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少女と少年は、辛うじて足下が見える程度の薄緑の燐光が照らすなか、暗黒の洞窟を奥へ奥へと進んでいった。

二人とも深刻な感情がそれぞれの心の中で渦巻いていたが、一言も発することはなかった。
重苦しい雰囲気の中、小石を踏みしめるじゃりっとした足音と、荒い呼吸だけが静寂を切り裂いていく。
それぞれの思いを胸に、それぞれの目的を抱え、二人は一歩一歩と足を歩ませる。

奥に進むにつれどんどんと膨れあがる異質な魔力と気配が、しがみつく餓鬼のように体にまとわりついていく。

少女は自分が蜘蛛の巣の中に突っ込んでいく蝶であるような錯覚を覚える。
決して逃れることのできない糸に絡め取られていくように。

少女は隣を見た。その瞳に映った少年は、歯を食いしばって、何かに耐えるように、しかし決して下を見ずに前を向き続けていた。
振り切ったはずの淡い想いがふとセピア色のシーンと重なる。
一瞬の躊躇の後、ゆっくりと頭を振った少女は、少年と同じように前を向いた。

少女と少年が進んでいく。混沌の先へと。



Chapter 34 焦思


士郎がライダーとランサーの間を通り抜けようとした時、凛には、その二人のサーヴァントの言動があからさまな罠に思えて仕方がなかった。
ただ、今の段階では士郎を倒しても、大きなメリットがあるわけでも無い。罠にかけるとしたら、セイバーかアーチャー、それか私のはず。凛は暴走する士郎を止めつつも、相手の出方を伺っていた。
しかし予想に反して、2体のサーヴァントは取り立てて邪魔をすることもなく士郎を通した。
どこかに残っていた凛の冷静な思考が、それを見て再考を促す。

現時点で、正規の状態で残っているサーヴァントは、アーチャー、セイバー、ライダーの3人。
ランサー、キャスター、アサシン、バーサーカーの四人は既に脱落し、そしてイレギュラーであったアーチャーも落ちたらしい。
これで五人となる。であれば後一人で六人。誰でも良い、一人でもサーヴァントが倒されると聖杯は満ちてしまう。
そして今、ここにその正規で残っているサーヴァントはすべてそろっている。
一触即発の雰囲気が充満しているが、聖杯が満ちるのが目前に控えているこの期に及んで、小賢しい策を弄することもないような気がした。

凛はライダーをじっと見つめた。

顔の半分を覆う拘束具の様な眼帯で表情はわからないが、「サーヴァント”は”通さない」という態度、以前に向かってきたときの気迫と、今の状況を考えてみると、ライダーの言動はマスターに対する消極的な反抗の様に感じられた。
詳細な指示の言葉がないことを逆手に、マスターの指示に逆らうことはしないが、自分で判断すると言う点についてサボタージュをしているような雰囲気が伺える。
だとすると、盲目的に桜に従っているはずのライダーですら反発を覚えるような問題が発生しているのか?
確か、昨日ライダーが衛宮家に舞い降りた時、桜の変容をみたライダーは驚いていた。
であれば……

凛の表情が険しくなる。


士郎が二人のサーヴァントに近づいたとき、セイバーは緊張の極みにあった。
止めても無駄と悟ったセイバーは、せめて身の安全を。ライダーとランサーの前に立ちふさがった。
士郎に危害を加える気配を見せれば瞬時に切り込めるようにと、聖剣の柄を握って体中をバネのようにたわめて力を溜めていたセイバーだったが、ライダー達が何の動作も見せず、士郎が無事に通り抜けた後も特に追撃する気配すら見せなかったことに、ほっと息を吐いた。
同時に凛の険しい表情に気がついた。
緊張の合間に、己のマスターに意識を向ける。
考え込んでいる表情に、士郎に続いて凛までも、とんでもないことを言い出すのではないか?と警鐘が鳴り響く。
セイバーは人知れずため息をつく。


凛の脳裏で、思考がサイダーの泡の様に浮かんでは消えていく。そして一つの考えが形になる。

(もし、ライダーが自分が思っているとおり、サボっているとすれば……)

であれば、サーヴァント達をここで倒さず、倒されない状態で対峙させておき、自分たちが先行するのは、ひょっとして理に適っているのではないだろうか? と。
”敵”は桜と間桐臓硯の二人。であればなんとなかなる。何とかしてみせる。
それに、間桐家と戦いが始まった時点で、セイバーを令呪で呼べばいい。
人間でもあるアーチャーは、令呪の強制移動はできないだろうから、その場で足止めをしてもらおう。
桜を止めるまでの短い時間だけでいい。それくらいであれば、ランサーとライダーを相手にしても持ちこたえてくれるだろう。
通常の人間がサーヴァント二人を相手に、まともに戦うなんて本来であればとても信じられないことだが、凛はアーチャーであれば大丈夫だという確信的な予感があった。

決断した凛の動きは速かった。
レイラインを通じてアーチャーとセイバーに、ライダーとランサーに対して対峙するだけで戦わないようにと伝え、驚いた表情のセイバーに不適な笑みを浮かべて頷いた後、士郎の後を追った。
ただ、目の前に居るはずのアーチャーとのレイラインがひどく遠く感じたのは、少し気になった。


-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-


凛と士郎がセイバー達と分かれて、洞窟の奥へ奥へと進んでしばらくした時、不意に洞窟の先に燻っている炭の様な明かりが見えた。
終点が近づいたことを認識した二人は顔を見合わせた後、慎重に音を立てないように進んだ。
そして、不意に巨大な空洞に躍り出た。

