「ライダー、貴方はあのようなマスターに使われるのですかっ!」
「何か考え違いをしているのではないですか? シンジはただの同行者にすぎません。私のマスターではありません。」
「戯言を。」
「信じていただく必要はありません。あなたは敵ですから。ではいきますよ。」

慎二がじゃりっと音を立てて移動したことをトリガにライダーが突っ込む。
紫の長い髪がまるで生き物のように舞い、瞬時に詰め寄って振り下ろされた釘剣を、見えない剣が受け流す。
絶妙の角度で突き出された風王結界が耳が痛くなるような金属音を残しつつ、滝のように魔力の火花を咲かせる。
一撃を受け流されたことでライダーの体が流れた瞬間、セイバーは体を回転しながら首を飛ばそうと切り返す。正確に首筋を狙った軌跡は、ライダーの持つもう一つの釘剣によって防がれる。が、回転を加えた衝撃は緩和することなく、まともにライダーを痛打する。
ダンプカーにぶつかったようにライダーの体が弾き飛ばされ、丸めた体が砂利を巻き上げながら建物の壁に激突する。

激突の衝撃で崩れた壁の破片を弾き飛ばしながら、飛び出したライダーは、蛇が飛びかかるような動きでセイバーに詰め寄って切りかかる。
待ち受けるセイバーの直前でフェイントをかけ横に回り死角から斬戟を放つが、セイバーは軽く一歩後ろに飛びながら、その斬戟を弾き飛ばす。
弾き飛ばされたことで体制が微かに崩れたライダーに目掛け、セイバーが突っ込む。斜め上段から振り下ろされた一撃を、ライダーはしなやかに体を投げ出しながら紙一重でかわす。

一瞬の攻防のあと、距離をとったライダーは己が不利を感じていた。かろうじて回避しているが、そのうち捕えられる。セイバーとの剣技の差を感じていた。

「どうしたのですか? ライダー。そろそろ覚悟はできましたか?」
「たしかに、剣技ではセイバーに勝てるはずもありませんでしたね。」
正眼に風王結界を構え、冷たい視線を送ってくるセイバーに対し、じゃらりと構えていた釘剣を下ろすライダー。

「……ところで、私のクラスを知っていますか? セイバー。」
「ライダーです。……む。」

何をくだらないことを、という表情だったセイバーが何かに気がついたように表情を改める。
そう、彼女はライダー。で乗騎は、学校で遭遇した時の……

「そう、ライダーです。ということで貴方には、全力をもって当たるしかないですね。」
そういった瞬間眩く輝く白い何かが現れ、ライダーを中空に連れ去っていく。

「まさか、それは……」
セイバーが絶句する。
そう、上空にライダーを連れ去ったのは、純白の毛並みに同じく輝く純白の羽を広げた天馬(ペガサス)であった。
神馬といってもいい、幻想種。神話の域の存在。
そのような存在を使役するライダーはまさに女神に見えた。

頭を振りつつ、剣を構えるセイバーは、上空を舞う白い存在を見て覚悟を決めた。
全力をもって当たらなければ勝てない。いや、全力をもってしても勝てるかどうか……
目の前に現れた本当の意味でのライダーはそれほど強力な存在感を放っていた。
逃げるという選択肢は既になかった。

ここで倒さなければ、必ずシンジはシロウと凛に牙をむける。それは阻止しなければいけない。

地表を睥睨していた、ライダーは白く輝く天馬(ペガサス)と共に稲妻の様に襲いかかる。
強大な魔力の激突と共に、波動が辺り一帯を揺らめかせる。
その一撃を受けたセイバーは、徒歩の不利を感じていた。かわすことすらできず、受けるしかない。
周りをにはいくつか建物があるが、基本的に平坦な柳洞寺の敷地は、天馬にとっては戦いやすい場所なのかもしれない。

