るるる-22

Oh Dear what can the matter be?
ああ、いとしい人、いったいどうしたの?
Dear, Oh dear what can the matter be?
ほんとにいったいどうしたの?
Oh dear what can the matter be?
いったいどうしたの?
Johnnie’s so long at the fair.
いとしい人は市場にいったっきり

He promised he'd buy me a fairing should please me,
私が喜ぶような、おみやげを買って来るって約束したのに
And then for a kiss, oh! He vowed he would tease me,
帰ったら私にキスをねだると誓ったのに
He promised he'd bring me a bunch of blue ribbons
私の髪に似合う青いリボンを買ってくるって約束したのに
To tie up my bonny brown hair.
……私の髪を結えてくれるって言ったのに

ぽろんぽろんぽろん、ぽろんぽろんぽろん、ぽろんぽろんぽろんぽん♪
ぽろんぽろんぽろん、ぽろんぽろんぽろん、ぽろんぽろんぽろんぽん♪

全身が自らの、あるいは敵の血でどす黒く染まった峻厳たる近衛師団長は、獅子奮迅の働きで前線を支え続けていた。
だが、新たに現れたゴーレムに対し、司令部から”戦わずに敵を足止めしつつ後退せよ”という無理難題な指令を受けた師団長は、顔を真っ赤にして、気は確かか? と言い放った。
目の前でゴーレムの圧力を受けているだけに、彼にはその指令があまりにも荒唐無稽で理不尽なものにしか聞こえなかった。
自らの上司である人間の不敬罪にあたるような言葉に副官達は引きつったが、顔を見合わせて聞かなかった事にしていた。
その直後、イライラして不機嫌な師団長にウェールズの訓示が届き、それを見た近衛師団長ウィリアム・マーシャル伯爵は動きを止めた。
(ウェールズ殿下は分かっている)
空を見上げると、ウェールズの乗る漆黒のフネが、先頭に立って砲撃を放っていた。
近衛師団長はウェールズの決意を汲み取った。自分の主君は何も考えずに命令しているわけではない、状況が分かっていて、それでも困難な任務を前線司令官である自分に割り当てた。それは自分がそれだけ信頼されていることでもある。
そして……。
「なるほど、我々に死地に陥って奮闘せよ。とおっしゃるか」
猛獣のような獰猛な笑みを浮かべた近衛師団長は、周りの副官に矢継ぎ早に指示を出し始めた。

反乱軍の騎士型ゴーレムが快進撃を続け、アルビオン王軍の戦線はじりじりと後退している。
その悪夢のようなゴーレムは既にロンディニウムの街のすぐ傍まで近づいていた。そして、追いかけるように亜人たちの軍団が息を吹き返して進軍し、それを近衛師団や王都防衛軍の陸戦部隊が迎撃する乱戦となっていた。
ただ、騎士型ゴーレムは敵味方見境なしに手に持った十メイルほどの鉄の剣を振り回すため、三体のゴーレムの周りにはぽっかりと空白ができている。
そのゴーレムの動きを多少なりとも押しとどめるのは、フネからの砲撃や竜騎士の波状攻撃と土、水メイジの落とし穴、底なし沼作戦ぐらいだった。
直接的な攻撃がまるで効かない為、時間稼ぎのトラップを仕掛けることしかできなかった。しかし、無駄と知りつつ時間稼ぎをする作戦を見て、ウェールズの意図を悟ったルイズは”わたしがやらなくちゃ”と決意を新たにする。
休息を取って復活したシルフィードとリュカに分乗したルイズ達は、一路ロンディニウム郊外の近衛師団の駐屯地に向かった。
もともとロンディニウム近郊で戦闘が始まっていたこともあり、風竜で飛べば深呼吸をするぐらいの時間で到着する。
女性隊舎の前の広場に強行着陸した後、飛び降りるように降りたルイズが建屋に飛び込んでいった。
しばらくして小走りに戻ってきたルイズは、自分の杖と中ぐらいの本の大きさの木箱を抱えていた。
「それが、始祖のオルゴール?」
「そう」
キュルケは興味津々の表情でルイズの持っている、光沢のある繊細な刻み紋様の入った紫檀の木箱を覗き込んだ。
タバサもモンモランシーも始めて見る秘宝に、目を丸くしていた。
普通の立場の人間であれば見ることすら叶わぬ宝を前にして、一同は神聖なものを見る目でルイズの手の中にあるものを見つめていた。
「きゅいっ」
ふっと我に返ったのは、シルフィードの警告するような鳴き声がきっかけだった。慌てて周りを見渡した一行は、街の外縁部にたどり着いている巨大なゴーレムを見ることになった。
「ちょっと! もう、あんなところまできてるわ」
「近い」
「うん、分かってる。いきましょ」
「正直ぞっとしないわね」
モンモランシーの悲鳴にも似た声に、ルイズがきっと唇を引き結び、騎士型ゴーレムを睨み付けた。どうも騎士型ゴーレムも宮殿を目指しているように見える。
なんとか市街地に入ることを止めようとフネが半包囲して大砲を撃ち続けているが、ゴーレムはとまらなかった。
更に街に近くなればなるほど、ゴーレムによって反射される砲弾で街が余計に破壊されることが明白なため、フネからの砲撃に迷いが混じるようになって行き、だんだん砲勢が弱くなっていく。
その周囲では、壮絶な乱戦が繰り広げられていた、炎が飛び交い、風が舞い、そして石礫が豪雨のように降り注ぐ。
反乱軍は、メイジと動員した平民の混成部隊を使った面制圧行動と、そしてトロール鬼やオグル鬼といった亜人特有の膂力や防御力を武器にした突撃部隊での拠点攻撃を繰り返し行っていた。
反乱軍の大半は、個々では威力のない平民の砲兵、歩兵とドットレベルのメイジで構成されていた。
確かに強力なトライアングルやラインと異なって、ドットレベルであれば威力もそれほどではない。とはいえ、これほどまでに大量かつ一箇所に集中投入されると、百戦錬磨の近衛師団と王都防衛軍の合同部隊とはいえ、徐々に数の圧力に押し負けていく。
寄せては引く大波を相手に砂で防波堤を作るかのごとき、先の見えない戦闘で、王軍は徐々に疲弊していき、まさに生存本能だけで戦っていた。
そんな原始的な争いの中では全体を見渡すような、冷静な目を持つことは叶わず、もはや戦場は、目の前に迫りくる敵をただ殺すという本能的な衝動だけのぶつかり合いという地獄絵図と化していた。

怒声と悲鳴。それと、骨や建物の破砕音が交じり合った合奏曲を幻聴したルイズは、ともすれば震え、崩れ落ちそうになる心を必死で押しとどめた。
今、王軍が逃げずに戦っているのは、ひとえにウェールズが自分の言葉に信頼を置いているからに違いなかった。
民を率いるものとしての直勘なのか、藁にもすがる思いなのか分からないが、妄言としか思えない自分の言葉をウェールズは信じ、そして最大限の助力をしてくれている。
今、戦っているのは、そして、今死んでいっている人たちは、わたしの責任でもある。ルイズは自分が発した言葉の重みに負けないように、頭をぶんぶんと振って弱気を追い出し、ゴーレムへの対応に集中する。
(今、わたしが手にした力を使う為には、どうすればいい?)
幸いなことに十日近くロンディニウムで過ごしていた為、ある程度の土地勘ができていた。宮殿とゴーレムの進路を頭の中の地図と照らし合わせて考えると、都合のいい場所があった。
ルイズは顔をあげた。
「……ハーリンガム広場で待ち構えるわ」
「なんでリュカの上から使わないの?」
その言葉に、モンモランシーが目を丸くした。
わざわざ危険な目にあうより、ゴーレムの手の届かない上空から魔法を使ったほうがいいに決まっている。
それなのに、どうして?
そんなモンモランシーの声にならない疑問に、ルイズが真顔で答えた。
「あんだけ揺れてると呪文に集中できないわ、”イチヒコ”の呪文はとっても長いの」
「……わかったわ」
「シロ姉は水の精霊の恋人を止めて」
ルイズはシロ姉に、先に電光の魔法を止めてもらおうとした。が、R-シロツメグサはゆっくりとかぶりを振る。
そして、ルイズをじっと見据える。
まぶしいものを見るような、かけがえの無いものを見るような、柔らかな目に見つめられたルイズは、思わずドキッとした。
「……イチヒコ。今はあの人形を止めるほうが先、イチヒコが自分でするなら、待ってる」
「……うん、ありがとう」
ルイズは、シロ姉の見守るような言葉に、自分のことを信頼して任せてくれることが嬉しかった。
ゴーレムを見たときに特に驚きもしていなかったことを考えると、多分シロ姉であればアレを止めることができるのかもしれない。
ただ、普段から興味のないことにはとことん無表情なので、間違ってるかもしれないけど。
でも、わたしが止めると言ったから、その言葉を尊重して任せてくれている。わたしを信じてくれている。
そんなシロ姉の信頼が、ルイズにはどこか誇らしかった。
ルイズは、シロ姉を見つめて軽く紅潮したまま頷いた。

一行は急いでシルフィード達に乗り込んで飛び立ち、目的地の広場に移動した。
そしてハーリンガム広場で待ち構えるルイズの方に、剣を振り回して建物を破壊しながら、地響きを立てて歩く巨大な騎士型のゴーレムが近づいてくる。
やがて、広場からでも周辺の建物の上に、その威容を見ることができるほどになった。もうすぐ広場に到着する。
軽く打ち合わせをして、ルイズとシロ姉が地上で待ち構え、キュルケ、モンモランシー、タバサはシルフィードに乗って上空から牽制、護衛をすることで少女たちは頷いた。
ルイズは、自分の我儘の筈なのに、我が事のように真剣な友人たちの姿を見つめて心の中で感謝した。そしてゆっくりと戦場の方を向いて、その時をじっと待ちかまえる。

ハーリンガム広場で佇むルイズ達に気がついた反乱軍、特にオグル鬼やトロール鬼は、戦場のど真ん中に手ごわい獣ではなく、柔らかそうな肉があると思い込み、ぎらつく衝動と嗜虐的な欲望を満たそうと広場に殺到しはじめた。

近衛師団長ウィリアム・マーシャル伯爵は自らも大剣を握り、徐々に後退せざるを得ない前線で、無数の敵をなぎ倒していた。王都ロンディニウムの外縁部にまで前線が後退したが、街路と建物を巧妙に使って、図体の大きい亜人達の動きを抑えることには一応成功していた。だが、抑えても抑えてもゴーレムが一歩踏み出すたびに抑えていた戦線は後退していく。
戦いの場が新市街から旧市街への境目の広場にまで、ずるずると後退したことで、さすがの師団長も絶望に苛まされた。
しかし、それと前後して反乱軍の注意が反れ、圧力が弱まったことに気がついた。
辺りを見渡して、広場で仁王立ちで立っている顔見知りの桃色の少女の姿を目の端に捉えた時、師団長の直感が囁いた。
己の主人が待っているのは、自分達に困難な任務を割り当てたのは、この時の為だと。この少女の為だと。
普通の精神状態であれば、そんな囁きは一笑に付すような内容だったが、今の師団長には天啓のように思えた。
オグル鬼やトロール鬼の視線が、広場に集中したことを察知した師団長は、戦闘でボロボロになっている我が身を省みずに、砕くなら砕け、とばかりに大音声で辺り一帯の兵士に命令した。
「女子供を守れぇぇっ! オグルに我らの子を食わせるなっ! 広場を守れっ!」
単純だが明快な使命を与えられた王軍兵士達は、オグルに食われる自らの娘を、息子を、恋人を連想し、怒声と共に反乱軍に刃を向けた。ここで自分達が抜かれると、避難している家族達の運命はどうなる? 王都からはかなりの市民が逃げ出しているとはいえ、まだ身を縮こまらせている民がいる。そして反乱軍が積極的に凶暴な亜人を使っていることに嫌悪感を感じていた王軍兵士たちは、師団長の言葉で、萎えかけていた闘志を再び燃やす。
自然と広場を守る形で王軍が展開し、力を振り絞って反乱軍を押し返していく。

広場の周りで、即ち自分たちの目の前で、血で血を洗う戦闘が繰り広げられていく。その上、徐々に近寄ってくるゴーレムの圧力がルイズ達の緊張を極限まで高める。ともすれば挫けそうに、逃げ出しそうになる心をそれぞれが必死で叱咤する。
キュルケですら、その圧力を笑って逃すことはできず、厳しい表情をしていた。思わず胸に溜まった重いモノを深呼吸と共に吐き出した時、モンモランシーがくすっと笑った。
「どうしたのよ?」
「い、いいえ、ち、ちょっと想像したら、わ、笑っちゃって」
「何よ?」
あまりにもそぐわないモンモランシーの含み笑いにきつい目でキュルケが振り返った。思わずタバサもモンモランシーを見つめる。
二人の視線の先のモンモランシーはがくがくと震え、顔色は蒼白だった。無理やり笑顔を作り出そうとしていた。
金髪の少女は、戦場の雰囲気に、身近で起こっている死の狂宴を目の当たりにして、それでも気丈にも冗談を飛ばそうとしていた。
今までのようにフネやシルフィードの上で見ているのではなく、手を伸ばせば届く所で繰り広げられる人間の壊し合いなど、この金髪の少女は今まで経験も想像もしたことがなかった。本来優しい性格の少女は、目の前で繰り広げられる凄惨な雰囲気に完全に当てられていた。
(怖いのね。まあ、当然か……)
実家で軍事訓練を受けて、小さな諍いでの実戦経験が多少なりともある自分や、いろいろと仕事をしてきたタバサと違って、モンモランシーにはそういった経験は殆ど無い。であれば、周りの雰囲気に飲まれても仕方が無い。
その中で、自分を奮い立たせようとするその努力は称賛に値するものだった。キュルケはそっとモンモランシーの頭を抱き寄せ、軽く背中をぽんぽんと叩く。
がくがくと震えながらもキュルケの胸で、気丈にモンモランシーは話し続ける。それをキュルケは静かに聴いていた。
「い、いやね、ル、ルイズが虚無だったらね、キ、キュルケにタバサに、わ、私とシロ姉。よ、四人そろってるじゃない?」
「え、あ、ひょっとして虚無の使い魔のこと?」
「そ、そうそう」
「誰がルイズの使い魔なのよっ」
モンモランシーの言葉で、始祖ブリミルと四人の虚無の使い魔の説話を思い出したキュルケは、思いっきり顔を顰めた。
相手の力がどうであろうとも、ラ・ヴァリエール家の下に立つことはフォン・ツェルプストーの人間として許容はできなかった。対等な友人関係であればキュルケ個人として問題はないが。
しばらく他愛も無いことを話していると、徐々にモンモランシーの震えも止まって行った。
「来た」
それと前後して、緊張したタバサの言葉が二人に投げかけられる。
ゆっくりと顔を上げたモンモランシーは、まだまだ顔色は悪かったが、キュルケの方を向いて、こくんと頷いた。それをみてキュルケも軽く笑って前を向いた。
誰も乗せずに一頭だけで一足先に飛び立ったリュカを見送っているシルフィードにキュルケ達が向う。
「さてと、私たちにできることは……」
「注意を引く」
「そうね」
少女達を乗せたシルフィードがゆっくりと羽ばたき、伸びやかな空へ飛び立った。