「なっ……」
「こ、ここは……」

今までの通路では密かにささやいた言葉ですら、反響して大音量に聞こえた。だが、その空洞に出た途端、声が吸い込まれるように消えていく。
途轍もなく広大な空間だった。
そして、二人の前に広がる異様な光景が、魂を吸い取るように二人の口から言葉を奪っていく。
何重もの巨大な魔方陣が、大地に穿たれた多重の刻印が、いや、大地に刻み込まれた”魔術回路”がすり鉢状の大地に広がっていた。
あれだけの巨大な物を作り上げるのにどれ程の労力と熱意が必要だったのか。古の巨大建造物を見上げたときの様な、一種の感動が広がる。
その巨大な魔方陣に浮かび上がった刻印は青白く発光しつつゆっくりと回転していた。
だが奇跡ともいえる巨大な魔方陣に目を取られていたのは一瞬だった。二人の目は、その中央に赤黒く輝く陽炎の塔に吸い寄せられていく。
魅入られているというのが正しいのかもしれない。

――何か、イル。

いるとは聞いていたが、その存在に気がついた凛と士郎の背筋に、音を立てて悪寒が駆け上っていく。
本能で危険を察知した二人は、無意識の動作で近くの岩陰に身を隠した。
陽炎の中でソレは蠢いていた。
実体は無かったが、確かに何かがいた。どす黒く光る実体の無い炎の室に包まれて、巨大な胎児の様なモノが蹲っている。

――見られたくない。

――アレに見つかりたくない。

体をがくがくと震えさせるような寒気が二人を包む。圧倒的な強者を前にした様な、絶対的な天敵が目の前で舌なめずりしているような、そんな恐怖心が二人の心を鷲掴みにする。
二人は岩を背に、陸に上がった魚のように、口をぱくぱくと開けて必死で呼吸を落ち着かせた。

「と、遠坂、あ、あれはなんだ……」
「……あれが、イリヤが言っていた……」

士郎のうわごとの様な問いかけに、ふぅと大きく息をついた凛が顔を向けた。
顔はかなり蒼白になっているが、士郎も落ち着いてきたらしい。
普通の人間だと錯乱して精神を痛めてしまいそうな恐怖心が襲ったはずだが、さすがに聖杯戦争を駆け抜けている当事者の一人。その精神力は目を見張る物があった。
凛は目を細めて士郎を見た。視線に気がついた士郎が強い決意の籠もった目で見返してくる。もう大丈夫だろう。
目配せをして頷き合った二人は呼吸を整えて、岩の陰からそっと顔を出してゆっくりと陽炎の塔の様子を伺った。

「アレがアンリマユ……なのか……」
「……みたいね、……え?」

士郎の言葉に頷いた凛だったが、強烈な違和感を感じた。どこから? と、その元を探していると、いやがおうにも陽炎の塔の下に設置してある祭壇に視線が吸い寄せられる。
岩を削りだして作られた精緻な紋様の入った祭壇には、今、この場所、この雰囲気にとって、あまりにもそぐわないモノが置かれていた。
魔術の幻想的な様式美のただ中にある、現実。
それも、きわめて異質な現実。
祭壇に乗っているのが何らかの生け贄や、水晶等の魔術的物品ならばわかる。
しかしそこに乗っていたのは大型犬がすっぽり入りそうな、米軍の海兵隊の隊員が使うような、何の変哲もないドラムバッグだった。
だが祭壇から放射線状に伸びる無数に描かれた刻印が最外縁部の刻印とつながっているところを見ると、このドラムバッグが儀式の中心でもあることが伺える。それゆえあまりにも異質だった。
目をこらしてバッグを見つめた凛は衝撃を受けた。

「あ、アレは……」

バッグに見覚えがあった。

実際に見たことはないが、それでも確かに知っている。

今朝早くうなされていたときに見た夢。アーチャーの意識と混ざっていたのか定かでは無いが、凛は夢の中で出てきた精悍な白人の兵士らしき人物から、あのバッグを受け取っていた。
祭壇にあるモノはまさしく、そのバッグだった。

そして、その中身は――

「そうだ、あれが要。大聖杯だ」

二人の注意が大聖杯に向かっていたときに、唐突に横合いの暗がりから皮肉げな口調の言葉が投げかけられた。
凛と士郎は愕然として振り返り、同時に飛びずさって、それぞれの武器を構える。
気配は何も感じなかった。だが目の前に現れた人物を見て、この人間が今ここにいることが信じられなかった。

二人の反応を楽しんでいるような雰囲気を漂わせて、痩せぎすの長身の神父が、鋭い目に皮肉のエッセンスを乗せつつゆっくりと影から姿を現した。
凛に取っては、もっとも会いたくもない人物、そして士郎には教会の中だけでしか会ったことはないが、今までの行為を思うと殺意にも似た反発を覚える人物だった。
ランサーのマスターで、あのアーチャーのマスターであった人物。間接的にイリヤを傷つけた人間で、セイバーをぼろぼろにした張本人。
ぎりぎりと歯を食いしばった間から、唸るような声が漏れ出る。

「綺礼!」
「言峰!」

鋭く剔り付けるような二人の声に動じもせず、嘲るような光を浮かべ、微笑をたたえた言峰がゆっくりと歩み寄ってくる。

「それ以上、近寄らないで!」

凛の鋭い言葉に言峰は足を止めた。
その飄々とした雰囲気と、この場においても失われない独特の存在感が、言峰綺礼と言う人物の存在の大きさを物語っている。
数々の修羅場を超えてきた神父は異常な状況においても、いつもと何も変わらなかった。

「ふむ、久しぶりだな、凛」
「……アンタ、いったい」
「それから、衛宮士郎……教会以来か……、おまえがここまで残るとは正直意外だったが」
「な、なにっ」

言峰の挑発するような言動に、ぴりぴりとした神経を逆なでされた士郎が憤然とする。
凛は士郎の肩に手を置いてゆっくりと首を振ってから一歩前に出た。
そしてを手に持った剣をかつての兄弟子に突きつける。

