深夜の境内。
本来であれば掃き清められ、静謐な場となるべき所に、異物が充満していた。

異形の魔術師、その使役蟲。それから、対峙する赤い魔術師の少女。

大地はえぐれ、社は巨人が暴れ回ったかのごとく破壊され、息絶えた者の骸が散らばる。。

そこは、小さいながらも死の気配が巻き上がる戦場だった。
その中で少女は光を乱反射するクリスタルの様な輝きを放っていた。


Chapter 24 杜絶 Side-凛


多分極限まで集中していたからだろう。
神経が鋭敏になり、私にはすべてがスローモーションに感じられた。
すべての物事がハイスピードカメラで撮った映像のようにゆっくりと変化していく。
闇にまぎれた木々の葉の動き、風に揺られてざわめく枝、流れる雲。
それら目に映るものがすべて鮮明に知覚できる。
心臓の鼓動、血流、魔力の流れ、すべてがわかる。

その中で思考は時間を超越したように巡っていく。

顔 ―正確に言うと口だろう― にめがけて飛びかかってきている無数の蟲。
見えないし見たくもないけど、股間に飛びかかってきている無数の蟲。
いくらシングルアクションとはいえ、投げつける宝石が、慎二にある程度接近してからでなければ折角の魔術も誰もいない空間で炸裂するのみ。
それまでのほんの数瞬の間、この蟲達の攻撃にどれほど耐えれるだろうか?

(私は判断を間違えたかな?)

勝利を確信した慎二の顔がゆっくりと喜悦の表情に歪んでいく。

目の前の蟲が近づく。手を伸ばせば触れることができる距離。

『どんな時でも余裕を持って優雅たれ』
お父様の言った遠坂家の家訓が脳裏に浮かぶ。

(確かに、激高していた私は優雅ではなかったわ。)

目の前の蟲が近づく。これからの蹂躪を期待しているのか縦に割れた口から涎が糸を引いている。
脚に激痛が走る、手近な所から噛んで来ている蟲がいるようだ。

(ぐっ!)

――ふっと、たんぽぽの綿毛が触れたような感触がした。いや違う、綿毛が風に飛ばされるように、何かが体からほどけた感触がした。

黒いコートを着て、どんな時も、茫洋とした姿を崩さないサーヴァントの後ろ姿が突然脳裏に浮かび上がる。
それは、夜の校庭でランサーと戦った時のイメージ。

私を庇って戦ってくれた夜。

(アーチャー?)

何か確信めいた気がした。

(そうね、アーチャーが私を守ってくれる。そう言ってたものね。)

であれば何も気にする必要はない。
私は私の成すべきことを遂行するのみ。

目の前の蟲が近づく。舌を伸ばせば届くくらいに。

恐れることはない、私はただ、目の前の魔術師を殺すだけ。そして手に持った宝石を放つ。


Chapter 24 杜絶 Side-慎二


どこで間違えたんだろう。

予想外にキャスターが壊れていたが、予定通り柳洞寺を落とした。
続いてやってきた衛宮とサーヴァントを退けた。

そして、遠坂を逃れられない罠に嵌めた。

(完璧だ。さすが僕。本気を出せばこんなもんさ。)

(あとは淫蟲が遠坂を堕とせば終わり。まさにパーフェクト。くくく。)

たとえ、魔改造を施した蛭を、殺しつくした程の魔術を遠坂が持っていたとしても、発動できなければ問題ない。
そして、あの状況では発声することすらできないはず。飛びかかる淫蟲の前で口をあけるなど、空腹のライオンの前に裸で縛られて放り出されるに等しい。
体内に入った淫蟲が神経を掻きまわしたら、通常の思考を持つことすら不可能だ。

一瞬で遠坂を取り囲むように淫蟲が群がった。できそこないの人型を造形したように。

(勝った。僕を見下していたヤツに勝った。僕の運命に勝った。すべてのものに勝った。これで僕は解放される。魔術が使えない魔術師から、正当な間桐の魔術師へ。)

しかし、破滅の使者は、まさにその瞬間訪れた。

ぷぷぷ……

なにか、連続して音がした。

(ん? 何の音だよ?)

そう、強いて言えば、つまようじでおでんの卵を突き刺したような音。
それと同時に、急に霞んでぼやけた淫蟲の塊の中からキラキラした物が飛んできた。

そして見た。遠坂に飛びかかる無数の淫蟲が体液をまき散らしながら空中でミンチと化していく姿を。
縦に裂け横に裂けていく。
驚愕で顔がこわばる。

(何だよ? 何が起きたんだよ? 誰か説明しろ。僕が納得できるように教えろよ!!!)

