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その町は異なる領域へと一歩一歩、誰にも知られずに歩んでいた。

いや、極少数の者達は、既に町が尋常ではないことを知っていた。何故ならば、その者たちが当事者であるが故に。

しかし、彼らの誰もがこの町の行方にまで気が回らなかった。

自分の行く末を、愛する人の行く末を、そして全てを掛けて守ろうとする、奪おうとする、そのことで精一杯だったから。

彼らを責めるのは酷だろう。認識したこともないことに気づけ、というのは不可能だから。

癌に侵食される体のように、”世界”の悲鳴が徐々に大きくなり、それに触発された本能からの警告も強くなっていく。
平穏な時であれば、稀代の魔術師である少女は気がついていたに違いない。
気がついてさえいれば、なんらかの行動を起こしていたことだろう。

平時であれば……。

残念ながら、その形にならない警告は、少女の目の前の困難な状況がかき消してしまっていた。
聖杯戦争という名の命を懸けたサバイバルが。

ただ、この世界のイレギュラー達は、闇に飲まれようとしている町の行方におおよその見当がついていた。


即ち――


Chapter 28 暗流


日が赤く翳り、稜線に消えようとしている。
逢魔が時と認識される時間帯、徐々に青黒い薄闇が世界を覆っていく。
その闇は豊穣なる闇、安らぎの闇などではなく、混沌たる闇、魔の世界たる闇であった。

冷たい風が人々の恐慌をあおるかのごとく吹き荒び、木々の葉鳴りがあたかも魔獣の咆哮のように大地を駆け巡る。

山の中腹にある寺。
一週間ほど前は、この時間帯でもちらほらと参拝客がいたはずだが、今は不思議と参拝客も途絶えている。
なぜか打ち捨てられた廃寺のように、忘れ去られたのか近づく者もいなかった。
中途半端な土木工事の後か、自然災害に襲われたか? といった様相を呈している境内と社だったが、奥の宿坊などはまだ健在だった。

その中に、冷たい板の間に布団を敷いただけの簡素な寝所が設けられていた。

20畳程の広々とした宿坊だが、障子によって外界と区切られた空間は沈黙と空虚さで満たされていた。

本来であれば、住み込みの修行僧や、平穏や静謐を求めて訪れる宿泊客の息遣いが聞こえるのだが、今はたった一人だけが、生命の息吹を吹き上げていた。

青みがかった髪を持つ、唯一の間借り人の少女が吐く息は荒く、微かに白く瞬いては消えていく。
暖房もないこの部屋で、寒さ対策なのか布団を何枚も重ねて目を瞑って横になっている。
どこか陰を含んだ、しかし妙な妖艶さを醸し出す、少女の額にうっすらと汗の雫が浮かんでいるのは、布団の重ね着が原因……ではなさそうだった。


庭に面した障子にすっと人の影が映る。
音もなく障子が開き、外気が流れ込む気配で桜は始めて気がついた。

――白い。

明かりが十分ではないその場においてなお、輝く白い姿。自ら発光しているような錯覚さえ覚える造形の粋を極めた姿が、そこにあった。
漆黒の艶やかな長い髪を靡かせ、白いケープを身に纏う、精緻かつ豪奢な金のネックレスが、その存在の胸元を飾っていた。
博物館や美術館で秘蔵されるようなネックレスは、例えハリウッド女優が身に着けても、その黄金の輝きに存在感が負けてしまうだろう。

目の前の存在を除けば。

その黄金を、屑鉄に追いやるほどの美が、天上の天使もかくや、という美しい顔が、どこまでも吸い込まれてしまいそうな黒瞳が、桜を射抜く。

その瞳に見つめられ、桜はどこまでも落下していくような感覚と共に、一瞬意識を手放しかけた。

――タベタイ。

不意に、桜の脳裏にそんな言葉が浮かびあがってくるが、慌ててかき消して、体を起こす。

ふと肩に白い繊手が置かれた。
はっと気がつくと、白く輝く顔が目の前にあった。ひんやりした黒く長い髪が桜の顔にかかる。
桜は、知らない間に、再び横になっている自分に気がついた。

板の間は、桜が歩くだけでも、床鳴りがする。にもかかわらず、音もなく、移動した様子もなく瞬時に目の前に存在していることに桜は一瞬恐怖を感じるが、間近に見つめられ、そのような感情は霧散していた。
代わりに、体が熱く火照り、花芯に潤いが行き渡るのを感じてしまった。どうしようもない罪悪感と共に。

