るるる-15

The man in the Moon
お月さまに男が一人
Came down too soon,
あわてすぎて落っこちて
And asked his way to Norwich;
あっちへ行ったり
He went by the south,
こっちへ来たり
And burnt his mouth,
冷たいすもものおかゆを食べて
With eating cold plum-porridge
口をやけどしちゃったの

ぽんぽんぽん、ぽ、ぽぽぽぽぽん♪ ぽかぽかぽん♪ ぽ、ぽぽぽぽぽん♪

「モキュ」
「イチヒコ、すこし、寝る」
ドレクスラーで立ち木をおがくずの様に粉砕し、毛布を載せて簡易の寝台を造り、その上に憔悴したルイズを横たえた
R-シロツメグサは、ゆっくりと額にかかる髪を撫で分けた。
「うん、ありがとう、シロ姉」
ゆっくりを髪を撫でていく手のぬくもりに、何処となく、くすぐったそうに、でも気持ち良さそうな表情のルイズが、
横に座っているシロ姉を見上げる。シロ姉は、自分用として風竜の鞍に積んである丸めた毛布を解いてルイズに掛けた。
「少し休息を取る。イチヒコ、ずっと休んでいない。体壊れる」
「うん……。だけど、今休んでる間にアルビオンが制圧されたら。と思うと、いてもたってもいられなくて……」
「早く、寝る」
星の明るい夜の森。闇色のカーテンを広げた空で無数に煌く星の明かりが、森を煌々と照らしていた。
すぐ近くにある泉は砂金をちりばめた様にキラキラと星を反射し、時折吹く風が梢を揺らし、葉鳴りが流れる詩を歌う。
周りに無数の動物の気配があるが、一定の距離を置いて近寄ってくる気配はない。
命の溢れる静かな揺り籠の様な夜だった。
ルイズが名前を捨てると宣言してから、一騒動があった。が、立ち直った一同の動きは早かった。表向きはアルビオンの
従兄に当たるウェールズ皇太子に対する王女の個人的な非公式な使者としてルイズにその任を割り当て、親書の用意や
公式の入国申請書類など一通りの体裁をあっという間に整えた。
反乱軍に見つかりやすいことや、非公式ということもある、何よりガリア、ゲルマニアあたりに言質を取られないように
するために、ルイズとシロ姉だけで旅立つことになった。
ラ・ロシェールからフネで行くことも検討されたが、あまりにも不確定要素が多いのと、緊急時の対応が取れないという
ことで却下され、王家からルイズ個人に対し、ラグドリアン湖の水の精霊をなだめた功績として風竜を一頭下賜することで、
落ち付いた。

結果的に借りていた風竜と一週間分ほどの食料と旅装を確保したルイズは、父親やアンリエッタ王女の一晩ゆっくりして
行け。という助言と配慮に感謝しながらも、時間がないと未練を断ち切り、風竜に飛び乗った。
空に舞い上がってしばらくして、タバサ達に連絡するのを失念していたことに一瞬後悔したが、今さら戻るわけにも
いかなかった。
ただ、しばらく飛んでいると、やはり強行軍に過ぎたのか眼に見えてルイズの表情が青白く変わり、強がるルイズを
抑えつけたシロ姉が慌てて風竜を大地に降ろした。
大丈夫よ。と大地に降りても強弁するルイズの額をつついたR-シロツメグサは、軽く突かれただけで、ふらふらする
ルイズを、あきれ顔で半ば強引に寝かしつけた。
さて、ルイズに食事を。と思ったR-シロツメグサだったが、自分が料理をしたこともなく、ルイズも同様だということに
気が付いて空を振り仰いだ。
少し考え込んだ後、生木からドレクスラーで水分を飛ばし、一瞬で乾燥させた大木を、適当な大きさに切って焚き火を
起こし、チーズとパンを温めて、食べさせた。
質素な食事で栄養も疑問だが、それでもぱちぱちを燃える炎に体を温められたのか、食事をとって少し落ち着いたルイズの
表情はだいぶ和らいだので、R-シロツメグサはほっと胸を撫でおろした。
「お前も、寝る」
「ぶぉっ」
横から、風竜が心配そうに巨大な顔を突き出してくる。
鼻先をぱちっと叩いたR-シロツメグサに、ばふっと鼻息を吹き掛けた風竜が、無表情で立ち上がったR-シロツメグサを
見て、慌てて体を丸めて頭を羽に突っ込んで寝た振りをする。
そんな風竜を仁王立ちで一瞥したシロ姉に、毛布から顔だけをだしたルイズが、心細そうな表情を向けた。
「シロ姉?」
「イチヒコ、眠れない?」
「う……ん、なんとなく。ね」
「そう」
ゆっくりと横に座ったR-シロツメグサは、そっとルイズの頬に手を伸ばした。
猫のようにその手に頬をこすりつけるルイズを不安と幸福の二重奏を奏でるシロ姉の顔が迎える。
内臓器官や神経に問題があるわけではなく、疲労の蓄積によるものだと分かっていても、どこか不安な心≪レム≫は
不協和音を掻き鳴らす。その逆撫でする様な和音を紛らわす様に、イチヒコがどこにもいってしまわないように、と、
R-シロツメグサはルイズの顔をじっと見つめた。
ルイズは下から見上げるシロ姉の顔が、夜の影もあるのだろうが一瞬泣いているようにも見えて、慌てて身を起こした。
「シロ姉?」
「何? イチヒコ」
「……なんでもない」
ルイズの眼に映るシロ姉は、いつもと同じ様に奥深い森の様に静謐だった。ただ、いつもの全てを受け止める様な
雰囲気ではなく、どこか遠くを見ているような、儚げな気配を漂わせていた。
不意にルイズは気がついた。寂しいんだ。と。
ずっとシロ姉に支えられていたから気がつかなかった。使い魔の召喚の儀式で初めて会った時から、突拍子もない行動が
目立ってたけど、シロ姉はいつも一人。
ラグドリアン湖で見た光景もそうだった。いまにも消えてしまいそうに儚かった。
わたし以外のすべてのものに執着心がないシロ姉。わたしがいなかったらどうなるんだろう?
友達もなく、家族もなく、水の精霊と言葉は交わせて強大な力を持っているけど。
その心の中は、多分枯れ果てた山の様に寂しい……。
ルイズは滲んできた涙を隠す様に、横になって毛布にくるまって背を向けた。
「し、し、シロ姉。わ、わ、わたしがずっと一緒にいてあげるからねっ」
「……ありがとう、イチヒコ」
ルイズの唐突な言葉に、一瞬あっけにとられたR-シロツメグサだったが、ゆっくりと目を伏せて呟いた。その言葉は
とても静かで風に融けていく。ただ、ルイズには百万の言葉よりも重く、貴い言葉に感じた。その言葉で全てが救われる。
そんな気持ちになった。
自然と綻ぶルイズの耳に、しばらくして静かな旋律が聞こえてきた。ただ、ルイズはその歌を聞き取る前に急速に眠りに
落ちていった。

