るるる-17

Now I lay me down to sleep,
これから私は眠ります
I pray the Lord my soul to keep,
神様、私の魂を、お守りください
And if I should die before I wake,
もし、目覚める前に、死んだなら
I pray the Lord my soul to take.
神様、どうか、私の魂を救ってください

ぽろんぽろんぽろん、ぽろんぽろんぽろん、ぽろんぽろんぽろんぽん♪
ぽろんぽろんぽろん、ぽろんぽろんぽろん、ぽろんぽろんぽろんぽん♪

深緑の針葉樹の森に囲まれたツェルプストーの城下町は、日が落ちて茜色に彩られていくにつれ、世界から徐々に切り
離されるような雰囲気を醸し出す。その周りの物悲しさを紛らわすかのように、住民たちは煌々と明かりをつけ、篝火を
灯し、テーブルや酒樽を軒先に広げはじめる。
トリステインの祭の光景が、ここツェルプストーでは、ほぼ毎日のように繰り広げられていた。
住民の嬌声や陽気な歌が風に乗って城に届き、モンモランシーは、キュルケの情熱の源泉を垣間見た様な気になった。
そして、そのモンモランシーはフォン・ツェルプストーの城の尖塔の最上階にある、前衛芸術に囲まれた応接間の、
豪勢な白虎の毛皮のソファーに、この上もなく居心地の悪い想いを抱えながら座っていた。
手持無沙汰で香水の瓶をいじっていたモンモランシーは、ふと居心地が悪くなってしまう元凶が腰かけている窓を見た。
開け広げた窓からは、夕焼けに染まった茜色と星が煌く藍色の混ざり合った美しい景色が広がっていた。