「綺礼」
「なんだ、凛?」

喉元に剣を突きつけられていても、言峰は平然としていた。
その不敵な表情と、今までの兄弟子の行動に、怒りを必死で押さえる凛が、射殺せそうな目で、ぎりぎり噛みしめた奥歯の間から声を絞り出す。

「よくも騙してたわね」
「聞かれなかったからな。おまえはマスターか? と」
「くっ」
「わざわざご丁寧に教える必要もあるまい? それとも何か? 私は逐一すべて説明する義務でもあるのか?」

追求はもともと想定済みなのか、言峰と言う人物の素の表情なのか、わざわざ反感を買うような物言いで挑発し、微笑すら浮かべて凛の反応を楽しんでいた。
士郎はその様子を見て神父に対してはっきりとした嫌悪感を抱いた。敵を見るような目で睨みつける。
だが言峰の性格をいやと言うほど知っている凛は、ここで激高しても何の解決にもならず、兄弟子を喜ばせるだけだと理解していた。
不敵に笑う言峰を前に剣を突きつけていた凛は一つ息を吐いて、剣を納める。
もう、その表情には怒りのかけらも見えず普段の冷静な凛に戻っていた。
その克己心に言峰は、感心した様に目を細めた。
昔から少女の側で成長の過程を見てきた彼にとっては、信じられない成長だった。聖杯戦争の前ではとうてい考えられなかった。
良く言えば活気に満ちあふれた、悪く言えば感情的になりがちな少女からはずいぶんと変わった。ずいぶんと成長した。
その冷静さ、克己心は魔術師として必要な資質でもある。
言峰は口の端を軽くあげて薄く笑った。

「で、アンタがわざわざここで待ち構えているのは何でかしら?」

凛の突き刺さるような視線と口調を耳にした言峰は、その横に立って自分を睨み付けてくる士郎に目を向けた後、くるりと振り返った。

「ふむ、一つおまえ達に見せたい物があってな、ついてくるがいい」

黒い神父服の言峰が、そう言い捨てて背を向けた時、凛は背後から刺してしまいたくなる衝動と戦っていた。

「遠坂?」
「……いいこと、アイツは絶対信用しちゃ駄目よ、気を抜かないで」
「わ、わかった」

士郎の言葉に、ようやく踏ん切りをつけた凛は、底冷えのする目で士郎を見つめた。
その強烈な光に思わず身を竦める士郎に注意したあと、言峰の後を追った。


あの大聖杯の中で蠢く存在に身をさらすことに抵抗があった二人だが、言峰が何も気にしていないように傾斜を降りていくのをみて、顔を見合わせた。
士郎は凛に作ってもらったミサンガ形態の魔術礼装に魔力を込め抗魔力を強化し、凛は手の中で宝石を握りしめる。
意を決して岩陰から出て身を晒した凛達だったが、一瞬嘗めるような視線を感じた後は、興味が無くなったかのように重圧も消えていった。
あの巨大な存在からすれば人間など路傍の石に等しいのかもしれない。
思わずため息をついた凛達は、知らず知らずにかいていた冷や汗を拭いて、言峰の後を警戒しながらついて行った。

すり鉢状の大地をゆっくりと降りていった言峰が、魔方陣の最外縁部にたどり着いて足を止める。
何が起きてもすぐに対処ができるように、少し離れて言峰についていった凛達も時を同じくして足を止めた。
言峰は肩越しに凛を見た後、おもむろに大地を指さした。その先には黄色く光る刻印が巨大な円を描いている。
よく見ると、その刻印は何十層も重なって中に浮かんでいた。そして、所々に立っている岩の柱の頂点を経由している。

「これが何か、分かるか?」
「この外側の魔方陣?」
「そうだ」

不敵な微笑を浮かべる言峰の挑発するような、試すような言葉に凛はむっとした。
挑発に乗ってしまうのは極めて不本意ではあるが、同時に魔術師として、これほど巨大な儀式を見たこともない凛は、目が引き寄せられるのは隠せなかった。
結果的に興味の方が勝ることになった。
凛はゆっくりと近づき、宙に浮かぶ刻印に手を近づける。
簡単な魔術で干渉を試みたが、まるで強靱なゴムの様な感触があった。だが特に反発することも、排斥するような反応も無い。

――これは外から守るものではない。

凛は、心配そうな顔つきの士郎を視界の端に納めながら、腕を組んであたりを見回した。
そして外側と内側の刻印が明らかに違っていることと、内側の魔術刻印が大地に刻まれていることに気がついて閃いた。
これは蜘蛛の巣だ。巣の中に入ってきたもの捕まえ、外に出さないようにする罠だ。と。
しかし、ここから逃さない為と言うと……。

自然と凛の顔が大聖杯の中の存在に向かう。まさか。

「……結界? いえ、違うわね……檻? 罠? かしら」
「ふむ、さすがだな」

凛の固い声に、言峰が心底感心したように目を見開いた。
彼としてみれば、初見のほんの数分で巨大な刻印の目的をあっさりと当ててしまう凛の能力に舌を巻いたのだが、凛はその賞賛の言葉が逆にかちんときた。
私は何もこんなところに、講義やテストを受けに来たわけではない。
さっさと”敵”を倒し、こんなくだらない争いを終わらせてしまう為である。そして、悠長にしている時間は無い。
”敵”と言う単語に苦いものを感じながら、凛はいらだちをそのまま言峰にぶつけた。