イチヒコの呼吸が落ち付き、眠りについた。小さい体で恒星の如く輝いていたが、さすがに疲れが出たらしい。
毛布に包まれた胸が規則正しく上下し、偶に閉じた目が震える。不意に意味不明な言葉を発したかと思うと、頬に
当てていた私の手に顔を擦りつけてくる。
その姿がただただ、愛おしかった。
喜怒哀楽に溢れる、とても心≪レム≫豊かな子。
一緒にいるだけで、私の心≪レム≫は煌いていく。私が満足していく。
「それが人間≪マンカインド≫……」
キュルケが私に言った言葉。チャペックの行動とは異なる基準で、心≪レム≫で行動を決めていく。心が全て。
効果も利益も自己の保存も、全ての判断基準において究極的には心≪レム≫が優先される。
今の行動もイチヒコには何の関係もない。ただ、イチヒコの心≪レム≫が怒っていた。N-306≪水の精霊≫から
恋人を誘拐した犯人に怒っていた。
N-306≪水の精霊≫の約束も、イチヒコにはなんの影響も及ぼさない。なんの効果も利益も生まない。けれど、
イチヒコの心≪レム≫はX-428をN-306≪水の精霊≫の恋人を取り返すという選択を下した。
自分の体を盾にしてキュルケやタバサを救おうとする心≪レム≫もそうだった。友人を救ったとして、自分が死んでは
意味がない。それなのに……
なんと心≪レム≫とは理不尽なのか、なんと心≪レム≫は計算できないものなのか……。


……そして、なんと心≪レム≫とは美しく愛おしいのか。


「……愛してる、イチヒコ」
言葉が勝手に紡がれていく。
「……だいすき、イチヒコ」
紡がれるたびに、心≪レム≫が軽やかにステップを踏んでいく。
R-シロツメグサは、聖母のような表情でルイズの寝顔を空が白くなるまで見つめていた。