その中に淫蟲の体液にまみれた、だが正視できないほどの眼光でもってこちらを睨んでいる遠坂がいた。
その姿を、その目を見て、奇麗だ。と柄にもなく思った。

(ああ、そうか、僕は……、僕は……あこがれていたのか……)

遠坂の口が動き、呪文を発声する。

その声は自分とは関係のない、もしくはTVの中の1シーンのような、現実感のないものとしてしか認識できなかった。

「――――Anfang(セット)……!
Drei,Vier(三番、四番)
Der Riese und tornade das ein Ende(終局 風の刃 相乗)――!!」

名前にも象徴されるような、凛とした遠坂の声が、静寂が戻った境内に響き渡る。その場を制する存在感が、その声には込められていた。

そして……

周囲に竜巻が巻き起こる。耳が潰れるほどの轟音と共にキラキラした物が舞う。
慌てて四肢を動かして逃げようとするが、自分を中心に取り囲む様に発生した6本の竜巻が旋回しながら退路を断っていた。
竜巻が一気に自分に向かって集結する。

ざくっという音がした。
目の前の竜巻が一気に赤くなる。

腕が切り刻まれて落ちる。

「あはっ。」

ざくっという音がした。
脚が切り刻まれて落ちる。

「あははっ。」

ざくっざくざくざざざざざざざっという音がした。
体が切り刻まれる。

「あははははっ。」

途切れることなく、肉体を切り刻む音がする。
体が崩れる。

「あはははははははははははっ。」

いつの間にか遠坂が横に見える。頬に地面の感触がする。なんでだろう。

「ひひひひひひひひひひひっ…………」

……どこで間違えたんだろう。

最後に見たのは闇夜に曇った空だった。


Chapter 24 杜絶 Side-凛


「はぁ、はぁ、はぁ、うぐっ。う、うぇぇぇ。」

魔術で巻き起こした旋風が収まると、凛はその場でしゃがみ込み両手を大地について嘔吐した。

キモチワルイ

胃の中のものをすべて吐き出した。
鋭敏になっている感覚が、切り刻まれた淫蟲の青臭い異臭を必要以上に捉え、更に嘔吐感を刺激する。
自分が殺した魔術師がずたずたになって、肉の塊となっている。そのモノから極力目を背けながら、嘔吐感に身を任せていた。

先日までは同級生で……そして、桜の兄であった男。

(それを、私は殺した……)

(初めて、人を殺した……)

一時の興奮状態が徐々に解け、同時に現実が目の前に突きつけられた。

「うぐぅ……げほっ、がふっ、けふっ。 うえぇっ。」

吐くものがなくなり、胃液しかでなくなっても嘔吐感がなくならなかった。
胃が口から出るような感覚さえした。

炎で焼き尽くさなかったのは、自分への戒めの為。
灰となってしまえば、人を殺したと言う現実感がなくなってしまう。現実感がなくなれば、人を殺すことを禁忌と思えなくなってしまうかもしれない。
私は『 』のために手段を選ばない外道には堕ちたくない。優雅な遠坂の当主になる。そう考えていた。
だから初めて人を殺さなければならない時は、できるだけ残骸が残る風の系列を選択して、自分の判断を心に留め置こうと昔から決めていた。
平和な冬木で戦場に出たことも、出ることも無かった、未熟な幼い魔術師の想い。

――その結果がこれだ。

自分の魔術が人の肉を切り裂く感触がまだ残る。

「けほっ、けほっ。」

吐き気と格闘しつつも、なんとか勝利し、しばらくして肩で大きな息をしながらも、なんとか立ち上がった。
いつの間にか分厚い雲に覆われ月が消えて、暗くなっていた。その空を見上げる。

魔術師として育てられたが、心の奥底では誰も傷つけたく無いセンチメンタルな”自分”がいた。
学校でライダーの結界が発動した後も、死体の山と誤解して恐怖に震える”自分”がいた。

人を殺す、それも同級生を殺すことで、その”自分”も一緒に死んでしまった。殺してしまった。

心のどこかにぽっかりとした空洞ができたような気がする。
そう、この期に及んでも平凡な生活を望んでいた”私”がいた場所……。

風が吹く。

が、蟲の体液にまみれた凛の髪は顔に張り付いて、そよとも動かなかった。
もう、後戻りはできない。してはならない。

異臭が漂う。

「慎二……あんたは馬鹿よ。魔術師になんてあこがれなかったら……。」
そう呟きつつ、慎二だったモノに目をやった。

「なっ!」

思わず硬直する。
慎二だった塊の上に黒い襤褸に包まれた白い髑髏がいた。
いや、慎二の肉をその髑髏が食べていた。

気配すら感じなかった、何時そこにいたのか? どこから現れたのか、気がつかない間にソコに居た。

ぐちゃ。ぎちっ。

それは異常に長い骨ばった手を伸ばし、地面に落ちている慎二だったモノを口に放り込む。
髑髏に見えたのは仮面らしいが、その仮面の下から覗いている、人体標本のように表皮がなく歯茎や歯が剥き出しの口に、一心不乱に肉を、骨を放り込んで喰らっている。
公園で慎二の腕を落とした時に見たようにゼリー状になっているものを、手で掬って飲み下している。