「いい加減にしなさいよ、」

凛が剣を言峰に突き付けたとき、横合いから柔らかな、しかし、淫猥な響きを含んだ少女の声がかけられた。

「ようこそ、姉さん」

弾かれたように慌てて振り返った凛の視線の先、祭壇の前にいつの間にか桜が立っていた。
桜は魔方陣の中央に居て、凛達からかなり離れているが、魔術師の凛の目には距離は関係なかった。
自然と強化した目に映る桜は凛の表情をこわばらせた。
真っ白に変化した髪と、妖しい光をたたえた目、そして首に、頬に走る赤黒く輝く汚穢の刻印。
真っ黒な中に淫猥に赤く明滅するAラインのドレスの様なものを身にまとった姿は妖女と呼んでも差し支えない雰囲気を持っている。
その姿自体は昨日も見てはいるが、その時よりもさらに異質に変化していた。
男であれば脳髄を熱く焼かれてしまうようにぬめる唇と、赤く染まった瞳。
赤い瞳が凛をじっと見つめていた。

「桜……」
「桜! 無事か!」
「あら、先輩、ついてきちゃったんですか? せっかく後から迎えに行こうと思ったのに」

士郎の声に凛を見つめていた桜がふっと視線をずらし、士郎に目を向けてにたりと目を細める。
背筋が寒くなるような笑顔を士郎に向けるが、士郎は一切気にしなかった。
士郎の心は、ようやく手の届くところに桜がいる。やっと見つけた。という思いであふれていた。

今まで果てしなく届かなかった桜。
慎二によって連れ去られて以来、まともに会うことが適わなかった桜にようやく出会えた。
今の姿がどうであろうとかまわない。そんなことは関係がない。
桜は桜だ。そして、俺は桜を助けに来た。手を伸ばせばすぐにでも抱きしめることができる。
士郎は、熱い思いのこもった暖かい視線で桜に向かって両手を広げた。

「桜! そんなところから出て俺と一緒に帰ろう!」
「……なんでですか?」
「なんで?って、そこはおまえの居るところじゃない! 俺と一緒に家に帰ろう。桜」

士郎の呼びかけに、桜は笑いながら小首をかしげた。
桜がそこから動こうとする気配がないので、士郎は焦れたように言葉を重ねる。

「それはできぬ相談じゃな、此奴はここに居るのが幸せなのじゃ。なんだったら、おぬしが此方に来ると良かろうて」

不意に、強烈な圧迫感を持った声が響いた。
じゃりっ、じゃりっ、っと足音がして、大聖杯の後ろから、一目で慎二の血縁とわかるような壮年和装の男が現れた。
上背こそ無いが、しゃんと伸びた背筋に、慎二と違って苛烈さをも感じる端正な顔立ち。青みがかった髪を丁寧に撫で上げ、炯々とした光を放つ目をしていた。

間桐臓硯。間桐家最大最凶の魔術師という通り名を持つ魔術師だった。

そして少し離れた後ろにまばゆく輝く白いケープ姿の医師も見える。

「なっ! 桜はこんな地下にずっと居る奴じゃないっ!」
「ほっほっほ、無知とはなんと素晴らしい物か、若いということはなんと素晴らしい物か」
「な、なんだと! おまえには関係がない! 桜、俺と一緒に帰ろう。俺は桜が居てくれないと困る」

士郎はそんな部外者の言葉には耳を貸さず、桜を見続けていた。桜に話しかけていた。桜に思いを投げかけていた。
その士郎の熱意が通じたのか、桜がぶるっと震え、赤い目が急にぼやけたようにとろんとなる。
そして全身から放たれていた淫猥な気配も急速に霧散していく。
凛はその様子を見て、まだ完全に桜が堕ちているわけではないと悟った。
あの表層に出ているのが、”桜”なのか、それとも何か別のものなのか分からないが、まだ可能性がある。まだ救える。
であれば、桜を操っている人間を、臓硯を先に倒せば、どうにかなるかもしれない。
凛はそう思った。思ってしまった。あり得ないと思っていた一筋の光に、希望にすがってしまった。

桜の様子がおかしいことに気がついた老人は表情を硬くして士郎と桜の間に割り込んだ。桜の視界から士郎を遮り、士郎の呼びかけから切り離した。

「くっ、そこをどけっ!」
「士郎! 待ちなさいっ!」

士郎が今にも駆け出しそうなところを凛が鋭く制した。
”なぜ止める?”と目を剥いた士郎だったが、凛の強い視線と私に任せなさいという表情に、不承不承頷いた。
そして不満そうな士郎の視線を受けながら、凛は一歩前に出る。

「間桐臓硯……あなたの企みは何?」

凛の鋭く突き刺さるような視線を、間桐の大魔術師は微笑をたたえて迎え撃った。
青い髪の下から見える鋭い目は、強烈なオーラを放ち、端正に整った鋭角な顔は自信に満ちている。その身に漂う圧倒的ともいえる魔術の気配を考えると、明らかに今の自分より格上と凛は判断せざるを得なかった。
さすが間桐家の創始者であり最大の魔術師。その称号は伊達ではない。
かなりしんどい戦いになりそうだと思った凛は、セイバーを令呪で呼び出すタイミングを心の中で数える。

「若くても、さすがに遠坂の当主じゃな。じゃがな、企みというほどの企みはないぞ」
「……」

間桐臓硯という名の大妖術師は、目の前の遠坂家の当主をみてふと昔を思い出す。
今はまだ原石に近いが、それでも当時の遠坂と一歩も引けを取らない。遠坂家は鳶が鷹を生んだか。いや、そもそも遠坂家は女の方が才能に満ちていたな。
と妙な感傷に浸る。ただ、それも一瞬のこと。即座に余分な感情は振り払った。

