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私は夢を見ているんです。

……あつい

ふわふわする夢。

……アツイ

だって夢じゃなければ、なんで剣で切り刻まれて生きているんですか。

……いたい

だって夢じゃなければ、吹き飛ばされた時に折れた背骨で、立つことができるんですか。

……イタイ

だって夢じゃなければ、どうして”私”が見えるんですか。

……オナカスイタ

だって夢じゃなければ、目の前の金髪の人がどうして黒々とした地面に吸い込まれていくんですか。

……

笑う髑髏? あ、消えた。変な夢。……そっか、夢だから変なことも起きちゃうんですね。

……タラナイ

これは……夢、この数日、よく見るいつもの……夢。

いつものように夢の中で、よく知っているようで、知らない町並みを歩いてる。

夢の中で出会う若い男の人は何故か、にやにやしながら近寄ってきて、消えていく。
夢の中で出会う女の人は何故か、顔を背けて遠ざかって、消えていく。

夢の中で出会う人は、みんな消えていっちゃう。

だから、私は独りぼっち。

寂しいです。

どこに行っても、私は独りぼっち。

寂しいです。先輩。

ちいちゃいころから。独りぼっち。

寂しいです。……姉さん。

ふと、身を切る寒さに体が震えた。全身に激痛が走る。
辺りを見回すと、そこは先輩の家に行くときに通る道。よく知ってる道。

「寒さや痛さを感じるなんて、変な夢。でも、ここって……先輩の家の近く……。
そっか、先輩に会いにいっちゃってもいいよね」

ぺたり

ふわふわする足取りで一歩踏み出す。

「会ったら、好きだって言って抱きしめてくれるかな。
もう離さないって、私を連れ去ってくれるかな」

ぺたり

ぐらぐらする体で、また一歩踏み出す。

「姉さんも、笑って祝福してくれるかな」

ぺたり

ゆらゆらと影が、また一歩踏み出す。

「……夢なんだから、そんな都合のいいこと……」

ぽつりぽつりとついている街灯の下を、ゆらゆらと揺れる影が歩いていく。

「……先輩……、これって夢ですよね。……でも……私……」

影が歩いていく。人気の無くなった町を。


Chapter 30 揺曳


「アーチャーッッ!!!」

振り返った凛は、叫ぶと同時に走り出していた。
その声に、白い妖精と剣の精霊がはっと振り返った。

荒れ放題に荒れた、庭と呼ぶのもおこがましい、広場の中央で、黒い天使が大地に伏していた。
駆け寄った凛は、呆然とした様に、その場にぺたんと座り込んだ。

「ねぇ、嘘でしょう? アーチャー。冗談よね? だって、さっきは元気にランサーと戦ってたじゃない。ランサーにも勝ったじゃない」

うわごとの様に力なく呟きながら、ゆっくりとアーチャーの肩を揺すり、首筋にそっと手を当て脈を測る。
そういえば凛からアーチャーに触れるのは、初めての行為だった。そんな感傷も微かに浮かんだが、
ひんやりした黒いコートに包まれた体は何の反応も返さなかった。
手に違和感を感じ、ゆっくりと視線を落とした。
その手は真っ赤に染まっていた。

「約束したじゃない。私を護るってっ。こんな所で寝てないで起きてよ」

焦点の伴わない眼をした凛は、アーチャーの体を仰向けに返す。
その天上の彫刻師が造形したような、美しい顔は寝ているかのように眼を閉じていた。
既に血は止まっているのか大地を濡らして行くようなことは無かった。

「……ねぇちょっと、眼を開けてよ、アーチャー」

凛がアーチャーの頬に触りながら呟く。

「リン……」

セイバーはその悲痛な響きの声に何も言えずに、凛の後ろで立ち尽くしていた。
居間の蛍光灯が2つの長い影法師を形作る。
凛の心を代弁するのか、ひときわ強い風が、木々を騒がしく揺らし、悲鳴の様な細い声を上げていく。

「あんたは私のサーヴァントでしょう、ふざけるんじゃないわよ」

「リン、落ち着いてください」

アーチャーの襟を掴んで揺すろうとした凛の両肩をセイバーがそっと抑える。
言葉とは裏腹に声に力は無く、ただ呆然としていた。
今の状況が信じられないような気力の無い声だった。
凛の横顔を覗き込んだセイバーが、そっと背中から凛を抱きしめた。

「…アー…チャー」

セイバーに抱きしめられながら、中空をうつろな視線がさまよう。
薄く届いた月光に瞳が波打っていく。

「ちょっと落ち着いたら? リン。ひどい顔よ」

鈴の音の様な軽やかな声に、凛は振り返った。

「呆然と泣いてるだけなんて、どこのお嬢様なのかしら? リン
泣くより先にすることがあるんじゃない?」
「……イリヤ」

呆然とその少女の名前を呟いた凛は一度アーチャーに眼をやって、おもむろにセイバーの手を振りほどく。
パシンと両手で顔をたたいた凛が、イリヤを見る。
その眼には、幾分、光が戻っていた。

「らしくも無く、みっともない所を見せちゃったわね」

縁側からスリッパのまま降りてきたイリヤが、アーチャーをはさんで凛の前に、ちょこんとしゃがみこんだ。
眼が見えない分、魔力感知か何かで判断しているのだろうが、足取りに不安なところは無かった。