上空から白い彗星が襲いかかる。

軌道は単純だが、旋回から突如として攻撃に移りセイバーに一撃を加えた後は速やかに上昇する。

再び、白い彗星が舞い降りる。

「ぐっ!」

今までのライダーの釘剣とは段違いの力に、受け流す度にセイバーの体が軋む。
攻撃の度に地面に大穴があき、建物が吹き飛んでいく。魔力の激突がセイバーの体に細かい傷を作っていき、血が滲んでいく。

「ハァ、ハァ、」
徐々に体力を削がれ、額から血を細い筋のように流しながら、全身で荒い呼吸を繰り返す。
風王結界を前面に風の防壁として展開しても、ライダーの攻撃を緩和することさえできなかった。

上空で旋回する天馬の動きが変わった。明らかに高度を上げ、助走をつけている。

「来る。」
全身の鳥肌が立つほどのゾッとする気配と共に、強大な一撃が来ることが予想される。
次の一撃はかわせない。

封印を解放して、真なる一撃をもって迎え撃たなければならない。下手をすれば、魔力が枯渇するかもしれないが、最近の特訓で改善されたマスターの魔力であればひょっとすれば、何とかなるかもしれない。
走馬灯のように彼女はマスターの姿を浮かべる。

「ふふっ。」

場違いに思わず笑いが出たのは、彼と赤い魔女の掛け合いを思い出したのだろうか。
既に風王結界も解除され、むき出しになった流麗な剣に強大な魔力が流れていく。

上空から白い彗星が舞い降りる。それに対し、セイバーは大上段に構える。
夫々がもつ最強の宝具が解き放たれる。

「騎英の(ベルレ……」
「約束された(エクス……」



Chapter 23 錯雑 Side-凛


「ほら、乗ってくれ、遠坂。」

立派な武家屋敷の門の前で、実用本位のグレーの籠付き家庭用自転車――所謂ママチャリ――にまたがった士郎が親指を立てて、くいっと後部座席というか荷台を示す。
その表情が真面目なので、馬鹿やってる訳ではないこともわかる。高校生という身分では車はともかくバイクももなかなか無理だ、多分。
それもわかる。
でも、この前の光景は、ある種の乙女の幻想を打ち砕くのに十分だった。

「はぁ……、まあ、そうよね。まだ、高校生だしねぇ……あは、はは……」
「どうしたんだ、遠坂。思いっきりため息つきながら項垂れて? 」
「いえ、気にしないで。現実を思いっきり見てただけだから。ところで衛宮君? 車とかバイクは……?」
「馬鹿言うな、あっても免許がないから乗れないだろ?」
「免許なんていいじゃない。乗れれば。」
「いや、ほんとにうちにはないんだよ。」

生真面目な士郎を見てると、まあ、仕方がないかと達観してしまう。
でも、この人は二人乗りの自転車でセイバーに追いつこうと思ってるのだろうか? ちょっと不安になる。

「仕方ないわね、じゃあ、下半身を強化したげるわよ。」
「か、か、下半身を強化って。」

何故か士郎が赤くなってどもるが、何の事だかわからない。そもそも他人の身体強化なんて魔術は普通の魔術師では高度な部類に入るのだが、士郎がそれを知っていて驚いている……なーんてこともないだろう。頭上に疑問符を浮かばせながら、士郎に近寄る。

「競輪選手も真っ青よ。」
「あ、そっちの下半身か?」
「え? 下半身にそっちもこっちもないでしょ?」
「あ、い、いや、そ、そ、そうだな。」
「何どもってんのよ。」
なんとなく、狼狽しながら遠慮する士郎を捕まえて、肉体強化の呪を紡いだ。


