るるる-8

For every evil under the sun,
いやな出来事には
there is a remedy or there is none.
対策のあるものと、どうしようもないものがある
If there be one, try and find it.
もしあるのなら、見つけよう
If there be none, never mind it.
ないなら、気にしないこと

ぽんぽんぽん、ぽ、ぽぽぽぽぽん♪ ぽかぽかぽん♪ ぽ、ぽぽぽぽぽん♪

荷降ろし場から、まだ夜も明けないうちに運び込まれた大量の生鮮食品や乳製品などを運びながら、厨房の下働きの
娘たちが年頃の娘にふさわしい明るい声で会話に興じていた。
ひんやりとする空気の中、所せましと咲き誇る花を前に荷物を運ぶ手も時折止まっていた。
「不思議よねぇ、こんなに一斉に花が咲くなんて」
「なんでもお城だけらしいわよ?」
「え? どういうこと?」
「荷運びのアルノーが言ってたけど、村を出てお城に来る途中に線を引いたみたいに急に花が咲いてるんですんって」
「へぇ、やっぱり、公爵様の力なのかしら?」
「まあ、目に入れても痛くないルイズお嬢様の為のパーティーなんだから、そうじゃないの?」
「ところで、ルイズお嬢様のパーティーは分かるけど、なんのパーティーなのかしら?」
「さあ?」
「早くしなさい。今日はいつもよりも仕事が多いわよ」
「はーい」
半分荷物を置いて話に夢中になっていた娘たちが、建屋から出てきた年かさの娘に注意され慌てて駆けていった。
しかし注意した当の娘も満開の花に目を奪われがちなのはご愛敬というべきか。
「……本当に不思議だわ」

城の中庭に豪奢な飾り付けが施され、色とりどりの花が咲き誇るなか、ヴァリエール公爵に近い貴族たちが集まっていた。
一応は内輪のパーティーということだが、公爵家に連なる一門でそれを鵜呑みにして、参加しないなどということは
あり得なかった。
彼等は、ここぞとばかりに公爵家に対する忠誠心を顕示し、先を争って参列していた。そして、城の近くに来た時に、
揃って茫然とする。雅やかながらも権力を誇示するかの如く咲き誇る無数の花。些細なことかもしれないが、
たかが内輪のパーティーで城の周りにごっそりと生花を植えるだけの財力と、それを成すに必要な、途方もない程の
労力・魔力。それらを行使して、取り立てて誇ることもしない。
参列者達は感心すると同時に、その圧倒的な力を誇示するヴァリエール家に対して王家に次ぐ、場合によっては王家以上の
忠誠心を改めて刻みこんでいた。その力が自分達に向けられないように。
すべては誤解から成る産物なのだが、誰も気がつかなかった。
そのパーティー会場の一角に先触れのガーゴイルが飛んできたかと思うと、そのすぐ後に大きな風竜が大空を舞う。
城の上空を一周した風竜が優雅に羽ばたき、ゆっくりと舞い降りてくる。吊下げられた豪奢な籠が大地につくと同時に
召使たちがいそいそと出迎えの準備を行い、楽団が奏でたファンファーレが辺り一帯に響き渡る。
ゆっくりと扉が開き、圧倒的な迫力をもち美髯を蓄えた一際豪奢な服装の初老の貴族が降り立った。左目のモノクルを
煌かせ、白い物が混じったブロンドが風になびくと同時に、訓練された軍隊のように一斉に参列者達が居住いを正す。
「我がヴァリエール家の私事とはいえ、このように大勢が祝ってくれる事に感謝の念を禁じ得ぬ。皆のその心を
ありがたく思う」
籠から下りたヴァリエール公爵は上座に設けられた席で、すこぶる上機嫌だった。
年老いて得た三番目の娘。上の二人ほど才能に恵まれてないと思っていた娘。それ故に厳しくしつけながらも