「体調の方はどうかね?」

どこからか、声が掛けられた、静かで荘厳な雰囲気の声。大聖堂で懺悔をしている状況を連想するような、魂を揺さぶる声。
心もち離れたところに立って、桜を見下ろしている目の前の存在が、その声の主ということに気がつくまで、しばらくの間があった。

「……あ、メフィスト先生。……大丈夫です」

脳裏に霞んで行きそうな意識を、気力を振り絞って繋ぎとめ、搾り出すように桜が答える。

「そうかね?」

面白そうに微笑したメフィストは、すっと右手をかざし、瞬時に引っ込める。

「あ、あ、あ、あの……」

その行為は、桜にはメフィストの手の残像が瞼に写ったに過ぎない。
戸惑う桜に、慈愛に満ちた声でメフィストが続ける。

「38度7分。少々熱がある。それ以外は別段、問題はない。しばらく安静にしておきたまえ」

桜は絶句した。器具なども使わず、熱を測る様子もなく、正確に症状を把握する能力に。
だが、目の前の存在の力を思い出すと、納得せざるを得なかった。
自分の知る最大最凶の魔術師を超える力を持っている医師なのだ、空間を切り裂いて出現する医師なのだ。
どう考えても只の医師ではないし、魔術師としても尋常ではない力を持っているはず。
見ただけで体温を当てるくらいたやすいのだろう。と。

「……はい」

ふと気がつくと、近くにライダーの気配が感じられた。いつも霊体化して、桜の傍にいてくれるのだが、今は瞬時に実体化できるように警戒を強めている雰囲気が漂っている。
気がついているのか、いないのか、何かを考えている風情のメフィストが、ふと桜に視線を向けた。

「時に、君の家は魔術師の家系かね?」
「え、あ、……はい」
「魔術師だからとはいえ、別段に卑下する必要もあるまい」

少々ためらうように答えた桜に、メフィストは優しげな口調で諭す。その言葉は、桜の心理的な負い目を少しずつ崩していた。
今まで押し殺していた、悩んでいたことを、事も無げに否定し、肯定していく。

”家族”から切り離され、”家族”からも道具のように扱われていた桜にとって、衛宮家での生活は、暖かい”家”のような世界だった。
ただ、そこでも、自分の負い目は明らかにできなかった。
士郎が魔術師の端くれであることは知っていた、打ち明ければ全力で彼女を守ろうとすることも判っていた。

……それでも自分から内面をさらけ出すことはできなかった。

目の前の医師は、そんな桜の葛藤を一瞥しただけで見抜き、その内面を切り開き、言葉だけで治癒していく。

「……はい」

心の奥底に沈んだ澱のようなモノが薄れていくのと共に、柔らかな微笑が桜の顔を縁取っていく。


「ふむ」

何かを探るようなメフィストの視線はずっと桜を見据えていた。
幾分、居心地が悪くなった桜が身じろぎをしながら、体を起こす。
熱っぽかった体も今は安定したようで、ずいぶんと体が楽になっていることに桜は気がついた。

「あ、あの、何か?」
「いやなに、他愛もないことだ」

戸惑う問いかけに、メフィストは白いケープを翻して部屋から出て行く。
部屋から出る直前に、肩越しにふっと桜のほうを一瞥してから音もなく立ち去った。


桜の斜め後ろに、ふわりと紫の羽衣が舞う。
長い紫の髪をなびかせて、実体化したライダーは、戸惑うような視線を桜にむける。

「サクラ。彼は何者ですか? 霊体化している私を正確に認識していました」

メフィストが出掛けに呟く様に残した言葉が、鐘のように桜の脳裏に響いていた。

――外出するのはお勧めできないが、もし散歩に行くのであれば、そこの者を連れて行きたまえ。

「お医者様……よ」

桜はそれ以外の答えを持ち合わせていなかった。
あの白い医師がいったい、どれほどのことを把握しているのか、ふと不安になった。
自分は、天使の手を握ったつもりで、悪魔と契約したのではないか……と。

「そうですか、しかし、彼には気をつけたほうがいいでしょう。正直、人間かどうかわかりません」
「……え?」

ライダーの語尾に若干の震えが感じられて、桜は慌ててライダーを見る。そこには、メフィストが立ち去った障子の方に厳しい視線を向けつつも、両手で自分を抱きしめる姿があった。

「……ライダー?」
「負けるとは思いませんが、正直言って敵対したくない相手です」

その言葉に愕然とした桜は、ライダーの視線を辿って行った。白い医師が出て行った障子を。

それから二人は何も話さなかった。沈黙が優しい空間を形作る。

徐々に暗くなっていく世界のなかで、桜とライダーの二人だけが存在するような、静かな時間が過ぎる。
眼帯で眼を封じられているライダーに、照明をつけるという発想もなく、残光が薄くなり、部屋は青黒い闇で満たされていく。