キュルケは実家に帰るなり、自分の父親の執務室の扉を破壊せんばかりに開け広げ、娘のお願いという名目の直談判を
繰り広げた。
たまたま雑用で同室していた執事が『あれはお願いという表現ではなく、脅迫というのが一番しっくりきます』と後に
語ったように、手段を選らばずにキュルケは自分の意志を押し通した。
なんだかんだ言っても娘に甘い父親は、最後には折れてオルレアン一家を保護することに同意した。
キュルケ個人の采配で動かせる、と言うよりキュルケ個人につけられていた衛士を、そのまま一家の護衛に回し、
奥まった城の一室を割り当てることになった。
娘が感謝の意を込めて父親に抱きつき、思わぬプレゼントに目じりと鼻の下がだらしなく歪む当主の姿がそこにあった。
キュルケは侍従達にオルレアン一家に対する指示を矢継ぎ早に出した後、タバサを連れて客人達の待つ応接間に向かった。
「ごめん、遅くなったわね」
キュルケは縋るような目で自分を見つめてくるモンモランシーと、もう一人の客人に目を向ける。
正体不明の人間と二人っきりになるのは、モンモランシーにはちょっときつかったかな。と一人ごちたキュルケは横目に
客人を見た。銀色の髪をツインテールでくくっている褐色の少女は、白いマントを風に靡かせながら、腰窓の窓枠に
座って足をぶらぶらとさせ、子供の無邪気な様子を見つめる様な眼差しで外のの光景を見つめていた。
R-タンポポの表情になんとなく年相応ではないものを感じながらも、応接間のソファに腰をおろしたキュルケは、侍従が
用意していたワインをクーラーから取り出してグラスに注ぐ。タバサにそのグラスを向けるが、タバサはゆっくりと首を
振った。
「本当にいいの? タバサ」
「……いい」
無表情な中にも凛とした雰囲気を纏ったタバサが静かに呟き、心配げなキュルケの視線に、氷の中の炎のように決意の
こもった目で見返した。
一家の保護が決まった後、タバサはツェルプストーの城に居座ることを良しとしなかった。母親の世話は、以前と
同じように、はるばる連れてくることになった信頼のおける老いた侍女とペルスランにまかせると言いだした。
翻意を促したが、『前からそうだった』と言われるとキュルケも無理に止めることはなかった。
せっかく回復した母親と一緒にいた方がいいだろうに。という配慮は、自分達を救ってくれた友人とその使い魔に、
『ちゃんと、ありがとうを言えていない』という言葉の前には無力だった。
ほんとに律儀ねえ。という思いもあるが、キュルケにはタバサがそう言いだすことは何となくわかっていた。
キュルケは苦笑を浮かべてワインを軽く口に含み、しどけなくソファに体を預けた。
どうだったの? というモンモランシーの言葉に、簡単に状況を説明したキュルケは、ゆっくりを身を起こして、窓枠に
座って外を見ている少女に向き直った。
「さて、ごめんなさい。というべきかしらね。待ってもらって」
「謝罪を受け入れよう。と言っても、ぼくは別に目的はないからかまわないけどね」
「……そう、ありがとう。そう言ってもらえると助かるわ」
キュルケの言葉を引き金に、ゆっくりと顔を巡らせたR-タンポポは軽く微笑んだ。
ある意味あどけない表情と、貴族の城の中でメイジに囲まれているにも関わらず、恐怖の欠片も何も感じていない様子に、
キュルケは今さらながらに、強い違和感を感じていた。
どう見てもタバサより幼い少女にしか見えない。なのに、この自信はなに?
確かに、そこらの少女と違って、幼いながらも姿形は非凡なものがある。将来は傾国の美女になることが、容易に分かるほど
整った顔立ちをしているうえ、紫の瞳と同じ色の額の宝石という、特殊な装飾が作り出している雰囲気は尋常なものでは
なかった。
キュルケには学院の教師の誰よりも、目の前の少女に強烈な存在感を感じていた。それこそルイズの使い魔というシロ姉に
あった時と同じような印象を。
タバサもモンモランシーも、似たような感覚を持っているのか、二人とも杖を膝の上に置いて、しっかりと握っていた。
「一つ、聞かせてもらえるかしら?」
「どうぞ」
キュルケは自分の口が、知らない間にからからに乾いているのに気がついた。手に持った空のワイングラスにボトルから
貴族の子女らしからぬ乱暴な手つきでワインを注ぐ。
軽く口をつけて、湿らした後グラスをテーブルに置いた。
「貴女は、いえ、貴女方は一体何者なの?」
「あなた”がた”?」
キュルケの問いかけに、”よっ”と可愛らしいかけ声と共に窓枠から飛び降りた銀と紫の少女は小首をかしげた。
「貴女とシロ姉、えーと名前なんだっけ? モンモランシー」
「んーと、って長いから忘れたわよっ」
キュルケの唐突な振りに、慌てたモンモランシーは少し記憶をたどる様に宙を見上げたが、キュルケと同様に”シロ姉”
しか浮かんでこなかった。キュルケの役に立たないわねぇという呟きに、あんたも覚えてなかったでしょっ!と返す。
そんな二人の掛け合い漫才を見ていたR-タンポポがぽんと手を打った。
「ああ、ひょっとして、D-ISSG-0100118D R-シロツメグサDのことかい?」
「そうそう、……やっぱり知ってるのね」
モンモランシーとの漫才の合いの手に入ってきた単語に、うんうんそれそれ。と頷きかけたキュルケだが、R-タンポポの
言葉と認識して、一瞬で表情が強張る。
一応、家同士の対立の状況もあり、ルイズの使い魔が人間と分かった時点で、一通り情報を当たって見た。普通の動物や
幻獣ならいざ知らず、ルイズの使い魔が人であることは、その人間の背後関係が影響してくる。
フォン・ツェルプストーにとって、長年対立してきた家系に新しい力が呼びこまれるのではないか? どう影響するのか?
といった判断をする必要があったからだ。
しかし、すぐに”何も分からない”ことが分かったので、調査は打ち切っていた。
だが、その誰も知らない使い魔の名前をあっさりと口にする人間がここにいた。あの文句なしに強力な使い魔に繋がる者。
同じような力を持っているのであれば、メイジに囲まれている今の状況でも平然としているのも納得できる。
場合によってはシロ姉に対抗する力となるかもしれない。キュルケはそう考えていた。
両家のバランスが傾き始めた状況を考えると、ルイズの友人としてのキュルケではなく、ラ・ヴァリエールに対する
フォン・ツェルプストーとして考えなければならないこともある。
今のぬるま湯の関係が続くのであればかまわないが、そうじゃなくなる場合、あの強力な使い魔にどのように対抗するかが、
問題になってくる。そう考えると、目の前の少女の関心を買っておくことも必要になるかもしれない。
しかし、シロ姉と合わせてラ・ヴァリエールの力になった場合はどうなるか……。
弱みを見せるわけにはいかないので、表情には内心の複雑な思考などはおくびにも出さずに平然としたままだったが、
知らずにキュルケは背筋に冷たい汗が流れていた。
「あまり会話はしなかったけど、ふるい知人だ。きみたちはどこで?」
そんな葛藤を知ってか知らずか、R-タンポポは何か懐かしいような表情を浮かべていた。
少女の口から”古い知人”という言葉を聞いたモンモランシーは眉を寄せながら、口を挟んだ。
「トリステイン魔法学院よ」
「魔法学院……ああ、思いだした。でも、不思議だな」
しばらく考え込むように、人差し指を顎に当てていたR-タンポポが、華やかな表情になったかと思うと、一転して
訝しげな表情を浮かべる。
「何が不思議なのかしら?」
「いや、一箇所に長くいるひと≪貴機≫じゃないと思ってたからね」
その場にいた三人の疑問を代表したモンモランシーの問いかけにR-タンポポは、にっこりと笑った。その屈託のない
表情に釣られるように金髪の少女は言葉を重ねる。
「ルイズの使い魔をしているわ」
「つかいま?」
「そう、知らないの?」
「よくわからないな、まあいいか」
メイジであれば常識であるはずの単語にR-タンポポが首をかしげるのを見て、モンモランシーは戸惑った。
身を乗り出して矢継ぎ早に疑問を繰り出す。
「じ、じゃあ、あなたも水の精霊の助手か何かなの?」
「”水の精霊の助手”? ……つくづくきみたちの話は理解できないな」
R-タンポポは心底理解できないかのように困惑した表情を浮かべて首を振った。シロ姉の知人であれば当然知っている
はずの単語すら知らない様子に、モンモランシーの当惑は限界に達した。音をたてて立ち上がり、R-タンポポに人差し
指を向ける。
「貴女! ひょっとしてラグドリアン湖の水の精霊すら知らないの?」
「ラグドリアン湖? ……ああ、彼のことか」
「彼?」