士郎の運転する自転車の後部シートに横乗りに乗って、顔に突き刺さるような冷たい風を受ける。
寒いけど、もやもやしていた頭がすっきりするようで気持ちがいい。
強化した士郎の下半身は疲れを知らないエンジンのようにペダルを漕いでいる。振り落とされないように士郎にしがみついた。かなりの速度が出ているのと、細い裏道を器用に走り抜けているので、正直言ってバイクや車よりも早いかもしれない。
顔が凍えてきたので士郎の背中を風よけに顔をくっつける。

「ほら、さっさと漕ぐ。でもこけないでよ。……もうっ、アーチャーがいればさっさと連れて行ってもらえるのに。どこほっつきまわってんだか。」

アーチャーが衛宮家に連れて来てくれた技を使えば柳洞寺まであっという間だろうと思いつつも、レイラインにも反応がなく不在であることが恨めしい。死んでいるわけではなさそうなのは、なんとなく感じられるが、この重要なタイミングにいないことが愚痴となって風に流れた。


Chapter 23 錯雑 Side-士郎


遠坂にかけられた魔術で強化された脚は、二人乗りで坂道を登っていることが信じられないほど、軽々とペダルを踏み込む。
まるでロードレース用の自転車で走っているかの様なスピードが出るので、セイバーにもすぐ追いつけるだろう。
遠坂がしがみ付いてくるので、背中に柔らかな感触をいやがおうにも感じてしまい、一部が健全な青少年の反応を示しつつあるが、それを誤魔化すように、より強くペダルを踏み込む。
正直言って顔が凍りそうに冷たいが、先行しているセイバーのことを考えると、スピードを落とす気にもならない。

後ろの座席で遠坂がアーチャーのことをぶつぶつ言っているのが聞こえた。
よくよく聞くとアーチャーがいなくて寂しそうに呟いている様に思えた。
確かに、この数日のドタバタでアーチャーは留守がちだった。セイバーが居るから遠坂の護衛は必要ないと判断したのか、遠坂は一人でいることが多かった。
時折、俺とセイバーの会話をなんとなく羨ましそうに、ぼおぉっと見ている時があるのを思い出す。

「遠坂、アーチャーのこと心配してるんだな。でもアーチャーだったら大丈夫だよ。」
「え? 何? 何か言った? 聞こえないわ?」

風に負けないように、声を張り上げて言ったが遠坂には聞こえなかったようだ。

「いや、遠坂はアーチャーのこと心配するぐらい好きなんだなって。」

なので、もう一度声を張り上げた。

……あれ?なんか言うこと間違えたか?

「ばばばばばばばか言わないでよ。あああああれは私のサーヴァントであって、ここここんな時にいないから」

一瞬の静寂の後に聞こえた台詞で、顔を真っ赤にしているであろう遠坂がイメージできて、思わず笑みがこぼれて声が弾む。

「ああ、わかった、わかった、思いっきり漕ぐから口閉じとけ、舌噛むぞ。」

尚も言いつのろうとする遠坂が可笑しかった。いっつも凹まされてるから偶には反撃もいいだろう。
それにしても、やっぱり不意打ちに弱いな。遠坂。


Chapter 23 錯雑


「禍禍しいわね、最近来たことがなかったけど最悪じゃない。ここだけ世界から切り離されてるって感じがするわね。まるで固有結界みたい。」
「こないだ、セイバーを迎えに来た時はここまでひどくなかったぞ。確かに俺でも気分が悪くなるぞ。」

柳洞寺の山門の下で自転車を降りた二人を待っていたのは、背筋が凍るような雰囲気だった。
冬の寒さに暗い山道ということもあるが、それ以上に、柳洞寺から立ち昇る気配が異質だった。
山の持つ清廉な気配、寺特有の重厚な気配など微塵も感じられず、どす黒く濁った腐臭の様な気配がした。
こんなところで生活していたら数日のうちに廃人になりそうな、いや、何か細胞から違うものに作り替えられそうな、そんな禍禍しさを感じる。

