るるる-20

らてぃらてぃらてぃら♪ らてぃら♪ らてぃらてぃらてぃら♪ ら~らららら♪ じゃんっ♪
らてぃらてぃらてぃら♪ らてぃら♪ らてぃらてぃらてぃら♪ ら~らららら♪ じゃっじゃんっ♪


「きゅいきゅい」
空に舞い上がって、ロンディニウムに向かう最短距離を一直線に飛んでいると、シルフィードが緊迫した声で鳴いた。
まだ、ロンディニウムまではかなりあるが、自分の使い魔の緊迫した様子にタバサが辺りを見回す。
「あれ」
タバサの動きにつられる様に顔をあげていた一行も、タバサが杖で指し示した方向を見た。
進行方向の斜め前方の雲の裂け目に、米粒ほどの大きさのフネが所狭しと浮かんでいるのが見え隠れしていた。
その周りを雲霞のように待っていたモノの一部が、急速に方向を変える。
「ちょちょっとこっちに向かってきてるんじゃない?」
モンモランシーの悲鳴ににた声に重なるように、空に浮かぶ黒い砂粒に見えていた物がぐんぐんと大きくなっていく。
「風竜、いや火竜……? 人が乗ってる、ってことは竜騎士?」
ルイズの眼にも、飛んでくるものが竜だと、そしてその背に何か乗っているのが分かった。火竜に乗った竜騎士だと
認識出来るくらい大きくなった頃、大小取り混ぜて都合九騎の火竜が一斉に散開した。
「ちょっと、ルイズ、これって敵? 味方?」
「分かんないわよっ」
「ち、ちょっと、なんかやばそうよ?」
シルフィードを寄せてきて、キュルケが緊張した声でさんしょうおを頭に乗せたルイズに確認してきたが、
いつもの駐屯所で竜騎士達が来ていた服にそっくりであり、目の前の竜騎士が王軍なのか、反乱軍なのかルイズ自身も
分からなかった。
ちゃんとアルビオンの軍属で訓練を受けている正規の兵であれば、すぐに見分けがつく特徴も朝の光が差し込む空で、
揺れる風竜の上から、確認することは極めて困難だった。
だが、モンモランシーの言葉は全員の共通認識だったので、ルイズ達は火竜達から逃げるように翼を傾けた。
速度に劣る火竜を振り切るかのごとく風竜を加速させる。
「シルフィード?」
普通であればすぐ横を飛ぶタバサの使い魔の気配が無いのを訝しんだルイズが振り返ると、シルフィードは
かなり後ろにいた。
長旅の疲れと、三人乗せているハンデなのか、思ったほど速度を上げることができず、簡単に振り切れるはずの火竜を
なかなか引き離すことができなかった。
ルイズは思わず唇をかむ。
風竜に乗っているのが少女ばかりと言うことで躊躇した竜騎士達も、風竜が逃げる姿勢を見せたため、怒声と共にブレスや
魔法を撃ってきた。
どうしてもシルフィードが遅れがちになる分、攻撃がシルフィードに集中する。
シルフィードの野生の勘とタバサの指示が、迫りくる火炎や魔法を間一髪でかわしていた。
ただ、あまりにも集中する攻撃を回避し続けることは出来ない。やがてシルフィードがかわせなくなってしまう。
そうなってしまえば、浮かんだ的になってしまう。
「……イチヒコ、私が何とかする」
ルイズの歯噛みを横目で見たR-シロツメグサが、そっと肩口から後ろに座るルイズを振り返った。
シロ姉の申し出にルイズは、思わず頷きかけた。が、不意に母親の教訓が蘇る。

――”安易に頼るな、己が身でできる限りのことをせよ”

しかし、今、友人達が襲われている状況では、命のやり取りをしている状況では、頼っていいのではないだろうか?
いや、今こそ頼るべきだろう。魔法も力も、使うべき時に使うためにある。無暗に使うのではなく、本当に必要な時、
使わなければならない時に使う。その使い方を、使いどころを父や母、そして魔法学院で学んだのではなかったか?
……わたしは今、戦場に来ている。
誰も傷つけずに、すべて解決なんてことはできっこない。そんな傲慢な想いなんて持てない。
わたしはとってもちっぽけな人間。小さいから自分の目の届くところがすべて、自分の想いがすべて。
だから、わたしの友達が傷つけられるのは絶対嫌だ。絶対絶対絶対、絶対嫌だ。