「ケケケケケ……」

ソレは”食事”の合間に笑いながら、こちらをちらっと見た。

ゾッとした。

(ぐずぐずしてたら駄目、食事に気を取られている今のうちに逃げないと。)
直感がそう告げていた。

髑髏から目を離さずに、できるだけ注意深く後退した。
幸い、再び食事に集中したのか、こちらに注意を向けてくることはなかった。
十分距離をとってから、山門の方に駆け出す。
最後にちらっと眼に映ったのは髑髏に齧られつつも恨めしそうに此方を見ていた、半分になった慎二の顔だった。


Chapter 24 杜絶 Side-士郎


山門の方を見上げながら気が気ではなかった。
遠坂の有無を言わせない迫力に負けて、セイバーを連れ帰ろうと下まで降りて来ては見たが、遠坂を置いていくこともできなかった。
荒い呼吸のセイバーを抱きかかえながら、山道の下で気をもみながら待っていた。
上の方で大きな轟音がした時はセイバーを降ろして、自分も飛び込もうかと思っていた。

「うぅ……」
セイバーの呻き声に我に返り、再びセイバーを抱きかかえる。
飛び込まないのはただ、自分の腕の中に浅い呼吸を繰り返す、意識のないセイバーがいたからだった。

上の方からの物音が消えた。

(だめだだめだ、遠坂一人を戦わすわけにはいかない。)

ようやくふんぎりをつけ、セイバーを近くのブロック塀に、そっともたれさせる。同じ様に立てかけてある自転車の横に。

「セイバー、ちょっとだけ待っててくれ。遠坂を迎えに行って来る。俺はやっぱり遠坂だけを戦わすことはできない。」

意識のないセイバーの顔を見て状態を確認してから。山門に目掛けて走り出す。

(もう、遅いかもしれない。)
(迷った自分が馬鹿だった。)
(何を迷うことがあるんだ。)
(なぜ、俺はあそこで引き下がった。)

そう思いながら、全速力で駆けあがる。
中段まで駆け上がった時、ふっと山門に人影が見えた。

曇天で暗くなった山道を目を凝らして見ると、ずぶ濡れの遠坂が厳しい表情で駆け降りてきていた。
石段を5段くらいずつ、すっ飛ばしながら短距離のオリンピック選手並みの速度で降りてくる。
その必死の表情に不安なものを感じ、慌てて引き返す。

「士郎! まだいたの!? 直ぐに逃げるわよ。」
「うわっ、遠坂、お前何に突っ込んだんだ? めちゃめちゃ臭いぞ?」
「うっさいわね。つべこべ言わずにさっさとここから離れるわ。急いで。」

山道を降り切ったところで、遠坂が体中から野菜屑を腐らせた、生ゴミの様な匂いをまき散らしながら怒鳴る。
その表情は真剣そのものだった。上で何か深刻な事態が生じたらしい。
その剣幕に慌てて近くのブロック塀に立てかけてある自転車を起こす。

「じゃあ、自転車の後ろでセイバーを落ちないように支えておいてくれるか?」
「わかったわ。だからさっさと出して。早く。」

遠坂が山門の方に度度、視線を送りながら意識のないセイバーを抱きかかえるように荷台に乗る。
自転車から振り落とされないようにセイバーを両手で挟み込むようにして支え、俺の服をしっかりと掴む。
その遠坂の慌てように、不安なものを感じつつ思いきりこぎ出した。

「どうしたのよ、早く!」
「いや、自転車が重くて……」
「な、な、な、なんですってっ~! 私は重たくないわよっ! って、そうか。今は三人よね。ちょっとそのまま漕いでて。」

来る時と違って、妙に体が重かった。それを遠坂に告げると、一瞬呆けた顔をしたが、直ぐに納得し何かの呪文を呟いていた。

「お。軽くなった。さんきゅーな。」
「じゃあ、さっさと漕いで。」

効果が切れていたのだろう、再び強化された脚は来る時と同様に軽くペダルを踏みぬける。
遠坂が、ちらちらと後ろを振り返っているのが気になったが、何も言わずに帰路を急ぐ。