「なんだ?」
「なによ、あれ?」

山門の方に目を向けた二人は同時に気がついた。上空に白い彗星の様な旋回するものがある。時折急に視界から消えると、同時に魔術回路を掻きむしる様な魔力の波動が感じられる。

「なんかやばそうね。この波動は高密度の魔力の激突としか考えられないけど、あ、セイバーが戦ってる…の?」
「遠坂、急ごう。セイバーが上にいるはずだ。」

焦燥した表情になった士郎がそう言って駆け出そうとするが、その腕を凛が捕まえる。
手を振り払ってでも駆け出そうとする士郎は、凛の真剣な表情を見て動きが止まる。

「早く行かないと。」
「ちょっとまって士郎。ここはキャスターの陣地よ? あんた、あれつけてる?」
「おう、これだろ?」

士郎が抗魔力を上げるミサンガを袖から引き出して見せる。

「ちゃんとつけてるのね、じゃあ、起動しておきなさい。キャスターの工房でもあるんだからどんなトラップが仕掛けられているかわからないわ。なんとなくだけどいやな予感がするわ。」
「わかった、起動開始(トレースオン)」

ミサンガに縫い込まれた小さなヘリオドールから淡い黄色の暖かい光が一瞬輝いて組み込まれた魔術が起動する。

「これでいいか?」
「ええ、じゃ、いくわよ。注意してね。」
「おう」

凛も自分の四肢に肉体強化の呪を施して、先に駆け上がり始めた士郎の後を追いかける。本来であれば途中で休憩をとらないといけないほどの長い石段、一部の熱血系運動部では基礎トレーニングの一環に取り入れ、地獄の階段コースと恐れられている長い石段を苦も無く駆け上がる。

山門の手前でスピードを落とした士郎に凛が追いついた。二人とも軽く上気しているくらいで、呼吸はそれほど乱れていない。
「アサシンが居ない……」
「どういうこと……?」
「っ、セイバーッ!!」
士郎が呟いた後、何かに気がついたのか弾けたように走り出して山門をくぐっていく。

「あ、ばかっ。何も考えなしに突っ走るんじゃ……もうっ。」

境内に飛び込んだ二人の前に、半ば瓦礫と化している社が広がっていた。
境内はそこかしこに大穴があき、本堂の屋根は何かに吹き飛ばされたように捲り上がっていた。
二人の視線が止まった先に肩で大きな息をしながら両手で、黄金に輝く剣を大上段に振りかぶったセイバーがいた。そのセイバーめがけて天を舞っていた眩く輝く白い彗星が突き進む。
二人は茫然とその光景を見ることしかできなかった。
そして響き渡る2つの声、ひとつはどこまでも透通る凛とした少女の様に、もう一つはしっとりとした女性を感じさせながらも激しく強い声。それらがほぼ同時に己が宝具の真名を解き放つ。

「騎英の手綱(ベルレフォーン)」
「約束された勝利の剣(エクスカリバー)」

そこに眩く輝く太陽が二つ出現し、それぞれがお互いをなぎ倒すように激突する。激突したところで力が拮抗しているのか、しばらく均衡をとり、そしてひとつの超新星と化してはじけ飛ぶ。
今までの数倍の圧力を持った波動が境内一帯に広がる。不幸にも激突地点の近くにあった建物は軒並み巨人に押し倒されたように、倒れていく。
咄嗟に士郎が凛を抱きかかえ、爆心に背を向ける。

「エ、エクスカリバーって、そんな、まさか……」

士郎の腕の中で、茫然と凛がつぶやく。

「ううっ」
「あ、士郎。かばってくれたの? ちょっと背中を見せなさい。」

太陽が地表に落ちたような目がくらむほどの光が収まり、夜の闇が戻ってきた。徐々に暗闇になれた目が、がっくりと膝をついた士郎の背中をとらえる。
士郎の背中は爆風によって飛び散った砂利で服が破け、血がにじんでいた。所々に尖った石や木の破片が刺さっている。