「……ライダー」

その中で、意を決したように声を上げたのは桜のほうだった。

「何でしょう? サクラ」
「私、”散歩”に行きたい」

桜は、先ほどのメフィストの言葉を考えていた。殊更、外出を匂わせる意図は何だろうか? と。
ここから逃げ出せと言外に言っているのか、治療の為なのか……。
答えは出なかったが、外出すればわかることなのかもしれない。と結論付けた。

ライダーをしっかりを見据えた桜の言葉に、ライダーは躊躇した。
マスターの体調を考慮すれば、あまり外出は好ましくないが、鬱屈した環境で閉じこもるのであれば、精神の活力が失われそうだった。
逃亡者のごとく、住居を変えることが、肉体的・精神的な負担を掛けていることも認識していた。
とはいえ、同意はできかねた……

「し、しかし……」
「やっぱり、無理よね……、でも、境内を歩くくらいは……」

以外に食い下がる桜の願いを、それ以上無碍に断ることはライダーにはできなかった。
ひとつため息をついた。

「サクラ、この地は雑音が多くて、サクラの状態が極端につかみにくくなっています。近くにいれば問題ないのですが、離れるとだめです。なので絶対に、私から遠くに離れないでくださいね、それを守っていただけるのであれば、お付き合いします」

「……はい。ありがとう、ライダー」

桜にのしかかる様に両手を突いて、ライダーがずいっと顔を寄せて、真剣な表情と口調で言い聞かせた。
言葉の節々に、わがままな妹にため息をつきながらも、律儀に付き合ってくれる姉のような優しさを感じとれた桜は、向日葵の様に破顔した。
仕方がないですねぇと言いつつも、滅多に見ることのない桜の明るい表情にライダーも思わず微笑した。


「――っ!」

ライダーが一瞬で表情を強張らせて、背に桜をかばう様に振り向く。

「ケケケケケ」

そこには白い髑髏がふわふわと浮かんでいた。ライダーの背中越しにその髑髏を見た桜は、思わずライダーにしがみつく。

「何用ですかっ! 返答如何によっては……」

氷の様な硬い声とは裏腹に、しがみついた桜の手をライダーはそっと上から押さえる。
安心してください。あなたは私が守ります。というように。

「落ち着け、ライダー、僕は只のメッセンジャー。魔術師殿がお呼びだ。力仕事だってよ。」

髑髏から流れてくる声に、桜はビクッと体を強張らせる。
その声は、桜の”兄”の声に酷似していた。
声の雰囲気が違うので別人と納得することもできるが、それを除けば、まさしく彼女の兄の声だった。
だた、桜の耳に響く声は、トラウマを引き起こすだけのものでしかなかった。

一方ライダーにとっては、即座にひねり潰したい衝動に駆られる声であったが、アサシンの言う魔術師に、彼女のマスターの安否がかかっていることを考えると、自制せざるを得なかった。
唾棄すべき相手ながら、言うことを聞かざるを得ないジレンマがその身を焦がしていた。

「……わかりました。
……サクラ、先ほど言った様に決して一人で外出しないように。いいですね」
「はい」

数瞬の後、体の言い奴隷である現状に、不承不承ながら従わざるを得ないとあきらめた。
ただ、気がかりな桜には一言、釘を刺すことも忘れなかった。
桜も状況がわかっているのか、神妙にうなずく。
それをみたライダーは、肩を落としながら、アサシンに向き直る。

「どこにいけばいいのですか?」
「こっちだ」

髑髏を先導に、ライダーが、後ろ髪を引かれながらも出て行った。
部屋に一人残された桜は、眼をつぶって布団にもぐりこんだ。

「……寒いです、先輩」

しばらくして、気配を感じて眼を開けた。

「ライダー?」

出て行ってからまだ数分しか経っていない。簡単な用事だったのかな? と振り向いたそこに、白い髑髏が浮かんでいた。

「ひっ!」

思わず、くぐもった悲鳴が桜の口から出た。

そんな桜を面白そうに見つめた髑髏が、にやりと笑って、異常に長い手で桜を引きずり出す。

「散歩に行きたいのか? では僕がつれて行ってやるよ、遠慮するな。ケケケケケ」

本格的な悲鳴を上げようとした桜の口を押さえて、暴れる桜を事も無げに抱きかかえる。
嘲笑を張り付かせた髑髏は、桜ごと闇にまぎれていった。



「サクラ、遅くなりました。
――っ! サクラッ? サクラーーッッッッ!!!!」

しばらくして戻ってきたライダーを冷たくなった布団と、主の居なくなった空虚な部屋が出迎えた。
悲鳴のような声を上げたライダーは、部屋の壁を突き破り、白い流星と化して天空に舞い上がる。