だから戦う。

だから自分の力を使う。

だから自分が使える力を使う。

ルイズは一つの決意を込めた目でシロ姉を見た。
「シロ姉、シルフィードがなんとか逃げる時間を稼ぎたいの」
ガラスの刃物のような決意を見せるルイズの眼を見たR-シロツメグサは、そっと包み込むように微笑んだ。
R-シロツメグサ自身は、基本的にはアシモフコードを基準とした被造知性法に基づく制約が課せられている。
サンテグジュベリ号の中で既に制約は取れているとは言え、それでも無意識のどこか、心の欠片では、その制約に
反することに、ほんの僅かばかりの抵抗を覚える。しかし、D型である彼女は、キク科コードの”軍用機”と同じ様に
非常事態は戦闘をも厭わない。船外の戦闘は確かにキク科の担当範囲だが、船内であればキク科が使えない可能性もある。
そしてBC兵器を持ち出された場合、D型の彼女しか防衛することが出来ない。
結果的に本来の主任務であるドレクスラー管理以外に戦闘活動を行うことがある。
唯一だが最凶の兵器、重サラマンドラ槍兵器≪アンドリアス・ショイフツェリ≫を持っているのも、そういった緊急事態の
ためだった。
そして、それらが意味すること。
それは”敵”と認識した場合は被造知性法の制約が外れ、いくら相手が人間≪マンカインド≫であったとしても
殲滅することを厭わないということでもある。
「イチヒコ、もっと私を頼る。頼られると、私は嬉しい。……しっかりつかまる」
そう言ったR-シロツメグサはリュカを急激に回頭させ、シルフィードの横を抜けて旋風の様に火竜の群に突っ込んだ。
シルフィードの横を抜けた時に、キュルケとモンモランシーが蒼白な表情で何か叫んでいたようだが、眼をつぶって
シロ姉にしがみ付いたルイズには何も分からなかった。
竜騎士達も、まさか追われているはずの目標が突撃してくることなど予想していなかった。
それも百戦錬磨の竜騎士でもない、見目麗しい少女が、一頭だけで九頭の中隊に突撃するなど、想像すらしたことがない。
迷いの無い風竜の突撃に、とっさに独自に回避しようとした火竜はお互いが、進路を邪魔し合って包囲陣形が乱れた。
怒声と共に乗騎を叱咤した竜騎士達が、なんとか体制を整えて通り過ぎた風竜にくやしまぎれのブレスを浴びせる。
既に射程を大幅に超えている風竜にブレスが届くわけでもなかったが、竜騎士の苛立ちはこの上も無いものだった。
しかし、一回遠ざかった風竜がゆっくりと旋回して、再び頭を自分達に向けるのを見た竜騎士達は冷たい嘲笑を浮かべる。
先ほどは不意をつかれただけだ。万全の態勢を整えることが出来れば、たかが風竜一匹。焼き竜にしてくれるわ。という
意気込みが竜騎士の中に湧き上がる。
とりあえず、逃げるだけのシルフィードに二頭の火竜を向かわせた中隊長は、杖を掲げた。
「小賢しい風竜を黒焦げにしてしまえっ!」
その声に両翼を担っていた二頭の火竜が半包囲するように移動する。残った五頭の火竜は突っ込むリュカを受け止める
網のように十字に配置した。ぞれぞれの火竜はブレスを吐く体制を取り、復讐の機会を与えられた竜騎士達は自分達の
必殺の呪文を唱える。
「ちょ、ちょ、ちょっとシロ姉っ!」
「大丈夫」
ルイズはリュカの信じられないような速度と、めまぐるしく体勢を入れ替える機動に、振り落とされないように必死に
シロ姉にしがみついていた。
ゆっくりと旋回したあと、何か興奮した雰囲気で飛ぼうとするリュカに気がついたルイズは、シロ姉の肩口から、
そーっと顔をのぞかせた。
ルイズは、目の前に広がる網のような火竜の群れと、口からブレスの炎をちろちろと見せるその凶悪な顎に総毛だった。
まるで火山の火口に突撃する様な状況に悲鳴を上げる。ぎゅっと目を閉じてシロ姉の背にしっかりと顔を押しつけた。
そんなルイズの行為を、場違いだが幸せに感じつつ、何事もないような口調でR-シロツメグサは手を前にかざす。
「防護≪Deflect≫」
リュカは、彼ににとっての絶対者でもあるR-シロツメグサを信じているので、指示に従って翼を折りたたみ、
隼のように一直線に火竜の群れに突撃した。迫りくる死の顎を前に、歓喜の声を上げつつ速度を落とさず突っ込んでいく。
自殺行為の突撃に、苦笑した敵中隊長が杖を振り下ろす。
火竜が溜め込んだブレスを思い切り吐き出し、空を夕焼けに染めるような炎が何条も飛び交う。
高温の炎は一瞬で風竜ごとき真っ黒焦げにするだろう。そして、騎手たる竜騎士たちもそれぞれの魔法を一点に集中させる。
捲き起った炎や風の槍が火竜のブレスに包まれた風竜を更に抉る。炎に包まれた風竜の死を、竜騎士達は確信していた。
女子供を手にかけたことに多少の罪悪感を感じつつも、”敵”と認識した以上、職業軍人の彼等は殲滅するのが任務だった。
「ば、馬鹿なっ」
しかし、そんな彼等を嘲笑うかの様に、炎の中から何かに守られたような無傷の風竜が飛び出し、呆気に取られた中隊長に
ブレスを吹き掛けて叩き落とした。
勢いをそのままに飛び去る。
加虐心そのままに自分達が放った攻撃はたとえ大型の火竜ですら一撃で落とすほどの攻撃だったはず。
その攻撃をまともに受けてなお無傷な風竜に、あっけに取られた竜騎士達は黒焦げになりながら墜落して行った中隊長を
茫然と見送った。
「追え! 追うんだ!」
「何かの偶然だ! 叩き潰せ」
見送った小隊長達は、はっと我に返って声を張り上げた。
復讐の目がぎらぎらと輝き、冷静さを失った。竜騎士中隊が、たった一頭の風竜にいいようにやられたなどと、
彼等のプライドが許さなかった。頭を失った中隊は飢えた猛獣のように飛び去った風竜を追いかける。

ルイズ達が作った隙にシルフィードはロンディニウムに向かって、翼を必死に羽ばたかせた。
タバサがさすがに沈痛な目を自分の使い魔に向ける。
追いすがる火竜二頭の炎をキュルケとモンモランシーが迎え撃った。とはいえ、戦闘向きではないモンモランシーは
水壁でなんとか防ぐのが精いっぱいで、キュルケも、火竜二頭のブレスと、敵竜騎士二人の波状攻撃に、あしらうのが
精一杯だった。
シルフィードが万全であれば、高機動で相手を振り回して叩き落とすことも簡単な話だが、今の状態では無理だった。
(このままだとじり貧ね)
キュルケは臍を噛んだ。仕方がない、大技で撃ち落とすか。と杖を掲げた時、追いすがる火竜が慌てたようにスピードを
落とした。
「え?」
「援軍」
キュルケが訝しんだ時、タバサがほっとした様に、息を吐いた。
慌てて振り返ったキュルケの視界に、十頭の風竜が躍り出た。
「はっはーっ! 窮地に颯爽と現れるナイトの出番だぜ!」
「ちょっとそこのお嬢さん、後でデートな」
シルフィードの両翼を守る様に、三頭の風竜が速度を合わせて飛び、残りの七頭の風竜が、慌てて竜首を翻し逃走に
移った火竜達を追撃する。
並走する二十代半ばと思しき若い竜騎士が、呆気に取られているキュルケやモンモランシーに目を止めて軽口を叩く。
その笑顔は彼女たちには、なかなか魅力的に見えた。窮地に陥っていた分、何割かましに見えたのもあるが。
「下らんことを言ってないで、さっさと叩き潰せ!」
「はっ」
上空に位置する壮年の竜騎士に、苦笑まぎれに叱咤された若い小隊長達は、一瞬真顔で答えたかと思うと、投げキッスを
キュルケ達に送って、先行組を追い掛け始めた。
安堵感と共に、一息ついたキュルケ達に、壮年の竜騎士が、鋭い視線を向ける。
「さて、君等はいったい何者だ? 返答如何では……」
「そんなことより、ルイズをっ、友達を助けてよっ!」
杖を突き付けた、竜騎士の言葉を遮る様に、モンモランシーが叫んだ。
その言葉に、眼を軽く見張った竜騎士は納得するように頷いた。
「なるほど、ルイズ卿の御友人か。してルイズ卿は何処に?」
まさか相手がルイズを知っているとは思ってなかったキュルケは、目を見開いて驚いたが、慌てて飛んできた方向を
指差した。
「了解した。我々が責任を持って助けよう。そなた等は早く安全な所へ」
そう言った壮年の竜騎士は、乗騎に掛け声をかけて速度を上げた。
「安全なとこってどこよ……」
三人はへろへろと飛んでいるシルフィードの上で、顔を見合わせた。

