るるる-18

The North wind doth blow,
北風が吹いてくると
And we shall have snow,
もうすぐ雪が降ってくる
And what will poor Robin do then?
かわいそうなこまどりさんは、どうするの?
Poor thing.
かわいそうなこまどりさん

He'll sit in a barn,
たぶん納屋の中で
And keep himself warm,
ひとりで自分をあっためるの
And hide his head under his wing,
翼の中に顔を隠したこまどりさん
Poor thing.
かわいそうなこまどりさん

ぽんぽんぽん、ぽ、ぽぽぽぽぽん♪ ぽかぽかぽん♪ ぽ、ぽぽぽぽぽん♪

質素な女性隊舎の部屋の中で、ネグリジェ姿で手近にあった枕を抱え込みながら、ルイズは空中に浮いている小人を
見つめていた。さすがにルイズも察しがついた。これは小人ではなくてとても精巧に作られた幻影で、オルゴールが
決められた音を鳴らす様に、この幻影も決められた通りに映っているのだ。と。
そして、開けた時に語られた言葉と、始祖のオルゴールとして伝わるアーティファクトである点を考えると、自動的に
結論にたどり着く。
努力しても知識を取りそろえても魔法が使えなかったと言うだけで、元々ルイズは頭はいい。
ハルケギニアの古王国は始祖ブリミルの子供たちか建国したこと、そして、ラ・ヴァリエール家にも、王家の血が
入っていること、更に、自分の血で動きはじめ、『遠い未来のぼくの子供』という言葉。全ては一つのものを暗示している。

(”イチヒコ”……いえ、始祖ブリミル……)

ルイズは自分の考えが、とてつもなく異質であるように感じて背筋が寒くなった。掻き抱く枕に自然と力がかかる。
涙の痕も明らかな、寂しそうな、悲しそうな顔のシロ姉の前で、”イチヒコ”の幻影がゆっくりと言葉を紡いでいく。
とても優しそうな、少年のような声が、部屋に静かに響いて行く。

≪まだ、”魔法”の力は動いているのかな? ≫
≪君はどんな人なんだろう? 世界は平和かな? みんな笑ってるかな?≫
≪君はどうして、これを使うことを選んだんだろう?≫
≪とっても大変なことが起きたのかな?≫
≪どうしても、この力が必要になったのかな?≫
≪どうしても、守りたいものがあるのかな?≫

その語りかけはルイズの心に、心の隙間を埋める様に染み込んでくる。その口調に響く優しさや寂しさ。その表情を見ると、
どうしてもルイズは『このひとは嫌いになれない』と感じていた。
目を見開いて食い入るように見つめるシロ姉の前で、”イチヒコ”……、いや、始祖ブリミルは肩を竦めて見せた。
ルイズは、自然と始祖ブリミルの正面になる様に移動する。
自分が今、とてつもない経験をしていると、ハルケギニアのメイジ達が求めてやまない究極の存在を前にしていると、
そう言う興奮や軽度の恐れもあったが、それ以上に”イチヒコ”のことが純粋に知りたかった。
”イチヒコ”は、少し目を伏せたが、ゆっくりと前を向いた、ちょうどルイズと視線がぶつかる。
その視線には限りない愛情が込められているように感じられた。もう他界して長い祖父の、そして祖母の眼差しの
イメージが重なる。

≪僕には分からなかったけど、失ってから初めて大事なものがなんなのか、わかるんだよ≫

そう言う”イチヒコ”の表情はとても寂しそうで

≪ぼくにとってそれは、シロ姉がいて、ミズ姉がいて、ヒナがいて、タイショーがいて。そんな日常だった≫

そう言う”イチヒコ”の表情は泣きそうに見えた。

そして、その言葉を聞いた時、必死で止めていただろうシロ姉の両目から、溢れる煌きが頬を何条も伝っていく。
ルイズは、”イチヒコ”の、そして始祖ブリミルの言葉の中にシロ姉という単語が出てきても、驚かなかった。なんとなく
想像はしていたから。
初めて、漠然とした思いを感じたのはラグドリアン湖で水の精霊と会った後。キュルケ達は自分達の都合のいいように
理解していたようだが、ルイズはシロ姉の言葉を額面通りにしか捉えられなかった。水の精霊”が”助手であると。
であれば、シロ姉は六千年を超えて生きていることになる。そんな存在は聞いた事がない。けど、ルイズは心のどこかで
そう信じていた。
だから、始祖ブリミルと会っていても不思議ではないとも……。
そんな思いを余所に、始祖ブリミルは言葉を重ねていく。

≪その時は、ぼくは子供だった。ぼくにはただのつまらない毎日にしか思えなかった。でも、違ってた≫
≪……かけがえのない、とても大切な、”つまらない毎日”だったんだ≫

始祖ブリミルは、ゆっくりと頭を振ると、一転してしっかりとした声で、強い視線でまっすぐ前を見つめた。その姿は
今までの”優しいまま大人になった少年”ではなく、何かを乗り越えてきた確固たる意志を感じさせる青年のそれだった。

≪はるか未来のぼくの子たち。君達は決して間違えないで。本当に大切なものを。今、つかんでいるものの尊さを≫
≪そして、今、日常で感じている幸せを≫

ルイズは、その言葉に今の自分を見透かされているような気がしてならなかった。
そして、”イチヒコ”の想いがとても静かに、自分の物の様に感じられていく。このひとは寂しかったんだ、
悲しかったんだ、
本当は逃げたかったんだ。でも、自分がしなければならなかったんだ。しなくちゃいけないと思ったんだ。
それは多分、私と同じ……。

≪これを見ている君に、一つの”魔法”を贈ります。正しく使ってください≫
≪”すべての魔法をキャンセルする魔法”を≫

始祖ブリミルの言葉が終わると同時に、頭が痛くなるような耳障りな音が一瞬響き、ルイズはきりきりする痛みに頭を
抱えた。
痛みはすぐに消え、そして優しく微笑んだ始祖ブリミルの幻影は唐突に消えた。
『市民イチヒコよりのメッセージは以上です』
やがて始めと同じ優しい女性の声が響いたかと思うと、始祖のオルゴールは静かに動きを止め、宿舎に静寂の帳が下りた。