-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-


遠坂の心配を余所に、特に何もなく無事に家に帰ってこれた。

「士郎、セイバーを頼むわ。私はここの結界を強化しておくから。」

門をくぐった途端、遠坂が土塀のそこかしこに何かを書き始めた。

わかったと答えつつセイバーを部屋まで運んで布団に寝かせる。
いつの間にか、鎧は消え、青い鎧下のドレス姿になっていた。
浅い呼吸を繰り返しながら、脂汗をにじませるセイバーの顔を、固く絞ったタオルで拭く。
大きな怪我は無いようだった。

「ぅ……っ。」

タオルが冷たかったのか、びくっと反応したセイバーが薄く目を開く。

「セイバー? 気がついたか! もう家だ、大丈夫だぞ。」

勢い込んでかけた声に、微かな微笑を浮かばせたセイバーが再び目を閉じる。
安心したのか、少し呼吸が落ち着いてきたようだ。

「どお? セイバーの様子は。」
「いや、少し落ち着いたみたいだ。」

どのくらい経っただろうか、セイバーの寝顔を静かに見ていた俺は、後ろから唐突に声をかけられたので振り向いた。
遠坂が襖をほんの少しだけ開け、目だけで覗いていた。

「何してんだ? 入ってくればいいのに。」
「ば、ば、ばか。あんな匂いで家に入れるわけないでしょ。だから士郎、こっち見るな。それとお風呂借りるわよ。」

遠坂が慌ててがなりながら、襖を閉める。なんか言っていることが支離滅裂だったような気がする。
まあ、遠坂の言うとおり確かにあの匂いは強烈だった。遠坂が抱きかかえていたので、実はセイバーも匂うのだが、間接的なものなので、まだ我慢できるレベルだった。
帰ってくる前の状況で家の中をうろうろされたら、畳を入れ替えないとまずいくらいの強烈な匂いが染みつきそうだった。

でも、なんで ”だからこっちを見るな”なんだろうか。

……ん?

……んぁ?

となると、遠坂はひょっとして、今……。

うわうわわわ。

顔が熱くなっていく。多分真っ赤になってるはずだ。

遠坂は風呂に入る前の姿で、でもセイバーが心配でちょっとだけ見に来ていたんじゃないだろうか。
一瞬、妄想が広がりかけるが、頭をぶんぶん振って、想像上の裸体を振り払う。

ひとつ深呼吸をしてからセイバーを見ると、大分落ち着いたのか、すぅすぅと可愛らしい寝息を立てていた。
この分だったら大丈夫か。そう思って静かに部屋を後にした。
そーっと襖を開け、周りに遠坂が居ないのを確認してから廊下に出た。


-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-


「さむっ。」

自転車を漕いでいるときなどは気がつかなかったが、かなり冷え込んでいた。
寒さで肩を上げながら、ストーブに火を入れる。
一息つけようと、誰も居ない静かな台所で、お湯を沸かしながらお茶の準備をする。
ふと時計に目をやると針は3時過ぎを指していた。

「うぅ、これだとほとんど徹夜だな。」

そう呟いていると、赤い寝間着姿で自分の髪をくんくん匂いながら、さっぱりした遠坂が入ってきた。

「長かったな。」
「え? あ、お風呂? ありがとう。あの匂いがようやくとれたわ。何回シャンプーしたのかしら。」

指を折りながら数え始めた遠坂に、立ってないで座れと言いつつ、茶葉を急須に入れる。

「遠坂、お茶飲むか?」
「ええ、お願い。」

後ろ手に障子を閉めて、さっきつけたストーブの前にちょこんと座って手をかざす遠坂を横目に見ながら、急須からお茶を注ぐ。
ストーブで暖をとっている遠坂は、げっそりしていて憔悴しきった表情をしていた。顔色も悪く、かなりしんどそうだった。
上で何がったか聞きたかったが、とりあえずは遠坂を落ち着かせる方を優先した。

「……何か食べるか? 顔色が悪いぞ?」
「う~ん、胃に優しいお粥なんてできるかしら? あんまり食欲はないんだけど、少しは食べとかないと。」
「わかった。」

ちゃぶ台にあられの小袋とみかんが入った籠を置いて、湯気が立ち上る湯呑を置く。
再び台所に戻って、出汁と溶き卵で簡単なお粥を作り、大きめのどんぶりによそって、れんげと共に遠坂に差し出した。

「ほら。」
「ありがと。……で、セイバーの様子はどう?」
「うん、もう大丈夫だと思う。呼吸も落ち着いてきたし。」
「そう。」

髪をおろしたままの遠坂が湯呑を両手でもって、ストーブの前でお茶を飲んでいた。いつものツインテール姿でないのは、ちょっと新鮮だった。手渡したどんぶりを受け取ってちゃぶ台の方に置いて静かに食べ始めた。
食事中に話すのは申し訳ないなと思いつつ、定位置に座りながら気になっていることを聞いた。