溺愛しているルイズが、予想を超えた才能と魔法学院の生徒という学ぶ者の立場でありながら、
立派な成果をあげたという事実。
己が娘の武勇談がヴァリエール公の耳に入った時、公爵が評議の間で小躍りするという前代未聞の珍事を引き起こす
程だった。
給仕役の子弟達が目まぐるしく食べ物や飲み物を運ぶ中、幾多の貴族達と談笑しているヴァリエール公の元へ、執事長の
ジェロームが影のように寄り添い短く言葉を囁く。軽く頷いた公爵は片手をあげた。
テラスで奏でられていた音楽が吸い込まれるように止まり、ざわめきが徐々に収まる中、呼び出しの声が響く。
公爵夫人を差し置いて真っ先に告げられたのは今日の主役だった。

自分の名前が真っ先に呼ばれることなど記憶にないルイズは、呼び出しを待つ間、控えの間で緊張しっぱなしだった。
しかし、いつものように静かに自分を見つめるシロ姉と目があった時に、不思議と緊張がほぐれて行くのを感じた。
「何? イチヒコ」
「ううん、その衣装がとっても似合ってるなぁと思ったの」
やわらかな薄桜色を基調に精緻なレースやルビーをふんだんにあしらい、肩を露出したプリンセスラインのドレスを
着ているルイズは、透き通るような白を基調としてサファイアを胸に飾り付けただけのシンプルなスレンダーラインの
ドレスを着たシロ姉を見つめた。静かな佇まいが、額の赤い宝石や青い髪と相まって精霊のようにも思えてしまう。
「イチヒコ、似合ってる、マンガで見たお姫様」
「あ、あ、ありがとう、シロ姉」
ふとシロ姉が目を細めて微笑み、その表情に虚を突かれたルイズは心臓の鼓動かドクンと大きく鳴り響くのに戸惑った。
(え? え? なんで? いや、あれは、だって、まあ、キスしちゃってるけど、好きって、だって、女同士だし、え、
まあ、キス以上もされかかっちゃってるけど、いや、嫌いじゃないけど、でも……で、まんがって何?)
昨日の妙な会話の流れなのか、シロ姉を妙に意識して、上気した顔をしている自分がいることが分かった。
(お、お、お、落ちつきなさい! わたし!)
「すいません、シロ姉さま。簡素なものしかなくて」
「気にしない」
真っ赤になっているルイズの横合いから、同じような薄紅色の豪奢なドレスを身にまとったカトレアが、申し訳なさそうな
表情を浮かべた。『そもそも出席する資格がないでしょ!』と頑固な長姉をルイズと二人で説き伏せたのはいいが、
いつも通りの格好で出席しようとしたシロ姉を必死で引きとめた。キョトンとするシロ姉に、いざドレスを着せようとして、
シロ姉用のドレスを用意していないことに気付き、顔面を蒼白にしたルイズと顔を見合わせた。
大慌てで、シロ姉にあうドレスを探したら装飾前の素のドレスしかなく、大慌てで針子に他のドレスからの宝石を
移植するように指示した。さすがに時間がなかったのか、宝石をいくつか付け替えるだけで精いっぱいだったと針子が
平伏していた。
自分達のドレスに比べるとあまりにも質素なものだったのだが、興味深そうに手で触っているシロ姉からは特に
不満もでなかった。
「さあ、行きましょう、シロ姉、ちいねえさま」
ノックをしてはいってきた侍女を見たルイズが顔を軽くたたいて気分を変え、両手でカトレアとR-シロツメグサの腕を
とった。


パーティーの場に躍り出たルイズ達を見て、参列者は一様に感嘆の声を上げた。
(ルイズ様も大きくなられたな)
(あれはひょっとしてカトレア様か?)
(相変わらずお美しい、しかし病気がちと聞いていたが?)
(あの隣にいるのは誰か知っているかね?)
(始めてみるが、ルイズ様の御学友か?)
