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明けない夜はない、それは<新宿>でも同じである。
たとえ魔界都市と呼ばれようとも、夜の果てに朝がある。
凛はひとり闇に閉ざされた瓦礫の街を歩いていた。
時間の感覚もないままに、当てもなく歩き続け、やがて長い長い夜の帳が遠くに去っていき、街を橙色に染めて行く。
眼の隅に、大型犬ほどの大きさのどぶ鼠が人の形をした何かを齧っていた。
凛に気がついた大鼠は、まだらに生えている灰色の体毛を震わせて、巨体に似合わない速度で警戒距離を取る。
瓦礫の影からじっと見つめる赤い目が相手を値踏みするかのように瞬く。しばらくして、敵ではないと判断したのか、
両手で抱えた丸い物を齧り始めた。大鼠の手の間から、頭蓋骨を齧られ脳を露出した顔が恨めしそうに凛を見つめる。
そんな光景を何事もなかったかのように見ている凛の歩みは止まらない。
どぶ鼠はひくひくと鼻を動かしていたかと思うと、興味を失ったかのように本格的に食事に取りかかった。
爆弾が落ちたかのような瓦礫の間を、しばらく歩くと急に視界が開けた。
ちょっとした広場の中央に精悍な顔つきの、だが途轍もなく疲れ果てている雰囲気の髪を短く刈り込んだ白人がいる。
その鍛え上げられた体、研ぎ澄まされた精神は、どう見ても超一流の軍人のものであり、素手で猛獣をぶちのめしそうな
光景を容易に思い起こさせる。百獣の王は私だと、男が纏ったオーラは声もなく叫んでいた。
不意に男が凛の方を向いて肩に担いでいたドラムバッグを片手で握って差し出した。
凛はためらうこともなく受け取る。

「そのバッグを守ってくれ、そのバッグには――」

目の前の白人が不意に崩れる。破れた水風船のように、どろどろになった中身を吐き出して人の抜け殻のようになっていく。
凛はその姿を顔色一つ変えないまま見ていた。

風が流れる。
瓦礫の中に立った一人取り残された存在が、ふっと振り返る。
その顔は美貌の人探し屋だった。


風が流れる。
小高い丘の上に立った彼女は、流れる風に身を任していた。
遠くの空が青紫の風に染められていく。
少女は目を瞑り、大地の息吹を感じる、水の流れを感じる、そして風のささやきを感じる。
すべては無限に繰り返す悠久の流れであり、そして世界に刻まれていく。
乾いた大地には雨が降り、そして緑がつつましやかに絨緞のように彩る。
その世界のなかで人の営みは激しくも狭量だった。
大地を削り、耕し、獣性をむき出しにして争い合う。人の流れは滝のように世界に落ちていった。
金砂の髪の少女は、凛々しい銀の鎧と流麗な金の剣を手にそんな光景を飽きもせずに、ただ見つめていた。


風が流れる。
焼けた大地に少年がいた。
周りに広がる、信じられない光景。想像すらしなかった悪夢が少年の前に広がっている。
無残に砕けた家々、抉られ、焼き尽くされた大地。そして、子供の造形のような人型。
ぱちぱちと弾ける音と共に天を焦がす炎が、すべてを塵芥にすべしと蠢いていた。
炎に煽られ、無数の死者の怨嗟を込めた風が巻き起こる。
人の想いをこめたものはすべて破壊され、少年は心が崩れたように凍った表情で、ただ目前に広がる光景を眺めていた。


Chapter 32 囲繞



凍るような空気の中、まだ日も昇らぬ宵闇にセイバーは荒廃した衛宮家の崩れた正門の前に居た。
その眼には衛宮家は欝蒼とたたずむ廃屋にしか見えなかった。それが無性に悲しかった。
短いながらもこの家で過ごした日々の想い出がよぎる。