「で、遠坂。上で何があったんだ? あんな形相で降りてくるなんて。」
「……そうね、士郎には知っておいて貰わないと。」
「なんだ?」
「いやな話と、そうでない話、どっちから聞きたい?」
「……いやな話からの方がいいな。」

お粥をゆっくりと咀嚼しながら、遠坂が向けてくる疲れたような眼が気になった。一抹の不安を抱えつつ遠坂が言葉を発するのをじっと待っていた。

「……そう。」

れんげを持つ手を止め、ストーブをじっと見ていた遠坂の顔が炎で赤く反射する。
しばらくして、観念したように溜息をついた。

「……!!」

こっちを向いて、何か言葉を紡ごうとした遠坂が、物音にびっくりした鹿のように、はっと顔を上げる。
あわてて立上がり、玄関に走っていく。

「お、おい。遠坂!」

遠坂を追いかけようと中腰になって気がついた。
そうか、アーチャーが帰ってきたのか。

だとすると、お茶と湯呑の追加がいるな。
遠坂に放り出されたことに、何故だか少し寂しさを感じながら、台所に向かった。


Chapter 24 杜絶 Side-凛


すぐそこまで帰ってきている。

レイラインを通して、アーチャーが帰って来ているのに気がついた。
士郎をほっぽり出して、慌てて玄関に向かう。なんとなく、顔が緩んで来ているような気がしないでもない。
ほんの半日離れていただけなのに、その半日で人生の方向性を決める事があった。

――桜のこと、私のこと。

いくら当主とはいえ、まだまだ人生経験の少ない若い身だった。どうしても悩んでしまうこともある。
誰か信頼できる人に聞いてほしかった。
そして、他人に弱い処など見せるわけにはいけない、魔術師という孤高の立場では、そのような知り合いも少ない。いや、そもそも居なかった。
若くして父を亡くし、家族もおらず、後見人としての兄弟子は、この点については死んでも弱みを見せるわけにはいかなかった。

自分が呼び出した、サーヴァント。並行世界からの訪問者でありサーヴァントという枠外の存在。
自分の使い魔である安心感と、信頼できる”大人”。
遠坂凛として”弱み”を見せても構わない相手となると、アーチャーしかいなかった。
だからなのだろうか、アーチャーには比較的、素の自分で接することが多かった。

――アーチャーには聞いてもらいたいことが山ほどある。

ちょうど玄関についたとき引き戸が、がらがらと音を立てて開いた。

「アーチャー、おかえ……り?」
そこにはいつもどおり、誰も彼も無分別に魅了するアラバスターで造形されたような顔に、のほほんとした表情をのせたアーチャーが立っていた。
ただ、いつもの黒一色の姿と違い、白い少女を左手で担いで居た。

「ど、どうしたの? 送っていったんじゃなかったの?」

何故イリヤがいるのか分からないので戸惑って、ぽかーんとしてしまった。
あわてて表情を引き締める。
イリヤは”敵マスター”の一人。でもアーチャーに力なく担がれているところを見ると、意識が無いようだった。何が起きたのか。

「ただいま。これ、おみやげ。」

アーチャーはのんびりとそう言って、意識のないイリヤを渡してくる。どうも靴を脱ぐ間、抱いておけということらしい。

「え? ……酷い。」

抱きかかえる時にイリヤの血だらけの顔が目に入った。彼女の顔には真横に両目を何かで切られたような裂傷があった。
もう少し深ければ脳に達するだろう。それぐらいの深い傷だった。
ただ、何故か傷口はぴったりと縫われたようにくっついていて、もう血は止まっている。
汗をにじませてはいるが、意外としっかりした呼吸をしていた。

「ちょっ、ちょっと、どうしたのこの怪我は。」
「ギルガメッシュにね。ところで治療はできる?」

靴を脱いで廊下にあがってから、再びイリヤを受けとったアーチャーと視線があう。
軽く頷くと、アーチャーが居間の方に向かった。

「士郎! お湯とタオルと客間に布団を用意して! 早く!」
「ど、ど、ど、どうした?」

アーチャーを追い抜いて居間の障子を両手で開ける。鋭い口調に士郎が台所でびっくりした表情で固まっていた。
遅れて居間に着いたアーチャーの腕の中のイリヤを見つけ、硬直が解けた士郎があわてて寄って来る。

「どうしたんだ! なんだ、この怪我は! 無事か? 無事なのか!?」
「わかんないわよ、いいから早く、布団を出して。」
「お、おう、わかった。お湯はやかんの中にあるから勝手に使ってくれ。」