二頭の火竜を翻弄した後、撃ち落とした竜騎士中隊は、遠くに見える残敵めがけて飛行した。
楔形編隊を組んで接近すると、一頭の風竜に群がる火竜という構図が明らかになった。その風竜の上に乗っているのは、
小隊長達が狙っていた、白と青の女性だった。それと桃色のぺったんこ。
いい所を見せれば、メロメロに? と、同時に同じことを考えたのか、小隊長二人は、自分達の部下を叱咤して、突撃を
敢行する。もともと第七中隊の現行任務は敵竜騎士部隊の殲滅であるため、本質的に問題はない。
慌てて散開する敵火竜とリュカの間に陣取った二人の小隊長は、呆気に取られる表情のRーシロツメグサに、
格好をつけて細剣状の杖でロンディニウムの方向を指し示し、舞台の英雄気取りで笑った。
「早く行けっ、アール・シロツメグサ卿!」
「ここは我ら、第七十一竜騎士小隊が引き受けた!」
「こら、てめぇ、勝手に名乗るなよ、アール・シロツメグサ卿、第七十二竜騎士小隊に任せろっ!」
小隊長達は戯言を言いながらも、部下を連係させて火竜を追いやっていく。
頭の軽薄さとは別に、その実力はなかなかのものだった。
「今度は俺達が勝つからなっ、アール・シロツメグサ卿」
声を揃えて、そう言った小隊長達は、本格的に部隊を統制して、敵竜騎士部隊を分断して各個撃破していく。
「早くお友達と一緒にウェールズ殿下の所に! ロンディニウム上空の巡洋艦イーグル号に乗船されております!」
少しして追いついてきた顔見知りの中隊長に促され、R-シロツメグサとルイズは、現場の竜騎士達に感謝をしながら、
リュカをロンディニウムに向けた。
キュルケ達の乗ったシルフィードが無事と聞いてルイズは、ほっとため息をついた。
同時に自分が、自分の判断で人を一人黒焦げにしたことを思い出し、全身ががたがたと震え始める。
直接手を下したわけではないが、事実がナイフのように突き刺さる。暗い薔薇の蔦が心を締め上げ、呼吸が止まる。
目の前が暗くなりかけたとき、そっと頭が何かに包まれた。
すっと呼吸が楽になる。冷や汗に包まれた顔を上げると、自分を抱きしめるシロ姉の穏やかな顔があった。
「シロ姉……」
「大丈夫、私がついてる」
その包み込むような表情を見ていると、ルイズの心は静かになっていった。
事実は消えない。でも、やらなければならなかったことも事実。自分達が、自分の友人が生き残るために、どうしても
しなければならなかったこと。
ルイズは振り返った。そこには激しいが一方的な戦闘を繰り広げる竜騎士達の姿があった。
彼らも、こんな思いを抱いているのだろうか?
でも、いまは立ち止まれない。今は後ろを見ている余裕は無い。振り返るのはもう少し先。
せめて自分の責任を果たしてからでないと。
ルイズは、しっかりと前を見た。シロ姉の手を借りながらも自分で前を向く。
そして遠くに友人達の乗るシルフィードの姿を見つけることが出来た。
「……よかった」
シルフィードの背に乗った友人達が手を振るのが見えた。友人達を救うことが出来た。その事実がルイズの心を少しだけ
強くする。

ふと気にかかることがあって、シロ姉の背中をつついた。
「ねえ、シロ姉、さっき、今度は勝つって言ってたけど何かあったの?」
ルイズの問いかけに、困ったような表情を浮かべたシロ姉は、考え込むように小首を傾げた後、呟くように言った。
「……アルコールの摂取・分解量競争?」
「……それって、飲み比べってこと?」
「……そうともいう」


戦場を避け、大きく迂回するようにしてロンディニウムまで何とか到達したルイズ達だが、哨戒していた竜騎士に誰何され、
包囲された。争う気のないルイズ達はそのまま投降したが、なぜ自分が拘束されるのか分からなかった。
顔見知りの近衛師団の中隊長が、申し訳なさそうな表情を浮かべながらも近くの巡洋戦艦インヴィンシブル号にルイズ達を
連行した。
竜舎での騒動の後、ルイズとリュカの姿がなくなったことで、竜舎襲撃の犯人の一人と看做されていたことが、拘束の
原因であった。
結果的にルイズの説明と状況との整合性が取れて、ほどなく解放された。
ネグリジェ姿のルイズを見かねた女性士官が、自分の制服の代えを渡してくれ、感謝しつつそれに着替える。
ルイズ達は出来るだけ早くウェールズ皇太子の元へ行きたいと打診し、連絡将校の先導で陣形の中央に位置する
黒くタールが塗られた精悍なフネ、巡洋艦イーグル号の甲板に降り立った。
「大変申し訳ありませんが、ここから先はルイズ卿とアール・シロツメグサ卿だけしか通れません。
あと、確認してまいりますのでしばらくお待ちください。」
イーグル号の甲板から、艦内に入ろうとしたキュルケ達は、ここまで案内してきた連絡将校に止められた。
「まあ、当然か、じゃあ、私達はここで待ってるわ」
キュルケは少し残念そうな顔をしたが、状況が状況だけに、無理を言うこともなく甲板上の一画で待機している竜騎士の
風竜や火竜の横にシルフィードとリュカのスペースをもらって、そこに陣取った。
自分の竜を世話している竜騎士たちに、分けてもらった食事をシルフィードはむさぼるように食べた後、ようやく
落ち着いたのか丸まって寝始めた。
同じく人間用の食事も風防の一角の竜騎士達の待機スペースに用意してもらい、キュルケ達はそこで休憩を取ることになった。
タバサは疲労困憊の自分の使い魔から離れずに、いたわる様にそっと撫でていた。
見かねたモンモランシーが、提供された軽食をもってタバサに歩いていく。
「ルイズ、早く行ってきなさいよ。私達のことは気にしなくていいから」
連絡将校が再び戻ってきたことに気がついたキュルケに追い立てられたルイズは、後ろ髪を引かれる思いだったが、
頷いてシロ姉と一緒に艦内に向かった。

