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しゅんしゅんと湧き立ったやかんをコンロから降ろし、しばらく間を置いてから茶葉の入ったティーポットにお湯を注いでいく凛をセイバーの目が追っていた。

「なに? どうしたの?」
ふと、その視線に気がついた凛が、小首をかしげながら訝しんでいた。


Chapter 26 静謐


「いえ、なんでもありません。紅茶ですか?」
「そうよ」
特に目的もなく、場を繋ぐための何気ない会話ということは凛にも分かっていた。セイバーもそっと視線を外したので、紅茶を注ぐことに専念する。
それぞれが各々の想いを巡らせ、静寂がその場を制していた。
耳が痛くなるような静けさの中で凛がカップに紅茶を注ぐ微かな音が、声高に存在を主張していた。
士郎は両手両足を投げ出して天井に目を巡らし、イリヤは自分の髪をそっと触っていた。
隣に座っているイリヤを茫と見ていたセイバーが、何気なくその銀線にそっと手を当てた。

「美しい銀髪ですね」
「ありがとう、セイバーの髪もきれいよ。だけど、いきなりどうしたの?」
「いえ……」

驚いたようにセイバーに向いたイリヤが微笑を返す。
目が見えないイリヤは、その後セイバーが何かを懐かしむような微妙な表情を浮かべたことまではわからなかった。
イリヤは、最初はおずおずとぎこちなく、徐々にやわらかい動作になったセイバーが、指に銀髪を絡めながら梳っていくのを、くすぐったそうに、まるで顎の下を撫でられるペルシャ猫のようにじっと身を任せていた。

「シロウ、私が着ても大丈夫な着替えってあるかな?」
「ちょっとまてよ。子供の頃の服があったかな……?」

自分の服が昨日のままであることに気がついて、髪の毛を触られていたイリヤが不意に声を上げた。
その言葉でセイバーはそっと髪から手を外し、イリヤはちょっと不満を表情ににじませる。
士郎が考え込んでいるのを見て、人差し指を下唇にあてたイリヤは、まるで悪戯を思いついたチェシャ猫のような微笑を湛えた。

「なんだったら裸にワイシャツでいいわよ。男の人って、そういうの好きなんでしょ?」
「ぶっ」
「ななな、イリヤスフィール!」

イリヤの爆弾発言に思惑通り目を白黒させて慌てている士郎の気配と、同じく狼狽しているセイバーの雰囲気を感じ取ったイリヤは満足そうに、やっぱり、シロウも男なのね。などとわざと聞こえるように呟いていた。

「いったー! リン、おーぼー」
「衛宮くん、もう一度聞くわ、どうやって誑し込んだの?」
「遠坂、い、いや、誤解だ」

イリヤの頭をぺちっと叩いた凛が、荒々しくちゃぶ台の上にティーカップを置いた。ルビーのような液体が少々こぼれちゃぶ台の上に小さな領域を広げる。
士郎から見上げる凛の表情は硬く、青筋を立てて口元がひくひくしているように見えた。
この状況はまずい。士郎は今までの経験から、頭上に浮かぶ赤ランプが激しく点灯するイメージを幻視した。

「まさかと思うけど、衛宮くんは幼女趣味?」
「誰が幼女ですって?」
「イ、イリヤ、後で買いに行くから、もう少しだけ我慢してもらえるか?」
「うんっ」
「で、ほら、お腹がすいただろ? みんなで食べよう」

徐々に険悪になりつつあるイリヤと凛の間に割って入って無理やり話題を変えた士郎が、止めとばかり食べ物で気をそらす。凛がう~と膨れている間にアーチャーが音もなく襖をあけて、空いているセイバーの前に座る。
さすがにコートは来ていないが、黒装束は変わらない。

「おはようございます、アーチャー」
「おはよ」

セイバーに挨拶を返し、いつもと変わらぬ茫洋たる雰囲気を纏ったアーチャーがテーブルを見てから何事かを訴える様に凛を見上げる。

「え? あ? な、何? アーチャー? あ、お茶ね。ちょっと待ってね。」

不意に見つめられて思わず上気した凛が、立ち上がろうとしているアーチャーを制して慌ててキッチンに向かう。その姿に何故か毒気を抜かれてしらっとした雰囲気が流れ、各々が顔を見合せ異口同音につぶやいた。

「食事にしようか」


-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-


TVのニュース番組が流れる中、静かに時間だけが過ぎていく。
大皿のサンドイッチも大半がなくなっていた。金砂の髪をまとめた翠の瞳の少女は、食欲があまり無いようで、足らなくなるかも。と危惧した料理人は少し安堵していた。
とはいえ食欲が無いのが逆に気になってしまっているようだが。大丈夫か? 大丈夫です。と形骸的な会話が成立する横で、白い妖精が佇まいを正した、

「さて、落ち着いたところで話を聞きいてもらえるかしら?」

固い声で、団欒の終焉を告げるイリヤの言葉に。士郎はともかく凛ですら、表情を引き締めた。
特に興味もない様子のアーチャーは、よっこいしょと全員の視線を一身に集めつつ、新聞と湯呑を持ってその輪を離れて縁側に陣取る。もともと話を聞くつもりも無いらしい。
アーチャーの向こうの窓の外には穏やかな光とともに静かに霧の様な雨が降っていた。

「最初に、ひとつ宣言しておくわ、私のサーヴァントは既に無く、私のマスターとしての戦いは終わったわ。
リンのサーヴァントに命を救われた以上、敵対することも、もう無いわ」
「そう、やけにあっさりしてるのね」
「ううん、私はただ成り行きを見たくなったのよ。」

しばらくの沈黙の後、イリヤは一つ一つ言葉を選びつつ静かに話しだした。

「どこから話したらいいのかな……整理するのも大変だから、聞きたいことがあったら聞いて。そっちの方が話しやすいから」

イリヤはそう言って一同を見渡した。


-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-


全員、声も無かった。
いくつかのやり取りの後、徐々に明らかになったイリヤの語る事実を前に、全員が衝撃を受けていた。
士郎は唇を噛みしめ、セイバーは視線を床に落としている。
凛ですら硬い表情で、イリヤを見つめていた。

……ただ、アーチャーだけは特に変化も無く外を見ながらお茶をすすっていた。

「そ、そんな……う、嘘だろ?
サーヴァントが死ぬたびに人間としての機能がなくなっていくなんて、最後には人格も無くなるなんて。
そんなの死ぬのと変わらないじゃないか! なんでイリヤが死ななきゃならないんだよっ!」

士郎のつぶやきは徐々に大きくなり、最後には喉から絞り出すように叫んでいた。自分に向けられた生の感情を受け止めたイリヤは、それでもなお淡々とした表情を変えない。

「それは簡単な話ね、その様に作られたからよ」
「そんなのでいいのか! イリヤ! おまえは聖杯戦争を戦ったら勝つにしろ負けるにしろ死んじゃうんだぞ」
「まあ、そうなるわね」
「だったら!」