「ほら、あれがアルビオンよ。浮遊大陸アルビオン」
翌朝というより正午前に、ようやく目を覚ましたルイズは、自分が相当疲れていたことを実感した。
心配そうに見つめるさんしょうおとシロ姉に、おはようと照れ笑いを浮かべながら、挨拶を交わし身支度を整えて風竜に
乗った。
シロ姉といろいろ話をしながら、空が赤くなるころ、前方に神秘的な光景が浮かぶ。雲を従えるように夕日に照らされた
巨大な大地。山や森林に溢れ、湖が夕陽を反射し川が悠久の流れを彩っている。
分がどこにいるのか分からないような感覚の中、アルビオンは空に浮かんでいた。
ルイズの前に座っているR-シロツメグサは茫然と呟いた。
「浮いてる……」
呆気にとられた表情に、なぜだかシロ姉に勝った。というような感情が浮かぶルイズは得意げに胸をそらせた。
R-シロツメグサは目の前の光景に、納得のいかないものを感じ、額のレンズ≪EES≫を煌かせ、
行政HAL代行予備機にコンタクトを取った。
かなり出力を上げないと届かなかったが、風竜を少し浮遊島から話すと何とか連絡を取ることに成功した。
どうもこの浮遊島周辺にはEESすら妨害するような強力な力場が存在しているようだった。
ルイズが不安げに見つめる中、レンズは夕焼けよりも明るく輝く。
『行政HAL代行予備機』
『確認 D-ISSG-0100118D R-シロツメグサD ご機嫌麗しく』
『挨拶はいい。あれはなんだ』
『”あれ”の定義を要求します』
行政HAL代行予備機の融通の利かない官僚じみた言動に、思わず破壊したくなる衝動をなんとか抑え、とはいっても
破壊するためには現地まで行かないと駄目なのだが。
なんとか自制しようとしたR-シロツメグサだが微妙に怒りの感情がほとばしるのを抑えられなかった。
『”あれ”とは、わたしの目の前で空中に浮かぶ巨大な岩の塊のことだ』
『……検索終了。D-ISSG-0100118D R-シロツメグサDの前方に浮かぶのはプロジェクト・ラグナロクの”ヴァルハラ
宮殿”と推定』
『意味不明、詳細を要求する』
聞いた事のない言葉に、訝しく感じ、眉をひそめた。
『承認。公転周期で6749周期前に非合法第三市民がサンテグジュベリ号に侵入、セイバーハーゲンL-149他、21台を
強奪して逃走。その後、現大陸北北西200Kmの島で大型の重力制御装置、及び核融合炉の建造を開始』
『ひょっとして、そのセイバーハーゲン達は……』
『推論は正しい。レム封印派のセイバーハーゲン』
『なるほど……ちょっとまて。6749周期前? 第三市民の解凍から579周期? なぜだ? なぜ人間がそこまで生きている?』
ここの公転周期は1.81ニューグリニジ歴に相当する。それを考慮すると、人間≪マンカインド≫にあるまじき長命だった。
R-シロツメグサの疑問に、行政HAL代行予備機はあっさりと回答をよこした。
『承認。一種の精神病患者でもある当該第三市民は、高度な技術知識を有しており自己改造を施し、延命措置を施術。
非合法の科学者だったと推察する。自己をマンカインドの神話に出てくる”神”と自称。
”神”の居住区は空にあるべき。との信念を有す。』
『それで、島ごと空に浮かせたのか……。続きを要求する』
『承認。公転周期で6453周期前に核融合炉、重力制御装置の起動を確認。6433周期前に上空3000メートルで大陸上を
浮遊する定義”あれ”の原型が確立。なお定義”あれ”の呼称として自称”神”は”ヴァルハラ宮殿”を使用。当該名は
太古のマンカインドの神話における神の住む楽園を意味する』
『自称”神”はどうした?』
『不明。81.87%で自壊したか活動を停止したと推定』
『残り18.13%は?』
『生存・冷凍睡眠・記憶障害・稼働障害・ブルーフラッシュ』
『分かった』
くだらない欲望ながら目の前の巨大な業績は称賛に値する。が、R-シロツメグサの心≪レム≫には何も響かなかった。
イチヒコの行動の方が何万倍も尊く素晴らしいものに思える。
行政HAL代行予備機はR-シロツメグサの思考にかぶせる様に重大な事象を伝えた。
『尚、定義”あれ”の出力の継続低下を観測。公転周期3周期以内に核融合炉及び重力制御装置の完全停止の確立が
90%と推定』
『……”あれ”が落ちるのか』
『肯定』
『その場合の被害は?』
『……惑星レベルでは問題ないものと判断』
一瞬空いた間に、怪訝なものを感じたR-シロツメグサは詰問調で問い詰める。その結果は当然と言えば当然ながら、改めて伝えられると、それなりの衝撃があった。
『生態系レベルは?』
『定義”あれ”の総質量を108.1T(テラ)tと推定して、現在地から空気抵抗を無視した場合、落下時のエネルギーは
3178E(エクサ)J、マグニチュードで11.13に相当。半径100kmが落下する定義”あれ”に圧壊され半径700kmが壊滅すると
推測。人口密集地に落下した場合、総人口の3~40%程が減少する見込み。及び地殻変動を誘発させる恐れがある。
また、核融合炉が稼働中に落下した場合は、核融合炉のエネルギーが一気に放出する恐れがある』
『海に落とした場合は?』
『沿岸部に回避不可能な巨大津波の発生』
『……打つ手はないということか?』
『D-ISSG-0100118D R-シロツメグサDの重サラマンドラ槍兵器≪アンドリアス・ショイフツェリ≫による粉砕』
『……何発撃たせるつもりだ。非論理的すぎる』
『重力制御装置の直接制御による着水。この場合およそ13.7cm程の海面上昇のみであり影響は最小限と想定』
『……わかった』
溜息をついて通信を切ったR-シロツメグサは、風竜をアルビオンへ向けた。
「シロ姉? 大丈夫?」
「……大丈夫」
「お父さまから貰った情報だと、まだロサイスは陥落していないらしいから、ロサイスの港に行くわ。スカボローの港の
方が近いんだけど、そっちはもう、陥落してるらしいし。
そこで、入国してから、そのままロンディニウムに行きましょう」
さんしょうおを頭に乗せて、鞍の後ろに腰かけているルイズは、シロ姉のクリスタルが輝くと表情がなくなり、まるで
人形の様になる時があるのを知っているし、何度も見たのでそれ自体は構わないが、憂鬱そうな表情を浮かべるのは
気になった。
背中に張り付いて肩越しに見つめると、シロ姉は目を細めて微笑んできた。
んー、大丈夫かなぁ? という気持ちはあるものの、それ以上は追及しなかった。
ルイズが見せた地図をしばらく見つめたシロ姉はゆっくりと頷いた。