-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-


「ぬぅぅぅぅぅ!!」
「はぁぁぁぁっ!!」

青銀と赤金の対照的な二人の英雄から、凛とした硬質の鈴と、体の芯から震わせる銅鑼の様な異なる裂帛の気合が交差する。
清浄なる金と混沌たる赤、鮮烈なる旋風とすべてを押し流す津波の様に、対峙する二人が放つ力は余りにも対照的で強大すぎた。
数人の観客を招いた小さなコロッセオごと吹き飛ばせる力が、お互いを喰らい尽くさんと中央でねじれ、うねり、潰しあっていた。
力の奔流に、圧力に、踏みしめた二人の英雄の足が大地にめりこみ、小さくない傷を残していく。
セイバーに魔力を吸われ脱力感にがっくりと大地に膝をついていた凛だが、その状況を見て確信していた。

――勝った。と。

凛のブーストが影響しているのだろうが、中央で拮抗していた力が、徐々に、しかし加速をつけてギルガメッシュに襲い掛かっていく。

「ギルガメーッシュッ!!」

セイバーが押し切るように叫ぶ。
それに合わせ、眩いばかりのセイバーの手元から更に、輝きを増した力の奔流がギルガメッシュに襲い掛かる。
まるで黄金の竜が顎を開けて喰らいつくように。

「がぁぁぁぁっ!!」

その奔流は、すべてを飲み込む土石流の様にギルガメッシュを巻き込んでいく。
鉄壁の防御を誇った鎧が砕け、弾き飛ぶ。
その光は直線状にあるものをすべて弾き飛ばし、粉砕していく。

「くっ、この我が――っ!」

光の竜に飲み込まれたギルガメッシュは、大地に穿たれた巨大な傷跡と共に消え去った。

「はぁはぁはぁ――ふぅ」

荒い呼吸をしながら、がっくりと膝を突いたセイバーが、俯いたまま呼吸を整える。
地面を見据えるその厳しい表情に、凛は一抹の不安を覚えた。

「セイバー?」
「すみません、凛、後一歩のところで逃げられました。」

最後の最後でふっと手ごたえがなくなった。
保有している防具を手当たり次第に展開して、その隙に後退したのだろう。
とはいえ、消滅する寸前までの攻撃を受けている体には多大なダメージが残り、簡単に戦線復帰もできないはずだ。
セイバーはそう考えつつも、討ち取る千載一遇の機会を逃したことを悔やみ、厳しい表情を崩さなかった。

「――シロウッ!」

振り返りかけたセイバーが、思い出したように辺りを見回す。
士郎はなぜか、縁側に横になって転がっていた。
その直ぐ隣に彼の”姉”と、顔に包帯を巻いた彼の小さな白い”姉”がいた。
大きな姉は袖で涙を拭ってた。

「シロウ! 大丈夫ですか?」
「とりあえず、生きているわよ。セイバー。落ち着いて」

つむじ風のように慌てて近寄ったセイバーに対して、士郎の首筋に手を当てていたイリヤが答える。

ほぅっと大きなため息をついたセイバーが、おずおずと士郎の顔を触る。
その手には確かに弱弱しいながらも、しっかりとした生命の息吹が感じられた。
その息吹を感じたセイバーは、ほっとしたと同時に、なぜか心の奥底が熱くなったことを自覚していた。

「士郎も大丈夫なのね? だったら一安心というところかしら。」

背後に気配を感じ、セイバーが振り返ると、心配そうな凛の顔があった。
凛は振り返ったセイバーの顔を見て、一瞬呆気にとられたような表情をしたが、直ぐに柔らかく笑う。
セイバーは不意に、その笑顔を、最近どこかで見たことがあるように思った。

「……こら、セイバー、泣かないの」
「えっ?」

凛の声に、おずおずとセイバーは自分の頬を触った後、その手をまじまじと見つめる。

「もう、泣いてることも気がついてなかったの?」

凛が苦笑をする様に声をかけて、ポケットからハンカチを取り出してセイバーの頬を拭く。
セイバーは、自分が涙を流していたことに、目を丸くして呆然と立ち尽くし、凛のされるままになっていた。
自分が泣いていることが信じられないように。