「し、士郎? 大丈夫?」

慌てて顔を覗き込む。荒い息をしているが、ちゃんと意識はあった。長距離を走って倒れ尽きたマラソンランナーの様な表情をしながらも士郎は呼吸を整えて立上がる。
凛は士郎を疲労困憊させているのが怪我だけではないことに気がついた。

「魔力を一気に吸われたのね。呼吸を楽にしなさい、で、周りのマナを感じなさい。少しは回復の助けになるはずよ。」

凛の指示を聞いていた士郎が目の端に止まった物を見て駆け出す。

「セイバー!!」

境内の中ほどの石碑に、先ほどの激突で弾き飛ばされたセイバーが糸の切れた人形のように身を横たえていた。銀の鎧は無数の亀裂が入り、胸甲は半分ほどはじけ飛び、手甲は見る影もなかった。
顔中いたるところに擦過傷があり血が滲み青いドレスはずたずたになっていた。

士郎が駆け寄り、セイバーを抱き起こす。

「かなり衰弱してるけど大丈夫だと思うわ。でもしばらく魔力不足で動けないと思うけどね。」

追いついた凛がセイバーの額に手を当てて診断する。ほうっと軽く溜め息をつく。大丈夫、ほとんど魔力がなくなっているが、なんとか現界はできるくらいは残っている。そう感じられた。

「本当に大丈夫なのか? 遠坂。」
「ええ。でも早く連れ帰る必要があるわね。士郎の治療もしないと。」

わかったと言いつつ、士郎がセイバーの首の後ろに腕を差し込んで、抱きかかえようとした時、第三者の声がした。二人ともびくりと動きが止まる。

「なんだよ、相討ちかよ。大口叩く割に情けないな。」

聞いたことがある声と、じゃりじゃりという砂利を踏みしめる音がして、何か大きなモノが目の端に映った。

「……っ!」
「し、し、し、慎二? あ、お、お前、慎二か?」
「なんだよ、衛宮に遠坂。来てたのか?」

弾けたように振り返る。そこに居たのは、年若い二人には衝撃的なモノだった。
森の方から出てきた巨大な蜘蛛は、二人の方に距離をとって正対し、虫けらを見るような目つきで二人を睥睨する。

「慎二っ! お前、桜をどうした!!」

士郎が手が震えるほど強く握りしめ、飛びかかりたいのを必死に堪える。そしてゆっくりとセイバーを大地に横たえる。
その横で凛が密かに魔術回路に魔力を流す。

「桜? ん~? あ、あのおもちゃね。しらないよ。お爺様が喰ったんじゃないの? その前に散々、遊ばせてもらったけどね。」

慎二はセイバーと同じ様に大地に横たわっているライダーの方に近寄りながら、おもしろくもなさそうに吐き捨てる。

「お、お、お前~」
「そうか、そういや、あれはお前が好きだったんだな。どうせ衛宮も連れ込んでヤッてたんだろ?
くくく。そうそう、ついでに思い出した。あれに持たせた媚薬の味はどうだった? くらっと来ただろう?
あはははは。おもしろいよ。僕にとったら衛宮も桜もただの操り人形なんだよ。あははは。」

慎二は立ち止まって士郎を見る。そして、なにかを思い出したように顔を歪ませて笑い出す。おかしくて堪らないと言うように、隠されていた毒を吐きだす。今まで隠されていた毒を。
それを聞いた士郎はぎりぎりと奥歯を噛み砕くほどきつく歯を食いしばる。

「慎二っ!!」
「なに、僕に殴りかかろうとしてるの? 馬っ鹿みたいだね。あははは。」

士郎が地を這うような声で唸り声をあげ、今にも飛びかかりそうな態勢をとった時、士郎の横に立っていた赤い魔術師から”魔弾”にまで強化された不可視のガンドが連射される。