シルフィードが高度を下げて、ハーリンガム広場の噴水の前で仁王立ちをするルイズの前を通過する、そしてその背に乗った三人とルイズが目を合わせた。
軽く頷いたルイズは、背後で包み込むようにしっかりと自分を支えてくれるシロ姉に万感の思いを乗せた感謝の視線を送った後、昂然と顔を上げた。ゴーレムを睨みつける。
シルフィードとリュカが乱戦の上空を飛び、騎士ゴーレムの攻撃をかわしながら、オグル鬼やトロール鬼にブレスを吐き掛ける。キュルケの炎球がオグル鬼を打ち倒し、タバサの氷柱の矢がトロール鬼に突き刺さっていく。その様子を見た王軍の歓声が辺りに木霊する。
そして台風の目の様に、ぽっかりと空いた広場で、ルイズは始祖のオルゴールを開き、指先を噛み切って血を滲ませ、シロ姉がやったように、始祖の中央のくぼみにその指を置いた。
昨日の様に始祖のオルゴールが動き始め、そして柔らかな女性の声が響く。
『認証を完了しました』
『要請をどうぞ』
昨日とは明らかに違う言葉を聞いたが、ルイズは驚かなかった。”イチヒコ”の魔法を使う術が頭の中から湧き出てくる。その知識の泉は告げていた。四つの系統を超えた力を駆使する方法を。そしてその効果を。
ルイズは手に持った始祖のオルゴールを高々と掲げた。風が吹き、短くなったルイズの髪を悪戯に巻き上げていく。
ゆっくりとルイズは目を閉じる。闇の中で”イチヒコ”と、始祖と対話する。

騎士型ゴーレムが足を踏み出し、地響きが辺りを揺るがしていく。

(……始祖ブリミル、いえ”イチヒコ”)

振り回した巨大な剣で建物が崩れ、轟音と共に土煙が辺り一帯に広がる。

(……これが正しい使い方なのかわからない)

フネからの大砲が打ちすえ、砲弾が鈍い音と共に弾かれる。

(……間違ってる使い方かも知れない)

騎士型ゴーレムが無造作に建物を掴み、崩れた瓦礫をフネに向かって投げつける。

(……使ってはいけない力なのかも知れない)

王軍の土メイジが作り上げたゴーレムが騎士型ゴーレムの足にしがみつく。

(……でもシロ姉が信頼してくれた)

オグル鬼程のゴーレムは足の一振りで弾き飛ばされ、ぐしゃぐしゃに砕かれる。

(……あなたを好きだと言っていたシロ姉が認めてくれた)

騎士型ゴーレムが、街路樹をなぎ倒して広場に踏み入り、剣を振り回す。

(……だから、わたしはこの力を使うわ。だから、だから、力を貸して、”イチヒコ”)

ふぅと深呼吸したルイズは、思いを断ち切るように、きっと目を開き決意の篭った視線でゴーレムを見据え、”イチヒコ”に、いつの間にか教わっていた”魔法の呪文”を詠唱する。
その声は朗々としていた。静寂の中を響き渡る鐘の音の様に、戦乱のロンディニウムに響きわたった。
戦場の凄まじい喧騒の中、不思議とルイズの詠唱が通り抜けていく。一陣の風のように、風の精霊のように。
一瞬あっけに取られたような王軍の衛士達も、ルイズ達が何かをやろうと、それもあのゴーレムめがけて何かの魔法を使おうとしていることに気がついた。
何かしてくれる。ルイズの詠唱は藁にも縋る思いで絶望と戦っている衛士たちの心を奮い立たせた。

「イミンセイギョウセイホウトクベツドレクスラーリヨウキテイダイナナジュゴジョウダイ
ニコウドレクスラーカンリキコウニオケルキョウセイテイシジョウコウニモトヅキサンテグ
ジュペリゴウユイイツノシミンデアリケンリホユウシャデアルシミンイチヒコゼロゴーキュ
ーゴーヨンナナニトドウトウノケンゲンヲホユウスルショメイズミディーエヌーエーパター
ンホユウシャトシテキテイハンイニオケルドレクスラーノキョウセイテイシヲヨウセイスル」

朗々と響き渡るそのあまりにも長い呪文に、キュルケ達は目を見開いた。
数音節で終わる通常の系統魔法の呪文に比べ、あまりにも長いことと、そして注意してよく聞くと内容が一部理解できてしまう気がする呪文に広場の上で旋回するシルフィードの上に乗った少女達は顔を見合わせた。
「え? 何?」
「何、あれ? あれが呪文なの?」
R-シロツメグサは、その”呪文”は知らなかったが、その結果は正確に推察していた。そして、来るべく”魔法の発動”に備え、独自にドレクスラーを扱うことができるD型チャベックとして与えられた能力をフルに展開した。
届く範囲のドレクスラーを直接制御下に置く。
ルイズの詠唱が終わると同時に、始祖のオルゴールから言葉が流れてくる。そして詠唱した当のルイズが驚いた表情で始祖のオルゴールを見つめた。
『要請を承認します。規定により半径百キロメートルにおける現在起動中のドレクスラー操作を強制終了します。また、一般利用権限を十分間停止します。必要にあわせて、その後再度起動してください』
「……」
これが”すべての魔法をキャンセルする魔法”。呪文を唱え終わったルイズはゆっくりとゴーレムを見上げる。もう、百メイルほど先に、目と鼻の先に異形のゴーレムが来ていた。

――!!

次の瞬間。世界に音にならない音が響き、静寂が満ちる。
衛士も亜人兵も、そして上空を舞う風竜も火竜も、すべての者がそれを感じ、動きを止めた。

何かが起きた。

いや、ちがう、何も起きない。

”何も”起きなかった。

炎の球を投げつけようとしていたメイジの魔法はかき消された。風が止まり、炎が消え、土の障壁が崩れ去る。治療中だった水魔法もいきなり霧散した。
すべての魔法、すべての魔法生成物が崩れていく。そして、その事実を知ったメイジは呆然とした。
彼らの脳裏に土石流のような轟音が響いて脳髄を打ち据える。それは自らのよって立つ力、あって当然と思っていた大きな力が崩れていく音だった。
戦場の到るところで、自分達が魔法を使えなくなったと、力なくへなへなと座り込む茫然自失のメイジ達の姿が見受けられた。

ルイズ自身はこうなるだろうことは予想していた。
”すべての魔法”、敵も味方も関係なく、あまねくすべての魔法をキャンセルする”魔法”。
それはまさに、すべてを無に帰す”虚無”と呼ぶに相応しい”魔法”だった。
社会基盤として連綿と引き継がれている魔法が無くなる。それは世界から文明を無くしてしまうに等しかった。
魔法がなければ巨大建造物も、金属加工品も満足に作ることはできず、はては治水や治療行為ですら、おぼつかなくなってしまう。
しかし、それでも目の前の強大なゴーレムを葬り去る為には必要な魔法だった。
ルイズは、厳しい表情でゴーレムを見つめる。
騎士型のゴーレムの動きが、ばねの切れたオルゴールのように止まり、次の瞬間音を立てて崩れてはじめる。
伸ばした腕が手甲ごと落ちて、大きな破砕音を立てる。
頭がぐらりと揺れたかと思うと、首から折れて落ちる。
あっけに取られて呆然としていた王軍だった。が、そのゴーレムが崩れていく様子を、部品が一つ落ちるたびに、怒声のような歓声が上がっていく。
腹に響く轟音と共に砲兵隊が放った鉄の砲弾がゴーレムに命中した。全員の目の前で、着弾の衝撃によってバランスを崩したゴーレムは、ゆっくりとスローモーションのように倒れていく。
轟音と土煙を巻きあげて倒れたゴーレムは、ばらばらに砕け散った。
次の瞬間、王軍の雄叫びでアルビオンが揺れた。
「いまだ、にげろーっ!」
誰が最初の口火を切ったのか、まるで少年の様な高い声が戦場に響いた。
半ば強制的に徴集されて反乱軍の混成部隊を構成している平民が、その言葉に我に返って一人、また一人と持ち場を離れる。平民達を無理やりに戦いに参加させるため、逃げ出さないための抑止力として存在しているメイジも、魔法が使えない以上唯の平民と変わらず、ただおろおろと浮き足立っていた。
部隊指揮官であるメイジに、何もされないことに気がついた平民達は、自らの武器をかなぐり捨てて我先にと争うように逃亡を始めた。普段から平民を奴隷のように扱っていた傲岸な部隊指揮官が、攻守所を変えて殺気立った平民に追い回される。
反乱軍の混乱は、徐々にその勢いを増していき、雪崩を打ったように全軍に広がっていった。
そして、自らの不利を悟った反乱軍の士官達は、一斉に”退却”と言う名目で平民にまぎれて逃亡を始め、知恵の回らない亜人たちは目先の殺戮衝動に駆られたまま手に持った棍棒などの武器をただ振り回す。
戦場が一気に混乱した。
王軍も似たような状況だったが、もともと大半が志願兵から構成されている為と、反乱軍が逃げ始めたことで逆に冷静さを取り戻した。平民部隊である砲兵隊がトロール鬼やオグル鬼などの大きな目標にめがけて砲弾を打ち込み、近衛師団の衛士は杖を兼用する剣を振りかざして、逃亡する反乱軍から士官らしき風体の兵士を見つけては歓声を上げつつ襲い掛かかっていく。
ハーリンガム広場の周囲で戦っていた兵士達はロンディニウムから反乱軍を駆逐する勢いで追撃を始めた。
ルイズの元に、近衛師団長からの使者が訪れ、感謝の言葉と護衛を打診してきたがルイズは、兵力を借りることはできないと首を振った。
まだ王宮に反乱軍の本陣が残っていることでもあるため、結果的に安全になった前線司令部への退避を、しきりに言ってきたが、ルイズの意思が固いのを見て取ると、諦めたように一旦使者は去った。

去りゆく使者と追撃の軍を見送ったルイズは、一転してがらんとした広場で自分の引き起こした影響の甚大さを、”虚無”がもたらした、あまりにも巨大すぎる影響に唇をかみ締めていた。
この”魔法”で、事実上魔法は完全に無くなってしまう、魔法使いは只の人に、そして魔法を使う責任と義務を持っている貴族はその存在意義を失い、魔法の恩恵を受けている平民はその庇護を無くしてしまう。
”虚無”の魔法は社会を根底から破壊する禁断の魔法かもしれない。

(わたしは途轍もない物を持ち出してしまったのではないのだろうか?)

巨大な損害を引き起こしたゴーレムを撃退することはできたが、そのあまりにも巨大すぎる影響を自覚したルイズは、全然喜ぶ気になれずに拳を固く握りしめる。
唇をかみしめて蒼白な表情で、じっと一点を見つめるルイズを、R-シロツメグサが後ろからゆっくりと抱きしめた。
「シロ姉……」
「大丈夫、すぐ”魔法”は使えるようになる」
「……うん」
ルイズが、シロ姉のぬくもりを感じ、抱きしめられた腕をそっと掴んだ。その眼の先には崩れ果てたゴーレムと瓦礫にまみれた街が映っていた。

巡洋艦イーグル号の艦橋からも崩れ行くゴーレムを見ることができた。
ゴーレムが倒れ、砕け散った瞬間、艦橋は歓声に揺れた。
ウェールズも正直あっけに取られていた。遠見の鏡で状況は確認していたが、その遠見の鏡もいまは唯の鏡となっていた。(なんだ、何が起きた? それと、あれはルイズ卿に渡していた始祖のオルゴールのはず……まて? そんな? ばかな)
いまだかつて、あんな魔法は見たことが無かった。そして、始祖のオルゴールを手にして唱えた呪文となると、考えられるのは只一つ。
(まさか……、虚無……なのか)
であれば、虚無が使える始祖と同じなのであれば……、すべての魔法を使いこなした始祖と同じということであれば、複数の系統のスクウェアというのも理解はできる。
だとすると……。
「殿下! フネがっ、フネが落ちていきますっ!」
その悲鳴のような声に我に返ったウェールズは、反射的に窓の外を見た。本来であれば空が見えるはずの窓から、大地に広がる緑の絨毯が見えていた。今更ながらの浮遊感と共に、自らのイーグル号の高度が急速に落ちていることに気がついた。
「どうしたっ? 風石はっ? 風はっ?」
「駄目ですっ、魔法が使えません。風石の浮遊力も段々落ちてきています。壊れることは避けれそうですが、衝撃にっ……」
操舵手の悲鳴にも似た叫びに、ウェールズは咄嗟に手すりに掴まった。
次の瞬間、激しい衝撃と共に、イーグル号は森の中に落ちた。