そのままアーチャーの顔を覗き込む。凛とセイバーの視線もつられてアーチャーに視線を落とした。

「あのね、凛。アーチャーを良く見て」
「……?」

イリヤの声に仲良く並んだ凛とセイバーの顔に同時に疑問符が点いた。
訝しげに小首を同時に同じ方向に傾ける二人がそこに居た。
暗喩で伝えようとしたことが、なかなか伝わらないのでイリヤは苛立った。
小さなレディらしくも無く、長い髪の間に指を突っ込んで頭をがしがしと掻く。

「あぁ、もう、まだわかんないの? 消えてないでしょ? アーチャー。少なくとも私にはまだ、そう感じられるわよ?」
「……だって、アーチャーは英霊じゃ……!?」

凛は、そこまできてようやく、イリヤの意図が理解でき、はっとした様に顔を上げる。
見る見るうちにその顔に覇気が戻ってくる。
復活した凛を察したセイバーが、微笑を湛えて静かに離れた。

「そう、アーチャーは平行世界の人間で、実体があるんでしょ? 」
「心臓を修復したら、ひょっとして」
「もう、リンったら、そんなことも気がつかないなんて、うっかりさんというかマヌケよねぇ」
「うっさい、ちびっ子、……でも、あれ? イリヤにアーチャーの事、言って無いわよね?」
「おばかさんねぇ、リン、私を誰だと思ってるの?」
「何ですってぇ」

凛が本調子に戻ってくると同時に、イリヤも小悪魔の雰囲気を身に纏った。
イリヤの戯言に凛が反応して、いつもの会話が戻ってきた。

「リン、イリヤスフィール! そんなことはどうでもいいですから、今はアーチャーの治療を!」
「―っ!」
「リン、私も手伝うわ、一応とはいえ命の恩人だからね、さっさと借りは返しておきたいの」
「ありがとうは言わないわよ」
「ふふん」

途中まで微笑ましく見ていたが、口論に進展しそうな状況に、頭を抱えたセイバーがたまらず口を挟んだ。
それをきっかけに、凛とイリヤは魔力を自身の魔術回路に巡らせながらアーチャーの方を向いた。
何故か、その息のあった行動に、まったく、と呟きながら二人を邪魔しないように、セイバーも近くの石に腰を下ろした。

治療のための魔術刻印を光らせながら、二人は同時に呟いた。
「「……信じられない」」
「え? どうかしたのですか? リン」

状況が良く分らないセイバーに、凛が言葉を続ける。

「確かに心臓を貫通したみたいだけど、傷口が異様に綺麗で、今はぴったりくっついてる。
まるで、鋭利な剃刀で丁寧に切ったみた……まさかっ…」
「それは……」

アーチャーの傷は到底槍が貫いた痕とは思えず、ちょっと深めの引っかき傷にしか”視”えなかった。
胸の表面も、貫かれたはずの心臓も。
傷口を”探査”した結果、判明した状況は一点の事象を物語っていた。

「「アーチャーは自分で自分の心臓を切り裂いたのね」」
「リン、それは一体?」

そう、アーチャーの見えない糸であれば可能だろう。だが、自分自身で己の心臓を切り裂くことに、どんな理由があるのだろうか?
アーチャーの行為に呆然と顔を見合わせていた凛たちだが、次の瞬間、特大の静電気に触れたように体を硬直させた。
セイバーも後頭部をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。
直感が告げる。

危険だ――と。

「リン!、イリヤスフィール! 気を―」

セイバーが警告を発する途中だった。

それは予兆も何も無く、空中より滲み出でたように思えた。
それは空中から音もなく庭の隅に舞い降りた。

――白い鳥

一瞬、そんなイメージが湧き上がった。

落下の風圧で白鳥の羽のように広がっていた白い艶やかなケープが、重力に従ってふわりと落ち着く。
そして、その存在が凛たちに顔を向ける。
アーチャーと出会ったときと同種の衝撃が少女達を襲う。

胸元を飾る豪奢な金細工のネックレスが、粘土細工に変わるほどの、冬の闇夜を形にしたような美しい顔を乗せ
黒瞳は吸い込まれるような光を放ち、腰まである長い黒髪は艶やかに煌き、どうしようもなく月光を恥ずかしがらせていた。
アーチャーに負けずとも劣らない奇跡の様な顔だが、そこからは紛れも無い魔的な香りが立ち込めていた。

舞い降りた存在は一瞬でその場を制圧した。

「失礼だが、私のせつらに触らないで頂きたい」

呆然としていた3人は、しばらくたってから、掛けられた声が目の前の存在が発した音声だと認識した。
その声は、重厚な響きを持ち、まるで最高位の聖職者の声色があった。
ただ、その中には明確な敵意が感じ取れた。
その敵意に、我に返ったセイバーが、少女らを護るように立ちふさがって剣を構える。
高速移動によって大地が抉れ、土煙が舞い上がる。

「リン!、イリヤスフィール! 私の後ろに隠れてください」

はじけるように立ち上がった凛が眼の見えないイリヤの手を引いて抱き寄せる。
イリヤは凛の胸に顔を埋め、がたがたと震えていた。
眼が見えなくなった分、周囲の気配に敏感になったのだろう。目の前の存在が放つ魔気に当てられていた。
それを感じた凛が、唇を噛み締めて白い影法師を見る。
その身から感じる異質な魔力は衝撃だった。まるでもう一騎のサーヴァントが出現したような錯覚さえ起こす。
それもギルガメッシュ級の。