幾多の出会いがあった。
運命的な出会い。
宿命的な出会い。
そして数奇な出会い。

心に刻まれる別れがあった。

そして激烈な争いも。

それら全てを受け止めていた巌のような家は、役目を終えた老馬のように、ただ朽ちる為にそこにある。
手に持った巨大な荷物を横に置き、セイバーは剣を手に廃屋に向かって一礼をした。死地に赴く戦士を送る時のように。
しばらくして、崩れ落ちた土蔵にあったブルーシートを風呂敷代りにしてまとめ上げた巨大な荷物を、再び持ち上げる。
荷物の大半を新しくマスターとなった凛の物で占められているのだが。

あの後タイガは適切に処置されて藤村家に戻され、凛達は要塞じみた遠坂家に移っている。あの家にいれば、即座に
殺されるということはないだろう。あの屋敷はさすがに聖杯戦争の当事者の本拠らしく、固く防御されておりまるで
要塞だった。
それこそ、家の敷地外からギルガメッシュの一撃をくらうようなことさえなければ問題ない。
そして今、目の前にある衛宮家には、通りがかった普通の人間が、”この屋敷は昔からこのような廃屋で誰も住んで
いなかった”と誤認するような処置が施されている。

「しかし、整理ができないというのは魔術師の特性なのでしょうか……」

凛のどうしても。という要望でいくつかの荷物を取りに来たのだが、離れの凛の部屋の中を見て指定された物は探し
出せないと諦めた。
仕方がないので、部屋にあるもの全てを持っていくことにした。
普通の人間では持って行くのも一苦労な大荷物かもしれないが、今のセイバーにはさしたる問題ではない。それこそ、
小指でひっかけて持って行けるほどだった。
凛の魔術師として、マスターとしての実力が抜きんでいることが分かる。正直言って士郎の時とは、その身に充ち溢れる
力が段違いだった。
今さら過去を振り返っても仕方がないとは思いながらも、魔力がほとんどいらないアーチャーを士郎が、凛が私を
召喚していれば、もっと違った未来があったのではないか? と夢想する。

「そうなると、今の状況にはならないですね……」

確実に違った未来になる。凛と士郎が殺しあっているかも知れないし、イリヤスフィールも命がないかもしれない。
自分もこんな感情を持っていないかもしれない。
ふと、セイバーの歩みが止まった。
今の自分は今の状況が、凛と士郎そしてイリヤの関係が悪くはないと思っている。しかし、数日前の自分だとどうだった?
イリヤスフィールは倒すべき相手であって、それ以上のものはない。そう思っていなかったか?
そこまで考えたセイバーは愕然としたように荷物を取り落とした。
アーチャーに打ち込まれた心の楔が、俄かに存在を大きくする。

「いったい、私は……私の望むことは……」

悠久の流れを遡ることは、今の有りようを捨て去ること。キャスターでもアサシンでも誰でもいい、過去のやり直しを
求めたらどうなる?
その時巻き込まれた私は、はたして今の私なのか? 凛や士郎の在り様を好ましいものを感じ、イリヤスフィールを
認める私であったのか?
それとも、前回のようにただの機械と化した私であったのか?
違う道を進んでも、私であることに違いはないのか?
凛に召喚された私と士郎に召喚された私、その私達が出会ったら、お互いが納得するのか?
もし、私がやり直せたとして、そのやり直しに不満があれば、再び私はやり直しを目指すのか?

