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~interlude~

じゃりっ

じゃりっじゃりっ

砂利を敷き詰めた柳洞寺の境内を、本堂に向かって壮年の和装の男性が歩いている。
月光は曇に隠され、押し殺したような雰囲気の中、唯一人が存在感を示している。
はらりと落ちてきた青みがかった髪を掻き上げ、隼のように鋭い眼がその下から覗く。
峻厳なその表情は、ある種の求道者の趣さえ感じさせられる。ただ、その身に纏うオーラは聖職者のそれではなかった。
妖気とも呼べる程の異様な気配を漂わせつつ、あたりを見渡しながらゆっくりと闇夜に歩を進める。

本堂は竜巻が襲ったかのごとく破壊され、境内は巨人たちが争ったかのごとく荒れていた。
ゆっくりと歩みを止めた和装の男性は、張りのある声でつぶやく。

「ふむ、確保はできた……か。最低限の仕事はしたということじゃな」

何かに気がついたのか、ふと顔を巡らし社務所の方にゆっくりと歩き始める。

――間桐臓硯。それが彼の名だった。畏怖の対象とも、生存を疑問視されてもいたが、今の彼は圧倒的な存在感を示していた。まさに間桐家最大最凶の妖術師の異名どおりに。

何故か地面を見ながら歩いていた臓硯の表情に、憎しみとも怒りともとれる表情がにじむ。

暗闇にまみれて何かの物体が大量に散乱していた。

――切り裂かれた蟲の死骸が。

――人間の肉片や骨片が。

「ここで落ちたか」
「そ…う…です」

呟いた臓硯が、息がかかるぐらい至近距離から背に声をかけられて愕然と振り返った。

目と鼻の先に白い髑髏が輝いていた。

臓硯は驚愕した、これほど接近するまで気がつかなかった、いや、目の前に髑髏があっても、目を閉じれば幻かと思うほど気配が希薄だった。
一瞬身構えたが、髑髏に攻撃の気配を感じないため、そのままの体勢で訝しく目を細める。

人間ではありえない存在を前に驚愕の表情を浮かべても、臓硯に微塵も恐怖した雰囲気がないのはさすがというべきか。その身に満ちる妖気は異質の存在すら凌駕しているようであった。

その自信にたじろいたのか髑髏は、ただ漂う。

「……おぬし、はぐれか? 我に何用じゃ?」
「わか…ら…ない。で……も…何か…覚えている……」

臓硯の問いかけに、ゆらゆらと揺れる髑髏は特に変化を見せない。
その姿は戸惑っているようにも見えた。
しばらくその姿を凝視していた臓硯は、得心したのか大きくうなずいた。

「かっかっかっ、なるほど、そういうことか。ではな、お主、お主は我に――」

しばらくして手を伸ばし、何事かを呟く臓硯に対し、髑髏が恭しく頭を下げていた……。

~interlude out~


超高硬度合金製の―ただし所々へこんだり、溶かされたり、明らかに銃痕やバーナーで焼き切ろうとしたような傷がある―2m四方の箱。即ち、ただの貨物用のエレベーターが地下2階で停止する。
開いた扉の先は、寒々とした剥き出しのコンクリートの通路であった。天井はところどころ発行パネルが瞬いていた。
もっとも通路といってもほんの5mほど。壁に巨大な動物かショベルカーが引っ掻いたような跡がついていたり、血痕とおぼしきなにかで黒々と汚れていたりするのはお約束かもしれない。
通路の奥に、黒々とした、リペットと交差する鉄の棒で補強されたごつい金属製の扉があった。ナメクジがのたうった様な文字で書かれた何かの呪符を、べたべたと張り付けられている所を見ると、人間以外の利用者が多いのだろう。
鈍い光を反射する金属扉の前に、ボディーガードらしきプロレスラーの様な体格の男が二人、窮屈そうに黒いスーツを来て仁王の様に立っている。
両手にもったアフリカ像ですら一発で絶命できそうな巨大な自動拳銃をエレベーターから降りてきたせつらに向けていた。その姿は誰も通さない鉄壁の要塞をイメージする。

――正常時であれば。

黒いサングラスに隠されて表情を窺うこともできないが、小刻みに体が震え、せつらに照準を向けているはずの銃口は、浅い呼吸に合わせて大きく揺れていた。手が震えているのは自分の置かれた状況を正確に認識しているからだろう。
自分達の生き死にが目の前の、大きなドラムバッグを抱えた黒いコート姿の優男の気分次第で変わることを。

「すいませんが、通してもらえますか?」
のんびりとした声に、男達は弾かれたように体がビクンと強ばる。
が、投げかけられた言葉の内容がようやく頭に届いたのか露骨に安堵した。

「お、お、俺はあんたを狙ったんじゃねぇ。エレベーターから降りてきた奴には銃を向けろと言われてるんで、仕方なしにやったんだ。あんたに危害を加えるつもりはねえ」
焦ったように、言い訳をまくし立てる右側の男に同意するように、左側の男も頭をぶんぶんと振る。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。今開ける」
そう言って壁の認証パネルに手をかざしてドアを開ける。