(あの髪はガリアの貴族かと思うが、見たことはないな)
少し遅れて現れた、エレオノールと公爵夫人を含めヴァリエール家が一同に会したことが、このパーティーへの公爵の
想いを物語っていた。今までは新年や収穫祭であったとしても全員が顔を出すことはなかったのだ。
「ルイズ!」
通常ではありえないような豪勢な面々を見た参列者のざわめきを押しのけるように、主賓のルイズに公爵が声をかけた。
威厳を保ちながらも、どこか浮かれた雰囲気で両手を広げる公爵の前に進み出たルイズは、ドレスの裾をつかんで典雅に
礼をした。
「父さま、おひさしぶりでございます」
「おお、ルイズ! わしは鼻が高かったぞ、さすがわしとカリーヌの娘だ!」
娘のキスを頬に受け、相好を崩したヴァリエール公爵は参列者に振り返った。
「娘のルイズはハルケギニア中を騒がせた盗賊を、あの土くれのフーケを一人で取り押さえた! 王室衛士隊が
束になっても杳として足取りをつかむことすらできなかった、あの盗賊を捕まえたのだ。此度の内輪の宴席はその功績を
顕彰するためのものである」
公爵の宣言が響き渡ると、一拍の間をおいて、割れんばかりの拍手が鳴り響いた。同時に楽団が軽やかな楽曲を奏で始める。
多数の貴族の賛辞を受けながら、ルイズは父に紅潮した顔を父に向け、若干非難がましい目で見つめた。
「ありがとうございます、ですが、取り押さえたのはわたしだけでは」
「お前が捕まえたのは事実であって、祝賀会用の修飾ということだ。気にするな。しかし、カトレアと同じ土の系統とはな。
ちいさいルイズ、お前の力を私にも見せてくれぬか?」
豪快に笑い飛ばした公爵は、心持ち真剣な表情になった。己が娘の開花した力が果たしてどれほどのものなのか、話には
必ず余分な主観が入る。それも自分のように支配階級に連なる人間に対しては耳に心地よい様に脚色されることが常である。
それを肌身にしみて理解している公爵は、直に見るまでは娘の力を鵜呑みにはできなかった。
「はい、父さま」
肌身離さず身につけている杖を手にしたルイズは、庭の庭園にちりばめてある手近な大きさの水晶の原石を拾い
”錬金”をかけた。
周りにいた貴族達は、興味津津の目で見ていたが、黄金色に変化した石を見て一斉にどよめきの声を上げた。
「ううむ、どうだ、カトレア?」
「ええ、黄金です。素晴らしいですわ、わたしなんか及びもつかない土のスクウェアレベルですね」
「めでたい! めでたいぞ! なあ、カリーヌ」
「ええ、本当ですね」
幾許かの安堵と十倍する程の矜持を感じさせる声で、ヴァリエール公爵は一緒に見守っていた妻と上の娘達を見た。
ルイズから黄金に変わった小石を受け取ったカトレアは、軽くはじいてから父親に手渡す。手元にあるずっしりとした
重みの金色の物体を持った公爵は、珍しく妻の表情がほころんでいることに気がついた。ここ数年このような表情の妻を
見た事のない公爵は、小躍りしそうなぐらい上機嫌になった。
万雷の拍手の中、ルイズは一礼をして真っ赤に染まった顔のまま、離れたところで一人佇むシロ姉の所に駆けていった。

R-シロツメグサは、以前発掘した本の中に書いてあった”パーティー”という文化的な行事の真っただ中にいることを
認識していた。イチヒコ達は何やら役目があるみたいだが、自分は特に何をすることもなく、のんびりとしていた。
何かしら声をかけてくる人間がいるが、じっと観察していると、やがて表情を引き攣らせて去っていく。
頭をかしげていると、なにやら人だかりの中でイチヒコが”魔法”を使い始めたので、いつものように”定型処理”の
代理実行を行う。
(行政HAL代行予備機やドレクスラー管理機構など、こころ≪レム≫のない機体は融通が利かないから嫌だ)