「しっかし、大穴があいたわねぇ。不幸中の幸いは周りの被害が最小限ってことかな?」

その雰囲気を変えるように凛が、跡形もなく消滅した土蔵と掘削機が穿ったトンネルのような爪あとを見て言った。
被害は0ではない。それどころか、確実に何人かは巻き添えになったはずだった。
セイバーの一撃は土蔵と土塀、それから経路上に存在した数軒の家を貫通していた。
ギルガメッシュがその前にいた為に、その程度で済んでいたが、もしギルガメッシュがいなければ、その爪あとは海まで続いていたに違いない。

凛は、直接認識できない死者のことは頭から追い出した。

「……すいません。凛。あの時は怒りで頭が真っ白になって、何も配慮できませんでした。」
「……いいわよ、セイバー。あの状態じゃ仕方が無いわ。そうでなければ、私達が皆殺しにされていたしね」

放心状態から立ち直ったセイバーが、凛に寄り添うように横に立って懺悔する様に言った。涙が消えたその横顔には苦渋が満ちていた。
その表情を横目に見ながら、慰めにもならない言葉を、自分に言い聞かせるように凛が呟く。

犠牲が出ている。

自らの戦いで、確実に犠牲が出てきていることを2人は痛感していた。

「まあ、この家って町外れだし、周りに田圃が多いから被害は最低限で済んでると思うわ。」

士郎はもういいの? と眼で合図をしながらセイバーを見た凛に、幾分硬いがしっかりとした表情で軽く頷いてセイバーが見返す。
正直、士郎の意識が無いことがありがたかった。あの未熟者の正義の味方が起きていたら、どうなっていたかわからない。
セイバーも同じ事を考えていたのか、思わず寂しい微笑がこぼれた。

「わからないけど、多分大丈夫だと思うわ」
「え?」

縁側からのイリヤの声で、凛とセイバーが同時に振り返る。

「んー、ちょっと前に、この周り一帯に人避けの結界を張ったから。……あの後、誰も来ないでしょ?」
「……そう、借りができたわね」
「……感謝します、イリヤスフィール。」
「気にしなくていいわ。リン、セイバー」

二人の問いかけるような視線の先に、人差し指を口に当てて、小首をかしげたイリヤがいた。
凛は誰にも気取られないように、ほっとため息をつく。
イリヤスフィールが張る結界であれば、自分と同等以上のものが出来上がるだろう。
耐性のない一般人は、結界に近寄らないだろうし、なにか急に用事を思いついて結界から逃れようとするだろう。

関係者でない只の住人の生死など、関係が無いと言えば、確かにそうなのだが、自分の選択で死なすことにはまだ慣れなかった。
士郎に影響されたのか、魔術を隠匿しようとする意識なのか、定かではないが、できるだけ無関係の人間には死んで欲しくなかった。
無意識のうちに抱え込んだ重しが軽くなる気がして、言葉に出さないがイリヤに感謝していた。
多分、セイバーも同じ考えだろうと、凛は思う。

「ま、んなこた、どーでもいいが、あいつにとっちゃ屈辱モノの敗走だろうな、くっくっく、いやぁ、おもしれえものを見せてもらったぜ」
「ランサー……、次はあなたですか?」

道場の屋根の上で立ち上がったランサーが、梟のように音もなく舞い降りた。
表情を硬化させたセイバーが、聖剣に手をかける。
ランサーは野生の豹が笑ったかの様な、物騒な笑みを浮かべた。

お互いの全身に力が漲り、まさに一触即発のその状況に、今まで沈黙を守っていた硬い声がかけられる。

「遠坂さん、説明して頂戴」

凛をじっと見据え、縁側に正座する大河の表情は硬く、顔面は蒼白だった。
微かに震える体は人外のモノを見た恐怖なのか、弟のように可愛がっている存在を、傷つけられた怒りなのか凛には判らなかった。
彼女の常識とはかけ離れた世界にありながら、震えながらも毅然とした言葉に、自分達の教師の強さを垣間見た気がした。

「おいおい、一般人のねーちゃんが出てくる状況じゃないぜ?」

若干の苛立ちを込めながら、ランサーが大河に言い放つ。
通常の人間であれば、それだけで恐怖に怯え、その場から逃げ出すか、へたり込む程のサーヴァントの圧力だった。
しかし、そのランサーを前に大河は昂然と言い放った。