映像が消えた時、”イチヒコ”に咄嗟に伸ばされたシロ姉の手は何もない空中を掴んだ。
放心して、置いてけぼりにあったような表情のシロ姉は、ゆっくりとその手を胸に掻き抱いていた。
ルイズはその姿をみて心にズキンと痛みが走った。
経験豊富な人間であれば、相手の傷を掘り返したりせずに、何も言わずに黙って抱きしめてあげることもできただろうが、
そこまでの余裕はなかった。
ルイズはシロ姉のその動揺に、自分が置いてけぼりになってしまうような、シロ姉がどこか遠くへ、始祖ブリミルの
ところへ行ってしまって、自分一人が取り残されて、放り出されてしまうような恐怖心にかられていた。
だから口から出てしまった。不安の塊が。
「……シロ姉、このイチヒコって人」
ルイズの問いかけにシロ姉が目をこすりながらゆっくりと顔を向ける。その悲しそうな姿を見るのが嫌だった。
「……」
「シロ姉の大切な人だったの?」
その言葉にシロ姉の肩がビクンと震える。
「……」
「シロ姉の好きな人?」
なかなか口を開こうとしないシロ姉に、ルイズは少し苛立ったような固い口調で、言葉を重ねる。
その強張った表情を見たシロ姉はそっと視線を外した。
「……そう」
今の自分はシロ姉に必要とされてないのでは? という不安と焦りという負の感情が増幅されたルイズは、シロ姉の態度に、
強い苛立ちを覚えた。そして今まで考えても言葉にしなかった。その言葉が口から出た。
「じゃあ、私は何? このひとの身代りなの?」
「っ! ちがうっ」
それを聞いたシロ姉は、愕然とした表情で顔を上げた。
ルイズは自分が何を口走ったか、言ってはいけないことを言ったのか分かっていた。そして、シロ姉のその表情を見て、
口走ったことを後悔した。
でも自分の中の不安が、今までは本当に小さくて、笑い飛ばせる程度の不安だったのが、さっきの光景で心の半分を
占めるくらいに大きくなっていて、シロ姉の態度でさらに心を侵食しているのも事実だった。
だから止められなかった。
不安が不安を呼び、負の螺旋が回っていく。
言ってはいけない、こんなこと言うつもりじゃない。心のどこかでそう思っていても、口からは勝手に言葉が紡がれていく。
「だって、だって、そうじゃない。わたしが……、わたしを見てる時も、時々シロ姉はわたしを見てなかった」
「……」
涙声のルイズに、シロ姉は口に手を当てて首を振る。
「……わたしを通して、このひとを見てた」
「……」
ルイズの言葉は、槍となってシロ姉に突き刺さる。
「シロ姉は別にわたしでなくても、このひとの子供だったら誰でもよかったんだわ」
「……」
いやいやをしながら夢遊病者の様に近寄ってくるシロ姉から、逃れる様に頭をふって、ルイズは涙にあふれた顔で、
キッと睨みつけた。その表情にシロ姉の動きが止まる。
「わたしだと、このひとに勝てないんだわっ、そうよねっ。シロ姉」
「……イチヒコ、まって」
なんで、こんな酷いことを言っているのだろうという心は、激情の前に砂の防波堤にしかならなかった。あっという間に
押し流され、自分の心と相手の心を傷つけ、泣きながら、ルイズは止めの言葉を放った。
怯える様な表情のシロ姉は、ルイズの手を掴んで必死に訴えかけようとした。しかし、呼びかけの”イチヒコ”はルイズの
導火線に火を付ける結果にしかならなかった。
「イチヒコって呼ばないでよっ! ばかっ! しらないっ!」
「イチヒコ……」
シロ姉の手を思いっきり振りはらったルイズは、枕を投げつけて、そのまま部屋を飛び出した。
一人部屋に取り残されたシロ姉は、枕を投げつけられた体勢のまま、石像のように固まっていた。
「モキュー」
さんしょうおが、そんなシロ姉を心配して周りを飛んでいた。


「なんで、こうなっちゃうのかしら……」
ルイズは、しょっちゅう出会う巡回の衛士達に、微妙な視線を向けられたことで、自分がネグリジェのまま部屋を
飛び出してきたことに気づいた。
居たたまれなくなったルイズは、とはいっても別に行くあてもなく、部屋に戻る気にもならず。結果的に駐屯地の
はずれにある竜舎に来ていた。
近衛師団の風竜や火竜の寝場所として建てられている竜舎はちょっとした城程の規模があり、自由に飛び立てるように
大きな開口部がそこかしこに開けられていた。
その中にルイズの風竜も場所を与えられている。客人と言うこともあって、入口に一番近い場所を割り当てられていた。
別に竜舎を囲っている塀があるわけでもないが、一応敷地の入口に詰め所があって衛士達が詰めている。
暇な時はしょっちゅう来ていて何度も顔を合わせているので、顔見知りの衛士が、ネグリジェ姿に微妙な視線を
向けながらも通してくれた。
元々人懐こい性格なのか、シロ姉の調教(?)のせいなのか、ルイズの風竜はとてもおとなしく、ルイズ自身も気に入って、
自分で名前もつけて暇な時は世話もしていた。
だから深夜と言っていい時間帯にルイズがひょっこりと現れても、特に気を荒立てたりすることもなく、鼻先をルイズに
向けてきた。
「ねぇ、リュカ、どうしてかしら?」
竜のまっ正面という、本来であれば竜騎士でも緊張する場所で、自分の風竜の鼻先を撫でながら自然体のルイズは一人
呟いた。
少し外の空気を吸って冷静になって、ゆっくりと自分の言動がよみがえってきた。
それと同時に、なんであんなことを口走ったのかという目の前を真っ暗にする様な後悔が、グサグサと心に突き刺さる。
とはいえ、今から部屋に戻ってごめんなさい。という踏ん切りもつかなかった。
その様子を心配したのか、リュカは鼻先でつんつんとルイズをつつく。つつかれるルイズは丸太がどんどんと
ぶつかってくるような感覚なので、体が大きく揺れるのだが、それでもリュカの想いがなんとなく分かってじんわりと
心が温かくなる。
「ちょっと入れてね」
そう言ってルイズは竜房に入り蹲っているリュカの肩口に座って体をもたれ掛けた。
こつんと頭をリュカの、なんとなく温かい鱗の体に倒していると、ほどなくうつらうつらとし始めた。
リュカはそんな主人の為にゆっくりと翼を広げて、その身を翼で覆い隠した。