心の中で愚痴っていたR-シロツメグサは、こんな思考自体が、様々なマンカインドに囲まれていることによって、
自分のレムが異常なまでに成長している産物だと気がついた。
自分の心と対話をしていたR-シロツメグサは、顔を赤くして小走りに近寄ってくるイチヒコに気がついて、目を細めた。
近寄ってきたイチヒコを抱きしめたい衝動に駆られたが、『パーティー中は抱きしめるのと、キス禁止』と約束して
いたので、苦労しながらも衝動を抑えた。
目をきらきらとさせながら、成功を報告するイチヒコに手近にあったワインを差し出した。

「ところで、そこな娘はどこの者だ? エレオノールの友人かな?」
「いーえ、あんなのは私の友人なんかではありません」
ルイズが駆けよって、にこやかに談笑している白と青の女性にようやく目が行ったヴァリエール公爵は、パーティーの間中、
眉間にしわを寄せたエレオノールを呼びよせて問いかけた。ルイズの友人というには歳が少々離れているし、カトレアは
領地から出ることがない。消去法で考えるとエレオノールの同僚か。という公爵なりの判断だったのだが、当の長女は
心底嫌そうにそっけなく答えた。
長女の反応に困った侯爵に次女が笑いながら助け船を出した。
「父さま。あの方はルイズの召喚に答えてくださった方で、正式なお名前は、あら、なんでしたっけ?
エレオノール姉さまはご存知ですか?」
「……ディー・アイエスエスジー・ゼロイチゼロゼロイチイチハチディー・アール・シロツメグサディー だったはずよ」
「……さすが、エレオノール姉さま、ひょっとしてシロ姉さまとお友達になりたいと思ってらっしゃるの?」
「だだだだ、だれが友達なんかに、ななな、なろうと思ってるですってぇ」
いたずらっ子のようなカトレアの冗談に、エレオノールが顔を真っ赤にして支離滅裂な言い訳を並びたてる。
コロコロと笑い、楽しげな娘達を眼を細めて公爵は見つめた。これほど気分がいいのはいつ以来だろうか? と思いつつ。
「記憶の範囲では、”アール・シロツメグサディー”という家名は存じ上げておりません。言葉の雰囲気から
近隣地域ではなさそうです」
影のように付き従う執事長の耳うちに軽く頷いた公爵は、ふと違和感を感じた。
「ん? カトレア、今、何といった? 召喚に答えたと言ったか? それは学院恒例の使い魔の召喚のことか?」
「ええ、そうらしいですわ、お父さま」
不貞腐れたエレオノールをなだめていたカトレアが、果汁水のグラスを置いて答えた。
「なんと、我が娘は人を使い魔とするのか! それは破天荒だな。メイジの実力を見るときは使い魔を見よ。
という格言もあるが、我が娘には当てはまらぬな」
ヴァリエール公爵の高らかな笑い声が辺りに響いた。

日もだいぶ傾いて祝賀会という名目の喧噪なパーティがお開きになり、ヴァリエール家の面々はダイニングで遅めの昼食を
とっていた。パーティーのホストということもあって、まともな食事は朝食からとっていない。
本来であればヴァリエール公爵がいる内輪の食事に一族以外の者が入ることはあり得ないのだが、R-シロツメグサも
ルイズとカトレアのとりなしで、一家と同じテーブルについていた。
「あんなに上機嫌だったお父さまを見るのは久しぶりよ、ルイズ」
ルイズの隣に座ったカトレアが、食事の合間にそっと囁いた。目ざとくその様子を見つけた食事中のマナーに厳しい母親も、
今日ばかりは軽く視線を向けただけだった。

「今日は善き日だな、そうだルイズ。お前、ワルド子爵のことを覚えているかね?」
上機嫌なヴァリエール公爵が、食事の後の蒸留酒のグラスを手に取りながら、ふと思い出した様に尋ねた。その名前に