――せつらは紫庵に呼ばれて、ここにやってきた。
無機質なマシンボイスが、事務所に帰ったせつらを出迎えた。
留守電のメッセージを再生すると流れだした。

――羽柴奈々子を預かった。


20畳ほどの打ちっぱなしのコンクリートの部屋に、ぽつんと置かれたパイプベッドと形ばかりのテーブルが並べられている。
ベッドに、淡いブルーのブラウスと薄いピンクのタイトスカートを身につけている若い女性が座っていた。
背中までのストレートの長い髪がいささかくすんでいた。
いつも陽気で明るく、そのくせ、派手な色よりも控え目な色がよく似合う、そんな生徒会長で全校一の才媛だった少女の面影を、その女性は仄かに残していた。

床をじっと見る眼に怯えや恐怖の気配は無かった。その顔立ちは昔と変わらず美しく――だが、石像の様に無表情だった。
感情の色がわいて石像から人に戻ったのはせつらを見た瞬間。
純粋な驚きと美しさの感動の後に、すぐ別の感情が広がった。

懐かしさ。

「秋くん―――」

老婆の様に擦れた声は緊張と環境の変化が原因だったのだろう。無理やり誘拐されて連れ込まれた、コンクリートに囲まれた檻に監禁されるのは、”ここ”の住人とはいえ少々つらい経験だっただろう。

「痩せたね」
「そう?」

無感情を装うとしたが、泰然としたせつらの変わらぬ声に、弾かれた様に桜色に染まる頬と潤む目が、その努力を裏切っていた。

「迷惑をかけたね」
「いえ」
「つれていくよ」
「ありがとう」

「言っておくが、連れてきただけだぜ? 手はだしてねーよ」
完全に無視されていた紫庵が扉の脇にもたれかかった態勢から身を起こす。
薄紫色のスーツに身を固めた元世界一のモデルの美貌もこの場では霞んでしまう。目の前の黒衣の麗人によって。

高校時代の同級生が、同じく同級生の元生徒会長を誘拐し、同級生と脅迫する。
”ここ”では、そういうこともあるだろう。いや、日常茶飯事だ。

「さあてと、どうする? まあ、ここからは出るわな」
髪をぽりぽりとかきながら、紫庵がせつらが入った後、閉じていたドアを開ける。
その直後、脱兎の如く逃げ出した紫庵と入れ違いに完全武装のガードマン達がなだれ込んできた。
ガードマン達が自動小銃を向ける。

……いや、向けれなかった。

「最後の我慢だ」
多少、奈々子を庇うように移動したせつらが発した声が、耳に届いたと同時にガードマン達は気がついた。

――向けるべき自動小銃が腕ごと落ちていることに。

「え?」
何が起きたのか分からないガードマンは噴き出す鮮血で壁を赤く染めながら崩れていく。

「おれじゃねえ、こいつらが勝手にやったんだ。おれが命令したんじゃねえ」
廊下の端でエレベーターのボタンを必死に押しながら、紫庵が叫ぶ。
その足元には、先ほどせつらに銃を向けた入口のガードマン……だったものが散乱していた。

「筋肉は嘘をつかないよ、それに演技が過ぎる」
「やめてっ!」

耳の後ろにつけてある通信機のボタンを押したことを、頭を掻く紫庵の腕の筋肉の動きから、せつらの妖糸は捉えていた。せつらが紫庵の方に向かおうとした瞬間、奈々子がせつらの背に飛び付いた。
せつらが、背後の奈々子を見やると同時に、チンと間抜けな音を立て、エレベーターのドアが開く。
ところどころ金属が輝く強化サイボーグのガードマン達が飛び出して来て紫庵を守る。

「やれっ」
そう叫んで、エレベーターに乗り込もうとした紫庵の喉が丸く切り抜かれる。
強化モーターを唸らせて瞬時にせつらの方にバルカン砲をポイントしたガードマン達は、引き金を引くことすらできずに、切り刻まれる。
血が、油がバケツをひっくり返したように飛散して、あとは鉄と肉の塊が残る。
毎分数千発を吐きだす脳波連動の自動照準のバルカン砲も、銃身を熱くする間もなく沈黙していく。

「さ、いこう」
「あ…」
そういって、振り返ったせつらの目には硬直した奈々子が映っていた。
おもむろに背を向けたせつらは、奈々子の目の前で腰を落としてしゃがんだ。
「さ」
自分の背に乗れというように促す。
操られたように、奈々子は目の前のせつらの背中に抵抗も示さず乗り、目をきつく閉じて首にしがみついた。

「……軽い」
すっくと立ち上がり、奈々子を背負ったせつらは、血だらけで肉片が散乱した地獄の1シーンの様な部屋を出て、何が起きたのか分からない表情を張り付けたままのガードマンの首が転がる廊下を抜ける。

うつ伏せで倒れた紫庵は切り裂かれた喉から噴き出した自らの血の海に沈んでいた。
倒れ込んだ彼の足を挟んでは開く動作を繰り返すエレベータにせつらは奈々子を背負って乗り込んだ。


紫庵の事務所が入っていた雑居ビルから近くの公園まで来た時に、ようやく我に返った奈々子が身じろぎをする。

「……やっぱり、おろして。あなたにこうしてもらってると、通りがかった人達が私を憎しみの目で見るのよ」
「気を確かに」
のんびりした口調のせつらに、奈々子が苦笑した。