案内役の連絡将校について狭い艦内通路を奥に進み、前線旗艦として設計されているイーグル号の艦橋に通された。
ドアを開けた瞬間、室内の喧噪が溢れだしてきた。
飛行系の使い魔がもたらしてくる情報を状況把握用の通信係官がひっきりなしに報告し、参謀達が整理している。
その状況を図示した戦況図を大きなテーブルの上に置いて、ウェールズ皇太子と数名が細かいメモを見ては作戦を
練っていた。
通常の巡洋艦では考えられないほど大きな艦橋も、今は人であふれていた。
「ウェールズ殿下っ」
「やぁ、ルイズ卿にアール・シロツメグサ卿、無事だったかい」
ルイズは、まだ大丈夫だ。とほっとした後、ウェールズに駆けよった。
その声に、ふっと顔を巡らせたウェールズは、深刻な表情から一転して軽く安堵したように笑った。その主人の笑顔が、
激しい戦況の中での一服の清涼剤と化したのか、艦橋の要員達も一息ついた。
「はい、御迷惑をおかけしました」
「ああ、そうだ、報告を聞いた。卿のおかげで竜達に被害がでなかった。感謝する」
ウェールズはルイズの表情に何かを感じたのか、おやっという表情を浮かべた。そして、姿勢を正して表情を引き締める。
ピリッとした空気が流れ、艦橋の要員も姿勢を正した。
ウェールズの言葉と、回りの要員の視線に、顔を赤くしながらもルイズは軽く頭を下げた。
「ありがとうございます。あと……」
「ああ、例の電光の魔法はまだ出現してないな」
ルイズの言いたいことを察知したウェールズは、眼に鋭い光を浮かべた。
戦況をまるっきり破壊してしまう、相手の強力な魔法。今回はもう後がない。ここで、ウェールズが破れることがあれば、
もう勝ち目はなくなる。
今回の戦いは、それこそアルビオンの命運を握る決戦でもあった。
ルイズはその言葉に秘められた重みと、ウェールズの覚悟を敏感に感じ取った。
実際、自分の力が戦況に及ぼす影響は微々たるものだろう。
しかし、相手の電光の魔法を防ぐことが出来れば、水の精霊の恋人をクロムウェルという敵司令から救い出すことが
出来れば、その状況も変わるのではないか。
ルイズはウェールズの決意を前にして、自ら志願した使命を改めて心に刻んだ。絶対に救う。水の精霊の恋人を、
ウェールズ皇太子を、絶対に救う。と。
ルイズの強い決意を秘めた視線を受けたウェールズは、ふっと表情を崩して顎に手を当ててルイズを上から下まで眺めた。
その値踏みするような視線に、ルイズはなんとなく表情を引き攣らせる
「な、な、なんでしょう?」
「しかし、我が軍の士官服が似合ってるな。いっそのことこのままアルビオンに来るかい?」
「う、う、ウェールズ殿下!」
「はっはっは、冗談だよ。さて、申し訳ないが、要員の邪魔にはならないように」
「はい」
自分の軽口で顔を真っ赤にしたルイズを見て、軽快に笑った後ウェールズは休憩は終わりだと言うようにルイズ達の席を
艦橋の隅に用意させた。
「ルイズ卿」
「は、は、はい」
「卿に疑いの目を向けるように進言したのは私です。職業柄必要だとはいえ、大変申し訳ない」
「あ、あの、気にしてません。わたしが迂闊だったから、捕まっただけで……」
ルイズが与えられた席に行こうとした時、ウェールズの横にいた老境に差し掛かっている参謀長が口を開いた。
なぜかウェールズが、また始まったとばかりに苦笑している。
あわてて振り返るルイズに、眩しいものを見る様に参謀長が目を細める。
何も言わなければ分からないのに、潔癖なのか参謀長は自ら自分の非を認めた。
慌てて両手を振ったルイズは、人生の大先輩と言っていい程の年の人に対等に扱われ、あまつさえ謝罪されたことに、
恐縮して語尾が小さくなっていく。
参謀長は軽く頭を下げると、視線を戦況図に戻した。

ルイズは落ち付かなかった。
艦橋内の喧噪に目をやっていたかと思うと、席を立って艦橋の窓に張り付いて外の様子を見たりしていた。
いつ電光の魔法が煌くのか、いてもたっても居られなかった。
その様子を見ていたR-シロツメグサは軽くため息をついて、窓際で外を見ていたルイズの横に立った。
「イチヒコ、すこし、落ち付く」
「う、うん」
窓から見える先には、幾多のフネが見える。
前方の遥か彼方で大砲を撃った時に立ち上る煙が空を白く染めあげ、時折炎が吹きあげて砂粒の様なフネが落ちていく。
竜達が舞い飛び、そして撃ち落とされる。目の前で繰り広げられる生と死の競演が、ルイズに届く。
ルイズは何もせずにじっとしていることに耐えられなかった。わたしになにかできることは? と思っていたが、
自分単独で動いても何もできないと、また竜騎士達の手を煩わすだけになると、もどかしい思いを抱えていた。
R-シロツメグサは、そんなルイズの為に何かしてあげようと思った。当面の問題であるX-428の所在が分かれば、
少しは役に立つだろうと判断し、ルイズ探索の為に作り上げたドレクスラー生物≪フクロウ≫に呼びかけた。
たまたまアリシアンレンズ≪EES≫に届く範囲にいる一羽が反応し、高度にあるフネに四苦八苦しながら飛んできた。
突然、窓枠にとまったフクロウに驚きの表情を向けるルイズを横目に、X-428の探索と新しい命令の伝播に
行動パターンを切り替える。
自律型にしてあるのと、この土地では重力制御フィールドの影響かアリシアンレンズ≪EES≫自体の効果範囲が狭く、
全体に対しての直接制御はできない。が、何もしないよりかましだろう。
ルイズの問いたげな視線に、探しものを手伝ってもらう。とだけ答えた。