「なるほど」
モンモランシーにわなわなとつきつけられる指を一顧だにせずに、ぽんと手を打って一人納得しているR-タンポポを
見ていたキュルケが、髪をかき上げながら立ちあがった。
杖を向けるまではしていないが、いつでも抜ける様に体のバランスをとってR-タンポポと向き合う。
「ごめんなさいね、ちょっと分かるように説明してくれないかしら?」
その言葉をきっかけに三人の雰囲気が変わり、部屋の中の空気に緊張が充満していく。タバサもゆっくりと立ち上がる。
そんな雰囲気を気にも留めず、微笑を浮かべたまま三人の顔を一通り眺めたR-タンポポが窓辺に歩み寄って外の光景に
目を向ける。
愛おしいものを見る様に、外の景色を見つめた後、キュルケ達に向き直ったR-タンポポは少女たちの当惑を余所に、
軽く手をついて窓枠に腰かけた。形のいい口がゆっくりと開く。
幼い少女の声なのだが、まぎれもなく老成した知性を感じさせる声が応接間を神聖な場に変える。少なくともキュルケは
そう感じた。
「キュルケ、タバサ、モンモランシー」
「……なにかしら?」
「……」
「な、なによ」
唐突に名前を呼ばれた三人は、眉をあげ、目を光らせ、そして口をとがらせる。R-タンポポはそんな三人の表情に微笑を
向ける。そして、三人にとっては謎めいた質問を続ける。
”たびびと”のR-タンポポが常に感じて、常に考えていることだった。
「きみたちはこの世界をどう思う?」
「どう思うって……」
唐突かつ、壮大な問いかけにキュルケ達が戸惑いの表情を浮かべて顔を見合わせる。くすっと笑ったR-タンポポは手の
平に風景を乗せる様に掲げながら、愛おしいものを語る様に呟いた。
「ぼくは、ながいあいだこの世界を見てきた。ゆりかごの様なとてもきれいな世界をね」
「……」
「できれば、ぼくはこの世界が、ずっとこのままであって欲しいと思う」
「……どういう意味かしら? 私達はあなたの話の方が理解できないわ」
キュルケ達は、少女の様なR-タンポポの見た目と、話す内容のギャップに改めて目の前の存在の意味を考えていた。
少なくとも、この少女は自分達の常識の範疇で語れないのではないか? 老成した言動や、身にまとう雰囲気から考えても、
見た目通りの存在ではないだろう。
しかし、どう見ても愛らしい少女にしか見えない所が、どういった態度を取ればいいのか判断を惑わせる。
詰まりながら、かすれた声のキュルケに向き直ったR-タンポポは、表情を改めた。
「そうか、なら、いいかたを変えてみよう。きみたちは、今の世界をこわしたいかい?」
世界を壊す?
あっさりとそんな言葉を口にする少女は狂っているのではないか?
虚言癖のとてつもない妄想に取りつかれた哀れな少女なのではないか?
それぞれの脳裏に、そんな言葉が渦巻いていたが、R-タンポポの眼は狂人のそれには見えなかった。
「……何者?」
「ぼくはただの”たびびと”だよ」
「嘘! ふざけないで! ただの旅人なはずないわ。いい加減にしなさい!」
それまで押し黙っていたタバサの言葉に、ゆっくりを顔を巡らせたR-タンポポが青い髪の少女を見つめる。
そしてモンモランシーが悲鳴のような声を上げる。
このままでは、埒が明かないと、溜息をついたキュルケが杖を抜いて、R-タンポポにつきつけた。
「もう一度聞くわ、貴女、いったい何者?」
気の弱い男であれば、頭を抱えて蹲る程の、鋭い眼光と氷の様な声にタバサとモンモランシーも思わず動きを止めた。
キュルケとR-タンポポの間に空気を重い鉛の塊にかえるような緊張が走る。
しかし、先に表情を緩めたのはR-タンポポの方だった。
そっと目を細め、なにか遠くの大切な想い出を見る様な表情を浮かべる。
「……ふう、仕方がないね。ぼくはISAAC-1011027M R-タンポポ027、きみたちの言う始祖ブリミルの”いもうと”の
姉にあたるモノだよ」
キュルケ達は一瞬、R-タンポポの言葉が理解できなかった。頭が理解することを拒否していた。
「そ、そんなっ」
「嘘っ」
「!?」
ハルケギニアの人間にとって、始祖ブリミルとは、神聖なものであり、そして謎めいた存在であった。
歴史の中で突如として現れ、突如として消えていった、神話の世界の存在。系統の魔法を生み出し、虚無の魔法を
駆使した最強かつ最古のメイジ。
四人の強力な使い魔を駆使した唯一なる存在。古王国たるトリステイン、ガリア、アルビオン、そしてロマリアは始祖の子、
弟子によって建国されたと伝説に語られる。
ただ、それ以上の細かい始祖像は一気に希薄となってしまう。性別も確たる証拠も描写も伝わっていない。始祖象ですら
人型である以上の細かい造形もない。いつ生まれたのか、いつ死んだのか。
子供がいたことは分かっているが、それ以外の家族構成はどうだったのか。
始祖の研究と信仰の要たるロマリアの宗教庁ですら、その点についての公式見解は出ていない。
そんな敬愛を受けつつも、陽炎の様な存在である始祖の家族であると目の前の少女は言う。
始祖の妹の姉という微妙な言い回しをしているが、それは普通、始祖の姉と言うべきではないのだろうか?
だが、いくらなんでもキュルケ達には信じられなかった。
「ば、馬鹿にしないでよっ! 始祖ブリミルって言ったら六千年も前の伝説の人じゃない!」
「そ、それにブリミルに妹がいたなんて聞いたことないわ!」
「きみたちにとってはそうだね」
モンモランシーの悲鳴じみた声、狼狽した様なキュルケの声が木霊する応接間でR-タンポポは一人静かに透明な微笑みを
浮かべていた。部屋を照らすランプの揺れる光だけが揺らめいている。
誰も言葉を発せなかった。
誰も動けなかった。
目の前の少女が突如化け物に変わったような気にすらなった。
キュルケ達は、思わず後ずさってしまう。
「じゃ、じゃあ、貴女は六千年も前から生きてるってこと?」
「……さて、もういいかな。ちょっと長居しすぎたようだ。そろそろ”たび”に戻るとするよ」
「ちょちょちょっと待ちなさい」
「じゃあ、さよなら。またどこかであえるといいね」
喉がからからに乾いてかすれたような声のキュルケに、何か悲しく透き通った笑みを向けたR-タンポポは座っていた
窓枠から外に、背中から倒れこむように飛び降りた。
「あっ」
慌てて窓に駆けよった三人だが、窓の下の石畳の回廊には予想された遺体もなく、巡回の衛兵も取り立てて異常な動作は
していなかった。
まるで、落ちていったのが夢だったかのように。
同時に三人は空を見た。フライで飛んでいるようにも見えなかった。
「消……え……た……」
茫然と呟いたキュルケは、思わず隣に居たモンモランシーのほっぺたをつねりあげた。
「いたっ、いきなり何するのよ!」
「幻じゃないわよね」
涙目で抗議するモンモランシーを茫然と見つめ、うわ言のように呟く。
「……ちゃんと聞いた」
「信じられないわ」
「……」
キュルケは目を見開いたタバサと顔を見合わせた。
「でもそこのカップは……」
涙目でひりひりする頬を揉み解すモンモランシーは、机の隅にある手を付けられていない紅茶のティーカップを指差した。
キュルケは複雑な視線でそのカップを食い入るように見つめた。
頬をもんでいたモンモランシーの動きが、何かに気がついたように止まった。
「ち、ちょっと待って、キュルケ」
「何よ」
「じゃあ、シロ姉って何者なのよ?」
虚を突かれたキュルケは、手を握り締めた。決意を込めた目で窓の外を見つめる。
「……確かめないとね」
「って、ルイズは今アルビオンよ……行くの?」
「決まってるわ」
「行く」
城への道中で、アルビオンの現状を知らされたモンモランシーは、表情を強張らせる。
元来モンモランシーは荒事は好きではない。静かに香水や魔法薬の調合をしているほうが性に合っていて、好んで戦場に
いこうなんて露とも思わない。しかし、友人のキュルケとタバサは、躊躇することも無くアルビオンに行くという。
「タバサ? お母様は?」
「大丈夫」
一縷の望みをかけてタバサの翻意を促したが、にべも無く返された。
「そう、じゃあ、シルフィードに働いてもらわないといけないわね」
キュルケの言葉にタバサがこくんと頷いているのを、横目に、顔を引きつらせて、モンモランシーは後退さった。
「わ、私は……」
「当然連れてくわ」
「はぁ、やっぱり」
「なに言ってんの、アルビオンは戦場よ? 水の系統の使い手が欲しいに決まってるじゃない」
逃げようとしたモンモランシーの腕をがっしりとつかんだキュルケは、当然のような顔をした。
いや、問題はそこじゃないんだけど……と思いながら、モンモランシーは深い深いため息をついた。