知らずに士郎は中腰になり、イリヤの小さい両肩をつかんで、やり場のない怒りとも嘆きともつかない感情をぶつけていた。自分の死がまるで赤の他人の死の様に、興味が無いイリヤをどうにか翻意させたかった。
目の前の少女を何とか助けたいと思っていた。彼にとって知人の”死”は10年前の絶望を思い起こさせるために……
幼いときに大量の”死”を見てきた彼は、目の前での”死”、それも助かろうと足掻きもしない”死”は許容できなかった。
そして彼はそんな”死”から少女を救いたかった。

「私はその為に作られ、そのために調整されたアインツベルンの悲願の結晶らしいわ。
望みなんて特にないし。……あ、ひとつあったけど、もういいわ」
「なんだよっ、その望みって、そんなに簡単にあきらめてもいいのかっ?
それでイリヤはいいのかよっ?」
「ええ。ある意味叶ったから、もういいわ」
「そんな……」

しかし、士郎の熱い感情も、氷の様なイリヤの決意を溶かすことは出来なかった。自分の寿命がそう長くないと分かっている少女は特に延命してまで、生に固執する理由も情熱もなかった。
語る言葉がなく絶句した士郎は、セイバーや凛に応援を頼もうとそれぞれを見やるが、何事かを考えているような凛はじっとイリヤに視線を注いでいた。

イリヤは続けて言葉を紡ぐ。その言葉は、できるだけ先延ばしにしていた現実を氷のナイフで突き刺したようにその場の全員に刻み込んだ。
冷たくその場を凍らせた”聖杯戦争”という名前の現実で。

「……そこにいるセイバーも聖杯が必要なんでしょ?」
「だったら、仕方がないわよ。私が聖杯なんだから
セイバーの望みを叶える為には私が”死ぬ”しかない。ちがう?」
「なっ!そ、それは……」

そこの言葉を聞いたセイバーは、ハッとしたように顔をあげ、どうしようもない苦悶の表情をにじませる。
バーサーカーのマスターという状況下であれば、気にしなかっただろうし、気にしたとしても感情を押し殺すことができただろう。
民のため、国のためという大義名分があった時代は、どんな敵にも躊躇はしなかった。倒さなければ倒されるという苛烈な環境であれば、個人の甘い幻想など害になるだけだった。

しかし、サーヴァントとして呼び出された平和な時代。
殺す、殺されるという事も無い時代で短いながらも生活し、守るために戦うマスターに影響された彼女は、図らずも知人となった目の前の傷ついた少女、それも己がマスターが救おうと懸命にもがいている少女を見殺しにすることなど、もう出来なかった。
しかし、英霊と呼ばれる存在になってまでも探している聖杯を簡単に捨てることも出来なかった。それを捨てるということは”セイバー”としてのあり方すら捨てるに等しかった。

「事実でしょ? 飾っても仕方がないわ。」

イリヤの追い打ちに板挟みになったセイバーは何も答えられず、苦悶の表情で唇をかみしめるしかできなかった。
自分の望みを叶える為に、払われていく犠牲が認識できてしまう今回の聖杯戦争は、セイバーの思いを揺るがしていた。
アーチャーの言葉、アサシンの生き様、キャスターとそのマスターの在り方、そしてイリヤスフィール。
少しづつセイバーの心に入っていった棘がやがてヒビとなり、さらにこの段階で大きな亀裂になりつつあった。
果たして、自分の望みは叶えられる、いや、叶えていいものだろうか……?
やり直しをすることでブリテンはより良い王に治められるだろう、そのための犠牲として目の前の少女を……
今までの血ぬられた道にさらに新しい犠牲を追加するのか?
自らが打倒した今までの犠牲は戦場で戦った戦士達だが、今度は違う……
自分は、また同じ事を繰り返そうとしているのではないか……

セイバーの脳裏に渦巻く疑念は彼女を答えの出ない迷宮に誘っていた。

「まあ、最後には私は聖杯になるだけなんだけどね。」
「イリヤッ!」
「シロウ、うるさい。そんなに叫ばないで。」
「そんな、俺は認めない、そんな聖杯戦争なんて認めない!
何か方法があるはずだ!」

淡々とつぶやくようなイリヤの言葉に、士郎は思わず怒鳴っていた、いや、自分の不安や答えの出ない葛藤が怒鳴るという行為以外を導き出せなかった。
何かを守るために戦っていた筈なのに、戦えば戦うほど、何かが守れなくなっていく。しかし、戦わなければ何も守れない。
手足を縛れられて底なし沼に引きづり込まれているような、絶望感が彼の全身を覆っていた。

「リンはどうなの? アーチャーは……望みがあるのかどうか良く分からないけど?」

この状況でも、特に反応しないで新聞を読んでいるアーチャーをちらっと見てイリヤは凛に矛先を向ける。
それまで黙ってやり取りを見ていた凛が紅茶を口に運ぶ。
紅茶を一口含んで、冷たくなっていることに気が付き顔をしかめた。

「……聞きたいことがあるわ、イリヤ。」
「なにかしら?」
「サーヴァントは7体よね?
じゃあ8体目のサーヴァントは何? ギルガメッシュっていう名のサーヴァントは。」

極めて事務的な口調で話し始めた凛の言葉に、士郎とセイバーははっとしてイリヤを見つめる。
いままで、正論と事実で圧倒してきたイリヤが初めて表情をゆがめる。

「……知らないわ。私のバーサーカーを倒したサーヴァントとしか。私もアーチャーに助けられなかったら、殺されていたでしょうね。」
「じゃあ、聞き方を変えるわ、今回の聖杯戦争は本当に”聖杯戦争”なの?」

感情を極力押し殺した事務的な口調ながら、イリヤの急所をつく一言に、イリヤの口が止まる。
見えないながら、包帯に捲かれた顔を凛の方に向ける。空中でイリヤと凛の見えない鍔迫り合いがあった。
その姿を士郎とセイバーはじっと見ていたが、しばらくして肩を落としたのはイリヤの方だった。

「……さすがにリンというべきかしら? ……正直なところ、分からないわ。
唯、言えることは本来の流れからは逸れているということ。
さっきも言ったとおり、サーヴァントが倒されると聖杯である私に”回収”されていくわ。
本来ならば。
……でもまだ一体も回収されてない。」