「ぐるぅるる」
「だれっ?」
ルイズがはっと気がついたのは、リュカが警告をあげる様に喉の奥で唸り声を上げたからだった。
慌てて顔をあげて、入口を見ると、大きなリアカーを馬の形をしたゴーレムで引いている三人の衛士がいた。
まさか、深夜の竜舎の、それも竜の傍に人が、それもいるはずのないようなネグリジェ姿の少女がいるとは、
想像だにしていなかった衛士達はびっくりしたように慌てていた。
ようやく、一息ついたのか、それぞれ敬礼をして、びしっと答えてきた。
「うぇっ、あのっ、はっ! 夜の給餌の当番であります」
「え、あ、あ、そうなの、ありがと」
ルイズは、こんな深夜に餌なんて? と怪訝な気もしたが、邪魔したら悪いわねと思ってリュカの寝床から出た。
台車の向こうで怪訝そうな表情をしていた一人が、何か台帳の様なものを開けて何かを確認していたので、ルイズも
なんとなく興味が湧いて、近くまで行った。
「ああ、竜の……」
その台帳を覗き込もうとしたら、すぐ近くにルイズが来ていることに、気がついた衛士が、強張った表情でパタンと台帳を
閉じた。
「いえ、なんでもありませんよ」
壮年の衛士がこわばった表情を向けたとの時、ぎゃっという悲鳴が上がった。
「ぐぅぅぅる」
背後の恐ろしい唸り声に慌てて振り返ると、眼を爛々と閃かせたリュカが餌らしき袋を持った衛士の頭を噛みちぎっていた。
「リュカッ?」
ルイズが、目の前で繰り広げられた野生の竜の様な獰猛な姿に狼狽して居る間に、リュカは形ばかりの柵を弾き飛ばして
竜房から飛び出し、近くにいたもう一人に襲いかかった。
慌てて逃げようとする衛士を頭の一振りで何十メイルもはじきとばし、ルイズの横で台帳を抱えている壮年の衛士めがけて
ブレスを吐く動作を始めた。
「ちぃっ! いかん。失敗した」
「きゃっ」
リュカに狙われているルイズの横にいる衛士が、蒼白な顔で何が起きているのか分からないルイズの首根っこを捕まえ
羽交い絞めにした。腰からダガーを抜いてルイズの首に突き付ける。
「く、くるなっ! 来るとこいつの命は無いぞっ、それと叫ぶなよ、叫ぶと殺す」
リュカに狙われた衛士はルイズを盾にして後ずさった。
ブレスを吐こうとしていたリュカはその状況を見て、吐くのをやめた。そして叫び声をあげかけたルイズも、慌てて口を
閉じて、こくこくと頷いた。
リュカは一定の距離を保ちながら、獲物を前にした狼のように、眼に紛れもない怒りの色を浮かべながら隙を窺う。
衛士の動きに合わせて、翼を広げて威嚇しながらジワリジワリと近寄ってくる。
その段になって、他の竜達も血のにおいをかぎつけて、騒がしくなり始める。
蒼白ながらも、とりあえず自分の脅迫が聞いた事が分かった衛士は、自分の身を守る盾は手の内の少女しかない。と
ばかりに腕に力を込めた。
ゆっくりとリュカを牽制するように、ダガーを突き付けたルイズを盾にしたまま後退する。
「おいっ! 何してる、早く逃げるぞ」
「よし、お前は人質だ」
竜舎の入口からもう一人の声がしたかと思うと、リュカにめがけて火の玉が飛んだ。慌てて飛びずさるリュカの鼻先で
目隠しの様に破裂し、動きが止まった間に、衛士達は竜舎から逃げ出した。
「もがっが! も、むがもがっ!(ちょっとっ! さ、さわらないでよっ!)」
「うるさい、黙れ」
ルイズは手近にあった荒縄で口に猿轡をはめられて、二人掛かりで手加減なしで運ばれた。
詰所の手前にワゴンタイプの馬車があり、普通の市民のような格好をした御者が、蒼白な顔で激しく手招きをしていた。
馬車に放り込まれる直前、ルイズは詰所の衛士達が一人残らず倒れているのを見た。
ルイズを放り込んだ馬車は、御者の掛け声とともに、気違いじみた速度で走り始める。
「やべぇ、なんだ、あの風竜、追い掛けてくるぞ?」
「さっさと逃げやがれ、森の街道だ」
御者の悲鳴の様な言葉に、一緒に乗り込んだ二人は、そう叫んだ。
馬車の後ろに転がされていたルイズは、はたと気がついて、愕然とした。普段であれば必ず肌身離さず持っているのに、
今日は何も考えずに飛び出してしまったから。
(魔法の杖がない……)
ルイズの杖は、いつもの癖で寝る前にベッド脇のテーブルに置きっぱなしだった。
(どどどどどうしよう……)


§ § § § § § § § § § § § § § § § §


非常時の警報である鐘が打ち鳴らされ、同時に夜空に火球が打ちあがる。
「敵襲だー!」
ウェールズは寝ていた寝具を跳ね飛ばし、最近の情勢を考えて、夜着の代わりに着ている、やわらかな厚手の布製の
鎧下のまま飛び出した。
部屋の外に控えている衛士から、上着を受け取りながら、駆け足に近い足取りで執務室に向かう。
「損害は?」
「いえ、殆どありません。襲撃も大したものではなさそうです。威力偵察と思われます」
部屋に入るなり、声を張り上げたウェールズに、手近にいた当直の参謀が強張った表情で答えた。
分かったと答えて、ロンディニウムの地図の前に陣取ったウェールズの前で、他の参謀が物見からの報告を整理していた。
内容を横で確認していくと、夜に強い亜人を基本とした歩兵部隊が先導して奇襲を行い、混乱している時に少数の風竜が
突撃離脱をするという作戦のようだった。
その作戦は、反乱軍という寄せ集めの軍隊にしては統制がとれているように感じられた。亜人を使っている所を見ても、
かなり訓練された軍隊というのが妥当な印象だった。
続々と報告が入ってきて、しばらくして近衛師団長や大隊長達も現場指揮から復帰してきた。
緊急の作戦会議がそのまま始まった。
「くそっ、読まれたか?」
ウェールズが、悔しそうに握り拳をガンと机に打ちつける。
「おそらくは」
前に陣取っている近衛師団長のマーシャル伯爵が、長が取り乱してどうなさる? といった鋭い視線でウェールズを
見つめる。
その視線に気がついたウェールズが、苦笑して小さくすまないと口にした。
参謀長のスタンリー伯爵が、手元にある重要報告書をめくって重要な報告を告げていく。
「それと竜舎が破壊されています」
「何? 竜達は?」
「詰所の衛士達は睡眠薬で昏倒していますが命に別条はありません。竜も無事です。が、一頭だけ、ルイズ卿の風竜が
飛び去っています、ルイズ卿の姿も見えません」
竜騎士の魂でもある竜達、その竜舎が目的だったのか? と唇をかみしめたウェールズだったが、報告を聞いて安堵と
同時に怪訝な表情を浮かべた。
参謀長も近衛師団長も微妙な表情だった。
「彼女の風竜が? 彼女が乗っていったのでは無いのか?」
「可能性はあります。夜半にルイズ卿が竜舎の方に向かったと言う複数の目撃証言がありますので」
「何だと?」
ウェールズは、ふとあたりを見回して、こんな時は必死の形相で飛び込んでくる少女の姿が見えないことに気がついた。
軽口のつもりで言った言葉は参謀長にまじめに返され、表情を改める。
参謀長は、苦渋に満ちた表情でウエールズに向き直った。
「あと……」
「どうした?」
「竜に齧られたと思しき傷跡と全身を強打した、竜舎専属の世話係が死体で発見されています。また、餌には強力な
興奮系の麻薬が……」
「それはまことかっ!」
参謀長の言葉は、その場にいた全員に重くのしかかった。
竜舎の世話係を割り当てられる衛士は、相当の信頼があるものが割り当たっている。でなければ安心して竜を
任せられないからだ。しかし、その竜を愛してやまない世話係が、竜に毒を盛ろうとする。致死性のものではないのが
最後の良心なのかもしれないが。
だが近衛師団長はその事実に目を剥いた。
「ええ、そのようです」
「裏切りか……」
「恐らくは」
「何と言うことだ、この期に及んで裏切りとは……くそっ」
師団長と参謀の会話を聞きながら、ウェールズは厳しい現状に、唇をかみしめた。
「状況から見て、ルイズ卿が手引きした。という可能性があります」
「ばかな、彼女はアンリエッタの使者だ、それはないはずだスタンリー卿」
「しかし、現にルイズ卿はここにおりません」
「とりあえず、それはおいておけ」
「……はっ」
参謀長が自分の見解を述べ始めたが、ウェールズには納得できないものがあった。アンリエッタが全幅の信頼を置いてある
人間が、それも自分を暗殺しようとすればいつでもできた人間が、こんな回りくどい策をとるはずがない。そう考えていた。
彼は承服しかねるという表情の参謀長の肩を軽くたたいた後、戸口にいる連絡将校に命じた。
「彼女の侍女はどうした? 誰か呼んで来い」
「はっ」
連絡将校が出ていった後、気を取り直した参謀長は、再び報告書をめくった。
「あと」
「なんだ、まだあるのかっ!」
「馬車がかなりの勢いで走り去ったという目撃証言がありました。何人か乗っていたと」
「なんだと?」
「まずいな」
「ええ、不安を煽って切り崩してきているようですな、長引けばじり貧ですぞ、ウェールズ殿下」
近衛師団長とウェールズは参謀長の報告に、なんとか結束を保っていた王軍に罅が入り始めているのを感じた。
水に充ち溢れた堤防の一角に入った罅が、やがて大きな穴になっていくことを考えると、できるだけ早い手当が必要だった。
しかし、効果的な手は数えるほどしか考えられなかった。
「やはり短期決戦か」
「それしかないでしょう」
ウェールズの眼は、アルビオンの地図に向かった。反乱軍の集結地となっている街に刺さっているピンに。