「あなたは誰ですか。返答次第では、それなりの対応を取ります」

二人を背に庇いつつセイバーが硬い声を掛ける。
盛んに直感が悲鳴をあげていた。目の前の存在は、生半可な相手ではない。と。
その得体の知れない感覚に、知らずに冷や汗がこめかみを、背中を伝っていく。

「ドクターメフィスト、彼の主治医だ」

彼女らは気がついた、目の前の存在がついさっきかかってきた電話の主であることを。
ただ、その言葉は不可解だった。

なぜ、”医者”なのか? と。
”魔術師だ”とか”サーヴァントだ”と告げられた方がすんなり納得できただろう。

「何をしに来たの?」
「医者が患者の下に訪れるとすれば治療以外にないと思うが、そこをどきたまえ。
せつらは私を呼んだ。だから私は来た。私は急いでいる。
――邪魔をするのであれば、力ずくでも取り返さねばなるまい」

凛のこの上も無く硬い声に、そっけなく答えた白い医師は、手を横に突き出した。
その手には輪っかに丸めた銀色に輝く針金があった。


少女たちには預かり知らぬことだが、彼の医師を知っている人間が見たら、一様に驚くに違いない。
そして、自分が考えられる限りの安全地帯に逃げ込んで、がたがた震えながらこう呟く。

「あのドクターメフィストが慌てている」と。


「リン、どうします?」
「……分ったわ、アーチャーがあなたを呼んだのは事実だし。とりあえずセイバー、下がって。
でも、アーチャーに何かしたら絶対あなたを許さない」

しばらくの逡巡の後、状況証拠から、その言葉に間違いは無いと判断した凛は判断した。
白き医師から立ち上る、殺意じみた魔気に全身を総毛立たせながらも凛は気丈に言い放った。
全身全霊を掛けたその視線が、魔界の深遠の様な黒瞳と絡み合う。

「ふむ、承知した」

微かに、面白いものを見たような表情浮かべ、メフィストはすっと手をケープの中に戻した。
同時に3人を圧迫していた空気も霧散した。

衝突が一時的にも回避されたことで、セイバーも一つ大きな息を吐いて剣を収めた。
アーチャーにせよ、目の前の医師と称する人物にせよ、なぜ、これほどまでに死の気配が立ち込めるのか
彼らの住むところは一体どんなところなのか。青銀の少女は想いを巡らせていた。

歩いた様子も足音も無くせつらに近づいたメフィストは、片膝をついて人差し指で胸の傷をなぞる。

「この傷の美しさ、せつらか。しかし解せんな、なぜ己が身を切る?」
「なによ?」
「状況を説明して貰おう。せつらをここまで追い込んだ者の名を含めて」

すっと立ち上がったメフィストは、おもむろに凛を見る。
自分に向けられている訳ではない。と理解しながらも、再び舞い上がり始めた濃密な殺気に凛はたじろいだ。
足ががくがくと震え、白い顔がどんどん巨大化して行くように感じられる。

呼吸が止まる。

――窒息しそうな状況でふっと涼風が吹いた。呼吸が急に楽になる。
水面に顔を出した競泳選手のように荒い呼吸を繰り返す。
気が付くと、目の前に青銀の甲冑の背中があった。

「殺気を収めてください、白き医師」
「私に刃を向けるか」
「少なくとも、我々はアーチャーの味方です。彼を傷つけたのは我々ではない。落ち着いてください」

凛の前で立ちふさがったセイバーは少女をかばいつつ、メフィストに剣を突きつけていた。
悶死しそうな医師の視線を、真っ向から受け止めて弾き返す。
青銀の少女にとっては永遠、現実時間では1秒にも満たない、戦闘の結果、矛を収めたのはメフィストの方だった。
全身をハンマーで打ち付けるような、殺気が急速に薄れていった。

「…失礼した。柄にも無く取り乱していたようだ」

メフィストが静かに言葉を紡ぐ。それを見て改めて剣を収めたセイバーは、深呼吸を繰り返す凛とイリヤを見て、ほっと一息ついてから、アーチャーとランサーの戦いを説明した。


-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-


「なるほど、アルスターの英雄、クーフーリンか
そして、魔槍ゲイボルク、因果を逆転する必中の槍、なるほど、理解した」

セイバーの説明を目を瞑って聴いていたメフィストは、静かに呟いた。

「説明しなさい……よ」
「ふむ、本来であれば……」
「なによ」
「……いや、なんでもない」

凛は呼吸を整えながらも、射抜くような強い視線でメフィストを見つめた。
一瞬だけ苦笑じみた表情を浮かべたメフィストだが、次の瞬間には、頭を軽く振ってもとの静かな表情に戻る。

会話の主導権が凛に移ったことで、セイバーは未だに顔面蒼白で呼吸の荒いイリヤを抱き上げて母屋に向かった。
一瞬びくっと体を震わせたイリヤだが、もう大丈夫です。と掛けられたセイバーの声に安心したのか、おとなしく体を預けた。