今までのような声に張りがないつぶやきの最後の言葉に、一同ははっとした。

「え?」
「何?」
「どういうこと? イリヤ。」

セイバーと士郎が顔を見合わせ、凛の表情が険しくなる。そしてイリヤは一つ溜め息をついて事実を紡いでいく。

「サーヴァントが倒されていても聖杯たる私に回収されていない。ということは私以外にもう一つの聖杯があるとしか考えられない。アインツベルンではないはずだし、遠坂でもない。だとすると他の魔術師…これは線が薄いわね。消去法でいくとマキリしか……でもマキリは枯れているはずだし……」

徐々にイリヤの言葉が思考と化していくが、その中に含まれた事実に凛は一つの回答を見出した。
そして、その事実がジグソーパズルの角のピースのように確固たる存在を映し出した。
間桐家最凶の妖術師の名を。

「……臓硯。間桐臓硯が何かしたとしか考えられないわね」
「え?ゾオケンってまだ動いてる……の? 死んだって話は聞いてないけど、耄碌してるんじゃなかったっけ?」

アインツベルンの申し子はさすがに、その存在を知っていた。が、教会の神父と同じように老衰していると考えていた。
しかし間近にアレを見た以上、凛はその認識は間違っていると、老衰なんてとんでもない、そう感じていた。
人を蟲に変化させ、あまつさえ魔術回路さえ付与してしまう、狂気の力を。

「直接の邂逅はまだないけど、生きてるし、しっかりこの戦争に参加してるわ。それも、最悪な形で。
……間桐の”現”当主を操っていたのも臓硯よ。」

静かな言葉、そして過去形で話す凛の言葉に、間桐の”現”当主を知っている士郎の表情がこわばった。
彼としては聞きたくなかった事実だった。
士郎の表情を横目で見た凛は、静かに溜息を吐いていた。まるで、体内に溜まっていた毒素を吐き出すように。

「……そう、ゾウケンか……。
だとすると、アインツベルンの技を盗んだか、それとも独自に実現したか。……やっかいね。
いずれにせよ、今の聖杯としての私の中はからっぽのままよ」
「となると、少なくともバーサーカー、キャスターと、アサシンは回収されてるわね。もうひとつの”聖杯”にあ、あと、ライダーもそうね」

リンの緊張を感じたイリヤは、臓硯の関与を疑わなかった。衝突こそすれ、遠坂の当主の力は認めてはいる。
言葉や態度には出さないが、その当主がこれほどまでに警戒しているのであれば、それが事実なのだろうと。

「じゃあ、イリヤは助かるのか?」
「他の聖杯が私と同じ様なヒトガタだった場合は、そいつが身代わりに機能停止するけど、結果的に私は生き残るかもね。」

回収されていくと人でなくなっていくイリヤ。だがまだ回収されていないということは、望みがある。
そう感じた士郎は表情を明るくする。
あとは桜を取り戻せば、この聖杯戦争も終わるだろうと、漠然と感じていた。希望が見えてきたと感じた士郎は傍にいる凛に目をやった。が、凛は真っ青な顔をしてイリヤを凝視していた。

「どうした? 遠坂。顔色が悪いぞ。」
「……いえ、なんでもないわ。イリヤ、教えて。”聖杯”はサーヴァントの魂が回収されるのよね。じゃあ……」
「十中八九、素体は魔術師かホムンクルス」
「なんてことっ。じゃあ……」

真っ青な表情の凛に、聞きたくもない事実が突き付けられる。

間桐の当主がない今、間桐臓硯に一番近い、聖杯たり得る存在は……唯一人。
そして、その一人の行方は杳としてつかめていない。
坐っている大地がぐらぐらと揺れている様に、底なし沼にのみ込まれていくように凛には感じられた。

影から見守っていた。自分が頑張ることで、彼女は幸せになると、そう考えていた。その彼女が……。
凛はふと視線を感じた。視線の先にはいつもと変わらないアーチャーがいた。何があっても何も変わらないその姿をみて、彼女の心が少し落ち着く。
そうだ、後付けで聖杯になったのであれば早く見つけ出して、その機能を殺すことさえできれば解放することができる。彼女を早く見つけ出すことが大事だ。そう思いなおした。
胸に手をあてて、大きく深呼吸をする凛を士郎とセイバーが怪訝そうな眼で見ていた。

がらがらがらっ。
だんだんだん!

ちょうどその時、静寂を揺るがす引き戸の音と、ずかずかと上がり込む足音が響いてきた。
先ほどまでの緊迫した会話で、全員咄嗟に反応できずに思わず顔を見合わせる。害意があれば、無意識で反応できるが、その気配に害はない。

そうこうしているうちにガラス戸ががらがらと開き、藤村大河という固有名詞を持つ騒音の塊が飛び込んできた。

「しーろーおー! おねーちゃんつかれたよー。ご飯頂戴ー!」

そう言ってちゃぶ台のあいた所に飛び込むように座り

「おはよーしろー! やっと休めるー」

そう言って、士郎にしゅたっと手を上げて

「あ、おいしそうなサンドイッチがあるー!」

下げる手で大皿に残ったサンドイッチを掴み

「あ、桜ちゃんこんなところにいたの? そのかっこ、もしかして泊っちゃったの?」

そう言いつつサンドイッチを口に運ぶ。
この間、5秒の早業。

「ちょっ、藤ねぇ! おまっ!」
「え? え? 藤村先生?」

ようやく我に返った士郎が、あわてて立上がる。
そして、まさかこんな状況で会うと想像すらしていなかった凛も慌てており、目の前のカップを倒してしまうが、幸運にも飲み干していたので、ほっとため息をついた。

「あ、セイバーちゃんもおひさー、元気してたー?」
「はい、タイガ。元気です。」

藤ねぇはサンドイッチを飲み込んで、セイバーを見てにぱーっと笑った。
その笑顔につられるように、セイバーも微笑む。
その返事を聞いて、うんうんと頷いた藤ねぇは
大皿に残ったサンドイッチに再び手をのばし、はたと動きが止まった。

「…………なんか変。」

そう言って大皿に手を伸ばしたままの体勢で、首を巡らす。

「あのなぁ、藤ねぇ。」

台拭きを凛に手渡しつつ、士郎が呆れたように呼びかけるが、藤ねぇには届かない。。

「あれぇ?
しろーでしょ。さくらちゃんでしょ。セイバーちゃんでしょ。で……、あれ……?」

頭の上に巨大な?マークを掲げて藤ねぇの視線が一人一人を確認していく。
おもむろに両手で目をごしごしと擦って、ぶんぶんと頭をふる。

「いち、にー、さん、しー、ごー……五人……。
んー?」

おもむろに正座して、深呼吸をした藤ねぇが数えていく。
夏の暑い日に、山盛りのカキ氷を食べて頭がキーンとなった時のような表情で、腕を組んで悩んでいた藤ねぇが……

「なんで人が増えてるのよー!!!
おまけによく見たら、桜ちゃんじゃなくてパジャマ着てる遠坂さんじゃないのー!!
おまけに、ちっちゃい子までいるしー!!
しろー! 何時の間に子供産んだの!
おねえちゃん学生結婚は許しませんよ!
ちゃんと大人になって仕事に就いてからよー!!
で、誰の子よー!!
って、ちっちゃい子は怪我してるし服に血がついてるしー!!
しろー! あんた何したの! こんなちいちゃい子に! 犯罪は許しません!!
あぁ~しろーが犯罪者になっちゃったぁ~!!」