「分からない……私は一体、どうしたいのか……」

茫然と突っ立っているセイバーの眼の前に白いものがふわりと舞った。
次第に数を増やしていく雪が視界を白く染め上げていく。

不意に全身に不意に激痛が走った。

「くっ」

何をぼんやりとしているっ! 自己を叱咤し一瞬で臨戦態勢をとったセイバーだが辺りは澄んだ泉のように静まり返り、
どこにも敵の姿も気配もなかった。鋭い視線で辺りを見渡したが、何の異常も見られなかった。
ふっと視界の隅で雪が異常な動きをしたような気がしたセイバーは目を細めてその付近を凝視した。

「ん? これは……糸……アーチャーですか……」

片手を空中に差し出すと、微かに触れる感触があった。セイバーとしての自分が神経を集中しなければ気がつかない程の
微かな感触。それは目視することができないほど細い糸だった。
それを見たセイバーの脳裏に、黒い影のイメージが浮かぶ。
既に何度も顔を合わせたはずなのに、気を抜けば意識が飛びそうになるほどの美貌を持った黒衣のサーヴァント。
アサシンかと思うほど、闇に、夜に愛されるサーヴァント。いや、彼はサーヴァントですらないかもしれない。
手にしていた糸がふっと消えた。

「一応、これは心配してくれたのでしょうか……」

苦笑を浮かべていたセイバーはゆっくりと荷物を担ぎ、重い足取りながらも遠坂家に向けて歩き始めた。
どこかで、けけけという動物か鳥の鳴き声のようなものが聞こえた様な気がした。

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

士郎は思いつめた様な表情で終始無言だった。凛が衛宮家を封印するための結界を処置するときも、姉に記憶改竄の
処置をするときも、血がにじむほど唇を噛み締めていたが、結局言葉を発することはなかった。
遠坂家に辿り着き、セイバーと凛の視線を避ける様に、意識を失っているイリヤスフィールをゲストルームに連れて行った。
微かにカビ臭い匂いのする部屋のベッドにイリヤの軽い体を横たえたあと、士郎はそのままへたり込んだ。

「どうすればいいんだよ……」

なし崩し的に巻き込まれた聖杯戦争。自分の住む土地で、なんの関係もない人が巻き込まれるのが嫌で、いっそのこと
聖杯戦争自体を無くしてしまえ。と意気込んで参加を決意した。それが今、どうなっている?
無辜の人達が殺され、自分は役にも立たず、足を引っ張るばかり。
セイバーのマスターを遠坂にするための時間稼ぎぐらいの役にしか立っていない。

「……正義の味方が、聞いてあきれるな」

震える声が空虚な部屋に吸い込まれれていく。
結局誰も救えていない。
イリヤの目は潰され、自宅は全壊。姉の記憶は消され、そして、桜は……
桜は変わった、いや変えられてしまった。
大人しくもしっかりとした桜から、魔女といってもいいくらいのものに変えられている。
桜が巻き込まれてからは、必死に桜の身を案じて捜していた。聖杯戦争の真っただ中という状況で直接探しまわることが
できずアーチャーに頼りっきりではあったが。

――死んでいない。

ただ、それだけ。
大見栄を切って、意気込んで参加して見たものの、現実と自分の力のなさに打ちのめされている。
生ぬるい覚悟で参加した代償が、これなのか!?
あとどれだけ代償を支払えばいい?

魔術は等価交換が原則らしい。

であれば、聖杯というとてつもない物を得るためには、後どれほどの物を支払わなければならないのか?
それだけの物を支払ってまで得た聖杯に何の意味がある?
暗闇に、傷ついた野生動物のように膝を抱えてうずくまる士郎は、イリヤの眠るベットをじっと見つめ続けていた。


-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-


微かなざわめきの様な音で凛は目を覚ました。

体の芯が鉛のように重く、疲れは全然取れていない。
苔生した地下室にわざわざ開けてある大地との接点。少しでも魔力を回復しやすいように龍脈に直接体を接触させ、
いくつかの宝石を使った魔法陣を経由して魔力を転換していた。
目を開けた姿勢のままで、その露出した土に半ば埋まった体を確認する。