その横で静か神託を述べるようにメフィストが語る。
まるで死海に降り立つ聖者の様な、あるいは齢100を数える老人の様な深い声で。

「魔槍ゲイボルク、即ち原因と結果を逆転する呪いの槍。
心臓に突き刺さったと言う結果があるが故に、槍を狙った相手に向かって投げる、突くという原因が生ずる。
しかし、経過は確定していない。
投げた槍が壁に当たって、たまたま跳ね返ったら突き刺さっているかも知れぬし、
掴んだつもりで、間違えて転んで、突き刺してしまうかも知れぬ。
そして、心臓を突き刺すのがゲイボルクである必要は無い。
即ち、心臓にゲイボルクが突き刺さっている事実があればよい。」

「ひょっとして……」

メフィストの言葉を噛み締めるように聞いていた凛が、気がついたように顔を上げる。
真理に到達した弟子を見るような、穏やかな眼差しでメフィストが見つめる。
この瞬間に限って言えば、凛はメフィストに師事していたのかも知れない。

「そのとおり
せつらは、自分の心臓を自ら斬ってゲイボルクが突き刺さっている事実を確定した。
そういうことだ」
「え? で、でもそんな自分で自分の心臓を……」

メフィストは永遠の恋人を眺めるような視線を、大地に横たわる黒衣のサーヴァントに向けた。
その視線を追って、凛も似たような視線を向ける。

「こちらの世界でも心臓移植など珍しくもあるまい。
彼の糸であれば、心筋を破損しないように、血が出ないように切ることも不可能ではない」
「でも移植手術とは、全然意味合いが異なるわ」
「確かに意味は異なる。
彼は、いや”僕”のほうか、同時に一種の仮死状態になったということだ。
とはいえ”私”から槍が突き刺さった”僕”に戻った以上、”僕”を誰かが治療しなければ、そのままであった可能性もある」

凛とメフィストは問答を重ねる師と弟子のように言葉を織り成していく。
荒廃した庭だが、そこは確かに神聖な”学び舎”であった。

「そもそも、秋せつらが、この世界において、たかが心臓を切ったくらいで死ぬとは私には想像出来ぬ」
「じゃあ、アーチャーは治るの? というか早く治さないと」

メフィストの一言に、凛は歓喜した。
同時に、心肺停止の生存率が時間と共に指数的に低下する事を思い出し、音を立てて血が引いていくのを感じた。
目の前の医師が来たことで、治療を中断していたことに、いまさらながらに気がついた。
もう既にかなりの時間が経過している。通常であれば絶望的な時間が、残酷に刻まれている。

その焦りの中で凛は、メフィストの言葉の中から、重要な単語を見落としていた。

「既に治療は終わっている。いい加減、そろそろ起きたらどうかね?」

唇を噛み締めて、慌ててアーチャーに向き直った凛に、横合いからメフィストの声が追いかける。
言葉の後半は、アーチャーに向けられていた。
恐る恐る顔を見た凛は、ゆっくりと眼を開けつつあるアーチャーを見つけた。

「ばれたか」
「アーチャーッ! 生きてたのね」

思わず、震える声で叫んだ凛は、身を起こそうとするせつらの首筋に抱きついた。

「――えーと、あの。どいてくれない?」
「うっさい、ばか」

何かを隠すように、顔をこすり付けた凛は、耳を真っ赤にさせながらも、アーチャーから離れなかった。

困ったなという風に頬をかいたアーチャーは周りを見た。セイバーと眼が合った。
セイバーは微笑ましそうな表情をしていた。
いつの間にかイリヤは縁側で大の字になって寝転んでいた。

「ところで、お嬢さん、貴方が私のせつらを召喚した術者かね」

凛は頭上から掛けられた声に硬直した。
問いかけの言葉と裏腹に、その声には静かな怒りが込められていた。
弾かれたように、凛は身を翻した。

アーチャーは戻った、今の凛には何も怖いものは無い。しかし、明らかに自分に向けられた怒りにはたじろぐ物があった。
何故? 理由が分らなかった。
だが危険を感じ、メフィストから距離を取るように横に跳ね飛ぶ。

いつの間にかメフィストの手が横に突き出され、針金を握っていた。

「私はケジメをつけねばならん。私の患者を奪っていく者には相応の対価を払っていただかねばならん」

白い医師は、一瞬で魔法のように針金細工の虎を作り上げた。メフィストよりも大きな2頭の虎を。
その虎は、声無き雄たけびを上げる。
まるで生きているようにしなやかに動き出す。

凛の危険を察知したセイバーはその爆発的な瞬発力で、凛とメフィストの間に強引に割って入った。
飛び掛ろうとした虎をタックルで弾き飛ばす。弾き飛ばされた虎は激突した壁を崩して止まった。

「白き医師よ、私のマスターにそれ以上敵意を向けることは、許しません」
「ほう、許さない。と? どう許さないのかね?」

キンッと、金属を弾くような音が連続で響いた。
音も無く襲い掛かってきた虎をセイバー弾き返した音だ。
タックルで弾き飛ばした方も、何も無かったかのように無傷で参戦してきた。

セイバーは、たかが針金の虎と考え、切断するつもりで剣を振るったが、押しかかる圧力、その速度と重さはとても針金で作ったモノとは思えなかった。そして、想像以上の強度があったらしく、切断することが出来なかった。
一瞬でこれほどまでの使い魔を生成する”医師”に、セイバーも凛も驚きを隠せなかった。