「もう確かよ。でも驚いた、

……秋くん。

…………変わらないわね」

公園のベンチに降ろされた奈々子がせつらを見上げて眩しそうに目をしばたたかせる。

「昔からとってもきれいで、怖い人だったけど。やっぱりね。
紫庵くんまで殺すとは思わなかったけど」

せつらから目を離し、じっと何かに耐えるように奈々子がつぶやく。
公園だが、周りには誰も居ない。当然だ、この町の公園は安全な所ではない、子供たちが遊ぶ場所でもない。
ネズミか何かの小動物が走り、何かの蔦に絡まれて茂みに連れ込まれ、鳴き声に何かを砕くような音が重なるのを聞きながら、言葉を続ける。

「……わかってる。ここは<新宿>よね、親も兄弟も友人も明日には殺人鬼や化け物に変わってる。
……わかってるけど、私にはまだ高校の時の記憶が残ってるのよ」

顔を手で覆い、微かに嗚咽を繰り返す奈々子を、せつらはドラムバッグを肩に担ぎなおしながら、そっと見守る。
時折二人に襲いかかってくる蝙蝠の様な動物が空中で真っ二つになって血の花を咲かせる。

エレベーターの中の紫庵を奇麗な体のままに切ったのは、この若者の心遣い。と知れば彼の知人は卒倒しただろう。
紫庵は喉を切られるだけでなく、首が飛んで、四肢が落ちてもおかしくなかった。

「ごめんなさい。つまらないことばかりしゃべってるわね。私、あんまり楽しい人生じゃなかったから」
「聞いたよ」

「……やだな、どんどんでてきちゃう。こんなに泣き虫じゃ無かったよね。秋君のせいよ」
「どうして?」
「思い出したのよ、いろいろと。まずいことに楽しい思い出というものが混じってたわ」

しばらくして、ふっ切ったように顔をあげた奈々子は、せつらの一言でふたたび声もなく涙を流した。
ただ、その微笑んだ表情は悲しい涙ではなく、嬉しい涙ということを如実に物語っていた。

「紫庵君に誘拐されて、人質にされた時、ほっとしたわ。これですべてから逃げられるって。でもあなたをおびき出すエサと聞いたら気が変わった。絶対生きてやるって。あなたともう一度会うまでは絶対生きてやるって。……それも、もうかなったわ…………」
奈々子は、無理やりに望まない結婚をさせられ、夫から虐待と凌辱を受け絶望の毎日を送っていた。
そんな見えない未来を抱える日々で彼女を救ったのは、せつらと過ごした高校時代の記憶だった。
その思い出にすがって生きていた。

ベンチに座る奈々子とその前に立つせつらを、生暖かい風が包む。

「帰るわ」
やがて、日が傾き、影が長くなって世界をオレンジに染め上げはじめる頃になって、奈々子はひっそりとつぶやいた。

「送っていこう」
「え」

せつらの思わぬ申出に、信じられない物を見たように奈々子が見上げる。

「送っていくよ。ただし――あぶないぞ」
「同じことよ」

繰り返すせつらに、吹っ切れたように透き通る表情を浮かべ、奈々子が立ちあがる。
彼女もまた、<新宿>の住人だった。
立ち上がったついでに、ようやく気がついたかのようにせつらの背負う大きなドラムバッグを見つめる。

「そういえば、どうしてそんなものを持ってるの?」
「親の遺言でね」
「何が入ってるの?」
「魔震」
「やだ」

せつらがドラムバッグをぽんぽんと叩いて、奈々子の方に顔を向け生真面目に答える。その、あまりにもすっとぼけた口調とあり得ないモノを詰めているとの言葉に、思わず奈々子が噴き出す。
こんなに無邪気に笑ったのははたして何年ぶりだろうか?と考えつつ。

「やっと笑ったね」

奈々子は何も変わらないせつらの表情に、励ましの気配を確かに感じていた。


<b><font size="4">Chapter 25 孤弱 Side-凛</font></b>


「……朝?」

静かに流砂が流れるような雨音が耳に入って目が覚めた。あたりを見渡すと、私の部屋だった。まあ、”衛宮家の”という修飾子がつくけれど。
ふと違和感を感じて顔に手をやると、泣いた跡があった。

「……夢?」

ぼうっとして、なかなか回転数が上がらない頭で記憶を辿る。
あれはアーチャーの夢だった。鮮明に残るアーチャーの夢。
彼の高校時代なんて想像がつかないが、確かに夢に出てきた人達は同級生のようだった。
アーチャーが同級生を助ける為に、同級生を殺して…………!?

「あ……っ」

急に動かしたため、体が悲鳴を上げるがその痛みを無視してベッドに身を起こす。

昨日のことがフラッシュバックする。あまりにも様々なことが起きた一日。一日で数年分の経験をしたようにも思う。
そのことが如実に思い出せてくる。

最悪な敵マスターのはずのイリヤスフィールを連れて士郎が帰ってきて
それをアーチャーが送って行って
なにをとち狂ったかアサシンがチャイムを鳴らしてお宅訪問してきて
セイバーとライダーが激突して

そして……

……そして、私は慎二を殺した。

その思いがあったのだろうか、今日のアーチャーの夢を見たのは。
アーチャーは躊躇いも気負いもなく、いや、何の感傷もなく同級生を殺していた。
同級生だけでなく、何人ものガードマンを有無を言わさず殺していた。
微動だにせずに。