「殿下、このままでは上を制圧されます」
「……ロサイスのボーウッドはどうした?」
「既に交戦中です」
時間がたつにつれ徐々に物量の問題が明らかになってきた。個々の戦闘能力では王軍の方に軍配が上がる。しかし数が違う。
反乱軍はどこから資金や兵力を調達しているのか分からないが、前回の戦闘で減らした以上の兵力を用意していた。
錬度に勝る王軍とはいえ、疲れを知らずに戦うことはできない。
徐々に動きが鈍くなっていき、物量に押し負けられるようになってきた。
ウェールズはその状況に、唇を噛んだ。
ぎりぎり均衡を保っていた戦線だが、綻び始めてきていた。部隊壊滅の知らせが相次いで届けられている。
このままだと雪崩るように戦況が瓦解する。
ウェールズの視線を向けられた参謀長はゆっくりと首を振った。
「ロイヤル・ソヴリン号を中心とした戦列がなんとか支えて居ますが、敵艦船の数が多すぎます」
「竜騎士達はどうなってる?」
「戦力は拮抗していますが、数が違います、時間の問題かと」
「下は?」
「地表兵力は、敵亜人による重歩兵に押されています。マーシャル卿がなんとか抑えていますが……」
「く、上だけでも、なんとか……」
ウェールズの問いかけに、参謀長は戦況図を指差して、手元のメモを捲る。
その言葉は的確に現在の不利な状況を伝えている。
アルビオン軍の象徴たる大型艦を最前線に出して、その攻撃力と防御力を活用する楔型陣を引いていた。
巨大な砲門で敵艦船を薙ぎ払っていたが、無傷と言うわけにはいかず、満身創痍の状態だった。仮にロイヤル・ソヴリン号が
撃沈された時の影響を考えないではなかったが、あのフネに積んである砲は捨てられなかった。
本来であれば旗艦にするべきフネだったが、少しでも戦力が欲しかった為、前線の機動要塞として配置してある。
翻って地上では、オーク鬼やトロール鬼等の膂力に優れる亜人を反乱軍は前線に持ってきていた。
その亜人連合軍に対し、ウェールズはウィリアム・マーシャル伯爵の率いる近衛師団と王都防衛軍の砲兵連隊を
繰り出して迎撃していた。
白兵戦の戦場でこそ威力を発揮する炎の師団長が獅子奮迅の動きでもって劣勢になりがちな所を支えていた。
ウェールズは、その状況を前に眼を閉じた。
自然と全員の視線がウェールズに集まる。目を開けたウェールズは、静かな声で言った。
「分かった、イーグル号を前面に出せ」
「殿下! 危険すぎます!」
「今は上の戦力が少しでも必要だ。空を制圧すればまだ勝ち目はある」
「ですがっ、殿下の身に何かあれば、一瞬で戦線が瓦解します。参謀長として反対します」
「くっ」
ウェールズの覚悟を決めた口調に、参謀長は真っ向から反対した。
自分の主君の性格を思えば、ここまでよく後方で我慢していたものだと感心する。しかし、それとこれとは別だった。
戦力は欲しい、喉から手が出るほど欲しい。しかし、ウェールズを欠いてしまうと、アルビオン王家はまず勝てない。
ウェールズの死はそのままアルビオンの滅亡に繋がる。
戦争に負け、ロンディニウムを落とされても、ウェールズ皇太子さえ顕在であればアルビオンを立て直すことはできる。
参謀長は近衛師団長との会話を思い浮かべていた。
この時期にルイズ卿が使者として来たのは、ひょっとしてウェールズ皇太子を亡命させる下準備ではないのか? と。
ウェールズの性格からして、逃げることを良しとせず、確実に戦いを選択するだろう。
だが……
参謀長の思考は、艦橋の一角で遠見の鏡で状況を目視確認を行っている兵士の、歓喜の声にかき消された。
「ウェールズ殿下!」
「なんだっ?」
「反乱軍の戦列が突如として混乱、綻びが出ました!」
「なんだと?」
苛立っていたウェールズの鋭い声に、表情を改めた兵士は姿勢を正して状況を報告する。
その言葉に、参謀長もウェールズも艦橋の窓に目を向けた。
しかし、眼で見える距離ではないことが分かった彼等は慌てて遠見の鏡の前に集まった。
その声の緊迫状況に、ルイズ達も邪魔にならないように後ろから覗きこむ。
「突如、反乱軍の後方にフネが現れて、一直線にこちらに向かってきます!」
「何処のフネだ?」
「そ、そ、それが、トリステインの国旗と見たこともない旗を掲げています。恐らくはどこかの貴族旗かと」
監視していた兵士が、横で状況を解説して遠見の鏡を調整する。
焦点があったそこには、優雅なデザインのフネが浮かんでいた。戦場に出るものとしては似つかわしくもない純白の
キャラベル船で、高々と二つの旗をなびかせていた。
一番上に翻るのは、トリステインの青地に白の百合の紋章、そしてその下にもう一つ。
「何っ? まて。あれは……」
「え? あ、あれは……ラ・ヴァリエールの旗……」
トリステインの旗は誰でも知っている。が、その下の旗にウェールズは見おぼえがあった。
あれは確か……。
ウェールズが考え込む背後から、素っ頓狂な声が聞こえた。全員が一斉に声の主を見る。
そこには呆気に取られた表情のルイズがいた。
全員に見つめられ、ルイズは慌てたが、監視員の驚愕の声が再び全員の視線を遠見の鏡に集まる。
「殿下っ、あれを見てくださいっ!!」
純白のフネの周りに集まった風竜や火竜が、突如として巻き起こった竜巻に巻き込まれ力なく落ちていく。
その竜巻の巨大さや強力さは、ウェールズも初めて見るほどのものだった。
「あれはカッタートルネード……トリステインであんなでたらめな魔法が使えるのは……まさか”烈風”殿か、ばかなっ」
ウェールズの脳裏には一つの名前が浮かんでいた。だが、そのトリステインにおける最強の誉れ高い術者はウェールズが
生まれた頃に突如として姿を消し、そして表舞台から名前を消していたはずだった。
しかし、伝説とも言える魔法を目の当たりにしては、その人物しか思い浮かばなかった。
以前、何故トリステインの近隣の大国がトリステインに手を出さないのか、当時の教育役に訪ねたことがある。
その時の教育役の回答は、損害が予測できないから。と言うことだった。
戦えば確実に勝てる。しかし、勝ったとしても、損害が多すぎれば意味がない。
そして、その損害がどれほどのものになるか予想がつかない。投資する以上の損害があれば、投資しない方がいい。
その見極めがつくまではトリステインは安泰だろう。難しい顔をした教育役の言葉に幼いウェールズは納得したものだ。
そしてその損害を不確定要素にする筆頭が、”烈風”と名高いトリステイン魔法衛士隊の元隊長だった。
いくつもの武勇譚に語られるトリステインの英雄。その烈風の風は全てを薙ぎ払うと聞いていた。
カッタートルネード自体がスクウェアスペルであり、アルビオン王国随一と言っていい風の魔法使いであるウェールズですら、
まだ手が届かない。それを、フネの倍ほどのサイズで引き起こすなどと、実際に見るまでは誰も信じなかった。
「……し、信じられん、圧倒的だな」
ウェールズは、遠見の鏡の中に映る光景を見て絶句した。
近寄る竜ははたき落とされ、進路上に存在するフネは巨大なハンマーに殴られたように撃ち落とされ、あるいは巨大な
槍に突き刺されたように大穴があく。
物量に物を言わせて包囲されたかと思うと、七本の竜巻が現れて包囲した艦船を纏めて薙ぎ払った。
それを見た反乱軍は手出しを控え、進路を一斉に開けた。
恐れをなした反乱軍を横目に純白のキャラベル船は優雅に、そして滑る様にアルビオン王軍の方に飛んできた。
その行動がアルビオン王軍に勇気を与え、反乱軍の士気をくじく。押され気味だったアルビオン王軍は急速に息を吹き返し、
怯んだ反乱軍に向かって攻撃を激化していく。
ウェールズは、兵士たちの士気が戦況にどれほど影響するか、その身をもって知った気がした。
艦橋に活気が戻った。通信が急激に活発になっていく、状況把握用の通信係官が慌てて状況を確認し、そして参謀達が
状況を整理していく。
ウェールズも参謀長に促され、戦況図のあるテーブルに戻った。