爆発した。

「藤ねえ、おちつけ。」
「藤村先生お邪魔しています。」
「シロウ、誰? この人。」

士郎は溜息をつきながら藤ねぇに声をかけ、凛は優等生猫の皮をかぶって済ました風情で挨拶をし、イリヤは固い表情で藤ねぇを指さしていた。

「あー、見たことないちっちゃい子が私の士郎をしろうって呼び捨てしてるー」
「タイガ、少し落ち着いてください。」

藤ねぇが微妙に問題発言をぶちかまし、士郎は頭を抱え、凛はじと目で士郎を見やる。その視線に気がついた士郎は顔を引きつらせながら身振り手振りで必死に否定していた。
セイバーはこまったもんだと脱力しながらも、藤ねぇをなだめようとする。

「セイバーちゃん、貴方は私の味方よね。
士郎にいってよ、遠坂さんとの間に隠し子がいたなんて!!」
「なっ、藤村先生!!」

セイバーの言葉を援軍と思いこんだ藤ねぇの怪進撃は止まらず、どう考えても破綻している脳内設定を吐き出す。
そのとんでもない内容を一瞬想像した凛が真っ赤な顔で陸に上がった魚のようにぱくぱくと口を動かし、士郎はやってられねーとばかりに肩を落とす。

「そうよ、私はリンの子供じゃないわ!私はキリツグの”子供”なんだから」

爆弾が誘爆したのか、白い妖精が更にややこしいことを暴露する。
ただ、その中に含まれる名前は藤ねぇを含めその場の全員を止めるに十分な抑止力があった。
藤ねぇは目を丸くして沈黙し、士郎も愕然とイリヤを見つめる。
そしてセイバーはそっと顔をそむけていた。
その一瞬の沈黙のあと、ようやく藤ねぇが我に返った。

「え? 切嗣さん?」
「その通りよ、父の名前を入れると私はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン・エミヤになるのかな? それともイリヤスフィール・フォン・エミヤ・アインツベルンかな? ま、どっちでもいいけど、エミヤキリツグとアイリスフィール・フォン・アインツベルンの結晶よ」

多少、誇らしげに小さい胸を張って宣言するイリヤだったが、”エミヤキリツグ”という名前のところだけは微妙な口調だった。だた、その変化は誰も気がつかなかった。

「な…んだって、イリヤ、どういうことだ? 聞いてないぞ?」
「聞かれてないもん
だから、私はシロウのお姉ちゃんになるのかな?」
「だめー!士郎のお姉ちゃんは私だけなんだからー!」

茫然とする士郎を前にして、再び小悪魔の表情を湛えたイリヤに対して、”士郎の姉”の一言にむきになって爆発する藤ねぇがいた。

「ところで、衛宮くん、藤村先生はしょっちゅうご飯を食べにくるぐらい親しいのかしら?」
「おう、一応、俺の”姉”なんだよ。」
「そうなんだ。半分保護者同然の知り合いとは聞いていたけど。」
「そーよー、遠坂さん、士郎のお姉ちゃんは私なのだー!!」

凛が士郎をつついて、ひそひそと話していた、その会話の中の”姉”という単語に敏感に反応した藤ねぇがえっへんと胸を張って宣言していた。
地獄耳と凛がつぶやいたが、その言葉は華麗にスルーされていた。
喧噪の中、ティーカップを口に運んだセイバーは中が空っぽなことに気がついたが、紅茶をいれてくれそうな人が軒並み騒動に巻き込まれており、一人蚊帳の外でのんびりしているアーチャーは両手で湯呑をもって、ちびちびとしているのを見て、溜息をついてカップを元に戻した。

「よくよく考えてみれば、なんで、遠坂さんがここにいるの? で、イリヤスフィール…ちゃんでいいんだっけ? がなんでここにいるの?」
「キリツグの”子供”がキリツグの家にいたら駄目なのかな?」
「うーん、そっか、そーだね。切嗣さんの娘だし、ここは切嗣さんの家だし問題はないかー」

藤ねぇの疑問は、さも当たり前じゃないの? という雰囲気のイリヤと、一面だけ見れば、この上もない正論を持ち出されあえなく撃沈する。
腕を組んでうんうんと頷く藤ねぇを見て士郎は頭が痛くなってきた。

「あのなぁ、藤ねぇ……疑問に思え」

「で遠坂さんはどおして?」

「いえ、衛宮君とばったり町で出会ったら、晩飯を食って行けって。で食事が遅くなったら、最近物騒だから泊って行けって、言ってくださいましたので、泊まらせていただきました。幸い、”保護者”の従兄もいましたので女性一人ではありませんし、男手が多い方が衛宮君も助かると言っていただけましたので。何かまずかったでしょうか?」

今度は矛先を凛に向けたが、追及が来ることを予測していた凛は淀みなく、保護者という言葉を強調する。

「そっか、保護者と一緒かぁ、だったら問題ないかー」

学校での完璧な素行を知っている藤ねぇは、優等生然として小首をかしげている凛を見て暗示に掛ったように納得した。
冷静に考えれば、山ほど粗があるはずだが、些細なことは気にしない性格が凛を助けたらしい。

「あのなぁ、藤ねぇ……もう一度言うぞ。疑問に思え、いや思ってください。」

士郎はがくーんと力なく両手を畳についていた。

イリヤがセイバーをちょんちょんとつついて、空っぽのカップを見せる。意図を認識したセイバーはカップを受け取って、凛に視線を向ける。
「あ、おかわりね。ちょっと待ってね。さすがにセイバーに『お茶を入れて。』とは言えないしね。」
「すいません、感謝します。」
「気にしないでいいわ。」

「で、……そちらが保護者の従兄さん?」

縁側で佇んでいる黒い姿に一瞬、切嗣を連想した藤ねぇは、気を取り直して声をかけた。
それまで、居間の喧騒には一切関与していないアーチャーが、のんびりと藤ねぇの方を向いた。

「どうも」

にんまりと煎餅屋の若旦那の笑みを浮かべたアーチャーをみて藤ねぇの動きが止まった。
アーチャーは挨拶を終わらせると、興味がなくなったように再び新聞に目を落とす。既に全頁を読み終わって2週目に突入していた。