そんなことは今の私にはできない。

ほんの数分であれだけの人を殺し、平然としている。その心の強さに羨ましさを感じる反面、恐怖も感じる。
果たして、アーチャーを人間という枠に入れていいのだろうか。と。
往々にして、自分や他人のために犠牲をいとわない人種は、自分の立ち位置を変える。

――たとえば人を超えた者として、人ではない者として。
――敵として。味方として。
――守るものとして。守られるものとして。

そうしなければ自己の正当化ができない。人が害虫を殺すことを何とも思わないように、罪悪感を感じないように、自分を保護する。

”殺す”ということに自然の摂理以外の意味と罪の概念を持ってしまった人間は、動物から切り離されてしまった。
この”世界”もその流れに沿ってきた。
人である以上、殺しについて罪の意識が付きまとい、一つ一つの負の感情に耐えれたとしても、それが何十、何百と繰り返されれば精神が摩耗する。

……”人”であるならば。

私たち魔術師も、そう。魔術師という特別な立場であることを拠り所に、自分を守っている。
魔術師だから、魔術師なので、魔術師は人とは違う……。そうやって人の世界を切り離してきた。

アーチャーはどうなんだろうか? あの、のんびりした表情の裏であれだけの経験をしている……。
彼は”人”だろうか、それとも……。

「……いっそ、狂うことができれば楽よね」
誰も居ない空間に溜息と共に呟きが微かに漏れる。

――自分の目的のために邁進するために、人として耐えかねた者が堕ちるんじゃ……。

ふと、そう思った。

魔術師の中で、狂って”堕ちる”魔術師が多いのも今なら判るような気がした。
”人”を維持しながら魔術師を目指すということはとても難しい。果たして、私はどうなるのだろうか。
知らず、ベッドの上で膝を抱え込んでいた。

もう、後戻りはできない。私は魔術師として生きることを選んだ。

「お父様も、こんなくだらない葛藤をしたんですか?」

天井を見上げ、すでに居ない父に向って語りかける。

父から家族、そして桜を連想した。いや、連想してしまった。
夢の中で、桜と似た境遇の人は、アーチャーに会って救われたようだ。
でも、桜はまだ救われていない……

「桜を救うのは士郎の役割……なのかな」

「うっ、さむっ」

隙間風が背中に鳥肌を立てた。

「っ、何を感傷にひったってるのよ。私! しっかりしなさい、遠坂凛!!」

自分で自分に檄を入れ、両手でパチンと顔を叩く。
そうだ、私は遠坂凛。遠坂家の当主で冬木の管理者。
こんなところで立ち止まるわけにはいかない。私は勝たなければならない。

「さてと、そろそろ起きましょうか。セイバーの傷も気になるし、アーチャーにもいろいろ話を聞かないといけないし」

そうだ、イリヤスフィール。アーチャーが連れ帰ってきた彼女は今……?

「……っ、しまった。まずいわ。こんなところで寝てられない! というか、なんでこの部屋で寝てんのよ!」

そう、彼女の魔術師としての能力は悔しいが私を超えるだろう、そんなマスターを野放しにしていれば、ここはどうなる。牙を向けば士郎などひとたまりもない。そのうえセイバーは満足に動けないはず……。
昨日、私は何が起きてもすぐ対処出来るように居間で寝ると決めていたのに……

自分がいないために起きる最悪の事態を想像して、背筋が寒くなった。
自分の寝間着姿などを気にも留めずに、机の上に置いてある宝石を握りしめ慌てて部屋を飛び出した。


『う、うわ、ま、まてっ! まて! イリヤ!』
案の定、切迫した士郎の声が聞こえてきた、ぎりっと歯ぎしりをし、直ぐに呪文が発動できるように居間に飛び込んだ。

「士郎っ!」

そして、居間に飛び込んだ私の目の前に広がっていた光景は……。


Chapter 25 孤弱 Side-士郎


「……っ」
習慣になっているのか、急速に眠りが浅くなりふっと目が覚めた。
顔だけを動かして机の上の時計を見ると朝の7時を指し示していた。
外から微かな雨音が聞こえる。昨日の澱を洗い流すかのような、静かな雨音だった。

たしか、布団の上で大の字になっていたかと思ったけど、いつの間にか布団にもぐりこんで寝ていたらしい。
徐々に意識と記憶がはっきりしてくる中、俺はゆっくりを体を起こした。

「つっ、ほとんど寝てない・・・か」

昨日の連続身体強化が祟ったのか体中がフルマラソンをした後の様に軋んでいる。背中の怪我はすでに完治していたが、肉体を酷使したものは治療されないらしい。特に下半身の関節が悲鳴を上げるのを、宥めつつゆっくりと立ち上がる。

「がっ……」

関節を徐々に曲げながら屈伸してみる。びきびきと筋繊維が千切れるような感覚と共に、何回か繰り返すと徐々に体が馴染んでくる。

そういえば、襖を閉めているが、隣の部屋には意識のなかったセイバーを寝かしている。
一抹の不安を感じたので、そっと襖を開けて様子を窺って見ると、記憶と同じ体勢でセイバーが横になっていた。
その姿はあまりにも儚く、消えてしまうかのように……、だけど美しかった。目に映ったその姿を見て、思わず硬直してしまう。
金砂に輝く髪に天上の造形士が思うまま鑿をふるって削り出した様な美しい顔、静かに目を閉じているセイバーを見て、侵してはならない神聖さすら感じてしまう。
あまりにも静かなその姿を見て一瞬、そのまま息を引き取ったのかと、悪夢のような妄想をしてしまった。
しかし、微かではあるが規則正しい胸の上下動が感じられ、安堵のため息が出た。