§ § § § § § § § § § § § § § § § §

「シルフィード?」
ゴーレムの動きが止まるのと同時に、シルフィードの動きが目に見えて遅くなった。今までにない自分の使い魔の戸惑いを感じて、訝しむタバサの顔に突如として台風のような風が吹きつけ、吹き飛ばされそうになる。
「どうしたの? きゃっ」
「きゅい! きゅいきゅい!」
飛ばされそうになったタバサを慌ててキュルケが捕まえ、必死にシルフィードの背にしがみつく。油断すればすぐに振り落とされそうな突風が息をすることすら苦しくさせる。できるだけ風を避けるようにキュルケはタバサを抱えてシルフィードの背に蹲り、モンモランシーもキュルケを抑えつつ、必死にシルフィードの背の出っ張りに掴まる。
そして自分の主を案じるかのように、シルフィードが極限まで速度を落として、しかし必死に翼を羽ばたいて飛び、できるだけゆっくりと広場に降り立った。
「だ、だ、大丈夫? どうしたのよ」
広場に舞い降りてこようとするシルフィードの様子がおかしいことに気がついたルイズは慌てて走り寄った。
必死にしがみついていたタバサ達が、着地と同時に落ちるようにその背から降りて、大地に仰向けになって荒い息をつく。強張った腕や足を揉んでほぐしていく。
「いきなり風が吹いてくるからびっくりしちゃって」
モンモランシーがルイズに、苦笑いの様な強張った笑顔を向けた。
その横でタバサはシルフィードをじっと見つめていた。自分の主人に何かを訴えるように羽をばたばたして地団駄を踏んでいたシルフィードが首をぶんぶん振った後、耐え切れなくなったようにタバサに向かって口をかぱっとあけた。
「きゅいっ、お姉さま、お姉さま、大変大変っ! シルフィ、魔法が使えないの。きゅいっ!」
「え? 何? なんでシルフィードがしゃべってるの?」
突如としてタバサの使い魔である風竜が喋り出した事にルイズ達はあっけに取られた。モンモランシーの戸惑った声がそれを物語っていた。
使い魔として召喚された動物や幻獣が人間の言葉を解する様になるとは聞いた事があるが、流暢に人間の言葉を喋るなんて聞いた事がない。
幻獣で人間の言葉をしゃべることができるとすれば、絶滅したと言われている、古き竜である韻竜ぐらいしか……。
そこまで考えてルイズは、はっとしたようにシルフィードを見つめた。
「まさか、……韻竜なの?」
ルイズのあっけに取られた表情の前で、タバサが厳しい表情でシルフィードを睨み、シルフィードはその視線に射すくめられて心もちしょんぼりしていた。
「約束」
「きゅいきゅい、お姉さまごめんなさい」
微かに非難の混じるタバサの呟きに、シルフィードは申し訳なさそうに、顔を伏せていた。
「それより魔法が使えないってどういうことよ?」
ルイズとモンモランシーは、その光景をあっけに取られて見ていたが、キュルケはシルフィードの言葉に引っかかりを覚えていた。韻竜であれば先住魔法を使うことができる。その先住魔法が使えないということは、いったい何が起こったのか?
考えられることは、ただひとつ。でもそれは……。
眉根を寄せるキュルケの方に顔を向けて、シルフィードが自棄になったように喚いた。
「きゅいきゅい、つかえないったら、つかえないのね! きゅい」
「うそっ」
シルフィードの言葉に、確信を持ったキュルケが、試しに魔法を唱えてみたが、何も起きなかった。
嫌な予感がキュルケの脳裏を駆け巡った。そして、タバサもモンモランシーも状況が分かったのか同様に表情が強張り、見る間に蒼白になっていく。
慌てたように、何度も杖を振るキュルケの手をそっと白い手が抑えた。
はっとして見上げたキュルケの前に、ずっと押し黙っていたR-シロツメグサがいた。そして白と青の精霊じみた女性は、ルイズの使い魔という立場の女性は、いつものように無表情なままゆっくりと首を振った
「心配要らない。もう少ししたら使えるようになる。一時的に止めてるだけ」
「それって、ルイズの虚無の……」
「そう」
R-シロツメグサの肯定に、キュルケ達の視線が弾かれたようにルイズを向いた。友人たちの慄きを含めた視線が桃色の少女の表情を見る間に固くしていく。
そして、全員の視線が再びR-シロツメグサに向いた。
「いったい、どういうことなのか、説明してくれるかしら?」
キュルケは微かに震える声でR-シロツメグサの手を荒っぽく振り払って詰め寄った。魔法使いが魔法を使えなくなってしまうということは魚が泳げなくなることや、鳥が飛べなくなるのに等しい。飛べない鳥など意味がない。更に言えば自分の存在価値の大半を占める力を他人に無理やり止められることがどれ程屈辱的なことか。自分の翼をもがれた猛禽は、憎しみすら籠った鋭い視線で白い精霊を射抜く。
そして、同じくメイジであるタバサやモンモランシーも厳しい表情を崩さなかった。
様々な思いの詰まった全員の視線を一身に受けたR-シロツメグサは、困った表情をしながらも口を開こうとはしなかった。
R-シロツメグサはこの事実を告げていいかどうか悩んでいた。
そもそも、”イチヒコ”がサンテグジュペリ号からテクノロジーを持つ出すことを禁止たのは何故か? 禁止しているはずなのに”魔法”と言う抽象的で目に見えない形でのみ、テクノロジーを開放しているのは何故か。そのことがずっと気にかかっていた。
何か理由がある筈。でなければこんなことはしない。
”イチヒコ”はチャペックを作り上げることすらできる高度な技術を、わざわざ捨ててまで大地と共に歩こうとする文明を作り上げた。それには何か深い理由があるはず。しかし、R-シロツメグサには、その理由が分からなかった。
だから、R-シロツメグサは……、”イチヒコ”の願いがまだ分からない”しろ姉”には答えられなかった。答えていいかすら分からなかった。
「……シロ姉、わたしも知りたい。”イチヒコ”がくれた”魔法”って、虚無の魔法ってなんなの?」
しかし、ルイズがR-シロツメグサの手を握って、真剣なまなざしを向けるに至っては、さすがのR-シロツメグサも抗うことはできなかった。
一通り見渡して軽くため息をついた。
「……”魔法”は”イチヒコ”が作った。そして、キュルケ達はその魔法を使う権利を持っている。イチヒコはその魔法を一時的に止める権利を持っている。それだけ」
シロ姉のあっさりした言葉の中に秘められた信じられない情報に、キュルケのみならずルイズまで目を剥いた。
エルフ達の先住魔法と違い、確かに系統魔法は始祖ブリミルが作り上げたと言われている。そして、自分たちはその系統魔法を使っていることも理解している。だが、しかし、魔法を使う”権利”ということは、魔法は自分の力によってなるものではなく、始祖の力を借りているだけというのだろうか。
確かに、新しい魔法を作り上げた。ということはあまり聞かない。錬金の魔法で、新しい素材を錬金する術を見つけた。という話はいくつか聞いたことがあるが……。
トリステインの王立アカデミーでも、結果的に既存の魔法の新しい使い方を見つけた事実は存在するが、考えてみれば、ゼロから新しい魔法を作り上げたことは歴史を紐解いても無かったのではないだろうか? 確かに学院で教えてもらう魔法も、すべての魔法の授業において、枕詞に”始祖が作り上げた”という言葉が必ず付いている。
ルイズ達はその事実に思い至って硬直した。今まで、そんなことは考えたこともなかった。
全員が思わず蒼白な顔を見合せた。
「じゃ、じゃあ、系統の魔法と”虚無”の魔法の違いって……」
「……動と静」
モンモランシーのうわごとのような呟きに、タバサが呟いた。
始祖の力を借りて発動する系統魔法と、始祖の力を止める”虚無の魔法”、火と水、光と闇、まるっきり正反対の”魔法”。
ある意味、対となっている魔法。
”虚無”の魔法の真実とは、魔法を無くしてしまう魔法であるということ……。矛盾に満ち溢れた異常な魔法。
だが、これだけ系統魔法が氾濫している世界で、それを強制的に止めることができる虚無の影響は計り知れないものがある。
ルイズもキュルケもタバサもモンモランシーも、その事実に言葉がなかった。
硬直した時間の中、唇を噛みしめて己が手にした力の”重さ”を改めて感じていたルイズが、何かに気がついたようにシロ姉を見つめた。
「シロ姉、ひょっとして、”イチヒコ”の子孫が始祖のオルゴールを持ったら虚無の魔法を使うことができるの? だとしたらタバサも? ガリア王家の血筋ってことは、元をたどれば”イチヒコ”の血を引いているわ」
その言葉にタバサがはっとしたようにルイズを見つめる。確かにトリステイン、ガリア、アルビオンの古王国は始祖の子供たちが作った国と言われている。ラ・ヴァリエール家にはトリステイン王家の血が入っているが、タバサは、いやシャルロットのほうが”イチヒコ”の子孫としては何倍も濃いはず。であれば、タバサも虚無を使うことができるのではないか?
それは極めて普通の疑問だったが、シロ姉はゆっくりと首を振った。
「血の濃度は関係ない。”署名済み”のDNAパターンを持っていないと駄目」
「それってどうやったらわかるの?」
シロ姉の言葉は正直ルイズ達には分からなかった。”ディーエヌエーパターン”というものが何を意味するものなのか、想像すらできなかった。頭に疑問符をつけながらルイズの言葉に、ちらっとシロ姉がタバサを見た。
その視線に、直勘が危険を告げたのかタバサが顔を紅潮させて後ずさる。ルイズもなんとなく”調べ方”に想像がついて、あわててシロ姉のマントを引っ張った。
「な、なんとなくわかったからっ、いいっ。調べなくていいからっ」
ルイズの嫉妬混じりの少し膨れた表情に、シロ姉が嬉しそうに微笑んで、ゆっくりと抱きしめた。
「たぶん、持っているのはイチヒコだけ……だから安心する」
「ちょ、ちょっとシロ姉っ」
ルイズが照れ隠しなのか、抱きしめられたまま、慌てたように手をばたつかせる。
必死に、抱きつかれて迷惑してる。というような表情を作ろうとしているルイズだが、傍から見たら抱きつかれて喜んでいるとしか見えなかった。
ついさっきまで真剣な話をしていたはずなのに、結果的に繰り返されるいつもの光景に、キュルケ達は自分達が真剣に考えるのが馬鹿らしくなった。
目の前でじゃれあう二人が引き起こしたこと、そして持っている力は間違いなく世界を揺るがす程のもの。
それこそ、アール・タンポポが言っていたように”世界を壊す”ことができる力でもあるはずなのに、この二人は強大な自分の力は、ほとんど気にしていない。普通の、ちょっと普通じゃないけど、ただの仲の良い恋人のようにじゃれあってるだけ。
実際には強力すぎる力は重い枷となってルイズを苛めている筈だが、この二人であれば力があろうとなかろうと何も変わらないような気がした。
重い空気が一転して白けた空気に変わっていく。残された三人は顔を見合わせて苦笑した。それ以外の表情が浮かばなかった。この二人は変わらない。何があっても変わらない。キュルケ達三人はそう思った。

気分を変えたいキュルケは、いつもの癖で炎のような豊かな髪を手櫛で掻きあげた。
「ところで、シロ姉は始祖ブリミル、いえ、始祖イチヒコというべきかしら? と、どういう関係になるの?」
「シロ姉は始祖のお姉さんにな…る……」
キュルケの何気ない質問に、シロ姉に抱きしめられたまま答えかけたルイズは、はたと気がついた。よくよく考えると、あまりにもおかしい。なんで気がつかなかったのか、なんで不思議に思わなかったのか。
始祖は六千年も前の伝説の人。で、そのお姉さんということは……。
まじまじとシロ姉を見つめる。
「え、じ、じゃぁ、シロ姉って幾つ?」
今頃気がついたか。と、かくんと力が抜けて、思わず大地に手をつきそうになる。そんな、あきれた表情のキュルケ達の非難の視線を一身に浴びながらルイズはシロ姉を見上げた。
きょとんとした表情のシロ姉は人差し指を顎に当てて、はたと考え込んだ。

ようやく思い出したのかR-シロツメグサが口を開けようとした時、アルビオンが大きく揺れた。

一瞬ふわっとした浮遊感がルイズ達の体を包みこむ。
「きゃっ! 地震?」
ほとんど地震に遭遇した経験のないキュルケ達は思わず地面に座り込んだ。シルフィードや、いつの間にか舞い戻ってきていたリュカはあわてて飛び上り空中に難を逃れた。
ルイズも思わずシロ姉に縋りついた。
その地震は十数秒で治まったが、彼女たちには永遠に続くような気がしていた。ようやく揺れが止まった後、おっかなびっくりで様子を窺いながらキュルケがあたりを警戒しながら立ち上がる。
「うわ、まだ揺れてる気がするわね」
「ほんと」
モンモランシーもタバサに手を貸しながらゆっくりと立ち上がった。ルイズはそんな友人たちの立ち上がる気配を感じておずおずとシロ姉の胸から顔をあげた。
びっくりしたね。と言おうとしてシロ姉を見上げた。そこにはいつものように静かに微笑む代わりに厳しい表情を浮かべた美しい顔があった。
「どうしたの?」
ルイズは、下から見上げたシロ姉の厳しい表情に、どこか遠くを見つめる目に、言いようのない不安を感じてしがみついた。
シロ姉のこんな表情は今まで一度も見たことが無い。それだけに、ルイズの心はどす黒い闇夜の雲の様な不安で埋め尽くされた。
そしてそんな不安げなルイズの方に、ゆっくりと顔を向けたシロ姉が口を開く。
「……イチヒコ、X-428、水の精霊のこいびとを見つけた」
「え? ほんと? 水の精霊の恋人はなんて?」
探していた水の精霊の恋人を見つけたにしてはシロ姉の厳しい表情が気になるが、それでも手がかりを見つけたことには違いがない。ルイズは意気込んだがゆっくりとシロ姉は首を振った。
「……返事がない」
「え?」
その言葉に、ルイズは絶句した。
もしかして間に合わなかったのか? 水の精霊の恋人を救うことができなかったのか?シロ姉の表情はそれを意味しているのか?
不安ばかりが増幅してルイズの心が千々に乱れ、表情が歪む。
シロ姉とルイズのやり取りを聞いていたキュルケが、髪をバサッと跳ね上げた。
「で、どこにいるの? 早く助けるんでしょ? 返事がないって言ってもまだ分からないわ。でも今の反乱軍の状況だと、そのクロムウェルって奴が何するかわからないわよ?」
「……あそこの地下」
その言葉に、王宮の方を指差したシロ姉が、軽く頷いて、名残惜しそうにしていたが、ルイズをそっと解放する。
ルイズもキュルケの言葉に頷いた。返事がないということは返事が出来ない状況に陥っているだけかもしれない。猿轡みたいなもので封印されているからかもしれない。
返事がないからと言って、希望を捨てるわけにはいかない。
「そうね、じゃあ、早く救いに行きましょ」
ルイズは両手で顔をぴしゃっと叩いて、気合いを入れなおしてシロ姉に微笑んだ。
その表情を眩しそうに目を細めたシロ姉が頷く。そして思いだしたような表情になったシロ姉がキュルケに顔を向ける。
「もうそろそろ使えるはず」
「あ、ほんと、よかったわぁ」
R-シロツメグサの言葉が”一時的に止めた魔法”を指していることに気がついたキュルケは、試しに発火を使ってみた。小さい火が出ることを確認したあと、ほっとしたような表情になった四人の少女は顔を見合せて頷き合った。
王宮にはまだ敵の本陣が残っているらしい。しかし、逆にいえば、そこを制圧すれば、このアルビオンの戦いは終わる。
「あとは、その王宮の本陣って奴を」
「倒したら終わるのね」
「最後」
ある意味、最後の戦いであることに四人の表情は一気に真剣になった。そしてルイズは、自分の友人達に支えられてここまで来たことを、支えられなければここまでこれたかどうか分からなかったことを思い出し、目頭が熱く滲んでいくのを感じた。泣きそうになった姿など見せれないルイズは、ふっと後ろを向いた。
「……み、み、みんな、あ、ありがとう」
一人つかつかと自分の風竜に歩いて行くルイズの背からこぼれた言葉に、キュルケ達は透き通った笑みを浮かべた。