活発な、しかし深刻な作戦会議の最中に、連絡将校が戻ってきた。
出て行ってからかなり時間が立っていることにウェールズは気がついた。
「アール・シロツメグサディー卿をお連れしました」
「居ましたか。ですが目的のためであれば侍女の一人や二人見捨ててもおかしくありません」
ルイズ犯人説を念頭に置いてある参謀長の言葉を聞き流して、ウェールズはルイズの頭に良く乗っていた不思議な
動物らしい生物を頭にのせたR-シロツメグサを見た。
そして、その、あまりの無表情さに正直驚いた。まるで人形の様だった。
ルイズと一緒にいる時の、控え目ながらも目を引く独特の気配は、ほとんどなくなっていた。
困惑しきった表情の連絡将校に腕を掴まれて部屋に入ってきたR-シロツメグサは、何も見ていなかった。
「アール・シロツメグサディー卿、少し聞きたいことがある」
「……」
ウェールズの問いかけにも、何も言葉を発せず、反応すらしなかった。
「アール・シロツメグサディー卿?」
「……」
再び問いかけられても、無反応な姿は変わらなかった。
しびれを切らした近衛師団長が声を荒げる。
「いくら使者とはいえ、無礼だぞ! アール・シロツメグサディー卿」
「……」
「貴様!」
それでも反応がないR-シロツメグサに、堪忍袋の緒が切れたのか、近衛師団長が大剣を抜きかけた。
ウェールズはそれを制して、R-シロツメグサに近寄った。
「まて、マーシャル卿。どうしたんだい? アール・シロツメグサディー卿」
「……イチヒコ」
「イチヒコ? ああ、ルイズ卿のことか? アール・シロツメグサディー卿も分からないのか?」
「?」
近寄ると、R-シロツメグサが微かに何かを呟いているのが分かった。それを聞き取ったウェールズが肩を掴んで、
できるだけ穏やかな声で問いかけた。
その言葉に反応したR-シロツメグサが顔をあげる。
その戸惑ったような、捨てられた子犬の様な表情を見たウェールズは、次の言葉をかけることをためらった。
軽く頭を振ったウェールズだが、責任者として真偽のほどはしっかりと確かめる必要がある。意を決して、口を開いた。
「……ルイズ卿がいなくなった」
「……え?」
「いや、確定情報ではないが、ルイズ卿はひょっとしたら何かに巻き込まれたのかもしれん。彼女の風竜もいない。
君の水の精霊の力で分かったりしないものなのか?」
その言葉が、R-シロツメグサの眼に感情の色を取り戻すきっかけとなった。氷が溶けていくように表情に色が戻っていく。
捨てられた子犬の様な雰囲気は残っているが、それと同時に、とても強い焦りの気配が漂ってくる。
目の前のR-シロツメグサがゆっくりと目を閉じて何かに集中する姿をみたウェールズは、そっと手を離した。
「ウェールズ殿下! 水の精霊の力とは一体!?」
初めて会った時に同席していたヘンリ・ボーウッドに口止めをしていたので、”水の精霊”の力が使える。という言葉は
誰も知らなかった。ウェールズの口から、その言葉を聞いた師団長達は、眼の色を変えてウェールズに詰めよった。
「どうなんだ、シロツメグサディー卿?」
まてまて、と手をあげて師団長達をいなしていたウェールズは、集中を解いて目を開けたR-シロツメグサに声をかけた。
「……分からない、ここは特殊なフィールドで囲まれているからアリシアンレンズ≪EES≫でも100メートル離れたら
探知できない」
「……言っている意味はよく分からないが、端的に言うと”分からない”ということか?」
ウェールズの言葉にこくんと頷いたR-シロツメグサは、踵を返して部屋から出て行こうとした。その固い表情と、先の
ウェールズの言葉に、その場にいた人間は思わず道を開けてしまう。
「何処へ行く?」
R-シロツメグサが扉に手をかけた時、ウェールズの声が背中に掛けられた。
動きを止めたR-シロツメグサは、肩越しにちらっとウェールズを見た。
「……イチヒコを探す」
「当ては?」
「……」
R-シロツメグサは、何も言わずにドアを閉めた。
閉ざされたドアを見つめていた一同に、ウェールズは手をパンパンとたたいて注意を引いた。
「さぁ、軍議の再開だ、時間がないぞ」
「ウェールズ殿下?」
「今は彼女に任せよう、それより我々の方だ。まず……」
全員の問いたげな視線に、ウェールズはかぶりを振った。

(イチヒコ、イチヒコ、イチヒコ、イチヒコ……)
扉を閉ざした後、一気に外まで走り出たR-シロツメグサは、ただルイズのことだけを考えていた。
また間違えたのか? もう、取り返しがつかないのか? R-シロツメグサの心≪レム≫の中は、不安と焦燥でいっぱい
だった。
ルイズが持ち出してきた、妙に強力なセキュリティロックがかかっていた立体レコーダーを見た時から、
R-シロツメグサの脳裏にはサンテグジュベリ号に居た時の記憶が鮮明に蘇っていた。
懐かしい声に懐かしい雰囲気、そして、変わってはいたけど、優しそうな瞳は変わっていない”イチヒコ”に出会えた。
その中で、”イチヒコ”が自分の名を呼んでくれた。もう二度と会えない、声も聞くことはできない。
そう思っていただけに、不意打ちの様に、その言葉は心≪レム≫に響いた。