少女達の会話を、城から離れた森の中でアリシアンレンズ≪EES≫で聞いていたR-タンポポは軽くため息をついた。
「なるほど、やっぱりR-シロツメグサ卿と一度会話しないといけないか……」
静かにつぶやいた後、銀色の髪をなびかせて”たびびと”は闇にまぎれていった。

§ § § § § § § § § § § § § § § § §

「おい、どうだったよ?」
「駄目だー、てんで相手にしてもらえなかったぜ」
「お前でも駄目かよ、まったく鉄の乙女だな」
「鉄なんてもんじゃねえよ、ダイヤに固定化かけてるくらいかてぇよ」
「どうする?」
首都ロンディニウムの外縁部にある近衛師団の駐屯地近くの、士官がよく利用する少しだけ上品な酒場で、それぞれ将来を
嘱望される二十台後半の若い小隊長四人が顔を突き付け合わせていた。
エールのジョッキを片手に酒場の奥まったテーブルに陣取って何処となく深刻そうな表情を浮かべている。
順番に取っている昼下がりの休憩時間でもあるので、度数のきつい酒は口にしていないが、食事後の酒としては
少々飲みすぎの感は否めない。
小隊長たちは、それぞれ名のある貴族の子弟であるので、それなりに洗練されている若者達だった。
貴族社会でこそ最下流に近いが、それなりに浮名を流すこともある。
なにがしか自信に満ちていた彼らだが、今は思い通りに行かない事情に頭を抱えていた。