「リン、離れて」
「分った」

青い騎士は激しく襲い掛かる牙や爪の攻撃を受けとめ、弾き返す。
攻撃を受けつつも、狙われているのが凛であることを察知したセイバーは、最低限の単語だけで、凛に避難を指示する。

一通り攻撃を受けきられた虎たちは、目標をセイバーに決めたようだ。
挟み込む様に、二手に分かれる。一方はしなやかな動作と共に屋根に飛び乗った。
完全に分かれた瞬間、前後から、虎が襲い掛かった。
牙を突きたて、爪で薙ぐ。そして即座に飛び離れ、大木や壁を使い、3次元的に襲い掛かってくる。

その連動した動きと、死角から急所を狙おうとする動きに、訓練した戦闘犬の様な高度な知能を感じた。
しかし、最優の剣の騎士、セイバーは円を描くように、舞踊を踊るように流れる動きで死角を封じ、落ち着いて迎撃していく。
高度な連動を誇る虎とはいえ、神速の剣先が徐々に押し込んでいった。

迎撃の合間に、白い医師が眼に入った。
思わず眼を見張った。その腕には針金で出来た鷹がいた。伸ばした腕いっぱいに何匹もとまっていた。

流石にあれだけの使い魔で攻撃されると身を護ることで精一杯になる。
使い魔で牽制されている間に本体が凛を襲ったら……
メフィストと名乗る医師が狙っていることを察したセイバーは、焦った。
その雑念が剣先を微妙に狂わせたのか、一方の虎に剣の腹を咥えられた。

「くっ」

唯の針金の筈なのに、やはり、ずっしりと重たい手ごたえがある。
背後からもう一頭が襲いかかる。
剣を咥えた針金の虎がにやっと笑った。セイバーにはそう見えた。

「なめるなぁ!!」

相対しているものは敵だ。と認識したセイバーは、右足を踏み込み、それを軸として咥えた虎ごと聖剣を振りぬいた。
裂帛の気合と共に円弧を描いた聖剣は、剣を咥えていた虎の顎を頭蓋ごと両断し、そのまま円弧を描き、背後から飛び掛かってきた虎の胴体をも両断した。
ばねが千切れるような音と共に、虎が針金になって崩れ落ちる。
息つく間もなく、鷹が風のように舞い降りる。針金でできた鷹が。


セイバーの戦いを横目で見ながら、アーチャーが音も無く立ち上がる。

「メフィスト」
「患者は黙っていて貰おう」

アーチャーがコートについた埃を払っていく。その合間に、メフィストに声を掛ける。
真横で繰り広げられる戦いを気にも留めず、アーチャーが微妙に眉を顰めていた。
どうも、血がついたコートに憤慨しているらしい。
いつもののんびりとした、ただ、少々非難を込めた口調がその場に響いた。


「ところで、誰がメフィスト”の”なの? 僕はそんな記憶は無い。縁を切るよ」


なんとか打開策を練ろうと宝石を手に構えてはいたが、効果的な策が無く、焦燥しながらセイバーの戦いを見ていた凛が、一瞬で脱力した。
セイバーも同様らしく、その隙を突いた鷹をあわてて弾き返していた。

劇的な反応をしたのはアーチャーに向き直った白い影の方だった。
明らかに狼狽している。それと同時に、その場を制圧した空気は去り、セイバーに襲い掛かっていた鷹達は、攻撃を止め近くの木の枝に舞い降りた。

「ま、まて、せつら」
「ついでに彼女は仕事の依頼人で、僕は今、仕事中。彼女達に危害を加えて貰っては困る」
「し、しかし……」

アーチャーは一方的に白き医師に要求を突きつける。
凛達を追い込んでいた姿はどこへやら、まるで、恋人の我侭に振舞わされているドラマの主人公の様な雰囲気すら醸し出していた。

「……せっかくお茶でも奢ってやろうと思ったのに。残念だ」
「仕方が無い」

とどめだ。
アーチャーの一撃に、白き医師はしぶしぶと折れた。
折れつつも、微妙に嬉しそうな表情が垣間見えるのは、目の前の黒衣の麗人との食事を想像しているのだろうか。
ふっと手でケープの裾を舞い上げる。舞い降りるまでの間に、針金で作られた動物達はケープの中に吸い込まれていった。

だが、ちょっと待て。凛は、独り唸った。
どう見ても、医師は男性……多分。であれば……
想像したいやな光景をぶんぶんと頭を振ってはじき出す。
でも、そうだとしたら……
いや、でも……
赤くなったり青くなったり、凛は思考の迷路にはまり込んでしまった。

「いったい、なんですか、これは。 敵味方をはっきりしてください。本気を出していい相手が分らないではないですか」

ほっとかれたセイバーは、黒白の様子と赤青の凛の様子をそれぞれ眺めて、大きなため息を付いた。
騎士団を身近に知っているセイバーは、目の前の光景に特に奇異に感じず、凛の態度を訝しく思いながらも剣を収める。