嬉しかった、悲しかった、寂しかった。

イチヒコに救われ、居場所を作ってもらった自分は本当に幸せなのだろう。
だから、それだけに、”イチヒコ”の本当の想いがどうだったのか。知りたかった。
イチヒコに『”イチヒコ”は大切な人?』と聞かれた時、どう答えればいいか分からなかった。
”イチヒコ”は大切な人だった、イチヒコも大切な人。どっちも同じ”大切な人”。でも、その二つの同じ言葉には
違いがあるように感じた。
”イチヒコ”が好き、イチヒコも好き。だけど、やっぱり二人のイチヒコに対する自分の”好き”には違いがあるように
感じていた。
その違いが何なのか、まだ自分の心≪レム≫は答えを出せなかった。
でもどっちも”好き”なことは事実であって、イチヒコに重ねて問われると、答えざるを得なかった。

「……イチヒコ」
R-シロツメグサは駐屯地の敷地内を疾駆する。そのあまりの速度に、出会った衛士達は何が通ったのか理解できなかった。

イチヒコはその答えを聞いた後、昔の自分の様に心≪レム≫を爆発させた。
そして飛び出していった。
私は、取り返しのつかないことをしたのか? と、答えの出ない迷宮に陥っていた。
今も抜け出せていない。イチヒコの前に出るのが怖い、イチヒコに嫌われるのが怖い、イチヒコに憎まれるのが怖い。

「……イチヒコ」
R-シロツメグサは敷地を出て、人の少ない森へ向かって風と化したように疾駆する。

だけど、今、イチヒコは一人で寂しがってる。”イチヒコ”もイチヒコも、ずっと一人だと寂しがってた。
R-ミズバショウが居ても、カトレアが居ても、R-ヒナギクが居ても、キュルケが居ても、ずっと孤独を抱えていた。
だから分かる、イチヒコは今泣いている。
自分が抱える孤独を余所に、ずっと一緒にいるから。と言ってくれたイチヒコ。そんなイチヒコが泣くのは嫌だ、
イチヒコはずっと笑っていて欲しい。
だから自分のことは後回しでもいい。今はイチヒコを。泣いてるイチヒコを、一刻も早く。

手近な森に入ったR-シロツメグサは、適当な木を立て続けに分解してドレクスラーを増殖させる。
もし、その姿を見られていたら、大の大人が三人でやっと手が回せるほどの巨木を一瞬に消し去ったように見えただろう。
「モキュモキュッ」
さんしょうおにサポートさせながら、組織を変成しドレクスラー生物≪フクロウ≫を何十羽も造り上げた。
「イチヒコ、見つける、竜も」
R-シロツメグサはサンテグジュベリ号で環境維持のためにやっていたように、ドレクスラー生物を自律させて空に
飛ばせた。
「イチヒコ……」
R-シロツメグサは空を埋めるほどのフクロウが飛び立った後、月と星の輝く夜空をじっと見つめていた。
もう、数時間もすれば夜が明ける。

§ § § § § § § § § § § § § § § § §

「ねえ、そろそろ今日は降りて休憩しましょうよ? シルフィードだって疲れてるだろうし」
「そうね。タバサ、どこか空いてる空地に降りましょうか?」
疲れ切ったようなモンモランシーの提案に、キュルケも頷いた。そしてタバサもそれに同意したのか、休みなく飛んでいる
シルフィードを手でぽんぽんと叩いた。

キュルケ達一向は、R-タンポポの謎めいた言葉を聞いた後、急いで手配を整えて、アルビオンへ向かった。
ツェルプストーの情報網を使って手に入れたアルビオンの現状は思わしくなく、反乱軍、王軍共に
ピリピリとしていることが容易に想像できた。
無用なトラブルや時間のロスを避ける意味でも、出来るだけ人前に出ずに、見つかりやすい昼間に休息を取り、夜の闇に
まぎれて移動する方法を選択した。
そしてツェルプストーの屋敷を出て三日ほどたった。シルフィードの移動速度は信じられないほど早く、今日中には
アルビオンの王都ロンディニウムに辿り着けそうなほどだった。
今、王軍の実質的な指導者たるウェールズ皇太子はそこにいるはずで、ルイズとシロ姉もそこに滞在しているだろう。
キュルケ達は、シロ姉について知りたいのは確かだが、同時に一人で戦地にいるルイズをなんとかしてやりたいとも
思っていた。
昔のゼロのルイズの時代とは異なり、この春からのシロ姉という使い魔を得た後の、彼女の力の発展度合いは
信じられないほどだった。単純に力だけ考えれば、学院の誰よりも強力なメイジとなっている。しかし、段階を追って
使い方を覚えたわけではない為、魔法の使い方や錬度に関してはまだまだ褒められたものではなかった。
そんなルイズが水の精霊の、誓約の精霊との約束を守って、大の大人ですら尻込みしそうな、到底考えられないほど
危険な戦地に自ら向かって行った。
そんな危なっかしい友人をキュルケ達は放っておけなかった。
学院での生活や、タバサの母親を護って戦った過程で、ルイズ達はお互いの身を案じる仲間意識が芽生えていた。
迷惑をかけたくないという意識や、助けてあげたいという想い。誰一人として言葉にはしないが、そういった連帯意識が、
貴族の少女達にとっては正直言って辛いはずの野営や強行軍でも弱音を吐かず、ほとんど愚痴も言わずに、前へ突き進む
原動力となっていた。
危ない目に会っている友人を助けたい。そんな想いが彼女達を駆り立てていた。