「我はただ、世界に争いのない究極の平和が訪れるよう願っているのみじゃ」
「ふ、ふざけるなっ! 今、おまえがやっていることが平和の為なのか!」

臓硯の言葉にもっとも強く反応したのは士郎だった。
それもそのはず、士郎は、自分の漠然とした望みに近いことを目の前の老人が語っていることに怒りを隠せなかった。。
桜を、慎二を良いように操って、こんな争いをもたらした張本人が、そんな行為を憎んでいる自分の前で、どの口で平和を語るのだ!と。
士郎の怒りを前に臓硯は涼しい顔で笑っていた。それが余計に士郎の神経を逆なでする。

「いや、衛宮士郎、老人の言うとおりだ。間桐翁は”平和”を求めている」

さらに言峰が火に油を注ぐ。
目の前の間桐臓硯という人物が引き起こしたこと、そして桜にした行為を考えると、さすがに凛もその言葉には、怒りを覚えた。
少し離れたところに居る言峰にくってかかった。

「綺礼、アンタ何言ってるの? これのどこが平和の為よ。それに究極の平和なんて、あり得ないし、ばかげてるわ。
アンタこそ、そんな世迷い言を信じてるの? 脳みそを蟲に食われてるんじゃないの?」
「……信じてはいないが、見てはみたいぞ?」

凛の激昂を言峰は素知らぬ顔で受け流し、腕を組んで手近な岩にもたれかかった。
そしてゆっくりと顔を大聖杯に向けてぽつりと言った。

「は? 気でも狂ったの?」
「可笑しいか? 私は正直見てみたいのだよ、あの間桐翁が、間桐家最強最悪の妖術師と呼ばれた生ける伝説が、そこの少年と同じような青臭い思想をして、そのために動いて居たのだ、見てみたいとは思わないか?」
「思わないわ。それに究極の平和なんて、できるわけないじゃない」

言峰の言葉を聞いた凛は、信じられないというように顔を歪めた。
目の前の兄弟子は心底ねじ曲がった性根の持ち主だが、極めて現実主義であって馬鹿げた夢想にうつつを抜かすような人間ではないことも知っていた。
その兄弟子が夢物語としか言えないことを見てみたいと言う。何かの毒に当てられたとしか考えられなかった。

「なぜ、そう思うのじゃ」

間桐臓硯は言峰と凛のやりとりを不敵に笑いながら見ていた。
そして徐に言葉を差し挟む。

「この世の理だからよっ、この世に生を受けた物は、互いに争って、勝ち残らなければ生きていけない。その過程は決して”平和”という言葉なんか割り込む余地はないわ。
たとえ知恵をもって争いを回避したとしても、必ずどこかで争いは起きる。どこかのお花畑が言うような究極の平和なんてあり得ないわ」
「ほほう、だが……」

凛は臓硯に顔を向ける。
当たり前の事実をなぜ言わなければならない?と憐憫に似た思いを持ちながら首を振った。
臓硯はその言葉を聞き、にやりと不敵に笑い、心底楽しそうな表情を浮かべる。

凛と臓硯の会話を耳に入れながらも、桜の方を注視していた士郎だったが、しびれを切らしたように、手に持った刀を振った。

「そんなことはどうでもいい! 平和を求めてるんだったらそれでいい! だけどその前に桜を返せ!」

士郎の焦りの表情をいたぶるかのように臓硯が厭らしく笑う。
整った顔立ちだけに、その嘲るような表情は即座に潰してやりたくなるほど憎たらしかった。

「返してもかまわんが、桜を返すことで、この世に訪れる究極の平和が永遠に失われても良いのじゃな? 少年よ」
「なんだと?」

凛の制止を振り切って、祭壇に向かって走り込もうとする士郎の足を止めたのは、意外にも臓硯の一言だった。
その一言が突き刺さった士郎は動きを止め、ゆっくりと顔をあげた。
士郎の動揺を感じた臓硯は一歩踏み出す。真顔になった臓硯から威圧感が陽炎のように立ち上っていき、その気迫に晒された士郎には、小さい和装の男が何倍にも膨れあがったように思えた。

「お主は考えたことはないか? もし、自分に力があれば、理不尽な争いをやめることができるのに。と」
「なっ」

一転して静かな、そして胸の底を剔るような声が士郎に届く。
その一言は士郎の足を縛った。

「お主は考えたことはないか? もし、自分に力があれば、この世の悪をなくしてやることができるのに。と」
「……」

何かを渇望するような声が、雷を落とされたように士郎を貫く。
その一言は士郎の腕を縛った。

「お主は考えたことはないか? もし、自分に力があれば、みんな幸せにしてやれるのに。と」

激情を押さえて無理矢理平静を装った声が、破鐘の様に士郎の耳で響き渡る。
その一言は士郎の心を縛った。

臓硯の言葉が重なるにつれて士郎の表情に厳しさが増していくのを見て、凛は不吉なものを感じた。
ぎりぎりと歯を食いしばり脂汗をたらす士郎を見て、危険な状態であることに気がついた凛は即座に行動した。
臓硯の”力ある言葉”に絡め取られている士郎の襟首をつかんで思い切り引き倒す。
士郎の胸倉をつかんで大きな声で叫ぶ。

「士郎! 聞いちゃ駄目っ! あんたの理想とあいつの理想は違うはずっ! 引き込まれたらだめよっ!」
「と、遠坂……」
「しっかりしなさい!」

目がうつろになりかけている士郎に馬乗りになって凛は頬を張った。
小気味良い音がはじけ、ようやく士郎が我に返る。
目に力が戻ってきたのを見て凛が立ち上がった。

「……もし、自分に力があれば、こんな理不尽な扱いから抜け出せるのに……」
「桜……」

立ち上がる士郎に手を貸した時、まるで操り人形のようにゆらゆらと揺れている桜から、ぞっとするような口調の言葉が聞こえてきた。

「ね、せんぱぁい、私は力が欲しかったです。私は弱かったから何もできなかった。でも今は違う」

桜がゆっくりと顔を上げた、その瞳は先ほどにまして赤く輝き始めていた。
ここへ来て初めて見たときより一段とその光は強くなっていた。
士郎の言葉に反応していた部分すら削ぎ落とされていっているのだろう。けたけたと笑い始めた桜を見た凛はゆっくりと首を振った。
柳洞寺に来る前に士郎にはああいったが、桜が士郎の言葉で動揺するところを見た凛は、希望を持ってしまった。一縷の望みを捨てられなかった。
さらに悪化していく、壊れていく桜を見つめる目に、桜の髪を縛るリボンが映る。凛は目を見開いた。