幼いころの思い出がフラッシュバックするルイズは、懐かしそうな表情を浮かべる。
「ええ、父さま。覚えております」
「彼は今や風のスクウェアとして魔法衛士隊の隊長をやっておる。あの者でもいいぞ?」
「は?」
子供時代を思い出して、穏やかな表情で食後のデザートの焼きプリンにスプーンを入れていたルイズの動きが止まった。
父親の言葉が咄嗟には理解できなかったからなのだが、その言葉を耳にしたカトレアとエレオノールはそれぞれが微妙な
表情を浮かべた。
上の娘達の表情の変化に気がつかないヴァリエール公爵は、自分の思いつきが素晴らしい物に感じた。訝しむ表情の
ルイズを前に、得々と語り出した。
ヴァリエール家の歴史がどれほど凄いのか、家を存続させることがどれほど重要なことなのか、そして……
「要は婿を取れということだ」
「と、父さま、そ、それは」
「それがいい、お前も彼だったら文句はないだろう」
ヴァリエール公爵がそう言った瞬間、ルイズの横から何かが砕ける音がした。恐る恐るルイズが横を見ると、
シロ姉の持ってたはずのカップが粉々に砕けていた。
「……許さない。イチヒコは私のもの。誰にも渡さない」
「し、シロ姉、お、おちついて」
巨大なゴーレムを消滅させた時と同じような雰囲気になっているシロ姉の手を、ルイズは慌てて握ってなんとかシロ姉を
落ち着かせようとした。それを横目に見ていたカトレアが何かを決意した様な表情で立ちあがる。
「お父さま」
「何かな、カトレア。お前も賛成か?」
「いえ、反対です」
いつもの娘と違って、厳しい表情で自分を見つめることに思わず絶句した公爵は目を瞬かせたあと、表情を改めて
ゆっくりと聞き返した。
「なぜだ?」
「ルイズにはもう、心に決めた人がいます」
「ちい姉さま!」
「ほう、誰かね? 学院の生徒かね?」
「まさか、カトレアッ! あなた」
「ええ、エレオノール姉さま、ルイズの想い人は、そこに居るシロ姉さまですわ」
その言葉に鋭く目を光らせて娘を見つめる公爵に対し、普通の貴族であれば顔をあげることすらできない公爵の圧力を前に、
硬直したルイズをかばうようにカトレアは一歩も引かずに見つめ返した。
テーブルの向こう側で血相を変えて立ち上がるエレオノールを手で制した公爵は、ゆっくりと立ちあがった。
「……カトレア、よく聞こえなかったのだが」
「カトレア、やめなさい」
「いいえ、やめません。誰よりもルイズのことを見ているのはシロ姉さまです」
本来であれば、諍いごとなどが一発で止まる母親の静かな静止があっても、カトレアはとまらなかった。
モノクルを取り外して、胸のハンカチで拭く父親がゆっくりとカトレアを見つめる。
「ちい姉さま、あの、そ、それはちょっと」
一応シロ姉が落ち付いた事もあって、手が空いたルイズだったが、父親と敬愛する姉の間に挟まって、
おろおろとするだけだった。
「カトレア! お前は何を言っているのか分かっているのか? あれは女だぞ?」
「ええ、分かっていますわ、婿であれば、エレオノール姉さまか私が取ればいいのです。ルイズとシロ姉さまを
引き離すことはできません」
「ちょ、ちょっとちいねえさまー」
徐々に父親の口調が厳しく、激しくなっていく。真っ向から対立する形になっているカトレアも、普段の柔和な雰囲気は
どこかにいったように厳しい顔で迎え撃っていた。
こんな妹を始めてみるエレオノールは声なく立ち尽くすだけだった。
ルイズはカトレアの裾を引いてなんとか止めようとしていたが、自分の許容範囲を超える出来事にそれ以上のことは
できなかった。
話題の片割れであるシロ姉は、その様子をじっと見つめていた。
「あなた方、すこしおだまりなさい」