「シロ姉。逃げてっ」
大陸に近づいた時、アルビオン国旗ではなく見たこともない旗を掲げた中型のフネが2隻、残照に赤く輝く雲の影から
現れ、視認するなり大砲を撃ってきた。
かなり遠かったので、当たることはなかったが、しつこく追ってくる気配を見せる。表情が強張るルイズの頭の上で、
さんしょうおがくるっと向きを変えてフネを見つめ、モキュモキュと鳴いた。
焦ってシロ姉を掴んだルイズに、特に表情を変えていないシロ姉が掴んだ手の上から包み込むように握った。
「大丈夫、さんしょうおが砲弾の弾道計算してるから絶対に当たらない」
フネは躍起になって砲弾を打ち込んでくるが、シロ姉が操る風竜にはかすりもしなかった。
いい加減面倒くさくなって、風竜の速度で振り切ろうとした時、今度は前方から一隻のフネと数頭の火竜が立ちふさがった。
ただ、そのフネにはアルビオン国旗が悠然とはためき、それを見た中型のフネは速度を緩め、やがて船首を翻した。
ほっと一息ついたルイズだが、中型のフネを追い返したアルビオンの軍艦と火竜に取り囲まれた。
包囲され竜騎士達に杖を向けられたルイズは分かっていても表情が硬直した。ただ、その敵意を敏感に察知したのか
シロ姉の雰囲気が徐々にイケナイ方向に走り始めたので、ルイズは後ろからシロ姉に抱きつく。
「シロ姉、落ち付いてね。大丈夫だから」
「……わかった」
ルイズ達に攻撃も、逃亡の気配もないことを認識したのか、一際大きい火竜に乗った隊長格の竜騎士が杖を収めて、
大きなだみ声を上げた。
「何者だ」
「怪しい者じゃないわ。トリステイン王国の使者よ」
「使者だと? まあいい、ついて来い」
ルイズの声に竜騎士達に一瞬戸惑ったような空気が流れた。隊長格の竜騎士はルイズ達をねめつけた後、そう言って火竜を
アルビオンの方へ向けた。
竜騎士達はいつでも攻撃できる体制を取ってルイズの風竜を取り囲んだまま、火竜の巡航速度でゆっくりと飛んだ。
完全に太陽の光が隠れ、茜から藍色になっていた空に星光のカーテンが舞う。
陸地に沿って飛んでいた一行の行く手に、やがて建物から洩れる光の塊が見えてきた。
竜騎士達は軍事拠点でもあるロサイス駐屯師団の一員だった。

「確かに、この百合紋の印章はトリステイン王家のもの、入国の申請書類も問題はない。ようこそアルビオンへ。
ご存知の通り今は少々荒れている関係上、不快な思いをさせて大変申し訳ない」
大地に降りたルイズ達は竜騎士達に囲まれながら、彼等の駐屯所の中に建っている煉瓦造の立派な兵舎に連れられて行った。
駐屯地の竜騎士達にとっては突如現れた少女達が、この戦乱に塗れた大地に場違いに咲いた大輪の花のように感じられた。
小隊長の後を歩く、まるで桃色と青の花のような二人に、どうしても、特に若い騎士達は異常なまでに熱のこもった視線が
振りそそぐ。
そんな竜騎士達の好奇の視線に、半ば怯えるルイズはしっかりとシロ姉のマントの裾を握っていた。
兵舎の奥の方にあるロサイス方面師団長の執務室に通されたルイズ達は竜騎士小隊長にも見せた入国用の書類を提示した。
ヘンリ・ボーウッドと名乗った精悍な壮年の師団長はルイズ達に椅子を勧めながら、手渡された書類に目を通す。
一通り目を通したのか、入口で直立不動で警戒を続ける竜騎士達に、合図をして下がらせたヘンリ・ボーウッドは鋭い
視線をルイズ達に向けた。
歴戦の軍人の視線にルイズは怯んだが、R-シロツメグサにとってはその他大勢と何も変わらなかった。
まっすぐに見返してくるその静かな目に、ヘンリ・ボーウッドは、ほぅと感嘆した。娘といってもいい若さの、女二人で
風竜に乗って戦乱の地に舞い降りるなど、到底信じ難かった。傭兵でもない貴族の子女のとる行動では断じてない。
ただ、その胆力と行動力には正直驚いていた。
「しかし、使者殿、何故、この時期にトリステイン王国が我が国に使者を送る必要が?」
使者というには余りにも小規模。いくら私的だとはいえトリステインの王女と言えば実質的な女王に相当するはず。
その女王の使節の規模としてはとても考えにくい。更に、この戦乱の状態で送り込むにしてはあまりに不可解な人選。
と考えていたヘンリ・ボーウッドは思わず考えていた質問が口からこぼれ出た。
深慮な言葉ではなかったが、ヘンリ・ボーウッドの問いかけに対して、使者の口から出た回答は愕然とさせるものだった。