「どどどどどどどうしよう……」
お母様がやってきた。わざわざこんな遠くまで、それもあんなに魔法を連発して……
ルイズだけが、母の雷を想像して一人蒼白な顔をしていた。

「御無沙汰しておりますな、ウェールズ・テューダー殿下、先の園遊会以来ですかな」
トリステインからのフネがイーグル号に接舷した。そして、そのフネから現れた人物を見たとき、
ウェールズは自分の目を疑った。
トリステイン王国の重鎮でもある、名門公爵家の当主その人が夫人を連れて風にマントをなびかせていた。
「馬鹿なっ、ラ・ヴァリエール公爵! 何を考えておられるっ! トリステインの重鎮が何と言う所にっ!」
「はて? 何かありましたかな? おお、そうだ、ちょうど目の前に邪魔なフネがありましてな。
綺麗好きな妻が少し掃除をさせてもらいましたぞ」
「御無沙汰しておりますわ、ウェールズ殿下」
信じられないという表情のウェールズを余所に、涼しい顔のラ・ヴァリエール公爵夫妻は、護衛の一団と共に優雅に
飛び立ってイーグル号の甲板に降り立った。
甲板で休んでいたキュルケ達があっけに取られている様子を一瞥をすると、ウェールズに向かって優雅に一礼をした。