イリヤを見てから沈痛な表情になった士郎がアーチャーの方を見上げる。その背中をばしんと叩いて行動を促す。
士郎は、はっとして慌てて客間に布団を敷きに行った。

「アーチャー、イリヤをそこに置いて。診てみるから。」

座布団を寄せ集めて即席の布団を作る。無言でアーチャーがその上にイリヤをそっと横たえた。

「酷いわね、眼球は完全につぶれてるわ。自分のはともかく他人の眼球の再生なんか私はできっこないけど、傷口をふさぐくらいは……」

台所からお湯と医薬箱から消毒用アルコールを持ってきた。消毒した脱脂綿で傷口の血を落とす。
幸いなことに、傷口は比較的きれいだったので、傷口を治癒することはそれほど難しくなかった。

遠坂の魔術刻印から治癒の呪を検索し、起動する。士郎を救った時はあのルビーを使ったのであんな荒業ができたが、今はイリヤにそこまで投資できない。自分の身に纏った魔力を使う。
人差し指で傷口をなぞりながら治癒魔術を施していく。
ひととおり治癒した後、薬箱から包帯を持ってきて目を保護するように巻いた。

「遠坂、敷いたぞ。」
「ありがと。一応傷口は塞いだから大丈夫だと思うわ。」
「わかった。」

士郎が心配そうに寝ているイリヤを覗き込む。包帯が巻かれているのを見て安心したのか、軽く息を吐いてから、感謝の視線を向けてくる。
いつもながら士郎は感情をストレートに乗せてくるので、その視線がちょっと眩しかった。
照れもあったので、不自然なほどぶっきらぼうに答え、顔をそむけてしまう。
士郎は、そんな私の行動を理解しているのか、気分を害することも無く、そして壊れモノを扱うようにやさしくイリヤを抱き上げて隣の客間に連れていく。

「ああ、そうだ、もうひとつお土産。」
「へ?」

士郎が客間に消えると、無言でずーっと立っていたアーチャーがコートの内側というより背中から銀色の細身の長剣をとりだした。あまりにも唐突に意外なものが出てきたので、間の抜けた反応しかできなかった。

よくよく見ると、刀身や柄にびっしりとルーンが刻まれた見事な削り出しの直剣で、一目で唯の剣ではないことがわかった。
その剣を訝しく見つめながら入手経路を訪ねる。こんなものがそうそう転がっているわけがない。
家にもいくつか武具を所蔵しているが、存在感が違う。宝具と言っていいレベルのものだった。
一瞬、売り飛ばしたら幾らになるか? と考えたが、ひょっとすると値が付かない物なのかもしれない。

なのに……

なのに、このアーチャーは……

「どうしたの、これは。」
「捕まえた。」

「……は?」

えーと……。剣って捕まえるものだったっけ?
アーチャーの言葉が理解できずに、きょとんとした表情になってしまう。
そんな私を、見ながらのんびりとしたアーチャーが柄の方を向けて剣を差し出してくる。

「だから、捕まえた。捕まえてしばらくしたら、大人しくなったから持って帰ってきた。僕には必要のないものだから、あげる。」
「……はぁ。」

なんか頭が痛くなってきたような気がする。

「……ところで、なんて名前の剣なの?」
「さぁ?」
「……なにか、よく分からないけど、ありがとう。」
「どういたしまして。」

アーチャーがにんまりと屈託のない笑顔を向けてくる。
やっぱりよくわかんない。剣を捕まえるって、どういう意味? 大人しくなるって剣が勝手に逃げたり暴れたりするの?
どうにも理解できないで首をかしげながら、お礼を言って銀色に光る剣を受け取る。
一瞬全身を静電気の様なものが走ったが、特に呪いなどではなさそうだった。

柄を軽く握って振ってみる。

――軽い。

金属でできているはずなのに、羽のように軽い。アゾット剣などとは比較にならない程の魔力を感じた。
これは遠坂家の家宝にでもしようかしら。

「でも、真名が分からないと、本当の力は発揮できないわよね。というより、私に使えるの?」

しばらくの間は士郎に貸してあげようかな? とも思いつつ、サーヴァントを傷つけられる武器は貴重なので、ありがたかった。
バーサーカーなんかはセイバーの剣ですらほとんど傷つけられなかったし。
そう思いながら、ちゃぶ台に剣を置いて、コートを脱いで坐ったアーチャーの前に腰を落ち着ける。

「って、そうだわ。バーサーカーはどうしたの? イリヤがここにいるってことは……」

目の前のアーチャーは静かに首を振った。

「そう、あのバーサーカーが負けるなんて……信じられないわ。……で、なんでイリヤを連れ帰ってきたの?」
「聖杯だから。」

「は?」

さっきと言い、今と言い、アーチャーが言ってることがいまいち理解できない。私、疲れてるのかな?
いや、まあ疲れてるけど……
思考回路が止まった私の前でアーチャーが急須のふたを開けて、中を覗いていた。