「で、力だけを求めて堕ちたのね、桜。残念だわ」
「……そういえば、そんなところに姉さんが居ましたね」

凛と桜の視線が絡み合う。

「桜っ!」

立ち上がった士郎の悲痛な叫びも今の桜には届かない。
そして、間桐家最悪の妖術師は、飽きもせず言葉を続ける。

「少年よ、究極の力を手にすれば……、おぬしの力で平和が訪れると分かれば、おぬしはどうする?
力を求めるか? それとも求めぬか?おぬしに力があれば、目の前で散っていこうとする命を救うことができるやもしれんぞ? おぬしはどうする?」
「……」

徐々に、その口調は激しく熱を帯びてくる、まるで自分の演説に酔いしれる扇動者のように。
長年切望したモノに手が届きそうな老魔術師は観客を前に高揚し、両手を広げ、朗々と詠った。
そう、偉大なる結果が導き出されようとする今、長年かかってようやくたどり着こうとする今、人知れず到達するのは味気ない。
是非とも証人に到達するところを見せつけ、その口で恐れを語ってもらわなければ。
その証人が最初の三家の一つ、遠坂の当主であれば申し分ない。間桐臓硯は薄く笑った。

「我はその力を手に入れる。究極の力を。世界の理を超えた力を」

陶酔しきったように言い放った言葉に凛は初めて衝撃を受けた。

凛は分かった。臓硯が漏らした一言で唐突に理解できてしまった。この目の前の男が目指しているものが、この男の欲しているものが。
目の前の男は、魔術師だった。それもどうしようもなく魔術師だった。
力を求めた魔術師が目指す究極は一つ。それを求めるために聖杯戦争を利用し、英霊を利用して。

凛は目をこらして巨大な魔方陣を見つめた。
その魔方陣は明らかに二つのものからなっていた。
一つは大聖杯に繋がる聖杯戦争の根幹たる魔方陣。そしてもう一つは何かを逃がさぬように作られた魔方陣。
この魔方陣で逃さぬ様にするものは……

最初は罠だと考えていた。巨大な蟻地獄のような魔方陣であって、不用意に大聖杯に近づく魔術師を捕らえる魔方陣。
だから不用意に陣の中に入ることを躊躇した。士郎にも中に入れさせなかった。

「……違う」

だが違った。この魔方陣は違う。魔術師を対象にしているのではなく、もっと強大なもの。
となると、答えは一つ。

―― アンリマユ

この男は、間桐臓硯と言う男は……

「まさかっ、そんなばかな、ありえない」
「ほう?」

内側の聖杯の魔方陣をたどっていく、終着点は桜と大聖杯、その中のアンリマユだった。
凛の視線が檻の結界陣をたどっていく、終着点は祭壇だった。ドラムバッグが乗っていた。

間桐臓硯が笑っていた。目の前で端正な顔を嘲笑の形で歪めているこの男は……

アンリマユを……神を生け贄に捧げようとしている。
桜を聖杯の器に捧げて、聖杯戦争を起こし、この世界の英霊を捧げて神を降ろし、そして神を生け贄に捧げて、得ようとする力は……

愕然と凛は頭を振った。
臓硯が求めるもの、それはこの世の法を超えた力、この世で起こされる全くの奇跡。
それは即ち……。

「あり得ないわ、新しい”魔法”なんてっ」

叫ぶような凛の言葉に、我が意を得たりとばかりに間桐臓硯がかっかっかと笑い声を上げる。

「さすが若くとも遠坂の当主じゃな」

ひとしきり笑った臓硯は懐より取り出した扇子で凛を指した。
臓硯は一種の優越感に浸っていた。自分から見ても遠坂の現当主は無限の可能性を秘めた逸材だった。いずれ成長すれば世界に冠たる魔術師となろう。ひょっとすると魔法使いにすら手が届くかもしれない。
だがその目の前で、”新たな魔法”を作り上げる。なんと小気味良いことか、なんと愉快なことか。
その事実が何百年を生きた魔術師の精神を高揚させる。強大な力を手にする愉悦感が小さな和装の魔術師の中で膨れあがっていく。

「そうじゃ、世界の理、世界の修正力を超える力。即ち、”魔法”であれば、不可能を可能にする。
我は、この地に世界の軛から解き放たれた新たな楽園を作る。
そうじゃ、我は”魔法”を用いてこの世界に”新たな世界”を作る。固有結界などと言うおもちゃの様な物ではないぞ。
その世界においては、この世の理など灰燼に帰り、新たな理が支配する。我の作る永遠の平和という新たな理がな」

臓硯の表情の悪鬼が笑うかのごとく凄惨な笑みで彩られた。

「そんなっ、不可能よっ」

凛は言葉で否定していたが、ひょっとしたら可能かもしれない。と言う考えが心の隅から頭をもたげてきているのを自覚していた。魔法で世界から切り離した世界を作るとすれば、世界の理を自由に設定することも可能なのではないだろうか?
それは神に等しいかもしれないが。
そして、この期に及んでも世界の修正力も守護者も目の前の男に何ら効果を及ぼさない所を見ると、既に世界の修正力を超えてしまっているのか?
その男の言う様に魔法に手が届きつつあるのか?