一行がシルフィードとリュカに乗って王宮に近寄ると、城塞でもある王宮の門の辺りで激しい戦闘が始まっていた。
反乱軍の掃討に加わらなかった王宮監視役の王軍と反乱軍の争いだった。
主力が前線に行っていることもあって、どちらかと言うと王軍が劣勢だった。それを心得ているのか、王軍の方は受け身になって持久戦に持ち込もうとしていた。無理に勝たなくてもいい包囲して足止めさえしていればいい。そんな雰囲気だった。
リュカに乗って王宮の近くまで来ると、シロ姉がゆっくりと振り返った。
「ここの地下」
「地下?」
ルイズの驚きに、隣で並行して飛んでいるシルフィードの背のキュルケ達が顔を見合わせた。
確かに王宮の下に地下があることは珍しくもなんともないが、前線に持ってきていないということは電光の魔法を使う気がないのだろうか? そもそも何故、王宮を制圧しようとしたのだろうか?
疑問は尽きないが、大人数で地下に潜ろうとしても見つかる危険性が増えるだけであり、現実的ではない。
反乱軍を制圧してから乗り込むのが王道で正しい道だろう。しかし、今の状況を考えると悠長なことはしていられない。
時間が過ぎれば過ぎるほど水の精霊の恋人の運命が閉ざされていく。
……であればどうする?
キュルケは覚悟したように息をひとつ吐いてから顔をあげた。
「じゃあ、ここは任せなさいな」
「キュルケ? 何言ってるのよ?」
キュルケの言葉にルイズが目を剥いた。だが、キュルケは何時ものように眼を細めてふっと笑った。
「あーもう、頭悪いわね、私達が引きつけてる間に、裏口からでも入って、水の精霊の恋人を救いなさいよ。急がないといけないんでしょ? あんたとシロ姉だったら、それくらいできるでしょ?」
「で、でも」
キュルケの案は下の戦闘に加わって騒ぎを大きくするということで、それはつまり身の危険が伴う殺し合いに参加するということ。ルイズはとても”お願い”などと言えなかった。シティオブサウスゴータで見た光景がフラッシュバックする。
そんなことに友人たちを放り込むことなどできるはずかなかった。
ルイズは硬い表情で首を振った。だがそんなルイズを見つめたキュルケは、やっぱり甘いところは変わってないのね、と苦笑した後に、一転して厳しい表情に改めた。
「なんて顔してんのよ、あんたにはやることがあるんでしょ! 早く行きなさいっ! ツェルプストーの人間が行けって言ってるんだから、行きなさいっ! ラ・ヴァリエールッ!」
「……イチヒコ」
「……わかったわ、キュルケ、タバサ、モンモランシー。シルフィードとリュカも。お願いっ!」
キュルケに叱責されたルイズは、唇を噛みしめたあと、覚悟を決めた表情で友人達を見つめる。そしてシロ姉の指示に従って旋回を始めたリュカの背から力いっぱいキュルケ達に叫んだ。

ルイズのリュカが王宮の裏の方に回ったのを見たモンモランシーは、眼下の王軍と反乱軍の戦いに目をやった後、前に座るキュルケの背をつついた。
「で、どうする気? 流石に多いわよ?」
「タバサとモンモランシーは上から撹乱をお願いするわ、ああ、あとレビテートお願いねタバサ」
「?」
「え?レビテート? あなたはどうするの? キュルケ」
「こうするのよっ」
そう言うなり、キュルケは呪文を唱えつつシルフィードから飛び降りた。
慌ててタバサがレビテートの呪文をキュルケにかける。
キュルケは落下速度が遅くなったことにふっと笑った後、杖を掲げ朗々と響く声で魔法の呪文を詠唱する。
直後キュルケの体の周りに轟々と音を立てる巨大な炎の球が浮かんだ。小さな太陽が浮かんだかのごとく大地を照らす。
大地の上で争っていた兵士たちは、上空で旋回するだけの風竜は無視していたが、流石にソレに気がついて戦いの手を止めた。
見上げた空から炎球を掲げた少女が降ってくることに、あっけに取られている様子の反乱軍の陣へ、キュルケはその巨大な炎球を思いきり投げつけた。
炎球は歓喜の唸りを上げて飛び、爆音とともに反乱軍の陣の中で炸裂する。
突如として現れた炎の使い手が自分達の友軍だと認識した王軍は歓声を上げた。更に、助けに現れたのが見目麗しい炎のような少女ということも王軍の士気を鼓舞する。
「助かるっ、嬢ちゃん。野郎ども、女神さまの光臨だ、遅れるなっ!」
四角い顔一面に髭を生やしたガッチリした体躯の四十過ぎの叩き上げらしき小隊長が竜騎士特有の長剣杖を掲げる。
ゆっくりと舞い降りたキュルケを取り囲むように、展開した王軍が劣勢を押し返し始めた。
「フレイム・ボールッ!」
キュルケが炎球を解き放ち敵軍を炎に包み、王軍が切り崩していく。タバサが上空からシルフィードのブレスとエアハンマーで確実に戦力を削っていく。地表からの矢や火弾はモンモランシーが水壁で防ぐ。
大地と空から追い立てられた反乱軍は一気に劣勢になった。
たった三人の加勢だが、うち二人はスクウェアに届こうかという強力なメイジであり、制空権を握っている優位もあって、反乱軍を構成するドットやラインレベルのメイジを蹴散らしていく。
勢いづいた王軍が王宮の方へ反乱軍を一気に追い立てる。
なんだ、意外と脆いじゃない。と思ったキュルケは、不意にぞくっと背筋に寒いものが走るのを感じた。条件反射的に後ろへ飛びずさった。
突如大地を揺るがす轟音と共に巨大な炎が炸裂した。
王軍も反乱軍も関係なく、一瞬で広がったその炎に巻き込まれる。数度瞬きをする間にその炎は消え、肉が焦げる匂いだけが後に残った。
「ふ、いい匂いだ。だが、まだまだだな」
王宮の正面ホールから、数名の足音とともに、錆びついた金属をこすり合わせるような声が響いてきた。
その声は激闘が止まった中で、悪魔の声のように全員の耳に残った。
「あ、あんた達っ!」
「て、てめえぇ」
そこに現れたのはタバサの母親を拉致にしにきた三人を従えた一人の大男だった。年のころは四十ほどで白髪だが、何よりも鍛え抜かれたその巨体と顔に残る無残な火傷の痕が目についた。反乱軍の格好もしていない所を見ると、雇われた傭兵なのだろう。
「なんだ、お前ら知り合いか?」
白髪の男は、背後の部下を振り返りもしなかった。
(この男、目が……となると耳ね)
キュルケはその男の瞼が全然動かないことを見て悟った。そして、経験上から目を亡くした人間は異様に聴覚に敏感になることを思い出す。タバサの実家で戦った三人を従えているところを見ると、目が見えなくてもあの三人以上に油断ならない敵と判断しなければならない。
上空のタバサもこの様子は見ているだろう。タバサと連携しなければ、多分勝てない。いや、連携しても厳しいかもしれない。
そんなキュルケの逡巡を尻目に、王軍の小隊長が率先して炎弾を撃ち込んだ。
「怯むな、敵は四人だっ押し包めっ!」
我に帰った王軍の兵士が気を取り直して一斉に散開した傭兵目がけて殺到する中、キュルケは音をできるだけ殺しながら
回り込もうとした。
しかし、白髪の男はキュルケ一人に狙いを絞っていた。顔はじっとキュルケの方を見据え、自分の周りに近づく兵士を無骨な鉄の棒の形の杖で殴り飛ばす。
「邪魔だな」
同時に炎を纏わせ、近寄る兵士を片っぱしから焼き殺してキュルケに一歩一歩近づいてくる。
王軍の兵士たちも、そのあまりにも圧倒的な力に、一歩引かざるを得なかった。代わりに残った三人の手練のメイジと残存する反乱軍に殺到する。
キュルケは、大男のあまりにも無造作に人を焼き殺す所作に思わず吐き気を催しそうになった。できるだけ不意をつけるように、喧騒に紛れる小声で呪文を唱え、火球を男に打ち込んだ。
時間差で上空からシルフィードにのったタバサがウィンディ・アイシクルを白髪の男に解き放つ。二人の攻撃でなすすべもなく倒されるかと思われたが、白髪の男はキュルケの炎球を手にした杖に纏わせた青白い炎で、文字通り巻き取り、そして、そのまま燃え上がった炎をタバサのウィンディ・アイシクルにぶつけた。乱舞する氷の矢で相手を串刺しにする水風系の攻撃呪文も圧倒的な炎の前に、ただ溶かされるだけだった。氷は一瞬で蒸発し、もうもうと水蒸気が立ち込めるなか、無傷の男がニヤッと笑った。
「ぬるいな」
キュルケは愕然とした。思わず悲鳴をあげそうになるのを押し殺して炎壁を男との間に解き放った。できるだけ音を立てないように移動しながら口の中で炎嵐を唱える。できるだけ音を消そうとする行為をあざ笑うかのように、大男は炎壁に鉄棒を無造作に突っ込んでかき消した。
キュルケがいくら足音を消しながら回り込もうとしても、大男は遅延もなく追尾してきた。大股でキュルケの移動した場所に正確に歩いてくる。
空からのタバサの攻撃には、炎球を対空砲火の様に打ち上げて応戦する。さらにその炎球が追尾誘導してくることもあり、シルフィードとモンモランシーが必死に炎球を無効化しようとする。直接炎にさらされるシルフィードは、爆発の度に自分が焙られていく感覚に陥る。
「きゅいきゅいっ!」
大男は、そんな上空のシルフィード達を、大して障害にも思っていないのか、狙いを定めたキュルケから目を離さなかった。
「わかる、わかるぞ、お前が徐々に絶望に苛まされていくのが」
嬉しくて堪らないような声音で白髪の男が舌舐めずりをした。ぞっとしたキュルケは爬虫類のような言葉を無視して炎嵐をぶつける。
だが、焦りからか集中が落ちて、ある意味大雑把なキュルケの攻撃より早く、白髪の大男が短く唱えた炎弾を剥き出しの伸びやかな足に打ち込んだ。
「あっ、あああぁぁっっ」
キュルケの太ももに、今までに見たこともない速さの炎弾がぶち当たり、じゅっと炙る音と共に肉が焦げる匂いが広がる。その異様なまでの炎の密度と衝撃に、数メイルも吹き飛んだキュルケの手から杖がこぼれ、炎の嵐がかき消された。
「ぬんっ」
上空から不可視の空気の槍が幾本も降り注ぐ。キュルケを傷つけた敵に、親友を傷つけた敵に、普段の無表情と異なって憎しみにも似た厳しい表情で睨みつけるタバサが、羽を畳んで急降下するシルフィードの上で仁王立ちになって杖を前に掲げ、高速詠唱で無数のエア・スピアーを放っていた。それは正に槍の豪雨と呼ぶに相応しいほどの密度だった。
モンモランシーは、その光景に、普段物静かなタバサが見せる、その圧倒的な殲滅力に表情がひきつった。こんな魔法の乱舞で生き残れる者などいない。背筋が寒くなりそうな誰も逃れられないタバサの攻撃に、白髪の男は鉄棒に白く輝く炎を玉を纏わせて熱の断層をつくって、空気の槍の軌道を捻じ曲げていた。男に刺さる筈の槍が、両手で掲げた灼熱の杖の周りで、ことごとく進路を捻じ曲げられ、男の周囲に虚しい穿孔を穿っていく。
こんな方法で火が風を回避するなど想像だにしなかった。
どう考えても逃れようのない攻撃を外れされ、愕然としたタバサ目がけて大男は鉄の棒を振り抜いた。
白い炎玉がシルフィードにめがけて恐ろしい速度で飛び、とっさに張ったタバサの風の障壁を蹴散らし、モンモランシーの水の障壁を蒸発させた。
シルフィードに当たる手前で、白い炎に必死にブレスを吐きかけて、なんとか直撃だけは回避した。が、至近距離で爆発した炎玉の衝撃でタバサ達は吹き飛ばされた。顔面と全身を火であぶられたシルフィードが空中に投げ出された主人達を必死に拾ったが、そのまま主人ごと大地に落ちて何十メイルも転がっていく。
「タバサッ! モンモランシーッ! シルフィードッ!」
キュルケがタバサ達の落ちた方へ焼け焦げた足を必死に引きずりながら歩こうとする。しかし、激痛に力なく崩れ落ちる。
「筋は悪くないが、いかんせん青いな」
白髪の男はタバサの方を一瞥した後、舌なめずりをしながらキュルケの前に立ちふさがる。
「あ、あ、あ」
キュルケはどうしようもない絶望に囚われた。非常用の魔法の杖があるので魔法を使うことはできるが、動いたら最後、目の前の敵に焼き殺されるだろう。かといってこのままでも結末は同じ、そして友人たちも同じ結末を辿ることになる。
がくがくと震えそうになるキュルケの前で白髪の男が、大きく息を吸った。
「ほう、肉の焼ける匂いと絶望が見事な香りを立ち昇らせているな、いいぞ! やはり極上だ! もっと足掻け、もっと絶望しろ。そしてもっと焦げろ!」
白髪の男は足で無造作にキュルケを蹴り飛ばした。数メイルも転がるキュルケに、炎弾を打ち込む。顔面を狙ったその炎弾は、水の壁に遮られて音を立てて消えた。
「さ、さ、さ、させないわ、あ、あ、あ、あんたに、きゃぁっ」
絶望と痛みで朦朧としかけたキュルケの目に、震える両手で杖を握りしめて、ガタガタ震えているモンモランシーが映った。
だが、その英雄的行為も、無表情で鉄の杖を振る白髪の男には通じなかった。炎の玉がモンモランシーを襲う。
モンモランシーに激突する直前、炎の玉が突如荒れ狂ったブリザードに包まれ、消えていく。
「タバサッ!」
口の端から血の筋を流し、脱臼したのか左腕がぶらんと垂れ下がり、肩で荒い息をするタバサが杖に寄りかかりながら、よろよろと立ちあがっていた。
「ふ、ふ、ふふはははは、いいぞ、いいぞ、見込んだ通り、お前たちは極上だっ、ここまで興奮するのはお前たちで二度目だ、は、は、ははははっ」
白髪の男は、その様子を見て、哄笑を放った。嬉しくてうれしくて堪らないように笑った。
そして目が見えないとはとても思えないほどの敏捷さで不意にタバサに詰め寄るなり、痛めた左手をつかんで吊るしあげ、そして返す足でモンモランシーを蹴り飛ばす。
「―っ!」
タバサが声にならない悲鳴をあげると、陶然とした男は陽炎を立ち上らせるほどの鉄の杖をタバサの脇腹に押しつけた。
「ああっ!」
じゅぅっという音と共に服が焦げ、タバサが叫び声をあげ、痛みで暴れる。
「タバサッ!」
キュルケは悲鳴を上げた。タバサが自分の目の前で蹂躙されていく、壊されていく。それを誰も止められない。
自分の無力感を呪った。魔法学院で屈指の実力を誇っていても、友人一人すら守ることができない。
普段の超然とした態度をかなぐり捨ててキュルケは叫んだ。
「だ、誰かっ、助けてっ、助けてよっ」
「いいぞ、いいぞ、もっと叫べっ」
キュルケの絶望的な叫びに反応したように白髪の男が歓喜に打ち震える。全身を恍惚に小刻みに震わせる。
そして今度こそ、焼き尽くさんと白髪の男が炎を杖に纏わせた時、唐突に男が吹き飛ばされた。
「やれやれ、きみたちは本当にむちゃをする」
「あ……」
白髪の男を蹴り飛ばしたのは銀色の髪をツインテールに纏め上げた、紫と褐色の肌を持つ神秘的な少女だった。
男の手から衝撃で弾き飛ばされたタバサを軽々と抱きとめた少女は、困ったような表情をしていた。
ゆっくりとキュルケのそばに近寄ってタバサをその横にそっと降ろした。
「アール・タンポポッ! あなた、いつの間に?」
「まあまあ」
キュルケの驚愕と感謝と安堵の三重奏に彩られた表情に、”たびびと”は頬を人差し指でポリポリと掻きながら少々照れくさそうにしていた。
その間に口の端に血を流しながらも慌ててモンモランシーが近寄って、二人に治癒の魔法をかけていく。
「おまえは一体、なんだ? ゴーレムか? 人間ではないな?」
白髪の男が頭を振りながらゆっくりと立ち上がった。そして、怪訝そうな表情でR-タンポポと見つめる。。
その言葉に弾かれたようにキュルケ達が一斉に”たびびと”のアール・タンポポを見つめる。
「まあいい、どのみち、焼き尽くすだけだ」
鉄の杖を突きつけた白髪の男がそう宣言した。そして杖に白い炎球を作り上げる。
「う~ん、それはちょっと困るな」
そう言ったアール・タンポポはどこからか取り出した小さな銃のようなものを向けた。
「だめっ、メイジに銃なんか効かないわ」
モンモランシーの悲鳴に重なるように、かすかに紙にナイフを刺したような擦過音が鳴り、そして大男は声もなく崩れ落ちた。
「え?」
三人がかりで手も足も出なかった相手を一瞬で倒したアール・タンポポを、キュルケ達は呆然と見詰めた。
「だいじょうぶだよ、ただの鎮圧用だから」
”たびびと”はこともなげに言ったあと、銃を魔法のように消した。そして、キュルケとタバサの傷を確認する。
火傷は酷いが、モンモランシーの治癒でとりあえずは小康状態にあることに安堵の表情を浮かべた。そしてまだ戦闘が続いている王宮前広場を眺めた後、ゆっくりと立ち上がった。
「さて、と、実は君たちにしてもらいたいことがあるんだ」
「な、何?」
未だに、状況の整理がつかずに上の空のキュルケがR-タンポポを見つめた。紫色の少女は、何かを探すように辺りを見渡した後、キュルケ達に向き直った。
「この国の王を探して欲しい」
「……理由は?」
キュルケの怪訝そうな声に、R-タンポポはいたずらっ子のような表情を浮かべた。
「そうだね、この島が落ちるから逃げろってのかどうかな?」
キュルケ達はその言葉に複雑な表情を浮かべた。目の前の少女は、なんでこんな非常識なことを言い出すのか? そんなお伽噺のようなことがあるわけがない。と。
「な、何言ってるのよ? アルビオンが落ちるわけないでしょ? ずっと浮いてるのよ?」
そしてそのキュルケの言葉は、ハルケギニアに住む普通の住人の極めて一般的な常識であって、タバサもモンモランシーも同じような表情を見せていた。
「うーん、そっか、そうだね。じゃあ、できるだけ多くの人をフネだっけ? それに乗せてほしい。にもつはおろしてもかまわない、できるだけ多くの人をフネに乗せてあげてほしい」
R-タンポポは自分の言葉が受け入れられないことを悟ると、あっさりと主張を取り下げた。
その代りに、キュルケ達にとっては、またしても妙な事を言い出した。
理由は分からないが言いたいことは分かる。キュルケはじっとアール・タンポポを見つめた。
銀髪の少女は、始祖のいもうとの”姉”という少女は、穏やかな微笑みを浮かべていた。
とりあえず大地から離れろ。アール・タンポポはそう言っている。ひょっとするとさっきの地震に関係しているのかもしれない。自分達には分からないけど、大地震が来るのかもしれない。
しかし、確固たる根拠もなく、国王がはいそうですか。と納得するとはとても思えない。
「そんなの言っても信じてくれるか分からないわよ?」
「いいよ、信じてくれないなら、しかたがない」
キュルケの怪訝そうな表情に、R-タンポポはあっさりとしていた。
そのあまりにも淡泊な物言いに、キュルケ達は、R-タンポポが何を伝えたいのかよく分からなかった。
とりあえず頭に浮かんだ懸念を単に言ってみただけ。というのが正解なのかもしれない。
なんとなく、納得はしかねるが、こんな戦場に来てまで伝えようとする話だし、とりあえず言うだけ言ってみようとキュルケは思った。
その目を見たR-タンポポはくすっと笑って、その場を離れようとした。
「……わかったわ。で、あなたはこれからどうするの?」
思わず引き留めた言葉に、R-タンポポは振り返ってこともなげに言った。
「ん? ぼくはR-シロツメグサ卿をおいかけるけど?」
「じゃあ、私も行くわ」
それを聞いたモンモランシーが立ち上がった。
とても単独行動で率先して動くような性格ではないはずの金髪の友人の言葉にキュルケもタバサも目を見張った。
「モンモランシー、あなた何を」
「だって、キュルケもタバサも大怪我してるわ、私の治癒の魔法だとシロ姉のみたいにすぐ治るわけじゃないし。激しい運動はできないわ。それにウェールズ皇太子に会うんだったら、タバサ、いえ、シャルロットの肩書が必要でしょ」
モンモランシーは、じっとキュルケとタバサを見据えて言った。
キュルケはモンモランシーの言葉に反論ができなかった。
確かに言われるとおり自分達は今、五体満足に動くことはできないし、ウェールズに会ってアール・タンポポの言葉を伝えるときに、タバサ、いやシャルロット・エレーヌ・オルレアンの言葉の方が自分よりも効果的だろう。そして、多少なりとも動けるのはモンモランシーだけだということもある。しかし、どんな心境の変化だろうか?
キュルケの驚いたような視線に、モンモランシーは少々照れくさそうにしながらも、視線は外さなかった。
モンモランシーも、この戦いで何か思うことがあったのだろう。その目を見たキュルケはふっと息を吐いて仰向けに寝転がった。
「モンモランシー……わかったわ、ちゃんとルイズを連れて帰ってきなさいよ」
「当然でしょ」
「……ぼくとしては、残っていてほしいんだけど」
R-タンポポは困ったような表情で、意気投合した少女たちを見つめていた。そんなアール・タンポポにモンモランシーが自分の胸に手を当てて向かい合った。
「何言ってるのよ、ルイズもシロ姉も私達の大事な友達だわ、助けに行ってもいいじゃない。
それに私はルイズやキュルケやタバサ達を見てて思ったの。みんな自分で歩いてるってね。
だけど私だけ、みんなの後についてるだけだったわ。だから、私ができることは私がやろうっと思ったの。
大したことはできないと思うけど、後悔しないように私のできることはやっておきたいわ」
真剣な表情のモンモランシーの言葉にキュルケとタバサは顔を見合せて笑った。
そして、その言葉を聞いたR-タンポポは腕を組んで悩んでいた。
アール・タンポポが嫌だと言えば、自分には追いかけることはできない。それが分かっているだけに、うんと言ってくれるかどうかモンモランシーは固唾を飲んでいた。。
やがて、アール・タンポポが仕方なさそうに頷いたことで、モンモランシーはほっと胸をなでおろした。
「うーん、よく理解できないけど。わかったよ。せきにんを持つことはだいじだしね。でも、ぼくの指示にはしたがってもらうよ」
「わかったわ」
「キュルケ、タバサ、後をよろしくね」
「分かった」
「あなたも気をつけてね」
王宮の裏の方に歩きだしたアール・タンポポを追いかけてモンモランシーが小走りに走って行った。
途中でアール・タンポポを待たせてシルフィードに魔法をかけてから、たぶん治癒の魔法なのだろう。ほっとした表情でこっちに向って手を振った所を見ると、とりあえずシルフィードは大丈夫なのだろう。
やがてモンモランシー達の姿が建物の蔭に隠れていった。
「大丈夫かしら?」
「大丈夫」
先ほどちらっと見た所、王宮広場前の戦闘も終結しそうだった。傭兵の親分である白髪の男が倒されたことで、部下の傭兵達は逃げ出したようだった。であれば、王軍の勝ちで終わる。
キュルケとタバサは疲れからか仰向けに大の字になって空を見た。背中の石畳のひんやりとした感覚が火照った体に心地よかった。
二人の少女の見上げた空は茜色に染まり始めていた。