既に反乱軍の勢力は王軍を凌いでいる。更に反乱軍には強力無比な魔法もある。結果的に王軍の参謀が提案した策は厳しい
ものになった。
戦力を細切れに出す愚を避けて、真っ向から相手の攻撃を受け止める。前線が持ちこたえている間に、別働の精鋭部隊が
敵本隊を急襲して、首魁のオリヴァー・クロムウェルを討ち取る。というものだった。
反乱軍が集結して進行を開始する直前に本隊を見極めて強襲するという案も検討されたが、敵の勢力圏内での諜報活動が
よい効果を上げることが出来ず、本陣が絞り込めなかった。
もともと猜疑心が強く、臆病という言葉が一番似合っていたオリヴァー・クロムウェルという元司教は陣の奥深くに隠れ、
たびたび移動し容易に所在をつかませなかった。
風竜で構成された突撃部隊などは歯軋りをしながら、臆病者めっ! と叫んだが、さてとて居場所が判る訳も無く、
じりじりと時間だけが過ぎていった。
ただ、反乱軍の動向から王都を目指していることは掴めた為、ロンディニウムに兵力を集中することになった。
結果的に総力戦での撃ち合いになるため、少しでも王都の被害を減らし、臣民の安全を確保することを目的とし、前線を
ロンディニウムから離れた箇所に設定し、指揮官であるウェールズ皇太子も王城から王立空軍近衛師団の隊舎に移り、
臨戦態勢をとっている。
それと同時に、ウェールズ皇太子の客人という立場の少女二人も手持ちの風竜と共に隊舎に越してきた。
桃色の髪の少女は師団長も認める、強力無比な使い手ということが既に知れ渡っており、あまりにも場違いな存在ではあるが、
とりあえず表立った反感はもたれていなかった。それどころか、上司にあたる中隊長が熱心に誘ったということもあって、
逆に現場指揮官には好意的に迎えられてすらいた。
そして、その少女と常に一緒にいるガリア王族のような色彩の女性は、圧倒的に男が多い職場であることもあるが、
その容貌とスタイルに密かだが熱い注目を浴びていた。
スレンダーな桃色の少女の方がいい。という人間も少なからずいるのだが。

そして、若き小隊長達は、誰がこの女性を落とすか賭けをしていたのだった。

「一応ウェールズ殿下の客人だしなぁ」
その一言で残る三人がため息をついた。少々強引にでも。という手段はこの時点で使えない。あくまでも相手の同意が
無ければ、自分達の非が問われてしまう。
なんとか、会話から糸口をつかみたい彼らであったが、芳しい成果は無かった。
「なんか面白そうな話してるじゃねぇか、あの青い方か?」
少々年嵩の髭面の小隊長がドンとテーブルにエールのジョッキを置いて割り込んだ。
竜騎士の皮鎧を着て、四角い顔一面に髭を生やしたガッチリした体躯の四十過ぎの叩き上げの古強者だった。
あわてて顔を上げた若き小隊長たちは、そこにいたのが同僚だとわかってほっとした。
「おう、誰が落とすか賭けてんだがなぁ」
「毎晩一人で散歩に出てくるからな、声はかけやすいんだが、まるっきり無視だろ?」
「そうそう、あのモノを見る様な視線がたまらねぇよ、この虫けらめ、って言われてるようでゾクゾクする」
声をかけることに失敗した小隊長がここぞとばかりに髭面の同僚に言い募る。
「……おまえ、なかなかいい性格してんな」
仲間の一人の隠された性癖を知った一同は思わずあきれたような白い視線を向けるが、当の本人は一顧だにしていなかった。
こいつは放って置こう、と残った小隊長たちは手に持ったエールに目を落とす。
「で、どうすんだ? 俺もさっき見たが、あれだけの女は滅多にいねえぞ? 俺ももう少し若けりゃ、突撃してたな」
髭面の小隊長のがっはっはと笑うようなどら声に、一同は腕を組んで考え込む。
「うーむ」
「下手に怒らせると、桃色の方が……」
「ああ、あれか。二系統のスクウェアってやつだろ? あれって本当なのか?」
なかなか煮え切らない若い同僚の愚痴に、髭面の小隊長がエールをあおりながら噂に聞いた話を問いただす。
「ああ、本当らしいぜ、ジョージ。うちの隊長が興奮してたな、信じられん。って」
「俺はたまたま自分の目で見たが、今でも信じられん。あれが暴れたら止められる奴っていんのか?」
「師団長かウェールズ殿下くらいというより、二人掛かりでやっとじゃねえか?」
「だなぁ」
エールをぐびぐびとやりながら若い同僚達の話を聞いていたが、自分の聞いた噂はどうも真実らしいと納得したジョージと
呼ばれた髭面の小隊長は、飲み干したジョッキをダンとテーブルに置いた。
(ひょっとして、上の連中はその娘っ子を切り札に考えているのか? そんな甘い考えだとしたら負けるな)
そんな考えが浮かんだジョージは、自分の上司に事の次第を確認しようと考え、そそくさと席を立った。
「じゃあ、俺はいくぜ、お前らもほどほどにな」
「おおー」
力の無い若い小隊長の声に、ふと疑問に思ってジョージは振り返った。
「で、ターゲットの青い方はどうなんだ? あれもスクウェアかなんかか?」
若い衆の答えは、理解不能だった。
「なんでも、使い魔だってよ」
「使い魔? おい、人って使い魔になるのか?」
「ゴーレムとか」
「んな、ばかな、侍女だろ? 桃色のってトリステインの公爵家の出らしいしな」
「って、名門じゃねーか」
「だよなあ」
「おまえら、いい加減に戻れよ、じゃあな」
こいつら酔ってるな、と判断したジョージは肩越しに手を振って、その場を後にした。
「で、そこで、俺が思い付いた」
「なんだよ」
「酒だ」
「あぁ?」
「酒呑ませて酔わせりゃ少しは柔らかくなるだろ?」
「なるほど、そいつはいい」
「……まあ、せいぜいがんばりな、そういや、今は桃色の方は総大将のところに呼ばれてるらしいから、青いのは一人で
ぽつんとしてるぞ?」
ジョージは、もうすぐ、本格的な戦争が始まる現実から目を離したいかのごとく、くだらないことをまだ言ってる若い衆に、
苦笑した。酒場のドアを閉める前に情報を言い捨てて酒場を後にした。
「よっしゃ、いまだ」
「うしっ」
「始祖は俺達に味方してるぜ!」
酒場から、叫び声のような歓声が聞こえた。
俺はしらねーぜ?と思いつつ、髭をぼりぼりと掻いたジョージは、自分の用事が終わった後に、もう一度結果を
聞いてやろうと笑った。