「………」

「おーい、藤ねぇー!」

「………」

「藤ねぇー!」

「………」

「だめだ。あっちへ行ったまんま帰ってこない。」

士郎が何回か声をかけるが、茫然とアーチャーの方を見ている藤ねぇは何の反応も示さなかった。
はぁっとため息をついた士郎は奥の手を囁いた。

「おーい、タイガー」

「がぁっ、タイガーっていうなーーーーーーーーーー」

魔法の一言で呪縛から解放された藤ねぇは、一旦叫んでから我に返っていた。

「はぁー。なんか、奇麗な物を見たぁ。寿命が延びるか縮むかするわー」
「どっちだよ」

冬山登山を行った後に温泉に入ったときの様な弛んだ表情になった藤ねぇだった。

「で、どういうことよ? 士郎」

しばらくして士郎の突っ込みをスルーしていた藤ねぇが、不意に佇まいを正して士郎に向き直った。
今までと打って変わって、真剣な表情で士郎を見つめる。
士郎の保護者としての藤村大河の姿があった。

「いや、あ、あのな「藤村先生」」

間を外されてどもる士郎にかぶせるように、紅茶を盆に載せてきた凛が後を継いだ。
紅茶をそれぞれの前に置いて自分の場所に座る。

「なに? 遠坂さん」

湯気が立ち上る目の前の紅茶をちらっと見て藤ねぇが凛の方を向く。

「私の方から説明させていただいてもよろしいでしょうか?」

凛は盆を膝の上で抱えながら、藤ねぇをじっと見る。
視線が絡み合う。

「えぇ、お願いするわ、遠坂さん」

一呼吸置いて凛は、紅茶を入れる間に今までの情報を継ぎはぎして、なんとか繋ぎ合せた内容をしゃべり始めた。

「まず、イリヤスフィールの生家であるアインツベルン家と遠坂家は昔からの知人です。そして、私の学生生活の話で、たまたま衛宮君の名前が出た時に、アインツベルン家が衛宮君のお父様の行方を捜していたと偶然知りました。
それで娘さんであるイリヤスフィールが私を頼って来たというわけです」

「リン、私は貴方なんか頼ってないわよ」
「く、苦しいよ、遠坂」
「うっさいわね。外野は黙ってなさい。あ、おほほほ」

ぶーぶー言っている外野を黙らせた凛は、猫の皮の綻びを見つけ手慌てて取り繕った。

「で、来日したイリヤを連れて、ここまで来たんだから、衛宮くんが泊っていけと」
「へー、そうなんだ」

藤ねぇの様子を見ながら凛は第一関門突破と心の中で思っていた。

「遠坂さん、じゃあ、そのイリヤスフィールちゃんの怪我は?」

「ちょっと交通事故にあいまして。あ、でも軽い怪我で、病院も行きましたしもう大丈夫です」

多分次に来るだろうと用意していた質問に、やはり淀みなく答える。
まさか刃物で切られました。とは言えないが、特にこの回答で問題ないだろうと思っていた。
ただ、藤村家の本業を把握して居なかった凛を責めることはできないだろう。
そう、藤村家は由緒ある任侠道の家柄であるということを。

「そっか。手とか足とかに怪我はないけど、妙な当たり方したんだね。刃傷沙汰に巻き込まれた知人が顔を切られた時を思い出しちゃったんだけど、事件じゃなくて事故だったらま、いっか
で相手さんは? 警察は?」

「……えっ?」

「加害者の人」

「……あ、あの」

まさか、本当の傷を当てられるとは思っていなかった凛は一瞬言葉が出なくなってしまった。
そして、交通事故とするならば相手方の問題があることも失念していた。
頭をフル回転して整合性を保った回答を作っている間に、横手から救いの声が掛けられた。

「相手の名刺は貰いましたので大丈夫です。警察には現場検証が終わった後、こちらにおける保護者として僕が対応しています。
ただの人身事故で、相手方の保険屋とも連絡は付いています。あと傷は浅かったのですが、眼球を痛めていますので当分の間、目を開けることはできません。しばらく包帯で目を保護する必要があります。」

声の主はいつの間にかちゃぶ台の隅に座っていた、アーチャーだった。
ここまで長口舌なアーチャーを見るのは凛ですら初めてであって、全員が茫然とアーチャーを見つめていた。

「………」

「あの、藤村先生?」

「………」

再びアーチャーをまじかに見て、藤ねぇの動きが止まっていた。
先ほどの士郎の魔法を一言をぼそっと凛が唱えた。

「あの。……タイガー」
「がぁっ、タイガーっていうなーーーーーーーーーー」

「はぁ。奇麗な物は何度見てもいいわぁ
で、なんでぼろぼろの服を着てるの? 着替えは?」
「事故で服の入っていたカバンがぼろぼろになってしまったんです」
「そう、わかったわ。あ、挨拶してなかったね。私は藤村大河。ここにいる士郎のおねーちゃんなのだ。
だからイリヤスフィールちゃんも私の妹だね。これからよろしくねー。」

アーチャーの話が妙にリアルで、また嘘なんかつきませーんという表情の為か、納得した風情の藤ねぇはこの話はこれでお終いとばかりに切り上げた。
そうしてイリヤの手をつかんで両手で包むように握手をしてぶんぶんと振った。強引な論理と、無条件に包むような温かさにイリヤは戸惑っていた。
アインツベルンでも、ここへ来てからも彼女の様な純粋な好意に包まれたことはなかった。

「え、あ、う、うん。あ、タイガ、私のことはイリヤでいいわ。」

戸惑いつつも、何か嬉しかったのか、はにかむ様な表情を乗せていた。

「じゃあ、士郎、とっととイリヤちゃんの服を買って来なさい。サイズはわかる?」
「うぇ?」
「いってきてちょーだい」
「わ、わかった」
「シロウ、では私も一緒に行きます。」
「ありがとー、セイバーちゃん」

言葉を重ねる藤ねぇに妙な圧力を感じ、士郎はやれやれと腰を上げた。
俺に服のセンスはないぞとぶつぶつ言いながらも、着替えに自室に向かった。そのあとにセイバーも続く。

「あ、あと従兄さんにも挨拶しなきゃ」
「先生、”従兄”の秋せつらです」
「は、はじめまして、藤村大河です、そこにいる遠坂さんの学校の教師をしてます」
「はじめまして」

見送った藤ねぇはアーチャーの方に向き直る。
凛が仲介をするが、藤ねぇがふと凛の顔をじっと見た。

「な、なんでしょうか? 藤村先生」

後ろぐらい所がある凛は落ち着きがなくなったが、藤ねぇはそわそわした凛を見て、一転して笑顔でうんうんと頷いた。
凛は嫌な予感が背筋をつつっと駆け上がるのを感じていた。