「あなたが誰か知りませんが、今は私が遠坂さんと話をしているんです。少し黙ってください」

一般人に黙ってろと言われたランサーは呆気にとられた後、面白そうに口の中で笑いをかみ殺して力を抜いた。
ランサーの殺気が薄れるのを見て、セイバーは警戒しながらも聖剣から手をはずす。

二人の様子を横目に見ながら、大河は再び凛を見据える。

凛は、正直尊敬の念を抱かざるを得なかった。何の力も無い状態でも昂然と前を向くその態度に、精神に。
生徒にからかわれて暴れている日常は、あくまでも生徒に合わせていたと言う事。
普段とは違うその姿をみて、これこそが藤村大河の本質、士郎が姉と慕う女性の本当の強さなのかと実感した。

大河は険しい表情のままで辺りを見渡し、静かな口調で問いかける。激昂していない静かな口調に彼女の怒りがひしひしと感じられた。

「いったいこれはどういうこと? 遠坂さん。何で士郎がこんなことに巻き込まれているの? セイバーちゃん、イリヤちゃん。あなた方もいったい何者なの……!?」

大河はセイバーやイリヤにも視線を向けた。
二人とも、その視線から眼を背ける事はしないが、何も言わず沈黙を保った。
ただその顔は、微かな後悔と自責の念で彩られていた。

「藤村先生」

凛が、重い口を開く。その顔には寂しげな笑みが浮かんでいた。

「な、何?」

ランサーの圧力に耐えた大河も、彼女を見据える凛のその雰囲気に、自分にとって都合の悪いことを告げられる。と、野生の勘で敏感に感じ取ったのか、少し怯んで微妙に視線をそらす。

「……真剣な話です。私の目を見て聞いてくれますか?」
「わ、わかったわよう……」

変わらない凛の声に、大河が眼を戻すと、そこには泣く寸前のような表情の凛がいた。

「ごめんなさい。先生」
「えっ、えっ、えっ?」

謝罪の言葉に戸惑った、大河の目の前で凛が左手を掲げる。

「―――――Anfang(セット)……」

彼女にとっては意味のよくわからない言葉と、微かに潤んだ凛の目を見た瞬間、大河の意識は途絶えた。

崩れ落ちる大河の体を慌てて支えながら、凛は、もう一度、ごめんなさい。と呟いていた。

「……いいの? リン」

なぜか羽のように軽い、何かに吊るされている様な大河の体を、縁側に寝かせている士郎の横に並べる。
じっと様子を見ていたイリヤが、静かに問いかける。

「……ええ。
多分、士郎は怒るでしょうね。でも、もうこれ以上、巻き込むわけには行かないわ」

「……そう…ね。
……さようなら、タイガ。……短い間だったけど、私は貴方に会えて嬉しかったわ……」

イリヤは感情を無くした様な抑揚のない声で、別離の言葉を掛け、そして大河に抱きついた。

バーサーカーを失った彼女にとって、無条件で打算も何もなく触れてきて抱きしめてくれる大河。
見ず知らずの自分に、愛情を向けてくれる大河と言う存在は、優しい姉のような、そして暖かい母のようにも感じていた。

たった一日しか一緒にいなかったが、今までに無い感覚は戸惑うものでもあり、暖かく心地良いものでもあった。
しかし、その大河はもういない。凛によって記憶を消された以上、イリヤに関した記憶も無くなる。

「……さよう…な…ら……」

イリヤは静かに大河の胸に顔をうずめていた。

「いいのですか? 凛」

二人の様子を、胸に刻み込むように見つめていたセイバーは視線を動かさないままで、硬い声で凛に問いかける。
その声には、何を感じたのか、深い悲しみや迷いを含んでいた。

「ええ、ここ数日の記憶を消させてもらったわ。セイバーは覚えていると思うけど、イリヤの記憶は……
すべてが済んだら、もう一度やり直してもらうしかないわ」

「――っ!」

その言葉に弾かれたように、セイバーが凛を見る。
視線を感じたのか、ゆっくりと凛が何かを含んだような視線で見返す。

「言いたいことは判るわ、セイバー。やり直せるのか? でしょ? 違う?」
「……ええ」

凛とセイバーは、再びイリヤに視線を戻した。
イリヤは顔を上げて、大河の髪をそっと撫でる。
その姿を見ながら凛が静かに口を開く。

「そんな将来のことは判らないわ。ただ、少なくとも”聖杯戦争の最中に出会ったイリヤ”と会うことはできないでしょうね。”道端で偶然出会ったイリヤ”とか、”士郎の家に押しかけてきたイリヤ”とかだったら判らないけど」
「……」