「八割ってとこね、まあ贅沢は言えないか」

じっと目を閉じて自分の体と会話していた凛は、土を触りながら呟いた。

「でも、おかしいわね? ……怯えてるみたい」

毎日感じている龍脈の馴染んだ流れとはどこか異なっていた。地震が来る前の時のように、暴れるナマズやせわしなく
羽ばたくムクドリのような、どことなく慌てたような気配が漂っていた。
しばらく考えていた凛だが、もうすぐ聖杯が現れるからある意味当然かもしれない。と一人で納得した。

土を触っていた手が止まり、そのまま爪を立てて大地を穿ち握りしめる。

――結局救えなかった。

最後に残った唯一の肉親が、堕ちてしまった。救おうとしていた妹が、魔術の世界から一番離れていると思っていた妹が
真っ先に堕ちてしまった。
俯く凛の顔から熱いものが零れおち、大地に斑点を描いていく。

「バカね、桜。私に一言でもいいから言ってくれてれば……」

握りしめた拳で大地を何度も殴りつけていた凛は、階段を降りてくる気配を感じて、何かに決別するかのように顔を拭いた。
勢いよく立ちあがった時には、その名のごとく凛とした表情が戻っていた。

地下室の入口のドアが控え目にノックされ、セイバーの鈴のような声が微かに響く。

「リン。起きましたか。というかまだ寝てますか?」
「おはよう、寝たんだけど、目覚めは最悪ね、はいってきていいわよ」

失礼します。の声と共にいつもの格好のセイバーがゆっくりと入ってきた。
そんなに他人行儀でなくてもいいのに、と苦笑を浮かべながら凛は病院の診察服のような服を脱いで、お気に入りの服に
着替える。
セイバーは物珍しそうに、きょろきょろとあたりを見回していた。
相変わらず小動物みたいで、抱きつきたくなるわねぇ、あの顔でこの雰囲気は反則よ反則。と取るに足らないことを
考える自分に気がついて心の中で苦笑する。

「そういえば、アーチャーは?」
「いつものように散歩ですよ」
「あいつは絶対一か所に落ち付かないわね」
「ですね」

地下室から出ようとした凛は、ふと足を止めてセイバーに問いかけた。この屋敷にアーチャーの気配はなかった。
もともと単独行動が多く、素知らぬ顔をして帰ってくるので心配はしていないのだが、すこし気になることがあった。
魔術師にとって夢は重要な意味を持つケースが多い。今まではサーヴァントの記憶が流れてきていると考えていたが、
今朝見た夢は違った。
アーチャーの実際にいる場所なのだろうが、荒廃した土地を歩いていたのは自分だった。そして屈強そうな白人が
手渡したもの、それは大きな、しかし何の変哲もないドラムバッグ。
凛にはそのドラムバッグ自体に見覚えがあった。あまりにも密度が濃くて信じれ無いが、昨日の朝方に見た夢。
その中ではアーチャーがそのバッグを担いでいた。

――魔震。

たしかアーチャーはバッグの中身の事をそう言っていた。その言葉が意味することは分からない。だが……
龍脈の異常、夢、サーヴァントじゃないサーヴァント、バッグ、異様な聖杯戦争……
考え込む凛の脳裏をぐるぐると単語が回っていく、そして唐突に一つの考えが浮かんだ。
そんなバカな、いや、でも……

「…ん、りん? 凛?」

肩をゆすられて、はっと気がついた凛の目前に、心配そうなセイバーの顔がある。
全てを見通すような澄んだ翡翠の様な瞳がじっと凛の表情を窺っていた。

「あ、ごめんなさい、考え事してた」
「大丈夫ですか? 真っ青な顔をしていますよ? まだ疲れが……」
「確かに多少疲れてるけど、平気よ、これだけ近かったらセイバーも分かるでしょ」
「だったらいんですが」

一瞬呆けていた凛だったが、取り繕うように微笑みを浮かべた。そんなことでごまかせるはずもなく、セイバーは
気遣わしげな表情を変えなかった。
安心させるというより、自分に言い聞かせるような口調の凛の言葉で、セイバーはしぶしぶと引き下がった。
納得したわけではないのは、憮然としたその表情が如実に物語っている。だが、ゆっくり休みを取るような状況では
ないのも承知しているセイバーは、それ以上は何も言わなかった。