「痛い痛い痛いっ!」

気配を察知して素早くかわそうとした慎二だが、あまりにも大量に射出された”魔弾”をかわしきれなかった。

「士郎!! 早くセイバーを連れて帰りなさい!!」

今までに聞いたことが無いほどの固い声で凛が言い放つ。
その声に思わず士郎は振り返る。

「遠坂! 何言ってる! 俺が戦う!」
「馬鹿言わないで、士郎がこれ以上魔力を消費したらどうやってセイバーを助けるのよ。」

激高する士郎は、抑揚のない口調で淡々と事実を告げる凛の顔に魔術師としての一面を見た。

「遠坂……」
「さっさとしなさい。 弟子は師匠の言うことを聞きなさい。お願いだから、先に帰って。私は大丈夫だから。」

凛の表情からは感情がほとんど感じられないが、逆にその姿は今までにない程の怒りを表していた。
例えセイバーといえども今の凛の前に立つのは避けるのではないか? そう思えるほどの静かな怒りが瞳の中に込められていた。

「わ、わかった。」

そんな凛に反論することもできず、士郎は不承不承うなずくとセイバーを抱きあげて山門の方に立ち去っていく。
凛は慎二と士郎の間に割り込んみながら、慎二を牽制する。


Chapter 23 錯雑 Side-凛


「しかし、こいつも使えないな。」

慎二は隙のない凛の動きに、苛立ちながらライダー蹴飛ばす。
蹴飛ばされたライダーはうめき声を上げながら、ゆっくりと立ち上がり、同時に零体化して去っていく。
目の前の慎二の力が分からないので、ライダーへ攻撃して隙を見せることができなかった。
そして、境内には凛と慎二だけになる。

「慎二、あんた、人間やめたのね。」
「ふっ、人間を超えた。といってほしいんだけどね。まあ、これで念願だった魔術師になれたんだよ。どうだい?」

静かに問いかける凛に対し、誇らしげに答える慎二。
ようやく魔術師になれた喜びが、そこかしこから滲みだしてきていた。
そして、隙を見つけようとしているのか、うろうろと歩きまわる。

「ひとつ聞くけど。」
「なんだよ。桜のことだったら知んないよ?」
「……桜はどうでもいいわ、新都で行方不明者が出てるのは貴方の仕業ね?」
「知らないよ? 」
「私の管理地で堕ちた魔術師を、そのままに放っておく訳には行かないわ」
「へぇ。僕を殺すの? あ、それで衛宮を帰したのか。なるほど。ふ~ん。」

桜のことはどうでもいい。と言った時に、慎二の顔に一瞬驚きの表情が浮かぶ。
しかし、すぐににやにやした笑いを口の端に乗せる。

「だけど、昔の僕とは違うよ。今の僕は偉大なる間桐の当主さ。」
「慎二ごときが私に楯突くなんて100年早いわ。」

その一言を宣戦布告に、魔力回路を開放し、魔力を込めに込めた”魔弾”(ガンド)を撃つ。

「Anfang(セット)」

同時に本堂の屋根から何かが慎二の前に落ちてきて、慎二に当たるはずだった魔弾を受ける。

「―っ!」
「ふふふ、はははっはっは。」
「……なによ、それ」

落ちてきた瞬間は暗くてよく見えなかったが、地に落ちた何かがうごめきながら慎二の前に伸び上がる。
月の光や消えかけた本堂の明かりで見えたのは、慎二の倍ほどもある、茶色のぬめぬめとした……
ゆっくりと蠕動しながら蛇のように鎌首を上げる。
その先にはYの字型に切れ目が入り細かい歯がびっしりと着いた口がパクパクと動いていた。
時折、その口からこぼれおちた唾液がジュゥッといいながら大地を溶かす。

「いや~~っ!!」
思わず、生理的な嫌悪感で叫び声をあげる。いやいやをしながら後ろに下がる。アレは走り回る黒い油の悪魔よりも気持ち悪い。見るだけで鳥肌が立って来る。