「”よっしゃ、勝ったも同然!”って、誰か言ってなかったか?」
夕刻、ジョージが、自分の上司にこれからの戦略を確認した後、慌てて酒場に足を向ける。
まさか、職場を放り出してるわけは無いだろう。と考えていたが、道すがら顔見知りの中隊長に、あいつら知らないか?
と聞かれ、本気で頭を抱えた。
その場は適当にごまかし、慌てて酒場に戻ったジョージの目に映ったものは戦場もかくやとばかりの死屍累々たる
光景だった。
四人は八人がけのテーブルの周りの床に、前後不覚なまでに酔いつぶれており、テーブルの真ん中には空っぽになった
ボトルが山のように積まれていた。まるで酒蔵から全部持ち出してきたかの勢いだった。
ジョージの問いかけには、う゛ーとかあ゛ーとかの声しか返ってこなかった。
似合わない大き目の瀟洒なグラスが置いてある所を見ると、誘い出すことには成功したらしい。しかし、玉砕したことは
想像に難くない。
「で、現実がこれか。主人!」
「へぇ」
「すまんが、つけは俺の所に回してもらえるか?」
近寄ってきた主人は助かった、とばかりに表情を緩め、ぺこりと頭を下げた。
よくよくテーブルの上の見慣れた瓶を手にとって銘柄を見ると、いつもちびりちびりと飲んでいる、度数のきつい物が
ほとんどだった。酒に自信がある自分でも、二瓶あければ前後不覚になるようなものばかりだった。
早々に酔いつぶすつもりだったらしい。
「つかぬことを聞くが、青い髪のお嬢さんが飲んだのは……」
「……火酒のボトルを、水のように……」
「……これ、全部か?」
「……へぇ」
ジョージは呆然と信じられないものを見ましたと言う表情の主人と顔を見合わせた。
その火酒の量はとても一人で飲めるようなものではなかった。ざるな人間を十人集めても飲めるかどうか、はなはだ
疑問だった。
「しんじられん」
ジョージは呆然とつぶやいた。

§ § § § § § § § § § § § § § § § §

「シロ姉、どうしたの? ちょっとお酒臭いわ?」
「……お風呂行く」
「え? 私も?」
「当然」
「え、あ、あ、あ、あ、ま、まだ夕方なのに~」
ルイズは、夕方に与えられた女性隊舎の部屋に戻るなり、シロ姉に腕をつかまれた。
え?え?と戸惑っているとシロ姉から、かすかに酒の匂いが漂ってきた。白い顔も表情も特にいつもと変わらなかったが、
断固たる意思でルイズを引っ張っていった。
まだお風呂の準備が出来ていないわ。と言い募っても、大丈夫。とシロ姉が返し、お湯が沸いてないから。と言っても、
私が沸かすから大丈夫。と却下された。
結果的にルイズは引きずられるように連れて行かれた。