「ギルガメッシュが”聖杯になる”そう言ってた。」
「ちょっ、ちょっ、ちょっと待って。イリヤが?」
「そう。」
「聖杯になるって?」
「らしいね。」
「だって、イリヤはマスターよ?」
「だね。」
「……イリヤが起きたら聞くしかないわね。」

アーチャーが、淡々とした口調で信じられない事実を告げる。
それを聞いた私は愕然とした。イリヤが聖杯になる!? いったいどういうこと?
では何故、聖杯になる存在をマスターとして参戦させたのか。最初からアインツベルンは勝つ気がないのか? そもそも、聖杯って……?
アーチャーは、最初から興味が無いらしく、自分で急須からお茶を入れてあられの袋を開けていた。
目が合うと、食べる? とばかりに軽くその袋を上げるが、ゆっくりと首を振り丁重に断った。
そうこうしていると、客間から士郎が出てきた。

「ふぅ。まるで病院だな。」
「そうね。イリヤは?」
「落ち着いてるみたいだ。意識はまだないみたいだけど、呼吸は安定してる。」
「そう。」

士郎のげっそりと憔悴したような表情が気になった。確かに、この短い時間でいろんなことが起き過ぎた。ちょっと休まないと、体も精神ももたない。オーバーヒートしそうだった。

「あ、そうだ、アーチャー、お茶入れるから待ってくれ……って自分で入れてるのか。
で、遠坂。その剣はどうしたんだ?」
「えーと、まあ色々とね。士郎、今日はもう遅いわ。頭も落ち着けたいし、事実関係の整理もしたいし、一旦休みましょう。自分では分からないかも知れないけど貴方もひどい顔よ。」

目ざとく剣を見つけた……気がつかない方がおかしいが、士郎と話をする気力も尽きかけていた。
テレビの上に乗ってある時計を見ると。時計は4時を回ろうかとしていた。

「確かに、もうこんな時間か。そうだな。わかった遠坂、一旦休んで明日の……ってもう、今日になるか、朝に話そう。動かない頭であれこれ考えてもダメだしな。」
「私は客間で寝るわ。イリヤの横で。士郎はセイバーについていてあげて。」
「わかった。」
「じゃあ、お休み。」
「お休み。」

私の視線につられ士郎も時計を見て納得する。珍しく、聞きわけがいい士郎にちょっとびっくりしたが、緊張の糸が切れたのか、士郎はよろよろと自室に向かっていった。


-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-


士郎が出て行って、居間には私とアーチャーだけが残された。

「アーチャー。」
「ん?」

私の呼びかけに、あられをぽりぽりと食べながら新聞を見ていたアーチャーが、新聞を降ろす。
その顔を正視できなくて、そっと視線をはずし、蚊の鳴くような細い声で、心にたまった不安を吐きだす。
アーチャーに聞いてもらいたくて。

「……私、……今日、人を殺したわ。知っている人を。」
「そう。」
「普段からいけ好かない奴だった。殺されても仕方がないようなことをしていたわ。」

「……でも同級生だったの。桜の兄だったの。」
「ん。」

「……アーチャー、あなたは何も言ってくれないのね。」
「……。」

アーチャーの口調は何も変わらない。責めるでもなく、慰めるでもなく、ただ事実をそのまま聞いていた。
目を瞑り、八当たりとわかっていたけど、迸る感情をそのままにアーチャーにぶつける。
いけないと思いながらも、一旦堰を切って溢れたモノは止めることができなかった。支離滅裂な内容を、知らず突き刺すような声で叫んでいた。

「……なんか言ってよっ! 遠坂の家を守るために桜を切り捨て、それでも桜が幸せならばって思ってたけど、どんな仕打ちをされていたかも知らず、のうのうと暮らしていたわ。
本気だと思ってたけど、聖杯戦争も中途半端な気持ちで参加して、挑発されて人を殺したわ。それも同級生で桜の兄をっ!
誰にも相談もできず、これまで自分で決めて来たけど、正しいことかどうか、もう分からないっ!
私はどうしたらいいのっ!? これからも目の前に立ちふさがる敵を殺しつくせばいいのっ!?
責めてよっ! 人殺しって言ってよっ! でないと、でないと……。」

思わず両手で顔を覆いペタンと座り込む。

「もう、お休み。」

すぐ前から掛けられた声が、いつもより優しいと感じたのは、気のせいだろうか?
思わず顔を上げ、いつの間にか目の前にいるアーチャーを潤む目で見上げる。アーチャーの手が肩に触れたと思った瞬間、意識がブラックアウトした。