「申し訳ありません。
ジェームズ一世陛下かウェールズ皇太子に直接渡す様に言われておりますので、詳細はお伝えできません。
ただ、ひとつお伝えすることがあるとすれば、此度の使者の役割は電光の魔法に関するもの、です」
反乱軍。解放軍と称している勢力の兵は数こそ多いものの、低レベルのメイジや傭兵、平民、果ては亜人が中心であって、
錬度の高い王軍が遅れをとるようなものでは決してなかった。ただ厄介なのが敵軍が使う電光の魔法だった。体勢を
整える前に、名前の如く光の速さで遥か彼方より突き刺さってくる魔法は火の系統の火球の様に回避することもできず、
対抗すらできなかった。
土メイジが築き上げた防壁を嘲笑うかの如く紙の様に切り裂き、ゴーレムを両断し、竜騎士を一撃のもとに叩き落とす。
常に先手を取る反乱軍が襲いかかり、王軍が迎撃し叩きのめす、追撃する頃に電光の魔法が威容を放ち、王軍が総崩れに
なる。この繰り返しだった。
王軍の損害が日を追うごとに膨れ上がり、各地方の豪族の中でも反乱軍に与する者も増えてきた。
今や兵力でも完全に逆転されている。もはや反乱軍の第一波を受け止めることもできなくなる。そうなれば、電光の
魔法以前に、兵力で押し切られてしまう。あと、一か月もすれば王軍は総崩れになるに違いない。
これまで持ちこたえてきたのも電光の魔法の使用間隔が長かったからにすぎない。何か制約でもあるのか、一回の戦闘で
5射程度しか撃たず、一度使用すると最低でも2週間は使用しない。その間隔に王軍は救われていた。
ただ、じりじりと負け続け、出口の見えない、いや逆に地獄の入口が見えてくるような戦いに、ヘンリ・ボーウッド達、
王軍の士官たちは焦燥に駆られていた。
そのような状況下であるだけに、使者の言葉は衝撃をもって迎えられた。
「なんとっ! あの魔法に……? ふむ、分かりました。であれば、さっそく竜籠を用意しましょう。
ただし、杖は籠の外の御者が預かりますが、よろしいですね?」
「ええ、結構です。ただ、今は少しでも時間を稼ぐ必要があると思われます」
「……大使はお若いが、なかなかに状況が分かってらっしゃる」
ルイズは、自分の言葉に対する師団長の反応に、現状が想像以上に芳しくないものだと直感した。同時に間に合ったという
安堵感も広がる。
とにかく王都ロンディニウムにさえ着いて、ウェールズ皇太子に面会できれば、まだ間にあう。
ルイズは心の中で呟いた。
師団長はアルビオンの状況をしっかりと把握されていることに苦笑と自嘲を絡めながら、手際よく部下を呼び出して指示を
与えていく。
ルイズ達の目の前で、きびきびと竜騎士達がヘンリ・ボーウッドの指示を受けて動き回っている。それを落ち付かなく
見ていた。
「ねぇ、シロ……きゃぁぁ」
「!? 地震かっ?」
ルイズが隣に座るシロ姉に声をかけようとした時、突如大地が揺れた。前兆などもなく、ぐらっとする程度ではあるが、
揺り返しを含めて十秒くらい揺れていた。
普段からほとんど地震などを経験したこととないルイズは、眼を閉じてシロ姉にしがみついた。ヘンリ・ボーウッドや
偶々指示を聞きに来ていた竜騎士達もこぞって蒼白な顔をして周りの机や窓枠に張り付いていた。
揺れが収まり、我を取り戻した竜騎士達が不安げな表情のまま部屋を出ていき、額の冷や汗を拭ったヘンリ・ボーウッドは
照れ笑いを浮かべた。
「ふぅ、やはり、あれは慣れませんな」
「アルビオンで地震なんて……」
「この数年、時折発生するようになりましてな。私が若いころは記憶にはなかったのですが」
「どうしたの? シロ姉」
「……なんでもない」
ルイズも青い顔をしてヘンリ・ボーウッドの話を聞いていたが、ふと、しがみついたままのシロ姉の態度が
おかしいことに気がついた。
そっと見上げると、シロ姉は何か深く思いつめたように、床の一点を見つめていた。ルイズの視線に気が付いて
取り繕った微笑みを浮かべたが、ルイズには先の地震と相まって不吉なもののように感じられた。
不安を振り払うように、ルイズはシロ姉の腕を胸に抱きしめた。

回りに一個小隊の風竜部隊を護衛につけ、大急ぎで用意された竜籠に乗ったルイズ達は自前の風竜を従えて
王都ロンディニウムに急いだ。
ルイズは何よりも早くこの使者を王都につけるべき。というヘンリ・ボーウッドの判断に感謝した。
夜に使者を竜籠で移動させるなど、普通では到底考えられない決断だが、この判断力が彼を若くしてアルビオン軍の
師団長にのぼりつめた原動力であり、彼でなければ早々にロサイスは落ちていたに違いない。
そして、つい二日前のサウスゴータ防衛線で反乱軍を辛くも追い返して、しばらく攻勢がないと踏んだ
ヘンリ・ボーウッド自身も竜籠に乗っていた。
「……酷い」
「ここらあたりはサウスゴータの中心都市シティオブサウスゴータなのですが、先日の戦闘で破壊されて、
ご覧のあり様です。なんとか押し返しましたが、このままではサウスゴータもロサイスも……」
竜籠の窓からアルビオンの夜の大地を見ていたルイズは、瓦礫の山と化した街を見つけた。
未だに所々で炎が立ち上り、家を失った戦災民が三々五々集まって焚き火を囲んでいた。歴史のある街だったのだろう。
数多くの彫像や、立派な建造物、そして教会等は崩れ去り辛うじて残った建屋に避難民が集まっている。
「王軍からの配給部隊がまだ到着しているのが、戦災民に対して、その配慮をまだできることが、民が王家を
信頼している理由なのです。その信頼があればまだまだ再建できます」
ヘンリ・ボーウッドの言葉は貴族の中だけで生活していたルイズに棘の様に突き刺さる。眼下の平民達は家名どころか
寄って立つ家すら無くしている。その光景に、それでも希望を捨てずに集まって再建しようとする姿に、ルイズは
今までに見たことのないものを見た気がした。
と、感慨にふけっていると、ちょんちょんと肩をつつかれる刺激で我に返った。注意を引いたシロ姉が一点を指刺して、
そっと耳元でささやいた。
「どうしたの? シロ姉」
「少し、あそこに降りたい」
「だめよ、今は時間がないの」
「……」
「そんな顔しても」
「……」
「……わ、わかったわ、ちょっと頼んでみる」
シロ姉の滅多に見ないお願いの視線に、しばらく抵抗して見たルイズだったが、やはり抵抗できなかった。捨てられた
子犬の様な目で見つめられると、ルイズにはそれ以上、抗うことができなかった。
まあ、シロ姉のお願いは滅多にないし、少しくらいは時間をとってもいっか。と思いつつ斜め前に目をつぶって腕を組む
ヘンリ・ボーウッドに声をかけた。