凛が言葉を選びながらゆっくりと語るのを、セイバーはじっと聴いていた。

「いずれにせよ、今の記憶は失われたことだけは事実だわ、この間の経験だけは取り戻せない。どんなにその経験が尊いものであっても、失ったものは戻らない。」
「――っ!」

落雷を受けたかのようにセイバーの体が震える。
凛の言葉はセイバーにとっては心の深遠を穿ち、氷のナイフのように突き刺すものだった。

「それでも、魔術の漏洩は絶対に防がなければならない。これは冬木の地を管理する者の責任、私の義務よ。逃げるわけにはいかないわ、なんと言われようとも」

そう言って、凛はセイバーを見つめた。
セイバーは、己の決断を、そしてその結果を受け止める凛の姿にまぶしいものを感じた。かつて選定の剣を抜いた時の自分もそうだったのかも知れないと思いながら。

(聞きたいことは、それですべて? アルトリア・ペンドラゴン、いえアーサー王と言うべきかしら?)
「なっ!」

レイラインを通じて伝わってきた言葉に、セイバーは驚愕した。いつの間に知られたのか? という疑念が巻き起こった。
一瞬呆けたような表情が、硬く厳しくなる。その顔をみて凛は噴き出すように笑った。
その笑みには一瞬だけ、何か悲しい色がよぎった。

「簡単なことよ、今までの知識の断片や状況。それから士郎の戯言から導き出しただけよ。でも、女の子だったとは、想像だにしてなかったけどね」

くっくっくと笑う凛の背に、退屈そうなランサーの声が投げかけられた。

「おーい、そろそろいいか?」

「……あら、ランサー、まだいたの? てっきり帰ったのかと思って忘れていたわ」

庭の真ん中で胡坐をかいて、手で顎を支えているランサーを見て、きょとんとした凛の口から、素直な感想が飛び出した。

「うるせえな、死ぬか? 嬢ちゃん」

眼を細めたランサーが、器用に、反動をつけて立ち上がる。
腕をぐんと回して首を横に柔軟体操をしながら、射抜くような視線を凛に投げかける。

「私のマスターに危害を加えることは許しません。私が相手になります」

ランサーの不遜な態度に、自分を取り戻したセイバーが凛の前で立ちふさがる。聖剣は既に輝く刀身を晒していた。
それに呼応して、ぶんと振ったランサーの手に、ランサーの身長よりも長く赤い槍が現れた。

「おう、望むところだ……と言いたい所だが、俺の相手は決まってる。アーチャー、さっさと降りて来い」

振り返ったランサーが槍の穂先を道場の屋根に向ける。


――そこには、今までのやり取りをじっと見守っていた、信じられないような美貌の黒い天使が、流れる雲を背景に物憂げな表情で立っていた。



-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-



「はぁはぁ、くっ、この我が敗走だと……!?」

その王は、敗走を余儀なくされた事に腹を立てていた。
確かに相手は強力だった。だからこそ、王はその相手を欲したのだった。
自分の横に据えても構わない力だったがゆえに。

本来の力では自分が勝っている。が、今回負けたのは、ひとえに、あの魔術師達のせいだ。
未熟な道化は、自らの分をわきまえて力を譲り、譲り受けた者は、彼のマスターを大幅に上回る能力だった。
自分が劣っていたのではない、マスターの差が出たのだ。

黄金のサーヴァントはそう考えていた。そう考えた時点で、本来の王ではなくなっていたのかもしれない。

「おのれっ」

セイバーの一撃を受けて、ぼろぼろに破壊された鎧を苛立ちと共に打ち捨て、半分動かなくなった足と手を無理やりに動かして、自分の拠点に戻ろうとしていた。
受肉しているせいで、霊体化して移動することもかなわなかった。
満足に動かせずに引き摺るような足、全身に感じる脱力感。
周りに当り散らすような、呪詛の言葉と共に、ぽたぽたと血が流れ落ちる。

「何奴!!」

交差する細い路地の暗がりに向けて、ぎらぎらとした鋭い視線を向ける。
その殺気に当てられて、少女は陸に上がった魚のようにパクパクと口をあけるしかできなかった。

街頭の明かりを避け、暗がりで蹲っていたのは、桜だった。

「あ…あ……」

血走った赤い眼に射抜かれた桜は、身動きをすることもかなわず、金縛りにあったようにがくがくと震えていた。

「い、いやっ、いやっ、いや」
「ほう、しばらく見ない間に、なかなかに面白く仕上がっているではないか、しかし模造品では意味が無いな」

ギルガメッシュの額から流れる血が一筋の朱線を描いて、大地に赤い染みを作っていく。
酷薄な表情のギルガメッシュは、いやいやをするように顔を振りながら、じりじりと後退する桜の頭を、無造作に捕まえて片手で持ち上げる。
ギルガメッシュの凶悪な握力で頭をつかまれ、宙吊りにされた桜は、頭蓋を砕く様な痛みに、くぐもった悲鳴と共に手足をばたつかせ、その手を必死にはずそうとした。