Chapter 24 杜絶 Side-士郎


居間の障子をそっと開ける。ちょうどアーチャーが意識を失った遠坂を抱きあげたところだった。
アーチャーがのんびりした顔を向けてくる。
一瞬、アーチャーが別人に見えて何故か体が硬直した。
目を瞬かせたがいつものアーチャーだった。

「どうしたの?」
「……あ、…いや、遠坂が気になって。」
「早く寝た方がいいよ。」
「……。」
「何?」
「遠坂は……慎二を殺したのか?」
「みたいだね。」

両手でパチンと頬を叩いて頭をはっきりさせた。アーチャーの腕の中で寝ている遠坂を起こさないように声を幾分落とす。できれば聞きたくなかった。しかし、聞かなければならないとも思っていた。
居間から出てから自室に戻り、ふと聞こえた遠坂の声に違和感を感じてあわてて戻ってきて、思わず聞いてしまったのだった。
そしてアーチャーは認めたくなかった事実を、のんびりとした口調であっさりと認める。

「そうか……。うすうすは感じてたけど……。アーチャーは……、いやいい。アーチャーは何があっても遠坂の味方だよな。」
「さ、君も早く寝なさい。」
「……わかった。」

慟哭を聞いてしまった、自信に満ち溢れている筈の遠坂の心の闇を。
桜が遠坂と何らかの関係があるらしいことも、それが何か重大な問題を抱えていることも。

……そして、慎二を殺したことも。

それを聞いて自分の感情を持て余した。一方で師でもあり友人でもある遠坂が、一方では友人を、桜の兄を殺した殺人者であると言う事実。
確かに慎二が行ったことは褒められたことでは無いし、殺されても仕方がないことだろう。だけど、友人として付き合っていた自分は、簡単に割切ることができなかった。
まだなんとかなるんじゃないか? そう考えていた。

一人で残って戦って、責任を一人で抱えてきていた遠坂が、脆いガラス細工でできているように感じた。強くも脆いガラス細工。
翻って見ると、なんだかんだ言っても頼れる存在が自分には居た。一人で塞ぎこむようなことがあっても、問答無用で引きずりだしてくれる姉が居た。
しかし、遠坂には誰もいなかった。そう、アーチャーが来るまでは。

自分はまだ割り切れない。
でもアーチャーは、アーチャーだけは遠坂を助けてくれるだろう。

アーチャーが客間ではなく、遠坂の部屋に連れていくのを見て、体を引きずりながら自室に戻る。
どっと疲れが出てきた。

一つの事実が、心にひび割れを作る。慎二がもう、どこにも居ないという事実。

布団の上に疲れ切った体を大の字に投げ出した、手で目を覆う。
押し殺した嗚咽と共に、顔を熱いものが滴り落ちる。

「慎二……お前……なに…やってん…だ…よ…、桜が……悲しむ……だろ……。」


Chapter 24 杜絶


凛を自室に運び、ベッドに放り込んでから、中庭に面した廊下を歩いていたせつらがふと脚を止める。
特に身構えることもなく、陽だまりで昼寝をしているような顔が、掃き出し窓を開いて何もない中庭を見る。
冷たい風が流れ込む。

「申し訳ないですが、お引き取り願えませんか?」

誰も居ない空間に向けて放たれた、のんびりとした声に反応するように、ざわざわとした気配がした。
しかし探知結界は何も反応しない。

――ケケケケケ、おどろいた。よくわかったね。

そこに白い髑髏が浮いていた。
多少驚愕を纏いつつも嘲るような囁く声がせつらの耳に届いた。

さぁっと風が吹いて、アーチャーの髪をなびかせる。

――クククク、さて、これから……

「……私の気が変わらない間に立ち去るがいい。」

せつらだった。そしてせつらではなかった。

先ほどの雰囲気を微塵も感じさせない、その声音に何を感じたのか言葉の途中で一瞬で髑髏が消える。
後にはせつらだけが残された。

しばらくすれば夜が明ける。
長い長い夜が明ける。

静かに窓を閉めたせつらは、その場で静かにたたずんでいた。


~interlude~


なにか熱い塊が私の中に入ってくる。
最初の塊はとてつもなく巨大な暴風の様なもの。
偉大な暴風で、暴れ狂っていた。

ワタシがそれに満足したのが私はわかった。

次の塊はとても悲しい、冷たい水のよう。
悲しみを積み重ね、淀んでしまった。

ワタシの食欲が加速する。

私の世界がつぎはぎの様になっていく。

……タ。

いけない。だめっ。

……スイタ。

いやっ。

オナカスイタ。

だめっ。

マダタベタイ。

いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやっ。

――モう、オそイ。

~interlude out~