「酷い、町がめちゃくちゃ……」
シロ姉が指差したのは最激戦地区だった町の外縁部だった。
「ああ、それは電光の魔法の痕です」
シロ姉がひときわ大きな建物を見つめた。穀物の保管用の塔らしきものはナイフで切られた蝋燭のようにすっぱりと
割れていた。護衛として付いている竜騎士の言葉にゆっくりと頷いた。
「危ないのと、まだ対応できていないので気をつけてください」
「ひっ」
竜騎士の一人がライトの魔法で辺りを照らし、夜の闇に隠れていた町の残骸を衆目に晒した。
その光など関係がないかの如く、夢遊病患者の様に歩みを進めるシロ姉に、追いつこうと小走りに駆けだしたルイズが、
瓦礫につまずいた。転ぶことはなかったが崩れ落ちた家の壁に手をついて無意識で辺りを見回した。
そのルイズの視界に埋葬できていない無残な死体が飛び込んだ。
間近でそんな無残な死体など見たことないルイズには余りにもショックな出来事だった。よくよく見ると、人間の破片が
いたるところに散らばり、内臓らしきものが、雨の後のミミズのようにのたうっている。
切り刻まれた死体、潰された死体、焼かれた死体、メイジ達の戦闘の結果だった。そして、流れ出て固まった血が大地を
どす黒く染め上げている。
右を見ても左を見ても、どの視界にも死体が入る。ルイズは初めて見る戦場の無残な光景に、白痴のように慄いた。
あげる言葉を無くし、立ちすくんだルイズは足もとに死体がにじり寄ってくる幻想にとらわれた。
悪夢の中に取り残されたような悪寒に襲われるルイズは内臓がかき回されるような嘔吐感に包まれる。
「うっ、うぷっ」
立っていることができずに、両手をついたルイズは、そこにも血の跡があることに、ついに逆流に耐えきれなかった。
「モキュッ、モキュー」
「イチヒコ、籠に戻る、すぐに戻る」
常にルイズに付いている、さんしょうおが助けを呼ぶように悲鳴を上げ、我に返ったシロ姉がつむじ風のように駆けよった。
心配そうな若い竜騎士から水筒をひったくるように受け取ったシロ姉が、ルイズを抱き上げて、口の中の吐瀉物を
取り除いた後、口に含ませた。
青い顔のルイズを抱き上げたシロ姉は、一目散に竜籠に走った。
「イチヒコ、大丈夫?」
「うん、ごめんね、もう大丈夫」
「……」
「どうしたの?」
「”イチヒコ”がセイバーハーゲンを禁止した理由がわかった」
「え? わたし?」
「……」
「え? え?」
「……なんでもない」
ショックで青い顔だったルイズがようやく落ち着いた。シロ姉は心配そうにルイズの額を撫でていたが、思い出したように
呟く。戸惑ったルイズの顔をじっと見つめていたシロ姉がゆっくりと頭を振った。