§ § § § § § § § § § § § § § § § §

王宮の裏は警戒の兵士が殆どいなかった。
そもそも、広大な王宮をくまなく庇う事などできない。
そこかしこに不自然な岩や鉄の塊がある所を見ると、ゴーレムかガーゴイルの残骸なのだろう。
以前、といってもほんの数日前だが、ルイズがハヴィランド宮殿に入ったときはゴーレムもガーゴイルも殆ど見なかった。となると反乱軍が用意した王宮の確保か警備の為だと容易に推察ができる。本当であれば高い防御力と打撃力で厄介な敵になるはずだが、今はルイズの”虚無の魔法”のせいで見る影も無い状態だった。
そんな殆ど人気の無い裏の庭園に降り立ったルイズだが、やはり、敵陣の真っ只中ということもあり、緊張で汗が滲む手で杖を握り締めていた。
庭の植木に隠れて、辺りを警戒し宮殿へ走ろうとした時、R-シロツメグサがその肩を掴んで止めた。
「イチヒコ、ちょっと待つ」
「どうしたの?」
慌てて振り返ると、シロ姉が難しい顔をして下を見つめていた。
ルイズの疑問に顔を上げたシロ姉が、手を横に伸ばした。
「モキュッ」
ルイズの頭の上のさんしょうおが鳴くと同時に、伸ばした手の先に真っ白い光が集ってくる。ルイズが驚きに目を見張っていると見る間にそれは真っ白く輝く精緻な槍と化した。穂先の付け根くらいに頭ほどもある大きさの二重のリングが柄を中心に浮いている。
どう見ても普通の兵士が持つような槍ではないし、どこからともなく現われて、支えもなしに二重のリングを浮かせているような槍が普通のものであるはずが無い。
そしてその槍から漂ってくる強烈な圧迫感に本能的な恐怖すら感じていた。
「え? シ、シロ姉? そ、それって」
呆然としたように呟くルイズに、まじめな顔のシロ姉は槍を地面に向けた。
「面倒だから直接行く」
シロ姉が取り出した槍が煌いた。思わず閉じた目を恐る恐る開けると、大地にぽっかりと穴が空いていた。彫刻家が傷をつけないように細心の注意をして削り上げたような、一メイルほどの大きさの真ん丸な穴だった。恐る恐る覗き込んでみると遥か先に仄かな明かりが見えた。しかし、その明りは遥か遠くに感じられ、どう見ても二百や三百メイルは優に超える深さのような気がした。
ルイズが頬を引き攣らせながら穴を指してシロ姉の方を見ると、満面の笑みを湛えて、こくんとシロ姉が頷いた。
「シ、シ、シ、シロ姉、ひ、ひょっとして」
「飛び降りる」
「いーーーーやーーーーっ!」