かちゃりと、この母にしては珍しく、音を立ててカップを置き、氷のように冷たい視線で家族を一瞥した。その場にいた
全員は一瞬でダイニングの時間が止まったように感じられた。ルイズは顔を引きつらせて硬直し、公爵は表情を強張らせ、
微妙に浮いた汗を拭きながら、お前が騒ぐから怒ったじゃないか。と、眼でカトレアを非難する。カトレアは圧力に
負けまいと、ぐっと口を引き結ぶ。
「カトレア、ルイズ。貴女達は自分達が何を言っているか、ちゃんと理解していますか?」
「はい、お母様」
見るもの全てを石にする様な視線で娘を見つめる公爵夫人が、ゆっくりと立ち上がった。それに気押されるように
カトレアは一歩下がる。がくがく震え始めたルイズを心配したシロ姉が、音もなく立ち上がりルイズを抱きしめた。
「お、おい。カリーヌ、その辺で……」
「あなたの体で、婿が取れるとお思いですか?」
「はい。お母様、心配は及びません。私は大丈夫です」
「カトレア! 」
おそるおそる仲介を試みる公爵の言葉を聞き流して、カリーヌと呼ばれた夫人はカトレアに残酷な一言を投げつけた。
娘の言葉は自分の置かれた立場や体を顧みない無謀な話と感じ、ことさら傷をえぐるような言葉を選んだのだった。
しかし、当の本人は何も問題がないような口ぶりで、夢のような言葉を続ける。病弱ではあっても、温厚で思慮深い
次女がなぜこうも変わってしまったのか? もどかしい思いを持ちながら、翻意させようとする母の言葉を当の本人が遮る。
「体の方は、シロ姉さまに治していただきました」
「なんと、それはまことか?」
「はい」
幾多の高名な水のメイジが不可能だったことを昨日の今日で可能にしてみせるなど、とても信じれない母親は娘の言葉に
喜色満面の公爵を睨みつけた。その視線をまともに受けた公爵は、蛇に睨まれた蛙のように硬直する。
「ルイズ!」
「はいいいいー」
突然、母の死の視線を向けられたルイズがビクンと硬直した。ルイズは冷や汗をたらたらと垂らしながら、
錆ついたドアのように軋む首を必死で動かして母親に顔を向けた。その緊張を感じたシロ姉の眉が寄せられる。
「あなたは、そこの娘が、使い魔として召喚した、その娘が好きなのですか?」
「え、あ、えっと……」
「はっきりしなさいっ!」
「え、あ、は、はい、好きかなーなんて」
娘達の反乱に苛立っている母親の言葉にルイズは、引き攣った笑いでこの場を逃れようとした。しかし、カリーヌの鋭い
視線はそんな浅はかな行為を許すはずもなく、逆に導火線に火をつけてしまう結果となる。
「ルイズッ!」
「ひぃぃっ」
目を吊り上げたカリーヌの叱責がガラスがびりびりと震わせ、落雷が落ちたかのようにルイズは目を閉じて跳ね上がった。
ルイズに諭されて我慢を続けてきたR-シロツメグサもさすがに限界だった。がくがく震えるルイズを背に、
かばうようにカリーヌの前に立ちふさがる。
「イチヒコを虐めるのは許さない」
「……私は育て方を間違えたのかもしれませんね」
自分の娘をかばって自分の前に立ちふさがる白と青の女性。自分を前に自然体で佇み身を挺して娘を庇う、その姿に感銘を
受けるのは事実だが、ヴァリエール公爵家の家名を汚すような行為を許すわけにはいかなかった。
自嘲じみた口調で静かに呟いた言葉が聞こえたのか、公爵が遠慮がちに声をかけた。
「お、おい……」
「それもこれも貴方が甘やかしすぎるからです!」
「……す、すまん」
大木を断ち割るようなカリーヌの一喝で、ヴァリエール公爵は首をすくめてすごすごと退散した。エレオノールと
カトレアの非難を込めた視線がその背に突き刺さる。
「いいでしょう、言っても言うことが分からないのであれば、体で分からせるしかありません」
「おおお、お母様」