「セイバー、ひょっとして起きてるか?」
「……はい」

寝ていれば申し訳ないなと思って、微かに囁いた程度の声だったのだが、それが届いたらしくセイバーが徐々に目を開ける。
思わず慌てて傍に寄ったが、律儀にも顔を顰めながら手をついてセイバーが起き上がろうとする。
その肩をそっと抑え、かぶりを振った。

「セイバー、無理するな、今は寝ていてくれて構わないから」
「しかし、シロウ。私はあなたのサーヴァントなのに、迷惑しか掛けていない」
「いいから、今は落ち着いてゆっくり寝てくれ。それに、セイバーがいてくれて助かってるんだから、そんなことは言わないでくれ」

唇をかみしめながら苦悶の表情を浮かべ身を起こそうとするセイバーに半分抱きつきながら、無理やり横にすることに成功した。普通だったら跳ね飛ばされていただろうに今のセイバーは見た目通りのか弱さだった。
その姿に思わず悲しくなった。セイバーがこんなになったのは、俺のせいだ。と。
だから、セイバーの顔を覗き込みながら諭すように微笑んだ。お前は悪くない、と。

「え、いや、あの、その……」

何故か頬に朱をさしたセイバーはこっちが直視できないのか、目線をふらふらと彷徨わせていた。
良く分からなかったので静かにセイバーを見ていたら、一瞬目を合わせ諦めたように大きな溜め息をついてからゆっくりと力が抜けていった。

「セイバー? 様子はどうだ? どこか痛いところとかあるか?」

しばらくして聞いた問いは、多分サーヴァントに対する質問としては適切ではなかったのだろう。セイバーが困ったような表情をしていた。ただ、今のセイバーをみていて、人間じゃないなんてとても思えなかった。

悲しかった。悔しかった。俺だけがぬくぬくと戦闘にも加わらずに、後ろで見ているだけしか出来なかったことに。


-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-


「まだ、少々からだが言うことを聞きませんが大丈夫です。しかし魔力は殆ど枯渇していますので、まともな戦闘は難しいです」

サーヴァントという身を心底心配してくれる年若いマスターの表情を見て微笑ましく思ったのか、セイバーが微苦笑を浮かべながら今の状態を告げる。とりあえず現界は続けられる。だが、今の彼女に残っている魔力はそれだけだった。
度重なる戦闘と対ライダー戦で展開した風王結界、それと宝具の真名開放がとどめだった。
マスターとなる士郎の魔術回路もこの数日の訓練だけでも、召喚直後の状態に比べたらかなり改善されているのだが、彼女が完全な状態になるには程遠かった。もし、完全な状態まで魔力を貯めるのであれば、10日単位での充電期間が必要になると考えていた。

「そっか。……すまない」

セイバーをじっと見ていた士郎が唐突に頭を下げる。

「ななな、なんでシロウが謝るのですか?」

セイバーが鳩が豆鉄砲をくらった様な表情をして、慌てて起き上がる。士郎は血が出るくらい強く自らの膝をつかんでいた。

「……いや、俺がまともな魔術師だったら、セイバーがこんなに……」
「シロウは十分頑張っています」

痛々しい士郎の自責の念を遮るかのように、セイバーは士郎の手の上にそっと自分の手を置いた。
士郎ははっとしたようにセイバーを見つめる。

「シロウは頑張っています。だから、自分を責めないでください」

繰り返す言葉に、徐々に士郎の硬さが取れていく。徐々に和らぐ雰囲気にセイバーもほっとした表情を見せていた。

しばらくして気分を入れ替えたのか、士郎が照れを隠すかのようにぶっきらぼうに聞いた。

「あ、そうだ、セイバー、朝飯食べるよな? 何がいい?」
「士郎が作るものであれば何でも」

己のマスターが多少なりとも立ち直ったことを実感したセイバーが多少、笑みを含んだ声音で返答する。
その顔を直視できないのか、士郎は視線を合わさないまま、わかったと返答しながら立ち上がった。

「じゃあ、イリヤの様子を見たらすぐ作るから待っててくれ」
「イリヤの様子って、イリヤスフィールがどうしたのですか?」
「いや、アーチャーが昨日連れて帰ってきた」

セイバーは一瞬、聞き間違いかと目を瞬かせた。確かイリヤスフィールは送っていったはず。と思いながら。
しばらくして形の良い口から出た返答はずいぶん間の抜けた声になった

「は?」

「……だから、アーチャーが昨日連れて帰ってきた」

「……で?」
「で、今、客間で寝てる」

あまりにものんびりしたマスターに、今までのいい雰囲気がぶち壊しになったセイバーは、肩をふるふると怒らせながら士郎を睨む、その視線におびえた士郎は誤解だ、ちょっと待てと両手を振りながら後ずさりする。