「あ、あと」
「……なんだ?」

「仕事が終わるまで帰らないから」

――帰る
アーチャーが発した一言で凛はびくっと体を竦ませた。
考えないようにしていた事を曝け出された気がした。

「……理由は?」
「知ってるくせに」
「ふむ。よかろう」

凛は恐れていた。メフィストと名乗る医師が、アーチャーの元居た世界の住人であることを。
そして、平行世界を渡ってここへ到達したことを。
さらに、アーチャーをつれて帰ることが出来るだろうことを。


――アーチャーがいなくなる。


その言葉が凛の中を駆け巡っていた。

確かに今はセイバーがいる。身も心も完全に凛のサーヴァントになった。……と言うには語弊があるだろうが、誠実なサーヴァントは凛を助けてくれるだろう。もともとセイバーを望んでいた凛にとっては願っても無い状況かもしれない。
アーチャーがいなくなることで大幅に戦力ダウンすることは事実だが、それでも、この戦争を駆け抜けるには十分だろう。

でも、アーチャーが抜けるのは嫌だった。

アーチャーが帰らない。と言ったのを聞いて、心に巣食っていたどんよりした雲が少し払われた。

恋愛感情?
父性への憧憬?
家族への渇望?
同じ戦争を戦う同志?
マスターとサーヴァントの関係?

どれも正しいような気がした。どれも間違っているような気がした。
ふと気がつくと何年も一緒に行動していたような気になる。
この一瞬一瞬が永遠に続くような気もする。
ほんの一週間前に始めて会ったことが、信じられない。

ある意味、吊橋理論的な擬似恋愛感情にかかっているのかもしれない。
死の恐怖から救われた感動があるのかもしれない。

少女から一歩踏み出した段階の凛の心は、まだまだ成長の過程であった。その中でさまざまな感情がタペストリーのように織り成されていく。

妹を”無く”した。
己が努力することが妹の幸せにつながると、記憶を薄め、傷を埋めた。

父を亡くした。
”遠坂”を名乗り、冬木の管理者として自らを律することで、穴を塞いだ。

平穏を、人としての生を無くした。
魔術師として生きることを決めて、光の世界を封印した。

そしてアーチャーを失う。
その時、何をするのだろうか。

ただ、分っていることは一つ。
私がどんなことをしようとも、彼は去って行くだろう。

――多分その時は至極あっさりと。何事も無かったように風と共に去っていくのだろう。

なぜ、私はこんなことを考えているの? 凛は、自らに問いかけた。
己の深層からの答えは無かった。


「ところで率直に聞くけど、何時?」

アーチャーはそんな凛の葛藤も知らずに、白い医師に問いかけた。
まるで、うっかりと忘れていたことを思い出したように、何気ない口調で。

メフィストは一瞬で感情を消す。
多少なりとも穏やかな空気が、アーチャーの一言で変わった。
ほとんど感情が読み取れないが、白い医師から漏れ出る雰囲気は、凛にはなんとなく分った。
それは非常に近い空気。

――真理への渇望

究極を模索する学徒として、『 』を求める魔術師としての馴染んだ雰囲気だった。

「……少なくとも今日ではないな、明日か明後日というところか」
「そう、じゃあ、少しは時間があるか」
「どうする気だ」
「少し休憩」

「……ちょっと、何のこと? アーチャー、話が見えないんだけど?」

ただ、会話の内容は理解不能だった。
憮然としてアーチャーに尋ねたが、その言葉は丁寧に無視され空中に消えた。
うーっ、とむくれる凛を尻目に、黒白の麗人の会話が続く。


「あ、そうそう、来たついでに、この少年も少し見て貰える?」


その声にセイバーはアーチャーをまじまじと見つめた。


――シロウ。

セイバーの心の片隅では、彼は今もマスターだった。
無理な戦闘で、気を失っているが、命は無事と聞かされていた。
ただ、直前のギルガメッシュとの戦いは彼に非常な負荷を掛けただろう。
先ほど、仮死よりの再生を目の当たりにした今、メフィストと名乗る医師の実力は本物なのだろう。
あの、アーチャーが信頼を置いている点からも、その実力が窺える。
そう考えると口が勝手に開いた。

「私からもお願いします。シロウを、シロウを診ていただけませんか?」
「治療は患者自身が選択しなければならん。誰であろうと邪魔をすることは許されない」

重々しいその言葉に、彼の医師にある、絶対のルールが感じられた。

治療を受けるのも受けないのも、本人だけが判断できる。
運命を選択するのは、自分だけ。他人に運命を左右する権利は無い。
白衣の天使は、セイバーの眼を見ていた。

お前は勝手に他人の運命を変えるのか? と、その眼が糾弾しているように思えた。

人の運命は勝手に曲げられない。
では私の願いは……やり直すことは……

青銀の騎士は蒼白な顔で続ける言葉を失った。


それを、黒衣のサーヴァントは鼻歌で吹き飛ばす。

「そこをなんとか」

「……」

「……」

「……」

「今度、手焼きの堅焼を持っていこう」
「手焼きかね」
「僕の手焼きだ」
「……本来であれば、患者自身が選択しなければならんが、せつらの頼みであれば仕方が無い」
「さすが、メフィスト。話が分るね」
「……」

相変わらず、茫洋とした表情に、メフィストが怨めしそうな視線を向ける。
それを柳に風と何事も無いように受け流すアーチャー。
あきらめたように、ため息をつくメフィストを見た凛達は、なんとなく、この二人の力関係が分ったような気がした。