有無を言わさず、シロ姉に抱きしめられたルイズは、深い縦穴をその体勢のまま落ちていった。轟々と風切り音が耳元で響き、とても目を開けていられない。シロ姉の胸に顔を埋め、ギュッと抱きしめた体制のまま、十ほど数えた頃、ふっと圧迫感が無くなった。恐る恐る目を開けてみると途方もなく広大な空間が広がっていた。声も無くあっけに取られていると、急速にスピードが低下してふわっと着地した。
そういえば、レビテートの魔法を使えばよかったんだ。とふと頭の片隅の冷静なところが存在を主張する。しかし、そんな些細な主張は、今、目の前に広がる異様な光景を前にしては台風の前の蝋燭のように吹き消されてしまった。
「な、な、何? ここ……」
巨大な空間だった。天井を見ても何百メイルも離れているようで判然としない。そして、奥行きは? と見ると遠くは闇に隠されて見えなかった。少なくとも魔法学院全体が何個もすっぽりと入りそうな広大さを感じる。
床には所々仄かに光る板が一面に貼り付けられており、空洞内を薄く照らしていた。そしてルイズの目の前に、途轍もなく巨大な金属でできたブロックが、それこそ騎士型ゴーレムの身長の何倍もありそうな巨大な塊が弧を描くように何十個、何百個と立ち並んでいた。そしてブロックと同じ素材でできた、ルイズがすっぽりと入れそうな太さの筒が繁りに繁った茨か蔦のようにびっしりと巻きついている。
また、そこかしこに機械の塊のようなものがくっつき、骨のように飛び出した金属の柱が空間を睥睨していた。
あまりにも巨大かつ異質な光景を呆けた表情で見上げていたルイズだが、澱んだ空気と、つんと鼻に来る金属臭に思わず吐き気を覚えた。
「イチヒコ、こっちくる」
空洞の大半を占める巨大な何かの機械が発しているのか不明だが、全身を震わせる重低音が響く中、気分が悪そうなルイズを心配そうに見つめていたシロ姉がゆっくりと手を繋いで歩き出した。
「シロ姉、ここって何? この先にいるの?」
「そう」
異様な雰囲気に心細くなってくる。でもシロ姉とつないだ手からじんわりとした温かさが伝わり、安堵感が広がっていく。
世界にたった二人で歩いているように思え、ふと寂しさを感じた。そんな寂しさを感じてくれたのか、シロ姉がふっと振り返って微笑んでくれた。わたしにはそれだけでいい。シロ姉がいれば何もいらない。手をずっと繋いでいてくれたらそれだけでいい。
ルイズはふとそんな気になった。
シロ姉が思案顔で少し潤んだ眼のルイズを見て幸せそうに微笑み、そっと顔を寄せてキスをした。その後、再びゆっくりと歩きだす。
「きゃっ」
シロ姉に手をひかれて巨大な機械の方に向って歩いていると、暗がりで見えなかった為か、何かにつまずいた。
灯火の呪文を唱えてつまずいた物を確認すると、自分の身長程の大きさで、両手で抱えるほどの大きさの滑らかな金属でできた丸いクッションみたいな物が上にくっついている奇妙な物が転がっていた。
白とオレンジ色のそれは、夏の避暑地の別荘の海で見たクラゲか、キノコを大きくしたようなものに見えた。そして、そのキノコのような物は、四方に張り出した手のようなものが広がったまま微動だにしなかった。
「ねぇ、シロ姉、これって」
杖でちょんちょんとつついてから、動かないことを確認して、シロ姉の方を振り返ると、シロ姉がとても悲しげで、寂しげな表情を浮かべていたことに気がついた。でもその表情は直ぐに消え、首を振ったシロ姉に、なんとなくそれ以上聞くことができなかった。再び手を繋いで二人で歩き出す。
あれはいったい何だったのだろうか? それよりここはいったい何なのだろうか。どう考えてもアルビオン王国のものなのだろうが、どう考えてもおかしい。
こんな得体のしれない機械や、これほど巨大な機械を作ることなどできるはずがない。手を引かれて歩きながら、考えていたルイズははっと気がついた。
この巨大な機械を作ったのがアルビオン王国のテューダー王家でないとしたら? それこそ始祖が作り上げたとするならば?
「きゃ、いたっ」
「頭、気をつける」
城の外壁よりも巨大な機械の塊と塊の間の隙間を身をかがめて通ろうとしたとき、考え事をしていたルイズは出っ張った筒にしこたま頭をぶつけた。
苦笑しながらルイズの頭を撫でるシロ姉に涙目になりながらむーっと膨れた顔を見せる。

どのくらい歩いただろうか、十分程かも知れないし一時間なのかも知れない。シロ姉と他愛もないことを話しながら、機械の間をくぐり、隙間を抜け、時間の感覚が怪しくなる頃、明るく照らされている機械の無い広大な空間に辿り着いた。
そして四人乗り馬車がすっぽり入る程の巨大な四角い筒が洞窟のはるか上からつながっているのを見ると、その筒が本当の通り道なのだろうか。
そしてその筒の先はルイズの身長の倍ほどの塀で囲われていて、中の様子は分からなかった。
その塀も一辺が百メイルほどもあって、ちょっとした城のようだった。近寄ってみると何らかの金属らしき冷たい感触がある。
とりあえず、入れる場所を探そうとすると、シロ姉があっさりと壁に穴を開けた。
「ここから入る」
「あ、そ、そう?」
十サント程の厚みのある金属か何かの壁に空いた丸い穴をシロ姉に続いてくぐり抜けた先は異様な場所だった。壁や床全体が白色に発光するパネルに覆われており、そのパネルの向こうには、飽きるほど見てきた複雑な機械が、まるでおもちゃに見えるほどの更に巨大で、複雑で、異様なオブジェが鎮座しているのが見えた。そして見上げていた目を下ろすとルイズの正面の壁の前にとても奇妙なものがあった。
「何?あれ」
それは何やらピカピカと光ったり数字や文字、そして複雑な幾何学模様らしきものが動きながら幾重にも映っているガラスの壁だった。魔法学院のアルヴィーズの食堂の入口のドアを十枚ほど並べた大きさで、三十人位が同時に座れるほどの銀色の光沢をもつ金属らしき台座がその前に備え付けられていた。
そしてルイズの目に、そいつが映った。
「なななにやつっ! その装いは近衛の士官か、なるほど、勇ましいものよ」
城の庭園にいくつも転がっていたのと同じような、何十体もの金属や岩の塊 ―即ち魔法の力を失ってただの素材の塊に戻ったゴーレムの残骸― に囲まれて、一人の男が立っていた。
三十代程のその男は、丸い球帽をかぶり、聖職者のような格好をして、薄暗い中でもよく映える緑色のローブとマントを身に着けていた。手にはタバサが持っているような、人の大きさほどの節くれだった杖を持っているその男は、突然現れたルイズ達に金髪の巻き毛を振り乱して驚いていた。
しかし、その驚きも即座に消え、代わりにふてぶてしい程の薄い嘲笑が張り付いた。角ばった鋭い顔つきに、狡猾そうな光をたたえた碧眼と目が合った瞬間、ルイズは確信して杖を構えた。
「あんたがクロムウェルね? 攫ってきた水の精霊の恋人を返しなさいっ!」
ルイズの叫びに、一瞬驚いたような表情を浮かべたクロムウェルは、おかしくて堪らないように哄笑を解き放った。
「はははははっ、水の精霊の恋人? そんな認識で、ここまで追いかけてきたのか?」
クロムウェルは自分の横に置いてある大きな車輪の手押しワゴンに乗っている木箱の蝶番を外した。ばたばたと音がして箱の四方の壁が倒れ、中に鎮座しているものが露わになる。そして意味深な表情を見せながらソレをぽんぽんと叩いた。
色こそオレンジ色と黒色の違いがあって、クロムウェルの横にある物はチカチカと光を放っているが、ルイズが途中で躓いたものと同じものだった。
「そ、そ、それが、なっ、なによっ」
ルイズは、なんとなく気圧されたよう、一歩後ずさって杖を突きだした。
クロムウェルはその様子を見ながら、追い討ちをかけるように酷薄な笑みを浮かべる。
「これが、君の言う、”水の精霊の恋人”だ」
「え、そ、そんな、う、うそ」
ルイズは、目の前のクラゲのお化けの様な機械が水の精霊の恋人と聞いて狼狽した。確かに水の精霊の恋人の姿かたちは正確に理解していないが、水の精霊の像の様に、水でできた人型だろうと漠然と考えていた。
目の前の様な機械が”恋人”とは、想像すらしていなかった。
慌ててシロ姉を振り返るが、シロ姉は厳しい表情をしたままだった。
「こんな機械が水の精霊の恋人なのか? この化け物が? ずいぶんと笑わせる。君たちのような愚民は知らないだろうが、これは神の力の一部だよ」
「神の力……」
ルイズは畳みかけるようなクロムウェルの断定する口調に戸惑った。
もし、これが目の前の男の言うように本当に”水の精霊の恋人”としたら? 水の精霊はこの機械を恋人としていたのだろうか? ルイズの思考が男の言葉に翻弄されていく。
ルイズの混乱した姿を見てクロムウェルは、優越感に浸った。昔、司教の立場にいたときの様に、無知蒙昧な信者に説教をする口調で話し始める。
「いいことを教えてあげよう、何故、アルビオンが宙に浮いているか考えたことはあるかね?」
「そ、そ、それは……」
あまりにも突拍子もない言葉にルイズは言葉に詰まった。
アルビオンが中に浮いているのは月が空にあるのと同じであって、なぜ? と疑問に思ったこともない。”浮遊大陸アルビオンは空に浮かんでいる”これが常識だった。
しかし、目の前のクロムウェルという人物は、その常識に、”なぜ?”を突きつけた。
そして、”虚無”の魔法を使ったルイズは、魔法使いは魔法が使える。といった常識を自分自身が破壊したこともあって、クロムウェルの問いかけを一笑に付すこともできず、思わず言葉を詰まらせた。
それを見たクロムウェルはここぞとばかりに言葉をつなげる。
「アルビオンが宙にあるのは常識だから? そうだろう、浮遊大陸アルビオンは空に浮かんでいる。確かに常識だ。ではなぜ、アルビオンだけが宙に浮いている? おかしくはないかね? アルビオン以外の島は? なぜ浮かない?」
「……」
クロムウェルの問いかけにルイズは答えを返すことができなかった。
「それは機械の神の力があるからだ、機械の神の力で浮いているのだ。そして、その機械の神の力を手に入れることが出来れば世界など、どうとでもなる。魔法と言えど、神の力にはかなうまい」
「そんなことないっ!」
クロムウェルは両手を広げ、得意げに笑った。ルイズは魔法使いである自分の存在価値が否定されたように感じた。悲鳴のように叫び返す。
「そんなことがあるのだよ。
アルビオンは始祖ブリミルが現れる前から浮いていたことは知っているだろう? シティオブサウスゴータなどは始祖が始めて降り立った地として名高いだろう? しかし、その始祖も、アルビオン大陸を飛ばしている機械の神には何もしなかった。
要は始祖といえど、系統魔法を作った偉大なる始祖ブリミルといえど、機械の神の前に何もできなかったということだ。
征服しようとしたのか知らないが、機械の神の前に、すごすごと引き返すことしかできなかったということなのだよ。
いくら魔法を作ったとしても、魔法でこれほど巨大な物は作れまい。いくら魔法が使えても、すべての系統のスクウェアであって伝説の虚無の魔法をを使えたとしても、アルビオン大陸を浮かせることなどできまい。
いくら始祖であっても神の力を凌駕することなどできないのだよ。神の力の前には無力なのだ」
「違うわ、始祖は、始祖はそんな力を誇示したいとか、何かを屈服したいとか思っていないわ、魔法だって……」
クロムウェルの得意げな長広舌が、始祖を否定するような口調が、始祖の想いを踏みにじるようなせせら笑いが、ルイズに突き刺さる。ルイズは悔しかった。始祖の悩みも、願いも何も知らない人間が悪し様に始祖をののしることが許せなかった。
ルイズの必死の抗弁にクロムウェルは眉をぴくっとあげて、傍らの”水の精霊の恋人”をぽんぽんと叩いて、冷酷なまでの嘲笑を浮かべる。
「その始祖の作りたもうた偉大なる魔法も、実際に、こいつの電光ですら防げぬではないか」
「そ、そんな……」
切りつけるような言葉にルイズは思わず後ずさった。
反論ができなかった。確かに、王軍は電光の魔法に手も足も出なかった。電光の魔法に晒された時点で、その攻撃から逃げることしかできなかった。火も水も風も土も、すべての系統の防御魔法もその光を防ぐことができなかった。
であれば、この男の言う通り機械の神の力は始祖がもたらした魔法を、いや始祖そのものを超える力を持っているのだろう。
だが始祖はその強大な力で、人々を守るために戦った。決して何かを侵略するような戦いをしたわけではない。四人の使い魔を連れて、たった五人だけで、世界中をめぐって闘い、そして守った。
でもそんな始祖の力を超えるような力を、自分の欲望の為だけに使おうとする人間がいたら?
そんな人間の支配する力だけの未来はとても暗いものになる。
そして、相手の碧の目を見たルイズは不意に悟った。
「もしかして、反乱を起こしたのは、沢山の人を殺したのは、そして、宮殿だけを狙ったのはっ!? その力を、神の力を手に入れるため、その為だけに戦争を起こしたのっ!? その為だけに何千人も何万人も殺したというの?」
ルイズの愕然とした表情に、クロムウェルは、ようやく気がついたか?とばかりに、にやっと笑う。
「ふむ、馬鹿ではないようだね。悪いかね? 失われた神の力を蘇らせるために、多少の犠牲は仕方あるまい?」
「た、た、多少ですってぇ」
ルイズの脳裏に、さまざまな光景が浮かんだ。シティオブサウスゴータでの戦乱の痕、そしてロンディニウムの戦い。
ルイズは握った杖が折れそうになるほど強く拳を握り締めた。この男は、自分のことだけしか考えていない。人の痛みも、心も何も気にしていない。
始祖は、”イチヒコ”は、強大な力を持っていてもあんなに寂しそうに、優しそうに笑っていた。つまらない日常が大事だと言って、愛おしそうに笑っていた。でもこの男は全然違う。何も考えずに、他人の日常を、幸せをごみ屑のように無価値なものと勝手に思い込んで、力だけを求めている。
こんなやつに力を持たしてはいけない。
ルイズは顔を伏せてわなわなと両肩を震わせた。
「……あんなゴーレムまで持ち出して?」
低く、かすれたようなルイズの声に、クロムウェルは首をかしげた。
しばらく考えて、ようやく気がついたように、ぽんと手を打った。
「ゴーレム? ああ、あのでかぶつかね? ふ、無能王のおままごとに付き合ってはみたが、君の様な小娘がここにいるということは、たいした成果もあげておらんのだな」
「ゆ、ゆ、許さないっ」
「ほう、許さなければどうするね?」
ルイズはその言葉で、人の生死も何も気にしていないその傲岸不遜な言葉に、弾かれたように顔をあげた。怒りにあふれた顔で相手を睨みつける。そして、その表情をせせら笑ったクロムウェルは、背後のパネルに向かって言った。
「”侵入者だ、排除せよ”」
その言葉をきっかけに、台座にカパッと五十サント程の正方形の穴がいくつも開いて、その中から三十サント程の金属の蜘蛛のようなものがわらわらと何十体、何百体も出てきた。
「あ、な、なに」
「これが神の力の一部だよ。まあ、死に行く人間が知る必要はない、ゆけっ」
どう見ても機械にしか見えないのに、口元のキバでバチバチと青白い火花を立てる蜘蛛は、異様に滑らかに動いて近寄ってくる。
その姿に、ルイズは生理的な嫌悪感を感じた。とっさに杖を翳して魔法を唱えようとした瞬間、それを察知したのか蜘蛛が飛びかかってきた。
その速度は隼のように早く、そして雲霞のごとく大量で、きりがなかった。
「モキュッ!」
呪文が間に合わない。と思わず目を閉じた瞬間、ルイズの両肩をシロ姉がそっと抱いた。そして頭の上にいたさんしょうおが鋭く鳴く。
「な、何だと?」
クロムウェルの驚愕の声に、ゆっくりと目をあけると、目の前にさんしょうおが、ぷかぷかと浮かんでいて、蜘蛛はすべて死んだ様に仰向けになって足をぴくぴくと震わせていた。そして、ずっと黙っていたシロ姉がルイズをゆっくりと背に庇い、クロムウェルと対峙する。自信を持って送り出した攻撃が一切効かなかった為か、明らかに狼狽して表情をこわばらせたクロムウェルが両手を前に突き出す。
「ま、まて、く、来るな」
ゆっくりとシロ姉が足を踏み出し、転がった蜘蛛をつまみあげた。
ルイズはそのシロ姉の横顔を見て驚いた。シロ姉の顔に浮かんでいたのは怒りではなかった。