「……士郎はキッチン?」
「……はい」
「そう。なんというか士郎らしいわ」

階段をのぼりながらの凛の問いかけに、セイバーが言葉少なに答える。その一言で凛には士郎がどんな状態か想像がついた。
二人の少女の階段を昇る足音が、寒々とした屋敷にそっと響いた。

「よお、遠坂。起きたか、もうすぐ昼飯ができるからな」
「……士郎、無理しなくてもいいわよ」
「……いや、無理じゃない、何かしていないと、心が千切れそうでさ」

居間に上がった凛達の気配に気がついたのか、キッチンから士郎が顔をのぞかせた。その顔を見た凛の表情が
やりきれないように歪んだ。
士郎の顔は予想通り憔悴しきっていた。眼の下の隈も痛々しく、一睡もしていないことが見てとれる。どうせ士郎の
ことだ、桜やイリヤや藤村先生のことで自責の念に駆られてるのだろう。凛には士郎の精神状態が手に取る様に分かった。
かといって、励ましの声をかけれるほど、いや、かけてもなんの解決にもならないことも分かっていた。
だから、凛は何気ない口調を変えなかった。

「珍しいわね、士郎が弱音を吐くなんて、まあいいわ、お昼ご飯期待してる。
……って、お昼?」
「ええ、リン、今は2時です」
「あっちゃぁ、そんなにねてたの?」
「はい、心配でしたので先ほど様子を見に行ったのです」
「そうよ、ぐーすか寝てたんだからね、リン」

士郎が、キッチンに引っ込んだ後、ふと、自分の言葉に違和感を持った凛は慌てて時計を見た。短針はしっかり2を
指し示していた。セイバーが後ろから幾分そっけない口調で言葉を続ける。凛が何か言いつのろうと口を開いた時に、
今度はソファの方から、小バカにしたような少女の声が上がった。
声のした方に視線を向けた凛は、気だるげに体を起こす雪色の少女を見た
盲目ながら凛の視線を感じたのか、顔に捲いた包帯越しに微妙な表情で返したイリヤは、一転していたずらっ子のような
雰囲気を浮かべた。余計なことを士郎に言うな。と言うように。

「……イリヤ」
「まあ、お昼食べてからにしましょう。すべては」
「そうね」

凛はその言動から直観的にイリヤの余命がそう長くはないことを悟った。イリヤがなぜここまでするのか不思議でも
あったが、自分の状態を知りながらも、士郎に余分な負担をかけないようにする健気な言動を壊す気にはなれなかった。

ここしばらくは衛宮家に入り浸っていたこともあり、遠坂家の備蓄食材が充実してるとはとても言えなかったが、
冷凍していた鮭などを利用して士郎が作ったのは、あり合わせの和食だった。
ただ、料理人の精神状態が出ているのか、味の方は今一つで、ほとんど会話もないままに食事の時間が過ぎていく。

凛のリクエストで食後のテーブルに紅茶が並び、各々がカップを片手にリビングの居心地のいい場所へと移動する。


「で、結局、聖杯は柳洞寺にあるわけ?」
「……ええ、そう、そこにすべての大本。大聖杯があるわ。でも細かい場所までは分からないけど、行けば分かるわ」

最初に口火を切ったのはソファに座った凛だった。暖炉の前にペタンと座ったイリヤが紅茶のカップに口をつけ、
ゆらゆらと燃える炎に顔を向けたまま呟くように答えた。
自分の推理が大体当たっていた凛はそれほど驚かなかったが、寝耳に水のセイバーと士郎はイリヤの語る事実に目を見開いた。