「きゅいきゅい」
「……何?」
巡航速度を落として、森の上を旋回して、空き地、それもキャンプを張るのに適当な水場が近くにある空き地を
探していたシルフィードが、なにかを見つけた様に、首を巡らして鳴いた。
タバサが、その鳴き声を聞いて、遠くの方を目を細めて見つめた。
「どうしたの?タバサ」
「あっち」
「ん?」
タバサのすぐ後ろに座っているキュルケが、怪訝そうに確認すると、タバサがゆっくりと遠くの空を指差した。
キュルケとモンモランシーがそろって指差された方向に顔を向け目をこらした。
闇に慣れた目に、遠くの方で旋回しながら飛んでいる竜が見えた。
「風竜?」
「旋回してるみたいだけど」
タバサの指し示したものが何か分かった二人は怪訝そうに顔を見合わせた。
「きゅいきゅいきゅ~」
「……わかった」
再びシルフィードが首を巡らせてタバサに何かを告げようとし、使い魔の言いたいことが分かったのか、タバサは微かに
頷いた。
シルフィードが翼を広げて大きな弧を描くように方向を変えて、風竜を追い掛け始めた。
風竜の速度はとても遅く、と言うより何か地上のものに合わせて旋回しながら飛んでいる為か、あっと言う間に追いついた。
誰も乗っていない風竜は、旋回のたびにシルフィードに目を向け、何かを伝えようとするが、襲いかかってくることは
なかった。
その様子に怪訝なものを感じたキュルケ達は風竜が追い掛けている物を探した。
それはすぐに見つかった。森を切り開いて作られた街道を走る一台の四頭立てのワゴンタイプの馬車が、暗い中、木々の
連なりの間から見え隠れしていた。
「なにかしら? あの馬車」
もうすぐ白んでくる時間帯とはいえ、大型の馬車が疾走する姿は異常だった。よく見ると馬達は泡を吹きながら潰れる
寸前に見えるし、必死に走る馬に、情け容赦せずに鞭を使いまわる御者の行動もおかしい。
どう見ても尋常なものではなかった。まるで上空の風竜から逃れようとするかの様に……
「あれって、ルイズの風竜じゃないの?」
キュルケが眉を寄せた時、モンモランシーが素っ頓狂な声を上げた。
「……あんたよく分かるわね」
「うん、なんとなく、あの顔がうちのロビンに似てるから」
「……似てる?」
「似てるのっ! もう、タバサまで」
「だけど、あの馬車を追っかけてるみたいね」
「わけありっぽいわよ、ちょっと止めてみる?」
「そうね」
モンモランシーの言葉に、キュルケが呆れた様な表情を向け、鳩が豆食ったような表情でわざわざタバサが振り向く。
友人の情け容赦無い言葉に、顔を真っ赤にしたモンモランシーは、手をぶんぶんと振りまわして抗弁した。
疲れていた一行は、軽口で気分を紛らせた後、一転して真剣な表情で眼下の馬車を見つめた。
どう考えてもおかしい。
旋回している風竜がルイズの風竜と分かった時点で、キュルケ達は相当まずい状況なのでは? と認識した。
もう一度馬車を見る。疑念を持って見ると御者の動きがおかしかった。頻繁に風竜を見上げ、蛇行するように馬車を操る。
服装も、只の平民のものであって、貴族を乗せる様なものでは決してない。
キュルケは、タバサと顔を見合わせた頷いた。
狂ったように走る馬車を、安全に急停止させることは事実上無理だった。馬が暴走して、馬車が横転するのが関の山だ。
そこでキュルケはタバサとタイミングを合わせ、同時に魔法を詠唱する。即ち、錬金とレビテート。
馬をつなぎ止める引き棒を紙に錬金し、そして馬車ごとレビテートをかけた。
馬車という大きな物にかけた、キュルケのレビテートはほんの数秒しか維持できなかったが、それで十分だった。
引き棒に繋がれていた馬は、紙と化した引き棒をあっさりと引き千切り、手綱を握っていた御者を引きずるように、
馬だけで走り去った。
そしてレビテートが切れた馬車は、駆動力がなくなって急速に速度を落して行った。
そしてフライを唱えたキュルケ達は、ふわりとその馬車の周りに降り立った。