深い悲しみ。

その瞳には、やりきれない程の悲しみが浮かんでいた。

R-シロツメグサはずっと考えていた。
イチヒコを抱きしめて縦穴を落下している時も、イチヒコと話をしながら、二人で手をつないで歩いているときも、ずっと考えていた。
身近で感じるイチヒコの存在はすべて愛おしかった。このままこうして永遠に時が過ぎればいいとさえ思っていた。
だが、否が応でも現実を見せつけるこの空間は、どうしても好きになれなかった。

核融合炉と重力制御装置。

アルビオン大陸を浮遊させている原動力であり、そして地震の原因でもある。
水の精霊の恋人であるX-428の存在を、幸か不幸か重力制御フィールドの一時的な出力低下に伴ってEES≪アリシアンレンズ≫で探知することができた。
この核融合炉の空間にX-428がいることは予想外のようで、予想通りだったのかもしれない。
正直、ここへきて、よくこれほどまでに巨大な核融合炉を作り上げたものだ。と感心する一方で、あまりにも老朽化していることに絶望した。
イチヒコがつまずいたセイバーハーゲンも、サンテグジュペリ号から奪われたというレム封印派のセイバーハーゲンだったのだろう。希望通りレムを封印し、ただの機械として酷使されたのだろう。彼らの願い通り自我を封印して、そして活動を停止したことは、果たして幸せだったのだろうか?
だが打ち捨てられた機体を見て、主である自称”神”のセイバーハーゲンの扱いの程が分かった。
そしてそれと比較すると”イチヒコ”やイチヒコの接し方が宝物のように思える。機械だから、心を持たないものだからと言って道具として扱うのか、機械であっても心を認めて大切に扱ってくれるのか。どちらの方が嬉しいか言うまでもない。
頭をぶつけて、可愛らしくむくれるイチヒコを見て、拗ねるイチヒコを見て幸せに思った。
私はイチヒコがいれば何もいらない。イチヒコが笑ってくれて、抱き締めてくれたら、何もいらない。そしてイチヒコは私に笑いかけてくれる、私を抱きしめてくれる。私を愛してくれる。
”イチヒコ”の時はどうだった?
”イチヒコ”の時は関心を引きたいから、私を見て欲しいから、ぷれぜんとをあげた。一つでは笑ってくれなければ二つ、それでもだめなら三つ。
でもその結果は、何も生まなかった。キスはしてくれた。けど心はなかった。せっくすもした。でも心は私を見てなかった。
物ではなくて心。
目の前で笑っているイチヒコの心はこれほどまでに愛おしいのか。”イチヒコ”もほんとはイチヒコと同じくらい心豊かで美しかった。でも、あふれる”物”が、望めばすぐに手に届く物がすべてを台無しにした。
イチヒコの母の言っていた様に、努力も何もせずに物を与えるだけでは駄目だったのだ。
”イチヒコ”も、それに気がついたのかもしれない。私がいなくなって”イチヒコ”は初めて、望んでも手に入らないものがあることに気がついたのだろうか。もしそうだったら悲しいけど嬉しい。
望んでも、泣いても、駄々をこねても手に入らない物があって、無くして初めて大切な日常に気がついたのだろうか。
R-ミズバショウやR-ヒナギク、タイショー達との平穏で退屈な日常。
そしてその日常を構成する心のつながり。

R-シロツメグサの心≪レム≫の中で天啓のように閃く物があった。

――!

だから、だからなのか。

だから、”イチヒコ”は物ではなく心を、機械という便利で即物的なテクノロジーではなく”魔法”という抽象的な形のないものを作り上げたのか。

すべては心の為に。

でも、その”イチヒコ”の思いを、心を追い求めた”イチヒコ”の願いを、この目の前の男は無造作に踏みにじった。
無暗矢鱈にテクノロジーを追い求め、幾多の人間を犠牲にして物を、力を求めた。そして、そのせいでイチヒコが危ない目にあう……。

「私はずっと考えていた。なぜ”イチヒコ”はこんなことをしたのか。」
ルイズの目の前で、シロ姉が金属でできた蜘蛛を見ていた。そしてその目はその蜘蛛を通してどこか遠くを見ているように思えた。
「”イチヒコ”が本当に止めたかったのはこれ……。過度のテクノロジーを持つ不幸。”物”に溺れることの不幸。与えられるだけの悲しみ」
シロ姉が静かに、思い出を振り返るように、透き通った表情で寂しそうな表情を浮かべた。涙はこぼれていなかったけど、ルイズには、その顔は泣いているようにしか見えなかった。
つまんでいた金属の蜘蛛が見る間に砂の様に崩れていく。
「だから”イチヒコ”は”魔法”を作った」
唖然とするクロムウェルの前で、シロ姉が手のひらに積もった銀色の粉を、一筋の銀の水の様にさらさらと手からこぼしていき、ゆっくりと首を振った。
「だから”イチヒコ”は”サンテグジュペリ号”を封じた」
シロ姉が何か大事なものを見つけたように、ルイズを振り返った。
「テクノロジーを使わなくても、生きていける様に。テクノロジーを追い求めずに、生きていける様に。
技術を進化させなくても生きていけるように」
クロムウェルが、思わず一歩後退する。
ルイズの頭の上のさんしょうおが、ふわりと飛び立ってシロ姉の頭に乗る。
「人が自分で自分の身を守れるために。
物質的な物ではなく、精神的なものを。
ぷれぜんとを贈るのではなく、心を贈ろうと」
シロ姉の口調が徐々に鋭くなっていき、ゆっくりと一歩踏み出してルイズを背にクロムウェルに向き直る。
「それは正しいかもしれない。間違ってるかも知れない。傲慢な想いかも知れない。
でも、ひとつだけ、言えることがある」
シロ姉の目がすぅっと細くなり、剣呑な光を放ち始める。その異様な雰囲気と圧倒的な気配にクロムウェルが後ずさる。
「……お前はいらない。
……お前なんかに、”イチヒコ”の想いを汚されたくはない。」
厳しい表情で吐き捨てたシロ姉が、ゆっくりとクロムウェルに近づく。
「くっ、おいっ! 化け物、”命令する。目の前の的を攻撃せよ”」
クロムウェルの言葉を聞いた水の精霊の恋人の腕らしきものが動いてシロ姉を指す。
「危ないっ! シロ姉」
次の瞬間、一瞬黄色い光がほとばしったかと思うと、シロ姉の前で火花を散らして消えた。
クロムウェルが目を見張る。
水の精霊の恋人から何度も光が放たれ、その度にシロ姉の前の見えない壁に遮られ、むなしく火花とともに消える。
「イチヒコ、こっちくる……」
「こ、こう?」
シロ姉がルイズを手招きし、自分の背にルイズをかばった。
必至の表情のクロムウェルが、水の精霊の恋人の頭をつかんで絶叫した。
「で、で、電光だ! ”命令する。全力で攻撃せよ”っ!」
「防護≪Deflect≫」
脳に錐を差し込むような高音が当たり一帯に響いたかと思うと、ゆっくりと水の精霊の恋人の腕に光が集まり、そして先ほどとはまるっきり異なる、洞窟の中を眩ませるほどの、眩い白光が迸った。
しかし、その光もシロ姉の前の見えない壁に当たると上空に捻じ曲げられた。
「う、ううわわわあぁぁぁ」
絶対の自信を持っていた電光を苦もなく遮られ、恐慌に陥ったクロムウェルは水の精霊の恋人の体を思いきりゆする。
「な、な何をやってるっ! 早く、あいつを殺せ! 撃て撃て撃て撃て撃て撃て撃て撃て撃て撃て撃て撃て撃てっ!」
「……お前は壊れろ」
その狂乱する様子を見て、シロ姉は柳眉をあげた。伸ばした手の先に白い光が集まり槍を形作る。
槍に異様なまでの恐怖感を感じたクロムウェルは脱兎の如く逃げ出そうとした。時間稼ぎのつもりか、なかなか電光の魔法を発射できない水の精霊の恋人をシロ姉に向かって蹴りつける。
だが不幸なことに、ちょうど発射体制が整ったのか、蹴り飛ばされたと同時に水の精霊の恋人が白光を放った。
「あがっ」
転がりながら放たれた白光は、シロ姉の防御壁で弾かれ、大地を抉り、そしてクロムウェルを捕らえた。
声にならない悲鳴を上げたクロムウェルが二つに分かれて大地に落ちる。
その光景がルイズにはスローモーションのように見えた。

R-シロツメグサは、EES≪アリシアンレンズ≫でコンタクトを取ろうとしてもX-428が何の反応も返さないことが不思議だった。
しかし、直接ドレクスラーを飛ばしてみて納得した。既にX-428は”死”んでいる。
機能と演算回路は稼働しているが、心を司る知性回路≪バリントン器官≫は機能を停止している。
いわば、命令されたことにただ従う”ロボット”と化していた。N-306≪水の精霊≫はこのことを知っているのだろうか? たぶん知っているのだろう。永遠に等しい時をあの湖の下で二人で過ごしていたのだ。徐々に機能停止する事実も分かっていたのだろう。それでも彼らはそこに居たかったのか。
R-シロツメグサは、その二人が貫き通す永遠に少し羨ましいものを感じた。
目の前のクロムウェルという人物が、”撃て”と言い、人間≪マンカインド≫の指令を忠実に実行するX-428を蹴り飛ばした。結果的に自分が手を下さずとも、発射されたX型の最大出力である熱量レベル4のデラメーター≪光線砲≫でクロムウェルという人間は輪切りにされていった。自業自得というマンカインドの言葉が脳裏によみがえる。
同時にそのデラメーター≪光線砲≫の射線がそのまま背後の核融合炉に向かっていったのを見て、総毛だった。
チャペック本来の高速演算回路が現状の確認と、想定される状況、それと対策を同時にはじき出す。

運がよかった。
いや、悪かったのか。

ここにある核融合炉はかなり旧式の磁気閉じ込め方式であり、構造としては簡単で、ブロック化されている。そしてデラメーター≪光線砲≫が破損するのは磁場発生コイルのユニットの一つであり全体ではないこと。
しかしユニットの一つでも破損すれば、閉じ込めている超高温プラズマが流出する。外気に触れた時点で臨界プラズマ状態は維持できずに終息することになるが、保有している熱量で、この空間は、いや、下手をすればこの浮遊島自体が溶鉱炉と化してしまう。
当然ながら、普通の生物は存在不可能であって、それは背後の愛しい人も同じ。
さらに、ここで核融合炉を停止させた時点で、重力制御装置が停止し、結果的にこの島が落ちるという事実。
そうなると、マグニチュードで11.13レベルの地震が発生し、まず間違いなく人類が半減するほどの打撃を受けるだろう。
どう考えてもどうしようもない状況で出した結論は一つ。
核融合炉の破損が予想される磁場発生ブロックに代わる磁場を、瞬時に発生させてプラズマを封じ込め、臨界プラズマ条件を維持する。同時に熱伝播の遮断、高速中性子の捕捉を行う。
これしかない。
だがそんなことをするためには、大量のドレクスラーを利用しなければならない。そしてこの空間で浮かんでいるレベルのドレクスラーでは対処しきれない。
R-シロツメグサは臍をかんだ。
どこかに、ドレクスラーが……。
そしてはっと気がついた。

ある。大量のドレクスラーが。

この場所に、膨大なドレクスラーが残っている。

「いけないっ!」
突然シロ姉が振り返ってルイズを抱きしめた。次の瞬間、洞窟内が真っ白な光に包まれた。不思議と音はなかったが、その閃光に目をやられないようにシロ姉がルイズの頭を片手で自分の胸に抱きしめる。
やがて光が落ち着き、それでも太陽が落ちてきたような明るさの中で、ルイズはようやくシロ姉の胸から顔を離して、シロ姉と見上げた。
「シロ姉?」
「イチヒコッ! X-428を連れて早く外へっ」
ルイズが今までに聞いたことの無いような切羽詰まった口調だった。
クロムウェルがさっきまでいた方向へ向かって、シロ姉が何かを押しとどめるように片手を翳したまま叫んだ。
そしてゆっくりとルイズから身を離した。
ルイズは何が起きたのか分からなかった。が、光に目が慣れて手でかざしてシロ姉を見た。

おかしい。最初は分からなかった。何かがおかしい。

脳裏にガンガンと打ちすえる警鐘の音のような違和感がルイズの心臓を早鐘の様に打ちならした。

やがて違和感の元に気がついた。

「いやああああああっ」

次の瞬間、思わずルイズは叫び声を上げた。

シロ姉の肘から先が……無くなっていた。

小さな太陽の様に光り輝く機械の方に向けた手の肘から先が、切り落とされたように無くなっていた。
ルイズは、動転してうろたえるばかりだった。焦りと、とんでもない状況に、どうしようどうしようと、思考をまとめることすらできなかった。
「し、シ、シロ姉、う、う、腕が腕が腕が腕がっ」
「いい、イチヒコ、私は大丈夫、だから行く」
シロ姉は錯乱状態に陥ったルイズに、腕がなくなっている状況とはとても考えられないほど、穏やかな声で促した。
しかしルイズは涙目になって、ペタンと腰を抜かして、いやいやをするように頭を振るばかりだった。
「だ、だ、だめ、シロ姉、は、早く、な、なんとしないと」
「いい、早く行く」
ルイズの視線があちらこちらに彷徨うのを見て、シロ姉は口調をきつくしてもう一度言った。
しかし、ルイズは激しく頭を振った。涙の滴がルイズの周りに煌めきを彩る。
「いやっいやっいやっいやっいやっ」
「イチヒコッ!」
いままでにないほど厳しい声で叱責するようなシロ姉に、ルイズは涙を浮かべながらもきっぱりと言い切った。
「だめよっ! シロ姉を一人置いていけない、おいてなんかいけないんだからっ」
巨大な機械の亀裂が大きくなる。それと同時にシロ姉の表情も強張ってくる。
「きゃっ」
「くっ」
ドレクスラーで破損箇所を覆って磁場を生成し、熱伝導と熱放射を防ぐために真空状態と電磁防御を同時に行う。さらに高速中性子を捕捉する為の緩衝を行う。その処理はR-シロツメグサであっても限界に近い行為だった。
さんしょうおと再融合し、ようやく抑えれるレベルだった。だが、R-シロツメグサはさんしょうおを壁際の操作パネルに飛ばした。
どのみちこの状況を長く続けることはできない。そのうえ、核融合炉が止まった時点でアルビオンが落ちる。その場合この星がどうなるか分からない。
であればやることは一つ。核融合炉を維持しつつ本来の挙動ではない、プログラム外の操作を無理やり行って重力制御装置を操りアルビオンを海に着水させる。
どう考えても不可能な作業だが、R-シロツメグサは自分の身を捨てて、イチヒコの為にそれを行おうとしていた。