「ふふふ、お爺様特製の蛭だよ。ほら、とってもかわいいだろ?」
慎二は凛の反応を面白そうに見ながら、楽しそうに蛭をつつく。
そして嬉々として、いかにコレが可愛いかを力説する。

「吐き気がするわ。」
「こんなに可愛いのに。まあ、僕は間桐の当主だからね。今日はキャスター相手にするからと思っていろいろもって来てるんだけどね。あはは。」
「ふん、蟲を操るだけしか能がない癖に。ずいぶんと偉そうじゃない?」
「ば、ば、馬鹿にするな。」

凛は慎二の口が軽い間に、どんな魔術が使えるのか探っていた。
ちょうどいい餌に見事に慎二が引っ掛かり、その反応から凛は慎二が"蟲を操る"だけしかできないと判断した。
「間桐の当主って、蟲とお友達なのね、遠坂家当主としては、あまりお近づきにはなりたくないわ。」

その言葉を聞いた慎二は瞬間的にかっとなった。

「そうかい、じゃあ、死んだら? ”食らえ”」

そのシンプルな呪文が放たれたと同時に、蛭が凛に襲いかかる。

「Das Verbrennen bis Asche.(焼き尽くせ一握の灰に)」
既に手の中にあるルビーを蛭めがけて放ち、同時に強力な火炎を解き放つ。
青みがかった高熱の炎の嵐に辺り一帯の温度が上昇する。通常の動物でこの炎に耐えられるものはいない。
炎の中でゆらゆらとうごめいていた蛭もそのうち炭化するだろう。そう考えていた凛に、突如として蛭が炎から抜け出し飛びかかってきた。

「……うそ」
かろうじてその一撃をかわし、サイドステップで距離をとった凛は、炭化しぼろぼろと剥げた内側に無傷の体があることに驚愕した。蛭にほとんどダメージが行ってなかった。
いくら魔術で強化されているとはいえ、その大きさも再生能力も信じられなかった。

「あはははっ、さすがにお爺様が作った蟲は違うな。すぐに再生するよ。ここで降参したら命だけは助けてあげるけど? その代り僕の言うことを聞いてもらうけどね。」

鎌首を上げた蛭は凛の後ろに回り込もうとする。
どうやって操っているのか、わからないが慎二と挟み撃ちができる場所に小賢しくも移動しようとする。
挟撃の不利を避けたい凛は、挟まれないように横に抜けだしながら、再び火炎を解き放つ。しかし蛭は先ほどと同じ様に炎から飛び出し、再び凛を襲う。
お互いが牽制し合い、結果的に凛は慎二が最初にいた所に立っていた。

その時慎二が微かに笑ったのだが、蛭に対する効果的な攻撃を思いついた凛は気がつかなかった。

「そう、燃やすのはダメなのね。だったら
Acht(八番)……!」

十年間魔力をため込んだ虎の子の宝石を、投げつけて蛭の周りの空間ごと凍結させる。風に舞ったダイアモンドダストがキラキラと飛び交う。
再生能力があっても細胞から完全に凍結してしまえば、それもできないだろう。一瞬の後に、蛭は奇怪な氷のオブジェと化す。
そこにガンドを打ち込んで粉々に粉砕する。
完全に蛭を破壊したことで、余裕を持ち、改めて慎二の方に向き直る。

「で、誰が、誰の言うことを聞くのかしら?」
「遠坂が、僕の言うことを聞くんだ」
「へぇ、貴方のお爺様の作った、大層ご立派な蛭はそこで砕けてますけど?」

この期に及んで強気な態度を崩さない慎二をいぶかしく思いながら、挑発的に慎二の武器がなくなったことを告げる。
しかし、嘲笑をかみ殺したような慎二が、たまらず笑い出す。