「あ、やっぱり。遠坂さん、噂の彼氏って従兄さんだったのねー。遠坂さんがすっごい奇麗な彼氏と通学してきたって話は職員室でももちきりよー」
「なななななななななな、い、い、い、いえ、フジムラセンセ。彼は従兄であって、彼氏などと……」

一瞬でゆでダコのように真っ赤になった凛は全身であわてて否定する。が、その行為すら藤ねぇには照れ隠しと映っているようだった。

「そうなの? なんかすっごく親密だったって聞いてるけど? 隠さなくてもいいわよー、それに従兄だったら結婚もできるし、美男美女でお似合いだしー」
「うぅ」

既に頭の中で完全にカップリングしている藤ねぇは、穂群原の男子が泣くわねぇ、とか結婚式には呼んでねぇとか、子供もきれーなんだろーなーとか好き勝手に話をふくらませていた。
脱力し切った凛はちゃぶ台に突っ伏していた。

「あはは、そーなんだ、リンったら、私にも内緒にしてぇ」
「あ、イリヤちゃんも知らなかったの?」
「うん。こんな面白いこと知らないわ。へぇ、そう、うふふふ」
「あ、ああ、あ、そうだ、まだ、こんな格好っ。着替えてきますっ!!」

イリヤの参戦で確実に分が悪い事を認識した凛はイリヤが悪魔っ子に変化する前に、脱兎の如くその場から逃げ去った。

「あ、逃げた」
「遠坂さんのあんなに慌てた顔初めて見た。噂は本当だったのねー」

凛が出て行った襖を、笑いを噛み殺しながらイリヤが見ていた。
藤ねぇは腕を組んでうんうんと、自分の推理が正しかったと思い込んでいた。

「あ、アーチャー、どこ行くの?」
「散歩」

アーチャーが音も無く立ち上がって縁側の方に歩きだした。気配だけで相手の場所を把握しているイリヤが敏感に察知して、アーチャーの方を向く。
アーチャーのぼんやりしたような声に、イリヤは面白そうに笑った。

「あはは、アーチャーも逃げちゃった」

そして、大勢いた居間は藤ねぇとイリヤだけになった。
急にしーんとした室内が妙にもの悲しく、イリヤは目は見えないが、きょろきょろと顔を巡らせる。

「はぁ」

「どうしたの? タイガ」

藤ねぇがいきなり溜息をついたので、小首をかしげてイリヤが訊ねる。

「秋さんだけどねー」
「どうしたの?」

藤ねぇはぺたんとちゃぶ台に額を乗せて、突っ伏した。

「ううん。魂が抜かれそうなくらい奇麗で魅了される人だけど、なんて言うかな、すっごく孤独で悲しい人のような気がするの。冬の風みたいに……遠坂さん、大丈夫かな」
「ふーん。野生の勘?」
「なんで野生って言うかなー?」
「だってトラでしょ? タイガって」
「ああ、もうっ、トラっていうなーーーー!!」
「で、惚れそう?」
「……”藤村”でなかったら、めろめろだったかもねー」
「なにそれ?」
「んーん。おこちゃまには知らなくてもいい世界があるのだー」
「よくわかんない」

そうしてイリヤと藤ねぇの静かな時間が流れていた。
主として共通の話題でもある切嗣の話、士郎の話に終始した。
イリヤは魔術師である点、関連する話を巧妙に隠していたが、どこまで成功したか、彼女には分からなかった。


-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-


「ただいまー」
「ただいま、戻りました。」

士郎達が両手に紙袋やらなんやらを抱えて居間に帰ってくると、そこにはミカンを剥いている藤ねぇと、丁寧に一房ずつに分離したミカンを目の前に並べたイリヤがいた。

「あれ。遠坂は?」
「士郎、遅ーい。一旦帰るって。従兄さんと帰ったよ」
「また、夜に来るんだって、シロウ」
「そっか。わかった。
そっちの袋の中に買ってきた服が入ってるから」

士郎はよっこらしょといいつつビニール袋をキッチンに持っていき、セイバーは持っていた紙袋を藤ねぇに渡した。
ありがとーといいつつ紙袋を受け取った藤ねぇがさっそく袋を開けていく。

「うむ、御苦労じゃ
……って、男の子じゃないんだからスカートくらい買ってくればいいのに、ジーパンなんて……ねぇ、セイバーちゃん」
「え、あ、え、えぇ。私にはよくわかりません……」

「俺に女の子の服のセンスを求めること自体が間違ってる。
あ、イリヤ、これだと嫌かな?」

キッチンから戻った士郎がイリヤの手を引いて藤ねぇの近くに座らせ、服を手で触らせる。
イリヤは手で服の手触りを確かめながら、にこにこと笑顔を浮かべていた。

「ううん。シロウが初めて買ってくれた服だもん嫌じゃないよ」

「あーん、もお、いじらしくてかわいい!」
「あー、タイガ。抱きつくのはやめてよー、もう」

その様子を見ていた藤ねぇが、思わずイリヤに抱きついた。じたばたするイリヤもゆっくりと頭をなでられて、どうでもよくなったのか、徐々に力が抜けて行った。
諦めたように苦笑しながら藤ねぇに抗議する。
士郎はそんな二人を笑いながら見ていた。藤ねぇとイリヤがここまで仲良くなるとは嬉しい誤算だった。

しばらくして、藤ねぇががばっとイリヤを離して、ちょっと待っててね。と言って部屋を出ていく。

「どうしたのかな?」
「さぁ、藤ねぇは本能で動いてるからな。」

藤ねぇは、ほどなくしてタオルで手を拭きながら、にこにこと居間に戻ってきた。

「じゃ、イリヤちゃん、お風呂行こう。お風呂」
「え?なんでお風呂?」

キョトンとした表情のイリヤを抱きよせて、頭をくんくん匂った藤ねぇが、納得したような表情で宣告する。

「さっきも思ったけど、やっぱりイリヤちゃん少し匂うよ。体と髪を洗ったげる。包帯も巻きなおしてあげるねー」
「え、い、や、いいわ。」

じりじりと後退するイリヤをじりじりと追い詰める藤ねぇ、あっさりと捕まえたイリヤを抱きかかえながら藤ねぇが風呂場に連行していく。

「遠慮しないで、さ、おいでおいで」
「きゃー、シロー、たすけてー」
「ごめん、イリヤ、こうなった藤ねぇは誰にも止められない」

「ふふっ。」

士郎はセイバーが珍しく声を上げて笑うのを聞いて驚いた。セイバーがここに来てから声を出して笑ったのは初めての様な気がした。

「どうした?セイバー」
「いえ、家族みたいで微笑ましいなと」
「そっか。セイバーは家族は……、ごめん……」

そこまで言ってセイバーの表情に懐かしむ様な、悲しむ様な表情が浮かんでいるのを見て士郎は言葉を飲み込んだ。

「いえ、かまいません。
私にも……家族はありましたし……」
「そっか」

遠くからイリヤと藤ねぇの笑い声が漏れ聞こえてくるのを聞きつつ、二人は会話することもなく静かに想いにふけっていた。
無くした家族を想い、あるいは失われかけている少女を想い……。