シロ姉の表情が厳しくなるのと同時に、ルイズは悪夢のようなことに気がついた。さっきは確か肘の先だったはず。なのに今は肘の辺りまで……。

シロ姉が融けていく。

その事実がルイズを打ちのめした。
「……シロ姉、だ、だ、だめ」
ペタンと座り込んだまま、ルイズは放心したようにシロ姉を見つめるだけだった。涙を流しながら、幼子の様にいやいやをしていた。
R-シロツメグサは手を替え品を替えなんとかルイズに翻意させようとしたが、無理だった。
そんな時だった。通路の扉が、砂場で線を書くような音とともに開いて、モンモランシーと銀髪で褐色の肌の少女が飛び出してきた。
「ルイズッ! シロ姉ッ!」
モンモランシーの悲鳴にも似た叫びに、ルイズが泣きはらした顔をあげ、そして、R-シロツメグサが驚いたような表情をした。
「……お前は」
「やあ、R-シロツメグサ卿」
「”たびびと”か。何をしに来た」
「ごあいさつだね」
R-タンポポとシロ姉の会話の間にモンモランシーが慌ててルイズに駆け寄った。そしてルイズの視線を辿ってシロ姉の状況を確認してぎょっとした。
片手を亡くした状態でありながらR-シロツメグサはR-タンポポに鋭い視線を向けた。
「とりあえず、じゅうりょくせいぎょの方はぼくがなんとかしよう」
R-タンポポはそう言うなり、壁の操作パネルの方に歩いて行った。ぴこぴこと操作をしているさんしょうおをつまんでシロ姉にふわっと放り出す。
「早く再ゆうごうした方がいいとおもうよ」
R-タンポポに何か言いたげな視線を向け、戻ってきたさんしょうおを頭に乗せたシロ姉は、モンモランシーに言った。
「モンモランシー。イチヒコと、X-428、つれて逃げる、早く、できるだけ遠くに離れる」
「し、し、シロ姉、あなた・・・」
腕がなくなっている状況でありながら平然とした表情のシロ姉に、モンモランシーは唖然とした。

モンモランシーは先ほどのことを思い出していた。
アール・タンポポに連れられてハヴィランド宮殿の奥深くの小さな始祖神殿から地下に入ったモンモランシーは、宮殿の地下にこんな仕掛けがあるなんて。と驚いた。そしてアルビオン王族でもないのに、最初から隠し場所を知っていたアール・タンポポが地下に入るなり深刻そうな表情を浮かべていることに気がついた。
金属製の移動用の荷台みたいなものに乗って、長大な穴を疾走していた二人の間に沈黙が降りる。
やがてアール・タンポポが軽く頷いた。
「うん、やっぱり言っておくよ」
「な、何かしら?」
アール・タンポポの真剣な口調に、モンモランシーも思わず姿勢を正した。
「下に降りたら、おともだちを連れてすぐ上に上がって。その後はできるだけきゅうでんから離れるように、できればフネで」
「な、なぜ?」
坑道らしき穴に所々点いているライトが、モンモランシーとアール・タンポポの姿を繰り返し照らす。
その点滅する中でアール・タンポポはゆっくりと首を振った。
「うん、そうぞうしていた最悪のじたいに近いことになってるみたいだ。」
「最悪?」
「そう、危ないから、できるだけ早く離れて、それと、これ以上はせつめいできないよ」
怪訝そうなモンモランシーに、幾分鋭い視線を向けたアール・タンポポはこれで話は終わりというように坑道の先を見つめた。
「あなたはどうするの?」
「……ぼくはだいじょうぶ」
キュルケ達を手玉に取るような傭兵をあっさりと倒すアール・タンポポが言う”最悪”とは何なのか、想像すらできないモンモランシーは、かすかに震えなから背を向けている銀色の少女に声をかけた。
アール・タンポポの答えは、とても寂しそうに聞こえた。

「だ、だめ、し、シロ姉が死んじゃう、だめ……」
ルイズのうわ言のような言葉に、はっと我に返ったモンモランシーがルイズの手を取った。されるがままのルイズだったが、モンモランシーが通路の方へ連れて行こうとすると、思い切り手を振り払った。いやいやをするようにルイズが頭を振る。
その様子を見たシロ姉がいっそ穏やかに微笑んだ。
「早くモンモランシーと一緒に逃げる。大丈夫、私は平気。必ず帰る。」
「だめっ! だめだめだめだめだめだめだめっ! 一緒にいるっ! ずっと一緒にいるっていったもん、約束したもんっ! やだっ、やだやだやだっ」
静かな微笑みを浮かべたシロ姉の言葉がとても信じられないルイズは、全身全霊で叫んだ。その姿を見て、愛おしそうに微笑んだシロ姉が、ゆっくりとルイズに近寄って抱きしめた。
もうすでに肘の上までなくなっていた。
「イチヒコ……」
「あっ」
シロ姉は泣きはらして赤くなった眼のルイズをゆっくりと抱きしめた。
はっとした表情のルイズに、万感の思いを込めてキスをする。
ルイズは目を見開いた。かすかに滲むシロ姉の涙が何を意味するのか。
優しい、そして悲しい心が交錯し、次の瞬間、シロ姉の腕の中でルイズが意識を失った。
「愛してる、イチヒコ」
気を失ったルイズを、掌中の珠の様に見つめ、もう一度額にキスをして、しっかりと温もりを確かめるように抱き締めたR-シロツメグサはモンモランシーにルイズを預けて、もう一度速やかにロンディニウムから離れる様に言った。
その有無を言わせない口調に、圧倒されたモンモランシーは頷いた。頷かざるを得なかった。
ルイズを背負い、X-428を乗せたワゴンを押しながら、後ろ髪を引かれるように後ろを何度も振り返るモンモランシーに、シロ姉が「早く!」と叫ぶ。

最愛の人を連れたモンモランシーの姿が通路の扉に消えるのを見送った後、R-タンポポがコントロールパネルからR-シロツメグサに声をかけた。
「さて、と。どうするつもりかな? 」
「お前も逃げろ」
R-タンポポを一瞥したR-シロツメグサはそっけない表情と口調で告げた。
その言葉の中に自分を案じているニュアンスを感じ取り、R-タンポポはびっくりしたように眼を丸くした。
「……おどろいた。R-シロツメグサ卿、君が他人のしんぱいをするなんて」
「……」
その言葉に鼻白んだR-シロツメグサだが言葉は発さなかった。そんなR-シロツメグサを見てくすっと笑ったR-タンポポはこともなげに言った。
「まあ、こっちのコントロールはぼくに任せて、ろの方はよろしく」
「……」
そのR-タンポポの言葉に、今度はR-シロツメグサが驚いた。”たびびと”のR-タンポポが率先して何かを行おうとするなんて信じられなかった。ただ、旅をして見て回るだけの傍観者の筈が……。
あんまりびっくりした表情を続けていたからか、R-タンポポが苦笑した。
「何をびっくりしてるんだい? ぼくの計算だと、この島をちゃくすいするより早く君がとけてなくなる確率は94.7%なんだけど?」
正直、R-タンポポの加勢は助かる。高度なコントロールを行いながら重力制御装置に割り込みを入れ、本来の動作を遮断しながら制御するのは骨がおれる仕事だった。
今はとりあえず融合炉の制御に集中する為、R-シロツメグサはさんしょうおと再融合を果たした。
「5.3%も可能性がある」
R-タンポポが突き付ける言葉は、厳しい現実だがR-シロツメグサは笑った。イチヒコやキュルケ達、マンカインドと多く接してきて、可能性に未来を見つけることがどれ程すばらしいか、肌身にしみていた。
この身がなくなっても、イチヒコの心に自分が残る。”イチヒコ”が今でも語り継がれているように、物がなくなっても心は残る。それはなんとすばらしいことなのだろうか。
触れることも、抱きしめることも、キスすることも、もうできない。
優しく抱きしめられることももうない。
一緒に星を見ることも、膝枕をしてあげることも。
いっしょのベッドで寝ることも。もうできない。
だけどイチヒコさえ生きていればいい。そうすれば自分はイチヒコの心で在り続けることができる。
その思いがR-シロツメグサに笑顔をもたらした。
自分を構成する超高密度のドレクスラーを紐解きながら、R-シロツメグサは核融合炉をだましだまし稼動させる。
「なるほど、そういう考え方もあるのか。」
R-シロツメグサの返答を聞いて、R-タンポポも面白そうに笑った。
重力制御をおこなってゆっくりと高度を落としつつ、アルビオン大陸を海の方へ移動をさせながら、R-タンポポは思い出したようにR-シロツメグサに問いかけた。
「……ところで、あの子は、女の子に見えるけどイチヒコっていうのかい? 偶然かな?」
その言葉にR-シロツメグサはちらっと視線を送る。
面白そうな表情を浮かべたR-タンポポは、その視線を受けて言葉を続けた。
「そういや、おともだちはルイズって呼んでいたね? 本当の名前かい?」
「……そう」
「だったらなんで、きみは本当の名前を呼んであげないんだい?」
「!?」
R-タンポポの素朴な質問にR-シロツメグサは一瞬呆けた。思わず炉の出力が不安定になる。
慌てて制御を取り戻して、虚を衝かれた表情を向けた。
「気がついていなかったのかい? ふつう、自分と違う名前で呼ばれたらいやじゃないのかな? 君もR-ヒナギクって呼ばれたらいやだろ?」
R-シロツメグサは、その言葉に何か目が覚めたように苦笑した。
確かにR-タンポポの言うとおりだった。自分の名前があるのに、違う名前で呼ばれて良い気持になることはない。
イチヒコと初めて会ったときの衝撃で、”イチヒコ”と二度と会えない時に出会ったイチヒコのイメージでなんとなく刷り込まれていたのかもしれない。
これ程些細なことを、指摘されるまで気がつかなかったなんて。R-シロツメグサは自嘲気味に笑った。
同時にイチヒコがその優しい心でぷぅっと膨れながらも笑って受け入れてくれた思い出が蘇り、思わず心が温かくなる。
「そうか……」
「まあ、とりあえず、きみ次第だね。R-シロツメグサ卿」
「……うるさい、言われなくてもわかってる」
口の中で何かをつぶやくR-シロツメグサにR-タンポポは笑いかけた。そして、重力制御フィールドを断続的に停止して、その合間にサンテグジュペリ号にデータを送る。
自分達が、いや、R-シロツメグサが消滅するのが先か、この島を無事に着水する方が先か。はたまた……。
R-タンポポも未来はさすがに分からなかった。しかし、R-シロツメグサの表情を見ていると、見えない未来にかけるのもいいものかも知れない。
R-シロツメグサは、サンテグジュペリ号に居た時とは別人のように表情が豊かになって、感性が研ぎ澄まされている。
それこそ、人間みたいな心を持っている。そのことが少し羨ましかった。
徐々に切迫するコントロールルームで二人のチャペックは人知れず限界に挑戦していた。言葉通り自分の身を削って愛しい人を守ろうとする白と青の精霊は、すでに体の大半を放棄し、身動きすらできずに仰向けになったまま、それでも必死に制御を続けていた。
愛する人の為、未来の為に、そして自らの心の求めるままに。
微笑んだ表情のまま、R-シロツメグサは未来を見つめる。
きらりと光る滴がワイン色の瞳から静かに、優しく零れていく。
呟く言葉はその身を満たし、心を照らす。
R-シロツメグサはゆっくりと瞳を閉じる。
「愛してる……」


王軍の旗艦になっているイーグル号は、満身創痍でありながらも、何とか空に浮いていた。
そして周りを見ると似たような雰囲気の様々なフネが空を埋め尽くさんばかりに浮いていた。
腕と足に添え木をつけて包帯だらけのウェールズは、痛ましそうに甲板を見つめていた。
すでに周りは闇色に染まり、雲ひとつない夜空に青と赤の月が煌々と輝いている。星達が瞬く幻想的な夜空の中、目も眩む異様な閃光を放ち続けるハヴィランド宮殿に向って、力の限り絶叫し続ける桃色の少女がいた。
もう、ほとんど声になっていない。
掠れた、掠れきった声で、それでも桃色の少女は叫び続ける。

「シロ姉、シロ姉っ、シロ姉ーーーーー!」

その後ろで、やはり包帯だらけの紅と青、そして金色の髪の少女達が、桃色の少女を見守るように寄り添って立っていた。


その日、アルビオン大陸が落ちた。


ぽろんぽろんぽろん、ぽろんぽろんぽろん、ぽろんぽろんぽろんぽん♪
ぽろんぽろんぽろん、ぽろんぽろんぽろん、ぽろんぽろんぽろんぽん♪

Oh Dear what can the matter be?
ああ、いとしい人、いったいどうしたの?
Dear, Oh dear what can the matter be?
ほんとにいったいどうしたの?
Oh dear what can the matter be?
いったいどうしたの?
Johnnie’s so long at the fair.
いとしい人は市場にいったっきり

He promised he'd buy me a fairing should please me,
私が喜ぶような、おみやげを買って来るって約束したのに
And then for a kiss, oh! He vowed he would tease me,
帰ったら私にキスをねだると誓ったのに
He promised he'd bring me a bunch of blue ribbons
私の髪に似合う青いリボンを買ってくるって約束したのに
To tie up my bonny brown hair.
……私の髪を結えてくれるって言ったのに