地底の底から聞こえるような雰囲気に、エレオノールとカトレアは揃って蒼白となった。
「さっきから、うるさい」
「……あなたがすべての元凶ですね」
「お母さま!やめてください」
火に油を注ぐようなシロ姉の言動に、こめかみに青い血管を浮き上げたカリーヌは、常時携帯している杖を取り出して
軽く振った。とてつもない轟音がしたかと思うとダイニングの壁が吹き飛んで、夕焼けの光が差し込んで部屋の中を赤に
染める。
事ここに至るに、部屋の隅で震えていた給仕たちは我先にと争って部屋から出ていった。
必死に上の娘達が制止の声をあげるが、一顧だにしないカリーヌの視線はシロ姉から離れなかった。真っ向から対峙する
シロ姉の視線もまた、カリーヌから離れない。
「シロ姉、お母さまなの、私のお母さまなの。傷つけたりしないで、お願い」
「ルイズ! その言葉はなんですか、この私、”烈風”のカリンがそこの娘に負けるとでもいうのですか?」
「わかった、イチヒコがそういうなら」
「良く言いました、その言やよし! 外に出なさい!」
背中に隠れていたルイズが蒼白な顔のままで、すがりつくようにシロ姉の手を引っ張った。
ただ、その内容を耳にしたカリーヌは現役時代ですら聞いた事のない侮辱と受け取った。
娘が! 自分の実力を誰よりも知っている娘が、事もあろうか、自分の使い魔に傷をつけるな。と懇願している。
ルイズの基準に従えば、私は目の前の使い魔に負ける。それ以外受け取りようがない。
しかし、そんなカリーヌの葛藤を知ってか知らずか、ルイズの額に軽くキスをしたシロ姉は、真剣な表情でルイズを
見つめる。
「イチヒコ。つき合うときは相手の親に嫌われる。と本に書いてあったから気にしない。あと、戦ったら仲良くなる。と
マンガに書いてあった。だから大丈夫。勝ったらイチヒコとずっと一緒。危ないから、少し離れる」
「あなたはいったい何を言っているのですかっ! くだらないことを言っていないで、さっさと出なさい!」
目の前の妙な睦言にしびれを切らしたカリーヌは、呟くように呪文を唱えて杖を振った。
「お、おい、部屋の中でなんて魔法をっ!」
公爵のうめき声と同時に部屋の中にドラゴンが突撃したかのような轟音が立て続けに鳴り響く。
エアハンマー。空気の槌の魔法だが、学院の教師が唱える物と異なり、恐ろしく密度が濃く強烈な打撃が、正確に
シロ姉を打ち抜き、はじき飛ばす。その数……七。
「お、お母様、遍在まで使って……」
ルイズの絶句を前に、七人のカリーヌがそれぞれゆっくりと壁にあけられた大穴にふわりと飛びこんだ。
シロ姉にあの強烈なエアハンマーが叩きつけられたことに思い至ったルイズは、慌てて壁の穴から外をのぞいて様子を
うかがう。
ドレスの到る所が破れているが、シロ姉は特に怪我もしていない様子で、ぽんぽんと埃を払っているところだった。
「ルイズ、シロ姉さまは大丈夫なの?」
「……わかんない、けど、多分大丈夫と思う」
「あの母さまよ?」
壁の多穴からのぞいているルイズに近寄ってきたカトレアが心配そうに肩に手を置いた。振り返ったルイズの顔が悲痛感に
あふれていても、泣くまでは行ってないことに真ん中の姉はほっとした。一番上の姉が、その横から当然の懸念を示すが、
シロ姉は大丈夫。とルイズは繰り返すだけだった。
「もう、あれは止まらんな」
「父さま!!」
どこか達観したような口調のヴァリエール公爵が三人の娘の上からひょいっと顔を出し、一斉に娘達に怒鳴られて
首をすっ込めた。

目の前のイチヒコの母という人物の周囲にドレクスラーが集結し、見る間に同じ形になる。杖の動きに合わせる様に空中に
集まったドレクスラーが密集隊形をとって砲弾のように加速する。片手をあげてドレクスラーの壁を張ったが、物理的な