「さ、桜はっ? 桜はいったいどうなってるんだ? 答えてくれ、イリヤ!」
「サクラは、聖杯の器にされたわ。ちょうど私の代わりといった所ね」
「聖杯の器って……、ひょっとして」
「そうよ、私と同じ」

聖杯と言う言葉を聞いて、愕然とした表情になった士郎が、イリヤの元に駆けよって両肩を掴む。
イリヤの持っていたカップが床に落ち、砕けた音が部屋の中でやけに大きく響く。
雪色の少女は、まるでその身から色が抜け落ちた様に表情を無くした顔を向ける。
抑揚のないその言葉に、士郎の手が彼女の肩から力なく落ちていった。

「知っているかどうか分からないけど、サーヴァント同士を戦わせて、その英霊の魂の一部を聖杯の器が回収する
そして十分溜まった魂を座に返す時にあいた穴を一時的に固定化して、”向こう側”と強制的につなぐ
そして”向こう側”の無限ともいえる魔力を利用することが、聖杯戦争の本質、聖杯戦争の勝者が持ち得るものなの。
その器として作られたのが私、無理やり作りかえられたのがサクラ。
でも、私の方には一柱も英霊が回収されていない、聖杯としての器はどうもあっちの方が強いみたいね」

床にへたり込んだ士郎の気配を感じながら、当事者の魔術師の少女は淡々と言葉を紡ぐ。まるで部外者が語る様に。

「じゃあ、あの桜はいったい……」
「まあ、ここまで来たら、別に隠す必要もないから……
いいわ、教えてあげる」

床を見つめる士郎の呟きが聞こえたのか、イリヤは意を決したように士郎達に向き直った。
セイバーの手を借りながら立ち上がり、えいっっとばかりにソファに飛び乗り、足をぶらぶらとさせる。
しばらく逡巡している雰囲気だったイリヤだが、意を決したのか、ゆっくりと言葉を選びつつ話し始める。
話の内容が進むにつれ、士郎とセイバーの表情が強張った、どう考えてもイリヤの語る内容はアインツベルンの人間が
口外していいものではなかった。それを口に出すということ、それも魔術師という立場の人間が口に出すということは、
相当の覚悟をしているということに他ならない。
二人は慌てて凛の顔を見るが、凛は厳しい表情のままイリヤを見つめていた。その表情を見た士郎達は開き書けた口を
閉ざし、イリヤに視線を戻した。

「何回か前の聖杯戦争で、アインツベルンが抜け駆けをしたわ、ルールに反してイレギュラーな召喚を強行してね。
その結果、聖杯に余計なものがまざっちゃったのね。アンリマユと言う名の異物が」
「え、ちょっと待って、それってどういうこと? アンリマユって……」
「……なんでそんなものが召喚できたのか? でしょ、リン。
なんかあっさり負けたって話も聞いたような気がするけど、詳細は私も知らないわ。
だけど今聖杯に入っているものは、出してはいけないモノよ、たぶんサクラの変化はそれに影響されてるんでしょうね、
同化してるとか、そんな感じじゃないかな」
「そんなばかな……」
「まあ、私もちゃんと調べたわけじゃないから、ひょっとしたら違うかもしれないけどね」

イリヤの言葉の中に、尋常でない単語が混じっていることに気がついた凛が顔を青ざめさせた。聖杯戦争で”神”を
召喚することなど、できるはずがない。
バーサーカーやランサー、それにギルガメッシュなど神に等しい者を召喚しているのは事実だが、あくまでも”英雄の霊”
であり、普通では無理だとしても魔術の範囲内で手の届く所にあった。
イリヤの言うアンリマユとはゾロアスターの神、絶対悪を体現する神の名だった。いや、だったはず。
しかし、あっさり負けたということは伝えられている神話と根本的に異なるものがあるのかも知れない。
凛はしばらく考え込んだが、今の段階では情報が少なすぎるので、判断も対策も立てようがなかった。
嫌な想像を打ち払うように頭を振る。