ルイズは、ベッドに腰掛けて、手に持った木の箱を見つめていた。
シロ姉と一緒にお風呂に入って……、お風呂のお湯以外で、とっても体が火照って、上気して体力を使い、その後食事を
して、もう寝るだけ。という頃になって、さんしょうおに見張ってもらっていた瀟洒な飾りの入った木の箱を改めて手に
取った。
ふと昼間のことが思い出される。
『何でしょうか。ウェールズ様』
自分達の仕事は、シロ姉と一緒に電光の魔法を封じること。そして水の精霊の恋人を取り返すこと。と心に決めている
ルイズは、ウェールズ皇太子と一緒に近衛師団の隊舎に移動してきた。
散々ロンディニウムに残りなさいと言う、渋い表情のウェールズ皇太子を近衛師団長の口利きもあって、なんとか説得して、
手持ちの風竜も連れてきた。
そして、今日の昼前に、いよいよ戦いが目前に迫ってきたことを聞いた。
なんとなくウェールズ皇太子個人の客というか、侍女のような衛士のような扱いを受けているため、ある意味側近として
周りからは見られていた。
その為か、本来であれば絶対聞かせてくれないような内容もルイズが聞けばある程度は教えてくれた。
そして、昼食後に名前がないとかわいそうだと、リュカと名づけた自分の風竜の世話をしていたら、ウェールズ皇太子の
使いの近衛騎士に執務室に呼び出された。
ルイズ一人だけという条件だったので、シロ姉には隊舎の入り口で別れて、さんしょうおを頭にのせて顔を出した。
部屋には大きなテーブルに、針山の様にピンを刺したアルビオンの地図を広げて、複雑な顔の皇太子と参謀達、そして
師団長達が喧々諤々と言い合っている最中だった。
あからさまに軍議の真っただ中に突撃してしまったルイズは緊張のあまりかちこちに固まってしまって、脂汗を流した。
ウェールズ皇太子が気がついて、ようやく来たね、と言ってくれたので少し楽になった。
前もって言い含められていたのか、また後ほど。と言ってぞろぞろと中枢の人材が部屋を辞し、ウェールズ皇太子と
二人っきりになった。
思わず、こ、これは、と顔面が火照るような自意識過剰な思いが浮かんだが、ウェールズ皇太子の真剣な顔に、それはない。
と安堵した。
『ああ、固くならないでくれ、今日来てもらったのは、折り入って頼みがあるからなんだ』
『頼み? ですか?』
『反乱軍の軍勢の集結地が分かった。なので、こちらから先制攻撃をかけようと思っている』
『先制攻撃ですか?』
『そうだ、ロンディニウムとロサイスから一気に相手の本陣を突く』
『はい』
ルイズはウェールズ皇太子の目的が分からなかった、作戦の重要性もそれを自分に告げる意味も分からなかった。
ある意味、素人でしかないので、戦術を語られても、ただ単に告げられることに相槌を打つくらいしかできなかった。
そんなルイズをみてウェールズ皇太子はクスッと笑い、奥の部屋から古ぼけた木箱を持ち出してきた。
『……それは?』
机の空いた場所に木箱を置いたウェールズは木箱の蓋を慣れた手で開けて、アルビオン王国の紋章に彩られた紺色の重厚な
絹織物に包まれたものを取り出してきた。
どう見ても尋常な物ではないと気づいたルイズは、知らず知らずに緊張し、そして視線はその物に釘付けになる。
ウェールズはその包みを開けて、中ぐらいの本の様な大きさの、光沢のある繊細な刻み紋様の入った紫檀の箱の様な木製品を
外気に晒した。
『で、だ。君には、この”始祖のオルゴール”を預かってもらおうと思ってね』
『そんな大事なものをっ!』
ウェールズの口から出たものは古の昔、始祖がそれぞれの王家にもたらしたという”始祖の秘宝”として知られる名前の
宝物だった。ルイズはまさかそんな大事なものが、丁寧とはいえ無造作に取り出されることに驚いた。
同時に自分にそれが託されようとしていることに恐れを抱いた。
微かな怯えをウェールズは笑って吹き飛ばした。
『いいんだよ、始祖のオルゴールと銘打っているけど、本物かどうか判らないし、音もならないし、何に使えるかも
わからない、ただの箱だしね』
ウェールズは無造作に紫檀の箱の蓋を開けた。蝶番で止められている蓋を開いた所は、確かにオルゴールの様にも見えた。
そして中には何か光沢のある灰青色の金属の塊が鎮座していた。
ルイズの視線に気がついたのか、ウェールズは中の金属の塊のようなものを、こんこんと指で叩いたが何も起きなかった。
『オルゴールみたいだろ? 実は君のトリステインにある”始祖の祈祷書”も、ほとんど同じものだ。昔、アンリエッタに
こっそり見せてもらったことがあるんだが、中の金属の塊は同じだ。ただ、木枠に挟んだ装丁が本の様に見えるから
”始祖の祈祷書”と呼ばれてるみたいだね』
『ひ、ひょっとして』
『ああ、たぶん、ガリアのもロマリアのも同じだろう、アンリエッタといろいろ推理したものだよ』
ルイズは、思わずウェールズを見た。何か懐かしい光景を思い出しているような優しい表情をしていた。
視線に気がついたのか、ウェールズは、パタンと蓋を閉じて、”始祖のオルゴール”をそのままルイズに突き出した。
『ただ、僕に何かあった時はそれを絶対守ってアンリエッタに渡してくれ』
『ウェールズ様!』
ルイズは、ウェールズが死を覚悟しているように思えて仕方がなかった。
その、屈託のない笑顔がこの世の未練を断ち切ったように思えて仕方がなかった。
その木箱を受け取る行為が、ウェールズの死を受け止める様な気になって仕方がなかった。
どうしても手が出せないルイズを見たウェールズはクスッと笑って、ルイズの手をとって、”始祖のオルゴール”を
持たせた。
ルイズにはそのオルゴールは、鉛の塊よりも、ずっしりと重く感じられていた。
『ま、そうならないようにするけどね。僕達が勝ったら、ちゃんと返してもらうよ? なにせ始祖の秘宝だからね』
ウェールズはウインクをしておどけた口調で、肩を竦めた。
『……はい』
『じゃあ、頼んだよ』
その姿と、裏腹な決意を垣間見たルイズは、ただ頷くことしかできなかった。
ウェールズは、硬直した様なルイズの肩を抱いて、扉まで連れて行った。