その様子をしげしげと見つめたギルガメッシュは、無造作に空き缶を捨てるように桜を投げ捨てた。

ダンプカーに弾き飛ばされたかのごとく、アスファルトに投げ飛ばされた桜は、数mほど転がり壁に激突する。
体中が一瞬で擦り傷だらけになり、打撲も深刻、骨も何本か折れただろう。桜の横たわった所からじんわりと赤い染みが広がっていく。

「うっ……」

その状態で、桜は何とか顔を上げ、逃げようと試みた。
意識が残っているのが不思議なほどの傷だったが精神力だけで持っていたのかもしれない。

「ふんっ、見るのも汚らわしいわ」
「いやぁぁぁ!!」

ギルガメッシュの不吉な言葉に、顔をめぐらせた桜の霞む眼が見たものは、赤黒いサーヴァントの上空から自分の体に突き刺さってくる何本もの剣の銀光だった。


襤褸雑巾のように崩れ落ちた少女の体に数本の剣が刺さっていた。
それを一瞥したギルガメッシュは、踵を返して歩き出そうとする。

不意に何かの気配を感じたのか、振り返った。

そこには、通常であれば即死のはずだが、操り糸の切れた人形のように、ゆらりと立ち上がっている少女がいた。

「ほう、この状態で死なぬのか、想像以上に出来上がってきているのか? であれば本物と遜色はない……か?
……ふむ、気が変わった、その身は我が貰っていく」

桜は両手をだらりと下げ、力なく俯いて海草のようにゆらゆら揺れている。
その腕を掴んだギルガメッシュの体に、彼女の影から伸びた黒い影が巻きつく。

「ぬっ?」

腕と上半身を黒い影に巻きつかれたギルガメッシュは、咄嗟に桜を投げ飛ばした。
バウンドし壁にぶつかり、崩れ落ちた桜が、再びゆらゆらと立ち上がる。
立ち上がった時には、体は黒い魔力に覆われ、あたかも黒いドレスを着ているような錯覚を覚える。

「う、うふ、うふ、うふふふふふふふ」

桜の赤い眼が、白く色素が抜けたような髪の間からギルガメッシュを射抜く。
同時に桜の影が伸び、ギルガメッシュを飲み込もうとした。

「ぬぅっ!」

ギルガメッシュから撃ち出された剣が桜の腹に突き刺さり、その体を吹き飛ばし壁に串刺しにする。

「その程度の呪いで、我を取り込もうとは、片腹痛いわ」

荒い呼吸をしながらも、黒い影を撃退したギルガメッシュは全身の脱力感を感じていた。
しかし、昂然と嘯く。

「へぇ、あなたは強いんですね」

桜は自分を串刺しにしている剣を握る。黒い影がその上から覆い尽くした。
影が無くなった時には、剣は消えていた。
くすくすと笑いながら、ゆっくりと桜がギルガメッシュに近づく。その白みがかった紫の髪は、それぞれが命を持っているようにうねっていた。

「我を誰だと思っている? 我を取り込むのであれば、今の十倍はもってこい」
「その割には、肩で息をしているように見えますけど?」
「お前など、我が瀕死の状態であっても捻り潰せるわ」
「あら、そうなのですか?」

連戦の疲れで片膝を付きそうになるが、己の矜持でギルガメッシュは持ちこたえる。
このような聖杯の出来損ないに、膝を屈するわけにはいかぬ。と。
その姿を面白そうに見つめて、笑いながら、自分の体に影を触手のように纏わせた桜が、聖杯が近づく。

ギルガメッシュはその状況でも冷笑を放ち、自分の前面に展開させた剣を桜めがけて射出する。
串刺しになって、再び崩れ落ちた桜を足で蹴り飛ばす。

「邪魔だ」

その瞬間、ギルガメッシュの背後で、微かな声が聞こえた。同時にサーヴァントの気配も。

『妄想心音(ザパーニーヤ)』

「なに?」

愕然として、振り返ったその眼と鼻の先にどす黒く脈打つ心臓を持った異形の手があった。

「ケケケケケケ」

白い髑髏の嘲る様な笑い声と共に、その心臓があっけなく握りつぶされた。