「ななななっ、シロウ! 貴方はっ、彼女が敵マスター「ちょちょちょっとまってくれセイバー。そんなに怒るな。イリヤは戦闘で負傷してアーチャーが助けてきたんだ」」

士郎のその言葉を聞いてセイバーの怒りが針で穴をあけた風船のように急速にしぼんでいく。
怪訝そうにしていたが、あることに気がついてはっとしたセイバーはまじまじと士郎を見つめる。

「……というと、まさか」
「たぶん」
「まさか、あのバーサーカーが負けたということですか?」
「……だと思う」

バーサーカーが負けた。その話はセイバーに衝撃を与えた。あの巨人はアーチャーとセイバー二人がかりで勝てず、イリヤスフィールが帰ると言い出したので結果的に助かったが、あのまま戦っていればどうなるか分からないほど強力なサーヴァントだった。
そのバーサーカーが負ける……となると……。

「そんな、あれに勝つのは……

……ギルガメッシュ

……消去法で考えて彼しかいませんか……」

セイバーの重い溜め息に、士郎もただならぬ雰囲気を感じた。
最優のサーヴァントと呼ばれるセイバー。それを凌駕するバーサーカー。そのバーサーカーにギルガメッシュが打ち勝ったとセイバーが言う。であればセイバーはギルガメッシュに勝てるのだろうか……と。
その思いが自然と問いかけとなって口に出ていた。

「セイバー、その、ギルガメッシュと戦って勝てるか?」

目を閉じてじっと考えていたセイバーが、しばらくの逡巡のあと、重い口を開いた。
その回答は最悪の想像どおりでもあり、意外なものでもあった。

「……分が悪いですね。今だと、確実に負けます」
「そうか。やっぱり俺のせいか…」

今だと負ける。では今でなければ勝てる可能性がある。セイバーの言葉は士郎に重くのしかかる。

――今と違うセイバー……そう、自分以外の強力な魔術師がマスターとなった場合のセイバーなら……。
――たとえば、遠坂のような、イリヤの様な、そして爺さんのように。

士郎は自分の考えに翻弄されていた。

「いえ、シロウ、そう言う意味ではありません」

士郎の迷いを敏感に感じたセイバーは、その考えを両手を振って否定するが、あまり成功したとは思えなかった。
なので、思考の迷路に入りかけた士郎の雰囲気を変えようと、セイバーは慌てて話題を強引に変えた。

「そ、そ、そ、そうです。そのアーチャーは帰ってきてるのですか?」

唐突な話題の転換にぱちくりと目を瞬かせた士郎が考え込んだ。

「……帰ってきてるぞ。帰ってきてるはず。多分」
「……いやに曖昧ですね」
「だって、アーチャーって、いつも知らない間にいなくなってるし」
「まあ、確かにそうですね」

まじまじと顔を見合せて、考え込んでいた二人は、おもわずはっと気がついて慌てて視線をそらした。

「と、と、とりあえず、イリヤの様子を見てから食事の準備するよ。無理しないで寝ててくれ」
「あ、あ、ありがとうございます。しばらくしたら参ります」

そういって士郎はぎくしゃくしたまま部屋を出て行った。
部屋に残されたセイバーは大きく溜め息をついて、じっと手を見ていた。

「……果たして、この手でマスターを守り切れるか……」
つぶやいた言葉は静かに部屋に溶けていった。


-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-


「あ、シロウ。シロウだね。で、ここはシロウのおうち。においと気配でわかったよ」

客間の襖をそっと開いた士郎に、布団の上に座っていたイリヤが顔を向ける。半分を包帯で包まれた顔を。
士郎はイリヤの明るい声とその姿のギャップで一瞬息が詰まった。そして、イリヤをこんな姿にした敵が許せなかった。

「……イリヤ……大丈夫か?」
「うん、大丈夫だよー。治療してくれたのは……リンね」

変わらず明るい声のイリヤに、不安感を抱かせないようにと、士郎は無理やり笑った。
実際にその表情をみたら、とても笑っているとは見えない顔だったが。

「おう、そうだぞ」
「まいったなー、借りを作っちゃった。もう、ほとんど痛みはないの」

てへへと舌を出すイリヤを見て、思わず抱きしめたくなる衝動に駆られたが、何とか自制して震える声を抑えた。
士郎はなんとかこの少女を助けたいと思い、イリヤの両肩にそっと手を置いた。
イリヤは一瞬ぴくっとしたが、直ぐに力を抜いた。

「で、何があった? 言ってくれ、イリヤ、俺に何かできることはないか?」
「う~ん、全員がいる時に話すわ。食事になったらみんな集まるわね? その時に纏めて話すことにする」
「……わかった」

頭をぽりぽりと掻いたイリヤは血糊で固まった髪に気がついて、いやそうな表情を浮かべた。
おもむろに、えいっと可愛い掛け声と共に立ち上がってよろけたイリヤに、慌てて士郎が手を差し伸べる。

「お、おい、大丈夫か?」
「えへへー、大丈夫よ、一人でじーっとしてるのも飽きたから、シロウのそばにいる。ついでに、お湯で濡らしたタオルちょーだい」

目が見えないことにまだ慣れていないイリヤは片手で士郎の手を掴み、片手を中空に彷徨わせる。
士郎は彷徨っている手をつかんで、そっと襖に誘導する。

「わかった、タオルも用意する。でも目が見えないんだからじっとしててくれよ」
「うん」

包帯に包まれた顔にはじける笑顔を乗せて、イリヤが士郎に笑いかける。


-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-


キッチンで調理を始めた士郎に、お湯で濡らしたタオルをもらったイリヤが居間で髪の血糊を手で探って一つ一つ落としていた。
しばらくしてセイバーの気配が近づいてきたのをイリヤは知覚した。
いつもの白いブラウスに着替えたセイバーが、居間の襖を開けた時に出迎えたのは、イリヤの明るい声だった。