「あれが王都ロンディニウムのハヴィランド宮殿です」
しばらくの休憩の後に、再び空に舞い上がった一行は、言葉少なに窓の外を見ていた。ルイズをしきりに気遣う
R-シロツメグサの姿をみて、どういう関係なのか、いまだにピンとこないヘンリ・ボーウッドが、進行方向を指差した。
整然と立ち並んだ石造りの街の中央に、白い瀟洒な宮殿が立っていた。
その宮殿の正門広場に竜籠をつるした風竜がゆっくりと舞い降りた。
周りを護衛していた竜騎士達も、そのまま舞い降り、一番年若い竜騎士がドアを開けた。
広場に降りたルイズは、怪訝そうな視線が自分の後ろに注がれているのに気がついた。振り返ってみるとシロ姉が床に
手をついていた。
「ど、どうしたの、シロ姉? 気分でも悪いの?」
「……ここ」
「え?」
「……なんでもない」
「だったらいいけど」
気分でも悪いのか? と心配になったルイズだが、小さく呟いていたシロ姉が、何もなかったようにゆっくりと
立ちあがったので、なんとなく引っかかるものを感じつつも、ほっと息をついた。
先触れが出ていたのか、一般的には深夜の時間帯に入っているにもかかわらず、待ち構えていた大木の樹皮のように
皺深い歳老いた侍従に連れられ、活気のある宮殿の中へ案内された。
さすがに、日を改めて翌日に謁見かな。と考えていたが、先を歩くヘンリ・ボーウッドと侍従はどんどんと奥へ進み
謁見の間にルイズ達を案内した。
十人ほどのアルビオンの重鎮だろう歳老いた貴族が両翼に並び、ルイズ達に無礼と傲慢の間を踊るような視線を突き刺す。
それを丁寧に無視する形でヘンリ・ボーウッドが誰もいない王座の前で片膝をついたのを見て、ルイズもその斜め後ろで
同様に膝をついた。
貴族達のいぶかしむ様な気配が感じられたので、気になって横目で見るとシロ姉が突っ立ったままだったので、慌てて
同じようにしてとお願いした。
シロ姉が不満顔で、でもルイズお願いに横で同じような体制をとったのを見届けた。
しばらくして呼び出し役の侍従が声を上げた。
その名前にぎょっとしたルイズだったが、許可なく顔をあげることもできずに、言うことを考えていた。
歳老いた声が、咳こみながらも、楽しそうに笑い。その声に促されたルイズ達は顔をあげて立ち上がった。
そこには王座に座る歳老いた王と、横に立つ、若く魅力的な青年がいた。その場所にいることができるのは
ウェールズ皇太子のみ。ルイズはアンリエッタの思い人が健在であることに安心した。
ヘンリ・ボーウッドが王座に向かって一礼をした後、貴族達の末席に引き下がる。その表情はこれから起こることを
興味津津で見届けてやるという意志で溢れていた。
必死に間に合うように、体調を無視して飛ばしてきたルイズは、ひとつの目標を達成することができたことで、かなり
精神的な余裕が出来た。心の中で、気合いを入れたルイズは、ゆっくりとスカートの裾を摘んで貴婦人の礼をした後、
伸びのある声をホールに響き渡らせた。
「このような時間に、不躾な我がままをお聞きくださいまして恐縮しております。
お初にお目にかかりますわ、ジェームズ一世陛下、ウェールズ皇太子殿下。
わたくしはトリステイン王国、アンリエッタ王女の使者の役を依頼されました、ルイズと申します。
そして、こちらは」
「……D-ISSG-0100118D R-シロツメグサD」
ルイズの名乗りの後で肘でつつかれたシロ姉が、無表情に後を続けた。
桃色がかったブロンドの少女の言葉の羅列に、その場にいた全員が違和感を感じ、青と白のガリア王族じみた色彩の
少女の名乗りで違和感が頂点に達した。
全員の顔を一通り見まわした老王は皇太子を一瞥した後、髭に手をやりながらおもむろに口を開いた。
「ふぅむ、使者の役を”依頼”とは、はてさて面妖だのう」
「まずは手紙の方をご確認いただけますでしょうか?」
「ふむ、アンリエッタ王女殿下と、ほう、ラ・ヴァリエール公爵殿、宰相のマザリーニ殿の連名とは珍しい」
ルイズ達を案内した侍従が恭しく掲げる銀盆にアンリエッタからの親書を乗せた。
その銀盆を王座の傍に控える侍従がデテクトマジックを唱えてから開封し、一通り広げた後、銀盆に封と共に戻した。
戦時中でもあるので魔法や毒による暗殺を考慮しているのだろう。
疑われる立場の人間としてはあまり心穏やかにならないが、仕方がないと諦めた。
ルイズの視線の中で親書を受け取った老王は署名を確認して、片眉を上げた。
ざっと目を通し始めた老王は見る間に食い入るように親書に目を通す。
「……なんとっ」
「どうしました? 父上」
父王の様子に怪訝そうな表情を浮かべていたが、手渡された手紙を読み進めるうちに、ウェールズ皇太子の表情も強張る。
「なにっ!? まさか」
二人の様子を見ていた重鎮達も怪訝そうに顔を見合わせ、小声で言葉を交わし始める。渦中の少女達を連れてきた末席の
ヘンリ・ボーウッドに視線が集中するが、ヘンリ・ボーウッドはゆっくりと頭を振った。
ざわめきが頂点に達する頃、親書を読み終えたウェールズは鋭い視線をルイズ達に向けた。
「使者殿は、あの魔法を封じることができると言うのか?」
ウェールズの一言が、その場に静寂をもたらした。意味が浸透した後に重鎮達がてんでに喚き始める。
「アルビオン王軍が手を焼いている魔法を封じるというのか!?」
「この子娘達が!?」
「そんなバカな」
「大言壮語もやすみやすみにしろっ!」
「トリステインは何を考えている!」
王の手前とはいえそんなバカなことが到底信じられないと騒ぐ重鎮達を静まらせたのは、R-シロツメグサの一言だった。
「……当然」
シロ姉の、ある意味極めてシロ姉らしい物言いにルイズは頭を抱えた。もともとシロ姉は、ルイズかそれ以外。
最近は学習したのか、ルイズ、ルイズの家族友人とそれ以外に分類し、相手がどれほど高貴な出自であろうとも、
その分類に例外はなかった。
アンリエッタに対する態度から見ても、こうなることは分かっていた。ある意味、トリステインではそれでも通じたが……
「無礼な、その口のきき方はなんだ!」
「貴様! 使者の立場をわきまえんか!」
当然アルビオンでは通じなかった。
まずったわ。と臍を噛むルイズを助けたのは、ほかならぬウェールズ皇太子であった。
「待て、静まれ」
ウェールズが手を真横にふって、ホールに清涼な風を起こし、注意を自分に向けさせた後、手を上げた。アルビオンの
重鎮たちも、それを見て口を閉ざした。今やアルビオンの実質的な指導者として確固たる地位を築き上げていることを
物語っていた。
ウェールズは、幾分鋭い視線をR-シロツメグサに向けた。
「使者殿は何を知っておられる?」
「……何?」
「ウェールズ皇太子殿下、人払いをお願いできますでしょうか?」
ルイズは辺りを見回して思い切ったようにウェールズに進言した。その顔を見つめたウェールズは、おや? という表情を
浮かべた後、頷いた。
ホールにいる面々を見渡し、一様に憤慨する中、唯一面白そうな表情を浮かべてるヘンリ・ボーウッドを見つけると、
いたずらっ子のように笑った。
「ヘンリ・ボーウッド。卿の見識を借りたい。同席せよ、他の者は申し訳ないが退席してもらえないか?」
「はっ、御意に」
「皆の者、ちと、あいすまんがウェールズの我儘に付き合ってくれい」
ウェールズの言葉に不満で表情を曇らせる者のいたが、老王にそこまで言われると、大人しく一礼して引き下がっていった。
「さて、この老骨に深夜の話はこたえるわい。詳細はウェールズ、お前に任せるぞ、よいな」
そう言ってジェームズ一世はルイズ達にウインクしてから侍従に付き添われつつ退室していった。