「で、今は桜を確保しているゾウケンが一番限りなく勝者に近いのよ。
後、残っているサーヴァントはアーチャー、セイバー、ライダー。吸収されたのは四人で、あと」
「桜の言葉を信じるとイレギュラーのギルガメッシュも吸収されたみたいだから、これで五人。残り一人」
「そういうことになるわね」
「こちらの戦力が、私とアーチャー、それと凛とイリヤと士郎。これだけそろえば、いくらライダーと、そのゾウケンと
いう人物が難敵であろうとも、負けることはないと思います」

凛とイリヤの会話に、怪訝そうなセイバーの声が重なった。
確かにいくら強力な魔術師とはいえ、自分の対魔力を持ってすれば恐れることはない。ライダーもアーチャーと二人で
あれば苦もなく退けられるだろう。サクラに関しては、アーチャーが遠距離から攻撃すれば問題ないのではないだろうか?
凛とイリヤは何を難しいことを考えているのだろう? 戦力的に見て有利なのはこちらなのに。

「だめよ、セイバー。そうなると聖杯が満たされるわ」
「それが何か? ライダーを倒せばそうなりますが」

イリヤが勢い込んだセイバーに水をさした。
戸惑ったように凛を向いたセイバーだが、そこにあったのは、今までで一番深刻な表情を浮かべた顔だった。
そこで、ふと思いいたった。
本来七体の英霊で争って、六体が倒されれば聖杯は現れる。そして、五体溜まっている以上、次に誰かが倒れた時点で
聖杯は出現する。
ライダーを倒せばそれは現実になる、が、ライダーを倒すのは誰か?

「……まさか」
「そう、ゾウケンかサクラがライダーを殺してもそうなるわ」
「なっ」

そう、ライダーを倒すのは別に誰でもいい、聖杯が出現する状況で聖杯を使える状態の者がいること。
そして、あと一体で聖杯が出現することが分かっていれば、普通の魔術師なら手元のサーヴァントなど喜んで差し出すだろう。
ここにいる、人間らしい魔術師を除けば。
ようやく自分達の置かれた状況を理解したセイバーは絶句した。

「まあ、でもサクラはライダーになついているようだから、それは最後の手段にするんじゃないかしら?
でも、ゾウケンはどう出るか分からないわ」
「まあ、どうでもいいわ」
「どうでもいいわって、リン、ちゃんと聞いていたの?」

ゆっくりとソファから立ち上がった凛は、固い表情のまま、吐き捨てる様に呟いた。
咎めるような口調のイリヤに、振り返った凛は冷徹な視線を向ける。その視線は魔術師のそれだった。
そして、笑みを湛えた形のいい口から出た言葉も。

「聞いていたわ。簡単なことよ、聖杯をつかもうとする人間をすべて倒せばいい。それだけ」

凛の言葉に部屋の中の時間が止まった。
一瞬呆けた表情の三人だったが、いかにも凛らしい言葉にそれぞれの表情を綻ばせる。

「何よ? 変なこと言ってる?」
「いえ、いかにも凛らしいと」
「いや、遠坂らしいなって」
「結局、なーんにも考えてないのよね」
「ふんっ」

三者三様の回答に、凛は照れ隠しに、若干赤くなった顔をぷいっと背けた。
確かに、今の状況は最悪に近いかもしれない。
局所的な観点ではギルガメッシュを倒し、ランサーを退け、自分達の戦力は維持しているという完璧に近い成功なのだが、
大局を見た場合は臓硯達に完敗しているような状態だった。
しかし、まだ、負けている訳ではない。完全に負けていない以上、まだ逆転の余地はある。
こっちにはアーチャーがいて、セイバーがいる。この状態で負けると考える方がおかしい。
聖杯が奪われそうであれば奪い返せばいい。ただ、それだけ。
その過程で誰が出てこようとも、排除してみせる。そして、聖杯が汚染されているというのであれば聖杯から取り除けばいい。
取り除けないなら聖杯ごと消してしまえばいい。
凛にとっては聖杯は、目指すものではあるが、渇望するものではない。所詮その程度のものだった。