「おはようご「あ、どんくさセイバーが来た」」
「なななな、開口一番、どの口ですか。そんな台詞を吐くのは!」

口の端に笑みを浮かべたイリヤに、一瞬にして激昂したセイバーが顔を真っ赤にした。

「ふふふ~ん。この口~っ」
「イ、イ、イ、イリヤスフィール! 今度という今度は許しません」

イリヤが更に挑発するように自分の口を人差し指で示したのを見て、セイバーが一瞬で詰め寄る。
すぐ前にセイバーの気配を感じたイリヤが拗ねたように頬を膨らませる。

「やめてよねー。セイバー、私目が見えないんだから」
「……あっ。……その……、大丈夫ですか?」

その言葉を聞いて改めてイリヤをみたセイバーは、顔を覆う包帯を壊れ物の様にそっと触った。
マスターという要素を抜いてしまえば、彼女の目の前にいるのは怪我をした小さな少女。そして、この姿を見てしまえば、イリヤを敵マスターと断罪するのは困難だった。
そんな少女にむきになったのが、少し恥ずかしくなっていた。
イリヤはセイバーにそっと触られて、くすぐったそうに身をよじった。

「へーんなのっ、サーヴァントなのに、敵マスターのこと心配しちゃって、シロウ菌がうつったのかな~っ?」

小悪魔の表情になったイリヤは挑発するように人差し指でセイバーをつつく。
つついた指を慌てて引っ込めたのは距離感がつかめなかったのか、力の加減ができずに、強く押して痛めたからだろう。

「なななな……」
「そっかぁ、セイバーはシロウ菌がうつるような事をシロウとしてるんだねー。へ~」
「………ィ、ィ、ィ、ィリヤスフィール!!! 言うに事欠いて・・・!!」
「あははははっ」

セイバーは顔を赤くしたり青くしたり、口をぱくぱくして言う言葉が出てこないようだった。
握りしめた両手がふるふると震えているのだが、目の前の少女に向けるわけにもいかずやり場のないエネルギーがマグマのように溜まっていった。
イリヤはその雰囲気を察知して、明るく笑って手を叩く。
いたずらが大成功した子供のように。

「おい、イリヤもセイバーも、仲がいいのはわかったから。暴れないでくれよ」

先ほどからそのやり取りを微笑ましく聞いていた士郎が、キッチンから顔を出した。
その顔には久しぶりの笑顔が浮かんでいた。数日前のイリヤとの殺す殺されるという殺伐とした関係でなくなったことが心底嬉しかった。

「は~い」
「シシシシロウ!! 発言の撤回を要求します。私が…」

明るく手をあげてこたえるイリヤと、憮然として頬を膨らまし、両手を腰にあてたセイバーの対比がおかしかったが、笑ってしまうと、さらにややこしい状況になることを感じ、神妙に謝罪する。

「分かった。謝る。だから食事を運ぶのを手伝ってくれるか」
「ぶつぶつ……」

複雑な表情をしながらも不承不承納得したセイバーが士郎が差し出した食器を運び始める。

「あはは~、セイバーったらかわいー」
「こらっ。イリヤもそれ以上、セイバーをからかうんじゃない」
「はーい」

士郎は大皿に盛ったサンドイッチをテーブルの中央に置いてから、イリヤの頭をなでる。
イリヤは大きな猫のようにごろごろしていたが、おもむろに士郎に思いきり抱きついた。

「じゃあ、シロウからかっちゃおーっと。えいっ」

中腰の態勢で不安定だったところに、イリヤに激突するように抱きつかれた士郎が、バランスを崩して倒れ込んだが、下になったイリヤを押しつぶす寸前で何とか手で突っ張った。

「う、うわ、ま、まてっ! まて! イリヤ!」

この体制は誰かに見られたら、士郎がイリヤを押し倒したように見えてしまう。
セイバーからは、あきれたような冷たい気配が漂ってきている。
そこへ、激しくだんだんだんと走る足音が聞こえ、ばんと大きな音を立てて襖が開いた。
そこには赤い寝間着のままで、纏めても無い髪を振り乱し、肩で息をついている強ばった表情の凛がいた。

「士郎っ!」

凛が居間を見た。
セイバーが凛を見た。
そして士郎がギギギを錆びついた機械のようにゆっくりと凛に顔を向ける。
イリヤはにこにこと士郎に抱きついている。

静寂がその場を包んだ。
深い深い静寂が。
そして、士郎もセイバーも、そして凛も硬直していた。
確かにその場では時間が止った。


どこかで音がした。そう、この音。 カコーン。 鹿威し part-3。


「……しろう?」

凛の顔がひくひくと引き攣っていく。こめかみがぴくぴくしているのは気のせいではない。
そして、だんだんと体がふるふると震えていく。

「お、あ、う、え、あ、ご、誤解だ、遠坂!!」

慌てて起き上がって弁解しようとした士郎に更にイリヤがしがみついた。

「シロウったら、もう、大胆なんだから~っ!」

だんだんと、凛の手が握りこぶしを形作っていく。

「ま、まて、遠坂! セイバーもなんか言ってくれ。誤解だって」

慌てて、イリヤを引きはがそうとするが、強くしがみつくイリヤはなかなか離れなかった。
時々、やんっとかいう嬌声をわざと上げているのは悪魔っ子の面目躍如というべきか。