……一方通行で報われない。

一瞬だけ、本当に一瞬だけだが彼女等はメフィストに同情した。


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縁側に横たわる士郎に近づいたメフィストが、熱を測るように、しずかに額に手をのせる。
同時に眼を閉じた。
慈愛に満ちた天使の様な雰囲気、一枚の神話画の様な光景に凛とセイバーは瞠目した。
数瞬の後に音も無く立ち上がる。二人に向けた顔は確かに”医師”の顔だった。

「診察は終わった。
少々尋ねるが、こちらの魔術師は体に何かを埋め込むのがセオリーなのかな?」
「え? 人によっちゃ、そうかもしれないけど……」
「なるほど、了解した。特に問題は無いようだが、神経が摩滅しているな。良くて半身不随、悪くて廃人と言うところか」

メフィストが凛の方を向いて診察結果を告げる。
淡々とした言葉だったが、その言葉は巨大なハンマーとなって二人の少女を打ちぬいた。

「えっ、うそ……」
「そんな、馬鹿な……」

凛は呆然と立ち尽くし、セイバーが、力なく崩れ落ちる。
白い医師は、目の前の2人を無視して視線をアーチャーに向ける。
その視線には若干の非難が込められていた。

「せつら」
「なに?」
「死人繰りをこの少年に使ったか」
「少々」
「それは死んでいる時か? 生きている時か」
「生きている時」
「それが止めだな。まったく無茶をする」
「……どういうことですか、アーチャー」

その言葉を聞いたセイバーが蒼白な顔を上げる。
医師の言葉を信じると、アーチャーの行為によってシロウが廃人になった。
彼女はそう感じた。状況を考えれば仕方が無かったのかもしれないが、廃人になるような技を、平然とかけるアーチャーに、やり場の無い憤りが向いた。
今にも飛び掛らんとするセイバーを、メフィストの言葉がとめた。

「落ち着きたまえ、過去にして、未来の王よ、今は診察しただけだ」
「なっ……!?」
「なにかね?」
「な、なぜ……その名を……」
「何、私も古くてな。さて」

何気ないメフィストの呼びかけは、セイバーにとって驚愕の一撃だった。
なぜ? どうして? いつ分った?
遭遇してまだ一時間も立ってない相手に看破された。
ショックでうわ言の様につぶやいた声に謎めいた言葉が突き刺さる。
私も古い。とは……
一瞬、道化じみた老人を想像したが、明らかに異なる……
返す言葉も無く、セイバーは沈黙した。

「治る……の?」
「愚問だな」

微かに震える凛の声に、おもむろにメフィストが細い針金の束を取り出した。
彼女には、使い魔を作り上げた針金よりも心持細いように見えた。

「は、針金?」
「な、なにするの?」
「私は医者だ、医者が患者に施すものは、すべからく”治療”に他ならない。
落ち着いてみていたまえ」

無造作に手を広げては針金を送り出していく、どれほどその行為が続いたのか分らないが、メフィストの前に
丸まった子象ほどの銀色の山が出来ていた。
どこに、これほどの針金を持っていたのか、重量的にも人が持てる限界を超えているはずだった。

唐突にその動きが止まり、まじまじと針金を見ていたメフィストが慎重に指で弾いた。澄んだ音を立てて針金が切断される。

目の前の異次元の光景に赤と銀の少女達は呆然としていた。
彼女らを尻目に再び士郎に向き直ったメフィストは、左手に針金の端を持ちつつ、右手で鳩尾から頭頂へ正中線に沿ってゆっくりと人差し指を移動させる。
その眼は閉ざされており、何かを探っているように見えた。

「ふむ、ここか」
「――ッ!?」

固唾を呑んで様子を見守る凛たちが、次の瞬間声にならない悲鳴を上げた。
メフィストの手が額の所で止まり、徐々に士郎の額にめり込んでいく。どう考えてもその手は脳まで達していた。
そして、針金をこめかみに無造作に突き刺した。
手首までめり込んだ手を引き抜いたと同時に、掃除機に吸い込まれる紐のように、音を立てて針金が士郎の体に吸い込まれていった。
ほんの数分ほどで堆く積もっていた針金の山が士郎の体に吸い込まれていった。

「ふむ、治療は終りだ」
「あ、あ…」
「さあ、起きたまえ」

慈愛に満ちた声と共に、メフィストが士郎の頭を撫でる。
その声に弾かれたように、士郎の眼が開いた。

「ここは……俺、死んだ? 天使が見」
「ふむ、光栄だが、天国ではないな。 気分はどうかね?」
「なんだか…体…重い…」
「馴染むまで半日ほどかかる。その間は安静にしておき給え」
「……え、あ、どうい」
「礼ならば、せつらに言い給え」
「せつらって……あ、アーチャーのことか」

十分に口が動かないのか、士郎の言葉は、最初は途切れ途切れにしか声にならなかった。
そして夢を見ているような表情でメフィストを見上げていた。
自分の状態がなかなか理解できないような雰囲気を纏っていたが、聞き知った言葉を聴いて、覚醒に向かう。