ウェールズは指揮を一時的に参謀長に任せ、イーグル号にある応接室にラ・ヴァリエール公爵夫妻を招き入れた。
一応戦闘艦とはいえ王族が乗る旗艦として設計されているだけあって、本来あり得ない用途の部屋も一応準備されている。
ウェールズは、そこにルイズとR-シロツメグサも招き入れた。
「お父さま、お母さま……」
ラ・ヴァリエール公爵夫妻は硬直したような引きつった表情のルイズの小さなつぶやきを丁寧に無視して、ウェールズに
向き合った。
「さて、わざわざ参りましたのは、アンリエッタ王女の名代として、水精霊の音楽祭のご招待に上がりました」
「は? 今、なんと?」
ウェールズは向かい合ったラ・ヴァリエール公爵の口から出て言葉が信じられなかった。
とても、トリステイン王国の実質的No.2がわざわざ他国の、それも戦場の真っただ中にやってくる要件ではない。
一瞬聞き間違えたのか?と思った。
国の行く末を左右するような重大な盟約でもなければ、ラ・ヴァリエール公爵が出張るなどあり得なかった。
ウェールズの困惑を、面白そうに見たラ・ヴァリエール公爵はその美髯に軽く手をやった。
「おやおや、ウェールズ殿下。まだ、耳が遠くなられるような御年頃でもありますまい」
ウェールズはその言葉を聞いて、改めてラ・ヴァリエール公爵を見つめた。
夫人を連れた公爵の姿は、何かを試しているようにも見えた。
そして、そのとぼけた言動とは裏腹に左目のモノクルを煌かせ、炯炯とした眼はしっかりとウェールズを見据えている。
それほど大きな体ではない。が、その雰囲気が醸し出す迫力は、ウェールズをしても一瞬怯むほどだった。
これが”烈風”か。ウェールズは一人で納得し、ふっと息を吐いて肩の力を抜いた。
これからがあるかどうかわからないが、自分が王になれば、目の前の様な強力な貴族を相手にしていかなければならない。
自分に、その器があるのか、今試されているような気がした。
ウェールズは、ゆっくりと相手の目を見返した。
「で、なぜ、今なのだ?」
「いえ、水の精霊の祭司でもあるトリステイン王家が、水の精霊の無聊を御慰めしよう。と考えましてな。
ジェームズ一世陛下は御無理でもウェールズ殿下はぜひにと。アンリエッタ王女殿下たってのお願いでございますな」
アンリエッタと言う名前に、ウェールズは遠い目をした。この殺伐とした争いが始まったのはいつだったか。
最初は小さな反乱と思っていたが、どんどん火が大きくなり、アルビオンの半分を燃えつくさんばかりに広がった。
その争いの過程で、美しい想い出の花も忘れかけそうになっていた。
だが、そのトリステインの花が、窮地に晒されているアルビオンに何度も光をもたらそうとしている。ウェールズは
不意に昔を思い出した。水の精霊のいるラグドリアン湖の畔で交わした約束を。
誓約を思い出したウェールズは、ふっと笑みを浮かべた。
「アンリエッタが……わかった、ご招待をお受けしよう。ただ、今は何分ドタバタしていてるので、落ち付いたら正式に
返答する。そう言うことでいいかな?」
「ええ、結構です。では、これが親書です。確かにお渡ししましたぞ」
ウェールズの言葉にラ・ヴァリエール公爵は満足そうに笑った。
ラ・ヴァリエール公爵から受け取った親書はウェールズにとっては黄金にも等しく思えた。
まじまじとその親書を見つめた後、ウェールズはふと顔を上げた。
「ところで、ラ・ヴァリエール公爵」
「なんですかな?」
「何故、貴方がわざわざ使者の役を? 祭の招待状を持ってくるだけで王国の重鎮が、それも奥方を連れてくるとは
考えられないのだが?」
ウェールズの指摘に、ラ・ヴァリエール公爵は微妙な表情で笑い、そして、後ろに控える妻を振り返った。
「ははは、痛い所を突かれましたな、いえ、実は妻が旅行に行きたいと、結婚して初めて我儘をいいましてな」
「あなたっ」
「我儘……ですか?」
ウェールズは公爵と夫人の言葉に、何と返していいか分からなかった。
それ以上に、ウェールズの後ろに控えるルイズが愕然とした。まさか自分の両親のこんな姿を見るとは、
それもこんな状況で見るとは思わなかった。逆にその異様なまでの不自然さが、どう見ても演技にしか見えないところが
ルイズには眼についた。
状況を考えて、自分の父が、母が、こんな能天気なことを裏もなく話すはずがない。必ず何か隠しているものがある。
ルイズは表情を引き締めて自分の両親を見据えた。
その視線に気がついたのか、公爵夫人カリーヌはそっと目を細めた。
「固く夫に口止めしておりましたのに、ウェールズ殿下に内輪の話をあからさまに申し上げてまして、
御恥ずかしい限りでございます」
「ははは、いやいや、そのお気持はよく分かります」
本当の意味での公爵夫人を知らないウェールズは、普通の貴族夫人が別荘等で過ごす感覚で、国外の旅行で
少し冒険でもしたかったのだろうか? と単純に思った。
”烈風”としての過去を隠すラ・ヴァリエール公爵の意図は分からないが、あれだけの強力な使い手がいれば
少々のことでは危機に陥ることもない。一人誤解したまま納得するウェールズだった。
「で、たまたま、アンリエッタ王女が使者をアルビオンに送ると聞きましたのでな、それでは妻との旅行ついでにと、
出張った次第です」
「はぁ」
「ですので、来るときは公務でもありますので直行してまいりましたが、帰りは少し風景でも見ながら
のんびりと帰ろうと思っております」
ニヤリと笑ったラ・ヴァリエール公爵の表情を見てウェールズは公爵の意図を悟った。やはり、目の前の公爵は只者ではない。
”烈風”の二つ名は伊達や酔狂ではないな。と。
ラ・ヴァリエール公爵は直行してきた。と言った。向い来るフネを叩き落とし、襲い来る竜達をはじき返して真っすぐに、
戦場の真っただ中を、凪いだ湖の上を滑る船のように直進してきた。
そのラ・ヴァリエール公爵が、”のんびり”と帰るという。
ウェールズは、非公式な協力に心の底から感謝した。公式な扱いではただの使者としてであって、トリステインが
アルビオンの内政に干渉したということも、公式な軍事同盟を結んだと言う事実もない。
トリステインとしては、今のバランスを崩して、隣接する大国に脅威に思われることは避けたい。だが、侮られることも
避ける必要がある。アルビオンが反乱軍の手に落ちることも避けたい。
老獪な公爵は、じっとアルビオンの状況を見つめていたのだろう。
そして、今のタイミングであれば、大丈夫と判断したのかもしれない。
ウェールズは、トリステインが大国に干渉されないのは”烈風”が居るからではなく、ラ・ヴァリエール公爵がいるからだ。
と認識を新たにした。
敵に回したくはないなと思いつつ、ウェールズは手を差し出した。
「”のんびり”と。ですか」
「ええ、”のんびり”と。ですな」
面白そうな表情を浮かべた後、ラ・ヴァリエール公爵はウェールズの手をしっかりと握った。
一つの暗黙的同盟が組まれるその横で、今気がついたとばかりに公爵夫人がルイズに目を向けた。
頭に乗っているさんしょうおに目を向け、そしてルイズの短い髪をじっと見つめる。
ルイズは母の眼を静かに見つめ返す。圧力に負けまいとするルイズの姿に、母親は不意に微笑みを浮かべた。
「あら、そちらのお嬢様は?」
「ん、ああ、ルイズ卿とアール・シロツメグサディー卿です。
同じくアンリエッタ王女からの使者として……御存じないですか?」
ラ・ヴァリエール公爵夫人の言葉に、ウェールズが不思議そうに答えた。素性を隠してはいるが、ラ・ヴァリエール公女、
即ち、娘であるルイズを知らないはずはない。周囲に隠す必要があるとはいえ、今は関係者しかいない。
なのになぜ公爵夫人は初めて見る様な眼で見つめるのだろうか?
「そう言えば、夫から聞きました。ルイズ卿……とおっしゃいましたか」
「はいっ」
公爵夫人は、じっとルイズを見据えた。重圧の中でルイズは背筋を伸ばして自分の母を迎え撃つ。
カリーヌは公爵を問い詰めて事実を知った。そしてルイズがトリステインに迷惑をかけない為に、名前を捨ててまでも
己が信念を貫き通す覚悟を見せたことに、複雑な思いを抱いた。
規律を重んじる自分の中では、簡単に家名を捨てると言う行為が許せないものであった。
だが、トリステイン王国に咎が及ばないように、トリステインの規律を乱さないように、公爵家の令嬢たる娘が家名を
捨ててまでも全ての責任を自ら引き受けるその行為と信念は、若い時の自分を思い出すようで好ましくもあった。
末娘に甘い夫が、それほどまでに危険な任務を志願したことを、実力行使で止めることもせずに、
そのまま行かせたことも意外だった。
カリーヌは当初、柳眉を逆立てていたが、夫の話を聞くにつれ深刻な表情がそれに取って代わった。夜を徹して相談し、
結果的に一度娘と直接あって真意を聞くことにした。
だが問題があった。
娘がいるところは外国の戦場であり、そしてラ・ヴァリエール公爵と言う名前が動くことが問題だった。
当初隠していたとしても、後々に発覚した場合、なかなか厄介なことになる危険性があった。
一人で行くことも考えないではなかったが、自らが率先して規律を乱すわけにはいかない。
悩む夫人に夫が不敵な笑みを浮かべた。それは悪戯じみた悪だくみを思いついた時の表情だった。
若い時から夫のその表情に振り回されていたカリーヌは溜息をついた。
もともと、夫は何らかの方法でもって愛娘を支援しようと考えていた節がある。当の本人は隠しているつもりだが、
長年連れ添ってきた自分には判る。判りやすすぎる。
自分の立場を利用して表に裏に様々な情報源を使って状況を分析し、最も効果的な方法を考えていたに違いない。
含み笑いを必死に抑えている夫の顔が雄弁に物語っていた。
結果的に、王宮に飛んで戻った夫がどんな策略を施したのか、マザリーニ枢機卿を押し切って使者の役を持ってきて、
あれよあれよと言う間にカリーヌはラ・ヴァリエール公爵家所有のフネに乗っていた。
「事情はどうあれ、お母様やお父様が帰りを首を長くして待っていると思います。
お役目が終わり次第、出来るだけ、早くお帰りになることをお勧めいたしますわ。
でないと、お母様が怒るかもしれなくてよ?」
「は、は、はいっ! お母……じゃなくてラ・ヴァリエール公爵夫人」
カリーヌはルイズを問い詰めるつもりだったが、娘の目を見ただけで分かってしまった。
姉の後ろに隠れるだけだった娘の決意と信念が。何よりも雄弁に語るその眼を見た母は娘を尊重することにした。
夫のいいのか? という視線にそっと頷き、カリーヌは微笑みを浮かべた。それは娘に送る母のメッセージ。
ルイズは、母親が自分の選択を支持しれくれたことを悟り、シロ姉と顔を見合わせた後、嬉しそうに、誇らしげに微笑んだ。