あっけに取られたような士郎の前で二人の魔術師が火花を散らしていた。
間桐の大妖術師は全身全霊をかけて新たなる”魔法”を求め、遠坂の若き当主は迷いが生まれていた。
その迷いが、徐々に余裕を無くさせていく。

「そうとも、不可能じゃ。この世の理の中ではな。しかし我の作り上げた世界であればそれも適う。我は新たな魔法を作り上げる。新たな世界を作り上げる。この”魔震”でな。
では名残惜しいがそろそろ終わりにするとするかの。殺しはせんが、死んだ方がマシじゃろな。桜や?」
「はい」

臓硯の高笑いに凛は唇を噛みしめながら見つめることしかできなかった。
確かに、言峰が見てみたい。と言うのもわかる気がする。凛とて、こんな状況でなかったら見てみたいと思うだろう。
新たな理に手を届かせようとする魔術師が目の前に居て、その課程を見ることができるのであれば、一人の『 』を目指す魔術師としてそれを研究したい。してみたい。
だが、今はできない。目の前の魔術師が魔法に到達するのであれば断固として阻止しなければならない。
凛の信ずるものを破壊して、犠牲にして蹂躙した目の魔の魔術師が法外な力を持つことだけは絶対に許せない。
凛は怒りに燃える目で、桜が臓硯の前にゆっくりと出てきて手を上げるのを見つめていた。

桜の足下に黒い沼が広がっていく。


ドクターメフィストは、先ほどからの魔術師達の会話を、ただ静かにたたずんで聞いていた。
白い医師にとって個人の葛藤などはたいした問題ではない。
今も、ここにいるのは、間桐臓硯と名乗る魔術師が聖杯戦争とやらの課程で見せると言った死者の蘇生に関する術に興味があったからに過ぎない。それさえなければとっくにせつらをつれて帰っていた。
しかし、どうもその約束は守られないかもしれない。

「ふむ、このドクターメフィストを謀ると……そうおっしゃるか」

メフィストの呟きは、哄笑を放つ狂気じみた魔術師には届かなかった。そしてドクターメフィストはふっと笑みを浮かべた。

「”魔震”をもって世界を作る……。なるほど、道理は通るが……」

どこからとも無く風が吹き、メフィストの髪を、マントをそよがせる。

「はてさて、”魔震”という言葉は”誰に”聞いたのやら……」

もし<新宿>の人間が今のメフィストを見たら……。

メフィストが笑っていた。静かに、深く笑っていた。まるでファウスト博士にささやいた悪魔の様に……。

「さて、間に合うか。間に合わなければ、それもまた一興。どうする? せつらよ」


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じりじりとした時間が過ぎていく。
もう、士郎と凛が暗がりに消えてどれほどたっただろうか?
目の前のライダー達は飽きもせず、ずっと対峙を続けていた。
焦燥に駆られてアーチャーの方を見ると、黒いサーヴァントは壁に寄りかかって目を閉じていた。
宣戦布告はまだ保留状態とはいえ、敵サーヴァントの前で無防備に寝ているのを見て、セイバーは頭を抱えた。
セイバーの感覚からは到底理解できない精神構造をしている。
それでも、しばらくじっと我慢をしていた。レイラインからも特に異常なものは感じられなかった。
何かあれば令呪で呼ぶ。と凛に言われてはいるが、それでも漫然と待っているだけは耐えられそうになかった。

しばらく待っていたが、さすがにセイバーの我慢も限界に来た。
額に青筋を浮かべながらゆっくりと立ち上がり、聖剣の柄に手をかける。

「ランサー、そこを通してください」
「俺としては通してやりたい気もするが、それ以上にお前と戦ってみたい」

何となく決まっている境界線の前に立ったセイバーに、お?と言う表情を浮かべたランサーが野獣じみた表情を浮かべる。
同じく立ち上がり、セイバーの前でゲイボルクを肩に担いで立ちはだかった。
一歩間違えば狂気をはらむような目の光は、アーチャーと死闘を繰り広げた時の面影は無かった。
舌なめずりをする様な雰囲気のランサーに挑発されたセイバーは、くっと顔を上げて聖剣を引き抜いた。

「……仕方がありません」

それを見てランサーもゲイボルクを構えた。
同時に飛びずさってそれぞれの得物を構える。セイバーは青眼に構え、ランサーは身を低く構えゲイボルクを引く。
それぞれの魔力が、高密度に練られて行く。それぞれの宝具が歓喜の唸りを上げて行く。
一触即発の雰囲気の中、へへっと笑ったランサーがへらず口をたたいた

「お、言いつけを破って戦うのか? へっ、そうこなくちゃな」
「くっ」

セイバーはライダーが立ち上がったのを見て、アーチャーを呼んだ。

「アーチャー! あなたはライダーをっ!」

さすがに目を覚ましたアーチャーにライダーの相手をしてもらおうと、切羽詰まった口調で告げたセイバーに、のんびりとしたアーチャーが軽く欠伸をした。

「……やめとく」

その言葉は最初、セイバーは理解できなかった。
思わず、対峙しているランサーを忘れて振り返ってしまった。

「は? アーチャー、何を言って……?」
「面倒は嫌」

立ち上がろうとすらしないアーチャーはセイバーの唖然とした表情を見た後、再び目を閉じた。

「くっ、あっはっはっは、さすがだな、アーチャー。相変わらずてめえの考え方は俺にはわかんねーぞ」

あっけにとられ、呆然と立ち尽くすセイバーを見て、構えを解いたランサーは大笑いした。
我に返ったセイバーは、剣を手に憤然とアーチャーに食ってかかった。

「なぜ戦わないのですか、アーチャー! こうしてる間にも私たちのマスターは殺されるかもしれないのです! たとえ聖杯が満ちようとも、残った魔術師など私達がたどり着くことさえできれば即座に排除できます! 今は目の前のライダー達を倒し、聖杯が満ちる前に凛達のところに……」