「そうだね、お爺様に怒られてしまうよ。まあ、さすがに遠坂家の当主といったところかな。ところで、下見てもそんなこと言える?」
「えっ!」
「あははは、気がつかなかっただろ。なんで、遠坂が戦ってる時に、僕がちょこちょこ動いていたか。そこに気がつかれないように誘導してたからだよ。」

下を見ると、暗がりで分かりにくかったが砂利に交じって、明らかに妙なモノが多数うごめいていた。
それは、明らかに男性器の形をした異形の蟲の様なモノだった。
男性器にしか見えない体と縦に割れた口をパクパクしながら、凛の足元を中心に十重二十重に取り囲んでいた。
その見えない視線が悪夢のような欲望を淫望をたっぷりと含みながら今か今かと待ち構える。
その邪気にあてられ、先ほどの蛭とは比較にならないほどのおぞましさと吐き気を催した。
「うっ」
思わず、逆流しそうな吐瀉物を、手で口をふさいで飲み下す。

「警告だよ。今からちょっとでも動くと、そいつらはすぐに襲いかかるよ。いくら遠坂でも、これだけの数は一気に殺せないだろ? ついでにいうと、そいつらは子宮が好きでね。
どうやって入り込むかは……わかると思うけど? あははははっ。」
「……」
全身が総毛立った。そう、その形からしても、そういう風に改造されているのだろう。女性器から、ひょっとしたら、穴という穴から体内に入り込み、……多分内臓から食らいつくす。
確かに慎二の魔術は”蟲を使うだけ”でしかない。なので油断していた。まさかこんな蟲を大量に用意していたとは。
そういえば、もともと慎二はキャスターを倒すために来ていた。キャスターにこの攻撃が効くかどうかはわからないが、女性である以上、必要以上の効果を与えるだろう。

うっかりしていた。まさか、こんなことで、こんな相手に命を落とすことになるとは。そして、こんな蟲に……。

「あはっ、いいねぇ、その表情。僕は嬉しいな、遠坂がそんな表情で僕を見るなんて。その憎しみのこもった目。そうそう、言い忘れてたけど桜もそれで調教されてたよ。嬉しいだろ、仲良く同じ目にあえるんだよ。あははっ。
まあ、僕の奴隷になるんだったら助けてあげてもいいけど?」
「下種な趣味ね。まっぴらごめんだわ。やれるもんならやってみなさいよ。相撃ち覚悟で殺すわ。」

覚悟を決めた、一瞬で下一面を焼き尽くす魔術を使うことはできる。ただ、それを使うと自分も焼死するだろうし、もし生き残っても火傷でどんな姿になるかわからない。そのうえ、慎二は無傷だ。
であれば、一瞬でも早く慎二を倒す。そうすれば、コントロールを失った蟲達から逃げ出すことが可能だろう。その時、自分の体がどうなっているか、あまり想像したくはないけど。
まだ、そっちの方が成功率が高く思えた。

令呪を使ってアーチャーを呼び寄せることも考えたが、呼ばれて、状況を理解して……間に合わないだろう。

黒衣のサーヴァントの姿が脳裏に浮かんだ。
……アーチャー、ごめんね。元の世界に返せてあげられない。

「そいつらに犯されて、そんな魔術行使ができるとは思わないけど、この僕に対する、間桐の当主に対する無礼はゆるせないな。やっぱり死んで。じゃ。」

おとなしい少女の姿が思い浮かんだ。私が頑張れば桜は幸せになるって思っていたけど……
桜。こんなおぞましく酷い仕打ちを受けていたのね。気がつかなかった。助けられない。ごめん。

……でも、目の前の魔術師だけは死んでも倒す。いや殺す。目標は間桐慎二、絶対殺す。

遠坂凛が魔術師として一歩を踏み出した。冷徹な判断の下、目的を遂行するために。

おもむろに宝石を取り出す。
その動きで一斉に淫蟲が前後左右から飛びかかる。