慣性力は体重の軽い自分を弾き飛ばした。壁にぶつかる前にドレクスラーで穴をあけて外に飛び出した。
『接続 ドレクスラー管理者 D-ISSG-0100118D R-シロツメグサの権限にて、接続……』
『確認』
『今の操作ログを確認』
『承認。指定コマンドA-057、A-023のバッチネット起動』
『詳細提示』
『承認。低レベル操作権限保有者による思考・行動エミュレーター及び形質複製による疑似複製生物作成、
同ドレクスラー……』
『詳細中止、なんだ、これは?』
『……回答が必要ですか?』
『当然』
『市民イチヒコによる、”しろ姉みたいに分身できたら、タイショーびっくりするかな?”大作戦の成果物です』
『…………』
『………………以上です』

レビテートで中庭に舞い降りた七人のカリーヌは、目の前で頭を抱えてがっくりとうなだれるR-シロツメグサを見て、
ほっと重苦しく胸に溜まった息を吐いた。確かに、渾身の力を込めたエアハンマー、それも遍在して七連打を浴びせて、
ほぼ無傷なのは目の前のシロ姉と娘達が呼ぶ女が初めてだった。それだけでも、今までで最強の相手と言っても
過言ではない。
しかしだからといって、この女のしたことを許せるわけではない。この女の出現でカトレアが、ルイズがおかしくなった。
娘達の前から排除しなければならない。
「どうしました? もう二度とルイズ達の前に姿を見せないというのであれば、このまま逃がしてあげてもかまいません」
杖を片手に包囲陣形をとったカリーヌは、勝利を確信しつつも歴戦の勇士らしく一切油断しなかった。
ゆっくり立ち上がったルイズの使い魔の表情を見た瞬間、背筋に冷たいものが走ったカリーヌ達は一斉に呪文を唱えた。
前衛役は高速で掛けることができる足止めと貫通型の呪文を、後衛役は詠唱に時間のかかる複数種類の大技を唱える。
小国の軍隊を蹴散らせるほどの攻撃。一人を相手にするには異常なまでの攻撃を開始する。
前衛がいざ杖を振ろうとした瞬間、後ろに気配を感じた。一瞬、ほんの一瞬注意がそれた隙を突かれ口を塞がれる。
そしてもう一つの気配に背後から杖を取り上げられた。慌てて振り返るとそこには目の前に居るはずのルイズの使い魔が
居た。……二人も。
「ば、ばかな……」
「わたしがオリジナル」
冷たい声がカリーヌの耳に響き渡り、遍在すべてが、それぞれ二人のシロ姉に取り押さえられていた。
「じ、十五人……そ、そんな……」
自分の置かれた状況をようやく認識したカリーヌは、ペタンと腰を落として茫然と呟いた。
その光景を壊れた壁からのぞくように見ていたルイズ達は、あまりの出来事に硬直した。彼らの知る限り、
トリステイン最強の、ハルケギニア全土を見渡してもたぶん最強の風のメイジであるあの母が。
幾多の伝説を作り上げたあの母が敗れた。
それも、圧倒的な差で。
「そ、そんなバカな、あのカリーヌがあっさりと……」
「し、信じられない、何? あの遍在は……一人でヘクサゴンクラス……」
公爵と一番上の姉が呆然とする中、カトレアとルイズは喜びと戸惑いのないまぜになった表情をしていた。

ぽんぽんぽん、ぽ、ぽぽぽぽぽん♪ ぽかぽかぽん♪ ぽ、ぽぽぽぽぽん♪

For every evil under the sun,
いやな出来事には
there is a remedy or there is none.
対策のあるものと、どうしようもないものがある
If there be one, try and find it.
もしあるのなら、見つけよう
If there be none, never mind it.
ないなら、気にしないこと