「じゃあ、準備できたら出発よ」
「どこへ?」
「柳洞寺に決まってんじゃない。今さら何言ってるのよ」
「ま、まて、まだ昼だぞ?」
「昼に戦ったらダメって誰が決めたの? っていうより、士郎、あんた今の状況が分かってるの?」
「いや、まあ……」

腕を組んだ凛の挑発的な雰囲気の言葉に、士郎がおずおずと手を挙げた。
何よ? という視線を受けた士郎の言葉に、少々苛立ったように目が鋭くなる。
確かに、人目につかない夜に戦闘が起きるケースが多い。
その思考に固まるのは理解できなくもないが、今はそんな状況ではない。自然と凛の口調もとげとげしくなる。

「夜になったら今より何か良くなるの?」
「……」
「だったら、今から突入して、決戦よ、薙ぎ払うわ」
「……遠坂、生まれる時代を間違えたな、戦国時代だったら立派な武将だぞ」
「うううううっさいわね、さっさと準備しなさい」

部屋のまん中で仁王立ちになって宣言する凛を、士郎は眩しそうに見つめた。その視線と、何故か士郎の横でうんうんと
うなずくセイバーの視線に、顔が熱くなった凛は、恥ずかしさを誤魔化すかのように喚いた。

「魔力は戻ってるのか?」
「うーん、そこを突かれると不味いけど、あと半日待っても知れてるわ
どうせ、なけなしの宝石を使うからあんまり関係ないと思う」
「わかった」
「士郎の方こそ、体は大丈夫?」
「ああ、俺の方は大丈夫だ、前よりも楽な気がする」

士郎の気遣うような言葉に、凛は決意を込めた視線を向けた。
固い表情の中に、戸惑いや恐れのような気配を感じた凛は、幾分やわらかな表情になった。
多分、士郎のことだ、桜のことで心を痛めているに違いない。堕ちた魔術師として処理しようという実の姉にとって、
妹を案じてくれるその心は、嬉しい反面で、やるせない気持ちでいっぱいになる。

――士郎の想い人である子を、自分の妹を私が処理する。

その現実を直視したとき、目の前の同級生はどうなるだろうか。私を憎むのだろうか、それとも……。

「そう、覚悟の方は?」
「……」
「まあ、いいわ、でもタイムリミットは柳洞寺までよ? 門の下でもう一度聞くわ。それまでに決断できてないのであれば、
そのまま帰りなさい」
「……わかった」

凛の場違いなほど柔和な口調に眼をしばたたかせた士郎だが、平穏な世界に残るのか、魔術の世界に踏み入るのか、
最後の決断の機会を作ってくれたことに気がついた。
平穏な世界に残るのであれば、多分今までの記憶を消されて日常に戻れるのだろう。魔術の世界に踏み入った場合は、
直視したくないことを直視しなければならないのだろう。
だが、もう心は決まっていた。いまさら戻ることなど出来るはずかなかった。

「セイバーはちょっと手伝って。
セイバー、セイバーってば」
「え、あ、どうしました、凛」
「て・つ・だ・っ・て」
「あ、は、はい」

士郎の眼を見て、諦めたように溜息をついた凛は、心配そうに士郎を見上げるセイバーを呼んだ。
これから、決戦の地に赴く。
さすがに無手では行きたくないし万全の準備を整えたかった。セイバーが衛宮家から持ちかえった荷物を解きにかかる。

全身に重くのしかかっている疲労がそうさせているのか、凛達は致命的なことに気がつかなかった。
残ったサーヴァントは三体ではなく四体であること。
そして、ランサーとギルガメッシュを失って離脱したと勝手に思い込んでいる言峰綺礼のことを。