「ちっ」
窓から様子を窺っていた男の顔がキュルケ達を見て引っ込んだ。
「そこ、おとなしく出て来なさい」
キュルケが杖を掲げて、炎球を浮かばせ、いつでも射出できる様にして、警告した。
暗い街道で燃え上がる炎は強烈な示威効果があった。それも通常の大きさではない。
観念したのか、馬車の扉を蹴破って、団子のようにもつれ合って中の男たちが出てきた。
二人の衛士の格好をした男たちに後ろ手に掴まれたネグリジェ姿のルイズに、キュルケ達は一瞬唖然とした。
かなり長い時間揺られたのか、憔悴しきった顔はやつれ、泥だらけになっていた。
「ま、まて、こいつを殺すぞ?」
衛士の一人がこれ見よがしにルイズの首筋にダガーを突き付けて、威嚇する。そしてもう一人が杖を出すが、タバサと
モンモランシーも同時に構えたため、それ以上の魔法発動動作は行わなかった。
おびえ切って疲れ切った様子の二人の表情を見たキュルケは、ぺろっと唇を舐めて妖しい微笑みを浮かべた。
「へぇ、ルイズじゃない。こんなところで奇遇ね、ふふっ、いい恰好じゃない」
「~~~~~~っ!」
「さすがのあんたも、猿轡されてりゃ魔法は使えないわよね?」
「げっ、こいつメイジだったのか?」
キュルケのニヤッと笑って艶めかしい口調に、憔悴しきっていたはずのルイズが、悔しそうな目で、キュルケをきっと
睨みつけて猛然と暴れ始めて地団駄を踏み始める。
その様子を見たキュルケは、作り上げた炎球をお手玉のようにぽんぽんとしながら手の甲で口元を隠して、上品に、
そして厭味ったらしく笑う。何も知らない衛士達でも、そのあからさまな侮蔑の態度がはっきりと感じられるように。
そしてそのキュルケの言葉に、暴れるルイズにダガーを突き付けた衛士が目を剥いた。
あまりの暴れ様にルイズの首筋に幾筋かの傷が付き、衛士は慌ててダガーを少し首から離した。
その動きを目ざとく見つけたキュルケは、一瞬笑みを浮かべた後、思いっきり嘲る様な口調で言い放つ。
「あんた達知らないで人質にしてたの? バカね」
「う、う、うるさい、近寄るな、こいつを殺すぞ!」
馬もない、武器もない、人数でも劣る。更にメイジに囲まれている今の状態では人質の効果も殆ど無くなっているのだが、
それでも衛士達は人質に掛けた。
「あら、知らなくて? 私って、そこのルイズの仇敵なのよ? でもおおっぴらにできないから、これは事故なのよ。
不幸な事故。たまたま強盗を一網打尽に焼き殺したら、実は人質に取られてた。っていう、不幸な事故になるのよね」
キュルケは、そんな映氏達を嘲笑うかの様に歌うように巨大な炎球を増やしながら、一歩一歩と近づいていく。
魔法が使える衛士は、自分の炎球の数倍の巨大さを誇るその塊を見て絶望した。火の系統の使い手である近衛師団長と
同じくらいの使い手が目の前で、炎球を弄んでいる。その目前の炎の化身の様なメイジの姿を見て自分の死が間近に
迫っていることを痛感した。
面白そうに、そして自分達を虫けらのように見つめるその眼に、そして人質を殺すことを喜んでいる様なその微笑みに、
圧倒的な強者を、牙をむくことさえできない力の壁を痛感した衛士達は自然と後ずさった。
「なっ、く、く、くるなっ、くるなっ」
「さて、気分いいわぁ、だって、ねぇ、ルイズ。うふふ」
蛙を前にした蛇のように妖しい舌なめずりをしたキュルケは杖を振り上げた。作り上げた三つの炎球を一斉に頭上に上げ、
そして杖を振り下ろす。
衛士達は自分達に迫ってくる炎球を見て、人質を放り出して逃げようと足掻いた。
「う、う、うわぁぁぁ」
走馬燈が走る彼等に強烈な衝撃が加わり、その身を弾き飛ばす。衛士達の意識を削り取ったのはタバサの
エア・ハンマーだった。
キュルケの炎球は目をぎゅっと閉じたルイズの直前で急激に方向が変わり、遠くの方が白み始めた夜空に大輪の花を
咲かせる。
「ルイズ! 大丈夫?」
ほっとした表情のモンモランシーが、慌ててルイズに駆けよって猿轡を外し、首筋の傷に顔をしかめて手早く水魔法で
治癒を施す。
「こ、こ、こ、こ、こ」
その治療にすら気がつかない様子のルイズはわなわなと拳を握り締めた。
「あら、鶏の真似? まだ鳴くのは早いわよ? それに鳴くのは雄鶏でしょ?」
キュルケは、さっきの妖しい表情を一転させ、詰まらなさそうに豊かな髪を手櫛ですいた。そして、おもむろに両手の
指を耳に突っ込む。
「この馬鹿キュルケーッ! あんた本気でしょ? 本気だったでしょ? 本気で炎球をぶつけようとしたでしょ?
本気で私を焼こうとしたでしょ?」
涙目になったルイズが、キュルケを睨みつけながら力の限り叫び。モンモランシーが慌てて耳を抑えた。
その声に驚いた動物が、ぎゃあぎゃあと鳴き声をあげて森の中を暴れ走る。
「あら、何のことかしら、おほほほ。あっさりと人質に取られるような、おバカさんの知り合いは、わたくし、
居ませんわよ」
キュルケは手の甲を口に当てて、上品に、そして厭味ったらしく笑い、ルイズがその挑発行為にさらに激昂する。
タバサが、意識を刈り取った衛士達を馬車から取り出した馬具やら、縄で身動きが取れないように縛り上げた後、
戻ってきた。
上背を利用してルイズの頭を手で押さえ、怒りに我を忘れたルイズのぶんぶんぱんちを無効化していたキュルケが、
全員が集まったのを見て口調を改めた。
「って、ふざけてる場合じゃないわ。ルイズ、あんたどうしたの? なんで、あんな雑魚に捕まってるのよ」
「う゛っ」
キュルケの痛い言葉に、ルイズが詰まる。確かに、自分を捕まえた衛士はさして強くもない。不意を打たれて、杖も
持っていなかったということが重ならなければ、とても捕まるような相手ではない。ただ、メイジが杖を手放していると
言う事実は、陸に上がった魚の様なもので、普通は考えられないのも事実だが。
ルイズは自分の失態がどんどん悪い方に転がって行ったことを思い出し、一人頭を抱えた。
「キュルケ」
「キュルケ、ルイズ、とりあえずこっちに」
頭の上に広がる森の木が、さっきのキュルケの炎球で焦げ取られ、タバサの風魔法で広げられた。
シルフィードが降りれる場所を確保したタバサが自分の使い魔を呼び寄せた。
タバサとモンモランシーの二人に促され、ルイズ達は頷いてシルフィードの背に乗った。
さすがに、強行軍の後の四人乗りに、シルフィードが何やら抗議をしていたが、タバサが「後でお肉沢山」と
言い聞かせて宥めていた。
「私達は一応密入国に近いから、あんまり表立った所にいけないのよね、ただでさえ内乱でピリピリしてるし」
「そう」
少し飛んで、風竜の追跡前に発見していたキャンプ候補地に舞い降りた一行は、手早く炎を起こして休憩出来る環境を
整えた。
モンモランシーが泉の水を汲んで、何やら魔法をかけて、そしてキュルケが作った火に掛けた。
モンモランシーが荷物の中から適当に身繕ったハーブを取り出して、ちょっとしたハーブティーを作って全員に配る。
しばらく誰しも無言だった。
徐々に空が白んでいき、そして鳥たちの鳴き声や、森も活気を取り戻し始めていた。
泥だらけの顔に気がついたモンモランシーが、固く絞った布でルイズの顔を拭いて、見かねた様に口を開いた。
「で、どうしたのよ、ルイズ。こんなに傷だらけになっちゃって。 シロ姉はどうしたのよ?」
「知らないっ」
「喧嘩でもしたの?」
「っ!?」
モンモランシーの心配そうな声と温かい手に、ルイズはほっとした。それと同時に、痛い所を突かれてプイっとそっぽを
向く。
その表情と態度にピンときたモンモランシーは、軽く笑った。
「図星ね? まあ、今までが仲良すぎたわけだから、そろそろ喧嘩の一つもするかな。って思ってたけどね」
「うううううっさいわね」
モンモランシーに、見透かされていたルイズは、顔を真っ赤にして喚いた。
「で、原因は何? 男?」
絶妙のキュルケの合いの手に、一瞬ルイズの肩がぴくんと強張る。
「あ、図星ね、まああれだけ美人でスタイルが良かったらいくらでも寄ってくるしねぇ、それに、軍隊でしょ?
そりゃ、男ばっかりだしねぇ」
モンモランシーが自分のハーブティーを口に運びながらルイズの硬直を目ざとく見つけ、納得するように頷いた。
「で、だれ? ひょっとしてウェールズ殿下だったりして」
「あ、ありうるわ~」
キュルケの茶々にモンモランシーが、はたと顔を見合わせ、うんうん頷く。
なんとなく、キュルケとモンモランシーの間で、シロ姉はウェールズ殿下と……的な結論が出そうだったので、ルイズは
慌てて言い返した。
「ち、ち、ちがうもん、シロ姉はそこらへんの男に惹かれたりしないもん」
毛布をかぶって、カップを両手で包み込むように持っていたルイズの拗ねた様な表情に、モンモランシーとキュルケは
ぷっと吹き出した。
「なんだ、やっぱり男じゃない」
「う゛」
自分が嵌められたことに気がついたルイズは、むくれて押し黙った。
「ウェールズ殿下じゃないんだったら、だれなの?」
キュルケと目を合わせたモンモランシーが、殆どのみほしているルイズのマグカップににハーブティーを注ぐ。
温かいハーブティーの湯気が立ち上り、そしてルイズの両手に温もりが戻る。
「……”イチヒコ”」
ルイズの口から、ぽつりと単語が転がる。
キュルケもモンモランシーも怪訝そうに眉を寄せた。
「イチヒコって、あんたじゃない」
「ちがうわ、ほんとの”イチヒコ”よっ、……”イチヒコ”なの」
キュルケの言葉に、がばっと顔を上げたルイズが、微かに潤んだ瞳を向ける。ただ、言葉は徐々に弱弱しくなり、
それとあわせる様にルイズの顔も俯いていく。
「って、会ったのっ? シロ姉は何て?」
思いもよらない名前を聞いたキュルケ達は、思わず詰めよった。
「ちょちょっと待ってよ、どういうこと? キュルケ達は何か知ってるの? それより何でこんな所にいるのよ?」
その剣幕に思わずルイズがたじろいだ。そして疑問をぶつける。
「え、あ、えーと」
「ひょんなところで、シロ姉の知り合いに会ってね、その人からおとぎ話を聞いたのよ」
「シロ姉の知り合い? おとぎ話?」
説明に窮するモンモランシーの後を継いでキュルケが真顔でルイズを見つめた。
なにがなんだか分からないルイズだったが、妙に気を引く単語が耳に残る。
「そう、自分は始祖ブリミルの姉で、シロ姉は古い知人だーって」
「えっ、ひょ、ひょっとしてミズ姉って名前……」
キュルケの言葉に、ルイズはあの”イチヒコ”の言葉が蘇った、その中で”イチヒコ”が姉という言葉を使っていた。
シロ姉とミズ姉。
その単語を心の中で繰り返した時、天啓のように閃いた。シロ”姉”? ミズ”姉”?
始祖ブリミル、いや、”イチヒコ”は姉と言っていた。であれば肉親。
だったら、六千年も離れ離れになった弟に出会って、泣かないはずはない、大切な人で当然、大好きな人であっても
おかしくない。自分がちいねえさまと離れ離れになったらどうか? 少し考えれば分かるはずなのに。
なのに……。