ゆっくりと手を突いて身を起こそうとした所に、彼にとっては鈴の音の様な懐かしく感じる声が庭から聞こえた。

「シロウ!!」
「セイバー、あ、そうだ、ギルガメッシュは……ツッ」
「マスター、まだ動いてはいけない。ギルガメッシュは撃退しました。取り逃がしましたが、次は勝ちます」
「あ、そ、そうか…」

その声をきっかけに、急速に覚醒状態になった士郎は、周りの惨状と、縁側に寝転んでいる大河やイリヤを見て一瞬表情を硬くした。
が、潤む眼をした青銀の少女と眼が合って、助けようとした者が無事なことを確認し、軽く息を吐いた。
反射的に、自分の令呪に意識が向かったが、そこにあった感覚は既に失われていた。
まだ、マスターと読んでくれる嬉しさがあったが、同時に一抹の寂しさを感じる。
ただ、本来あるべきところに戻ったような奇妙な達成感もあった。

「衛宮君? ちょっといいかしら?」
「……って、な、なんでしょうかとおさかさん」

縁側に四苦八苦しながら座ることに成功した士郎に、おずおずと手を伸ばそうとするセイバー。
その後ろから、怒りをこめた少女の声が突き刺さる。
その怒りの強さにびくっと体を震わせた士郎は、おそるおそる、声の主に眼をやった。
セイバーは凛の雰囲気を確認した後、やりすぎないでくださいね。とつぶやきながら、その場を空ける。
逃げるな、逃げないで、俺を独りにしないでくれセイバー!!という士郎の心の声を振り切って。

「アンタねぇ、どういうつもりよっ! 一体!!」
「いや、あの時はあーするしか……」
「だからって自分が死に掛けたら意味がないじゃいの!!」
「でも、みんなを助けるには……」
「でももストも無いわよ!! で、自分が死んでどうするのよ!!」
「遠坂、ストは意味がちが」
「うっさい、ばか
そうやって自分が犠牲になってどうするのよ!
後に残る人のことは考えたことはあるの」
「ごめん」

そこに赤い悪魔が居た。
最初こそ、落ち着いているように見えたが、徐々にヒートアップして、最後は、どかーんと噴火した。
わなわなと、肩を怒らせて真っ赤な顔で、それでも自分を心配してくれる凛を見た士郎は、思わず微笑んだ。
こんな自分を、真剣に心配してくれる人がいることが、どうしようもなく嬉しかった。感謝の言葉で胸がいっぱいになる。

「私に謝ってどーすんのよ!! 謝る相手が違うでしょ!! で、なに笑ってんのよ」
「いや、心配してくれて、ありがとうな」
「ふ、ふんっ! ……まあ、いいわ。」

とことん説教してやるつもりだったが、素直な様子に拍子抜けした凛は、更に透き通るような純粋な笑顔を向けられ、
思わず照れてしまい、まともに士郎の顔を見ることが出来なくなった。
続ける言葉を失った凛は、顔に血が上っているのを感じて、あわてたように顔を背けた。
視界の端に、黒白の影が何事かを話している姿があった。

誰も言葉にならない間が、その場に広がった。
あるものは願いに悩み、あるものは今を悩む。
そしてあるものは……

沈黙を破ったのは、凛だった。

「これからのことだけど、とりあえず私の家に拠点を移しましょう」
「遠坂の?」
「ええ、残念だけど、こうなっちゃね。あっちだったら、ここよりも防御はましだし、龍脈の上だし」
「藤ねぇはどうするんだよ……」
「士郎が旅行に行った暗示を掛けて家に帰って貰いましょうか、一週間も持てばいいわ」
「……わかったよ」

唐突だが、深刻な内容に士郎は眼を見開いて、まじまじと凛を見つめる。その視線を凛は真っ向から受け止める。
ため息を一つ付いて、縁側の藤ねえ達を見つめた。
しばらく藤ねえ達を見ていたが、あきらめたように頭を振った。
両手でほっぺをぱちんと叩いてから、勢いをつけて立ち上がった。

「うわっ」
「きゃっ」
「あんたねぇ、安静って言われてたでしょ」
「ごめん」

縁側から立ち上がろうとしてバランスを崩した士郎の両手が空を切る。
セイバーと凛が同時に手を伸ばして支える。
あれだけの針金を吸い込んだ割には、特に重くなってもいないなと、頭のどこかの冷静なところが感想を述べながらも、
真正面にいた凛が抱きつくような格好で、なんとか倒れずにすんだ。


「あれ?」

横合いから声が聞こえた。
その声は、よく知っている、けれどとても懐かしい声だった。
二人とも、想像だにしなかった。

まさか。

士郎と凛は同時に顔を向けた。

そこに、二人が捜し求めていた少女が壁に手を当てて寄りかかるように立っていた。
ただ、その姿は彼らの記憶とかなり異なっていた。
髪は白っぽくなり、全身に血で書いたような紋様を描き、赤く鈍く光るストライプの入った黒いAラインのドレスの様なモノを着ていた。

その姿はどうしようもなく禍々しいものに見えた。

桜の赤い目が焦点を結ぶ。

士郎と凛の鳥肌が音を立てて立っていく。
どうしようもない悪寒が、侵食していく。

――あれは

――そんな

――うそだ

――だって

――あれは

――そう、それは数日前に中央公園で出会った、禍々しい影と同じ姿だった。

「「さ、桜?」」

二人の声の前に、桜は無表情でゆらゆらと立っていた。