顔を真っ赤にして詰め寄るセイバーに、アーチャーは片手をあげた。

「どうでもいいよ」
「ア、アーチャーッ!!」

アーチャーのあまりにもやる気のない言葉に、セイバーは絶句した。池の鯉の様に口をぱくぱくとしていた。
目の光は強烈な怒りを表していたが、言いたいことがうまくまとまらないらしい。
そんなセイバーを横目に見たアーチャーだが、一つため息をつくと、ゆっくりと立ち上がった。

「……と、言いたいところだけど、死なれるのは困る。だから」
「……だから?」

セイバーの肩に手を置いて横にどかしたアーチャーはそのままランサーの前に向かった。

「ちょっと通してくれない?」
「あーっはっはっは、通さねえよ」
「こまったなぁ、ちょっとだけ目をつぶってくれない?」
「無理だな」
「そこをなんとか、ライダーも」
「通すわけには行きません。サーヴァントは通すな。と言うのが私の受けた命令です」
「残念」

友人に話しかけるようなアーチャーの言葉には緊張感のかけらも無かった。
答えるランサーも酒場で仲間に話しかけるような口調だった。
ランサーでは埒が明かないと思ったのか、矛先をライダーに向けた。
長身の紫の髪のサーヴァントは急に矛先を向けられて、かすかに慌てたようだが、ゆっくりと首を振った。
それを見て、残念そうなアーチャーが振り返って元の場所に戻ろうとする。
それを見たセイバーは握った拳をわなわなとふるわせた。セイバーの怒りが、無風状態の洞窟に風を巻き起こす。

「ふ、ふざけるのも、いい加減にしてくださいっ!」

ふと、元の場所に戻ろうとしたアーチャーがセイバーの前で足を止めた。
セイバーをじっと見つめる。

「え? あ、その」

銀の月光を水のノミで削りだしたような、人間離れした美しい顔に見つめられ、戸惑ったセイバーの怒りが霧散した。じっと見つめられ、なんとなく居心地が悪くなる。気を抜けば魅入られてしまいそうになる。
のんびりと気の抜けた顔だから耐えきれるが、真剣な表情で愛をささやかれたりしたら、いくら自分でも平静では居られないかもしれない。
元々、人間とは思えないほど信じられない様な美しさではあるのは分かっているが、まともに見つめられたのは道場の時以来だった。
アーチャーの手がセイバーに伸びてくる。
思わずびくっと体を振るわせたセイバーの、肩に手を置いたアーチャーはその体勢のまま首を横に向けライダーを見つめる。
槍を両手で肩に担いでいるランサーは、にやにやと笑っていた。

「そういえば、サーヴァントは”通すな”なんだね。」
「……ええ、それが何か?」

目にいたずらっ子の様な光を点したアーチャーは、ゆっくりと振り返った。
そしてライダーとランサーの元に再び歩み寄る。
怪訝そうな二人のサーヴァントの前に立ったアーチャーが軽く手を振った。思わず二人のサーヴァントの視線がその手に集中する。同時に、アーチャーの後ろから何かが弾かれた弾丸の様に頭を越え、ライダー達の頭を越えていった。
妖糸を使って、目標と自分を結びつけて、超高速で移動する技の応用だった。セイバーの体と洞窟の遙か向こうの鍾乳石とをくくりつけて、一瞬で飛ばしたのだ。
ライダー達はいったい何が起きたのか理解できなかったが、飛ばされたものがセイバーだと知ると愕然とした。

「後、よろしく」
「え? あ?」

アーチャーの手でパチンコで飛ばされた弾の様に一瞬で洞窟の遙か奥に飛ばされたセイバーは、耳元で聞こえたアーチャーの声に我に返るなり、感謝の表情を浮かべそのまま走り出した。
あっけに取られて、動きを忘れたランサー達に、アーチャーがにんまり笑った。

「さて、”通さない”はずのサーヴァントが、”通ってしまった”場合、どうするのかな?」
「……はっはっは、やられたな」
「……みたいですね」
「の、割にあんまり焦ってないな、ライダー」
「……」

アーチャーの言葉に、確かにそうか。と思わず妙な納得をしてしまったランサーは、剣呑な光を込めた瞳で笑った。
ライダーもその横で、特に追うこともせずに淡々としていた。
ランサーの指摘にもそっぽを向いたままだった。

「そこ、動かないように」
「いや、いい加減飽きた」

ライダーを一別したランサーは、ゆっくりと槍を手に、アーチャーに向かって歩き出した。
アーチャーはのんびりした口調でやんわりと注意してみたが、ランサーの歩みは止まらなかった。

「言いつけは守らないと」

ゲイボルクの制空権に入ったランサーはゆっくりと身を屈め、全身のバネのような筋肉に力を込める。くるっと回したゲイボルクをアーチャーに向けた。

「くっくっく、ライダーはどうか知らんが、俺は違うぜ。待つのも飽きた。再戦といこうぜ? なあ、アーチャー。いや、秋せつら」

赤い槍をアーチャーは煩わしそうに、しかし突きつけられた槍をのんびりと、微かに迷惑そうに見ていた。
ゲイボルクの真の力の前では、逃れることはできないと自覚済みなのに、天下太平たる気配は微塵も変わりなかった。
アーチャーが軽くため息をついた。ランサーの槍に凶悪な魔力が籠もっていく。
たった一人の観客。紫の髪の美女の前で、魔戦が始まろうとしていた。