始祖ブリミルは、間違えるなと言った。なのに私は間違えた
始祖ブリミルは、失ってから初めて大事なものが分かると言った。その通りだった。
始祖ブリミルは、今掴んでいるものが尊いと言った。その通りだった。

わたしは我儘を言っていただけの、ただの子供だった。ルイズはシロ姉に叩きつけた自分の言動に心底呆れた。
でも、シロ姉が”イチヒコ”を見つめていた表情。その表情だけは未だに心に刺さったとげのようにチクリと傷む。
「ミズ姉? いいえ、”たびびと”のアール・タンポポだって言ってたわ」
「そう、そっか」
「ルイズ、どうしたの」
「なに一人で納得してるのよ、私たちにもわかる様に言いなさいよ」
ルイズの茫然とした後、どこか納得するような、納得できないような微妙な表情を見たキュルケ達は眉をよせて身を
乗り出した。
なんとなく、キュルケ達に聞いてもらおうと、ふと弱気になったルイズは、ぽつりぽつりと呟いた。
「……ほんとのイチヒコって人の動く絵があって、それを見たシロ姉が泣いちゃって……」
「で、ルイズはそれに嫉妬したの?」
「ち、ちがっ」
単刀直入に、キュルケに一刀両断されたルイズは、自分の想いを見透かされたようで、いろいろと言葉で飾って
正当化しようとしていたことを、あっさりと見抜かれて、思わず顔を上げた。
「じゃあなによ、本人が現れた訳じゃないんでしょ?」
「そ、そりゃ、そうだけど……」
「それで、喧嘩?」
「だ、だ、だって……」
いつものどこかシニカルな笑みを浮かべるキュルケではなく、純粋に心配する様な表情を向けられルイズは慌てた。
優しげな年長者の雰囲気を漂わすキュルケに、口を尖らせるしかできなかった。
「どうせ、それで部屋を飛び出して、あっさりとつかまったんでしょ」
「うっ」
キュルケにあっさりと自分の行動を見透かされたルイズは、言葉に詰まった。なぜこの友人はこうも的確に自分の行動を
予測できるのか。
「あんたねぇ」
「だって、イチヒコって、その人の名前なんだもん。じゃあ、わたしをイチヒコってなんで呼ぶのよっ、
私は身代りなわけなの?」
なんとなくキュルケがすごく年上の姉のような錯覚すらしてしまう、ルイズは思わず拗ねた口調で内心を吐露してしまった。
「じゃあ、あんたはルイズって呼んで欲しいわけ? ルイズって呼んでもらってたら嫉妬もしなかったわけ?」
「え?」
「違うでしょ? それは理由の一つであるけど、ほんとの理由は、シロ姉の目が他の人に向いたのが嫌なんでしょ?」
「あううう」
なんで、戦地のアルビオンで野営しながら人の愚痴を、それも恋の愚痴を聞いているのか、自分でも今の状況が
可笑しくなったキュルケは思わず笑った。
息まいて出て行ったルイズを心配して追いかけてみたら、当のルイズは嫉妬で拗ねてる状況。それも些細なことで
喧嘩してるときた。なんだかツェルプストーでの決意が、ばからしくなった。
でも、これがルイズだから仕方がないかと、苦笑をしながらキュルケが、桃色の少女の想いを解きほどいていく。
「単なる独占欲よ。それ。自分だけを見て欲しいってときに自分以外の異物があったから気が立ってるのよ。
まあ、分かる気もするけどね? モンモランシーなんかはどう? ギーシュっていっつもアレでしょ?」
「ああ、あれ? もう慣れたわ。寄り道したって、結局は私の所に帰ってくるから。だからルイズ、
心配しなくていいわよ」
「さすがに、相手の性格を見抜いてると言うことが違うわね」
免疫がないルイズには分からないかな? と思いつつモンモランシーに話題をふったら、しっかりと状況が分かっている
モンモランシーもルイズに語りかけるように助言した。
何か言いたそうにタバサがキュルケに顔を向けていたが、今までの経験上、浮いた話を聞いた事もない青い友人は、
ルイズよりも更にたちが悪そうだと思ったキュルケは、頬を引きつらせた。
「……」
「……タバサはいいわ」
「……」
話を向けられるのを、わくわくして待っている雰囲気が、一気にしぼんでいく様にキュルケには見えた。
「で、ルイズ、私から見て、呼び方は別にしてもシロ姉はあんたに一途に見えるんだけど? あんたは信用ならないの?」
「そ、そんなことないけど……」
「もう、シロ姉のこと嫌いになったって?」
「そ、そ、そんなことないっ! 嫌いじゃないわっ! でも……」
キュルケの言葉に、ルイズは思った。シロ姉を嫌いになることなんてない。絶対ない。だけど、自分の心に刺さった棘は
”イチヒコ”の名を聞くたびにちくんと痛む。
寂しさを解き放って上げようと、自分がずっと一緒にいるから、ずっと笑ってほしいと思っていた人が、あんな顔を
してしまう棘。その棘は心にしっかりと根を広げ、用意に抜けなかった。
キュルケはそんなルイズに意味ありげな笑いを向けた。
そしてルイズの背後を指差す。
「だったら直接本人に聞いてみたらいいじゃない、ほら」
「え?」
「シロ姉……」
「……」
慌てて振り返るルイズの眼に、大木に手を置いて寄り添うように立っているシロ姉の姿があった。その表情はとても儚く、
怯える様に弱弱しかった。

ぽんぽんぽん、ぽ、ぽぽぽぽぽん♪ ぽかぽかぽん♪ ぽ、ぽぽぽぽぽん♪


The North wind doth blow,
北風が吹いてくると
And we shall have snow,
もうすぐ雪が降ってくる
And what will poor Robin do then?
かわいそうなこまどりさんは、どうするの?
Poor thing.
かわいそうなこまどりさん

He'll sit in a barn,
たぶん納屋の中で
And keep himself warm,
ひとりで自分をあっためるの
And hide his head under his wing,
翼の中に顔を隠したこまどりさん
Poor thing.
かわいそうなこまどりさん