「えーと、私は何を言えばいいのでしょう?」

セイバーは、目をそらして、ぼそっと呟いた。

「あ、セイバー、お前っ!」

最後の砦のセイバーに見捨てられた士郎はしがみつかれたイリヤごとずりずりと後退する。

「……衛宮くん? そう、あなた、そんな趣味があったのね」

氷のように冷たい声の凛を見ると、プルプルと震える握り拳がもう顔の前まで上がっていた。
少々うつむき加減で髪で顔の表情が隠れているが、その下の表情は想像に固くない。

キケンキケンキケン。今までにないほどの危険な気配を感じる士郎は一刻も早くここから脱出したかったが、イリヤがそれを許さなかった。

「いいでしょー、シロウは私のもんだもんねーっ」
「イイイイ、イリヤッ! そこで誤解を招くような事を言うな」

とどめとばかりにイリヤが首筋にぎゅうっと抱きついた。
狼狽した士郎の言葉で、凛が噴火した。

「あんたらわー、そこに直れ!!!」

「わわわわわ、まま、まて遠坂!!」
「あんっ!」

突き出された凛の手から、散弾銃のようにガンドが乱れ飛ぶ。
セイバーは呆れたように溜息をついて、苦虫を噛み潰したような顔でガンドの嵐の中でサンドイッチを守っていた。


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「で、いったい何っ?」

ひとしきりガンドを打ち出して、仁王立ちではーはーと肩で大きく息をしている凛が鋭い視線を周りに向ける。
周りはかなり荒れていた。襖や壁は言うに及ばず、割れた食器類も結構ある。

「リン、おーぼー」
「リン、さすがにやり過ぎかと」
「ふんっ。朝っぱらから幼女を押し倒すような奴にかける情けはないわ」

控え目な進言を一言で切って捨てられたセイバーは士郎をちらっとみて押し黙る。
士郎は部屋の片隅でぴくぴくと転がっていた。まあ、数時間はそのままかもしれないが致命傷ではないと判断していた。

「幼女って誰よ」
「あんたよ」
「ぶー、失礼ね。こんなレディーを捕まえて」
「誰がレディーですって?」

幼女という言葉に敏感に反応したイリヤが頬をふくらませて凛に食って掛かったが、凛はイリヤにつかつかと歩み寄り、おもむろにその頬をつまんで横に引っ張る。

「いひゃいいひゃいいひゃい」
「リ、リン」

慌てて制止しようとしたセイバーは凛の表情に途中で動きが止まってしまった。
凛の眼は怒りではなく、この上もない憐憫の感情が渦巻いていた。
引っ張っていた頬をすぐに離した凛はじっとイリヤを見ていた。

「いったー。もう、なにすんのよ」

しばらく両手で頬をさすっているイリヤを見ていた凛が、頭を掻きながらバツが悪そうにそっぽを向いた。

「……ま、いいわ。イリヤ。そんなに空元気出さなくてもいいわよ。ここでは」
「えっ」
「うーん、なんだろ、似た者同士というか、なんというか分かっちゃったのね。おかげで敵意もなくなっちゃうわ」

そのことばを聞いたイリヤは凛の方を見えない眼でじっと見つめる。
凛の顔がだんだん赤くなる。

「なによ? 文句あるの?」
「ふーん。凛も甘くなったのね、やっぱりシロウ菌がうつった?」
「かもね」
「……そう。わかったわ、話は食事の後でいい?」
「ええ。それでいいわ。じゃあ、ちゃっちゃと準備しましょうか」

つっけんどんな凛を好ましく思ったのか、くすっとわらったイリヤが、一転して静かな声と老婆の様な雰囲気を見に纏う。何かに絶望したような、達観したような。
そんなイリヤを見てセイバーがはっとした。このような雰囲気を持つ人間を知っている。
これは、敵陣へ覚悟の突撃を敢行する、騎士たち。死を覚悟した戦士たちの姿。
そして今までのあのはしゃぎようは……
戦闘前夜の夜の宴会のように……
となると、イリヤは……

「セイバー? 何考えてるか分からないけど、口出しは無用よ」

目が見えない分、気配に敏感になったのか、ちょこんと座ったイリヤがセイバーの方を向く。

「……分かりました」

それを見ていた凛は、さっと踵を返してキッチンに向かう。

「リン、あの、シロウは?」
「あー、しばらくしたら復活するでしょ。ほっときなさい」

既にキッチンに入ってやかんに水を入れている凛が、セイバーの問いに振り返りもせずに答えてくる。
あの乱射の最中では分からなかったが、一応手加減をしていたようだ。

「シロウ、いましばらくの辛抱です」

其の後ろ姿を見ていたセイバーがふぅと息を吐いて、士郎に向って拝むように手を合わせた。

「う、あ、なんで俺だけ…」

士郎の呻きは女性陣に丁寧に黙殺された。