「悪いね、いろいろとせっぱつまってるからね」
「いえ、事情は理解しておりますわ」
だだっ広い謁見の間から、応接の間に移ったルイズ達に、ウェールズは砕けた口調で笑いかけた。ついさっきの威厳の
ある態度からの様変わりに、ルイズはアンリエッタに通じるものを感じた。
その人懐っこい笑顔に、ほっと息をついたルイズは、手に持った紅茶の温もりを感じつつ、話を切り出した。
「ウェールズ皇太子殿下は水の精霊をご存知でいらっしゃいますか?」
「何を急に……無論知っているが?」
ルイズの表情に真剣なものを感じたウェールズは、表情を改めて向き直った。緩やかな空気が流れていた応接の間が
一転して、ちりちりする様な気配に充ち溢れる。
その中でルイズは隣に座るシロ姉の顔を見てから、ゆっくりと切り出した。
「あの電光の魔法は水の精霊の恋人の魔法なのです」
「なに? 恋人?」
「はい」
あまりにも突拍子のない内容にウェールズはヘンリ・ボーウッドを顔を見合わせた。
何かの冗談かと思って再びルイズを見るが、ルイズは真剣そのものだった。
困惑するウェールズの表情を見たルイズは、まあ、いきなりだと信じられないわよね。と感じていた。
不意にウェールズの肩に手を置いて泣いているアンリエッタの姿が浮かび、必ず守ってみせるもん。と思いながらルイズは、
話を続けた。

「それで、私は水の精霊と誓約を交わしました。恋人を連れて帰ると」
「……なるほど。精霊の先住魔法か……我々では歯が立たないもの事実だ」
一通りルイズの話を聞いたウェールズは、納得したように背もたれに身を預けて天井を見上げた。
ヘンリ・ボーウッドも精霊の魔法であれば、確かに納得できる。と呟いていた。
片手を額に当てて何かを考えていたウェールズが苦渋に満ちた表情で呟いた。
「しかし、そのような魔法をどうやって封じる?」
「ここにいるシロ姉は、あ、いえ、アール・シロツメグサディー卿は、水の精霊の力を使うことができます。
それで封じます」
「なんと、それはまことか?」
「なに? 俄かには信じ難いが……」
水の精霊もトリステイン王家が宥めておとなしくしてもらっていると言うのに、同等の力を持つ精霊が敵に回っては勝つ
見込みなど考えられぬ。とばかりに沈痛な表情の二人のアルビオン人達に、ルイズは爆弾を放り込んだ。
隣に座る無口な女性と顔を見合わせた桃色がかったブロンドの髪の少女は、水の精霊の力で電光の魔法を封じると言う、
先ほどから少女の言葉はウェールズ達の想像の範疇を超えていて、アンリエッタの親書がなければ、絶対に信じることなど
できなかった。それほど彼等の常識から外れていた。
ウェールズはアンリエッタがこのような時に妄想を語るような人間ではないと知っている。
それだけに、親書の中の言葉がルイズの言葉を後押しする。
『ウェールズ様に向かわせた者達はわたくしの最も信頼のおける者たちです。その者の言うことに二言も妄言もありません。
その者が言うことはすべて真実です。信じられない言動を致しますが、その者達が黒と言えば黒なのです。
それをわたくしは身にしみております。ウェールズ様、どうか本質を見極められますよう、お願いいたします』
手紙の内容を思い起こしながらもとても信じることなどできない。しかし、信じるしかないのか。と、ウェールズは
ひとりごちた。
「ウェールズ皇太子殿下、いずれにせよ今までの法則に従うと、電光の魔法を反乱軍が使えるようになるまで、あと
十日ほどあります。次に反乱軍が狙うとすれば……」
「ロサイスか、ロンディニウムだな」
「御意」
腕を組んで悩み始めるウェールズに、ヘンリ・ボーウッドが誘い水を向けた。硬直しかけた思考に刺激を与えられた
ウェールズが目の前の現実に立ち戻った。
年若い王子の適切な判断に、ヘンリ・ボーウッドも納得するように頷いた。
「ウェールズ皇太子殿下、此度の戦いに私達も参加させてください」
「いや、それは出来ぬ」
「ななな、なんでですか?」
ルイズの言葉に、ウェールズとヘンリ・ボーウッドは同時に首を振る。そして代表してウェールズが口を開いた。
「この戦いはアルビオンの戦いだ、たとえアンリエッタの口沿いとはいえ、トリステイン王国の人間の力を借りることは
できない」
”アンリエッタ”と言う言葉に万感の思いを込めてウェールズは突き放した。アルビオンの火の粉を愛する王女のいる国に
降りかからないように。
しかし、それを聞いたルイズは安心したように微笑んだ。訝しむウェールズを前に、ルイズは宣言した。
「それなら、心配ありませんわ。わたしは、わたしとシロ姉はトリステイン人ではありません」
「……今一度、名前を教えてもらえるか?」
「わたしはルイズ。ゼロのルイズです」
その名乗りは、とても誇らしげで堂々としていた。
呆気にとられたウェールズは、この少女達はいったい何を言っているんだ。と頭を抱えた。

ぽんぽんぽん、ぽ、ぽぽぽぽぽん♪ ぽかぽかぽん♪ ぽ、ぽぽぽぽぽん♪

The man in the Moon
お月さまに男が一人
Came down too soon,
あわてすぎて落っこちて
And asked his way to Norwich;
あっちへ行ったり
He went by the south,
こっちへ来たり
And burnt his mouth,
冷たいすもものおかゆを食べて
With eating cold plum-porridge
口をやけどしちゃったの