~interlude~

雨は午前中で上がり、その後は穏やかに晴れ上がった。
徐々に太陽が傾き、光の力が失われつつある時間帯に、古い洋館の前にその二人が居た。
赤と黒のコントラストも鮮やかな男女二人組。それは遠坂凛と彼女のサーヴァントの姿だった。
何気なく玄関のドアを開ける黒い天使につき従う赤い少女は、彼女のサーヴァントを見上げる。

「この家がそう?」
「そうだった。でも、もう引き払ったようだね」

家に入った少女は床を注意深く観察していた。寄せ木細工の床の上に、粘着物をこすりつけたような跡が無数に走っている。

「確かに、蟲の痕跡があるわね」

しばらくあたりを見渡していた少女は、黒衣の美影身に促されるように2階への階段を上っていく。
突き当りの部屋のドアの前で二人は立ち止った。
黒い天使が少女のためにドアから一歩下がった。

「この部屋? アーチャー」
「ん」

なかなかドアを開ける勇気が持てない凛は、アーチャーを見上げる。ぼんやりとしながら少し首をかしげるアーチャーを見てから、思い切ってノブに手をかけた。その手は震えていた。

開け放ったドアの先は、夕陽に近くなりつつある西日に満たされている部屋だった。
ただ、部屋の中にあるのは古ぼけたベッドと、ぼろぼろのキルトのカバーだけだった。

「寂しい部屋ね。何もない……」

静かに部屋の中に入った凛が、辺りを見渡した。おもむろに壁のクローゼットを開けると、そこには最低限の下着と、穂群原学園の制服が吊るされていた。

「これは……桜の……」

その制服を掻き抱いた凛が肩を震わせる。
アーチャーはそっと扉を閉めて部屋を出た。


しばらくして、館の外で待つアーチャーはドアの開く音と、さくさくと草を踏みしめる音が止ったところで目を開けて、もたれかかった木から身を起した。
世界は既に赤く染まっていた。その赤い世界の中で目の前にアーチャーをじっと見つめる、強い決意を秘めた少女の姿がそこにあった。

「アーチャー、行先はわかる?」
「大体は想像がつくよ」

「……あそこね」
「そうだね」
「わかったわ、じゃあ一旦戻りましょう」

歩き出す少女は、気配が続かないのを訝しんで後ろを振り返る。
アーチャーは身じろぎもせずに夕陽の方向にじっと目を向けていた。

「どうしたの?」
「……いや、別に」

~interlude out~


「あ、しまった」

キッチンから聞こえてきた、己がマスターの声に反応してセイバーがひょっこりと顔をのぞかせる。
エプロンをつけた士郎が両手を腰に当てて、流しの上に置いてあるビンを眺めていた。

「どうしました?シロウ」
「いや、確実にポン酢が足らないなと思ってね」
「大事なものですか」
「ん、ああ。今日のメインは鍋にしようと思ってるから、ないと寂しいな」

目の前のビンがそのポン酢なのだろうとセイバーはあたりを付けた。セイバーの見知ったしょうゆというソースと見た目は変わらないが、ビンの1/3程度しか入っていないのが分かった。

「それはいけません。では私が買って来ましょうか? 先ほどの商店街の店でよろしければ」
「いや、俺も行くよ」
「いえ、シロウが今手を放すと確実に食事が遅くなります。私であればすぐに買って帰れますし」

もう後に残るマスターはイリヤスフィールの様な展開は望めないはずだ。そんなマスターと遭遇したらシロウ一人では到底無事に済まない。そう、セイバーは考えていた。
アーチャーも居ない今、自分が外出するのが一番確実だろうと判断した。

「……わかった、じゃあ、これと同じものを買って来てくれるか? でも、暗くなってきてるから気をつけてくれ。」
「ええ、わかりました」

士郎からビンとお金を受け取ったセイバーは、可能な限り早く走り出した。


-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-


「遠坂さんはいつ来るのかなぁ。」
「もう来ると思うわ。さっき連絡したら、すぐそこまで来てるみたいだし」
「はやくこないかなー」

つっぷしてぐうたらママ状態の藤ねぇに、ちょこんと座った三つ編みのイリヤが答える。
風呂上りに藤ねぇが、妹ができたらしてあげたかったのよーといいつつ迫ったので、イリヤは半分あきらめたように身を任せた。その結果が三つ編みの今の姿だった。
シロウも似合ってるというのでまんざらでも無く、今に至っている。

イリヤが携帯電話を持っているわけはないのだが、特に藤ねぇはイリヤの言葉を疑問に思わず。力のない返事をして手をひらひらさせる。
窓の外はだいぶ暗くなってきていた。空は太陽の最後の足掻きの如く、藍色となっており、もの悲しい寂しさを醸し出していた。
もう30分もすれば完全に夜の領域となる。

「もう、鍋の準備も出来てるのにぃ」
「もう少し待ってくれ、藤ねぇ」

目の前に置いてある肉、魚や野菜が盛られた大皿とカセットコンロの上に乗ってある土鍋を恨めしそうに見詰めつつ、藤ねぇがぶーぶーと不満を漏らす。
イリヤちゃん、食べさせてあげるからねー。とイリヤは手放さない。

「ただいま帰りました
シロウ、これでよろしかったですか?」
「おう、ありがとう」
「いえ、私はただ……」

がらがらっと玄関の引き戸が開く音がしたあと、両手にポン酢のビンを持ったセイバーが帰ってきた。
士郎がそのビンを受け取ろうとした瞬間、セイバーの動きが止まった。
一瞬だけ信じられないといった表情を顕わにしたセイバーは次の瞬間、緊張した面持ちで叫ぶ。
同時に同じ事を知覚したイリヤの表情も強ばっていた

「サーヴァントの気配です!! アーチャーではありません!!」
「……!!」

「藤ねぇっ!! イリヤと一緒に隠れてくれ!! 頼む」
「士郎? いったい何? 隠れるって何よ?」

事態を認識した士郎は、緊迫した表情で藤ねぇに向って叫ぶ。この中で満足に戦えないのは……、いや、満足に戦える者すら居ないことに気がついた。
キョトンとした藤ねぇは、それでもすぐに表情を改めて士郎を見つめ返す。