そうして今、その始祖のオルゴールは自分の手元にある。
実際の重みはそれほどないが、それに象徴されるウェールズ皇太子の、ひいてはアルビオン王国の全てが詰まっている
ような気がして、ルイズにはとても重く感じられた。
責任と重圧に押しつぶされそうになりながらも、ウェールズ皇太子が自分を逃がそうとして、戦場から逃げる口実と目的を
作るために、こんな任務を割り当てたと悟っていた。
その心が痛かった。やっぱり、自分は何もできない。多少魔法が使える様になっても、何も変わっていない。
重い気持で、じっとその木箱を見つめていると、シロ姉が訝しそうに近寄ってきた。
「イチヒコ、それ……」
「シ、シロ姉、どうかしたの?」
膝の上にある木箱を、訝しそうにじっと見つめていたシロ姉が顔色を変えた。
ルイズの前に膝立ちで座り、そっと蓋を空ける。ゆっくりと中の金属に描かれてある線をたどり、中央のくぼんだ所に
指を当てた。
「これは?」
「あ、ウェールズ殿下が、私に預かれって。始祖のオルゴールって言う秘宝なんだけど……」
シロ姉がルイズを見上げた。その瞳はほとんど見たことがないほど動揺に揺れていた。
始祖のオルゴールに目を落として、何事か呟いていてかと思うと、シロ姉が再びルイズを見つめた。
「……イチヒコ、指をだす」
「え? こう?」
なにがなんだか分からないルイズの人差し指をとったシロ姉がその指を見つめる。
ちくんとした痛みが一瞬ルイズの指に走り、漏れ出た血がほんの小さな粒を作る。それを見たシロ姉がそのまま始祖の
オルゴールの中央のくぼみにルイズの指を置いた。一瞬微かに何かがこすれるような音がしたかと思うと、次の瞬間、
線に沿って光が走った。
「え?」
ルイズは、今まで音が鳴った試しがないと聞いていた始祖のオルゴールが動き出したことにも驚いたが、それ以上に、
シロ姉の様子が気になった。
何かに取り憑かれたようにオルゴールを見つめる、その姿にルイズは嫌なものを感じた。
「し、シロ姉?」
慌ててシロ姉の肩を掴もうと手を伸ばしたその時、膝の上の箱から聞いた事のないグラスをはじいたような透明な音が
鳴り響き、そしてとても優しそうな大人の女性の声が響いた。
『認証を完了しました』
「え?え?」
「R-ミズバショウの声……」
その声を聞いたシロ姉の表情は泣き笑いの様に歪んでいた。何かとても懐かしいものを見る様な、子供の頃に無くした
おもちゃを大人になって見つけた時の様な、そんな表情に見えた。
その表情を見たルイズは自分一人が取り残されているような不安がじわじわと全身に満ちていくのを感じた。
『市民イチヒコよりのメッセージを再生します』
灰青の箱はそんなルイズの想いを余所に、言葉を奏でている。ただ、その言葉の中に”イチヒコ”の名前が出てきたことに
ルイズは驚いた。このオルゴールは、”始祖のオルゴール”、アルビオン王家に伝わる始祖の秘宝の一つと聞いている。
それなのに使い方を知っていたシロ姉と始祖のオルゴールの関係。そして自分の血で動き始めたという事実。
更に喋るオルゴールもどうかと思うが、その中で自分の呼び名が出てくる始末。
ルイズの頭の中は、いったい何がどうなっているのか混乱の極致にあった。
まじまじと膝の上の始祖のオルゴールを見つめていると、始祖のオルゴールの上に何かの像が浮かび上がってきた。
「きゃっ」
びっくりして思わず飛び上り、膝の上から落したかけた始祖のオルゴールを、シロ姉がひょいっとつかんで、そっと床に
置いた。
恐る恐る顔を隠した手の指の間から覗いてみると、1メイル程の少し透き通った小人が空中に浮いていた。
「な、何っ?」
その小人は茶色の髪と、同じ色の茶色の瞳をした二十歳ほどの、とても優しそうな、儚げな青年の姿をしていた。
そして、シロ姉の着ている服にとてもよく似た服を着ていた。
思わず、その小人と、食い入るように見つめるシロ姉を見比べた。
「え? え?」
その小人はゆっくりと口を開く。
≪やぁ、これを見ているということは、君はぼくの力を受け継いでいる。遠い未来のぼくの子供ということだね≫
「”イチヒコ”!」
シロ姉はその小人が喋った途端、眼を見開いて大粒の涙を流し始めた。とても悲しげな、そして愛おしげな表情で小人を
見つめ、自分自身を抱きしめてペタンと腰を落す。
その口ぶりにルイズは思い当たる節があった。
春の召喚の儀式で初めてシロ姉と会ったときのこと。その時、自分を見て、そして自分ではない誰かを見てシロ姉は
呟いた。”イチヒコ”と。
ルイズは心のどこかで感じていた、シロ姉は時々自分ではない誰かを、そしてここではないどこかを思い出して泣いている。
そして、その心の大半を占めている存在、それが”イチヒコ”。
魔法学院の夜の野原で、ラ・ヴァリエール城の夜の庭で、ラグドリアン湖の夜の湖畔で、そしてここで。
なんとかシロ姉の寂しさを救ってあげたいと思っていた。シロ姉の為にずっと一緒にいてあげる。そう思い続けている。
でも、まだまだ、シロ姉の”イチヒコ”は、シロ姉の寂しさをしっかりと握りしめて離さなかった。
時々”イチヒコ”に嫉妬すらした。叶うことならば、シロ姉の心を、シロ姉の寂しさを解き放って! と、
怒鳴りこみたくなる時もあった。でも、それは叶わないことだと思っていた。
「このひとが……イチヒコ……」
呆然とするルイズと、涙を手の甲で拭いているシロ姉の前で、空中に浮かんでいる”イチヒコ”が微笑んでいた。

ぽろんぽろんぽろん、ぽろんぽろんぽろん、ぽろんぽろんぽろんぽん♪
ぽろんぽろんぽろん、ぽろんぽろんぽろん、ぽろんぽろんぽろんぽん♪

Now I lay me down to sleep,
これから私は眠ります
I pray the Lord my soul to keep,
神様、私の魂を、お守りください
And if I should die before I wake,
もし、目覚める前に、死んだなら
I pray the Lord my soul to take.
神様、どうか、私の魂を救ってください