戦争中でもある為、長話もできず、公爵は早々に辞した。ウェールズと共に部屋を出て自らのフネに戻る。
ルイズもウェールズにつき従うように部屋を後にした。
ただ、カリーヌはR-シロツメグサをじっと見据えていた。
「アール・シロツメグサ卿」
「……何?」
カリーヌは部屋に二人だけになった瞬間を見計らい、R-シロツメグサに問いかけた。R-シロツメグサ本人も
カリーヌに話があったのか、わざと部屋から出るのを遅らしていた。
「一つだけお聞かせください、貴女はルイズを愛していますか?」
「……私は、”恋”と”愛”の違いがまだ分からない」
カリーヌの言葉は、R-シロツメグサの疑問にも関係することだった。R-シロツメグサは、カリーヌをじっと見つめる。
その眼には何か、困惑の光が浮かんでいた。カリーヌはその悩みを静かに受け取った。
目の前の、自分が知る限り最強の使い手。
そしてエレオノールが始祖の一族だ、いや精霊だと騒ぎ立てた存在が困惑を浮かべる表情を目にして、上の娘の疑問の
答えがどうであれ、この人は何も変わらない。と、不意におかしくなった。
強大すぎる力を持ちながら、年若い少女の様な疑問に真剣に悩む存在。そして、娘を愛し、娘に愛される存在。
娘の代わりに息子が、もしくは目の前の女性が男性だったら。どれほど祝福したことだろうか。
娘を託すとしても同性であることだけが、残念だった。だがカリーヌは、そんな残念な思いを心の奥にそっとしまった。
少々残酷かも知れないが、分かりやすい題を出してみようと目を細める。
「分かりました。では言い方を替えましょう。自分の命とルイズの命、どちらかしか救えないとしたら、どうしますか?」
「イチヒコを救う」
カリーヌの問いに、R-シロツメグサは何の躊躇も見せなかった。
問いかけた方が呆気に取られるような鮮やかさで、何を聞くのか? と不思議そうなR-シロツメグサは答えた。
一歩間違えれば危うい想いかもしれないが、カリーヌにはそれで十分だった。
「……ありがとうございます。その答えを聞けただけで十分です。たぶん、ルイズも同じ状況になれば、貴女の命を
優先するでしょう」
その言葉を聞いたR-シロツメグサは、はっとした表情を浮かべた後、顔をゆがめた。
ルイズが自分を庇って死ぬという想像はR-シロツメグサの中になかった。それを指摘されたR-シロツメグサは
その状況を想像し、そんな未来は必要ないとばかりに頭を振った。
「……カリーヌ、教えて欲しい」
「なんでしょう?」
「愛とは? 恋とは? 何がどう違う?」
R-シロツメグサの問いかけに、カリーヌは若い頃の自分を、記憶の底から夫との出会いを取り出した。
大貴族の嫡子であった夫との出会い。それは単純なものではなかった。
権力を狙うものはカリーヌと違う次元で生きていた。簡単にカリーヌとの仲を祝福するようなことはありえない。
ラ・ヴァリエール公爵家という名前はそれだけで、数多の毒虫を呼び寄せる甘い蜜だった。
それでも若くして情熱と才幹にあふれる夫は、権謀術策をことごとく叩き潰し、万難を排して自分を迎え入れた。
それはカリーヌが魔法衛士隊の隊長職を辞してもいいと思うほどの珠玉の記憶だった。
多分、ルイズも目の前のアール・シロツメグサディー卿も同じ思いなのだろう。
「……その答えは、人によって異なります。ですが、アール・シロツメグサディー卿の、
今感じている想いは愛だと思いますよ。
正直言って、女性ということで、複雑な気持ではありますし、全肯定できるわけでは決してありませんが、
ルイズへの貴方の愛は本物で尊いものだと思います」
「……そう、……これが愛……」
カリーヌの柔和な声と娘を見るような穏やかな視線に諭される様に、R-シロツメグサは自分の心をそっと抱きしめる。
これが心≪レム≫、そして、これが愛。
これが私の……私だけの心≪愛≫

「では、ウェールズ殿下。トリステインでお目にかかれることを楽しみにしておりますぞ」
「わかった。ラ・ヴァリエール公も帰路には気をつけてまいられよ」
「では。……ルイズ卿も早く戻られよ」
「はい」
ラ・ヴァリエール公爵は妻を伴って自分のフネに舞い戻った。
ウェールズはルイズと共に舷側からそれを見送った。午後の日差しとゆったりとした風の中、マントとドレスを翻した
ラ・ヴァリエール夫妻は穏やかに笑った。そして夫妻の乗ったフネはイーグル号から離れて行く。
やがて純白のフネは、戦線の真っただ中に単艦で突撃を敢行する。
フネとは思えない速度で飛び、進行方向に存在した竜達を立て続けに撃ち落とす。
先ほどの圧倒的な攻撃力を見せつけられた反乱軍は、蜘蛛の子を散らす様に逃げ始める。それをあざ笑うかのように
純白のフネは突如方向を変えたかと思うと再び密集した船団に突進した。
「さすがに”烈風”殿は強力だな、あと奥方も相当な使い手だな……ガリアや、ゲルマニアが躊躇するのも分かる」
艦橋に戻ったウェールズは、同時に二種類の竜巻が放たれるのを見て思わず唸り声を上げる。スクウェアと、
オーバースクウェアとの競演は、想像以上の破壊力を示していた。
ふと遠見の鏡に見入っているルイズが視界に入る。確か彼女は2系統でスクウェアという信じられない力を持っていたはず。
竜と虎の子は竜でもなく、虎でもなく、両方を超えた力を持っているのか。
考え込みかけたウェールズは、参謀長の視線に慌てて頭を振る。今考えるのは、この戦争に勝つことだ。
参謀長を見て頷き、手を前方にかざす。
「よし、この混乱に乗じて上を制圧するぞ、敵の竜騎士より、まずフネを潰せ。火竜を効果的に使って火をつけろ。
全軍突撃だ!」
「はっ」
ウェールズの凛とした声に合わせ、アルビオン王軍が一気に火力を集中し始めた。
空に紅蓮の花が咲き始める。

らてぃらてぃらてぃら♪ らてぃら♪ らてぃらてぃらてぃら♪ ら~らららら♪ じゃんっ♪
らてぃらてぃらてぃら♪ らてぃら♪ らてぃらてぃらてぃら♪ ら~らららら♪ じゃっじゃんっ♪