セイバーが士郎と中庭の間に割り込んで、固い視線を中庭の方に向ける。

「来ますっ!」
「こっちかっ!!」

士郎が身構えた直後、大地を穿つ掘削機の様な轟音が鳴り響いて中庭を隔てたガラス戸が砕け散った。
切嗣が張って凛が強化した結界を設けていた、道場に面した側の土塀が数mに渡ってガラガラと崩れ落ち土煙りを巻き上げる。

その中から皮ジャンに身を包んだ長身の金髪の青年が現れた。
その姿を見た瞬間、セイバーの表情が険しくなる。ぎりっと食いしばった歯ぎしりが士郎まで聞こえてきた。
青年は赤い眼に、凄惨な光をたたえ、口の端には嘲笑を張りつかせていた。
彼の視線はセイバーをひたと見据え、尊大な態度と共に声を上げて笑い出す。

「はははっ、懐かしい気配を辿ってみれば、やはりお前か。我に仕える為にわざわざ舞戻ってきていたか、セイバーよ」
「ア、アーチャー……」
セイバーがぎりっと歯ぎしりを立てつつ瞬時に完全武装する、いきなり風王結界を外した輝ける聖剣を正眼に構え切っ先をアーチャーの方に向ける。

藤ねぇが驚いたようにセイバーを見つめるが、緊迫した雰囲気と現実からかけ離れた状況に、言葉を発することはなかった。

「あれがギルガメッシュか?」
「雑種ごときが我の名を呼ぶとは無礼にもほどがある」

喘ぐようにつぶやいた言葉が届いたのか、士郎の方に一瞬視線を向けたギルガメッシュは、言葉と同時に中空より出現した短剣を射出した。
ギィィンと、耳をつんざくような金属の激突音が響き渡り、士郎を庇ったセイバーの聖剣がその短剣を弾き飛ばす。
弾き飛ばされた短剣は壁を突き抜けて大穴をあける。

「シロウーッ!!」
「ほう、そこにいるのは聖杯か、そいつを差し出せば褒美をとらしてやっても良いぞ」
「駄目っ! イリヤちゃんに何するの!!」

イリヤががくがくと震えながら叫んだ声に反応したギルガメッシュが、驚いたような表情を一瞬張り付かせた。自分の言葉が面白かったのかくっくっくと含み笑いを浮かべていた。
そして、にやりと笑ったギルガメッシュとイリヤとの間に藤ねぇが、足をがくがくさせながらも立ちふさがる。
冬木の虎として鍛え上げた眼が、目の前の暴力的なオーラを前に絶望的な彼我の差を映し出していた。
立ち向かえば殺される。それはすぐにでも手が届く現実。それでも彼女の強靭な意志はイリヤを庇うことを選択した。

「ふんっ、邪魔だ、そこな雑種」

ギルガメッシュは腕を組みながら、先ほどの士郎に向けたものと同じ短剣を藤ねぇに向かって射出する。
同時に牽制としてなのか、セイバーめがけて強力な霊力のこもった長剣が襲いかかる。
セイバーは長剣をたたき落とした後、返す刀で短剣を迎撃できると瞬時に判断した。戦場と訓練で鍛え上げた彼女の体もその通りに動いたが、自分の疲弊した状態が誤算を生み出した。

強力な力を持った長剣を満足にたたき落とすことができず、剣先が微妙に狂った。切り上げた聖剣はあとほんの数cmの差で短剣を補足出来ず、セイバーの時間を止めた。
自分の横をすり抜けていく死の使いをスローモーションのように見送るしかなかった。

藤ねぇは顔めがけて飛んできた短剣に咄嗟に両腕を交差させて顔を庇う。肉に包丁を叩きつけるような音とともに暖かいものが顔に飛び散った。
想像した痛みが来ないので恐る恐る目を開けると、そこには短剣が突き刺さった士郎の手があった。

「え、あ、し、士郎……」

手のひらを物の見事に短剣が貫通していた。鍔があったために引っかかって止まったが、鍔がない投擲用のダガーであれば彼女も無事では済まなかっただろう。
手首を握りつつがくっと膝を落とした士郎が、歯を食いしばって脂汗と血を流しながら短剣を引き抜いた。

「ほう」
「シロウッー! おのれっ!」

一瞬、感心したように片方の眉を釣り上げたギルガメッシュに、畳に穴をあけながら踏み込んだセイバーが襲いかかる。
袈裟がけに切りおろした剣を、いつの間にか取り出したセイバーの聖剣に負けないくらい美しい長剣で受け止める。
セイバーが体重と勢いをつけて両手で振り下ろした剣を、微かに片眉をぴくりと上げつつ片手剣で受け止め、あまつさえそのまま弾き返す。

「そう、慌てるな、セイバーよ」
「くっ」

一瞬で後退し距離をとったセイバーが剣を握り直し、再び飛び込んでいく。
上段からの一撃が光の軌跡となってギルガメッシュに振りそそぐ。無造作だが強烈な銀光が迎え撃つ。
鉄工所のエアーハンマーが鉄を打ち延べるような、耳をつんざく激突音とエーテルの煌きが辺りを輝かせる。
セイバーは今度は打ち込んだ後、そこに踏みとどまり、全身全霊を駆けて無数の暫撃を放つ。
しかし、対応するギルガメッシュの応撃に徐々に態勢を崩していく。

一転してギルガメッシュが突きを放った。直線的な一撃をセイバーは首を横に倒して交わし、下段から切り上げる。
ギルガメッシュは宙返りをしながら後ろに飛びずさった、同時にセイバーがギルガメッシュから目を外し、上空から飛んできた剣を弾き飛ばす。
その隙に詰めてきたギルガメッシュの剣が横薙ぎに弧を描いた。

再び激しい金属音と共に再び宝剣同士が激突する。セイバーは受け止めずに斜めに突き出した剣で受け流す。
絶妙の角度で突き出された剣はギルガメッシュの一撃を迸る火花のようなエーテルを乱舞させつつ流していく。
再び片眉をぴくりと動かしたギルガメッシュが怒りの表情と共に大剣に獲物を変えて力任せの一閃を打ちつける。
セイバーはその一撃を受けきれず、土蔵の方まで弾き飛ばされた。
土蔵の方に体を向けたギルガメッシュが大剣を肩に担いで、片膝をついて両肩を上下させつつ荒い息をし大汗をかいているセイバーを見た。
その眦には形容しがたい感情が浮かんでいた。憮然と嫌悪をベースに怒りをエッセンスとした感情が渦巻いていた。

「なんだ、その非力さは。以前の力はどうした。それでもセイバーの名を冠する者か。
下らぬ!! そこまで惰弱なセイバーなど、我の横に並べるのも不愉快だ、さっさと往ね」

一瞬で黄金の鎧に身を包んだギルガメッシュは、片手を上げる。
荒い呼吸でその姿を見上げたセイバーは、ギルガメッシュの背後に揺らめく空間が広がるのを、ただ、見つめていた。